子どもの時間 キャラクロー真砂也
風の中に、かすかに潮の香りがまじっているような気がして、ジョンはふりむいた。
ブリドリントンの海辺あたりから、このヨークシャーまで渡ってきたのだろうか。頬をなでる風に足をとめて、ジョンはなにかを思い浮かべるようにまぶたをとじた。
「……かいぞく」
ぽつりと云って、目をあける。
面白い悪戯でも思いついたように、ジョンはくすくす笑いだした。
「海賊って、どうかな」
ふりむいてから、あわててジョンはあたりを見まわした。
「ラッシー?」
さっきまで傍らにいた親友の姿がない。丘一面咲き乱れているヒースに、あの大きな姿を隠してしまえるほどの茂みはなかった。もう一度呼んでみたが答えはない。
狐につままれたような顔が、ふと明るくなり、ジョンは走りだした。
ムーアへ向かっていたのだから、途中で隠れて待っているのに違いない。ラッシーは最近かくれんぼが好きなのだ。
「ラッシー?」
歌うように呼びつづけながら丘の上まで来ると、かすかに声がした。岩のむこう側らしい。
ムーアと呼ばれる秘密の岩の城は、ところどころの壁面を金色に反射させながら、はるか頂上まで一面、夕日に染まっている。
ちょっと立ち止まり、その塔を満足そうに見上げてから、ジョンはいきなり走りだした。岩の裏側へ駆け込むと、しかしそこはからっぽの草むらしかない。
「あれ?」
岩を一周してしまい、たたらをふんだジョンの背中に、大きな固まりがぶつかってきた。
「わあっ……ら、……ラッシー?」
前足で立てばジョンより大きいくらいの見事なコリー犬が、ジョンの顔中をなめまわしてくる。
「こら、わかったよ。びっくりした、驚いたってば、ラッシー!」
涙をうかべるほど、ひとしきり笑って、ジョンは草むらに転がったまま大きくのびをした。
「……ぼくは、大きくなったら海賊になりたいです」
このヨークシャーでも珍しいほど見事な毛並みをしているラッシーの、片耳だけは食いちぎられたようにぼろぼろだ。その耳が、とつぜんの大声に驚いたようにぴくりと持ちあがる。
「どう思う?」
栗色の瞳を向けて、もうおとなしく隣にうずくまっているラッシーに呼びかけたジョンは、返事を待つように口をつぐんだ。
腕まくらをして、遠い地平線に浮かんでいる夕日を眺める。どのみち今日はもうムーアに登る時間はない。
「なあラッシー。子どもの時間、って知ってる?」
ジョンはぽつりとまた喋りだした。
「子どもは、大人になるまえに、たくさんのことを見たり知ったり、ときには失敗したりしなくちゃならないから、神様が大人よりもっとゆっくり時間が流れるようにしてくれてるんだって。子どもはいいわね、なんて母さん云ってたけど」
黄金色の塔を見上げて、ジョンはとほうにくれたような表情になる。
「でも、まだぼくにはぜんぜん足りないよ。大人になったらなんになるかなんて……、みんなどうやって決めるのかなあ」
いつもなら優柔不断なコリンは学者になりたいと断言してジョンを驚かせた。サンディーは農場を継ぐのだそうだ。さらには、ふたりともジョンが鉱山で働くつもりだと思い込んでいたこともすこし不満だった。
「じゃあなんになるのよ?」
云いつのってきたサンディーに、ジョンはしどろもどろにしか答えられず、むくれたまま別れてきたのだ。
もちろん鉱山で働く父親の仕事にだって興味はある。しかし飛行機の操縦士や船乗りだって、きっと素晴らしいに決まってる。まだ知らないことばかりなのに、どれかひとつを選べなどと云われても困ってしまう。
「ぼくは……、まだ、大人になんかなりたくないな」
いくら神様でも、作文の宿題はのばしてくれない。こんなときにかぎって母メリッサは泊まり込みで看病だし、父サムも鉱山の追い込みで帰ってくるのは夜遅くになるらしい。唯一の相談相手はおおきく口をあけてあくびをしている。それでもラッシーに話しかけていると不思議とよく答えがみつかるのだったが、今日はなんだか馬鹿々々しい考えしか浮かんでこない。それでもジョンは喋り続けた。
「だからぼく、海賊になりたいって書こうと思うんだ。あ、でも悪い海賊じゃなくて、いい海賊だよ」
目をしばたかせていたラッシーが、ぱたぱたとしっぽを振る。
「グリノールブリッジは好きだけど、でも、まだ行ったことのない素敵な街が、きっといっぱいあるよね。なあラッシー、おまえも来るだろ?」
ジョンは腕をのばして、金色の大きな背中をゆっくりとさすった。気持ちよさそうに栗色の目が細くなる。
「ジョン船長はね、名医でもあるんだ。船上でどんな病気になっても、ホッパー先生みたいになおしちゃうから安心さ。そして港では、その街の人たちが必要な物を持っていって、それを売って暮らすんだ。ほら、ローリーみたいに。どうだい?」
「お医者さまになるには、たっくさん勉強するのよ」
とつぜん声をかけられて、ジョンは跳ね起きた。
「……あの、いい海賊っていないと思うんだけど……」
「コリン! なんだ、びっくりした」
いつのまにか、すぐうしろにサンディーとコリンが立っていた。
コリンが力なく笑って頭をかく。勢いよく座り込んだサンディーは、意味ありげに笑った。
「やっぱりジョン、作文のこと悩んでたのね」
「やっぱりってなんだよ」
「ごめんね。勉強嫌いのジョンがなにになる気? なんてからかったりして」
またすこしむくれ顔になったジョンの前に、あわててコリンが座り込んだ。
「ジョン。おれさ……、あの、石炭がでなくなったときに一所懸命がんばってたジョンを見てて、すごいなって……、かなわないなって思ったから、だから鉱山の仕事をするんじゃないかって自然に思ってただけなんだよ」
「……うん」
ジョンが照れたように微笑むと、三人は同時にたまりかねたようにふきだした。ラッシーがゆっくり立ち上がり、しっぽを振りながら三人のまわりを歩きだす。
ひとしきり笑うと、ジョンは明るく息をついた。
「ぼくもごめん。……ふたりとも将来の夢をちゃんと持ってるから、すこしうらやましかったんだ」
「あたしのは夢とかじゃないわよ。単なる予想。べつに絶対そうなりたいってものじゃないもの」
「え? そうなんだ」
「……お、おれだって……力仕事は苦手だし、すぐ病気になっちゃうだろ。部屋の中でできる仕事っていったら、学者かなあって。それだけだよ」
「なんだ」
気が抜けたように云って、ジョンはあわてて首をふった。
「でもコリンは絶対、学者に向いてるよ。いろんなこと知ってるしさ」
「そんなこと……、ぜんぜん、おれなんか……」
頬をまっ赤に染めながら、コリンはそれでも嬉しそうだ。
「ま、とにかく、まだあたしたちには考える時間がたっぷりあるわ。ねっ」
勢いよく立ち上がったサンディーが、スカートについた草をはらい落とす。
「でも、夕食までの時間はないの」
「え?」
「ジョンのおばさんに頼まれたんだって。母さんが、今夜の夕食はうちで食べなさいって。さあ帰りましょ。コリンもね。食べたら一緒に宿題やらない? コリンがきっといい案だしてくれるかもしれないし。ねっ」
「そ、それじゃ、ずるだよ」
「いいじゃない。ジョンが海賊になっちゃったらどうする気?」
「そんな……」
「なんだよ。海賊じゃ駄目?」
「駄目に決まってるでしょ」
薄暗くなりはじめたグリノールブリッジの丘を、四つの影が下っていく。
にぎやかな笑い声をすくいあげ、ふきぬけた風がまた海のほうへと帰っていった。
またなんということもない話ですねえ(^_^;;;
ラッシーは第1話のタイトル『ひとりじゃない』でノックアウトされちゃいました。
3話にして『さよならラッシー』ってのもヤルナ! それに加えてラッシーは画面。
あの駆け回るジョンとラッシーの絶妙な動き!
元気に走っていったかと思うと肩をおとして帰ってくるジョン…。台詞が少なくって動きや表情で語るから目が離せないんですよね〜
いくら名作アニメが好きったって、本放送で全話完璧に見たのってラッシーだけかも……、アレ? 短かかったから?(爆涙)
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