上杉謙信の風貌


身長六尺(1.9m)近い大男、という説もあるが、現在米沢市の稽照殿(米沢城内)に陳列されている色々威腹巻を見ても、さほど大柄なサイズではない。また、『名将言行録』は小柄であった、と伝える。いずれにしても謙信を実見した天徳寺了伯が威圧されたと言っているように、目つきの鋭い偉丈夫であったろう。何点か残されている肖像画によれば、やや下ぶくれ、髭が濃い。がっしりとした体格で小柄なほうではない。左足を少し引きずるようにして歩く。脚のつけねに腫れ物があったため、といわれる。この腫れ物が戦傷によるものか、性病によるものかは判然としない。

性格は義理堅く名分を重んじる。勇猛な反面、短気で尊大。神経症、精神分裂症の気味あり。生涯独身を通したことに関しては、性的不能、男色家、はては女性説まで登場している。自分を毘沙門天の化身と信じ込むあたり、異常なほど強い信仰心がその行動原理となっている。その信仰を妨げないようにするため女性を遠ざけた、とする説が一般的である。

戦陣にあっては、物の具、采配などはあまり用いず、黒い木綿の胴服、鉄製の車笠を着し、三尺ほどの青竹を指揮杖(梁の将韋叡の竹如意にちなんだもの)として用いたという。剃髪したのは天正二年四十五歳の時で、以後、法体となっていた。(画像:上杉神社蔵)


同時代人の評価


太田資正

「謙信公の御人となりを見申に、十にして八つは大賢人、其の二つは大悪人ならん、怒りに乗じて為し給ふ所多くは僻事あり、是其悪き所なり。又勇猛にして、無欲、清浄にして、器量大、廉直にして隠す所なく、明敏にして能く察し、慈恵にして下を育し、好みて忠諫を容るゝ等の如き、是其の善き所なり。末の世には有り難き名将なり。是故に其八つは賢人と申すなり」

「」


上杉謙信アラカルトに戻る