187「三郎兵衛くんの”雄”鬱」



滝川雄利(1543―1610)

三郎兵衛、勝雅、雄親、雅利、従五位下下総守、刑部卿法印一路。木造氏の一族で源浄院主玄という出家の身であったが、還俗して滝川一益に従い滝川姓を与えられる。後、織田信雄の家老となるが、羽柴秀吉との対立を契機に信雄を見限り、秀吉に仕える。文禄四年、豊臣秀次事件に連座し、改易されるが相伴衆として復帰。秀吉の咄衆十二人のうちの一。慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の戦いで西軍についたため再び失領するが、翌六年、徳川家康から常陸片野に二万石を与えられた。

◆もともと、滝川雄利は出家の身だったのだが、滝川一益に請われてその娘婿となり、織田信雄の家老にまでなった。豊臣秀吉にも徳川家康にも評価され、何度か改易の憂き目に遭いながらも、大名として全うしている。よほどの器量人であったのだろう。武功もさることながら、気働きのほうも長けていたものと思われる。

◆その滝川雄利が何やら悩んでいる様子だということを聞きつけて、やってきたのが、前田慶次。もっとも適当な友達が見つからなかったので、滝川家中の朋輩を引っ張り出してきたまでのことである。

慶次「やあ、三郎兵衛くん。おや、なんだか元気がないね」
雄利「ああ、君か」
慶次「どうしたんだい。君と僕との仲じゃないか。何でも相談してくれよ」
雄利「きみ、僕の実名を知ってたっけ?」
慶次「エート・・・なんだっけ?」
雄利「今度、織田信雄さまから偏諱を受けて、英雄の雄に、名利の利と書くのだ」
慶次「フーン。雄蕊の雄に、暴利の利・・・雄利、かつとし、か」
雄利「君は人を不愉快にさせることにかけては天才的だね」
慶次「お褒めにあずかり恐縮。で、実名がどうかしたかね、かつとしくん」
雄利「ところが、朋輩の中にはそう呼んでくれない者がいる」
慶次「エッ」
雄利「たきがわ・・・・・・おとし」
慶次「アハハハ、何だか間が抜けたように聞えるね。そういえば、あの茶筅も信雄、のぶおってよめるものな」
雄利「わ、笑い事ではない。四百年後の青少年がゲームやりながら、わしのことを『おとし』呼ばわりするか、と思うと・・・・・・」

◆滝川雄利が危惧するのも無理はない。『寛政重修諸家譜』では織田信雄は「のぶを」とルビがふられている。その子・秀雄は「ひでを」である。現在でも『国史大事典』では「おだのぶお」で立項されているし、比較的信憑性の高い分限帳として有名な「織田信雄分限帳」は「おだのぶおぶんげんちょう」と呼ばれているのだ。事典の表記は先行する記述を踏襲しているケースが多いから、いずれ、「おだのぶお」は「おだのぶかつ」を凌駕してしまうかもしれない。

慶次「まあ、そう悲観することはないよ。信雄が、のぶおと呼ばれるのは公卿になったからなのさ」
雄利「公卿? どういうことだ」
慶次「公卿の社会では、雄が名の上にくると『かつ』、下にくると『お』と呼ぶ慣習みたいなものがあるのさ。洞院の左大臣実雄しかり、橘右京大夫海雄しかり。信雄は最初は『のぶかつ』だったけれども、公卿の位階をもらったので『のぶお』って呼ばれることが多くなったのさ」
雄利「そうか。じゃ、公卿ではない僕は『かつとし』のままでいいわけだね?」
慶次「そうそう。この先、君がかりに公卿になったとしても、雄が名前の上にあるからだいじょうぶ、『おとし』にはならないさ」
雄利「なんだか、希望がもててきたよ。その雄の読み方の話って本当なんだろうね」
慶次「ああ、何でも花山院前大納言定誠卿が言ったことを、又聞きしたんだけどね」
雄利「誰、それ? まだ生れてない人間を引っ張り出すなよ」

◆織田信雄が都の貴族を気取って「のぶお」となろうが、知ったことではなかった。だが、信雄から偏諱を受けている自分たちはどうなる。世間は「あー、おだのぶおさんの家来筋の。よろしく、滝川おとしさん」などと反応することだろう。

雄利「ゆゆしき問題だとは思わないか、土方くん」
雄久「わしはおぬしとは違う。旧主のもとを離れようと、心は常に織田家とともにある」
雄利「おひさって呼ばれても構わないのか?」
雄久「ああ、かまわん。貴様こそ、勝手に改名でもなんでもすればいい」

◆しばらくたって、前田慶次が滝川雄利改め雅利と再会した。この間とうってかわって、元気な様子である。

雅利「やあ、ひさしぶり。お互い今度の天下分け目の合戦(小牧長久手)は、負け組みになっちゃったね」
慶次「何を言いやがる、信雄を裏切って秀吉に走ったくせに」
雅利「あれからよく考えたんだけど、君の言うことはいまひとつ信用できないから、実名を変えたよ。今はミヤビと書いて『まさとし』というんだ」
慶次「ほう。偏を『広』から『牙』に変えたんだね」
雅利「美しさの中に強さを秘めている名だろ?」
慶次「アハハハ。信雄とは縁を切りたかったんだと、はっきり言いたまえよ」




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