183「ワンダー・ボーイ」



徳永寿昌(1549―1612)

昌時、権之進、石見守、式部卿法印。近江国徳永村、美濃、尾張松本など出身には諸説がある。土佐守昌利の子。はじめ柴田勝家の養子勝豊に仕える。賤ヶ岳の合戦直前に勝豊が羽柴秀吉方に寝返ったため、羽柴勢に加わって柴田勝家と戦う。戦後、秀吉に仕えて美濃国高松城主となり、三万石を領す。秀吉が没した直後、朝鮮に渡った日本軍撤収のため渡海。慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の戦いがおこると徳川家康に味方し、戦後、二万石を加増され高州城に移る。有馬則頼、金森素玄とともに「三法師」と称せられた。

◆目から鼻にぬける、という言葉が使われる頻度は、最近は相当減ったのではあるまいか。「目から鼻にぬける」とは、たいてい若者に冠せられる言葉である。しかし、下手に今の若い人に意味などを聞くと、「やってTRY」ではないが、「目からァ、水を入れると、鼻から出てくる。そういう芸ができる人」なんて回答がかえってきそうで怖い。ただし、誤解しないでいただきたいが、「目から鼻にぬける」ような賢い若者がいなくなったということでは、決してないのである。誉めすぎの場合もあるが、「目から鼻へぬける」若者は今も存在する。なぜ減ったか。これは中高年が増えたということかもしれない。中高年の尺度が社会で横行しており、その尺度にそぐわない若者が増えているということなのかもしれない。が、たまにその尺度で測れてしまう若者が登場する。ニュアンスとしては、利発であることは変わりないのだが、さらに抜け目なさ、はしっこさ、如才なさといった要素が加わる。測る側の中高年には一種の恐れ、時として嫌悪すら帯びることがある。意味的には、善人とはイコールではないのである。

◆徳永掃部という武士がいた。彼の家来の中に罪を負った者が出来し、これを召し捕るために討手が差し向けられた。討手も相手が手練の者であることを承知していたから、「碁でも打とうか」と相手の隙をうかがい、油断を生じさせる挙に出た。碁の勝負が大詰めにさしかかった頃、スルスルとあらわれた小坊主が罪人の背後にまわったかと思うと、バッサとその首を打ち落としてしまった。

◆もとより罪人は気づきもしないまま往生してしまったが、吃驚したのは討手に任じられた男である。自分が手を下す前に、小坊主が相手をいとも簡単に仕留めてしまったのだから、面目はまるつぶれである。

男「いったい、あの小坊主は何者だ」

その小坊主こそ、後の徳永寿昌。まだ当時は十四歳であったというから、この話がまことであるとすれば、永禄五年(一五六二)頃ということになる。

◆その翌年、というから永禄六年。また徳永家に罪人が出た。今度、討手に選ばれたのは二名の、いずれも腕におぼえのある武士であった。罪人のほうでも、これはとても敵し難いと覚悟を決めていたところへ、小坊主があらわれた。徳永寿昌である。

寿昌「あなたを討つべく、ご主人様が討手を差し向けられました。今に手練の二名がこの御屋敷へやってまいることでしょう。くれぐれもお心構え肝要にござりまする」

おそらく、徳永の殿様の内意を告げに参ったものであろう。だが、もうすぐ討たれる相手のところへ出かけていき、お覚悟なされよ、と言うとは尋常な十五歳とも思われない。「目から鼻に抜ける」ようなかしこさとは、時として「らしくない」ものなのである。

◆徳永寿昌の言葉を聴いた罪人は、小脇差をもって喉をかき切って、自刃して果てた。討手の両名がやって来た頃にはすべてが終わっていた。討手はただ「ナス事モナク其の儘帰」るほかはなかった。両名が戻り、其の旨を申し立てた。徳永の殿様は去年の一件を記憶していた。また同じ人間かと聞かされ、「彼の小坊主、只者にあらず」とつぶやいた。さっそく手許へ小坊主を伺候させると、これに褒美を与えた。これが徳永寿昌、世に出るきっかけであったという。

◆徳永寿昌の出自には諸説があるので、果たしてこのような事件を経て、徳永掃部の目にとまったのかどうかはさだかではない。徳永掃部の養子になったか一族に列したかして、徳永氏を継承したのか。あるいはもともと徳永の一族で、才覚を見込まれて還俗せしめられたのか。

◆ともあれ、小坊主は成長後、柴田勝豊に見出され、これに仕えた。柴田勝豊は賤ヶ岳合戦直前に養父勝家を裏切り、羽柴秀吉に応じた。このことが結果的に徳永寿昌には幸いした。柴田勝家が滅んだ後、羽柴秀吉に召し出され、ついには五万余石の大名に列するまでになった。近江能登川を領した頃、町割を実施、その折の名残である生活用水が今に残る。だが、たった五万石という言い方もできよう。その彼がかつては「武事手練の人」であったことは、ほとんどの人間は気づかなかったようである。

◆その生涯をみれば、果たして器量人なのか凡人なのか、にわかに判断することは難しい。「目から鼻にぬける」才子は、必ずしも輝かしい栄達が約束されているわけではない。十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人。




XFILE・MENU