147「"不思議"とよばれる陰謀」



木村重茲(?―1595)

隼人佐定重の男。隼人正、常陸介。実名は、定光、重高など諸説あり。若狭国佐柿国吉城主。豊臣秀吉ついで秀次の家臣。天正十一年(一五八三)、賤ヶ岳の戦いで堂木山砦を守備する。天正十八年、小田原攻めで北条氏の岩槻城を攻める。山城国淀十八万石にまで出世するが、のち秀次事件に連座して自刃。

◆政策秘書をめぐるさまざまな問題が浮き彫りにされている。政治家は一様に秘書がやったこと、自分は預り知らない、と言う。

◆関白豊臣秀次は、秀吉に実子(お拾。のちの秀頼)が生まれて以来、悶々とした日々を送っていた。叔父秀吉はもはや自分を邪魔者と思っているのではないだろうか。世間ではすわ謀叛かと騒ぎ立てている者もいるらしい。日に日に情勢は秀次にとって好ましくない方向に流れていた。

◆秀次がもう少し賢明な人間であるか、あるいは周囲に目配りのいきとどいた家臣がいれば、酸鼻をきわめた事件はおこらなかったかもしれない。ところが側近く侍るのは、忠誠心だけは旺盛だが、目先のことしか判別できない凡人ばかり。先を見通せる者たちはいつしか秀次の周囲からは払底していた。

◆いわば「残り物」のひとり、木村常陸介重茲。主人の気鬱を散じようと、考えたことといえば、大坂城へ潜入して様子を探りに行ってくる、程度のこと。

◆木村常陸介は三日間の暇をとり、大坂へ下って城内へ潜入した。秀吉は上洛中であったのだが、常陸介は警備の目をぬすんでいとも簡単に天守閣へ忍び込んでしまった

常陸介「すごい。わしには忍者の才能もあったのかも・・・・・・」

◆秀次は常陸介が持ち帰った水差しのフタをしげしげと見た。まさしく以前、秀吉に進上した品に間違いない。これが城内から易々と盗まれるほどどうでもいい品なのか。つまりは秀吉が秀次をさほどに大切に思ってはいないのであろうか。秀次は、水差しのフタがなくなって城内で大騒ぎになることを期待した。叔父秀吉が自分の手をとって「大事な品をなくしてしまった」と詫びる場面を想像した。

秀次「すまぬ、孫七郎。そなたの贈り物をあたら粗末に扱ってしまった」
秀次「叔父上、水差しのフタひとつ、わたしは何とも思ってはおりませぬ」
秀次「孫七郎、すまぬすまぬ。お拾い可愛さのあまり、そなたを疎んじてしまったやもしれぬ。ゆるせ」
秀次「叔父上ッ」
秀次「秀次ッ」

いきなり座敷で一人芝居をはじめる秀次。呆然と眺めているばかりの常陸介。

◆ところが、大坂城では水差しのフタがなくなっていることに気づかない。じれったくなった秀次が「あの水差しですが、お気に召しましたでしょうか」と指摘してやったが、秀吉も言われて気づく始末。誰かが隠したか捨てたのであろう、と不思議に追及はしないまま、黄金でもって新しいふたを作らせておいた。

◆その後、秀次の悪行が暴かれて、聚楽第の接収が行われたが、この時、邸内から件の水差しのふたが出てきた。さては、関白殿は家臣の者どもを大坂城へ潜入させ、太閤殿下かお拾さまを害したてまつらんとの所存であったか。この水差しのフタは命を奉じた家臣どもが城内へ忍びこんだ証拠として関白に示したものに違いない、と判断された。

◆関白秀次の進退はここに極まった。かつての賤ヶ岳合戦の勇士・木村常陸介も山城国の大門寺で自害した。常陸介は大坂城に易々と忍び込めた時に罠ではないかと思いいたるべきであったろう。昭和なかばに活躍した名探偵中禅寺秋彦も言っている、

「この世に不思議ということなど何もないのだ」

◆この話が史実であったかどうかはわからない。ただ秀次の失脚は、秀吉の寵愛が実子に移ることを、常陸介ら家臣が必要以上に心配したために、その隙を衝かれたと考えられなくもない。秘書役はこの時、自分の言動が主人の政治生命に影響を及ぼしかねないことを理解しておくべきだし、いざ事がおこった場合は、政治家は秀次のように従容として責任を負うべきであろう。

◆一説によれば、大坂夏の陣の勇将木村重成は、常陸介の遺児であるという。重成はほかでもない、大坂方の正規の大将分としてただ一人家康が首実検に供したほどの人物である。父子説がもし本当であるならば、一族の名誉も回復され、地下の常陸介ももって瞑すべし、といったところであろうか。




XFILE・MENU