047「伊賀崎入れば陥ちにけるかな」



伊賀崎道順(?―?)


伊賀国楯岡の人。楯岡ノ道順と呼ばれる。伊賀四十九院流の始祖とされ、伊勢の北畠氏、近江の六角氏などに仕えたという。延宝四年に成立した忍術書『万川集海』には、伊賀流忍術十一名人のひとりとして記載されている。


◆忍術書『万川集海』は、野村の大炊孫太夫、新堂の小太郎、楯岡の道順、下柘植の木猿(大猿)、下柘植の小猿、上野の左、山田の八右衛門、神戸の小南、音羽の城戸、甲山(高山)の太郎四郎、甲山(高山)の太郎左衛門という十一人の名簿を載せている。甲賀五十三家がわりあいきちんとした名前を持っているのとは対照的に、郷士か百姓あがりの風体を想像させる渾名っぽいところが特色である。これはやはり大名などに家臣として仕え、権力にうまく取り入った甲賀にくらべて、伊賀はそうではなかったことのあらわれでもあるだろう。

◆このうち、伊賀崎道順は敵陣へ乗り込み、撹乱する技に長じていたらしい。らしい、というのは、今や忍者の活動は江戸期などに成立した書物などでしか知るすべがないからだ。

◆伊賀崎道順は、六角義賢の依頼を受けて沢山城(後年、石田三成の居城となった佐和山をさすといわれる)の襲撃を引き受けることになった。沢山城主の百々某は六角義賢の家臣であったが、主家に叛旗を翻したのである。義賢はただちに反逆者として、これを討伐するべく沢山を包囲攻撃したが、なかなかこれを抜くことができなかった。そこで、作戦を変え、忍びの者による奇襲攻撃を企図したのである。その実行者として白羽の矢がたったのが、伊賀・甲賀に名高い「楯岡ノ道順」こと伊賀崎道順であった。

◆道順の指揮下には、伊賀の忍者四十四人。これに甲賀の忍者が四人加わっている。よく小説や映画には、伊賀と甲賀は不倶戴天の敵のように描かれているものがあるが、それは違う。このように共同作戦をとることもあったし、むしろそれが普通だった。伊賀と甲賀の命運がわかれたのは、織田政権が誕生してから、これへの対し方による。

◆さて、道順は「化生の者」といわれる伊賀忍者であったにもかかわらず、占いやおみくじなどの験担ぎをしていたようだ。いよいよ沢山城乗っ取り、という大仕事に向かう途中、伊賀と甲賀の境にある湯船という地で、知り合いの陰陽師宮杉をたずねた。


宮杉「おぬしの来ることはわかっておったぞ、道順」
道順「おまえは本物か。式ではあるまいな」
(パロディやってどうする・・・)
道順「実はな、かくかくしかじか・・・」
宮杉「ほう。沢山城を乗っ取るのか。面白い。占ってやろう」

おごそかに宮杉がおみくじの箱を振って占う。カラカラカラ・・・吉。

宮杉「こんなんでましたァ♪」
道順「おみくじじゃなく、ちゃんとやってくれよ。いつものようにオンキリキリって」
宮杉「これでは不服か。では、歌もおまけにつけてやろう」
道順「うたぁ?」

道順が馬鹿にした途端、一天にわかにかきくもり、稲妻一閃。陰陽師の家の庭先にゴロゴログワッシャーン。

道真「ムウ・・・学問をなんと心得る!?」
宮杉「菅公、こちらは忙しいのだ。かまわないでくれ。それ、道順。歌ができたぞ」

     沢山に百々(どど)となる雷(いかづち)も
いがさき入れば落ちにけるかな

道順「なんじゃ、これは」
真葛「忍びの腕は一流でも歌はからきし駄目らしいな。その歌の意味を教えてやろうか?」
道順「おい、宮杉。この女は誰だ?」
真葛「その歌の意味を知りたくはないのか?」
道順「・・・・・・」
真葛「知りたいか?」
道順「し、知りたい」
真葛「いいか。どどとは、これからおまえが攻め落としに行こうという沢山城主、百々某のことだぞ。そいつの名前と雷の音をかけているわけだな。いがさきは他ならぬおまえの名前だ。おまえが城へ入れば、どどとなる雷が落ちるように城も陥落するであろう、という意味だ」
道順「わーい。ところで、宮杉。この女童はいったい何者だ。式か?」
真葛「誰が真葛は式と言った。不調法者!」
宮杉「気にするな。それよりこの歌のとおり、うまくいくとよいな」

伊賀崎道順は宮杉にお礼として銭百疋を贈った。

◆道順は、あらかじめ下忍に命じて沢山城内の提灯の紋を盗ませておいた。これをもとに提灯のレプリカを作成して、手下四十八人に配布。夜陰にまぎれて城内へ潜入した。道順らがあちこちに火をかけたため、城内は大騒ぎ。おまけに味方の提灯を持った者たちが火をかけてまわっているので、果たして城内に裏切り者が出たか、と疑心暗鬼にかられているところへ、待機していた六角勢が攻め込んできた。かくして、沢山城は陥落した。

◆この時、道順が用いた術は「妖者(ばけもの)の術」という城を攻める時のテクニックであった、という。



特別出演・・・思わせぶりな謎の陰陽師、真葛、菅原道真(の怨霊)


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