009「うるわしき胸毛の姫君」


国姫(1595―1649)


日向延岡藩主有馬直純の継室。父は本多忠政、母は岡崎三郎信康の女熊姫。慶長十年(1610)、外會祖父・家康の養女となり、堀忠俊に嫁すが、堀家の改易によって離別。慶長十五年、有馬直純に再嫁し、二男三女をもうける。慶安二年(1649)二月二十九日、没。法名栄寿院。江戸西久保天徳寺に葬られた。


◆タイトルからして「異様」だなあ。あまり考えたくないなあ。わたし、女性の胸毛というのは見たことがない(笑)から、よくわからないのだが、あれはバストの谷間に生えているのだろうか?

◆さて、胸毛があったという国姫は家康が溺愛していた嫡男岡崎三郎信康の孫である。信康の娘熊姫が本多忠政(徳川四天王・忠勝の子)に嫁ぎ、生まれたのが彼女である。家康と信長を會祖父にもつという「血統書つき」だ。そればかりではない、あの武骨な本多忠勝の血も入っておるのだ。いかにも毛深そうではないか。

◆まてよ、おまけに母親の名前は熊姫だぞ。母親もやはり毛深かったのだろうか。ということは遺伝か。国姫は祖父信康に似ていたので、家康がことのほか可愛がったという。顔が似ていたのかな、それとも毛深いところが・・・。
「夫人(国姫)の人となり剛毅にして技撃に通じ、容貌端麗にして胸毛あり、起居動静真に丈夫の如し」(『国乗遺聞』)

◆信じられるか、「容貌端麗にして胸毛あり」だぞ。わざわざ「胸毛あり」と書かれているのだから、みんな知ってたってことじゃないか。夫や侍女やばあやだけの秘密ではなかったのだ。「技撃に通じ」とあるから、薙刀を振り回したあと、汗だくの胸をはだけて、パタパタやりながら「あ〜熱い」などとやってたのだろうか!おつきの人々の視線は姫のふくよかな胸よりもべったりはりついた黒々とした胸毛のほうに引き付けられてしまったであろう。

◆あなたのそばに「胸毛のある容貌端麗な女性」はいるだろうか。自分は「容貌端麗」と思っているあなた、あなたに「胸毛」は生えているだろうか。男性諸君は周囲の女性たちに聞いてみてほしい。ただし、ビンタをくらおうがわたしのせいにはしないで欲しい。女性の方々は鏡に向ってよく確かめてほしい。産毛ではない、胸毛である。

◆デビルマンレディーや「はじめ人間ギャートルズ」のおかあさんにも胸毛はなかったような気がするなあ。ひとりごと・・・。

◆まずひっかかるのが、最初の結婚だ。相手は越後福島城主の堀忠俊。この人は器量抜群といわれた堀秀政(名人久太郎)の孫なのだが、いわゆる越後騒動によって改易になってしまう。

◆初夜の褥の中で、忠俊の手が異様なものに触れてしまった、としたら!?

家康「おのれ、わしの国姫に不足を申すか。ええい、堀などは取り潰してしまえ」

◆そう考えた場合、胸毛のある国姫は最強の傾国の美女、まさに大名取り潰しの秘密兵器といえるのではなかろうか。気に入らない大名家には国姫を送りこみ、相手がその胸毛に怖じ気づくと、幕府が逆らった相手を取り潰す、と。

◆さらに不可思議なのが、「岡本大八事件」の折の有馬家の処分である。この事件に直純の父であるキリシタン大名有馬晴信が連座しており、甲斐へ流された後、切腹させられた。しかし、直純に処分の沙汰はなく、有馬家も断絶せずに済んだ。家康はこの時、こう言ったかもしれない。


家康「直純、わが国姫を娶るか?さすれば、有馬の家は残してやろうぞ」

◆で、有馬直純は小西行長の姪マルタを離縁(この頃、家康はキリシタン禁教令を発しており、直純は家康の命に従い、棄教している。)し、バツイチの国姫を娶った。が、意外にも夫婦仲はよかったらしく、ふたりの間には二男三女が誕生している。どうやら妻の胸毛が気にならなかったようである。あるいは御家存続のため、必死で耐えていたのだろうか。

◆胸毛のくらべっこをして興じていた、というセンも考えられるな・・・。個人的にはこういう無邪気なのが好きだ。



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