小田原評定・バックナンバー

過去ログ51番目から100番目までの記事です。


(100)関西地方真田関連迷所??  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:05月13日(火)01時09分25秒

左衛門佐ともーかにござりまする。

向井佐平次殿、このハンドルを見ただけで「おお真田ファンじゃあ」
とわかります。
しかし、いいですねえ、松代に気軽に行けるとは・・・
今度こそ自分も松代に行きたいと思っております。

さて、関西地方にある真田関係三大名所(三つしかないので三大という・・)
について、簡単な交通のアクセスを記しておきます。
もし関西に来た時の為にご参考までに・・・

「真田庵」:言わずと知れた昌幸、幸村、大助の蟄居先
南海電鉄難波駅から高野山方面への急行で約一時間。(南海高野線)
これが一番早い。最寄り駅は九度山駅、九度山駅からは、駅員に道を
訪ねるべきでしょう。
まあ、真田庵はガソリンスタンドの近くにあります。
「真田グッズ」が売ってます。小さな宝物館もあり、昌幸が彫った木彫りの
犬なども置いています。
尤も、難波ってどこ??とおっしゃられた場合の為に。
新幹線なら新大阪駅、もしくは大阪駅から地下鉄御道筋線に乗って
約15〜20分位で難波駅に着きます。
	    
「三光神社」:真田丸跡、真田幸村の銅像あり、真田の抜け穴跡あり
大阪駅からJR環状線に乗って玉造駅下車、ひたすら西に歩いて5分。
真田山公園は真田山町に、三光神社は玉造本町にあります。
目印は真田山小学校か・・・

「安居天神」:真田幸村の戦没地、戦没碑あり
大阪駅から地下鉄御道筋線もしくはJR環状線で天王寺下車。
谷町筋をひたすら北に・・・逢坂上元町にあります。
しかし、この神社の道筋を解説するのは困難を極めます。
うー、説明し難い・・・
尤も、神社の前に「真田幸村戦没の地」と書かれた看板がなければ
見落とすような場所にあります。

そんじゃあ、関西ツアーの際は是非。

真田ファン拡大の為の伝道師ではあるが、たまに雑賀孫市や竹中半兵衛や
豊臣”大和大納言”秀長ファンにも変身する左衛門佐ともーかでした。


(99)長柄槍について  投稿者:三楽堂  投稿日:05月12日(月)21時25分36秒

これではMasaさんへのおこたえに
                なってませんよ>纐纈城主殿。

長柄槍のうち三間長柄、および三間半長柄は信長が考案した
という説がありますが、それ以前、南北朝期から一丈のもの
が使用されていました。(たしかに手槍に近いですよね)
室町期に入ると、二間長柄などは用いられておりました。
間のはかりかたは対象物によって異なりますが、三間はだい
たい六メートル。織田家以外にも諸家で用いられていたと思
われる二間半長柄は約五メートル。実際立ち会う場合は差が
出ますが、ブラウン管ではさほど違いが明確にならないので
は?(しかもTVに登場した槍はどうも五メートル以下なの
ではなかろうか、と。セットが狭すぎて扱いやすい長さにし
てあると思う)

まあ、時代考証をすれば、おそらく部屋の中は真っ暗で、役
者の顔も見られなくなるでしょうから、ほどよい加減が必要
なのでしょう。
そこへ行くと、昔の時代劇などは女性もきちんと眉を剃り、
お歯黒をつけていて、適度に画面も粗い(笑)ので迫力があ
ります。


(98)Masaさん、はじめまして  投稿者:纐纈城主  投稿日:05月12日(月)20時25分05秒

あの大河ドラマ、妄想年代記をともに作ったメンバーの意見では
あれは「歴史ドラマ」ではない、「ホームドラマ」だ、ということです。
時代考証の指摘は、Masaさんのおっしゃるとおり。しかもこれま
での大河は「浅井長政」を「アザイナガマサ」と読ませるなど、枝葉
にこだわり過ぎているきらいがあります。あの役者が民放へ出た
途端、「アサイナガマサ」と叫んでいた話を聞き、腹をかかえて笑
ってしまいました。
リアリティの追及は大切ですが、視聴率という使命を課せられて
いる以上、ある程度の冒険はやむを得ないことと感じています。
むしろ、気になるのは、歴代の大河ドラマ主人公たちが二言目に
は「民、百姓のため・・・」とおきまりの文句を口にする画一的なと
ころですね。


(97)大河ドラマ「毛利元就」について  投稿者:Masa  投稿日:05月12日(月)17時59分15秒

みなさん、はじめまして。
記事を読んでいると、皆さん大河ドラマを見ていらっしゃるようですが、
あれを見て、作者の歴史についての関心度が低いと思うのは、私だけでしょうか?

と思うのも、時代考証がかなり違うからです。
まず第一に戦争があげられます。
元就の初陣の戦や、渡辺勝の謀反等で出てくる、長槍ですが、
あれは織田信長が開発したもので、あのころはまだ短い槍を使用していました。
使い方というのも突くだけでなく、元就が熊谷氏を助けた戦いの様に、
投げるという方法を使っていたようです。
あの場面では奇襲として使うようでありましたが、
普通にあのようなことをしていたようです。
#元々あのころは、夜討・朝駆けが常識の時代ではあるが・・・

第二に彼らの髪型ですが、元就の髪型はいわずと知れた信長の髪型です。
あの髪型をしていたために信長は「うつけ」と呼ばれていたというのもあります。
#実際はそれだけではないが

他にも時代考証がおかしい個所がいくつかあります。

皆さんはこのようなことに対してどのように思いますか。
僕は地元(山口県)の人間でして、
少しでも史実に近いようにやってくれることを望んでいたのですが・・・
皆さんの意見を聞いてみたいと思いましてこのような記事を書いてみました。
駄文、乱文で申し訳ありません。皆さんの意見をお待ちします。


(96)小早川隆景  投稿者:三楽堂  投稿日:05月12日(月)16時39分32秒

わたしもショックでした。ホンジャマカのギャグは、わたしの笑いのツボをまった
く刺激しないので、二人の活動もあまり知りません。
肖像画を見ると、隆景は色白の優男風なので、飄々とした感じの二枚目を使えばよ
かったのに。実際、大内義隆が隆景の美しさにイチコロなんて記事が『陰徳記』や
『陰徳太平記』にも出てきます。
個人的には、たとえば堂本洸一(字、こうだったっけ)などがいいセンだと思って
いたのですが・・・。


(95)ホンジャマカ  投稿者:早く出てこい 鹿之介  投稿日:05月12日(月)13時38分12秒

大河ドラマ毛利元就の配役なんですけど、
三男 小早川隆景の役にホンジャマカの恵が当てられるなんて、
と思っているのは俺だけか?


(94)真田ファンです  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月12日(月)06時54分30秒

いいな〜>左衛門佐ともーかさん

私も関西方面の幸村の軌跡ををたどりたいけど
なかなか向こうに行く機会ってないんだよね。

特に九度山の蓮華じょういんには行って
昌幸の墓に手を合わせたい。

以前信州真田の長谷寺の幸隆・昌幸の墓には詣でました。

信綱寺も行ったけど、そこに行く手前の公園がめちゃくちゃ整備され過ぎてて
きらい。

展示品は整理されていたけど…


(93)水軍の女神  投稿者:粳寅漫多朗  投稿日:05月12日(月)00時20分37秒

漫多朗参上!

小田原評定にしばらく顔を出さないと、話がどんどん進んで、ついていけず困ってます。
真田(!?)といえば、葉月里緒菜は、それにしても妻子ある人が好きですなー。
真田の次は、毛利元就ですか...そうすると元就も美伊の方と最終的には離婚してしまうのか!?
...大河ドラマのことだから...あっ3分経ったから、わしかえるっ!   ジュワッチ!!


(92)真田丸じゃあ  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:05月11日(日)19時37分03秒

真田ファンの皆様こんちわ、左衛門佐ともーかにござりまする。

さて、今日も凝りもせず、大阪環状線玉造駅近くの三光神社に
行ってきました。これで3度目。
ここは、そうです。大阪冬の陣で幸村が真田丸を築いた跡地となっており、
神社の裏手に「真田丸跡」とも言うべき「真田山公園」があります。

で、この三光神社の中には真田幸村の銅像があり、その横手には
かつて「真田の抜け穴」と称された抜け穴跡が残っております。

幸村(信繁)の生まれたのは信州ですが、蟄居先が和歌山県九度山町
真田丸跡が玉造、戦没地が天王寺(戦没碑があります)。
さーて、どこが「幸村ゆかりの地」なんでしょうか・・・

九度山にある真田庵の住職(おばちゃん)は半ばやる気がなく
しんどそーやし・・・まあええかあ。
「関西地方にも幸村関連の地があるんやでぇ」とアピールしときます。

そんじゃあ。

真田ファン拡大の為の伝道師ではあるが、たまに雑賀孫市や竹中半兵衛や
豊臣”大和大納言”秀長ファンにも変身する左衛門佐ともーかでした。


(91)神田のまつやは  投稿者:纐纈城主  投稿日:05月11日(日)12時45分25秒

いつも混んでおるが、あの店構えはいいなあ。
ソバだけならば町田東急の支店でも楽しめる。こっちは比較的
すいておった記憶が有るが、まだテナントとして入っておるので
あろうか。
ま、風情はまったくないが・・・。


(90)角兵衛の母親は  投稿者:纐纈城主  投稿日:05月11日(日)12時42分52秒

香野百合子だったかな。坂口良子は幸村の異母妹お菊の母親
じゃな。たしか沼田城が北条に奪取される際に死んでしまう・・・。
沼田城はまったく公園化していて、がっかりした記憶があるぞ。
江戸時代の鐘楼かなかが残っておったぞ。


(89)そうなんです  投稿者:矢古女  投稿日:05月11日(日)11時31分26秒

>真田太平記では武田勝頼が天目山で自害する際に出てくる人物を
>記憶しておいてくれなんて池波さんの注意書きがあったりして…

私、最終巻を読んで、それから1巻に戻ってのけぞった記憶が
あります(笑)


(88)配役続き  投稿者:矢古女  投稿日:05月11日(日)11時29分51秒

それとですねえ、大野治長、この人は細川俊之じゃなかったかなあ。
大内義興。


(87)樋口角兵衛  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月11日(日)02時33分14秒

樋口角兵衛は実在の人物です。
池波さんの作品に彼を主人公にした作品があります。

暴れ馬を取り押さえる少年の絵に端を発してこの話を書く…

てな感じで始まった筈です。

この小編には彼の出生についてはふれていませんが
真田太平記では武田勝頼が天目山で自害する際に出てくる人物を
記憶しておいてくれなんて池波さんの注意書きがあったりして…

小幡亀ノ助だったかな。

そして最後の最後に久野(角兵衛の母親役、○○良子)が死に望んで
我が子に真相を告げるんですね。

テレビではそれを聞いて角兵衛は自害したけど、
原作ではまた出奔したはず。




(86)昔ながらの本当の蕎麦  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月11日(日)02時13分55秒

そうそう、神田須田町にあるまつやですね。>三楽堂さん
知ってるけどまだ行ったことがありません。
太打ち蕎麦と柚子切りが特注だそうですね。

この間は須田町にある万惣のホットケーキを食べました。
普段甘いものなんか口にしないのに美味かった。

東京の蕎麦屋と言ったら浅草の並木の藪!


剣客商売のテレビ放送化の話は知りませんでした。
中村又五郎の小兵衛を見たい。




(85)角兵衛となんかあった人(笑)  投稿者:三楽堂  投稿日:05月11日(日)02時04分08秒

樋口角兵衛は「毛利元就」で渡辺勝を演じた榎木さんですね。
ところで、この樋口角兵衛ははじめ池波さんの創作上の人物
かと思っていたのですが、実在の人物なんですね。
松代には画像まで残っているらしくて、いつか見てみたいと思
っているのですが・・・。
通り名としては「イカサマ賽の四角兵衛」というそうな。なんでも
イカサマで相手から刀とかを巻き上げてしまうらしい(笑)。


(84)左衛門佐ともーか殿  投稿者:三楽堂  投稿日:05月11日(日)01時59分14秒

もひとつ孫市ビデオが出てますよ。
原作はもちろん「尻啖え孫市」。主演は先ごろ亡くなった萬屋錦
之介です。発売元は失念しましたが、ビデオカタログなどをあさ
ってみては・・・?
さらに、雑賀鈴木一族に関しては、NHK「歴史への招待」の本の
中に戦国鉄砲集団を取り上げた巻があります。雑賀鉢という独
特な兜が残っていたり、雑賀一族は末子相続などという説も紹
介されていて興味深いです。
一般に鈴木佐太夫の子が鈴木重朝と鈴木重秀で、重秀は末子
らしいですね。となると、孫市は重秀のほうらしい、と思えるので
すが・・・。


(83)池波さんの「味」  投稿者:三楽堂  投稿日:05月11日(日)01時52分22秒

そうそ、料理の描写はこたえられませんね〜。
では佐平次さんは当然、神田の「まつや」も御存知でしょ?
一度、池波さんが特注していたという昔ながらのソバを食べてみ
たいものです。
そう言えば、「剣客商売」もドラマ化の話が出ていたのに(田村高広が小兵衛役)、いつの間にか立ち消えになってしまったのか?。


(82)池波正太郎の世界  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月10日(土)23時56分29秒

三楽堂さんがおっしゃっていた雑誌太陽は1994年の2月号ですね。
本屋で手にしたときは身震いがしました。
後にも先にもこの雑誌を買ったのはこのときだけ。
ついで言えば雑誌プレジデントの1994年7月号でも
特集"池波正太郎を読む"をやっていて買ってしまいました。

大学の研究室の合宿(信州戸隠)の帰り先輩2人を巻き込んで
上田周りでもう一泊して帰ったときもこの2冊を持ってまわった。
出発の日は研究室の人間全部を巻き込んで松代を散策してしまいました。
(^_^;)

刀屋さんは池波正太郎の”むかしの味”にも紹介されています。
今この本に紹介されている店をまわるのが楽しみのひとつです。
特に下町生まれの私としては浅草近辺は暇があるとぶらぶら歩いています。

今年の3月に放送が終わってしまいましたが日曜の夜10時30分から
フジテレビ系で"ワーズワースの冒険"をやっていました。
人生の道楽がテーマの番組でした。
欠かさず見ていました。
この枠に来る前は確か木曜の10時30分か11時から
"ワーズワースの庭で"のタイトルでやっていたはずです。
この番組を知ったきっかけというのも4・5年前に新聞のテレビ欄で
池波正太郎の道楽の世界という文字があったからです。
どなたか録画されていませんか?
彼こそが私の人生の道楽の師匠とも言うべき人になりました。

以前から池波作品の愛読者で真田太平記はテレビ放送と
時を同じくしてむさぼり読んでいました。
池波正太郎の作品を知ったのはこれが最初かな。

その後は鬼平犯科帳、剣客商売等読みあさっています。

先出の研究室の先輩は司馬遼太郎のファンで本も何冊か借りましたが、
やはり、池波正太郎のほうが私にはあっていました。
所々に出てくる料理の描写がすごい好き。
根深汁は自分でも是非作ってみたい料理のひとつ。

話がかなり歴史から飛んでしまいました。
m(__)m



(81)昔の配役  投稿者:矢古女  投稿日:05月10日(土)21時49分13秒

よく覚えてませんが、堀江しのぶは、真田家の侍女だったかな。
角兵衛さんとなんかあった人??
そういえば、新宮党の国久、あの人石田三成やってなかったかなあ。
佐平次さんは、木之元さん。


(80)国盗り物語〜雑賀孫市  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:05月10日(土)19時33分42秒

今、通販で買ったNHK大河ドラマのビデオ「国盗り物語」総集編を
見ております。
斎藤道三役は平幹二朗、織田信長が高橋秀樹、明智光秀が近藤正臣
豊臣秀吉が火野正平、濃姫が松坂慶子。
みんな若い・・・

で、何故か国盗り物語の原作では出てこない筈の雑賀孫市が
出てきます。
林隆三が演じており、司馬遼太郎原作の「尻啖え孫市」そのまんまの
豪快な役柄です。
この「国盗り物語」では、「尻啖え孫市」そのまんまに秀吉との関係が
描かれておりますが、真実の方はどうだったんでしょうか?
実際、雑賀孫市の最後は風吹峠〜粉河寺あたりで消息を絶っており、
自分もその後を追ってみましたが、粉河寺には何ら鈴木孫市の痕跡等は
残っておりません。

おまけに粉河寺では「そんなんあらへん」と断固として雑賀孫市の痕跡を
否定される始末。
まいりましたなあ。
なんか知りまへんかあ??


(79)あ、戦国野郎Aチームさん  投稿者:三楽堂  投稿日:05月10日(土)11時03分11秒

大変な時間での書き込み、ごくろうさまでした。まだ寝ていらっ
しゃるかもしれませんが。


(78)かっこ悪い元就  投稿者:三楽堂  投稿日:05月10日(土)11時02分03秒

う〜ん、そもそも元就って、歴史小説とか解説本読んでいても
あまりかっこよくないですよね。3人の子供たちのほうがかっこ
いいような気がする。
役者は好き嫌いの問題でしょうが、一時期、妄想年代記でもメ
ンバー間で「少年時と性格が違いすぎるッ」という意見がありま
した。雰囲気的には渡辺篤郎のほうが「何考えているのかわか
らない不気味さが出せそうで、あっているかもしれませんね。
橋之助はかえって兄興元のほうがよかったかも?
おお、なんか興元役の気弱そうな子役と橋之助って、役作りで
も破綻していないのではないかい?
逆に反抗的な元就子役:V6の森田から渡部って、性格も近そ
うな気がするが・・・。


(77)はじめまして佐平次さん  投稿者:三楽堂  投稿日:05月10日(土)10時53分17秒

池波さんが愛した信州の特集、雑誌「太陽」でやってたんですよ。
その時、たしか刀屋も出ていて、いつか行こう、と思いつつ、いま
だに果たせずにいます。日曜日休みですか、聞いといてよかった。
宮城県白石には真田幸村の碑と娘の墓がありますよ。片倉小十郎
(二代目)の後室になったんですよね、たしか。


(76)がんばれ元就  投稿者:戦国野郎Aチーム  投稿日:05月10日(土)03時34分04秒

 中村橋之助演じる毛利元就、なんかすごくかっこ悪くないですか。大内義隆や
尼子経久の方が全然かっこいいです。こんなことなら毛利興元役やってた渡辺篤
郎が元就役だったら良かったのにと、今更ながら思います。
 中村橋之助ファンの人はごめんなさい。
 ところで、真田ファンの人って結構いらっしゃるみたいですね。まああれだけ
知勇兼備の面々が揃った一家ってのはまずいないですから。
 ゲームでもめちゃくちゃ評価が高くて、敵に回すと本当に厄介です。
 こんな時間に書き込むのは久しぶり。そろそろ寝るとしましょう。


(75)六連銭はためく上田  投稿者:向井佐平次でござる  投稿日:05月10日(土)00時28分34秒

初めて投稿するものです。
左衛門佐ともーかさんと同様私も大の真田ファン。
上田には暇を見つけては車を飛ばして行きます。
お昼はいつも刀屋さんです。
日曜は休みなので要注意。
ここのもりの大と鴨煮を食べるのが楽しみで…
鴨煮は夏場はタマネギですがそれ以外は長ネギと鶏肉を
煮込んだものに山椒を振りかけたもので絶品。
是非おためしあれ。

話がそれましたが、上田はいい町です。
上田城が公園になっていて出入り自由なのもいい。
町は六連銭が至る所にあるし…

ただ、上田は真田昌幸の城下町であって幸村ではないんだよね。
幸村の方が有名だからそうなってるけど。

真田一族の誰が好き勝手言われると困る。
幸村、昌幸はもちろん、信幸(信之)も好き。
家康は大嫌いだけど

上田に行った後は別所温泉まで足を延ばして
石湯につかって帰ることもあるし、
真田資料館経由の沼田周りで帰ることも…
池波正太郎さん筆の石碑の前のローソンで休憩するのが
習慣になってる。
ここから横沢・菅平口を経由して沼田から関越自動車道で帰る。

夏に砥石城跡に登ったときはちょっとばてた。

岩櫃の山城の外形は車の中からよく見るけどどこから入ればいいか
よくわからない。知っている方お知らせください。

名胡桃城跡にもいってみたいんだよね。
鈴木主水って光栄のゲームにも出てくるし…


別のときに松代にも行きました。
こちらの方が幕末まで続いただけあって
資料はまとめられているかな。
長国寺は真田一族の菩提樹で
なぜか幸村の遺髪が埋められていると言うのもおもしろかった。

ちかいうちに友達まきこんで泊まりがけで松代・上田・沼田を
まわってくる予定。






(74)堀江しのぶ!?  投稿者:纐纈城主  投稿日:05月09日(金)22時57分36秒

真田太平記に、彼女、出てたっけ?
誰の役じゃ?
わし、あと紺野美沙子(信之夫人)と香山百合子(昌幸の浮気相手、
竹下けいこ(小野お通)、遥くらら(お江)ぐらいしか知らん・・・。


(73)真田太平記  投稿者:矢古女  投稿日:05月09日(金)19時40分55秒

堀江しのぶとかも、出てたんですよねえ。
加藤嘉とかも。
うむむ・・。


(72)なんか久しぶり  投稿者:謎の講師  投稿日:05月09日(金)19時39分27秒

今日は仕事帰りに、図書館で調べものをしてきました。
ちょっとした遠足でした(笑)


(71)真田太平記のビデオは  投稿者:纐纈城主  投稿日:05月08日(木)07時34分18秒

持っておったぞ。しかし、引越しのドサクサでどっかへ吹っ飛んで
しまった。池波さんが亡くなった時に、NHKで追悼番組としてやっ
たものじゃ。岡田有希子とかが出ておったな。生きておれば、30
代か?


(70)そろそろ挙兵すっか  投稿者:纐纈城主  投稿日:05月08日(木)07時31分47秒

4月から試行してきた「小田原評定」。いろいろな方に来ていただ
けるようになったので、「戦国群像」の常設コーナーへ殴り込み
じゃ。強制租借じゃ、めざせ、ネットの香港。


(69)おいおい  投稿者:ぺら  投稿日:05月07日(水)23時00分23秒

>いっそ、案内役を大内クンにしたら? おもいきりバカっぽく。
そうしたら、私のHPはますます色物路線になってしまうやんけ。
(まあ、もうすでに手後れみたいだけれど。(笑))
そうそう、6月からは加勢大周も出てくるらしい。<『毛利元就』
いったい誰をするんだ?
それにしても、今年の大河は綺麗どころがたくさん出てくるなあ。


(68)じゃあ、ぺらさんのHPにも  投稿者:三楽堂  投稿日:05月07日(水)07時32分27秒

大内義隆コーナーを設けずばなるまい(笑)。
いっそ、案内役を大内クンにしたら? おもいきりバカっぽく。


(67)思い出すわな、吉田町  投稿者:三楽堂  投稿日:05月07日(水)07時30分43秒

わたしも行きましたよお、吉田町。前日に吉川広家の城下岩国
へ行って、帰りに「広島城ほか市内観光」をすべきか、「吉田町
まで往復」してくるべきか悩んだ末、後者を選択。
すごいローカル線(芸備線)に乗って、山奥へ。おまけに吉田町
でタクシー呼ぶと、おんなじ運転手が来て(笑)。帰りは電車が
なくて空港までタクシー(涙)。一万八千円吹っ飛びました。リム
ジンバスの往復切符まで買っておいたというのに。

                    バイクだったら楽勝の行程だったに


(66)勝家の間!  投稿者:ぺら  投稿日:05月07日(水)05時21分54秒

いいなあ、勝家の間。(笑)
ひょっとしていちばんいい部屋を「勝家の間」にしているのかなあ?
(そんなわけないか・・。(笑))
それから『毛利元就』といえば、風間トオルの大内義隆は大好きだあああ!
それまでけっこう「すけべ大内」などとお笑いのネタにしていたけれども、
あのドラマを見ていたら、好きになってしまいそう、大内義隆。
(いいんだ、節操がなくても。(笑))


(65)大河ドラマに乾杯  投稿者:戦国野郎Aチーム  投稿日:05月06日(火)23時54分14秒

 早速の反応ありがとうございます。
 今日は現在オンエア中の大河ドラマ「毛利元就」にちなんだことを書きます。
 去年の夏頃、「毛利元就」が大河ドラマ化と聞いて、思わず原作本「山霧」を買い、読破しました。
秋には現地(広島県吉田町)へ赴き(実費)、城跡やら元就村やらを見てきました。しかしながら、
一泊二日の強行ツアーだったため、多くは見れませんでした。今思うと、とんでもないことをしたなあ
と少しは反省しています。同行した友人も半ば呆れ顔。
 さて来年は「徳川慶喜」。近いからまた・・・っておいおい。


(64)真田太平記のビデオについて  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:05月06日(火)23時50分14秒

まいど、真田ファンの左衛門佐ともーかです。

真田ファンの自分がこんなことを聞いたら「アホかいな・・・」と言われて
しまいそうですが、ま、とりあえず。
どなたか数年前にNHKで放送された「真田太平記」をビデオに録画してらっしゃる
お方は いらっしゃいませんかあ?????

おらへんやろーなあ・・・


(63)粳寅漫多朗かあ  投稿者:纐纈城主  投稿日:05月06日(火)07時22分26秒

次々に改名されて、道三顔負けじゃな。
「将星録」はわし、買っておらぬのよ。前回の「天翔記」でさえ持て
あまし気味であったからのう。Aチーム殿や粳寅殿が「将星録」の
魅力をレポートしてくれるとありがたいぞよ。


(62)毛利元就改め佐々成政どの  投稿者:三楽堂  投稿日:05月05日(月)23時01分35秒

佐々成政については、イシグロさんという女性がHPを公開してま
すよ。北陸のほうの情報もあったはず。
URLはちょいと失念。(今、マシンが違うもので環境が・・・)
サーチエンジンでもかなりひっかかってきます。
戦国エンサイクロペディアでの扱いは「織田家」のページを造り、
そこから各家臣団のコーナーへリンクさせるつもりでいます。


(61)戦国野郎Aチームさんの意見に賛成  投稿者:三楽堂  投稿日:05月05日(月)22時53分33秒

やはり、みんながみんな「信長」でやりたいわけではないのだ。
特に戦国時代はその前期が軽視されている傾向があるからね。
それとも、戦国時代の認識って、変わってきているのかな。
わたしら教科書では、北条早雲の堀越公方攻めから信長の上
洛(1568年)まで、と習いましたが。
最近は、大坂夏の陣までいれないとスッキリしないみたい。それ
にしたって、小説などで扱われる時期は戦国時代後半に集中し
ていますよね。光栄のゲームくらいプレイの幅があったほうが楽
しいと思う・・・。
それにしても、光栄はどこへ引っ越したのだろう?。隣町のビル
はからっぽになってましたが。


(60)ぺらさ〜ん、鼻血モノでっせ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月05日(月)22時46分40秒

一泊目に泊まった小谷城の麓の温泉宿ね、本館と新館があって
、われわれは新館に泊まったのだけれども、本館のほうは部屋
の名前が武将名になっていて、信長、長政に混じってちゃーんと
「勝家」の部屋がありました!
おまけに夕食の際、「膝にかけてください」といって渡されたのが
「お市さんひざ掛け」!
この宿オリジナルの手ぬぐいで、お市さんの顔が膝の上に・・・。
もったいなくて、持って帰りました。


(59)真田ファンは  投稿者:三楽堂  投稿日:05月05日(月)22時42分11秒

たしか矢古女せんせえの甥御さんがファンですよね。
まだ小さいのに、「ゆきむらのおくさんのおとうさんはおおたにぎょう
ぶという人」だということまで理解しており、末おそろしいです(笑)。
現在は「ゆきむらと約束した」とかで、べんきょーの毎日だとか。


(58)信州 上田 真田ツアー(訂正)  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:05月04日(日)18時38分55秒

すいません、さっきの投稿文、ニフティの歴史フォーラム用のをまちがって
アップしてしまいました。
あまり気にせずにお読み下さい。


(57)信州、上田 真田ツアー  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:05月04日(日)18時35分48秒

信州上田に行ってきました。
当然、目的は真田ツアーです。

いやあ、見所は少ないものの、なかなかよかった。
まず、朝6時40分の大阪 和泉砂川発の電車に乗って、上田に着いたのが
昼の一時過ぎ。

で、上田駅前には ど、ど、銅像が・・・
しかも真田幸村の銅像が・・・
飛び上がって喜んでしまいました。

しかし、昼過ぎにはもう、真田資料館行きのバスはなく、結局タクシーを
すっ飛ばして行くハメになりました。
真田資料館は真田町という上田からやや離れた所にあり、
はっきり言って、「田舎」です。
まあ、みなさんは「飽きもせずに・・・」と思うでしょうが
私にとっては、まさに宝の山でした。
尤も、展示物以外の「真田の歴史」とかいう「掲示物」の類に関しては
殆ど無視してひたすら写真を撮ってました。
何しろ、年代以外は殆ど覚えてますので・・・

さて、その日、真田資料館を見た後、真田家屋敷跡を見学し、
真田幸村、真田昌幸、真田幸隆の人物像を模ったでっかい石の
レリーフに感動し、その横にあった石碑には「真田家発祥の地」と
刻まれておりました。
なんと、その字は かの 池波正太郎大先生の筆によるものだそうです。

その日は、水曜日でしたので結局上田城&上田市立博物館はお休みで
上田に戻り、早々に飯を食う事に決めました。(まだ4時半でしたが・・・)
で、ガイドブックに載ってる「刀屋」という蕎麦屋に直行。
で、そこの蕎麦がまたすごかった。
何が凄いかって、まず完全なる手打ちなので、コシがしっかりしている。
たとえて言うなら、かのジャイアント馬場大先生をジャーマンスープレックス
ホールドで投げても腰痛にならんような腰の強さです。(笑)
で、その次に「量」です。
自分は「真田蕎麦」というやつを注文したのですが、普通盛を注文したにも
かかわらず、テンコ盛で出され、さすがに最後には「ウップ」と言いながら
食ってました。

注:「真田蕎麦」:刀屋自慢のメニューで蕎麦がザルに盛られてくるところは
     他の蕎麦と一緒。
     但し、かつおから取ったダシと味噌と蕎麦つゆとかつお節を混ぜて
    「蕎麦つゆ」として食べる。なかなか美味。

で、私の近くに座った人の蕎麦の量を見て驚きました。
どうやら「大盛り」を注文したようで、まさに「山盛り」状態・・・
しかしながら、なじみの客のようで、何のこともなくぺろっと平らげてました。
うー、信州人の「蕎麦」に対する胃袋は恐ろしい・・・・

で、その日は何故か近くのコンビニで買った信州名産「おやき」をホテルに
持ち込み、9時頃には寝てました。

注:「おやき」:信州名産、小麦粉を練って、その中に具を入れ、発酵も
     させずに、ただ焼いたもの。
     具としては野沢菜、こしあん、かぼちゃ、切干大根 等
     様々なバリエーションがある。

で、次の日。朝八時半にホテルをチェックアウトし、一路 上田城へ。
(歩いて10分ですが・・・)
まあ、上田城と上田市立博物館の展示物を見て、見終わったら10時・・・
なんぼなんでも早すぎる・・・

しょうがないので上田城の前にある上田市観光協会の売店で「真田グッズ」を
またまた、九度山に続き、飽きもせず買いあさり、「真田十勇士ジェラート」
なる怪しいアイスクリームを食いました。
この「真田十勇士ジェラート」ですが、まるでハーゲンダッツのように
目の前で売店のおばちゃんがカップ、もしくはコーンに入れてくれるのですが、
アイスの種類が面白かった。
バニラ、とは言わずに「ミルク」やチョコ、は当たり前として、「アンズ」
も、普通ですな。
が、「味噌味」「シルク」(・・・・)というアイスもありました。
まあ、勇気のない ともーか君は「アンズ」を食べましたが・・・

しかあし、アイスを食ったにも拘らず、時間は まだ10時半・・・
うー、電車の時間が12時半で、この時間では「真田幸村の湯」に行くには
時間がない。(ちと遠い)
と言う事で、近くの喫茶店で茶&飯というパターンで行くことに決定。
で、ガイドブックに載ってる「森文」という店に行きました。
その店は北国街道に面していて外観は何か、老舗の酒屋のような
そーゆーたたずまいがあります。
で、中に入ると、テーブルは僅かに四つ。席は16人も入れば一杯ですなあ。
ここを切り盛りしているのが作務衣を着た老紳士。
いやー、客が私一人だったのをいいことに、コーヒーを二杯も飲んで、
延々12時頃までしゃべくりまくってしまいました。
聞けば、この店、結構有名だそうで、どのガイドブックにも載ってるそうです。
色々見せてもらいましたが、本当に載ってました。
色々と話をしていく中で、やはりメインの話題は真田幸村。
私のような若い人間が幸村について色々と話ができることに、その老紳士も
驚いていたようです。

別れ際に名刺交換をしたのですが、その方、石森さんとおっしゃって
お歳は79歳。「言葉づかいが上品やなあ」と思ったのも、石森さんの
名刺には「上田ライオンズクラブ」と書かれてありました。
そりゃあ、上品な筈ですなあ。
石森さん曰く、「もっと真田関係で上田を盛り上げたい」とのことで、
年老いてなお、その情熱は十分に感じられました。
いやー、いい旅でした。

いやー、みなさん、上田の旅もなかなかでっせ。
石森さんに会えただけでも、この旅はとてつもなく大きな収穫がありました。
FREKIFの中の数少ない真田ファンの皆さん、上田を訪れて「真田」を
盛り上げようではありませんか!!!

え? 真田ファンって、ひょっとして拙者一人???(笑)


(56)出家改名いたしましたっ!  投稿者:粳寅漫多朗  投稿日:05月03日(土)00時58分29秒

斉藤道三並みに、名前を変えてきましたが、この度故あって出家し
“佐々成政”改め“粳寅漫多朗”と名乗ることとなりました。
以後よしなに...
「信長の野望 将星録」私もやりました。余りに時間がかかるので、
ちょっとずるして、やっと1595年に同盟統一やりましたよ...
戦国野郎Aチームさん、同感です。私も1534年からスタートしたい。
矢古女さん、ありがとう! 纐纈城主ほらねっ


(55)あっ、間違えた  投稿者:矢古女  投稿日:05月02日(金)21時56分08秒

どけて読むのは、「頁」だけだった(^^;)>纐纈城主

風邪薬でぼーっとしてるもので・・。


(54)白状しよう  投稿者:矢古女  投稿日:05月02日(金)21時35分22秒

私も読めませんでした>纐纈城主
漢和辞典を引いたのですよ。

ヒント:「糸」と「頁」はどけてお読みになるとよろしい(笑)


(53)パワーアップキット  投稿者:ぺら  投稿日:05月02日(金)21時21分05秒

『信長の野望 将星録』、パワーアップキットはまだ出ていないの
でしょうか?
店頭でみつからなかったので、けっきょく、キットなしのやつを買って
しまったんだけれども、やっぱりキットつきのが出るまで、待てば
よかったかなあ、と思っていたりもする・・。
あっ、それから朝倉氏のコーナー、見ました。
いいねえ、福井。行ってみたいよ〜。
(まあ私が見たいのは、あいかわらず柴田だけれどさ〜。(笑))


(52)歴史は繰り返す・・・。  投稿者:戦国野郎Aチーム  投稿日:05月02日(金)17時57分42秒

 ども、初投稿です。
 いやあとうとう出ましたね、「信長の野望 将星録」。僕はまだ買ってないんですが
みなさんは楽しんでおられるでしょうか。
 前作、「天翔記」では1534年くらいから始められたのに今作「将星録」では15
50年からになってしまっている。(泣) 僕としては、北条早雲や若かりし時の尼子経
久でプレイしたいなあ。光栄さん、パワーアップキット版を期待してるよーーー。
 以上、それではまたの機会に。


(51)××城主殿及び三楽堂殿  投稿者:毛利元就改め佐々成政  投稿日:05月02日(金)00時43分11秒

××城主殿 なんとお読みすればよいのやら困っておりまする。
お答えいたしましょう、そうでござるよ! 儂は、知将じゃ!
三楽堂殿  実は私は、佐々成政の子孫にあたります。
是非、越中の佐々氏の早期の挙兵を期待します! 


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