小田原評定・バックナンバー

過去ログ451番目から500番目までの記事です。


(500)真田左衛門佐幸村  投稿者:向井佐平次  投稿日:07月07日(月)23時24分11秒

>『真田幸村』をやるそうですよ。
>主演は、松方弘樹。
>信之が、前田吟でしたかな?昌幸が、丹波哲郎だったと
>思います。


”家康が最も恐れた男”
というサブタイトルがついてるみたい


>昌幸の丹波はよいが、信之が前田吟とはあんまりだ。

同感。
渡瀬恒彦のイメージかあるだけに期待薄

でも12時間テレビの前から離れずに見ちゃうんだろうな〜

大坂冬の陣までやるとしても
開始はどのあたりから?
原作は誰?
ご存じの方いますか?

それよりも真田太平記また再放送しないかな〜



(499)おっと、ニアミス  投稿者:三楽堂  投稿日:07月07日(月)22時52分25秒

>内容が危険なため、「戦国愛の詩〜信長と蘭丸〜」は、発売中止となりました。

隊長のところへ個別にメールしてみたら?
地下出版みたいであやしそう・・・。

戦国群像の待庵楽市リンク集の中の御相伴衆のところならば、
きっと大喜びされると思うぞ。持ってって見たら?(笑)

お正月は真田幸村?  ひょえ〜松方って、「真田幸村の謀略」で
家康の首をはねとばしちゃったよね。また幸村役かあ・・・

昌幸の丹波はよいが、信之が前田吟とはあんまりだ。


(498)TV東京の正月ドラマで  投稿者:矢古女  投稿日:07月07日(月)22時48分46秒

『真田幸村』をやるそうですよ。
主演は、松方弘樹。
信之が、前田吟でしたかな?昌幸が、丹波哲郎だったと
思います。

まだ、大分先ですが(笑)


(497)お知らせ・・・(^^;  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:07月07日(月)16時08分35秒

内容が危険なため、「戦国愛の詩〜信長と蘭丸〜」は、発売中止となりました。
ご了承ください。

                           今川義元音楽事務所
                            
                           広報担当:鵜殿長照


(496)4thシングル発表!!  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:07月07日(月)15時53分24秒

今回は、バンドの命運を賭け、ちょっときわものに走ってみました。
その名も・・・
「戦国愛の詩〜信長と蘭丸〜」!!
うわー、とうとうここまできてしまったか・・・
皆さん、適当に期待してください!!


(495)昌幸正室について  投稿者:三楽堂  投稿日:07月07日(月)15時12分44秒

菊亭大納言晴季の娘、というのはどうも信用できません。
武田信玄のお声がかりがあったとしても、一旗本の昌幸が京都
の公家の娘を嫁にもらえたかどうかは疑わしいです。
宇多頼忠の同前。
で、もっとも説得力のあるのが武田家臣遠山右馬助の娘、という
もの。十八歳の小姓であった昌幸にはこれくらいが似合いなので
はなかろうか?


(494)関東史はややこしいけど  投稿者:三楽堂  投稿日:07月07日(月)15時06分23秒

公方VS関東管領の図式が頭に入れておかないと、のちの北条
氏康・上杉謙信・武田信玄の角逐戦も本当の意味では理解でき
ません。
三人ともそれぞれ推戴する公方がいるので本当に複雑なのです
が・・・。


(493)関東史は苦手...  投稿者:秋月 杏子  投稿日:07月07日(月)07時25分45秒

あ、「真田太平記」でも、幸村、側室の子説なんですか。
実は私、「真田太平記」、7巻しか読んでなかったりします...
(なんで7巻だけしかないの?あの図書室は!けしからん!)

国府台の戦いはなんか、難しそうですねえ。
私、関東のなんとか公方とか全然わけわかんないんですよね。
後北条氏の周辺もあんまり知りませんし。
ただ、私の通ってた中学が国府台にあったので、興味があって。
まずは関東の方のお勉強をしなくては。


(492)お詫びと訂正  投稿者:才蔵  投稿日:07月07日(月)00時25分22秒

前回、笹沢氏の真田十勇士について記述させていただきましたが、
重大な誤りがありました。
信繁(幸村)は華々しく討死にしており、落ちのびたのは秀頼で
した。
ここで、お詫びして訂正させていただきます。
申し訳ありませんでした。m(_ _)m

半分だけ読んで、生意気にも長々と評を述べたこと、恥ずかしく。
恐々謹言。


(491)号は一当斎  投稿者:向井佐平次  投稿日:07月06日(日)23時27分55秒

>幸村が、ホントは信之より早く生まれたのに、側室の子
>だったから弟ってことにした、っていう話を読んだ事ありますが..
>本当のところはどうなんでしょう?

2人とも昌幸の正室山之手殿を母とする説が有力ですが
真田太平記では幸村は側室の子、それも信之と同い年、
もしくは早く生まれたのではという説をとっています。

この山之手殿の出自については正室菊亭晴季の女などの京の公家の女とする説、
宇田頼忠の女とする説など諸説あるようです。

話がそれました…

三楽堂さんの説と似ていますが
当時嫡男が早世してしまうのを防ぐために源三郎と名付けたという説も
あります。


(490)公方の区別  投稿者:三楽堂  投稿日:07月06日(日)22時35分36秒

鎌倉公方:足利尊氏の次男(だっけ?)基氏が初代。兄なのに、
             京都の弟将軍義詮の下風に立たされたため、代々、
             将軍家への対抗意識が強い。
             五代将軍義教によって、討伐された。

古河公方:最後の鎌倉公方の遺児成氏が初代。父と兄春王・安
             王が結城合戦で殺され、ひとり京都へ送られたが、足
             利義教の急死によって、一命を助けられ古河へ戻る。
             のちに父公方を死においやった関東管領上杉氏と対立。
             晴氏の代に北条氏に降る。

御弓公方:古河御所のれっきとした跡取りであった義明が僧籍に
             入れられた不満から自立、公方を僭称したもの。義明
             が国府台に敗死した後、その子は安房へ逃れる。

堀越公方:関東管領と対立する古河公方を廃し、かわって関東を
             おさめさせるべく将軍家が送り込んだ。しかし、戦乱の
             ため、伊豆堀越にとどまることを余儀なくされ、「堀越公
             方」と称されるようになる。足利茶々丸の代に北条早雲
             によって滅ぼされる。


ちなみに喜連川氏は古河公方の娘と御弓御所の男子が婚姻して
新しい家をたてたものです。


(489)足利「義明」親衛隊!!  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:07月06日(日)17時52分22秒

国府台の戦いといえば、やっぱり足利義明!!
僕はあまり詳しい解説はできないので、それは他の人に譲るとして、「足利義明」
について語ろうと思います。

足利義明は、当時の足利一族では、義輝の次に「武闘派」だったのではないでしょうか。
当時、義明は上総の武田氏の館に居候していましたが、その武田家を乗っ取り、
「堀越公方」や「古河公方」に対抗(?)して、「小弓御所」と称します。
彼は、他の足利一族同様、北条氏に対して、対決姿勢をとりました。(古河公方の
晴氏、義氏父子は結局降伏したが。)
そして、日頃から北条氏の勢力伸張を快く思っていなかった里見義尭、正木時茂らと共に、
「里見・小弓連合軍」を組織し、北条氏に当たりました。

これが、第一次国府台の合戦です。

・・・しかし、義明は、この「第一次国府台の合戦」で、壮烈な戦死を遂げてしまいます。
彼の子孫は、後に「喜連川家」と名を改め、足利一族としては唯一、明治まで大名として存続しました。

・・・以上が、僕の裏覚えの知識で書いた物です。おそらく、間違いが多々あると思うので、ご指摘くださいませ。


(488)わたしもよく知らないけど  投稿者:三楽堂  投稿日:07月06日(日)10時37分42秒

>幸村が、ホントは信之より早く生まれたのに、側室の子
>だったから弟ってことにした、っていう話を読んだ事ありますが..
>本当のところはどうなんでしょう?

長男であることを意識的に隠す意味もある、という話を聞いたこと
があります。人質とかを要求されたり、捕虜になった時の配慮で。
たいてい、人質としての価値は嫡男ですよね。で、真田家に人質
を要求したい大名がいたとします。

大名A「真田のこせがれは何といったかのう?」
家臣B「源二郎と源三郎という兄弟がおります」
大名A「よし、その源二郎とやらを人質として要求せいっ」

で、真田は家督継承者の信之を人質に出さずにすむ、という・・・
ほんとかどうかは知りませんよ、そういう話もある、ということです。


徳川家康も嫡男なのに、通称は「二郎三郎」ですから(笑)。
三郎五郎とか、七郎五郎なんてのもいますね。


(487)どっちの?  投稿者:三楽堂  投稿日:07月06日(日)10時30分36秒

>「国府台の戦い」なる戦について、教えて下さいませ。
>何にも知りませんので、どんな事でもけっこうです。

第一次:北条氏綱VS足利義明・里見義尭

第二次:北条氏康VS里見義弘・太田康資

と、二回あったのだけれど・・・。

国府台というのは、河岸段丘になっていて、一見東側(里見勢)
が有利に思えるのですが、松戸方面(地図でいうと北側)が弱点
で、二度ともこちらから回り込まれて、勝敗が決しています。

手軽に入手できる資料としては、「関八州古戦録」教育社、
歴史群像「戦国北条五代」学研などがあります。

きちんとした資料ならば、「群書類従」に「国府台合戦記」「御弓
御所奮戦記」などが収録されています。


(486)あ...!  投稿者:秋月 杏子  投稿日:07月06日(日)05時58分56秒

質問したいことがあったんだった。
つい真田信之のはなしに釣り込まれて...

「国府台の戦い」なる戦について、教えて下さいませ。
何にも知りませんので、どんな事でもけっこうです。
よろしゅうお願い致しまする。 m(_)mぺこ。


(485)そうそう!  投稿者:秋月 杏子  投稿日:07月06日(日)05時47分17秒

ほんとになんで、「長男なのに源三郎」なんでしょうね。
しかも、弟の幸村の方が「源二郎」でしたよね?!

幸村が、ホントは信之より早く生まれたのに、側室の子
だったから弟ってことにした、っていう話を読んだ事ありますが..
本当のところはどうなんでしょう?
どなたか知りません??(^^;)


(484)長男なのに源三郎(信之の元服前の名)  投稿者:向井佐平次  投稿日:07月05日(土)23時16分42秒

>真田太平記といいますと、忍びの者達が使う”〜まいた”という言い方と独特の
>走りかたを妙に覚えています。それとラストシーンでの白髪の信之です。

お江相手に
「わしにも父や弟と同じ真田の血が流れていたのじゃ」
とつぶやくシーンは印象的です。


(483)まだ、半分なのですが・・・  投稿者:才蔵  投稿日:07月05日(土)19時14分51秒

笹沢左保氏の真田十勇士全五巻、双葉文庫について。
左衛門佐ともーか殿は、真田家分流の海野氏、望月氏、禰津氏、
あるいは真田三代記などにでてくる名との齟齬を問題になさって
おいでなのでしょうか。

私の印象では笹沢氏とて相応の下調べをなさっておいでのように
見受けられます。
そのうえで敢えて、ストーリー性を重視されたように思われるので
すが。
史実とストーリー性の兼ね合いというのは歴史作家皆の悩みなの
ではないでしょうか。
私はこの小説は講談のリメイクを狙ったものと受け取っています。
そう考えると、各所に取り入れたれた俗説もおもしろく読めます。
あまり厳密に史実を求めると、十勇士の存在自体窮屈になりそう
な気がしますので・・・。
十勇士モノはゴレ〇ジャー的なものと思って、許してあげませぬ
か。

モノによっては、三楽堂殿もおっしゃっていましたが、大助まで
忍者にされていたりします。
他にも、霧隠がくノ一であったり、海野が商人であったりするモ
ノも読んだことがあります。
それらと比べると、十勇士個々のキャラクターが私の持っていた
イメージどうりに描かれていたことに安堵しています。
私が名を借りている霧隠がモテモテの美男になっていた所為か、
ついつい弁護したくなってしまう。(^_^;

ただ、信繁(幸村)の魅力は、苛烈な死にざまにあると思われま
すが、薩摩に逃がす俗説を採られたのは不満に思います。
(もしやと思って最後をみたら、案の定・・・。)
最後がいただけないのでは、ともーか殿の御怒りごもっともとい
えましょう。
読み終える前に、長々と書いてしまった。
恐々謹言。


(482)そ、それは・・・  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:07月05日(土)13時46分52秒

二朱美屋さん、はじめまして。ご応募有り難う御座います。

>次のシングルの主人公には”仙石権兵衛”さんはいかがでしょうか。

もしや、それは・・・

>特に長曾我部家ファンは体中の血液を沸騰させるに違いありません。

や、やっぱり・・・仙石秀久か・・・

僕あんまり、彼のいいとこってしらないんですよね。知ってるの、わるいとこばっか・・・
・・・といっても、例の中富川の一戦のことしかしらないんですが・・・(^^;

どなたか、仙石秀久のいいところ、教えてください。

>それと上杉さんのピアノがぜひ聞いてみたいので彼のアルバムを出すように
>プロデューサーにお願いしてください。

うーむ、考えておきましょう・・・。(笑)


(481)有り難うございました  投稿者:二朱美屋  投稿日:07月05日(土)02時16分31秒

 三楽堂様どうも有り難うございました。土日に図書館へいって勉強してきます。
これからも下らない事をお聞きするかもしれませんが、平にご容赦のほどを。
 真田太平記といいますと、忍びの者達が使う”〜まいた”という言い方と独特の
走りかたを妙に覚えています。それとラストシーンでの白髪の信之です。

 足利義輝親衛隊さんへ
 次のシングルの主人公には”仙石権兵衛”さんはいかがでしょうか。ちょっとド
ジだけど一生懸命生きてきた彼の人となりを熱く歌えば、必ずや人々の感動を呼び
特に長曾我部家ファンは体中の血液を沸騰させるに違いありません。
 それと上杉さんのピアノがぜひ聞いてみたいので彼のアルバムを出すようにプロ
デューサーにお願いしてください。


(480)あれはひどい・・・  投稿者:佐衛門佐ともーか  投稿日:07月04日(金)22時50分49秒

才蔵殿 初めまして。

>近頃、双葉文庫、笹沢左保氏の真田十勇士、全五巻を読んでいます。
>読み終えたら、愚評を披露してもいいでしょうか?

実は自分もだいぶ前に読んだのですが、さすがにあれは酷すぎます。
何しろ歴史的信憑性が全くない。
池波正太郎大先生の爪のあかでも飲ませてやりたいくらいです。

しかし、初めて読んだ「真田もの」が、あの「真田十勇士」だったら
どんなに人々に誤解を与えることでしょう。

「真田十勇士は存在しない」などと学者としての見栄を張っている
信州大学の某有名真田研究家である教授の言うことも勝手すぎますが、
笹沢左保の真田十勇士も酷すぎる・・・・

まいったまいった・・・


(479)どうぞどうぞ  投稿者:三楽堂  投稿日:07月04日(金)10時05分47秒

>近頃、双葉文庫、笹沢左保氏の真田十勇士、全五巻を読んでいます。
>読み終えたら、愚評を披露してもいいでしょうか?

わたしは真田十勇士との出会いって、NHKの人形劇だったから、
あとで本とかで真田モノを読んだときにすごく違和感があった。

人形劇では真田大助とかが十勇士に入っていたり、三好清海が
美男子でしょっちゅう女装したりするんです。

そしたら、オリジナルはお人好しの大入道でしょう?

十勇士モノで面白かったのは、山上龍彦(すでに断筆して小説家
に。がきデカの作者)のやつと、杉浦茂「猿飛佐助」(古典!)です。
とくに杉浦作品はユーモアセンスがちっとも古びてなくて妙に笑え
る。徳川の忍者が真田丸の設計図を盗もうとして、幸村が落書き
したほうを間違えて盗んでしまい、あとで家康が開いてみると、「お
しるこの作り方」が書いてあったり、と・・・。それも「あんこの中にお
もちを入れなさい」とそっけないの!

文庫版は絶版だと思いますが、単行本・全集が残っていると思い
ます。ぜひ御一読をおすすめいたします。


(478)真田太平記の後日談として  投稿者:三楽堂  投稿日:07月04日(金)09時55分57秒

>是非、池波正太郎氏の真田太平記に代表される真田ものを
>読んでみて下さい。
>錯乱、獅子もお勧め。

『獅子』とか単発モノでドラマ化してほしいなあ・・・。昔はNHKも
けっこう時代モノの単発やってたのに・・・。
もちろん、信之と鈴木右近の配役は同じにしてね。


(477)渡瀬恒彦です  投稿者:向井佐平次  投稿日:07月04日(金)06時39分37秒

>「真田太平記」で最も重要な(笑)
>信之役やった人は誰だったんですか?

ついでに言えば、昌幸が丹波哲朗 幸村が草刈正雄
の配役でした。


信州真田の真田資料館には3人が撮影の時にきた鎧甲が展示されています。
オープニングテーマが聞こえてきそうです。


>よかったですか?>向井佐平次殿

丹波哲朗の存在感、
草刈正雄のスマートさ
そして渡瀬恒彦の知的な落ち着きがはまっていたかな。



(476)信之さま役は...?  投稿者:秋月 杏子  投稿日:07月04日(金)04時30分58秒

「真田太平記」で最も重要な(笑)
信之役やった人は誰だったんですか?
よかったですか?>向井佐平次殿

 PS: 信之も、昌幸も、幸隆も、そのまま漢字変換出来るのに、
       真田一族で 一番有名な幸村は、「輸木村」となってしまう。        謎だ....


(475)「決戦!大阪夏の陣ー家康と幸村ー」  投稿者:秋月 杏子  投稿日:07月04日(金)04時20分05秒

うん、うん、いいわ!(*^^*)
気に入りましたよ、隊長。
家康がサイコーです。


(474)無神経でしたっ。  投稿者:才蔵  投稿日:07月04日(金)02時42分16秒

三楽堂殿はじめ気分を害された皆様。私が無神経でした。申し訳ありません。
m(_ _)m
楠木と毛利が繋がっていたとは・・・。ご教示、ありがとうございます。

近頃、双葉文庫、笹沢左保氏の真田十勇士、全五巻を読んでいます。
読み終えたら、愚評を披露してもいいでしょうか?

るるう殿のおっしゃる、真田を熱く語る会、大歓迎!!
私も末席に加えていただきたい。


(473)真田伊豆守信之  投稿者:向井佐平次  投稿日:07月04日(金)00時42分23秒

>真田家について、一般的な知識しか持ってないんです。
>真田家の魅力、これを皆さんに熱く語って頂きたい!!

ん〜、すべて。
幸隆、昌幸、信之、幸村
それぞれの人間的魅力がいっぱいあります。

是非、池波正太郎氏の真田太平記に代表される真田ものを
読んでみて下さい。
錯乱、獅子もお勧め。

他に真田もの数々あれど信之のこれほどまでに注目した作品はない。

真田太平記を放送するに当たって信之の配役さえ決め手しまえば
あとはどうにでもなると 池波氏が言ったとか言わないとか…

とりあえず、今日はこの辺で
m(__)m


(472)見なくっちゃ!  投稿者:ぺら  投稿日:07月03日(木)21時19分54秒

>「プリンス大内」をやりますね。いかにして滅びたのか、西国の雄
>大内義隆・・・。

まあぁぁぁ、時代は大内義隆なのかしら〜?
NHKの番組だから、風間トオルくんの義隆の映像も見せてくれるかと
期待しちゃうな。
ぜったいに見ようっと。

陶隆房との確執の原因、どういうふうに説明するのかな〜?
(ま、NHKですから・・。)

毎度毎度、ナイスな情報をありがとうです。


(471)でもでも、左衛門佐ともーか殿。  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:07月03日(木)18時06分34秒

3rdシングル、幸村を悪いようにはかいてないから、勘弁してくださいまし。(^^;


(470)真田ファン強し  投稿者:るるぅ  投稿日:07月03日(木)13時53分09秒

真田家について、一般的な知識しか持ってないんです。
真田家の魅力、これを皆さんに熱く語って頂きたい!!

どうでしょうか?


(469)夏にむけてこんな企画を募集します。  投稿者:三楽堂  投稿日:07月03日(木)07時43分38秒

題して「この戦国本がすごいッ1997」(このミスみたいだな)

つまり、戦国時代をテーマとして扱った本(コミック可)ならばOK。
とりあえず、おひとり1点。
必要事項としては、タイトル・著者・出版社(わかる範囲で)、そして一口コメントを「必ず」添えてください。これがないと不可!
短編の場合は、どの単行本に収録されてるかわかってたら、それ
も書いて下さい。

他の人とダブっても、コメントがそれだけ多く寄せられることになり
ますから、一向にかまいません。ただし、投票ではないので注意
してね。

送付先はひとまず、
jt7t-imfk@asahi-net.or.jp
sengoku@air.linkclub.or.jp
のいずれかへ。



正式にはHPのほうで(戦国になるか小田原になるかは不明)アップ
しますが、ここに書き込んでくれてるみなさんには先行して応募し
てくれてもいいですよ。


(468)7月15日NHK「堂々日本史」で  投稿者:三楽堂  投稿日:07月03日(木)07時30分23秒

「プリンス大内」をやりますね。いかにして滅びたのか、西国の雄
大内義隆・・・。

わたしは最近、見てないけど、ひさしぶりに見ようかな?

もうちょっと遅い時間にやってほしいんだよなあ・・・。


(467)一応、約束したから・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:07月03日(木)07時25分05秒

真田ファンの多いこの場所で、世評是是非非、これこそ、「世に問う」
親衛隊長のプロモート第3弾です。


どうも。3rdシングル「決戦!大坂夏の陣〜家康と幸村〜」の歌詞を送ります。

「決戦!大坂夏の陣〜家康と幸村〜」(原曲:爆風スランプ「Runner」)(4:
46)

作詞:従五位上掃部頭 明石全登
作曲:ファンキー末吉
編曲:足利義輝親衛隊一同


 敵襲を避けた 本陣の床几で
 家康は 薄笑いを浮かべて
 大阪城の天守を 眺めていたね

 その時突然 家康の目に
 赤い火の玉が 映った
 こちらに向かって 突っ込んでくる火の玉

 家康の顔からは
 見る見るうちに笑いが消えて
 がたがたと震えだしたよ

 逃げる逃げる 家康
 腰を抜かして起きられない
 大久保彦佐に担がれて
 必死に三里ほど逃げたよ

 火の玉の 正体は
 勇猛果敢な 真田勢
 幸村率いる 屈強な 騎馬隊だった

 家康の 首を取ることしか
 彼らの頭には なかった
 ただひたすら 本陣を目指し 駆けた

 越前勢を 蹴散らして
 突き進む 赤備え
 それはまるで 火の玉のようだった

※攻める攻める 幸村
 越前勢には目もくれず
 一直線に本陣めがけ
 雄叫びをあげて突っ込んでゆく
 逃げる逃げる 家康
 相変わらず彦佐に担がれて
 あんたほんとに天下人?
 大将の面目丸つぶれ

 大阪城は落城し
 秀頼は自害した
 けれど家康は腰抜かしたまま

 勇猛果敢な 幸村
 「天下一」と賞賛浴びて
 真田の家名は信之が
 東軍だったので残った
 それに対し 家康
 全くいいところがないよ
 戦場で腰抜かしてる
 いってみりゃふつうの老人

※Repeat


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Office
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く賃貸業に使用することを禁じます。また無断でテープその他に複製することは
法律で禁じられています。


(466)お、アップしとらんかった  投稿者:三楽堂  投稿日:07月03日(木)07時17分26秒

>三楽堂殿、3rdシングルをここにアップするのを忘れておらぬか?
>それとも、もうアップしたのかえ?

すまん、もうメールとか発言とかがこんぐらかって、すっかりアップ
した気でいた。しかし、ともーかさんの気持ちを考えると、ちょいと
しのびないものがあるゾ。


(465)お江、いないかな  投稿者:向井佐平次  投稿日:07月03日(木)06時36分40秒

>>別所温泉にも行く予定。石湯に入るのはこれが3回目か…

>で、女忍者の「おなさけ」は受けましたか(笑)?

まだですー

男湯と女湯って別れてるし…
当たり前か?


(464)応募して!!  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:07月03日(木)06時18分38秒

4thシングルのテーマ武将の応募が全然来ない!!

応募してくれ〜!!

頼む!!


(463)ところで  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:07月03日(木)06時17分18秒

三楽堂殿、3rdシングルをここにアップするのを忘れておらぬか?
それとも、もうアップしたのかえ?


(462)はじめまして、才蔵どの  投稿者:三楽堂  投稿日:07月02日(水)21時16分46秒

>ある本には、昌幸が尊敬する楠木正成の作戦を真似たものと書いてありましたが、楠木正成は実際にそんな手を使ったのでしょ
うか?

『太平記』とかを見てみたらいかがでしょう?
ところで、楠木正成の軍法は楠流というらしいのですが、これを伝
えたのが大江匡房という学者。大江流というのだそうな。ちょうど、
所領が摂津・河内のあたりにあったらしいです。正成の在所に近
いのですね。
この方はなんと、毛利元就の先祖であります。

>それと、同情すべき糞尿煮立て役は無事だったのでしょうか?
想像するだけで頭がクラクラしそうですが・・・。

わたし、食事の前にこの文章、読んでしまいました・・・


(461)いらっしゃいませ〜  投稿者:三楽堂  投稿日:07月02日(水)21時12分26秒

はじめまして、高柳さん。
またもや、真田ファンの登場で、喜ぶ方もいることでしょう。
名古屋といえば、先日、行って参りました。バイクでしたが、けっこ
う道が複雑で、名古屋市内を走るたびに迷ってしまいまする。


(460)はじめまして  投稿者:高柳 行弘  投稿日:07月02日(水)16時14分23秒

おもしろいコーナーなのでこれから投稿させていただきます。
私は尾張名古屋に住んでいるのですが、真田幸村のファンです。
今後もよろしく


(459)久しぶりの書き込みだー!  投稿者:秋月 杏子  投稿日:07月02日(水)11時51分24秒

おおっ!隊長、もう3rdシングル出来たんですかあ!
しかも、家康の敗戦とはうれしいですねえ。

...とは言え左衛門佐ともーか殿
私からも、すみませんでした...


(458)わたしも「すみませぬ〜」  投稿者:三楽堂  投稿日:07月02日(水)09時28分20秒

もうのぞいちゃった方もいるでしょうが、電子会議室「電脳八万騎」
の公開がされるとうのは誤りでした。会議室のメニューまではのぞ
くことができますが、参加はまだ「会員のみ」ということです。

すみませんでした。

詳細は纐纈城主によって削除されています。何のことだかわから
ない方にも「すみません」


(457)松代・上田・真田紀行  投稿者:三楽堂  投稿日:07月02日(水)07時42分37秒

>お、私は7月26・27日に高校の悪友を誘って上田、松代へ車で行ってきます。

おお、うらやましいなあ。先日、職場の書架を整理していて、「太陽」
の池波正太郎特集が目についたので、パラパラとめくっておりまし
た。行って来られたら、ぜひリポートしてくださいませ。

>別所温泉にも行く予定。石湯に入るのはこれが3回目か…

で、女忍者の「おなさけ」は受けましたか(笑)?


(456)信州上田より松代へ国替えを命ずる  投稿者:向井佐平次  投稿日:07月02日(水)00時06分12秒

お久しぶりです。
書くのが久しぶりであって毎日(朝・晩)チェックだけはしてるのよ〜ん

題名に他意はありません。


>といいつつ、お盆には再び上田に行ってやる。
>今回は松代ツアーも兼ねて。

お、私は7月26・27日に高校の悪友を誘って上田、松代へ車で行ってきます。
別所温泉にも行く予定。石湯に入るのはこれが3回目か…
上田には何度も、松代も2回目ですが落ち着いてゆっくり
楽しみたいと思っています。

上田の刀屋さんでカモ煮を肴にお酒をちょっと飲んで、
蕎麦でしめる計画です。

そのために別所温泉の常宿(といっても1回しか泊まったことない)
石湯の目の前の"たけや"ではなく上田市内で宿を取る予定です。

どなたかいい宿知りません?




(455)すみませぬ・・・  投稿者:足利義輝親衛隊  投稿日:07月01日(火)19時17分41秒

左衛門佐ともーか殿、誠にすみませぬ。拙者が悪うござんした。申し訳ない。

謹んでお詫び申し上げまする〜。m(_ _)m


(454)真田糞尿作戦?!  投稿者:才蔵  投稿日:07月01日(火)13時10分16秒

皆様、はじめまして。
足利義輝親衛隊殿、御久しぶりですな。

早速、まともでないフリをひとつ。
真田関係の書物を読んでいると、篭城した真田軍は城壁にとり
ついた敵に対して煮えたぎった糞尿をかけたとのこと。
臭い、熱い、滑るの三拍子!
ただ、本によって時期がまちまちで・・・。
第1次上田合戦であったり、第2次上田合戦であったり、大阪冬の陣であったりします。
本当は何時なのでしょうか?
それとも、真田の常套手段だったのでしょうか。
はたまた、全くの虚構とも・・・。
ある本には、昌幸が尊敬する楠木正成の作戦を真似たものと書いてありましたが、楠木正成は実際にそんな手を使ったのでしょ
うか?
それと、同情すべき糞尿煮立て役は無事だったのでしょうか?
想像するだけで頭がクラクラしそうですが・・・。

真田ファンのひとりとして、いま最も気になるところなのですが、
どなたかご存知でありましょうか?
足利義輝親衛隊殿の替え歌に取り入れられることを恐れつつ・・。
恐々謹言。


(453)いらっしゃいませ、二朱さん  投稿者:三楽堂  投稿日:07月01日(火)08時24分20秒

>その他の家臣数百名と共に脱藩してしまうという事件が起こります。明成は堀を恨
>み、領地を返上してまでも堀を討ちたいと幕府に願い出、それを果たすや領地を捨
>て高野山に入ります。

この事件は江戸時代初期に各地で頻発した大名(多くの場合は
二代目・三代目)と先代からの家臣との対立によるものです。
大名側が勝訴した例は、黒田家、柳川家などがあり、逆に敗訴
して改易に追い込まれてしまったものに、生駒家、蒲生家などが
あり、加藤家もそうだといわれます。

史料としては、「会津若松史」第二巻142ページ、「徳川実記」寛永
十八年三月十五日条、および同二十年五月二日条、などがあります。
県立中央図書館レベルならば、揃っていると思います。

小説では、新潮文庫「時代小説の愉しみ」シリーズの中に、会津
騒動を扱ったものがあったような気がします。表題は「仇討騒動
異聞」だったかな? タイトルと著書は忘れました。

ただ、領地を捨てたのではなく、江戸で裁判に持ち込んで、結局
改易になってしまったように記憶しているのですが・・・。


(452)真田幸村だけはやめてくれえ・・・  投稿者:佐衛門佐ともーか  投稿日:07月01日(火)00時46分33秒

足利義輝親衛隊殿、神聖なる真田幸村殿だけはネタに使わんでくれ・・
なんか傍から見てて、不愉快とまではさすがに行かないのだが
「うーん、一体そやから何やねん・・」と考え込んでしまいそうだ。

しかし最近忙しくって書き込む暇がない、また書き込むだけのネタを探す余裕も
なくなってる。い、いかん。

といいつつ、お盆には再び上田に行ってやる。
今回は松代ツアーも兼ねて。

真田ファン拡大の為の伝道師 佐衛門佐ともーか


(451)加藤家のその後についての質問  投稿者:二朱美屋  投稿日:06月30日(月)23時50分27秒

私は伊予国松山の住人で、二朱美屋と申します。
どうでもいい事では有りますが、最近気になる事が有りまして、色々調べてはみま
したがこちらには詳しい資料がなくよく解りません。
賎ヶ岳の七本槍のひとり加藤嘉明は、関ヶ原の功により伊予半国20万石を与えら
れその本拠として松山を築きました。のちに40万石に加増され会津に移り嘉明は
彼の地で亡くなりました。
嫡男明成が家督を継いだのですが、後年明成は家臣堀主水と争い、ついに堀主水は
その他の家臣数百名と共に脱藩してしまうという事件が起こります。明成は堀を恨
み、領地を返上してまでも堀を討ちたいと幕府に願い出、それを果たすや領地を捨
て高野山に入ります。
さて、一体全体加藤家に何が起こったのでしょうか?堀主水とはいかなる人物か?
幕府の謀略か?やっぱり2代目はボンクラだったのか?
この出来事に関して何かご存知でしたらお教えください。お願いいたします。


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