過去ログ4301番目から4350番目までの記事です。
ここ数日、いじくりまわしていた新掲示板ですが、本日、試験的に開放いたします。 不具合等生じなければ、全面移転ということになります。 ↓アドレスは以下のとおり。 http://cgi.linkclub.or.jp/~sengoku/yybbs/yybbs.cgi
>三楽堂様 お答えいただき、どうもありがとうございました。 明智光秀のあの裏声はショーケンの芸風なんですね。私は元禄繚乱は見ていません でしたので、ショーケンの綱吉は知らないのですが、あの光秀路線で綱吉を演じて いたのですね。う〜ん、ちょっとなぁ・・・と個人的には思ってしまいます。 ショーケンの光秀、顔黒すぎ。最初見たとき、この人は酒の飲み過ぎか?もしくは 史実の光秀も酒の飲み過ぎだったのかなとびっくりしてしまいました。 やはり私の中での光秀は「秀吉」の時の村上弘明ですね。あの上品そうなところが インテリっぽくてハマリ役と感じました。 鍋島直茂関連の本も紹介していただいてありがとうございました。やはり地元は 強いですね。とりあえず、佐賀新聞社から出版されているものを注文してみること にします。 本当にどうも、ありがとうございました。
#加賀宰相さん おひさしぶりです。どうぞ、遠慮なさらず、新掲示板でもどしどし書き込んでくだ さい。 おたずねの、光秀の声ですが・・・あれは、ショーケンの芸風かと思いますが。 妙に「元禄繚乱」の徳川綱吉とダブるので。いかがでしょうか? もっとも、「目上の人間に言上する際には声の調子を裏返す」という風習については、 (健康飲料のCM風に)「まさか。しかし、あり得ないとも言い切れないなあ(笑)」 鍋島直茂に関する本ですが、以下のようなものが。 『鍋島直茂公略伝』栗原荒野/著、佐嘉松原神社 『鍋島直茂公』中村郁一/著、葉隠記念出版会 ・・・いずれも地元本でしかもかなり昔の本。図書館でないと読めないと思います。 現在入手しやすいものとしては、 『初期の鍋島佐賀藩―藩祖直茂・初代勝茂・二代光茂のこと―』田中耕作/著、佐賀新聞社 があります。 ↓ http://www.saga-s.co.jp/pub/syupan/index.html #石田治部さん 塩山へ行かれましたか。そのうちお話を聞かせてください。 新掲示板は早ければ今週末にでも試験的に開放するつもりでおります。移転後もゲ ーム奉行をよろしくお願いいたします。 最後に新刊情報。 『豊臣秀次―殺生関白の悲劇―』小和田哲男/著、PHP新書 『上杉謙信大事典コンパクト版』花ケ崎盛明/編、新人物往来社 『図解雑学豊臣秀吉』志村有弘/著、ナツメ社
先日、友達からドライブに誘われました。私は「塩山(山梨県)に行こう!」 と主張すると、あっさり「遠い」と言われてしまいましたが、無理やりに 行ってもらいました。 お目当ては、「恵林寺」でやはり車がないと行きにくい所。こういう時だけ 「車っていいなぁ」と思ってしまいます、折りたたみチャリも買えなかったし、 「ス○ルディング」くらいじゃないと予算がでない、と嫁さんは言う・・・。 信玄公のお墓で手を合わし、最後にお土産は・・・、二十四将セット! 二十四将の読本と二十四将のクリアファイル、セットで800円!って、 またクリアファイルを買ってしまった。 最後に「小田原評定・移転」ご苦労様で御座います、新ホームページを 楽しみにしております。 ゲーム奉行の石田 治部
お久し振りです。卒論作成のため忙しかったためと、以前こちらの掲示板で (確か家康関連の)議論があった時、私が横槍を入れたために議論が空転し たために、少し書き込みを控えさせていただいてました。けれど卒論も終わり、また書き込ませていただこうかと思いますので、よろしくお願い致します。 私も大河ドラマ、利家とまつを見ています。毎週、おもしろく見ているのですが どうしても最近、腑に落ちない事があります。光秀のことなのですが・・・。 大河の萩原健一扮する光秀、いつも信長に言上するときには声が裏返ってます よね。当時の武家の作法に、目上の人間に言上する際には声の調子を裏返すという のがあるのでしょうか?歌舞伎や狂言が頭の中にあるので、ついこんなふうに思っ てしまいます。もしそうしたのが当時の武家の作法にあるのだとしたら、時代考証 の綿密さは今回の大河、すごいですよね。 後、ちょっとしたことから現在鍋島直茂に興味があるので、伝記や評伝を探して いるのですが、本屋にある唯一の鍋島直茂の伝記は、三楽堂さまがおっしゃるデー モン氏のものしかなくて・・・。氏の著作の常道で、ちょっとなぁ・・・という内 容でした。探したのですが、幕末の鍋島氏に関するのは割にあるのですけど。 以前、こちらで紹介していただいたような『毛利輝元卿伝』のような感じの鍋島 直茂伝はありませんでしょうか? どうぞ、よろしくお願い致します。
突然ですが、この「小田原評定」は今月いっぱいで移転というか、リニューアルす る予定でおります。 このBBSも6、7年たって古いものになってしまいましたし、投稿者が削除でき るようにしてほしい等の要望にもそろそろ応えるべきではないか・・・と。 新掲示板については近日中にお知らせいたします。
泉澤久秀については、石田三成ほどの権限があったかどうかはわかりません。 三成は外交・内政にまんべんなく活躍していますし、時には軍監として戦場にも赴 いております。 泉澤久秀のほうは、もう少し小粒のような気がしますが・・・ ただ、景勝のもとで重要な施策(文禄三年定納員数目録の作成など)に関わってい るので、取るに足りない人物ということはあり得ません。 財務担当ということで、長束正家くらい・・・というのも誉め過ぎかな? 大河ドラマ「宮本武蔵」については、だいぶ前にこの掲示板でも話題になりました。 主役は市川新之助(お〜い!お茶のCMに出てました)で、先日、記者会見も行わ れました。その他の配役についてはまだ未定です。 ちなみにわたしも「バガボンド」読んでいます。いまだに買いつづけている数少な いコミックです。
>三楽堂さま どうもお手数取らせてしまいましたね。どうもありがとうございます。 確かに上杉景勝時代の上杉氏に関しては自分は勉強不足なようなので、 家臣団の知識が全然ありません(苦笑)。 泉沢は事務官僚ってことは石田三成に近い感じなんでしょうか? それと、話は変わりますが、来年の大河ドラマ(気が早い)は 宮本武蔵が主人公って本当なんでしょうか? 友達からそう聞いた んですが。もし何か情報をご存知でしたら教えてください。 マンガ「バガボンド」と原作の吉川英治「宮本武蔵」をすでに制覇した 私は今、すっかり武蔵好きになっているので。 この間も広島に旅行に行ったときに、ついでに岩国の錦帯橋に行って 佐々木小次郎の銅像なるものを見てきたばかりです。 しかし、小次郎がいた頃ってあの橋はなかったはずですよね? どうも経歴が怪しい人ですよね、小次郎って。 いつまで経っても前髪立ての美青年だし・・・。 そういえば、宮島の厳島神社に生まれて初めて行って来ましたが、 想像以上に綺麗なところで感動しました。 海の中に鳥居があるなんて本当に幻想的ですよね。
景勝の奉行ですね。わりあい有名な(というか、発給文書が多い)人ですから、上 杉関連の書籍などを調べれば出ていると思いますが・・・ 彼は御館の乱後の論功行賞などを約束する朱印状を執達される立場にあったようで す。この時点では、景勝の代官ともいえる立場だったと思われます。が、景勝の権 力上昇にしたがって、中間管理職たる直江兼続が上役的立場にたったようです。 この間、久秀はさかんに家中の侍に「知行書出」を与えています。 武将というよりは、事務官僚のイメージですね。 慶長十四年の直江兼続条書中に泉沢に対する指示がなされているので、その地位が うかがえると思います。 「定員数目録」では5643石を知行、財政なども担当したと言われます。 会津時代には荒砥城主として一万一千余石、米沢時代には二千八百余石を知行して いましたが、彼に嗣子はなく、元和年中に断絶しました(のち青木氏が名跡を継承 して再興)。
ここに書きこむのはかなり久しぶりです。 結構多忙だったもので。 今回伺ったのは、ある人物について教えていただきたいと思ったから です。 上杉景勝の家臣に泉沢久秀っていますよね? 彼についてなんですが、調べて見てもいまいちよくわからなかったので 伺いました。 上杉景勝の元で彼がどういう位置にあったのか、また直江兼続との関係 など、少しでもいいので教えてくださると助かります。 私は上杉謙信の家臣なら詳しいつもりですが、景勝の家臣となると、かな り疎いので。 ではyろしくお願いします。
かっこいいじゃないですか、福島正則! おっさんぽいとこも良い!
海外のOEMらしいのですが、第1弾、賤ヶ岳合戦における福島正則」が発売! 54ミリというから結構小さいのですが、かなりの出来(というか、馬腹にくくり つけている生首がコワイ!) 日本の武将シリーズとして予定しているそうです。ちょっと楽しみです。 ↓ http://www.yellowsubmarine.co.jp/Shopping/onlineshop-02-01.htm しかし、なんで第1弾が福島正則? しかも賤ヶ岳合戦当時二十二、三歳だったけ ど、フィギュアはどう見てもオッさんだ。
よかったですね。これで、とりあえずはひと安心ですか。 お嬢さんの「株」もあがりっぱなしですねえ(笑)。 プチオフ、ぜひ計画いたしましょう。下町あたりには、こじんまりとした資料館な どがいっぱいあります。 昼どき日本列島の情報ありがとうございました。上杉関連、紹介されるのかな?
娘の進学先は、♪どちらにしようか………と、嬉しい悩み。 後期試験は、キャンセルするつもりだったけれど、高校の先生に報告と相談に行って、 急遽、今日の後期試験も受けることに。 幸い兄と同じ大学なので、もう、みんな兄にお任せ。今回は上京しませんでした。 結果はどうあれ、いずれにしても東京に進学します。 娘の所は行きやすい、何回か上京できる(笑)…… ミニサミットある時は、声をかけて下さいね。 明日のNHKひるどき日本列島は、上越からです。ご覧ください!
話の流れの中で思わぬところまで進んでしまい、恐縮しています。 新聞連載小説「花に背いて」のなかでは「まつ」、「うめ」ということで・・・。 また、竹千代ではなく「竹松」でした。 話が飛んでしまいまして、お手数をおかけいたしました。
長女まつは系図に名がありますが、うめのほうは、単に次女となっていて名前が記 されていないものもありますね。うめと表記しているのは何の史料なんだろう? 平八景明の幼名が竹千代・・・でしたっけ? これまた、御家中諸士略系譜にもあ りませんが・・・ ほかに高野山の僧侶となった清融という人が直江山城守の子と伝えられていますが、 年代的に無理があるので、これは直江信綱とお船の間に生まれた子ではないかと言 われています。 ほかに、景明に弟があったとする説もあり、これは徳島のほうに子孫と称する家が あって、系図も存するようです。景明の弟は、直江将監兼高というそうですが、こ れは側室の出で、高野山に彼女(兼続の側室)の戒名が伝わっているそうです。 これによれば、 古山梅龍心立大姉 慶長十年八月十七日 直江山城守内室 とあるそうです。あるいは、この戒名の「梅」に着目して、兼続の次女を梅とした ものでしょうか・・・?
兼継の息子(平八景明)は幼名「竹千代」だったかと。
兼続の娘も「まつ」と「うめ」だったような・・・
長政を演じられた役者さんは以前私が兼続に!と推薦した方です。 って誰も聞いちゃいねーよ
三楽堂さん> URLの修正、ありがとうございました。 お手数をおかけしました。 >今回も佐脇藤八良之、目立ちました。 又左のところのランキングでも、佐脇良之は一番人気です。
たしか、「おねえさん」と呼ばれたことを再度確認していたような・・・。 それに、まつの乳母の名が「うめ」では、できすぎかな。「たけ」がどこかに いてもいいような。 秀吉のプレゼント好きは有名ですが、利家はどうなんでしょうか。 末森合戦のときは、まつに手痛いヒトコトを浴びせられていますからねェ。
今回も佐脇藤八良之、目立ちました。お市の方も感激して目をうるませ ながら、「口がお上手」。 それにしても、浅井長政は肖像画にぴったりの男優が演じることがあま りないですね。丸顔に口ひげ。 箕作城攻めで利家と秀吉は絶交状態になってしまうんですが、秀吉を脇 役とすることで、次第に傲慢になっていく側面がうまく描かれるといい んですが。主役だと単純なサクセス・ストーリーになりがちですしね。 それにしても、利家はこんぺいとう、花、小袖とよくプレゼントを贈り ますね。 さて、のちに柴田勝家の与力兼目付けとして府中に配される三人衆です が、利家、佐々成政に続く三人目の不破光治は五木ひろしが演じるそう です。 ・・・印象にのこったセリフ 井口太郎左衛門(丹波哲郎)がまつの乳母(赤木春恵)に、 「おねえさん、湯を一杯もらえまいか」
花粉症に悩まされ、外出も億劫な三楽堂です。先ほど、買いものに出かけ、消防車 の列に行き会ったのですが、家人と「ウチだったりして」と喋ってたら、帰宅後、 200メートルほど離れたところで煙がモウモウとたちこめてました(汗)。 WindowsXPにアップグレードしたVaioですが、たしかにMeよりも起 動・再起動が早いような気がします。まだプレーンな状態なので、これからいろい ろなソフトを仕込んだり、設定を変えたりしているうちに問題が出てくるかもしれ ませんが・・・ 治部さん、惜しかったですね。でも、所有馬が勝利を争うぐらいですから大したも のじゃないですか。
本日、JRAの阪神3Rに「シルクデスペラード」という馬がデビューしました。 私の一口馬主所有馬なんですが、一般紙の「無印」評価を覆す激走で 見事に1着でゴールしました。 一口馬主生活4年目にして初勝利(かなりヘボイ)を大喜びしておりましたら、 レース中に他の馬の走行をやや妨害した(斜行といいます)との事で、 3着に落とされてしまいました。 勝負は下駄を履くまでわからないものです。
よーぜんさん、HPの引越しおつかれさまです。 本日、Xファイル最新号アップと同時に修正しましたので、確認してくださいませ。 新刊情報です。 『街道の日本史16・両毛と上州諸街道』吉川弘文館 『戦国時代の貴族―「言継卿記」が描く京都』今谷明/著、講談社学術文庫 『天下統一と城』千田嘉博・小島道裕/編、塙書房 『女性からみた中世社会と法』黒田弘子/著、校倉書房 そのほか、岩田書院から出た『信長権力と朝廷』の第2版が出ました。非常に誤植 が多かった前の版の訂正版で、旧版所有者には「下取り」もしてくれるそうです。
本日、JRAの阪神3Rに「シルクデスペラード」という馬がデビューしました。 私の一口馬主所有馬なんですが、一般紙の「無印」評価を覆す激走で 見事に1着でゴールしました。 一口馬主生活4年目にして初勝利(かなりヘボイ)を大喜びしておりましたら、 レース中に他の馬の走行をやや妨害した(斜行といいます)との事で、 3着に落とされてしまいました。 勝負は下駄を履くまでわからないものです。
よーぜんさん、HPの引越しおつかれさまです。 本日、Xファイル最新号アップと同時に修正しましたので、確認してくださいませ。 新刊情報です。 『街道の日本史16・両毛と上州諸街道』吉川弘文館 『戦国時代の貴族―「言継卿記」が描く京都』今谷明/著、講談社学術文庫 『天下統一と城』千田嘉博・小島道裕/編、塙書房 『女性からみた中世社会と法』黒田弘子/著、校倉書房 そのほか、岩田書院から出た『信長権力と朝廷』の第2版が出ました。非常に誤植 が多かった前の版の訂正版で、旧版所有者には「下取り」もしてくれるそうです。
三楽堂さま 私のサイトの掲示板にも書いたのですが、「春雁抄」URLが変更に なりましたので、お知らせします。 リンクを貼ってくださったばかりで恐縮ですが、下記URLに変更く ださいますようお願い致します。お手数をおかけしますが、 よろしくお願い申し上げます。 http://users.hoops.ne.jp/yozn-gl/
わがサブマシンVaioもとうとう、Xpにアップグレードしました。 昨夜はリカバリ(工場出荷状態に戻す)→ソフトのアンインストール→OSのアップ グレードまで行い、寝てしまいました。 今夜はこれからソフトの仕込みです。 使い勝手はまだわかりません。追々報告いたします。 はたして、謙信時代の越後は豊かだったのか? いずれにしても、米、金山でないことは言えると思いますね。 景勝時代の産出量で他国をつきはなしてダントツトップではありましたが、謙信の 時代は佐渡や越後国内を全き強権支配していたわけではありませんから。 ただ、あれほどの遠征を行っているのですから、それなりの経済基盤は持っていた であろうと思います。 考えられるとすれば、以前にも書いた直江津・柏崎などの港湾関係からの「あがり」 でしょうね。利平の金(貸し付け金の利息)というのが春日山城に残っていたから、 軍事行動をおこす際、謙信は配下の部将たちに金を貸し、それで仕度を整えさせた、 とも考えられます。これは、ほかの大名もやっていることです。
越後が豊かなわけなど、・・・地元に住んでいても実感が湧きませんねェ。 概して、新潟米がおいしくなったのは昭和30年代からですし、秋の稲刈り後の 田は一面湖のような状態でしたよ。 豊かだったのは「雪」くらいではないのかな・・・。 ・・・判りませんねェ。
>結論は・・・越後は「豊かだった」から(爆) うーん・・・その本読んでないので本来ならこんなこと言えた立場じゃないん ですが、あまりにも短絡的というか調べてなさすぎるというか・・・ 確かに今の新潟県だったら農産物はいっぱいとれるし その説もわからんではないんですが、 あの時代は蒲原平野にしてもほとんど沼地だったし 河川も整備されてなかったことを考慮すると 違うような気がするけど・・・ 関東出兵の理由が兵士達を食わしていくっていう説が あるくらいだから「豊かな越後」というのは・・・
大河ドラマ初のカラー作品であった『天と地と』がビデオ化されました。 とはいっても、全編でも総集編でもなく、「川中島その4」の1回こっきり。 謙信(石坂浩二)と信玄(高橋幸治)の対決シーンです。 作家火坂雅司氏が、雑誌「歴史街道」(PHP研究所)で上杉軍団の記事を書いて います。報酬が約束されない義戦にかりだされた部将たちは、なぜ謙信についてい ったのか?という謎に挑戦・・・だそうですが。 結論は・・・越後は「豊かだった」から(爆)
大河ドラマ初のカラー作品であった『天と地と』がビデオ化されました。 とはいっても、全編でも総集編でもなく、「川中島その4」の1回こっきり。 謙信(石坂浩二)と信玄(高橋幸治)の対決シーンです。 作家火坂雅司氏が、雑誌「歴史街道」(PHP研究所)で上杉軍団の記事を書いて います。報酬が約束されない義戦にかりだされた部将たちは、なぜ謙信についてい ったのか?という謎に挑戦・・・だそうですが。 結論は・・・越後は「豊かだった」から(爆)
>どうも、家康に楯突く人物はほっとけない(笑)。 そうですね。なぜか勝者の加藤清正、福島正則などを見ていると、敗者となった景 勝・兼続主従のほうがスッキリ割り切った後半生を送っているような気がするんで すが・・・
まつ・北政所・ガラシャの3人の女性が主役でした。 実は数週間前に某国営放送から電話があって、「あの本の表紙のガラシ ャの肖像画はどこにあるんですか?」と照会がありました。 電話を切ったあとで思い出したんですが、作者は前田青邨。1974年 にバチカンから依頼されて描いた作品で、現在も彼の地の近代美術館に 収蔵されています。昨年、岡山や愛媛で公開されたようです。 というわけで、バチカンでは番組の撮影に間に合わないそうで・・・ あの放送をみたかぎり、印刷の状態(ちょっと原画より青みがかってい るのでわかるんです)からして、本の表紙を撮影したのかな(笑)?
浅井三姉妹の乳母だったら、名前とか出自とか、ある程度 わかっていてもよさそうなものですが・・・ 夫人は後に金沢に帰って前田利次(富山藩初代藩主)の 乳母にもなっています。良之には息子もいたらしく、この人は 利次に仕えたそうです。この息子が話題にしている良之夫人の 子であれば(おそらくそうなのでしょう)、夫人も富山に行った という可能性も高いですね。 >前田利政も面白い人物ですよね。兄利長より関心があります。 三楽堂さんもですか。実は私も。 どうも、家康に楯突く人物はほっとけない(笑)。
佐脇良之の室(番組では徳川家家臣となっていますが)が、浅井三姉妹の乳母に!? どうもこのあたりの関連がみえてきませんね〜 大蔵卿の局は淀殿ではなくて、秀頼の乳母だっけ。すると、佐脇の未亡人はなんて人 だったんでしょう? 佐脇良之は後に信長に追放されてしまうのですが、同じ小姓出身の長谷川橋介、山口 飛騨守、加藤弥三郎ともども家康を頼っています。三方が原の合戦で佐脇を含めた四 人とも討死しております。 なにか、覚悟の戦死という印象を抱きます。 前田利政も面白い人物ですよね。兄利長より関心があります。
>娘が生まれて、のちに利家の養女となる・・・はず 利家の養女になったのは、その娘、つまり、良之の娘は 利家の家臣の篠原一孝に嫁ぎますが、一孝と良之の娘との 間にできた子が利家の養女になったとも言われているようです。 「良之の娘が利家の養女となったというのは訛伝」としている 解説もありました。 良之の夫人は浅井長政の娘-後の淀君たちの乳母にもなっていますね。 この人は、徳川方の人だったのでしょうか。(ドラマではそうな っていますが) >能の英才教育を受けているあの佐々成政の嫡男は将来、誰になる >んでしょう? 前田利政・・・というのはうそです。 ですが利政は前田家中で能の上手だったようで、景勝が金沢で 歓待を受けたとき、9歳で能を舞ってみせたのだそうです。
有難う御座いました! 図書館の、『歴史読本』系の本で読んだような気が…するんですけどねぇ・…。 わざわざどうも有り難う御座いました!
しかし、丹羽・滝川・佐久間の3バカトリオは身軽というか、よくつる んで、あちこち格下の家臣の家へ出かけて行くものですねえ。 普通だったら、自分の屋敷へ子分どもをかき集めないかと思うんですが。 佐脇良之にもついに秘密の愛人の存在が明るみに。徳川家の家臣の娘で、 しかも身重(娘が生まれて、のちに利家の養女となる・・・はず)。次 第に「良之、三方が原に死す」の舞台は整えられつつあります。 利家の居眠りに、ショーケン明智光秀は不思議な表情をするんですが、 やはりこうした印象づけをしないと、前田利家というキャラクターは埋 没しかねないんですね。 ところで、能の英才教育を受けているあの佐々成政の嫡男は将来、誰に なるんでしょう? ・・・印象にのこったセリフ 長八郎「めしを食ってる時は喋るな!」
#ななさん すみません、寡聞にして仰せのようなエピソードの出典についてはわか りません。武田関連の史料に載っていたのでしょうか? 話の雰囲気的には、『甲陽軍鑑』か何かのような感じもしますが・・・ #トラマさん 佐々木駅ですか。白新線で新発田から2つめですね。 数年前に新発田に行った時には加治駅には気づきましたが・・・ わたしが乗ったのは羽越本線のほうでしたので。 おそらく越後佐々木氏と何らかの関係があるのでは?。 加治・新発田・竹俣もその支族と言われています。佐々木一帯は新発田 氏の領域でしたから、盛綱の孫・時秀系佐々木氏(のちの新発田氏)が 開いた土地かもしれません。(新発田も新田開発っぽい姓ですよね?) ただし、佐々木氏本宗の居城はもう少し奥まったところにある加治要害 のほうだったようです。佐々木盛綱が対平氏戦で、備前小島において戦 功をあげたので、加治庄地頭に任じられました。 ただ、地図を見るかぎりでは、佐々木の地が館跡か菩提寺でもあるのか ということはわかりませんね。
トラマ様、わかりません。 新発田市史でも読んでからお答えします。 ・・・佐々木一族とは関係無いと思いますが。
新潟へ先週末行っておりました。 新発田へ行く途中に佐々木という駅があったのですが これは佐々木一族にちなんだ地名でしょうか。 電車の時間の関係もあり直江津は素通りしました(笑) ただ保倉川から関川までの距離を実感することができたので 福島城というのは相当大きい城だったんですね。 残念だったのは仕事・趣味双方においても高田へいけなかったことです。 城だけでなく仕事の絡みでの店舗調査ができなかったのが残念。