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浅野本家(芸州・広島)最後の殿様の弟さんの曾孫(?)だそうです。
実際書き込むことは滅多にありませんが、何時もは意見させて頂いています。 知識が凄いですね! さて、質問があるのですが、武田信玄の嫡男・義信が初陣の時に飯富虎昌らに水だっ たか、何かをお酌して、それを見れなかった高坂弾正達が男泣きした。という資料を どっかで見た気がするんです。 この事について何かご存知ないでしょうか?教えてください。 お願いします。
とりあえず、京都サミット参加表明者を名簿に加えて、休眠中のMLを復活いたし ました。いつもながら突然で申し訳ありません。 今回は上越・京都ときれいにメンツが二分されてしまいましたねー。 とりあえず、京都を先行させますが、上越のほうもいろいろ話し合いましょう。 (MLは混乱するので京都オンリー。ただ、読みたい!という方は申し出てくださ い。登録します) 治部さん発案の東京プチサミットもやりましょう! 秋頃だと博物館などの企画が面白いかもしれませんよ。 OBASAN、おめでとうございます。お嬢様もいよいよひとりだちですね。 治部さん、祝・1周年ですか。わたしは8年目に入りました。えらく年とった気が します。
「石田 治部」として、初めてインターネットを使い、カキコミをして、 1年たちました。 数多くの「ヘボい書きこみ」をいたしましたが、 皆様からのありがたいレスのおかげで本日を迎えることができました。 本当にありがとうございました、改めて今後共よろしくお願いいたします。
みんみん様、おめでとうございます。 京都は無理ですか〜、私は上越は無理そうなんですよ。 なかなか、会えないもんですね。 でも、そのうち、東京プチサミットかなんかやれないですかね? どこを見にいくの?って聞かれると困りますけど。
おはようございます! 第2志望合格しました (^ー^)v すでに第3志望で入学金だけ30万払い、 第1志望発表(3/8)前に第2志望の入学金だけ払わねばならない………。 ここが思案のしどころ。両方で国立の1年分だもの^^) で、サミットは、経済的に京都までは無理。上越の方は、参加したいです。 お供で上京中、台東区中央図書館、千代田区の図書館、 多摩市の関戸図書館・永山図書館、八王子の橋本図書館と 図書館巡りをしました。大宅壮一文庫は、行けなかったけど 4月から東京に拠点ができるので、行けるかなぁ……と楽しみです。
浅野長政の子孫というと、紀州→芸州へ移った浅野でしょうか。 そうなると、あの異様に時代劇の扮装が似合わない加藤雅也、出ずっぱりかもしれ ませんね!?
某週刊誌からのネタですが、大河ドラマの女性プロデューサーは秀吉の家臣だった 「浅野長政」の子孫だそうです。
彼(荒勢だったんですね。気づかなかった)が登場したってことは、このあたり、 『武功夜話』を意識しているんでしょうか。 ひとところ、この文書については、真贋論争(というよりは、良質な史料であるか 否か)が専門雑誌等で見られました。中には「即刻、焚書にせよ」という極端な意 見もありました(雑誌「歴史民俗学」)。 焚書はいくらなんでも、と思いますが、小和田哲男氏なども「良質の史料とは言え ない」とするなど、学界では積極的な活用を避けているようですね。
最近のNHKどうなってんでしょ。 大河ドラマの鵜沼城主の大沢役は元関取の「荒勢」ではございませんか。 ラグビーの大八木氏といい、う〜ん・・・。 それにしても、三楽堂さんの史料には、・・・驚きます。
まだ肉眼では見えないそうですけど、先頃発見された池谷・張彗星が、1532年 に地球に大接近したのと同じ軌道らしいという記事が出ていました。(朝日新聞) 1661年の彗星とする説もあるようですが、いずれにしても300〜500年前 の彗星が発見(再発見というべきか)されるのは珍しいそうです。 かりに1532年としますと、天文元年。『史料綜覧』にも八月十六日条に項目が たてられています。 『妙法寺記』には「この年七月、西に当テ星一ト燃え候」とあります。甲州の日蓮 宗僧侶の記録ですから、少年の武田信玄もこの彗星を見たかもしれません。 もっと詳しく記しているのは、『快元僧都記』で、「彗星艮方に出光増す。七月十 日迄これ有り。その後は隠れ畢ぬ」とあります。北条氏綱や氏康も目にしたかもし れません。 ※本日の「その時歴史が動いた」は信長VS本願寺でした(桶狭間・長篠・本能寺 よりは新鮮か)が、一向衆の中にギリヤーク尼ヶ崎がいたのがいちばん驚きました。
3月7日25時55分から27時50分、テレビ東京 『戦国自衛隊』 1979年、角川春樹事務所 監督:斎藤光正 以下 http://www.jp.playstation.com/product/89/000000004434189.html より。 近代兵器フル装備の自衛隊一個小隊が、400年前の戦国時代にタイム スリップ!彼らは歴史を書き変えようと無敵の武田騎馬隊と戦う。日 本映画史上空前のスケールで描くアクション超大作。半村良原作。 79年カラー/138分/スクィーズ/監督:斉藤光正/出演:千葉真一/夏八 木勲/渡瀬恒彦
>今回のドラマを見ていて、「少年漫画だなあ」と感じてしまいました。 実際、メディアや文化を論じた本の中には、「大河ドラマは劇画っぽい」と書いて あるものもあります。「秀吉」あたりからこの傾向が強くなって来たようです。 まつの怒りのシーンでバックに炎がふきあがったり、女性たちのかけあいをみてい てもそう感じます。 コミック(原作はないけど)の実写版として見る感じなんでしょうか・・・
森蘭丸役に日米ハーフの新人俳優、ウエンツ瑛士(16)が抜てき。 NHKの「天才てれびくん」とかに出てたとか。 ドイツ人の父、日本人の母をもつ美形ハーフということで、大河ドラマのプロデュ ーサーが目をつけたそうです。 たしか、今回は大河初の女性プロデューサー。名物狩りならぬ、美形狩りだったか!?
三楽堂さん> 魚津城落城に関する御意見、ありがとうございました。 勝者にすれば、一日も早い落城の方がうれしいわけで、 本能寺の混乱もあり、2日と3日に分かれた、といった ところなのでしょうか。 >バカと精鋭 あの場合、利家はどちらなのでしょう? 「今は馬鹿でもお許しくださいませ」と信長に言っていたところを みると、本人も認めている「バカ」。でも、佐久間、丹羽らとは 毛色のちがうバカといったところでしょうか(笑)。 今回のドラマを見ていて、「少年漫画だなあ」と感じてしまいました。 友人の出世に嫉妬しながらも、「馬鹿な上司」の心ない発言に 黙っていられない、勝気な彼女(この場合は奥さん)に「大丈夫」 と背中を押され、気持ちを奮い立たせる・・・「愛と正義のヒーロー」 という少年漫画にありがちなヒーローのイメージ。 わかりやすくていいのですが・・・
『信長の野望・蒼天録』は3月発売予定でしたが、さらなる品質向上のため 発売延期となりました。今春発売予定です。
>この佐久間、丹羽、滝川に、林が信長家中の四バカ四天王といったとこ ろでしょうか 実際の彼らはかなり有能なはずなんだけど・・・ 特に丹羽と滝川の二人をアホーに描くのはどうかと思うけど・・・
佐久間信盛がバカぶりを披露してました。「なぜ墨俣に築城できぬ?」 という信長の問いに、信盛は生け花を3本、川にみたてて、場所の説明 をする始末。でも、今の政治家や評論家にもいそうですよね。理由では なく、現状ばかり説明する人。 約二十年後に佐久間信盛は追放されるわけですが、あのバカぶりでは、 よく二十年も信長が我慢したものだと思ってしまいました。 この佐久間、丹羽、滝川に、林が信長家中の四バカ四天王といったとこ ろでしょうか。通常ですと、柴田勝家も入っていたりするのですが、そ こは演じるのが松平健ですからね。 以前のドラマ(「秀吉」など)ですと、このへんの新旧家臣団のカラー がそれぞれ、エリートでスマートながら少し頑迷、土臭いながらエネル ギッシュという色分けだったのですが、今回はバカと精鋭という変な図 式が持ち出されているのがちょっと不満です。 コミカルに、という演出の意図なんでしょうが・・・ ・・・印象にのこったセリフ おまつ「ぺったんこ!」 村井「ぺったんこ!」 おいおい。そのかけ声はなんだよ。といいつつ、後年、江戸へ人質とし て下ることになる二人の息があっているということでしょうか。
『越佐史料』では、6月3日が魚津落城として項目をたてていますが、よく見ると 引用史料の中には「6月2日」としてあるものが散見されます。 ただ、『越佐史料』の編者は6月3日と訂正を加えています。 これは想像ですが、上杉方では「惜しいことを。魚津があと数日持ちこたえていた ら・・・」という思いが強かったようです。こんなことから、何となく本能寺の変 と同じ日に落城したと受け取られてきたのかもしれません。 いずれにしても、落城は6月3日の早朝であったので、6月2日には大勢は決して いたとは思いますが。
魚津城落城の件で付け足し。 前田関係資料が全部、というのではなく、「3日」とあるもの と「2日」とあるものがありました。『加賀藩史料』は「2日」 となっていました。
このたび、某研修のため静岡市、清水市、焼津市に行って来ることとなりました。 この研修は、現地解散なので何か戦国関係の史跡を見たいとおっもているのですが お近くにお住まいの方、お勧めポイントはありますか????
私も6月3日と思ってましたが・・・。 織田関係の新刊書で谷口克広著「織田信長合戦全録」(中公新書)でも6月3日に なってますね。 佐々成政の書状にも6月3日と書いてあるとのことですが。
先日又左が「利家とまつ」の原作本を買ってきたので、 上杉が登場しそうなところだけ、サラッと読んだのですが、 魚津城落城の日、「奇しくも信長が本能寺で倒されたと同じ 6月2日」となっていました。 上杉関係の資料を読んでいると、「3日」とあって、3日とばかり 思っていたので、あれ?と思って前田関係の資料や『加賀藩史料』 を漁ってみたところ、「2日」になっていました。 どうでもいいことなのかもしれませんが、この一日の違いは どういうことなのでしょう? ちなみに原作本では、魚津城落城の場面、利家や柴田にとって 信長が討たれたことの衝撃があまりに大きかったのか、城将た ちの壮絶な死にざまには一言も触れていませんでした。(泣)
実質自営業なのでその気になればなんとか時間は作れる。 ただし突発的に日曜日にも仕事が入るときもあり。 出張がレンチャンでくる場合はしんどい・・・
お国に仕える事務官ですよ、基本は日曜休みと週の中に1日、 ただし、月一で日曜出勤で平日に2日休み。 今週なんて、今日も明日もおしごと、次は火曜水曜で連休。 京都のほうは日程がおおよそで決まったら、教えて下さい、土日連休するのに、 早めに申請しないと取れなくなっちゃう。
実は私も土曜日勤務(月2回ほど・不定期)があるのです。 完全週休2日制なのですが、配属部署がね〜。 (代休も平日が多いですし。)
『佐々成政のすべて』花ケ崎盛明/編、新人物往来社 『上杉謙信大事典コンパクト版』花ケ崎盛明/編、新人物往来社 『別冊歴史読本・戦国十三人の名軍師』新人物往来社 『別冊歴史読本・城の見方・歩き方』新人物往来社 『前田利家の遺宝』前田育徳会/編、新人物往来社 『三河松平一族』平野明夫/著、新人物往来社 #上杉景勝さん わたしも同様、土・日しか休みがない(しかも当番制で土・日出勤もあり)ので、 ときどき夜行バスなどを用いて日帰りを目論んだりしております。 上越ならば池袋から夜行バスも出てますしね。(朝の5時に直江津着) 上越のほうはやりくりされるとのこと、その節はよろしくお願いいたします。
宮仕えの身には土・日曜日しかつかえませんのでね。 上越で開催される時はなんとかやりくりしようと。
時間と場所については、なかなかすべての人の要望にはこたえられません。 とくに、ここに書き込んでくださっている方々はあちこちに散らばっているので。 参加希望の方も、せっかくお金と時間を使って行くのだから、何かひとつでも満足 感を得て帰ってほしいと思います。(計画段階で要望は積極的に出しましょう) 上杉景勝さん、上越は乗り気でいらしたようですが、あちらだったらだいじょうぶ なのでしょうか?
宮仕えの身には京都は遠いよ〜
ひとりでも多いほうが楽しいですからね。 4月以降で検討しましょうか。一応、GWと夏休み等をはずして、4月から6月あ たままでを範囲にしましょうか? 個人的には「上越」もやりたいので(^^ゞ こっちは秋かな。 メンツがかたまったら、いつものようにMLに移行したいと思います。 それと、前回も言ったかもしれませんけど、周囲に引きずられての参加ではあまり 楽しくないと思います。ここに寄りたい!歓談重視!など要望も遠慮なくお寄せく ださい。 で、今のところ、京都編は・・・ 石田治部さん、よーぜんさん、トラマさんでいいのかしらん? ほかに希望者いたら、知らせてください。
できれば4月以降のほうがいいです。 3月は土、日予定が入ってますんで・・・
4月以降のほうが私は調整しやすいかな?って思います。 無論、皆様のご意向に合わせますので、3月でもよろしいいかと。
●京都サミット 1.直江兼続が師事した南化和尚がいた妙心寺。景勝の正室菊姫の墓もあります。 2.直江兼続とも親交があり、直江状の宛名となった西笑承兌の豊光寺 3.伏見城下にその名をのこす景勝町に、当時の屋敷跡をしのぶ。 年度内がいいですか、それとも4月以降?
史料も少し学ぼう!と、とりあえず、「信長公記」の現代訳本をかいました。 少しずつレベルを上げていきたいものです。
■武蔵は市川新之助。 今回はわりと予想つけやすかったんじゃないかな。いわゆる平成三之助のうち、二 人が「葵徳川三代」に家光、秀頼で出てたし。 NHKは過去に脇役を演じて、その後成長著しい人を主役にもってきたがる傾向が あるからね。(市川新之助は「花の乱」で足利義政の少年時代) だから、ここ数年の配役を見ながら、直江兼続役者を探ってみるのも一興かも(笑) ただ、予想つけやすいということは、魅力あるタレントが払底しているともいえる わけで・・・ 他の武蔵候補としては、織田裕二、木村拓哉もあがっていたらしい。 ■三百年のベール 村岡素一郎の『史疑』という本がベースになっているんだけど、この本を出版した 民友社社長徳富猪一郎に徳川家が圧力をかけたとか言われています。真相はそこに 描かれたのが、当時の実力者・伊藤博文を風刺したもので、これが貴族院から睨ま れたのでは、と言われています。 作家榛葉英治はこの村岡の外孫にあたり、『史疑・徳川家康事蹟』という本も出し ています。 また、同じ題材で南條範夫は短編「願人坊主家康」も書いています。こちらもお試 しあれ。
ドンピシャしてほしかった、「ケインコスギ」
あったんですか?>三楽さん あのニュース見たときマジでビックリしたです。 話変わって昨日『300年のベール』の文庫本を買いました。 なかなか引き込まれる話で もしあれが本当に史実ならば 今まで以上に家康に親近感が沸いてきそうでした。
仕事ついでに行けます(^^) つうか強引に仕事入れて 午後から合流と言う手も可能です。 どうすっかなぁ車でなんとか行ける距離だけど・・・
MUSASHI主演に市川新之助。お父さんも民放で武蔵演じたしね。 これで、直江兼続への主演はなくなってしまった・・・
伏見区の景勝町です。 景勝町については、町名表示や景勝橋に名が残っているに過ぎません。 現地へ行っても、「だいたいこのあたり」と想像をふくらませるほかないと思いま す。秀吉時代の伏見市街図を入手して歩き回ると面白いかもしれません。
東海から、京都くらいならありがたいです。ところで、 「京都の景勝町巡り」というのは、京都府京都市伏見区景勝町のことですか? 伏見には、いろんな町名がありますが、屋敷跡とか、なんか関係あるんですか? http://www2.crl.go.jp/jt/jt221/tfujii/AddressSearch/b5fec5d4bbd4c9fab8abb6e8.html ↑伏見の町名表
上越サミットについては、希望者が中心となって今後、検討するとして、4月以降、 2002年の前半ぐらいで京都サミットはいかがなものでしょう? 景勝町行きましょうよ、とよーぜんさんに持ちかけたのはわたしなんですが、遺蹟 はありませんから、これだけっていうのもさびしい・・・ 前回のように日帰り組と泊まり組にわけて、それなりのオプションを考えなければ と思いますが・・・
わたしも今現在はこっちに関心あります。もちろん、上越もまた行きたいのだけど。 何もないところをただボーッと歩くだけになりそうだけどね。 ただ、京都近辺だとほかにもスポットを選べそう・・・ 治部さん、どこだったら、つらくないですか?
上越は、ちとつらいかも。
いいですね、上越サミット。 私は大賛成です。あ、でも、京都の景勝町巡りというのも捨てがたいです。
三楽さん、景勝さん、ご返答ありがとうございます。 地理的な問題、権威的な問題など等 こういう感じで説明してもらえると納得です。 >髭を生やした本多忠勝が出て来たのはご愛嬌か(たしか十四、五歳か)。 全然関係ありませんがサッカーのジュニアユース(17歳以下)選手権で 中近東の国の選手の中にはものすっごいヒゲっつらで 挙句の果てには子供まで連れてきているのもいるそうです(^^;) きっとその本多忠勝も年齢詐称していたのでしょう(爆) >やっぱ、上越サミット、考えますか? 勘弁してください(笑)
佐脇良之、今後、人気が出てきそうな感じ・・・ 前田兄弟の中でいちばんダンディでクールですよね。・・・と思ったけ ど、おまつとのカラミでは少々あぶなかった。 徳川家康とのからみは、後々、信長の勘気を蒙った良之が浜松へ頼って いく伏線なのですね。で、三方が原合戦で・・・ 髭を生やした本多忠勝が出て来たのはご愛嬌か(たしか十四、五歳か)。 くじら屋で利家が飲んだくれていると知った時の、まつの恐かったこと。 バックで火吹き男の炎がパアッと照射してましたからね。 幼児2人を抱いてオロオロしている利家が甲斐性なしをうまく演じてま した。 劇中いくつものトライアングルがあるんですが、今いちばん気になるの は、まつ・おね・はるの三人です。今は喧嘩さえもギャグにしか見えな いのですが、この中ではるの夫・佐々成政が最初に世を去ります。それ もおねの夫・秀吉による切腹命令によって。このあと、はるはどうなる のだろう?と。 ・・・印象にのこったセリフ セリフはなし。佐脇良之&まつのちょっとあぶないシーンと、まつ炎の 怒りシーン。
お久しぶりです 長くにわたり、ここに現れなっかた理由それは・・・ 研究開始から4年、第一次報告用模型製作班と『難攻不落の城T』 の製作会議に追われていたからです。 なお設定に関してですが、 戦国時代の1555年を設定 さらに、平山城、4箇所の候補地すべてを模型化 もっとも、考慮結果が良かったものを、この秋何らかの形で発表予定
ワハハハッ、何故でしょうね。 上越サミットもおもしろいかも知れません。 桜の咲く頃、高田城の夜桜でも見ながら、開くのも一興ですね。 >徳川氏としては豊臣系大名の作った城では面白くなかったのでしょう。