小田原評定・バックナンバー

過去ログ4101番目から4150番目までの記事です。


(4150) 加来耕三氏  投稿者:三楽堂  投稿日:01月29日(火)20時59分28秒

おお。またおいでいただくとは。
長連龍がお好みですか。なかなか面白い人物ですね。どんな方が演じる
のでしょうか・・・

>三楽堂さんは、童門冬二等に対しては辛辣な評価をお持ちのようですが、
>加来耕三については、どのように評価されていますか。

加来耕三氏のほうが、文章もうまいし、史料の読み込みもきちんとして
いるし、書かれたものを読んでも参考になりますよ。わたしも何冊か読
んでます。マイナス面はといえば、ifモノに手を染めたところでしょ
うか。
わたしの場合、「常に関心を持ち、執筆者の名前のみで無条件で読む」
というのがもっとも評価が高いことになると思いますが、加来氏の場合
はそれに準ずる、「一定の関心を向け、必要に応じて読んだりする」ラ
ンクの作家ということになるでしょうか。必要の度合いにもさらに細か
いランクづけがあるんですが・・・
ちなみにこの下には、「名前を聞いても決して手に取らない」というラ
ンクがあります。

でーもん評については辛辣かどうかはわかりませんが、少なくとも自分
が歴史を勉強したり楽しんだりする上で、読んでも益するところがない
と見ています。ただ前にも書きましたが、小説の場合は好きずきですか
らね。あの方のモノがいいと思えば、大いに読まれて結構なんじゃない
でしょうか。人それぞれの価値観を尊重いたしたいと思います。


(4149) こちらもどうぞ。  投稿者:三楽堂  投稿日:01月29日(火)20時58分19秒

白井成樹氏の武者絵
http://www.jinbutsu.co.jp/shirai/index.htm

なぜか、謙信のみ個人名で登場。
ちなみに「上杉謙信」は頒布価格80,000円(税込み)なり!
それだけのお金出すんだったら、『越佐史料』でも買ったほうがいいと
思うのはわたしだけだろうか。


(4148) ありました。  投稿者:石田 治部  投稿日:01月29日(火)20時42分53秒

鈴木眞哉著『天下人史観を疑う』(洋泉社)
本屋を5件まわりましたよ、それにしても小説以外の本を読むのも
久しぶりだなぁ。


(4147) 私は思いますが。  投稿者:石田 治部  投稿日:01月29日(火)20時29分32秒

かのう姉妹といい勝負してると思いますよ、アホネタとしては。


(4147) アホネタ  投稿者:トラマ  投稿日:01月29日(火)18時42分09秒

http://www.alfrex.co.jp/yumi2-4.html

買うヤツいるのか?


(4146) ご感想を。  投稿者:長連龍  投稿日:01月29日(火)15時28分57秒

こんにちは。
書店でちくま新書(だったかな?)の新刊で加来耕三著の前田利家本を立ち読みしていたら、長連龍について加来耕三が個人的に好意を持っているとのことが書かれてありました。
(好意といっても、恋愛感情ではないと思う、多分。)
土曜朝のラジオ番組に出演している加来耕三の話を時々聞いては、なかなか面白いキャラクターだなあ、と思ってはいたのですが、私の支持する長連龍に着目しているのを知り、少しファンになりました。
今年の大河ドラマでは、遂に長連龍が悲願の大河デビューをする可能性が高いので、配役など非常に楽しみにしてもいるところなんです。
三楽堂さんは、童門冬二等に対しては辛辣な評価をお持ちのようですが、加来耕三については、どのように評価されていますか。


(4145) 直江氏のルーツ  投稿者:三楽堂  投稿日:01月28日(月)22時16分27秒

よーぜんさん、なかなか鋭いつっこみですね(^^;
古代も守備範囲なんですね。

わたしは直江氏の遠祖が藤原氏だということには首肯できません。
藤原京家は四家の中でももっとも早くに衰微してしまいました。
系図的にはいちばん操作しやすいか、と。

やはり、「神五郎」の名が示すように神氏の一派ではないかと考える次
第です。太田亮の『姓氏家系大辞典』も神氏の項目をたてています。

また、かりに藤原氏の流れを汲んだ一族だとしても、出雲大社に大国主
を祭ったのは、鎮魂の意味が込められているとすれば、不自然ではない
と思います。
現に出雲大社を創建したのは、天照大神の二子・天穂日命だといわれま
すから。


(4144) 大河について  投稿者:トラマ  投稿日:01月28日(月)12時53分25秒

ある友人から
「ちょんまげ付けたトレンディドラマとして見なさい」
と言われなるほどと思いつつもテレビつけながら寝てしまった(爆)
反町くんの信長はかっこいいと思います、ハイ。
もうちょっと話が進んでから見ることにしよう


(4143) お引越しお疲れさまでした  投稿者:よーぜん  投稿日:01月28日(月)11時42分12秒

三楽堂さん
お引越し、お疲れさまでした。
お引越し早々に精力的な書きこみ、いつもながら感じ入っております。

山城守の官と「愛」の前立てに関するご見解、とても興味深く
拝読いたしました。
直江家と出雲系とのかかわり、なるほど、と思いました。
ただ、直江家は藤原不比等を祖としていますよね。藤原氏(中臣氏)
はアメノコヤネノ命を祖としています。
アメノコヤネは天孫系の神。その末裔が出雲系の神を祀ることに
ちょっと引っかかるのですが・・・

桶狭間>
>合戦シーンですが、ぜんぜん織田勢のほうが多くて、あれでは
>万が一にも織田は負けないと思いました。

おっしゃる通りと思います(笑)。
それに義元の格好、いくらなんでもあれはないですよね?具足もつけずに
戦場にいる、なんて・・・
それとも織田など、物の数ではないと最初から馬鹿にしきって、
具足もつけずにいたのでしょうか。いずれにしても、義元という人に
対する視聴者のイメージを裏切らない演出だったと思います(爆)。
数の上で到底勝ち目がないと最初からわかっていたから、信長は義元
の本隊を狙ったのでしょうね。頭を倒すというのは兵法の基本だと思います。
桶狭間は「奇襲」云々言われますが、ある意味ものすごくオーソドックスな
ことをやって、勝利をおさめた例ではないでしょうか。


(4142) 利家とまつ(第4回「桶狭間の奇跡」)  投稿者:三楽堂  投稿日:01月27日(日)21時36分37秒

なんか、男たちが戦っている間に、女たちは宴会やってました。
けれど、同じく桶狭間で宴会中の今川勢よりも、清洲の留守を預かる女
たちのほうがうまかった。「今川義元を討ち取ったのは誰か」クイズと
かやっちゃうし。毛利新介ファミリー大喜び!
今川義元主従はもっと上手に宴会して欲しいと思いました。とくに義元
の面前で扇をもって踊ってた(?)鎧武者連中。
あと、合戦シーンですが、ぜんぜん織田勢のほうが多くて、あれでは万
が一にも織田は負けないと思いました。
冒頭で武者姿を披露した天海祐希(佐々成政の許婚者はる)が食うかと
思いきや、前田利昌演じる菅原文太が見せ場をかっさらってしまいまし
たね。なんと桶狭間の合戦場へ利家に勝軍地蔵を届けにいっちゃいまし
たからねー。それでもシブイ。新時代の転換点に立てないことへの悔し
さがうまく出ていたと思います。
それにひきかえ、女たちに混じって宴会している村井貞勝は、突如、娘
の妊娠を知らされオロオロする対照的な父親ぶりでした。「葵―徳川三
代」の加藤清正役だったですかね。みごとな変身ぶりです。
それにしても心配なのは、的場浩司の将来です。今のうちに藤吉郎にや
さしくしておいたほうが・・・・・・

・・・印象にのこったセリフ

まつ「今川義元どのの首をとったのはどなたでございますか!?」
お市「さあ、どなたかしら」


(4141) 今朝は冷えます  投稿者:三楽堂  投稿日:01月27日(日)10時05分56秒

#くらのすけさん

東京国立博物館の特別展「時を越えて語るもの」、引越しさえなければ
行きたかったのですが・・・
今週は蔵書点検の総指揮をとらなければならないので、ちょっと無理か
な。そういえば、会場で「鳥居強右衛門磔刑」の携帯ストラップが売ら
れているとか小耳にはさんだのですが、本当なのでしょうか?
あの磔刑は実は頭が下(つまり、さかさ磔)なんだそうですが。

>この「片目」というのは実際のことではなく、何となく性格とかの表現
>なような気がします。

くらのすけさんの考察、面白いですね。
実際に片方の目が不自由だったとしても、戦闘で失ったというのではな
く、政宗同様、病いのケースが多かったのではないでしょうか。
古文書における他の「片目」の用例とかが集まれば、分析もすすむと思
います。

異見会について。
でーもん氏のいう、”他人と「異なった考え」を述べる会なのだ”とい
うよりは、自由な意見交換ができる場と考えたほうが実態に即している
と思いますね。
しかし、黒田家の異見会ですが、後藤又兵衛ら家臣とも張り合っていた
長政のことや、のちの黒田騒動を考えると、機能していたかどうかは疑
問ですが・・・



#右衛門尉さん

>あまりに評定の進行が早いのでビックリしています。

早いでしょうか(^^;
むかしの話題でも、今話題になっていることとは違うテーマでも遠慮な
くお書き込みください。
直江兼続にかぎらず、歴史上の著名人のエピソードを洗いなおすと、出
典が不明瞭であったり、ぜんぜん別の話だったりします。
しかし、ウソだからと放り出してしまわずに、なぜそういった逸話が発
生したのだろう、その背景を探ることも大切かと思います。


(4140) 直江兼続は謎  投稿者:右衛門尉  投稿日:01月27日(日)03時29分13秒

三楽堂様

転封お疲れさまにございます。
あまりに評定の進行が早いのでビックリしています。
しかし、今まで信じていた直江兼続の逸話や事績が、ほとんど
裏付けが薄いもの、とは。本当にビックリです。
当然、閻魔大王への手紙なんて・・創作なんでしょうね・・・
もう少し冷静に歴史を見つめないと・・・。

ただ今、前回ご紹介のあった「風流武辺」を踏破中です。
マイナー武将(先人に失礼な表現ですね)の生き様。本当に
引き込まれています。ご紹介ありがとうございました。


(4139) 話題がずれますが…  投稿者:くらのすけ  投稿日:01月27日(日)01時06分58秒

三楽堂様、ご無沙汰しております。

今、こちらで中心となっている話題とはずれるのですが…
先日、東京国立博物館の特別展「時を越えて語るもの」に行ってきました。

以前、こちらで、毛利輝元と秀吉が「片目」であった、という話題が出たと
記憶しておりますが、その史料(近衛信尹筆「古今聴観」)が展示に出ていました。

一、安芸毛利《輝元ハ片目也、凡■■也、伊達又片目也、》殿下■■■
 《小者ト云》人今ハ勿論堂上也、《是又片目也、》

(注)《 》内は墨で消してあるが判読できるもの、■は墨で消してあって判読できないもの。

この「片目」というのは実際のことではなく、何となく性格とかの表現なような気が
します。

それと、D門氏についても話題が出てましたね。今また掘り返すのもどうかと思いますが、
彼は日経の夕刊にサラリーマン向けのコラムのようなのを書いています。
たまたま、黒田長政が家臣の意見を聞く会を開いていた、というような内容の時がありました。
そこで史料で「異見」と使われているので、これは「意見」とは違う、正に
他人と「異なった考え」を述べる会なのだ、なんて語っていましたが、
史料上では両者ほぼ同じ意味で使われます(と思います)。
なので、このとき余り信用できないのでは?と感じたことを思い出しました。

長文失礼しました。


(4138) 直江兼続の謎  投稿者:三楽堂  投稿日:01月26日(土)21時23分24秒

●『四季農戒書』

正確には「地下人上下共身持之書」といい、「国書総目録」には『四季
農戒書』『直江兼続四季農戒書』という項目がたてられています。
もちろん同じ史料を指しているので、後者は別名というところでしょう
か。
『正伝直江兼続』は米沢信金発行の『直江兼続伝』と並んで現在望み得
る最良の兼続評伝と思いますが、著者の渡辺三省氏(御存命であれば今
年96歳です)は、この本の中で『四季農戒書』は兼続の養子だった本
多政重(のち加賀藩へ仕える)が著したものと説明しています。
根拠のひとつが前田家に所蔵写本があるせいです。末尾には「直江兼続
記之」とあります。これは加賀藩五代前田綱紀(史料収集で著名な学者
大名)が集めたものといわれています。
次に渡辺氏のあげた第2の根拠として、本文中に越後魚沼郡の方言が使
われていることです。しかし、魚沼郡の方言が使われていたからといっ
て、兼続の手になったものとは断定できませんし、そこに他国人の本多
政重がからんだ場合、かえって反証ともなりかねません。
いずれにせよ、直江兼続が語ったことを本多政重が筆記したとか、ある
いは直江兼続本人の作であるとか、については、首肯し得る論拠とはな
っていません。
「歴史読本」の特集(一九九八年八月号、闘将直江兼続)では元禄期の
成立と考えられるとありますが、藩の財政逼迫にともない、名家老直江
兼続に仮託して、上杉家の誰かが書いたものではないでしょうか。
残念ながらそこには「愛民」の精神は希薄で、それゆえに兼続を語ると
きにその内容に深く入り込めなかった・・・とは考えられないでしょう
か。
『四季農戒書』を偽書と断定している文章については、『藩政成立史の
総合研究』(吉川弘文館)および、『直江兼続伝』(前掲)を参照され
るとよいと思います。


●直江状

『上杉家御年譜』に全文が載せられていますね。『正伝直江兼続』に掲
げられているものはこれを全文引用した、とあります。
まあ、米沢藩の公式記録に載っているからといって、真実とは限らない
のです。同年譜は元禄以後の編纂ですから。
「直江状」についても「歴史読本」の特集(前掲)に宮本義巳氏が「直
江状の信憑性」という記事を書かれています。記事では全文読み下し、
および来歴と文中の問題点について簡潔にまとめられています。
氏が言うとおり、「知名度のわりには、意外にその内容の詳細や問題点
は知られていない。それどころか、厳密な史料批判そのものが行われて
きてはいない」のです。宮本氏のよると、古文書の通例をはずれている
ような語句が散見され、「後世の偽作か、あるいは改竄と見なさざるを
えない」としています。
なお「直江状」の原本は伝存しません。写しについては、またしても前
田家(綱紀さん、よく集めましたねー?)所蔵の『編年文書』、そして
内閣文庫所蔵の『古今消息集』に収録されています。
文言も軍記や小説のほうが威勢がいいようです。


●山城守の官と「愛」の前立て

もうひとつ、兼続を考える上で見過ごしにされてきた問題があります。
それは「山城守」という官名をなぜ称しているのか、ということです。
兼続所用と伝えられる「愛」の前立ての意味については「愛染明王」
「愛宕権現」果ては「愛民」という説が唱えられてきました。
しかし、なぜ山城守なのか、という検討することはされてこなかったよ
うに思います。
直江一族は兼続の義父にあたる神五郎実綱(のち景綱)が大和守という
官を称しています。大和、山城はともに歴代の都が置かれた場所で、や
はり他国とは異なった特別な印象を抱かせます。
また、実綱の通称「神五郎」は神官の出自を連想させます。たとえば、
神官出身の諏訪氏の血をひく武田勝頼は「諏訪神四郎」とも称しました。
さて、直江氏の発祥の地と思われる直江津には「祇園」がのこっていま
す。これは八坂神社のお祭りで、京都八坂神社とも繋がっています。
八坂神社は出雲系(越後にも出雲崎ってありますよね。出雲と越後は密
接につながっているのです)のスサノオを祭っています。
のちに畿内へ移って、ここではじめて貰ったという神領が、京都八坂神
社の縁起に記されています。すなわち、
「山城国愛宕郡八坂郷」
どうでしょうか、この中に兼続の官名と甲冑前立ての文句が入っている
と思います。おそらく、自身を神官直江氏の正統を継ぐ身であることを
示したかったのではないか、とこれはわたしの推測でありますが・・・
そういえば、兼続の息子景明の通称は「平八」ですね。八も入っていま
す。
また、大和守を称した直江実綱ですが、これも奈良県に大和神社という
出雲系の古社があります。八坂神社とも関わりがあるかもしれません。

以上、引越し作業中に考えたたわごとでした。


(4137) 引っ越しました  投稿者:三楽堂  投稿日:01月26日(土)20時01分51秒

本などはまだ半分ぐらいダンボールの中で、これからバラしてきたスチ
ール製の書棚を組みたてなおさなければならず、それまでは片付けが終
らない見とおしです。
昨日まではひと部屋埋め尽くしていたダンボールの山が、今日はどうや
ら大人ひとり座るぐらいのスペースができました。

もう当分、引越しはいいや、と思いました。

関東でも雪になるとか。ここはみぞれですが。


(4136) お宝探訪記  投稿者:三楽堂  投稿日:01月26日(土)20時01分09秒

>あと画像は1回にどれくらい送信していいのでしょうか?(質より量?)

まずどういったものをご紹介するのか、三楽堂宛メールをいただけますか?
その際、画像の点数、形式(jpegかと思いますけど)、大きさ(キロバイト)もお
書き添えいただければと思います。
それと、こちらの勝手で申し訳ないのですが、コンテンツアップまでの時期につい
てはおまかせ願えますか?
コンテンツの本文がなかなか書けない時ってあるものでして。
戦国Xファイルも昨秋、ビジターからいただいたメールをもとにようやく仕上げた
ばかりです。アップは2〜3月中だから、5ヶ月くらいかかってしまった(^^;
お宝探訪のほうはそんなにかからないと思いますけど・・・

言わずもがなですが、「戦国時代」を題材にとったものに限りますよ。


(4135) あ、その本  投稿者:トラマ  投稿日:01月24日(木)23時10分00秒

三楽堂さん、僕もその本読みました。
やっぱ三成のとこに目が行きましたか。
僕も同じこと思ったんですよ。
この前金沢行ったときに駅の本屋で立ち読みしたんで
書こうと思ってたんですが、仕事でバタバタしちゃって
すっかり忘れておりました


(4134) 石田三成愛好家です。  投稿者:石田 治部  投稿日:01月24日(木)18時48分54秒

鈴木眞哉著『天下人史観を疑う』(洋泉社)
読んでみよう、本のサイズやお値段などの情報もおしえていただけませんか?

あと、「戦国お宝探訪記」に投稿したいんですけど、お引越し後のほうが
よろしいかとおもうのですがいかがでしょうか?
あと画像は1回にどれくらい送信していいのでしょうか?(質より量?)


(4133) 三成  投稿者:よーぜん  投稿日:01月24日(木)11時10分58秒

三楽堂さん、こんにちは。

鈴木眞哉氏の三成評、すごいですね。
「彼の構想力、企画力、組織力が、家康よりもはるかにすぐれて
いたことは否定できないであろう」
小和田さんも、ここまで言ってないですね(笑)。
ここまでほめちゃうと、私など、「ほんと?」と疑いたくなっ
ちゃうんですが、三成はこれまで過少すぎる評価しか与えられ
なかったので、ここまで高く評価していることに拍手を送りたいです。


(4132) 戦国本・新刊情報  投稿者:三楽堂  投稿日:01月23日(水)22時24分16秒

『織田信長合戦全録』谷口克広/著、中公新書
『秀吉と家康』小和田哲男/著、主婦と生活社
『争乱の地域史―西遠江を中心に―』小和田哲男/著、清文堂出版
『時慶記(天正15年19年文禄2年)』西洞院時慶/著、臨川書店
『中世公家の家と女性』後藤みち子/著、吉川弘文館
『中世日本の外交と禅宗』伊藤幸司/著、吉川弘文館
『松永弾正』(上・下)戸部新十郎/著、中公文庫

戦国モノではないんですが、来月、岩波新書から佐藤賢一氏による『ダ
ルタニヤンの生涯』が出るそうで、こちらも楽しみにしています。

今読んでいるのが、鈴木眞哉著『天下人史観を疑う』(洋泉社)ですが、
三好長慶を「天下人」として扱っています。長慶は織田―豊臣路線とは
はずれてしまっているため、天下人と見なされなくなった不幸な存在だ
とのこと。
また、鈴木氏の石田三成評は高く、「彼ら(伊達政宗、黒田如水)につ
いては、石田三成などよりずっと器量が大きかったといいたがる人がい
るが、自らの手で風雲を呼び起こす気概をもっていた三成のほうが数等
上である」「三成の立場に居たのが家康であったら、三成に対抗してや
ろうということすら考えず、ひたすら平身低頭しているだけであったに
違いない。これは悪口ではなく、家康と信長、あるいは秀吉との関係を
見れば、すぐにわかることである」「関ヶ原の戦いは、両者まったく対
等の勝負となり、どちらが勝ってもおかしくないところまで行ってしま
った。(中略)とすれば、彼の構想力、企画力、組織力が、家康よりも
はるかにすぐれていたことは否定できないであろう」


(4131) Re:直江状  投稿者:三楽堂  投稿日:01月22日(火)22時29分13秒

米国素浪人さん。あくまで小説の直江兼続は作者の創作したヒーローで
すので、史実に照らして疑問に思われるところが多々あります。
30万石領した(実際は5万か6万石)とか、御館の乱の時に景勝派の
中心として仕切ったとか、胸がすくような直江状とかもそうですけど、
いずれも同時代史料や良質の文献で裏づけされることではありません。
しかし、小説家はそういうことも承知の上で(あるいは知らずして)読
者にアピールできる兼続像を創造しているわけです。

さて、直江状ですが宮本義巳氏は、不自然な体言止めとか、相手の呼称
とか、書札礼(protocolのようなものです)に反している部分とかに言
及し、偽書と説かれています。
もちろん兼続自筆書状や右筆の書状、それらの写しも今のところ見つか
っていません。「古今消息集」という手紙を集めた文献の中に紹介され
ているもので、たしか内閣文庫が所蔵していると思いました。その「古
今消息集」にしてからが、この直江状をいったいどこから引っ張り出し
てきたのか典拠を明かにしていません。

ただ、直江状に相当する書状(内容はもっと穏やかだったでしょう)に
ついては実際、兼続がしたためたと考えられるそうです。家康側の詰問
に対して上杉からの返簡のことを指しているのでしょう。

ついでに「四季農戒書」についても触れますが、あの本の中には、女た
ちは赤い下履きだかをつけて時々チラチラ見せろ、とか書いてあります。
わたしにはどうしても謹直なイメージのある兼続がそのようなことを書
くとは思えないのです。

まあ、引越しが落ちつきましたらこの件に関してはもう一度書き込みい
たしますので、しばらくお待ちを。


(4130) いらっしゃいませ  投稿者:三楽堂  投稿日:01月22日(火)22時28分41秒

勝家派筆頭さん。戦国群像&小田原評定へようこそ。
むかし、この評定にも勝家の熱烈なファンの方がいらっしゃったんです
がねー。年賀状は来てもネットにはトンといらっしゃいません。

柴田勝家の扱い、だんだんよくなってきたんじゃないでしょうか。
利家が浪々中、面倒をみてくれたのは柴田勝家と森可成と書き残してま
すが、勝家もドラマで差し入れしてましたね。

そういえば、福井へ行った時に柴田勝家のご当地本(小説ですけど)を
買って来たんですが、読まずに積んだままだった。


(4129) 直江状  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月22日(火)18時14分55秒

掲示に直江状のことが書かれていますが、私は「景勝と兼続」は『密謀』と『北の王国』しか
読んだことがありませんので、ここからの判断でしかありませんが、『直江状』はさぞかし
痛快な書状であったのだろうなと想像しています。三楽堂さんの掲示に、宮本義己氏がきちんと
分析しているとありますが、上記の時代小説に書かれたような事と同じような内容なのでしょう
か。歴史的に分析された内容も知りたいのですが、ちょっとこちらではその様な本は入手出来ま
せんので、簡単にお教えて戴ければ幸甚です。


(4128) 利家とまつについて  投稿者:勝家派筆頭  投稿日:01月22日(火)17時05分44秒

 はじめまして。はじめて投稿します。松平さんの柴田勝家カッコイイのはいいの
ですが、もうチョイ見せ場出して欲しいスッよネ。十阿弥を斬った後つめよる信長
の前に出て「お待ち下され!」って感じでね。今回の配役、特に反町さんの信長い
いですね。今後の展開期待します。


(4127) 闘将直江兼続  投稿者:三楽堂  投稿日:01月22日(火)07時39分24秒

下総介さん、こんにちは。
引越し先は現在地点からひと駅ズレるだけです(笑)。いや、近くでもたいへんで
す、引越しというやつは。大名たちの転封もたいへんだったと思いますよ。
会津から米沢へ移された上杉なんか、引越しというよりも4部屋おさえてた部室を
1部屋に縮小させられてしまったようなものですからね。
下総介さんはHNから拝察するに千葉方面でしょうか?

おたずねの件、歴史読本「闘将直江兼続」です。四季農戒書についてはサラリと書
いてあるだけですが「国書総目録」で見たところ、成立が「天正17年?」となっ
ています。直江兼続本人か、もしくは本多政重の筆になるものであれば、このよう
な年代は出てこないと思います。やはり、後世の作為を感じますね。

直江状については、ご指摘のとおり宮本義巳氏でした。直江状をこれほどきちんと
分析している論文はあまりないと思います。もちろん同じ歴史読本に掲載されてい
ます。入手できたとの由、よかったですね!
前に編集者の方に会って話した際、「もう闘将直江兼続とか闘将大谷刑部のような
個人の武将にスポットをあてた特集はやらないのですか?」との問いに、「いやー、
あの直江と大谷の特集は冒険だったんですよ」という答え。
毎号ごとに売れ行きがチェックされるそうですから、企画は出ても上まで通らない。
つくり手にはつくり手の苦労があるようです。

歴代古案も第5で完結(当初4までだったのですが)するようで、最終巻が待ち遠
しいです。


(4126) 情報ありがとうございます  投稿者:下総介  投稿日:01月22日(火)04時00分50秒

三楽堂さん、いつもながら早速のご回答ありがとうございます。
そうですか、引越し直前だったのですね(^_^;)
お引越し先はどこなのでしょう。関東ですか?
#って、プライベートな内容ですので必ずしもお答えは期待してお
#りませんが。

『四季農戒書』のネタは歴読の特集でしたか。残念、それは持って
ない・・けど、ネットの古書店検索でヒットしたので注文しました。
直江状の方も歴読なのですね。歴読によく寄稿されてる宮本なんと
か氏と言えば、宮本義巳氏でしょうか。こちらも注文した号「闘将
直江兼続」なのでしょうか。いずれにせよ届くのが楽しみです。
情報ありがとうございました。

そうそう、あまり脈略がないですが、『歴代古案』の第4巻が届き
ました。届いたからってすぐ整理したりするわけでもないのですが(^_^;)
『戦国のコミュニケーション』はまだ届きません。こちらも楽しみ
です。


(4125) 海音寺氏幻の作品  投稿者:三楽堂  投稿日:01月21日(月)20時07分04秒

残念ながら島津義弘ではありません。
『戦袍日記』という78枚の小説のようです。

http://www.minaminippon.co.jp/2000picup/2001/09/picup_20010919_1.htm

ただ、ほんとに島津義弘を書こうとしていたのであれば、創作メモなどはどこかに
残っているかもしれませんね。


(4124) Re:横綱の地位の明文化  投稿者:三楽堂  投稿日:01月21日(月)20時02分46秒

KUBOさん、米国素浪人さん、あつい議論お疲れさまでした。
そして、ありがとうございます。

小田原評定5年間の歴史の中でもまれにみるスマートな論議だったと思
います。
横綱の歴史を探究された報告に接するたびに、相撲をみる楽しみもまた
増えた気がいたします。

しかも、太平洋を隔ててたんですものねー。


(4123) 横綱の地位の明文化  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月21日(月)19時13分36秒

KUBO様

ご返事を有難うご座居ました。

横綱の地位の明文化もさること乍ら、相撲の話しが出来たことに嬉しく思っております。
特に、現在の相撲だけで無く、明治、大正、昭和(戦争前)の相撲の話しが出来る事は
余程相撲が好きな方でないと出来ませんので、嬉しい限りです。
その時代の相撲の歴史を読むと、今の相撲が如何につまらなくなって来たかが判ります。
又、この場を借りて、相撲の話しをお聞かせ下さい。宜しくお願いします。


(4122) 海音寺の未発表小説発見  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月21日(月)18時57分56秒

三楽堂さま

海音寺潮五郎氏のことばかりで申し訳けありません。

昨年の9月19日の『南日本新聞』に『海音寺潮五郎の未発表小説発見』
「大口市出身の歴史小説家、海音寺潮五郎(1901ー77)の未発表小説が
東京世田谷の海音寺潮五郎記念会館で見つかり、生誕100年を記念して
11月3日から大口文化会館で遺品展が公開される」

この記事を偶然見つけました。残念乍ら、未発表小説の内容までは記事として
書かれていません。あるいはという期待感があるのですが、三楽堂様の方で、
これに関して何か情報はご座居ませんでしょうか。
もしや『島津義弘公』に関する、、、と、思ったりもしています。


(4121) 横綱の地位の明文化  投稿者:KUBO  投稿日:01月21日(月)18時46分40秒

>米国素浪人さん
 丁度、いま初場所が盛り上がっているところですね。しばらく実家に戻っていたの
で久しぶりに相撲を見たら、すっかり顔ぶれが変わっていて、顔と名前が一致する関
取は数名しかいませんでした(^^;)
 さて横綱の地位の明文化の件ですが、そういえば歴史読本で横綱について特集した
号があったなと思い探してみたら、ありました(^^) 『歴史読本 1993年2月号 特集
大相撲 横綱63代』という号が...
 それを見てみますと、巻頭の特集評論「横綱の意味と起源」(窪寺紘一)の中で、
「明治四十二年の両国国技館の開館に先立って、東京大角力協会(日本相撲協会の前
身)は、横綱が大関とともに地位であることを明文化した。」とあり、さらに「昭和
二十六年に吉田司家から横綱の免許権が委譲された際に、協会は横綱を大関の上の最
高であることを再確認している。」とありました。また同号に載っていた「早わかり!
大相撲の歴史」(小池謙一)の中でも「横綱が最高地位としての明文化は、明治四十二
年二月からである。」とありましたので、横綱が地位として明文化されたのは明治四
十二年のようです。
 大変お騒がせしました<(_ _)>


(4120) 利家とまつ(第3回「出仕停止」)  投稿者:三楽堂  投稿日:01月20日(日)21時21分23秒

反町信長、おまつ菜々子を愛の?ムチ打ち。背中に板を入れてあるので
痛くはないそうですが、これで十阿弥事件も一件落着ですか。
今回はお市の方、吉乃、今川義元らが初登場でございました。義元には
かっちょよく死んでいって欲しいと願います。
でも、あの白鷺ですが、できれば信長が拝殿に必勝祈願をしている時か、
全軍エイエイオー!と声をはりあげた瞬間に飛ばせたほうがよかったの
ではないか、と思いました。
あれでは、利家の命危うし!という時に現れたのであって、かえって信
長の命令(意思はともかく)が天意に反しているととられかねません。
ともあれ、的場浩司の白鷺とりの扮装がいちばん似合ってました。

あ、そういえば、信長。「湯漬けを持て」と「敦盛の舞い」というこれ
までのお約束もすっ飛ばしてましたね。

ところで、本編よりもラストの「紀行」で前田慶次郎が熱田社に寄進し
た太刀というのが紹介されましたね。以前、熱田神宮を訪れた際には、
真柄十郎左衛門の大野太刀は展示されていたのですが、慶次郎のものは
見当たりませんでした。


・・・印象にのこったセリフ

村井長頼「みんな、バカばっかですからー!」


(4119) Xファイルが本に!?  投稿者:三楽堂  投稿日:01月20日(日)21時20分02秒

米国素浪人さん、Xファイルをお知り合いの方にすすめてくださった由。
ありがとうございます。
Xファイルは本にはなっていません。いずれXファイルのネタにしよう
と思っていたものが歴史読本などの雑誌に記事として発表されたものは
ありますが。


(4118) いらっしゃいませ。  投稿者:三楽堂  投稿日:01月20日(日)21時19分44秒

上杉景勝さん、戦国群像&小田原評定へようこそ。
当コーナー城代の三楽堂と申します。
上杉ネタはもちろんのこと、戦国時代全般よろずお喋りどころです。
以後宜しくお願いいたします。


(4117) ご挨拶  投稿者:上杉景勝  投稿日:01月20日(日)20時22分39秒

上杉景勝でございます。
こちらにも出入りさせていただきたくご挨拶に参上いたしました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。


(4116) 戦国Xファイル  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月20日(日)18時55分28秒

三楽堂様

御忙しいところ済みません。返事は時間のあった時で結構です。
日本の友人から連絡があり、以前に『戦国Xファイル』を観るように薦めたものですから、
これは『本』になっていないのかとの問い合わせがありました。
コンピュターをゆっくりオープンする時間が無く、本であればどこでも自由に観れるから
とのことです。急ぎませんが、本になっていればお知らせ下さい。宜しくどうぞ。


(4115) 立花からみの・・・  投稿者:トラマ  投稿日:01月20日(日)15時55分59秒

>この作品でわたしは戸次道雪・高橋紹運・立花宗茂の3人を知り関心を持ちました。

あの3人はいいですね、私も好きです。
つうか道雪の気の強い娘に実は興味があったりする(^^;)

あ、石田さん、えっと太閤立志伝は一番新しいやつです。
道場で師範に、あるいは利家などの同僚にボコボコにされております(^^;)
ただ単にヘタクソなだけなんですが(笑)


(4114) おかまいなく  投稿者:三楽堂  投稿日:01月20日(日)09時18分43秒

>引っ越しの最中でいらっしゃるのですか。

今度の週末なのですが、平日は遅番の仕事つづきで片付けができそうもないので、
前倒しに作業していたところです。
『武将列伝』は文春文庫だったと思います。古代から中世、近世にいたるまで、と
いっても戦国時代が圧倒的ですが、いろんな武将の評伝で構成されています。
残念ながら上杉謙信と直江兼続は入っていません。
また、「名将列伝」となっていないように、必ずしもすぐれた人ばかりではないと
ころが面白いと思います。
この作品でわたしは戸次道雪・高橋紹運・立花宗茂の3人を知り関心を持ちました。


(4113) 海音寺潮五郎  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月20日(日)06時02分01秒

三楽堂さま

引っ越しの最中でいらっしゃるのですか。済みません、この様な忙しい時に煩わせまして。

おっしゃる通り、私もその様に考えました。毎日義弘公の横を通って行くのですから、その
時分から将来の物書きを目指しているとしたら、あるいは結果として物書きになったとして
も、義弘公のことが脳裏から離れなかったことはなかったと思います。

彼の集大成の作品として、志半ばで筆が折れたものと勝手に解釈していますが、海音寺氏の
義弘公に対する思いを聞けなかったことが残念です。海音寺氏は大正8年に旧制加治木中学
を卒業していますので、この頃は現在よりもっと生々しく話しを聞いている筈です。
又、お薦めの『武将列伝』は、何とかして読んでみたいと思っております。

KUBO様

前回の私の投稿した『横綱の明文化』の件ですが、真相は如何なものでしょうか。
やはり昭和26年に、『横綱が大関よりも地位が上』と明文化された方が正しいのでしょうか。
只、この年に『吉田司家』の横綱免許の実権を相撲協会に移されておりますので、この部分に
引っかかっているのです。正式には26年が正しいのかも知れませんが、一度相撲協会に問い
合わせ聞いてみようと思います。何かまた異論があればお教え下さい。


(4112) 四季農戒書  投稿者:三楽堂  投稿日:01月19日(土)23時40分23秒

下総介さん、こんにちは。
前のわたしのメッセージにあるような理由で、資料すべてダンボールの中に封印さ
れてしまいました。(昨夜だったら確認できたのだけれど・・・)
来月あたまには少しずつ復旧させたいと思っています。
そういうわけで、曖昧な記憶で辿らせていただきます。

『四季農戒書』は歴史読本の特集「闘将直江兼続」の中で書かれていたと思います。
号数はすみません、わかりません。4年ほど前ですかねえ。
他の本(米沢信用金庫の『直江兼続伝』だったかな?)でも後世になって兼続に仮
託して書かれたものと記されているのを目にしました。
『正伝直江兼続』もダンボールの中ですが、本多正重云々とありましたねえ。ただ
それとても筆者の推論の域を出ないものだと思います。
史学界での扱いはといいますと、はっきり言って「直江状」同様、真正面から論じ
られていないというのが現状かと思います。
「直江状」についての否定的な記事については具体的にどれとは確証をもって言え
ませんが、おそらく「歴史読本」の宮本ナントカ氏(下の名前が出てこない)が直
江状の真偽について述べていた記事を指しているのではないか、と思いますが・・・
たしか文中の言葉の言い回しから偽文書説を展開していたと記憶してます。

四季農戒書ならびに直江状に関しては、後日(ダンボール開封後)、わたしなりに
まとめて書き込みたいと思います。

ああ、活字欠乏症になりそうだ、この一周間がつらい・・・


(4111) 海音寺作品  投稿者:三楽堂  投稿日:01月19日(土)23時07分15秒

「島津騒動」という短編があるきりで、あるいはタイトルに「島津」などの文字が
入っていないのかもしれませんが見当たりません。
「武将列伝」(全6巻、名作!読むべし!)でも九州の戦国大名は大友宗麟と立花
一族が入っているきりですし。立花宗茂はほかに小説も書いていて、先日文庫で出
た海音寺作品短編集に収録されています。

もしかして、あまりに島津義弘を身近に感じていて、海音寺氏としては軽々しく小
説にできなかったのでは? 機が熟するのを待っていてその願いがかなわなかった、とか?
米国素浪人さんがおっしゃっていた「徳重神社まで30キロを夜通し歩いて参る行
事」については『街道をゆく』のTVタイアップ本に紹介されていました。
関ヶ原退却路をゆくほうは、鹿児島県内の学校の修学旅行とかで歴史雑誌に紹介さ
れたのを読んだ記憶があります。
『島津奔る』で豊久が最期を遂げるシーンは泣けますね。

わが家は今やダンボール城と化しています。まるで直江兼続考案の万年塔にも見え
ます。
結構いらない本とか棄てたり寄贈して減らしたのに、出てくるわ出てくるわ。
ついに引越し業者が用意したダンボールのうち書籍用に割り当てた10箱を使いき
り、近所のスーパーからも調達。本も多いけど、図書館等でコピーした資料の多さ
もばかにならない。明日は書棚を解体しなければ・・・


(4110) 兼続と文書について  投稿者:下総介  投稿日:01月19日(土)22時48分55秒

三楽堂さん、お久しぶりです。昨年の暮れから覗かせていただいて
いる下総介です。

>「四季農戒書」は兼続の作ではなく江戸中期の頃のものであるこ
>とは歴史雑誌にも載ってることですから。

あ、これ興味あります。どの雑誌の何号に掲載されてるのかって分
かりますか?で、その記事では「四季農戒書」と兼続との関係も否
定されてるのでしょうか?また、それは史学の世界で既に通説とな
りつつあることなのでしょうか?(質問ばっかりですが・・)

渡邊三省氏の『正伝 直江兼続』などでは、「四季農戒書」と兼続と
の関係までは否定したくないようなことが書かれてますよね。兼続
が折にふれ口述したものを婿養子の本多政重が筆録したものであろ
うとか。
ちょっと話は変わりますけど、『正伝 直江兼続』では直江状の偽
文書説のところで「某誌の該当記事の筆者の説には同調し難い部分
が幾つかある。」なんて書かれてたりもしますけど、この「某誌」
ってのもなんだか気になってます(^_^;)。


(4109) 島津奔る  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月19日(土)10時55分25秒

三楽堂様

仰せの通りです。池宮彰一郎さんの書いた『島津奔る』です。
小説ですので面白く書いているとは思いますが、史実としても残っている訳ですから、実際はもっと
過酷で難儀な事だったかも知れません。

海音寺潮五郎氏が『義弘公』に関して、書かない筈はないと思っているのです。それが本になって
おれば是非とも読みたいと思っており、何かそれに関する題名をご存じならとお尋ねした次第です。

城壁と白い土塀に囲まれた敷地に、義弘公を奉る神社は隣り合っていますので、海音寺先輩が何かを
感じなかった筈はないと思っているのです。島津の退却についても必ず聞かされているでしょうし、
彼の生涯に於いて最高の題材であった筈です。(これは私の思い入れでしょうか?)

義弘公の命日には、伊集院の徳重神社まで30キロを夜通し歩いて参る行事もまだやっているのでは
ないかと思います。『島津奔る』の中の朝鮮征伐の箇所で、『石蔓子(シーマンズ)』と恐れられた
この呼び方に島津の強さを感じました。そして、涙をこぼしながら読んだ部分も多々ありました。



(4108) Re:島津奔る  投稿者:三楽堂  投稿日:01月19日(土)09時40分45秒

いよいよ「転封」が迫ってまいりました。カウントダウン。書籍を箱詰めしたダン
ボールのために寝るスペースもやっとという状況。
この土日も作業の追い込みです。

エート、「デーモン発言」以来、あっちゃこっちゃの掲示板で賑やかしになってし
まいましたが、わたしの中では人のものを読む際には、やはり「守備範囲」という
ものを選択のひとつにしているんですよ。たとえば戦国時代ならこの人、中世ヨー
ロッパならこの人、もっとこまかく直江兼続ならばこの人(複数いますけどね)と
いう具合ですね。人間そんなに時間を持ち合わせていませんから、司馬遼太郎ばり
に超人的な活動をしないかぎり(やったとしても常人では困難)おいそれと本を書
くほど「考えが熟成できない」と思うんです。それをあとからあとからパッパッと
出しているのを見ていると、どれほど深く掘り下げて下ごしらえしているのか怪し
くなっちゃうんですよ。
『北の王国』は冒頭の景勝絶叫シーンを見てもう読む気がしなくなってしまうし、
ラストに出てくる「四季農戒書」は兼続の作ではなく江戸中期の頃のものであるこ
とは歴史雑誌にも載ってることですから。
史実の場合は選り好みできませんが、創作だからこそ個人の好き嫌いはゆるしてほ
しいと思います。

さて、米国素浪人さんの『島津奔る』ですが、これは池宮彰一郎さんの小説をとり
よせたということでしょうか?
池宮氏は、好きな「現役の」作家の3人のうちのひとりです。

加治木の学生は今も関ヶ原退却のルートを遠足で辿ったりするそうですよ。
司馬遼太郎の『街道をゆく』が先年映像化されましたが、「肥薩のみち」の回でも
義弘をまつる神社か何かが出てきたように記憶しています。
海音寺潮五郎の『島津義弘』のほうはわかりません。実際に上梓されたのでしょうか?

「只、逃げただけでしょう」の南條範夫・デーモン冬二の対談は歴史読本の「闘将大
谷刑部」の中に収録されています。対談中、南條氏はしきりに島津退き口が世上もて
はやされることの不思議について述べていますが、デーモンはこれに「ただ逃げてい
っただけでしょう?」と追従しているだけです。本当に彼がそう思っているのならば、
いいのですが、いつかどこかで「島津軍の退却戦はみごとな情勢判断だった」などと
書きそうで、彼のために心配しています(笑)。

ちなみにデーモン氏の上杉謙信評は激辛です。手許に歴史読本「立体構成上杉謙信」
がありまして、これは「天と地と」大河ドラマ化時の雑誌なんですが、デーモン氏は
この中で「越の毘沙門天」という短編小説(?)を書いています。

>好きなキャラが史実(通説)以上に悪く描かれたときかな

・・・という方は多いでしょうから、お読みにならないことをおすすめします。


(4107) 島津奔る  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月19日(土)09時05分31秒

文中一箇所、「義弘」と書くべきところを「義久」と書いてしまいました。
訂正させて下さい。済みません。


(4106) 島津奔る  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月19日(土)08時57分51秒

三楽堂様

以前この掲示版で『島津奔る』について、謀作家が『只、逃げただけでしょう』と語っていたと
書かれておられましたので、気になり至急日本から本を取り寄せ読みました。前から『島津』の
関ヶ原からの脱出に関して書かれた本があるとは知っていましたが、そのままになっていたのを
三楽堂様の掲示版で再び思い出しました。

『島津義久公』は隠居してから、加治木に小さな城を構え、その城に奥方と住んでいました。
この城跡は今でも残っており、この城跡に義久公を奉る神社と、県立加治木高校があります。
城壁は今でもきれいに残っており、謀女性作家が日本の高校の中で、このような奇麗な城跡
にある高校はここだけだと感嘆していたとのことです。それは本の中にも書いてあります。

そして、この高校が『加治木中学』と戦前の旧制にあった時の卒業生に『海音寺潮五郎』が
います。海音寺潮五郎氏は毎日、義弘公の神社の横を通り教室に入っている筈です。
その海音寺氏が加治木高校の正門に刻んだ碑に『私の人間美学はここで形成された。当時の
校風が男はいかにあるべきかを私に教えた。私はその美学に従って生き、その美学を文学化
しつずけて今年七十四という歳になった。昭和五十年三月 海音寺潮五郎』があります。

話が脱線しましたが、この加治木や隣の蒲生、帖佐の郷士は、義久公の為に『奔って』いる
のです。その子孫がクラスの中にはごろごろしていました。勿論、海音寺氏の時代はもっと
強烈にこの話しを聞いている筈です。

そこで、『逃げ出した』という話しは一度も聞いたことがありません。『ただ、殿のために』
とだけしか聞いたことがありません。『逃げ出した』とでも言うものなら、謀作家も薩摩から
は二度と生きては帰れないでしょう。(冗談ですが、半分はマジメ、、、)

おそらく、海音寺氏は学生の頃に何時かは『義弘公』のことを書こうと思った筈です。
恥ずかしながら、私はそれがどの本か知らないのです。もしそれを知っていらっしゃる
なら教えて戴ければ幸甚にございます。

又、この旧制加治木中学の校風は、アメリカ『日系二世』の『伊丹明』にも受け継がれ、
『東京裁判』の通訳モニターとして裁判に臨み、絞首刑者7人を出したことに抗議し、
ピストル自殺した伊丹氏にも現われています。中でも民間人の元首相『広田弘毅』の
絞首刑に心を痛めたそうです。

長くなりましたが、結論として『逃げ帰った』など絶対にないと信じます。
それは、逃げることが薩摩では一番『卑怯者』とされているからです。





(4105) 『真・三國無双2』  投稿者:石田 治部。  投稿日:01月19日(土)00時45分38秒

おもしろいですよね、あれ。私も実家に帰ると山城と夜を徹してやりました。
>大将が率先して敵と渡り合っちゃうなんて・・・
豪傑はまだしも、諸葛亮が突っ込んでくのはどうかと、それもあの扇子が
武器ですし。「まぁ、楽しくゲームしてる」という事でお許しください。
よーぜんさんもやってみたらどうですか?いいストレス解消になるかも。
(本当はゲームとはいえ、人をバシュバシュ切って爽快になるのは良くない
と思います。現実とゲームの違いもしっかり教えるのも大人の大事な
役目ですね。)

しかし、よーぜんさんに次男がいたとは・・・・。よーぜんさんは
若くみえるのでイメージができない。


(4104) 補正案  投稿者:るぼと  投稿日:01月19日(土)00時28分22秒

なにかにかこつけて、2010年頃に英国における日本年を英国に
開催してもらい、BBSにBBSスペシャルってことで制作していただく、
というのはどうでしょう。(なんて他力本願な(滝汗))
ばりばりにカタイ番組をスマートに創ってくれそうな期待が
持てそうな気がするのですけど。
NHKにはそれを輸入してもらうか、NHKエンタープライズあたりが協力
して、見返りに日本語版も同時に作らせてもらうとか、、、



妄想モードで突っ走ってしまい失礼しました。
でも、みてみたい!


(4103) よーぜんさんとトラマさんへ。  投稿者:石田 治部。  投稿日:01月19日(土)00時27分27秒

>このところ、お名前を拝見しませんが、お元気でしょうか。
って、よーぜんさん、ここのことですか?それともよーぜんさんの所ですか?
ここならいつもかいて・・、ないじゃん!約1週間ぶりだ、
ただお相撲のお話で盛り上がってるのに邪魔しても悪いのでしずかに
してました。
よーぜんさんのところはうちの山城のレポートが今週末までに仕上げる
とのことなので(まだ届いてないのでたぶん未完成)それを待ってから
書き込ませていただきます。(近々大坂城にも行くみたいなんでそちらも
報告させますね。)

>好きなキャラが史実(通説)以上に悪く描かれたときかな
これ頭に来ますよね、うかがってませんでしたのでよろしければ、
トラマさんのお好きな方をおしえていただけますか?
あと太閤立志伝は何作目を買われました?(このへんだけ奉行)


(4102) いかがもなにも  投稿者:るぼと  投稿日:01月18日(金)21時51分31秒

『宇宙』『生命』『日本人』と順を追って来ているのですから、
もはや必然でしょう!

客寄せでBSハイビジョン放映になったりすると哀しいですが。



ってゆうか、戦国時代にたどりつくまで生きちゃいないかも。
そっちのほうが問題だ。
(生きちゃいないのは、私かもしれないし、NHKかもしれませんが(笑))


(4101) 大河のツッコミ  投稿者:トラマ  投稿日:01月18日(金)19時57分43秒

なんかしょうもないところでツッコミが入ってるみたいですが・・・
今のところは史実の範囲内でのストーリー展開なんと違います?
私が激怒するような展開は史実を明らかに逸脱した展開になったときと
好きなキャラが史実(通説)以上に悪く描かれたときかな(笑)
景勝と直江が原作とどれくらい違いが出てくるか
話がそこまで行ったら見てみたいとは思います。
さーて今日買ってきた太閤立志伝でもやるべ(笑)


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