小田原評定・バックナンバー

過去ログ4051番目から4100番目までの記事です。


(4100) NHKスペシャル  投稿者:トラマ  投稿日:01月18日(金)19時52分52秒

いいですねぇ、これ(笑)
もっともデータ集めるのに数年かかるだろうし
その間にも新たな資料が発見される可能性もあるので
12回シリーズでここまでやるのは無理でしょう。
ただ一部は実現可能、というかやったものありません?
安土城とか鉄砲とか(なんかで見た記憶がありますが・・・)


(4099) こんな番組いかがでしょうか?  投稿者:三楽堂  投稿日:01月18日(金)18時07分28秒

NHKスペシャル「戦国時代」(12回シリーズ)

1「プロローグ戦国への序曲」・・・足利幕府の問題点、永享・享徳・応仁の乱、細川政元のクーデタと北条早雲の伊豆進出、早雲の出自
2「一揆の時代」・・・山城国一揆の崩壊、一向一揆の勃興、寺内町の繁栄
3「群雄創世記」・・・北条氏綱の関東進出、大内義興の足利義稙奉戴と上洛、斎藤道三の出自、三好政権
4「鉄砲と十字架」・・・種子島に南蛮船漂着、鉄砲の普及と雑賀・根来衆、宣教師とキリシタン大名
5「戦国大名の領国形成」・・・各地の戦国大名の実態、国人衆から家臣団への統制、武士の生活
6「ドキュメント関東三国志」・・・関東の情勢、武田信玄、北条氏康、上杉謙信、川中島合戦、三雄の死
7「天下布武―信長上洛―」・・・桶狭間、美濃攻略、朝倉義景、浅井長政、楽市楽座
8「信長と安土城」・・・足利義昭と反信長戦線、石山本願寺、安土築城、朝廷と信長、本能寺の変
9「安土桃山文化と周辺の日本」・・・織豊政権の文化・風俗、南蛮文化、天正少年使節、千利休
10「豊臣秀吉の全国統一」・・・本能寺の変から小田原の役、伊達政宗の勃興、奥州仕置、
11「朝鮮出兵と秀吉の死」・・・文禄・慶長の役、謎の降将沙也可、秀吉の死、太閤検地
12「関ヶ原と元和堰武」・・・石田三成、関ヶ原合戦、徳川氏の大名統制と豊臣氏滅亡、近世大名への転身

宇宙とかやってるんだから、あってもいいと思うんだけど。各回90分ぐらいで、
各地の史跡や名宝、最新の研究成果、時にCG、劇中劇もまじえたドキュメンタ
リーなど。あえて難解も厭わずに、歴史バラエティの上をいくものが見たいです。

あ、わたしのいつものホラです。「いつ、やるんですか!?」とメールなど寄越さ
ないように。


(4098) 週刊文春記事  投稿者:三楽堂  投稿日:01月18日(金)16時54分45秒

「秀吉」以後、2回連続で視聴率20%以上とった「利家とまつ」のつっこみ記事
が「週刊文春」に載ってました。

歴史作家はのきなみ「見ていない」とのこと。
火縄銃保存会の方は、「利家の撃ち方では暴発するおそれあり」
食文化研究家の方は、「こんぺいとうが伝わったのは10年以上あと」
歴史研究家の方は、「信長は常識人過ぎるし、ましてや今川、斎藤を倒し上洛をめ
ざすなどと広言したりしない」「女が人前でベラベラ喋りすぎる」

しまいには、S乙女氏でしたか、「大河ドラマを史実にどこまでも忠実にやったら
食事時に放送できませんよ。服はボロボロで、みんなシラミやノミがたかってるか
ら」ですと(笑)
記者は「たしかに松島菜々子がポリポリからだを掻いてるシーンはみたくない」で
すと。

まつの12歳に対してのつっこみもやっぱりありました。

まあ、毎年のようにこういう記事は出てくるんですが、時代劇や歴史ドラマ自体が
なくなってしまうのはさびしいですからね。
アメリカではホントかウソかわかりませんが、西部劇をめぐって以下のような会話
がされているそうです。

子「パパ、この馬、飛ばないの?」
父「飛ばないさ、これに乗って走って行くんだよ」
子「じゃあ見ない」


(4097) リンクありがとうございました  投稿者:よーぜん  投稿日:01月18日(金)11時10分14秒

三楽堂さん
こちらではお久しぶりです。
リンクの件、ありがとうございました。素敵な紹介文もつけて
いただいて・・・特に「『よーぜんの部屋』にもお立ちよりくだ
さい」の一文には感謝感激です。
そろそろまじめに更新をしないと・・・と思っているきょうこのごろ。
これからもよろしくおねがいします。

石田治部さん>
このところ、お名前を拝見しませんが、お元気でしょうか。
『真・三國無双2』、以前に治部さんご推薦のゲームでしたよね?
なにを思ったのか、二男(注:又左の弟)が買って来て、今夢中に
なってやっています。
面白いです。いや、私はしないんですけどね。
ですが、大将が率先して敵と渡り合っちゃうなんて・・・ちょっと
シュールです。


(4096) 有難うございます。  投稿者:畠山義綱  投稿日:01月18日(金)00時38分30秒

どうも、こんばんわ。能登畠山史七尾の歴史@畠山義綱です。

この度は、リンク頂き有難うございます!
しかも、「能登畠山氏で単独HPを持つことの凄さに尽きます。」という
嬉しい紹介文までつけてくださり、嬉しく思います。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

ぜひ、戦国Xファイル等で(特に能登畠山で)、協力できる事があれば
協力させてください。それでは。


(4095) 吉田司家  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月17日(木)19時32分49秒

Kubo様

早速のご回答を有難うご座居ました。

私も本屋で『歴代横綱おもしろ史話』を購入して来ました。それは熊本の「吉田司家」と「相撲協会」とが
横綱を明文化したのが昭和26年であるとのご指摘に、相撲協会はこれまで何をしていたのかなと少々疑問に
思ってしまったからです。

本に依ると、最初は鎌倉時代に「五条家」が取り仕切り、「吉田家」はその番頭みたいなことをしていたと。
8代将軍吉宗の時代は、五条家が『相撲の宗家」として免許状などを取り仕切るようになった。
一方、吉田司家も相撲節会時代から『行司職』として十五世の時に肥後藩の細川家に抱えられ、以来熊本に
住むようになった。そして、阿曽ヶ獄の横綱免許の時は、五条家の代行を勤めた。
この後、徐々に相撲界に『司家』として力を蓄えていった。そして吉田家が『相撲の司家』として地位の
確保をしたのは、「谷風」と「小野川」に同時横綱を与えた時(寛政元年)と、11代将軍「家斎」の
上覧相撲の時に行司役をやり、このあたりから権威を天下に示すようになった。
五条家と吉田司家とはいろいろトラブルがあったようで、明治時代の20年代ごろまでの京都、大阪の相撲
には五条家が横綱免許を乱発し、「五条横綱」とか「番外横綱」と呼ばれていた。

そうした吉田司家の権威も、昭和の戦争までで、戦後の昭和26年『千代の山(41代横綱)』以降は
横綱免許の実権は吉田司家(二十五世)の手元を放れ、相撲協会のものとなった。

つまり「昭和26年に相撲協会と吉田司家で横綱を明文化した」、一方は「昭和26年に相撲協会は吉田司家
から横綱免許の実権を剥奪した」との正反対の説になっています。もし、昭和26年に横綱の権威を明文化した
のであれば、これまで相撲協会は何をしていたのかなと疑問に思えます。それ以前に相撲は最盛期を迎え
『不世出の横綱双葉山』も生み出しております。これが明治26年であればすんなり納得が出来るのですが、
どうも昭和26年にこだわってしまいました。私の持っているビデオで、昔の明治時代に映したフィルムの中に、
横綱が熊本まで出向き、吉田司家から横綱の免許を受けているシーンがあります。
只、この『昭和26年』に今だに疑問が拭えませんので書いてみました。


(4094) シャレは江戸文学のエッセンスですからね  投稿者:三楽堂  投稿日:01月16日(水)23時06分23秒

「諸将武勇競」のような摺り物は、江戸時代から明治時代にかけて多くつくられた
ようです。それこそ酒豪番付とか看板娘のランキングなんてのもあります。
資料の性格から、なかなか状態のよいまま残っているケースが少ないそうです。

今もホームページ上で武将のランキングなどが花ざかりですが、「諸将武勇競」を
どんな人々がつくり、どんな人々がそれを手にとって楽しんだのか、非常に興味を
かきたてられるところです。
徳川家康が出せないということは、江戸時代だったために憚られた、明治時代だっ
たため反徳川的風潮から避けられた、といろいろ考えられます。

この「諸将武勇競」は管見では、3枚の現存が明らかになっています。


(4093) RE: 番付表  投稿者:KUBO  投稿日:01月16日(水)18時30分02秒

>米国素浪人さん
 私もたまたま今、実家に帰っていて、むかし買った相撲の本を見たら以下のように
出ていたんです。

「昭和二十六年一月、吉田司家と相撲協会の間で取り交わした覚え書きに「横綱をも
 って大関以上の最高位とし、協会がこれを決定する」とうたって、横綱は完全に地
 位化した。」
 〜『古今大相撲事典』(読売新聞「大相撲」臨時増刊、昭和55年2月発行)所載
  「「横綱」をめぐる問題点」より引用

 私も「常陸山・梅が谷」時代以降は、横綱は次第に地位化していき、双葉山の時代
には実質的に地位化していたと思います。しかし昭和26年以前は相撲協会が横綱にふ
さわしいと認めた力士を吉田司家に推薦し、司家が審査して免許を与えるという勧進
相撲時代からの伝統をまだ引きずっていたのを、それ以降は相撲協会が横綱審議委員
会に諮問して番付編成会議で決定するというように、主導権が完全に相撲協会に移り
吉田司家は故実伝書を渡すだけ(免許状は渡していない)という形になりましたので、
それをもって横綱が完全に地位化したと上記の書で言っているのではないかと思いま
す。
 実質上はすでに地位化していた横綱が、大関の上の地位であると名目上も認められ
たのが昭和26年ということではないかと理解しています。

 ちなみに同書によりますと、十両の名は江戸末期から明治初期、幕下上位の給金が
十両で幕内の候補力士として関取待遇を受けていたことからきたそうで、もともとは
幕下十枚目までの力士のことを言ったそうです。(ですから十両のことを十枚目とい
うこともある。)はっきり幕下と区別して番付に筆太に書かれるようになったのは明
治21年からだそうです。


(4092) 番付け表  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月16日(水)02時34分09秒

三楽堂さま

諸将武勇競番付け表は、正式な相撲の番付け表と違い、だじゃれで創ったものと思われ、
厳格に規則に従い創っているとは思えませんので、割引いて考えるべきだとも思います
が、普通、幕内の下にランクされる「十両」は、江戸時代の金額で「十両」を報酬とし
て受け取ったところから来ていますので、この頃(?)は既に「十両」というランクは
あったののではないかと思います。(只、江戸のどの時期かに依りますが)制作した人
たちが、そのことを知っていれば(既に十両のランクがあれば)、この様な番付け表は
創らなかったかも知れません。但し、一派ヒトカラゲに名前を羅列したとも考えられま
す。何れにしても余興の感じが否めませんが、西側の人達が創ったことは間違いないと
思われます。
それにしても、「徳川家康、上杉景勝」が登場しないのは片手落ち(不適切言葉らしい)
の様な気がします。


(4091) ひとつの考えとして  投稿者:三楽堂  投稿日:01月16日(水)00時16分23秒

前頭の多さを米国素浪人さんが指摘されています。知人に聞いたところ、前頭の下、
十両、幕下、序の口といった位が二段目以降に相当し、スケ前頭(そういう言葉は
現在使われているのかわかりませんが)は十両にするには惜しいと思われるものを
前頭の別格のように扱って、横につけたんじゃないか、と話してくれました。

すなわち、順位的には、

大関・・・・・・武田信玄、上杉謙信
関脇・・・・・・北条氏康、毛利元就
小結・・・・・・島津義弘、前田利家
前頭・・・・・・柴田勝家、加藤清正(ほか16名)
すけ前頭・・・・明智光秀、山上道及

そして、以下の前頭を十両以下扱いとする。こんな感じになります。

それにしても、山上道及が石田三成、直江兼続、本多忠勝、山中鹿助よりも上だな
んて・・・
どういう意図で選ばれたのか興味あります。
前にも書いたように東西で相対しあっている事例が多いので、相方ともいうべき明
智光秀の存在がヒントになるかもしれませんね。

それにしても、米国素浪人さんといい、KUBOさんといい、相撲についてお詳しいん
ですねえ。


(4090) 番付表  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月15日(火)13時35分24秒

Kubo様

初めまして、米国素浪人と申します。

相撲の番付け表に関しまして、私もその件の資料、本が手元にありませんので
はっきりしたことは判りませんが、Kubo様の掲示の中に、「横綱」が「大関」の
上に来ると明文化されたのは『昭和26年のこと』とありますが、どのような
意味での明文化なのでしょうか。
一世を風靡した角聖『双葉山』は、最終場所が終戦の年の昭和20年11月です。
この時分には立派な横綱としての地位は認められています。その後の横綱の
「羽黒山」、双葉山の連勝を阻んだ「安芸ノ海」も、昭和26年以前の横綱です。
この26年以降に明文化されたというところに、引っかかるものがあるのですが。

前回掲示しました様に、戦時中に相撲が行われたのは、「番付け」が存在する
以上、相撲は取らなくてはいけないという協会(?)の主旨で行われたと聞いて
おります。それから鑑みれば、横綱の地位ははるかに早く認定されていたのでは
ないかと思います。又、相撲がスポーツとして認められる様になるのは、明治
42年に旧両国国技館が完成してからで、その間に「梅が谷」「常陸山」
「栃木山」などの『名横綱』を輩出しております。依って、昭和26年までに明文化
されていないのであれば、この時代も大関の方が横綱より地位は上だったのでしょうか。
『横綱双葉山』と言えば、その後の『巨人長島』に匹敵するものであったと聞きます。
そして、私は双葉山の土俵入りのビデオを持っていますが、その中で、
『日下開山、横綱双葉山の堂々たる土俵入り』とはっきりと言明しております。

この「昭和26年の明文化」ということになれば、私の相撲知識も改めなければ
いけないと思いますので、そこのところを細部に渡り御教示戴ければ幸甚に
御坐居ます。何卒宜しくお願い申し上げます。


(4089) 利家とまつ(第2回「笄斬り」)  投稿者:三楽堂  投稿日:01月14日(月)23時33分04秒

十阿弥ですか。怪演というほどでもありませんが、たった1回の登場で
すから、ちょっと利家が殺傷におよぶほど対立関係が際立たないのが難
ですね。
それにしても、まあ、懲りもせずに前に出て行ってベチャベチャしゃべ
るから、わざわざ殺されにいったようなものですね。

引越しの準備をはじめたら、「利家夜話」のコピーが出てきました。か
つて「かかれ柴田」という小説を書いた際の参考資料です。
今回の十阿弥事件のことも記されています。それによると、佐々成政が
十阿弥のバックについていたとあります。
佐々と利家は愛憎なかばするライバルなんですが、まだ佐々の存在が希
薄ですねえ。

利家十九歳の時の事件でした。

・・・印象にのこったセリフ

十阿弥「ワン!」


(4088) まとめレス  投稿者:三楽堂  投稿日:01月14日(月)23時32分35秒

#右衛門尉さん

こちらもいささか辛辣なコメントをのべましたが、要は個人個人で評価
し、判断することが大切かと思います。
それが歴史を楽しむ上でも大切か、と。
ちなみにでーもん氏において、わたしが評価する部分は、上杉鷹山をひ
ろく知らしめたこと。まあ、米大統領が紹介したあとだったかもしれま
せんが。それと、わたしが好きな手法ではありませんが、会社経営、ビ
ジネスシーンに歴史を取り込んで味付けする手腕ですね。
これが多くの方々にアピールしてきたことは見逃せないと思います。


#石田治部さん

>ってまだ募集してますか?募集してるならどうやって送ればよいのですか?

募集してますよ。ただこちらにメールを送ってもらえればいいんですが、
内容によってはご相談にのります。
前5回にヒケをとらないものを期待します!


#米国素浪人さん

「スケ前頭」がわかりません。
スケとは、「助」か「佐」だろうかと思ったのですが・・・
「次官」もスケとよみますしね。
そうなると、前頭の2番目あたりに位置するのでしょうかね。
うーむ、わからん・・・

実は諸将武勇競は過去5回の中で紹介した中で、いちばん反応がなかっ
たものなので、こんなにコメントが寄せられてうれしいです。
諸将武勇競の序列はけっこう遊びごころもあって、東西で相対しあって
いる事例も多いのです。
浪花軍配堂とすみっこに刷られているので、大坂方面で版行されたよう
です。


#畠山義綱さん

『戦国のコミュニケーション』入手されましたか。
なかなか面白いですよね。ケータイ普及の現代からすれば、冗談のよう
なすれ違い。専門書だからと難しく考えずにみなさんも手にとって見る
ことをおすすめいたします。


(4087) はじめて番付に載った横綱は...  投稿者:KUBO  投稿日:01月14日(月)10時57分22秒

>米国素浪人さん、はじめまして。三楽堂さん、ご無沙汰しています。
 元相撲ファンだったもので、つい出てきてしまいました(^^;) (最近は全然見てな
いので力士の顔と名前がほとんど一致しませんけど(^^;))

 表題の件ですが、はじめて番付に載った横綱は、十六人目横綱の初代西ノ海嘉治郎
です。というのも、横綱というのはもともとは地位ではなく、大関の中で横綱土俵入
りすることを免許されたものを指す称号のようなものでした。(文政の頃までは将軍
上覧相撲など特別なことがない限り横綱免許が与えられることはありませんでした。)
 ですが明治23年に横綱となった(番付上は大関)西ノ海が後輩の大関より成績が悪
く、張出大関になることになったので、「横綱を張り出しにするのか」と文句を付け、
協会が西ノ海をなだめるために番付に「横綱」と書いて張り出したいうのが、番付に
「横綱」の文字が載った最初でした。(明治23年5月場所のこと)
 その後、横綱は次第に大関の上位と意識されるようになり、大関の上の地位と明文
化されたのは昭和26年のことでした。
 一応、ご参考までに(^^;)


(4086) 『戦国のコミュニケーション』  投稿者:畠山義綱  投稿日:01月14日(月)01時58分21秒

どうも、こんばんわ。畠山義綱です。
>三楽堂殿
リンクのご承認、また、相互リンクの件。まことに嬉しい限りです。
有難うございます!
三楽堂殿にご推薦頂いた『戦国のコミュニケーション』ですが、図書館では
まだ受け入れ整理がされていないようでしたので、勢い余って購入しちゃい
ました。吉川弘文館にしては、安めの価格でしたし。
 内容ですが、古文書に訳文がつくなどだいぶ親切設計ですね。畠山尚順
(ト山)の慌てている様子などが良くわかりますね。いや〜、大変参考に
なりました。有難うございます。


(4085) すいません。言い過ぎました。  投稿者:右衛門尉  投稿日:01月13日(日)23時09分45秒

>>お抱え儒者林羅山を連想させますね。
>あはは、こっちのほうがもっと辛辣なんじゃないでしょうか!

すいません。少々調子に乗りすぎました。私も「小説 立花宗茂」読んで
まして、小説についてはおもしろいと思っています。

>基本的な事柄もおさえずに、ビジネス現場への啓蒙気分で書いたり喋っ
>たりするのが目にあまる

消費者、読者として非常にありがたい言葉です。ひたすら盲従せずに、
一歩距離を置いて、というのも飛び過ぎですね。
石田治部殿も仰っているように、本当にご丁寧なレス、ありがとうござ
います。


(4084) 戦国お宝探訪記  投稿者:石田 治部  投稿日:01月13日(日)19時26分45秒

ってまだ募集してますか?募集してるならどうやって送ればよいのですか?


(4083) 諸将武勇競番付け  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月13日(日)15時36分08秒

相撲の由来や語源にはいろいろな説があるようで、「横綱」も他にもあるようです。
しかし「番付け」に関して極端な言い方をすれば、相撲のために番付けがあるのではなく、
番付けのために相撲があるといっても過言でないぐらい、番付けは大事なものだったらしいのです。
戦争中、米軍の爆弾が落ちる中、春夏二場所でありましたが本場所はちゃんと催されてたとのことです。
流石に観客は殆どおらず、力士と検査役だけだったらしいのですが。

諸将武勇競番付けを観ますと前頭が多すぎます。私の考えですが、この「スケ前頭」で前頭を区分して
いたのではないかと思われます。日本語の言葉の中で、「スケ」という言葉が何かを区分するような
ものがありますか。例えば「スケ」でなくても「隙」というところから、前後を分けているという様な。
でも「石田三成や直江兼続」がその下に位置されていますので、少々がっかりしています。
おそらく、その時代の同好会のメンバーが作成したのでしょうから、かなり好き嫌いで作成したのかも
知れませんね。でもとても面白い番付けです。


(4082) 「スケ前頭」  投稿者:石田 治部  投稿日:01月13日(日)12時08分59秒

山上道及っていつからそんな大物だったんだろう?
って思ってました。


(4081) こちらこそ  投稿者:三楽堂  投稿日:01月13日(日)11時52分31秒

>ありがとうございます。うれしくて、ついついカキコミしてしまいますよ。

当コーナーをにぎやかしていただき、ありがとうございます。


(4080) ごめんなさい  投稿者:三楽堂  投稿日:01月13日(日)11時51分41秒

明智光秀および山上道及のことですが。
張出横綱ではなく、「スケ前頭」と印刷されているようです。
わたしの持っているバージョンがミスプリと思ったのは、わずかに印刷の痕跡が見
られるためです。ちょうど紙がかさなって白くなってしまったような・・・

スケ前頭?でしょうか、これって、どういう序列になるんでしょうか?

大関(上杉謙信・武田信玄)→関脇(毛利元就・北条氏康)→スケ前頭(明智光秀・山上道及)→前頭?


(4079) Re:諸将武勇競  投稿者:三楽堂  投稿日:01月13日(日)11時39分48秒

米国素浪人さん、たしかに明治の相撲事情にかんがみれば、仰るとおりかもしれま
せん。わたしは、後になって張出横綱がない(ミスプリ?)バージョンを入手して
現在所有していますが、はっきり言って、どういう由来のものか知りたく思ってい
たところです。明治モノかな・・・と思いつつ、やはり江戸時代のものであってく
れれば、そのほうがうれしいです。

山上道及は前田慶次を描いた小説『一夢庵風流記』にも登場します。上州の部将で、
北条氏に仕えたようです。付近に山上城などもあります。
が、横綱とは・・・言えないでしょうね。


(4078) 諸将武勇競  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月13日(日)11時02分58秒

三楽堂さま

東の「張り出し」に『徳川家康』、そして西に『上杉景勝』を期待しました。
明智光秀と山上道及では「張り出し横綱」としては、役不足です。
(私は、山上道及は全く知りません。初めて聞く名前です。勉強不足)
しかし、どうしてこの大物の武将が漏れているのでしょうか。

そして、この番付表は明治時代に創られたものではないと思います。
何故なら、明治時代には初代横綱の「明石志賀之助」がはっきりと初代横綱と認められて
います。しかし、彼の出生地が栃木県宇都宮以外は生年月日、横綱昇進場所、没年月日は
判っていません。明治時代になり最初に横綱になったのは第13代鬼面山谷五郎で、
明治2年3月に横綱に昇進しています。第3代横綱、丸山権太左エ門の横綱昇進が、
寛廷2年8月とされており、この頃は立派な横綱にランクされています。
最早や「見世物の横綱」ではなく、本当に相撲の強い横綱です。
つまり、何を言いたいかと申せば、明治時代の当初ではかなりはっきりと相撲の歴史を
捕えているので、この様な番付けは創らないのではないかと思います。
この理由から推測すれば、やはり相撲がまだ定着していない江戸後期以前のものでは
ないかと思いますが。でも殆ど自信はありません。


(4077) それと。  投稿者:石田 治部  投稿日:01月12日(土)22時17分50秒

それと、御城代におかれましては、いつも早くご丁寧なレス、
ありがとうございます。うれしくて、ついついカキコミしてしまいますよ。


(4076) 記事論文など。  投稿者:石田 治部  投稿日:01月12日(土)22時07分35秒

>ノンフィクションや記事論文
ってあんまり読んでないですよ、↓みたいな事があったとは・・・。
私は小説が主流です。御城代のおっしゃるとおり小説は面白いのが第一ですね、
多少の違いがあっても良い、でも真面目なところではしっかりせねば、
信頼を失う、当たり前ですな。それも、有名なだけに発言力があればなおさら、
気をつけてもらいたいもんです。

それにしても、私の本棚は、「PHP」が占める割合がたかいなぁ・・・。


(4075) 横綱と大関  投稿者:三楽堂  投稿日:01月12日(土)21時44分15秒

米国素浪人さん、くわしいお話、ありがとうございます。
大関が最高位というのは存じていましたが、純粋にランクづけを一般の訪問者が見
た場合、横綱はないけど?という疑問にこたえるためにあのような記述になりまし
た。情報提供者側からの言及にもそのようにありましたので・・・

なお、「諸将武勇競」ですが江戸後期のものと情報提供者は言ってられましたが、
わたしはひょっとしたら明治時代になってからのものではないか、と考えていま
す。

>この番付け表を見ると、横に二人が張り出されていますので、それが横綱ではないかと思います。
>横綱の「横」も、ここから来た呼び名と言われています。

これは面白いですね。横綱の名の由来ですか・・・
張出の2人ですが、一覧に記してありますよ。明智光秀と山上道及です。
しかし、この2人が横綱とも思えないのですが(^^;


(4074) まとめレス  投稿者:三楽堂  投稿日:01月12日(土)21時36分15秒

#畠山義綱さん

リンクの件お知らせいただき、その上、たいそう立派な紹介文まであり
がとうございました。
こちらも次回更新時にリンク完了する予定ですので、もう少しお待ち下
さい。(引越しを控えているんですが、近々にアップしますので)

#右衛門尉さん

>お抱え儒者林羅山を連想させますね。

あはは、こっちのほうがもっと辛辣なんじゃないでしょうか!
なんか、中小企業の社長さんや管理職あたりが読んでそうなイメージが
あります。講演とかも多そうだし、PHPとかにもよく書かれてますしね。

歴史界でも村井章介氏の「大河ドラマあやかり本の刊行」に関する言及
や、雑誌「古文書研究」だったか、「D氏が日本放送出版協会から出し
た本(北条時宗本だったと思います)について書かれた記事があり、ち
ょっと注目を集めたようです。
一例をあげますと・・・
「蒙古襲来絵詞」を描いた竹崎季長のこと。デーモン氏は「竹崎が元寇
を退けたことへの恩賞がないのに怒って、この絵詞を描かせ、鎌倉に乗
り込んだ」といったような言及をしているが、実際は「恩賞を得たのは
神仏の加護であり、子孫への教訓のため」に竹崎が描かせたことが巻末
の文書で残っているのです。
おそらくきちんとした史料にあたらずに、「日本の歴史」か何かを見な
がら前後のストーリーを勝手に組みたてたのでしょう。「人事査定には
信賞必罰云々」などとお得意の一説まで付け加えたかもしれません。読
んでないのでわかりませんが。

「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が重視される傾向があったり
しますから、地道な研究者よりも一般的に知名度が高いデーモンが基本
的な事柄もおさえずに、ビジネス現場への啓蒙気分で書いたり喋ったり
するのが目にあまる――そういった印象を持ちました。

NHKの歴史バラエティ番組で、CMクリエータだかが、山室恭子氏の
『黄金太閤』(中公新書)をネタ本に自説のように喋った一件などは裁
判沙汰にまでなりましたしね。判決がどうなったか知りませんが。
まあ、活字・映像を通じて「にせもの」も横行するから気をつけましょう。


#石田治部さん

この場合、小説はさほど問題ではないと思います。読者が楽しめればい
いのですから。ただ、ノンフィクションや記事論文はやはりまずいと思
います。
しかしながら、前述の村井氏の記事にあるような執筆姿勢ですと、わた
しはその筆者への「信頼」を持てなくなるのです。


(4073) 諸将武勇競  投稿者:米国素浪人  投稿日:01月12日(土)20時25分38秒

三楽堂様

サイトを全て覧ようと頑張っていますが、まだ全部を読み終っていません。
ところで「戦国お宝探訪記」の欄で(2)諸将武勇競の箇所で、少々引っかかってしまいましたので
書いてみました。大したことではありませんので、どうか気になさらないで下さい。

「横綱」が記入されていないとのことですが、この時代の相撲は「大関」が最高位で、「横綱」は
土俵入りをするだけで、全くの「見世物」でした。ですから「横綱」は相撲を取っていません。
依って「番付け表」も大関が最高位にランクされているのです。そして、横綱は「張り出されて」
いました。この番付け表を見ると、横に二人が張り出されていますので、それが横綱ではないかと思います。
横綱の「横」も、ここから来た呼び名と言われています。
この張り出された場所に、どの武将の名前が書いてあるか興味のあるところです。
私の主張が間違っているかも知れませんので、「横綱」の名前の由来と正確な地位のことをお調べになりたければ、
日本相撲協会(03)3623ー5111で教えてくれると思います。
ちょっと余計なことに言及しまして、申し訳けご座いません。お許し下さい。



(4072) でーもん。  投稿者:石田 治部  投稿日:01月12日(土)18時39分29秒

>人それぞれの評価ですから、
と御城代もおっしゃってるので、私も言っちゃいますが、
私はデーモンの小説すきですよ、「石田 三成」とか「小説 立花 宗茂」
とか書いてる人でしょ?

私はどれくらい底の浅い人なのかをしらないので、気にならないです。
御城代の文を読めば、どの程度かは推測がつきますが・・・。


(4071) うっかり・・・。  投稿者:畠山義綱  投稿日:01月12日(土)11時48分47秒

>三楽堂殿
リンクを貼った箇所を掲示するのを失念しておりました。
拙HPの以下の箇所です。確認頂けたらと思います。よろしく
お願い申し上げます。
http://www1.odn.ne.jp/~notohatakeyama/link/link4.html


(4070) リンクを貼らせていただきました。  投稿者:畠山義綱  投稿日:01月12日(土)11時47分01秒

どうも、こんにちは。畠山義綱です。
>三楽堂殿
元旦にリンクを貼るといっておきながら、なかなか更新ができないで
おりましたが、本日リンクを貼らせていただきました。
紹介文などで、何か不適切な表現などありましたら、即刻対処致しま
すので、おっしゃってくださいませ。よろしくお願い申し上げます。

『戦国のコミュニケーション』本日書店にいって探してこようかと
思っております。越中永正の乱に関しては、能登畠山氏も関与しており、
色々参考になると思います。貴重な情報ありがとうございました。

まずは、ご報告まで。


(4069) デーモンとは・・・・  投稿者:右衛門尉  投稿日:01月12日(土)03時24分34秒

三楽堂様

「デーモン冬二?」何者かと思いネットで検索しようとして一人
で苦笑いしてしまいました。
辛辣すぎて一サラリーマンにはコメントできません(笑)。
企業とか官公庁の社内報にチョコチョコ寄稿されているところが
お抱え儒者林羅山を連想させますね。

『島津奔る』島津義弘も地頭衆も本当にかっこよすぎですよね。
島津の退き口、壮絶すぎます。
個人的には最後、中馬大蔵の「さても関ヶ原と申すは・・・」で
目が潤んでしまいました。

↓の新刊ラッシュも少しずつ読ませていただきたいと思います。
マイナー武将がけっこう好きなので楽しみなのありました。
他にもいろいろと情報ありがとうございます。


(4068) 新刊ラッシュ  投稿者:三楽堂  投稿日:01月11日(金)19時17分25秒

文庫化がほとんどですが・・・

『風流武辺』津本陽/著、朝日新聞社文庫
『遁げろ家康』(上・下)池宮彰一郎/著、朝日新聞社文庫
『剣と笛』海音寺潮五郎/著、文春文庫
『青雲士魂録』津本陽/著、文春文庫
『天下人史観を疑う―英雄神話と日本人―』鈴木眞哉/著、洋泉社

※個人的の関心が湧いたのは、最後の本。先日「その時歴史が動いた」で歴史を動
かした15人という人気投票(?)をやってましたが、この本がその前に出ていれ
ば・・・!

ここ数日、「砂の器」にハマってしまってます。今更、というほど有名な清張作品
ですが、きちんと読んだのは今回はじめて。小泉政権の動向によって昨年、ちょっ
と増刷かけられたようですね。小説を読んだ直後、今晩、職場からビデオを借りて
きて観ようと思ってます。


(4067) 本郷  投稿者:三楽堂  投稿日:01月10日(木)23時11分51秒

・・・といっても地名ではありません。歴史専門出版社吉川弘文館が発行する小冊
子のタイトルなんですが、2002年1月号に伊藤正義氏が「城跡の松の木」とい
う記事を寄せられています。氏は以前この掲示板でもご紹介した『城破りの考古学』
の共著者です。伊藤氏は色部長真が上杉執権・直江兼続の権力に屈して、平林城を
破却したこと、城域の松の木を残したこと、龍松丸と名づけた子供を兼続に託して
死んでいったこと、などについて書かれています。
伊藤氏のよれば、城跡に松の木を残すのは、家名を存続させるための呪法であった
と記しています。
3ページほどの短い文章ですが、なかなか面白い記事です。「本郷」はよく書店な
どに無料配布などとして置かれていますので、見かけたらご覧になって見てくださ
い。同誌には時々、面白い記事が載ります。


(4066) 大河  投稿者:桔梗屋  投稿日:01月10日(木)19時50分45秒

 三楽堂様、皆様、こんばんは。ご無沙汰しております。今年も「戦
国 Xファイル」、力作を期待しております。

 で、戦国ものの大河ドラマ、始まりましたね。いろいろ史実からす
れば辻褄が合わない部分もあるのでしょうが、そこはドラマですか
ら、私は大目に見ております。実は配役を聴いた際、あの駄作、緒
方直人の「信長」をイメージしていたものですから、少々不安でし
た。学芸会みたいのは勘弁してくれェ、って。しかし、上々の滑り
出しのような気がします。利家はもとより、信長が思いのほか良かっ
たように思います。また、「11歳の少女?」松嶋さんも、やっぱ綺
麗ですしね。明るい感じで作っているのも、今回は成功しているよ
うに思いました。今後なんですが、ドラマなんですから、おまつと
信長がデキちゃって、利家が本能寺に夜襲をかけるストーリーなん
てのは...。苦情が殺到しますかね、やっぱり。

 では、今年もよろしくお願いします。


(4065) 大河ドラマとわたし  投稿者:三楽堂  投稿日:01月10日(木)00時07分46秒

ちょっとわたしも意見というか、わたしなりの大河ドラマ観を書きます。

わたしも大河ドラマに関しては、というか、テレビ全体に対してそれほ
ど必要性を感じていません。(民放にいたっては週に1つか2つの番組
を見るくらいですから。)テレビ欄を見て率先して見るのはいくつかの
ドキュメンタリーものばかりです。

つまり、わたしを歴史の世界に引き込んでくれたのは、まぎれもなく、
NHKの人形劇や大河ドラマなんですが、それからまがりなりにも自分
の方向性を見据えていくうちに、大河ドラマへの依存性が薄れていった
とでもいいましょうか、かつてシミュレーションゲームもそうだったよ
うに。
今、わたしの心を捉えているのは膨大な文献史料であり、地方を旅する
楽しみでありますから。

昔の大河はよかった――と言う意見もありますが、わたし自身は純粋に
楽しめない年齢になってしまったのかな、と思っています。実際、昔の
大河をビデオとかで見ても格別面白いとも思いません。なつかしさはあ
りますが、評価とは別物です。大河ドラマで重要なのは、大勢の人が見
るという「同時性」が言えるかと思います。
ただ、現在、わたしがサイトを通じていろんな方との話材として、昔の
大河について語る――ということがあるわけです。今も大河ドラマを惰
性のように見つづけているのも、将来どこかで話題にできるかも、とい
うかすかな期待のみなのかもしれません。かつてわたしが毛利妄想年代
記を編集したのも、素晴らしい仲間たちと共有できる時間と話題を持て
たためです。

主人公たちに感情移入したり、史実と比較してあれこれ批判したり、粗
を探したり、いろいろな楽しみ方があっていいと思います。見たくなけ
れば見なくてもいいし。ただ、同じく批判するのであれば、いずれにせ
よドラマを見た上で意見を言ったほうが他の人々も楽しめると思います
し、歴史は好きだけれども大河ドラマは見る気もおこらないほどであれ
ば、その関連の話題には無関心でいるというのもひとつの姿勢かと思い
ます。

NHKは2005年に大河ドラマを廃止も含めて再検討するという発表
をすでにしています。今年の「利家とまつ」そして来年の「武蔵」はそ
のためのバロメータとなるはずです。
大河ドラマにはやはり固定ファンがいますから、完全廃止ではなく、お
そらくはトラマさんのいうような短期間での放送というのも有力な選択
肢であろうと思います。


(4064) ケイン・コスギの可能性  投稿者:三楽堂  投稿日:01月09日(水)22時06分54秒

すでに大河ドラマに出演済み(「琉球の風」)

・・・あまり、説得力なかったですね。

ショー・コスギを宝蔵院か柳生石舟斎の役で父子共演させたらどうでしょう?


(4063) MUSASHI」の主演の推測。  投稿者:石田 山城守の代理の治部  投稿日:01月09日(水)20時27分51秒

「ええなぁ〜みんなでケインを主演にするようにNHKにのりこもうで〜!」
いや〜ケイン好きの山城(我が妹)に「Re:元気ですかー! 」
をメールで送信したら、勝手に期待してしまいました、御城代のせいでは
ないですよ。こまったもんです。でも「剣豪系」や「忍者系」嫌いの
私でもケインなら見たいな。


(4062) 島津奔る  投稿者:三楽堂  投稿日:01月08日(火)21時34分31秒

>島津奔るみたいに1年半待つのかなあ

右衛門尉さん、『島津奔る』もお読みですか?
わたしもこの作品好きなんです。とくに中馬大蔵が他人の甲冑奪って上方へかけつ
けるシーン最高! 島津義弘もかっこよすぎ。
これも単行本借りて読んで、文庫本になった時に買っちゃいました。1年半とは意
外と文庫化までの期間が短かったんですね。

ちなみに南原幹夫とデーモン冬二はこの「島津の退き口」を評価していないそうで
す。いえ、明確に評価しないと言い切っているのは南原幹夫のほうで、これは人そ
れぞれの評価ですから、わたしもとやかく申しません。
問題なのは、デーモン冬二のほうです。
南原幹夫に「あれ(島津の退き口)、どう思います?」と聞かれて、ディーモン冬
二は「ただ逃げていっただけじゃないですか」と答えています。
これも構わない。いま言ったように人それぞれの評価だから。だが、わたしには、
ディーモン冬二がその場で南原の調子にあわせたような気がしてならないのです。
いつかどこかで彼が「島津の退き口」を賞賛するような文章を書くのではないか、
と(笑)。その時こそ、彼の底の浅さを露呈するのではないか、とひそかに期待し
ております。


(4061) Re:元気ですかー!  投稿者:三楽堂  投稿日:01月08日(火)21時16分17秒

「元気ですかー」は無名時代のケイン・コスギの口癖だったそうです。いや、口癖
というよりは、唯一喋れた日本語だったとか。

そこで、またまた三楽堂めのまるで当らない推測。

2003年大河ドラマ「MUSASHI」の主演は、ズバリ、ケイン・コスギだ!?

彼は先頃、藤田まことが出ていた刑事モノで殉職している。これは、大河登板のた
めの準備か、と。
いえ、実は市川新之助は直江兼続にとっておきたいので・・・別の武蔵役を見つけ
てこないことには・・・

巌流島シーン

小次郎「ファイトーォ!」
武蔵「いっぱーつ!」

あ、そういえば、大河ドラマ「利家とまつ」の初回視聴率、ここ10年では「秀吉」
についで2位だったとか。


(4060) 元気ですかー!  投稿者:石田 治部  投稿日:01月08日(火)18時11分33秒

元気ですかー! 元気があれば仕事もできる。
トラマさん、長距離移動のお仕事頑張ってください!
本調子ではない、との事、心配です。(北のほうは寒そう)

年末は私もぼやきまくりでしたが、やっと本日一段落。
どんな仕事も大変なのは一緒!皆で今年も良い1年になるようがんばり
ましょう! (学生も大変、がんばれ!)


(4059) 遅ればせながら  投稿者:トラマ  投稿日:01月08日(火)14時02分36秒

明けましておめでとうございます。
まだ体調が本調子でないにも関わらず
今週後半から松山〜新潟〜富山〜金沢〜京都を仕事で回ります。
金沢あたりで大河で盛り上がっているであろう街の雰囲気を
味わいたかったんですがそんな余裕もないようです。

大河ドラマは第一回は見てません。
たぶんずっと見ることはないでしょう。
史実に忠実すぎるとドラマにするのが難しいというのは
わからんでもないんですが
捻じ曲げるのもいいかげんにしろよ!って感じで(^^;)
もしかしたら脚本家が大嫌いなだけかもしれませんが(笑)

前にも書いたんですが
もう通年で大河をやる意義が薄れていると思うので
来年で1クールくらいの短編劇にきりかえるのも
一興だと思うけど・・・。
某国営放送局にメール送ってみよ(笑)


(4058) Re:そのシーン、ありません    投稿者:右衛門尉  投稿日:01月08日(火)00時05分46秒

そうなんですか!!自分の考え無しな発言に赤面です。

>とにかく、定番ともいえるシーンやセリフがみごとなくらいにはずして
>くれています。

とっても期待してしまいます(笑)。出版社には失礼かもしれませんが、
早く文庫本になって電車で読めますように(島津奔るみたいに1年半待つ
のかなあ)。

初心者の分際で度々の書き込み失礼しました。


(4057) そのシーン、ありません  投稿者:三楽堂  投稿日:01月07日(月)19時17分21秒

>「近衛、わごれなどは、木曾路をのぼりませ」でしょうか♪

右衛門尉さん、このセリフ、シーンは『信長燃ゆ』にはないんです。
強いて言えば、近衛のほうから、「もう、信長といっしょにいるのはゴメンだー!」
と自ら木曽路をとった、といえましょうか。
あらすじは差し控えます。

とにかく、定番ともいえるシーンやセリフがみごとなくらいにはずしてくれています。
わたしは図書館で借りて読みました。『関ヶ原連判状』は文庫で購入したので、『信
長燃ゆ』も文庫になったら買ってしまうかもしれません。

奥村永福もギャップすごいですね。が、あまり設定を厳密にやりすぎるとキャスト
が多くなって、『葵―徳川三代―』のようにストーリー的につまらなくなってしま
うかもしれませんね。

『利家とまつ』の初回視聴率、26%だったそうです。決して高い数字ではありま
せんが、低くもなさそうです。


(4056) ありがとうございます  投稿者:右衛門尉  投稿日:01月07日(月)14時44分18秒

三楽堂様

レスをつけていただいた上に、お奨めの書までありがとうございます。
「近衛、わごれなどは、木曾路をのぼりませ」でしょうか♪
ただ予算的なものがございまして・・・文庫本になった時に読ませて
いただこうかと・・・・

利家とまつ見ました。本当に映像がきれいですね。
高畠氏、村井氏らの関わりが判ったのは収穫ですが、歴史上も不明瞭
な次兄利玄の役回りが少し不憫でした(演じていた布川さんも)。
中条きよしさんの奥村家(永?)福は1542年生まれとか。今回の
配役で一番年齢のギャップがあるんじゃないでしょうか・・・
ほとんど開き直りですね。


(4055) Re:利家とまつ  投稿者:よーぜん  投稿日:01月07日(月)09時45分30秒

あちこち突っ込み入れながら見ていたよーぜんです(笑)。

私が気になったのは、柴田勝家の扱い。
信長が家臣に「柴田を返り忠させよ」と命じて、つぎに勝家が登場
したときには完全に信長側に寝返っていた。なんだかただの裏切り者
みたいに思えて仕方なかったのですが・・・

あと、まつが利家に告白する場面。数え11歳ですよね。いくら昔の人は
大人びていたとはえ、10や11の少女に告白されてクラッとするだろうか?
松嶋さんになら、クラッとくるのかもしれませんけど・・・(笑)

映像はきれいでしたね。「時宗」に比べて、衣装とか雰囲気が
明るい感じがしたのに好感が持てました。
あと、女性の髪を結っている紐、いろいろな結い方をしているので
注目です。


(4054) 利家とまつ(第1回「婚約」)  投稿者:三楽堂  投稿日:01月06日(日)22時58分07秒

利家とまつ(第1回「婚約」)

妄想年代記のようなエネルギーは残っていませんが、連続コラムを。
路線的には毛利元就みたいな戦国ホームドラマなんでしょうね。毛利以
上に豪華キャストという感じです。よく集めたなあ、と。

織田信行を謀殺する一件で、カヤの外というか、信行の案内役をつとめ
て知らず知らず片棒担がされていた前田犬千代。気分がくさくさしてい
るところ(ここで弓を射っていた)へ、おまつがたずねてきて、利家が
射ていた弓をいじっていのを「女は弓など射なくてよい」と利家の言。
側で練習していた(?)おねは「今日かぎり弓の稽古はやめます」とい
う単純ぶり。
ところで、信行が殺されたのは1557年。おまつは1547年生まれ
ですから、まあ、かぞえ11歳で一人旅をし、プロポーズしてしまった
わけですね。ご愛嬌といったところでしょうか。でも、翌々年には利家
との間に女の子が生まれちゃうんです。(ああ、何という・・・)

松島菜々子が背が高いのでしょうか、唐澤寿明の背が低いのでしょうか。
もう少し利家の上背が大きくみえたほうがいいかな、と思った次第。

次回は有名な笄のエピソードですね。

・・・印象にのこったセリフ

利家「まつは、よく食うなあ」


(4053) のっけをしくじり。  投稿者:石田 治部  投稿日:01月06日(日)21時15分41秒

飯食って買い物に行ってから気がつきました、「利家の初回だった。」
「女が弓を引かない〜」からみて、2、3分で終わり。(訳がわからん)
皆様の初回のご感想をお待ちしています。

前に私の生まれ故郷の「直江兼続」のHPで、東スポに
「おれが百万石 前田慶次郎風流たん(変換できず)」
が連載中。と書き、東スポの名古屋近辺版の「名スポ」にも出ているのか?を
現地の人に聞いてたのですが、私の聞き違いか、名前が変わったのか、
名称は「中京スポーツ」でした、なお、中京スポーツ紙上においても
連載中でした。(12月30日現在でまだ佐々成政の話題)
興味とお金のある方はどうぞ。(毎日は読むのは、大変)


(4052) 今年は春から…。  投稿者:愛一文字  投稿日:01月05日(土)13時00分59秒

あけましておめでとうございます。
昨年は折々につたない駄文を書き込みましてすみませんでした。
今年はもう少しお勉強を重ねるつもりでおりますのでご容赦を。

今年は元旦から発熱しまして、
けっこうヘコんでしまいました。
ネット繋ぐ気力もなかったし…。
あぁ、のっけをしくじるとノリが悪くなりますね。
そんなカンジですが、三楽堂さま、皆様よろしくお願いいたします。


(4051) いらっしゃいませ  投稿者:三楽堂  投稿日:01月04日(金)21時40分19秒

右衛門尉さん、戦国群像&小田原評定へようこそ。

『関ヶ原連判状』読まれましたか。稲留祐直、クールですよね。
Xファイルではこきおろしてしまいましたけど、やはり砲術の代表選手
といえるのではないでしょうか。

同じ著者の『信長燃ゆ』もおすすめです。ちょうど作中に出て来た連判
状つながりで、前編ともいえる長編です。未読であればオススメの本で
す。稲留は出てきませんけど。

今後ともよろしくお願いいたします。


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