小田原評定・バックナンバー

過去ログ3751番目から3800番目までの記事です。


(3800) 一応私も直江党(^^;  投稿者:トラマ  投稿日:10月18日(木)19時48分15秒

愛一文字さん、はじめまして
最近ちょっと気持ちが揺るいでおりますが、一応直江党(上杉党というべきか)の
トラマと申します
直江兼続といえば↓のサイトは御覧になられましたか?
http://203.174.72.114/yozn-gl/
http://www3.omn.ne.jp/~rekisi/
この方たちも直江党ですので一度御覧ください


(3799) はじめまして。  投稿者:愛一文字  投稿日:10月18日(木)19時30分36秒

こんにちは。はじめまして。
この場でこのHNで書き込むのはいささか気恥ずかしいカンジがいたします。
それでも、ひっそりと好きでおりますので、お許しください。
もちろん「直江兼続」からたどってまいりましたらこちらのページに
HITしましたワケで。
充実した内容にひたすら感激しております。
BBSに常連の皆さんも深い方ばかりで、上澄み部分だけをかじって
知った気になっている自分が恥ずかしいやら情けないやら…。
少しずつ皆さんの知識を吸収して勉強をさせていただきます。
私は先月姫路城に行きまして、東の大黒柱に抱きついてまいりました。(笑)
摩擦や風化(?)で年輪に沿ってくぼみ、光沢を放っている大黒柱に
口では言い表せない感動がありました。日本の建築物はすごいですよね。
あとXファイルでの「直江状」の見解は面白いもので、
興味深く拝見させていただきました。Xファイルは順番にゆっくりと
読ませていただきます。
またお伺いします。今後ともよろしくお願いいたします。


(3798) 新・上杉博物館  投稿者:三楽堂  投稿日:10月17日(水)21時30分47秒

振替休日がたまってたので、米沢市立上杉博物館へ行ってきました。
前日はいったん新潟県入り。文書館で数篇の上杉関係論文と『越佐史料』
の稿本をコピーしてきました。
『越佐史料』は天正12年の途中までしかないんですが、稿本で項目だ
てと出典だけは明治まで出来ているんですね。で、上杉氏の会津転封ま
での分をコピーしたわけです。

翌日は、快速べにばな2号で延々3時間かけて米沢へ(爆)。峡谷を通
っていくんですが、なかなかいい景観でした。「旧米沢街道入口」とい
う標識が見えたんですが、機会があればちょっと辿ってみたいです。
昼前に米沢着。循環バス「ヨネザード(笑)」号で伝国の杜へ。
平日だからすいているかな、と思いきや、ツアーや地元高校生の課外学
習などで断続的に人波が押し寄せてました。間隙を縫って鑑賞してまい
りました。

国宝「洛中洛外図屏風」はようやくレプリカではなく、本物を見ること
ができました。また今回あたらしく国宝に指定された「上杉文書」も数
通展示されていました。
珍しかったのは、花押・印章の本体が展示されていたことです。あまり
見る機会ないんですよね。
直江兼続関連では宮坂考古館所蔵の甲冑のほかに、『宋版史記』『宋版
漢書』『宋版後漢書』『宋版備急千金要方』が国立歴史民俗博物館(千
葉県佐倉市)より里がえりして勢ぞろい。
太刀では景勝の「お手選び」による名刀三十五腰の中から菊一文字、姫
鶴一文字、そして信玄が謙信に贈ったといわれる「塩どめの太刀」もあ
りました。

常設展では鷹山(西島秀彦)とお豊の方(紺野美沙子)のドラマも見ら
れます。なんと謙信までが登場しちゃいます(笑)。
甲冑姿で鷹山に「正義とはなんぞ?」と迫ります。

ミュージアム・グッズも充実。
花押手ぬぐい、上杉文書セット(花押入りレター&便箋セット)、洛中
洛外図カレンダー、花押シール、花押Tシャツ、米沢城絵図等々・・・


(3797) えもいわれぬ感慨  投稿者:一弦琴  投稿日:10月17日(水)15時02分41秒

三楽堂様はじめまして。

仰せの通り、戸次川の負け戦では
討死にした700余名が士卒にいたるまで記録が残っているのですが、
勇猛で知られる薩摩を畏怖させた格別の働きだったからなのだろうと
一堂誇りに思っております。

若死にした信親公(信長が烏帽子親)にはとりわけ思い入れがあります。
鴎外が薩摩琵琶の長詩(「長曽我部信親」)をよんでいるのですが、
史的記録の寄せ集めということはわかっていても、
涙なくしてよめない。
同じく鴎外による「堺事件」同様、悔しさというか壮烈な清々しさというか
えもいわれぬ感慨があります。

ところで、昔、谷忠兵衛が報告したと同じく
いまだ、土佐と本州の国力の差はいまだ縮まっていないなあと感じます。
小柄でロバのような土佐駒が、時代遅れのポンコツ軽自動車に変わっただけです。
土佐人が本州へわたると、そういった富の差が非常に実感できます。
富だけでなくて身長体格や住宅規模など格差が大きい。(薩摩なども住宅は小さいですが)
住めば非常に快適なので、無鳥島蝙蝠といわれてもしかたないですが、
日本に対してこのような異国感覚が強くあるものだから、
一挙に世界へという飛翔が可能になるのです。
いつだったか
地元新聞のお正月版に土佐独立国構想がのっていたこともありましたが、
半分酔狂でもなく無意識の志向を感じます。
おそらく土佐人の深層に堆積した思考パタンなのでしょう。

話が脱線してしまいました。
が
もし信親公が生きておられたら、家中求心力おとろえることなく
歴史に残る偉業をなしたのではないか、と妄想してしまうのは
身内びいきのたわごとでしょうか、、、、

そんな想いから、戦国バレエの構想を抱いたのでした。

※ハンドルネームについて
   ある年齢以上の土佐人にとってこの琴の音は、
   非常に郷愁をそそる響きがいたします。



(3796) おやおや  投稿者:三楽堂  投稿日:10月14日(日)23時30分11秒

>でも、会場で上田の池波正太郎・真田太平記館の館長さんを発見!

ほう。世間はせまいというより、池波正太郎の魔力のなせる技でしょうか。
きっとこうしたスポットやイベントで同じような人々がニアミスをおこしているん
でしょうね。


(3795) 記念講演報告  投稿者:向井佐平次  投稿日:10月14日(日)00時14分10秒

本日、池波正太郎記念文庫開設記念講演に行ってきました。in入谷

演目は"池波正太郎作品の魅力"と題してめちゃくちゃ
期待して行った割には・・・
作品(鬼平犯科帳)の解説が中心でした…

でも、会場で上田の池波正太郎・真田太平記館の館長さんを発見!
講演が終わった後に声をかけてしまいました。
(^^;)


(3794) シックス・フィンガー続き  投稿者:三楽堂  投稿日:10月13日(土)11時21分16秒

作左衛門さん、どうも。『看羊録』にも書かれてましたか。通読してい
ないので、気づきませんでした。生まれた時に6本で、成長して1本切
り落としたというのはすごいですね。
多指症とかいう病気もあるって聞いたけど・・・指というか突起が出て
いるらしい・・・


(3793) いらっしゃいませ  投稿者:三楽堂  投稿日:10月13日(土)11時20分47秒

一弦琴さん。戦国群像へようこそ。ハンドルは宮尾登美子の小説でも描
かれたアレですよね?
「長宗我部」でたどってこられたのでしょうか?
四国というのは、わたしも10年前に訪れて以来数年にいっぺんは行き
たくなる土地です。
高知って旧国名時代の土佐のお国ぶりを色濃く残している雰囲気がある
ので、遺臣の親睦会なんかも出来るんでしょうね。

戸次川合戦の戦死者を刻んだ大位牌のレプリカを見ました。小者クラス
まで記されていました。

それにしても戦国バレエとは何ぞや。


(3792) 訂正  投稿者:作左衛門  投稿日:10月13日(土)00時13分48秒

すいません。
「当時から秀吉の指が六本だったという事は」と書こうとしたのですが、間違えました。


(3791) 秀吉の指  投稿者:作左衛門  投稿日:10月13日(土)00時09分59秒

横レス、失礼します。
ご存知かもしれませんが、秀吉の指が六本だったという話は、姜汎の『看羊録』に
も載っています。「賊中聞見録」の秀吉についての記述によると、生まれた時に右
手の指が六本だったが、成長してから一本を切り落としたそうです。
姜汎は藤原惺窩あたりから聞いて書いたのかもしれませんが、当時から秀吉の指だ
っという事はかなり有名だったのではないでしょうか?


(3790) 戸次川の会  投稿者:一弦琴  投稿日:10月12日(金)21時27分38秒

はじめまして。長曽我部ファンの一弦琴です。
というより家来であります。
豊州戸次川にて信親公とともに討死に致したと記録にあります。

土佐には長曽我部侍の末裔を称する者がたくさんおりまして、
古人と現代人をオーバーラップさせると、結構笑えます。
別役三吉郎やら、中島可之助やら、福留隼人やら。
あいつは吉田の子孫だからしっかり者だとか、桑名の末裔なので
仁にあついとか、妄想が膨らみます。
家臣団の親睦会もあるようです。
元親公にならって、遠く尾州より嫁をもらう予定の人もいます(私)

大河ドラマはぜひ実現してほしいのですがあてにならないので、
戦国バレエを構想しております。


(3789) フーム  投稿者:三楽堂  投稿日:10月12日(金)20時14分17秒

#トラマさん

上杉も景勝時代に城破りやってましたか。平林城は「慶長国郡絵図」にも描かれて
いるので(もちろん描かれているからその当時にあったとは断言できないけど)、
壊されたとしたら、山城部分の平林要害のほうかもしれません。
わたしも『城破りの考古学』読んでみよう。

上杉が行った検地ですが、実はこれが会津移封の一因であるという説もあります。
すなわち、直江主導で行った上杉検地が、中央の秀吉政権からすれば、まだまだ
手ぬるいやり方だった。それで、武士と土地とを完全に切り離すために、会津へ
国替えを命じた、と。越後では増田長盛も検地を行っており、おそらくこちらは
太閤印の検地でしょうから、上杉検地の不徹底を測る材料になったかもしれません。

#よーぜんさん

ほんとに勿体ないですよね。40%返品が常態だったら、もうちょっと価格をおさ
えてほしいなあ。まあ、1冊あたりの利益がさがれば、それはそれで苦しいでしょ
うし。まあ、こちとら出来ることは、本は見つけた時に買え、ですかね。

ところで、前田利家というと、「利家夜話」。で、「太閤さまは指6つござ候」と
いう文章がすぐに思い浮かんできます。あれ、どう思います?
秀吉が6本指であるとは、利家とルイス・フロイスの2人が書いていることなのだ
けれども・・・


(3788) もったいない  投稿者:よーぜん  投稿日:10月12日(金)16時26分20秒

>裁断されたり、新古書本として出回るんでしょうかね。

新古書として出まわるのならともかく、「裁断」というのは
なんだか本が気の毒です。裁断するくらいなら、わたしに
おくれ、というかんじです(笑)。

またまた前田関係、続々、というかんじですね。
ほんとにこれは、よく吟味しなくてはいけませんね。


(3787) 越後の城破り  投稿者:トラマ  投稿日:10月12日(金)16時26分15秒

上杉家が城破りをやるようになったのは
やっぱり豊臣政権から付き合いだしてからなんでしょうね
少なくとも謙信の時代は不可能だったんでしょう
色部氏の平林城のところの話などを読むと
そう思えてきます
もっとも検地は中央の奉行衆ではなく自国衆で行ったところは
多少(直江の)意地を感じますが


(3786) 気になります、本の行方。  投稿者:三楽堂  投稿日:10月11日(木)21時10分36秒

裁断されたり、新古書本として出回るんでしょうかね。

東路記はざっと目をとおしたきりです。タイトルとだいたいの内容と掲載されてい
る書名はおぼえましたから、いつか必要とする時がくるまではこれで十分です。

『城破りの考古学』には越後の事例も出てましたか。越後で城破りというと、上杉
氏ではなく堀氏の時代でしょうかね。
謙信は居城春日山は動かしませんでしたけど、御館のほうは政庁としての機能も持
っていたとか。越後国内は完全に上杉氏に帰服していないから、城を移す場所もか
ぎられるでしょうね。越後国外だったら厩橋でしょうが・・・。

えーと、新刊情報です。

『戦国合戦マニュアル』東郷隆/著、講談社
『前田利家 図解雑学』小和田哲男/著、ナツメ社
『前田利家の謎』武田鏡村/著、PHP
『阿国夢幻』冨士谷あつ子/著、かもがわ出版
『真田幸村の妻』阿井景子/著、光文社


(3785) 三楽堂さん、さすが  投稿者:よーぜん  投稿日:10月11日(木)10時23分53秒

>先日、書店で立ち読みしてまいりました

えっ、あれを立ち読みされたのですか。す、すごい!!

>放送終了後には書店から姿を消してしまい、

ほんとにそうですよね。徳川葵三代系、さすがにメジャーなだけあって、
全部消える(?)ことはないですが、一時山積されていたものがなくなっ
ていますし。今は時宗関係ですが、あれらも来年にはどこかへ行っちゃうの
でしょうね。
気になります、本の行方。


(3784) 城破りの考古学  投稿者:トラマ  投稿日:10月11日(木)09時36分04秒

を昨日立ち読みで読みました
越後の城割りの話ってあまり聞かなかったし
越後時代の上杉家はそういう方面では遅れているという思い込みがあったので
基本的には行われていないだろうと思っていたのですが
実はそうではなかったんですね
まあ本拠地を結局春日山城から移転しなかったので
そんな印象があったのかもしれません
もし仮に移転するとしたら
やっぱり福島(直江津)か高田あたりになるのかな


(3783) co:東路記  投稿者:三楽堂  投稿日:10月09日(火)21時53分15秒

どうも、よーぜんさん。

ご指摘の『おまつと利家』、先日、書店で立ち読みしてまいりました。あの「東路
記」は面白いですね。前田ファンならば、ああいう本こそ買っておかないと、放送
終了後には書店から姿を消してしまい、「東路記」などの史料はまたもや図書館頼
みということになってしまいますからね。
大河ドラマ便乗本はよくよく選んで買いましょう。
買っておいて損はないのは、博物館などの企画展示図録、復刻史料、長年研究して
来た専門家による著書、ですね。
実際、売れるのは原作本のほかは、ほんのひとにぎりだそうですよ。


(3782) 東路記  投稿者:よーぜん  投稿日:10月09日(火)10時03分24秒

↑は、金沢市の近世資料館が所有する文書の中にあったもので、
もともと、どこかの神社に奉納した起請文らしいですが、
前田利家夫人おまつさんが人質となって江戸に行ったときの様子などが
書かれています。作者は、おまつの側近く仕えていた侍女もしくはおまつ
自身の可能性もある、ということです。
この文書の実物、先に行われた近世資料館の企画展にも展示されていて、
私も見てきたのですが、以前ここで紹介してくださった「おまつと利家」
(前田利佑氏他)に全文が掲載されています。(この本、買うだろうな〜
と思っていたら、やっぱり息子が買ってきました。)
人質になった動機として、家康から「君の御ため世のため」といわれ、
子を思う「心の闇」に、「やすやすと」思い立った、ということが
書かれていました。
また、『伊勢物語』の「東下り」を彷彿とさせるような(というか、
東下りになぞらえたような)記述も見られ、何首かの歌も詠み込まれて
いたりして、文学的にも興味深い「紀行文」です。
一読をお勧めします。(三楽堂さんなら、もう読まれたかも知れませんが)


(3781) 取材非協力  投稿者:三楽堂  投稿日:10月06日(土)09時08分16秒

>電話ではなく、三楽堂様がじかにテレビにでられる時は、あるんでしょうかねぇ?

たとえ、そんな話があったとしても丁重にお断りしたいですね。あ、何かの事件で
出てしまう可能性も皆無ではありませんね。
もしよろしければ、今月末に発売の雑誌「歴史読本」に記事2本が出る予定ですの
で、ご覧いただければ、と。(連休はゲラ刷りの修正してます)

ADSL、うらやましい!わたしなんざ、いまだに33.6kbpsですよ。
ピー、ガー、ブーと繋ぎにいく行為自体が好きなもので(^^;
いまだに20世紀をひきずっております。


(3780) 取材協力  投稿者:石田 治部  投稿日:10月05日(金)22時09分26秒

お忙しいなか、取材協力ご苦労様です。(笑)
たしかに、はぁ、とかへぇとしかいえませんな。
電話ではなく、三楽堂様がじかにテレビにでられる時は、あるんでしょうかねぇ?

どうでもいい話ですが、昨日からADSLになりました。


(3779) 取材  投稿者:三楽堂  投稿日:10月04日(木)20時46分40秒

わたし的には毎度突然かかってくる電話に「へえー」「ほおー」とか応
対していたに過ぎないのに、取材協力というのかな、先日放送された
「その時歴史が動いた」の細川ガラシャの回を収録したビデオがNHK
から送られてきた。
だって、職場でまったく別のこと考えている(している)時にだよ、急
にかかってきた電話で「ガラシャの遺品がいちばん集まっている場所っ
てどこでしょうか?」とかきたら、「はあ」とか「ほう」とかしか言い
ようがないじゃん。

先日も某雑誌社からの電話で、こっちは帰宅直後の洗顔中(アトピー気
味なので念入りに)。せっけんつけたまま応対。喋っているうちにせっ
けんが口の中に(爆)。
いやはや・・・

まあ、向こうは時間で動いているだろうからね。番組にせよ、雑誌にせ
よ、ものをつくるってのは大変だなー。
ホームページの更新ぐらいなら、「すんません、最近、さぼってます」
で済むけど。あ、Xファイルは今週末に第120回をアップ、その後はちょ
っと充電期間をいただいて年内には新シリーズを開始予定です。


(3778) 流転の若鷹&龍虎抱擁  投稿者:三楽堂  投稿日:10月02日(火)23時19分04秒

どちらも大変な作品です。

かたや上杉景虎を主人公とする永井路子女史の短編です。
昭和44年という時代に三郎景虎に着目していたのはスゴイと思います。
しかも、この三郎景虎はたいへん積極的で、武田人質時代(事実ではな
いと言われておりますが)からつきまとっている素波の杏四(きょうし)
をふとんの中にひきずりこんでしまい、やっちゃったあとに「ごめんよ」
というアッケラカンとした性格。
これを挿絵つきで読まなければならないとは。

もうかたほうは、以前も当コーナーで紹介されたことのあるSF版川中島。
小松左京氏の短編です。謙信が女で信玄と川中島で相対。家来を締め出
して一室にこもること一刻あまり。胸をはだけた信玄と気恥ずかしげに
うつむいた謙信が出てきて、突然手に手をとりあって信長を討つべく上洛
するというトンデモないストーリーでした。

聞くところによると「流転の若鷹」のほうは単行本未収録なのだそうで
すが、本当だとしたら、なぜなんだろう?


(3777) 太刀打ち  投稿者:三楽堂  投稿日:10月02日(火)08時01分48秒

今、鈴木眞哉氏の『謎とき日本合戦史』を読んでいます。氏はすでに『刀と首とり』、
『鉄砲と日本人』などで白兵戦の虚構性、鎗・弓主体の遠戦志向、刀は首をかく際に
使用する脇役などと自論を展開されています。本書もそのひとつですが、「白兵戦」
に主眼がおかれています。

で、読んでいてふと思い出したのが、近衛前久の謙信宛書状です。

「雖不珍儀候、自身被及太刀討段、無比類次第、天下之名誉候」

これを、故・新田次郎氏は「期せざる儀に候えども・・・」とよんでいるんですよ
ね(『日本史探訪』だったと思います)。つまり、謙信はよんどころない状況に追
い込まれて、思いがけず太刀打ちした・・・と新田氏は説く。新田氏は謙信・信玄
一騎討ち説を否定しておられ(これはもっともでしょう)、謙信が太刀を抜いたの
は越軍総崩れとなって敗走していく途中のことであると考えていたようです。

でも、原文は明らかに違っていて、「珍しからざる儀に候えども・・・」です。
謙信がよく太刀打ちしたのか、今回もおやりになったそうですがまことに天下の名
誉、そんな意味合いに近くなります。あるいは謙信にかぎらず一般論として太刀打
ちは往々にしてよくあることで、そのことを近衛が言ったのか。
新田氏は「大将が太刀打ちするなんてあり得ない、謙信周辺は未曾有の危機に瀕し
ていたとしか思えない」と説きます。「期せざる儀」と読み違えてはいますが、お
おかたは新田氏の想定したとおりなのかもしれません。

ところで、『謎とき日本合戦史』の中で一章をさいて「信玄と謙信の川中島の戦い」
は戦国合戦の典型か?」という項目があります。ここだけでも立ち読みされてはい
かがでしょう?


(3776) はじめまして  投稿者:NOB  投稿日:10月01日(月)23時40分12秒

はじめまして。
最近チンギスハーン4にはまってます。
このゲームで、0人プレイから復帰することはできないんでしょうか?
知っているかたがいらっしゃれば教えてください。


(3775) そういえば  投稿者:三楽堂  投稿日:10月01日(月)20時40分53秒

大坂でも司馬遼太郎記念館(だっけ?)がオープンしますよね。行ってみたいな。
近所の人がうらやましい。

あ、そういえば、米沢の新博物館もオープンしたんだな。また行きてえー


(3774) 池波正太郎記念文庫  投稿者:向井佐平次  投稿日:09月30日(日)23時57分09秒

お久しぶりです>all

本日西浅草に新しくできた池波正太郎記念文庫に行って来ました。
台東区中央図書館の中にあって池波ファンにはおなじみの収蔵品が
沢山ありました。

文筆活動を行った書斎が復元されています。
創作の合間に横になったとされる畳はなかったけど…


併設の図書館には池何正太郎コーナーなるものもあるし。
早速何冊か借りてきてしまいました。

http://www.tctv.ne.jp/tai-lib/furame1/osirase/osirase.htm


東京へ、浅草へお越しの際は是非お寄りください。


ちなみに、10月13日には開設記念として
「池波正太郎作品の魅力」と題した講演が開かれる模様です。
都合つけて行く予定。。。


(3773) 失礼しました  投稿者:三楽堂  投稿日:09月27日(木)22時00分30秒

>広島県、宮島の「塔ノ岡」などの観光情報を見ていて、この「就有」という単語がでてきたのです。

なるほど。平佐源七郎就之というのは毛利家文書によく出てきますが、就有は別人
なのかなあ・・・
書庫番のいう「なりあり」だとわたしに思いますが、あえて代案を用意してみました。

就有=なりもと

「有」って名前がなんか変。毛利家の通字「元」を遠慮して、同じ音の字を選んだ、とか。
深読みしすぎかな。


(3772) 感謝  投稿者:ハラ  投稿日:09月27日(木)17時39分46秒

久しぶりの書庫番 様、三楽堂 様

本当に有難うございました。
広島県、宮島の「塔ノ岡」などの観光情報を見ていて、この「就有」という単語がでてきたのです。
どうも、突然申し訳なかったです。
有難うございました。


(3771) 加賀百万石博  投稿者:よーぜん  投稿日:09月27日(木)10時26分13秒

>又左くんからお小遣いねだられてませんか?

ねだられるのがわかっているので、下の出版情報、又左には
知らせておりません。今朝の新聞広告に、前田利佑氏の『利家とまつ』
が載っていました。まだ彼は、今日の新聞見てないのですが、
見つけるのも時間の問題かもしれません。(笑)

「加賀百万石博」のことが、新聞のチラシに入っていたので、
概要を簡単にご紹介します。
   期間・・・2002年3月23日(土)〜2003年1月5日(日)
   会場・・・金沢城址公園二の丸広場
   入場料金(当日)・・小人(6〜17歳) 600円
         大人(18〜64歳)1000円
         65歳以上     800円
   大河ドラマ館(ドラマの衣装や小道具の展示などがあるようです。)
   百万石シアター館、石川まるごと館(伝統文化の紹介など)、
   楽市楽座(物販飲食ゾーン)、野外ステージの各ゾーンでの展示、催事

まだ数ヶ月先ですが、興味のある方はぜひ!!

>原史料の復刻

こちらに関しては、特に情報ありません。大衆受けする出版もいいですが、
こういう地味な方面も充実してほしいと思うのですが…


(3770) 平佐就有  投稿者:久しぶりの書庫番  投稿日:09月26日(水)23時18分41秒

ひらさ・なりあり、でいいんだと思います。
天文19年、吉川元春が吉川氏の居城・小倉山城に入城した時に従った36人の家臣のうちの一人。
(他の事蹟は知らない)

とりあえず、、、


(3769) まとめレス  投稿者:三楽堂  投稿日:09月26日(水)19時44分37秒

#よーぜんさん

利家本ラッシュで、又左くんからお小遣いねだられてませんか?
毛利元就のときはマツノ書店さんとかが中心になって、結構、原史料の復刻があっ
たんですが、今回はどうなんでしょう?
上杉関連史料も前田家にいっていることが多いので、あながち無関係とはいえません。
イベントの様子など、そのうち知らせてくださいませ。

#ハラさん

いらっしゃいませ。平佐就有ってどこを見て探してこられたのでしょう?
NHKの捏造では? 書庫番に聞いたほうがいいのかな?

#中根東竜さん

そうですか、別冊れきどくの焼き直しでしたか。そう聞くと、1万5千円も出す気
がなくなってきたな。勉誠社もちょっと気をつけなきゃいけない出版社ですから。
でも、寛政重修諸家譜も諸侯年表も出版されてるから、オリジナリティあるのかな?
宣伝文句には「著者自ら全国五百市町村に取材」とありますが・・・

>『戦国大名諸家譜』は260ページなので、770ページということは
>増補改訂版なんでしょうね。

だといいんですけどね、余白がひろく、活字が大きくなってたりして。


(3768) Re:戦国城主諸家伝  投稿者:中根東竜  投稿日:09月26日(水)14時25分12秒

三楽堂さん、お久しぶりです。

>戦国城主諸家伝

見て、あれっと思いました。これは・・僕が持っている
同著者の『戦国大名諸家譜』(新人物往来社・歴史読本増刊)と
同じような内容ですね。・・というより、三楽堂さんが
挙げられた目次は『戦国大名諸家譜』と殆ど同じようです。
『戦国大名諸家譜』は260ページなので、770ページということは
増補改訂版なんでしょうね。

『戦国大名諸家譜』は結構面白かったです。寛政重修諸家系図譜の訳のような
内容(筆者に依れば内閣文庫の諸候年表+寛政重修諸家系図譜らしい)で、
取っつきにくい文体ですが、結構知られていない歴史が多くて・・


なんて読むの??  投稿者:ハラ  投稿日:09月26日(水)12時41分55秒

平佐就有←よみがな教えてください。以前NHKで佐藤B作が演じていたりもしています。どなたか、どうぞよろしくお願いします。


(3767) 利家ラッシュ  投稿者:よーぜん  投稿日:09月25日(火)10時50分03秒

新刊情報、ありがとうございます。
利家関係が圧倒的多いですね。
『おまつと利家』--著者は、現前田家御当主ですね。
近所の書店では、半年くらい前から、利家関係の本のコーナーが、
店の一角に設けられており、利家本が山積されています(笑)。
来年3月から「加賀百万石博」なるイベントが開催されるようで、
どんな催しが行われるのか不明ですが、ちょっぴり楽しみです。


(3766) 新刊情報  投稿者:三楽堂  投稿日:09月23日(日)11時52分57秒

『おまつと利家』前田利祐/著、集英社
『家光と二人の弟―三代将軍徳川家光・駿河大納言忠長・保科正之』森谷宜暉/著、高文堂出版
『加賀前田一族』宇佐美孝/著、新人物往来社
『前田利家の謎』前田育徳会/編、新人物往来社
『謎とき日本合戦史』鈴木眞哉/著、講談社
『もしも・・・の日本戦国史』高野澄/著、ベストセラーズ
『大日本古文書・上杉家文書(三)』東京大学史料編纂所
『大日本古文書・浅野家文書』東京大学史料編纂所
『戦国社会史論―日本中世国家の解体―』藤木久志/著、東京大学出版会(復刊)
『披沙揀金―徳川家康公逸話集―』全国東照宮連合会/編、続群書類従完成会

まだ発売されていないものも含まれているのでご注意を。
そういえば、雑誌「歴史と旅」は前田利家の特集でした。そろそろ出版
ラッシュがはじまるのでしょうか。


(3765) 千秋文庫  投稿者:三楽堂  投稿日:09月20日(木)22時29分37秒

東京・九段の千秋文庫で「古戦場絵図と武具展」があります。
会期は12月8日まで。57点にみる戦国〜江戸時代の武家の興亡とい
う内容です。佐竹ファンの方は必見かも。
入館料は300円!


(3764) ははは  投稿者:三楽堂  投稿日:09月20日(木)22時29分19秒

一部分だけ、購入できたらいいですよね。高い史料集とかありますし。
電子化すれば、一件いくらというふうに課金できると思うのですが・・・

『戦国城主諸家伝』は各家ごとに前史、代表的当主、後史で構成されています。
わたしは前・後史の部分に興味あります。
たとえば、真田氏だったら、前史・幸隆・昌幸・信之・後史。
上杉は前・後史の間が輝虎・景勝しかなく、定実なり憲政なり為景なり晴景なりが
いないのが、ちと不満です。
伊達は稙宗・晴宗・輝宗・政宗となっているのに。やっぱり史料が少ないのでしょ
うか。
あと、「戦国時代かそれ以前に起こった家で、明治四年の廃藩置県を迎えて存続し
得た家」という変な基準を設けたせいで、片桐家は貞隆が出てて、且元はないんで
すよ。


(3763) Re:戦国城主家伝  投稿者:よーぜん  投稿日:09月20日(木)17時48分49秒

三楽堂さんこんにちわ。
ご挨拶がまだでしたね、お帰りなさいませ。

↓の『戦国城主家伝』、一部分だけご購入、というわけには
もちろんいかないですよね(笑)。
上杉、真田、(又左のために)前田・島津あたりがほしいなあ…
などと思うのですが。


(3762) 戦国城主諸家伝  投稿者:三楽堂  投稿日:09月19日(水)23時01分50秒

↓でご紹介した『戦国城主諸家伝』ですが、目次もお知らせします。

天下取りの系譜
天下人略系図
清和源氏・・・山名氏、喜連川氏、細川氏、島津氏、立花氏、本堂氏、森氏、佐竹氏、
溝口氏、松前氏、五島氏、南部氏、中川氏、池田氏、仙石氏、浅野氏、土方氏、片桐
氏、蜂須賀氏、分部氏
宇多源氏・・・朽木氏、京極氏、黒田氏、亀井氏、山崎氏、谷氏
村上源氏・・・有馬氏
嵯峨源氏・・・松浦氏
平氏・・・・・織田氏、宗氏、平野氏、岩城氏、相馬氏、遠藤氏、戸沢氏
越智氏・・・・一柳氏、久留島氏、稲葉氏
大江氏・・・・毛利氏
安倍氏・・・・秋田氏
滋野氏・・・・真田氏
丹治氏・・・・大田原氏、大関氏、青木氏
藤原氏・・・・丹羽氏、津軽氏、有馬氏、大村氏、上杉氏、伊達氏、堀氏、水口加藤氏、
大洲加藤氏、遠山氏、新庄氏、鍋島氏、山内氏、六郷氏、飫肥伊東氏、岡田伊東氏、吉
川氏、相良氏、藤堂氏、市橋氏、小出氏、脇坂氏、蒔田氏、九鬼氏、毛利氏、生駒氏
菅原氏・・・・前田氏
豊臣氏・・・・木下氏
大蔵氏・・・・秋月氏
名器争奪の戦国史


何でも採取の対象は「戦国時代かそれ以前に起こった家で、明治四年の廃藩置県を
迎えて存続し得た家」という、?な基準であります(笑)。
770ページもの大ボリュームで73家ですから密度の濃淡はあるでしょうが、一
家について10ページほどを割いていることになりましょうか・・・


(3761) 戦国本・新刊情報  投稿者:三楽堂  投稿日:09月17日(月)22時23分07秒

ひさびさに新刊情報です。

『城破り(しろわり)の考古学』藤木久志/著、吉川弘文館
『村上水軍興亡史』森本繁/著、学研M文庫
『秀吉の京をゆく』津田三郎/著、淡交社
『戦国城主諸家伝―外様大名編―』新田完三/著、勉誠社
『樓岸夢一定―蜂須賀小六―』佐藤雅美/著、講談社文庫


(3760) クイズ大会実施  投稿者:山野上 春定  投稿日:09月16日(日)09時07分18秒

現在 予定ですと我が文化祭でクイズ大会を行います。
いいねたがあれば教えて下さい。テーマは川中島 対象は小学生から高校生を予定
(緊急事態が発生しない限り決行)
  
  クイズは、文化祭後ホームページに掲載予定(何処のホームページかは未定)


(3759) 一花院  投稿者:THIS TIME  投稿日:09月14日(金)00時18分21秒

三楽堂さん、おかえりなさい。

>市立図書館へは行かれたことありますか?
以前行った時は、前田慶次ファイルは見ましたが
日帰りの為、約1時間位しかいれず...
10月の旅行は市立図書館に朝から行き、居座る予定です。

>一華院跡を訪れてみました。
一華院跡には千坂景親の供養塔があるんですか。
西連寺の隣だと図書館に近いですね。
必ず行き、探します慶次の墓?

慶次関連ありがとうございました。






(3758) 久武氏  投稿者:三楽堂  投稿日:09月13日(木)14時08分46秒

ぴえーるさん、「久武氏のその後」フォローありがとうございます。今回はまたす
ごいですね。当然、菩提寺とかもあるんでしょうね。
数代のうちに才人ひとりいるだけで、ずいぶん文献量がちがってきますからね。

関係ありませんが、わたしは地方に行くと、電話帳をめくるのがクセです。
久武姓の方、今もいらっしゃるかも!?


(3757) 米沢だより・その3  投稿者:三楽堂  投稿日:09月13日(木)14時03分31秒

↓その1が変になってますね。書き込みがめり込んでしまってる(^^;

三楽堂です。テロにも遭わず、本日、無事帰宅。でも新幹線最寄駅にや
ーさんが勢ぞろいしているのでビビった。ドンのお迎えかな?

さて、ホテルからの通信は時間貸しだったので、ろくろくリプライもで
きなかったのですが、レポートの続きです。
何か海の向こうではえらいこと(一昨日・昨日はホテルのテレビつけっ
ぱなしで寝てしまった)になってますが、こちらではゆったりした時間
にどっぷり浸かっています。

11日は少し雨が降りました。この日は自転車の出番はなし。
朝から図書館へ出かけました。

#THIS TIMEさん

市立図書館へは行かれたことありますか?
前田慶次は関連資料がファイリングされているので、一々元本を検索し
て書庫から出してもらうよりもファイルを見せてもらったほうが効果的
です。各種(解説者がそれぞれ違う)の道中日記から、パンフレットの
史跡案内まで手に入ります。
カウンターの後の書棚にありますので、職員にお願いしてみましょう。
ただし、コピーは職員がとるのでかなり時間がかかる(枚数チェックと
かするので)。余裕をみてお願いするか、郵送にしてもらったほうがい
いと思います。そうそ、清覧録も実物を見ることができました。

上杉関連の史料も充実していて、夕方の閉館時間まで全然退屈しません
でした。ただ、図書館ちょっと狭くて暑かった。

それと慶次関連では、千坂景親関連の本を読んでて気づいたのですが、
廃寺となった一華院跡に千坂景親の供養塔あり、という記事に目がとま
りました。慶次の墓もたしか一花院(一華院とも)ですよね。千坂は上
杉家の京都留守居役だったし、慶次とも格別親しかったのではないか。
千坂は慶次より五年ほど前に亡くなっていますが、米沢で身寄りのない
慶次が死に際して千坂景親と同じ墓所に葬られたのも何か納得させられ
るものがあります。しかも慶次の墓所・一華院は北寺町にあったといい
ますが、まさに周囲は寺だらけ。城の北方にあたるので昔は北寺町とい
ったのかもしれない・・・

翌12日、さっそく一華院跡を訪れてみました。実は10日にすでに見
ているのですが、そこまで気をつけていなかったので。
千坂景親とその先祖といわれる那須与一の供養塔はありましたが、慶次
の墓は勿論ありません。ただし、墓石が数基残っているので、ひょっと
したら?という思いはあります。
現に図書館でコピーした史料の中に一華院の墓碑群の中に慶次のものに
相当するものはないか、検証するべき、と提唱している文章もありまし
た。

堂森善光寺の供養塔のほうは、よーぜんさんの掲示板にTHIS TIMEさん
が書かれているとおりです。わりと真新しい石に五輪塔を彫りつけてあ
り、背後には慶次の生涯がつづられています。

一華院跡の隣り西蓮寺では柿崎憲家の墓まで見つけるという「おまけ」
までつきました。米山薬師如来が真向かいにあったのも印象的です。き
っと柿崎氏について越後から移ってきたのでしょう。

その後、景勝の側室・四辻公遠の娘の墓へ。やはり林泉寺の菊姫の墓に
参ったので、彼女のほうも行かなければ、と。しかも四辻氏ははじめ林
泉寺に葬られながら、その後、極楽寺へ移されているんですよね。スペ
ースが足らなくて追い出されたのかな。
極楽寺は伴淳三郎の墓所でも有名です。四辻氏の墓は本堂裏手にありま
した。左右には歴代上杉家当主の側室たちが勢ぞろい。横には山浦玄蕃
の墓もありました。上杉定勝の従兄弟でキリシタンだった人ですよね。

その後、謙信のおかぶと不動尊がある竜覚寺に行って、笹野観音で今回
の旅はジ・エンド。

台風の被害もさほどではなく、帰りの新幹線も切符とってなかったので、
割合気楽でした。新博物館はいよいよ全貌を見せはじめました。テレビ
局がロケハンやってたし、わたしも窓越しにホバークラフト装備の能舞
台を見てきました。蕎麦屋もけっこうハシゴできたし、折りたたみ自転
車はやっぱいいわ。疲れるけど。
来月、また行く予定です(自転車はなし)。


(3756) 米沢の三楽堂さん  投稿者:THIS TIME  投稿日:09月11日(火)23時25分26秒

おつかれさまです、台風どうですか?
自分も3日ぐらい休みとりたいですね。
10月の米沢は日帰りになりそうです。

>図書館に居つづけになりそうです。
図書館では掘り出し物ありましたか?
三楽堂さんが調べた本で慶次について書かれた本
ありましたら、書名教えていただけませんか?

川西町(米沢市のたしか隣町)の掬粋巧芸館いかれる予定ですか?
陶芸品がメインの美術館らしいですけど、上杉家関係品も展示されて
いるそうです。

それではレポートを楽しみにしてます。
体に気を付けてください。


(3755) 三楽堂様。  投稿者:石田 治部  投稿日:09月11日(火)22時23分01秒

台風に気をつけて無事に帰ってきてください。


(3754) いいなあ米沢  投稿者:よーぜん  投稿日:09月11日(火)09時56分59秒

三楽堂さん、米沢からのレポ、大変興味深く読ませていただきました。
すごいですね、自転車で。

>堂森善光寺  
慶次の供養塔があることは、本で知っていたんですが、とうとう見つけられず、
お堂だけお参りして帰ってきた私です。(泣)

>林泉寺
私が行ったときは、おばちゃんが一刀彫りを売っていました。

>直江平八景明の位牌
しっかり、拝んできました。
兼続を真中に、お船のかた、景明の位牌が安置されていました。

>米沢信金発行の『直江兼続』
兼続の実子のことや、お船の方と信綱の子のことなど、
興味深いことが結構書かれていますよね。
渡辺省三氏の『正伝直江兼続』と並んで、私にはバイブルのような
本です。(ネタばらし!?)

台風、心配ですね。どうぞお気をつけて旅を続けてくださいませ。


(3753) 米沢からこんばんは・その2  投稿者:三楽堂  投稿日:09月10日(月)21時28分57秒

エート、米沢二日目です。
天候は昨日より悪くなりました。小雨の降る中、自転車で直江石堤を目指しました。市中心部か
ら自転車で40分間くらいでしょうか。帰途は日朝寺(千坂兵部の墓所)、善立寺(藁科立伯の
墓所)に寄り、神達明神、北山原のキリシタン殉教地をまわって、いったんホテルに自転車を収
納。上杉城史苑をブラブラした後、電車で置賜へ。色部氏の菩提寺千眼寺と保呂羽堂(裸もちつ
きが有名)を見てきました。帰りの電車までは間があったので、「賜の湯」という温泉に入って
きました。入浴料300円なり!

明日は台風接近もあるので、あちこち見てまわれないようだし、図書館に居つづけになりそうで
す。本日はここまで。ではでは。


(3752) 米沢からこんばんは  投稿者:三楽堂  投稿日:09月10日(月)21時28分18秒

三楽堂です。ここ米沢では昨日から雨がぱらついてきました。
台風がもっとも接近するのは明日ということです。
関東地方の天気予報を見て急遽、1日早く8日に唐突に出発いたしました。準備だ何だで出発は
昼になってしまいました。新幹線に折りたたみ自転車を積んで一路、山形へ。
新幹線の席で佐賀大学の先生といっしょになりました。その日の朝に佐賀の武雄を出てきたそう
です。日中交流の親睦会があるとかで、前回、山形のメンバーが佐賀まで出てきたため、今回は
行くはめになったとぼやいていました。が、山形新幹線の車窓から見える果樹園に「あれは何で
すか」とか、上山城を見ては「あれは何城ですか」と、こっちを完全に山形県人と思っていたよ
うです。

山形には夕方につきました。翌朝、蔵王駅で下車。直江兼続も攻めあぐんだ長谷堂城跡へ折りた
たみ自転車で挑みました。が、自転車をこいでて体力を使い果たしてしまい、城へのぼる途中で
退却。かわりに城域の周囲をまわりました。
蔵王に戻って再び自転車をたたみ(駅前でケータイかけてた高校生があっけにとられてました)、
いよいよ米沢へ。
立ち寄った順番に記しますと・・・

・宮坂考古館  もはや火縄銃を持つ手もふるえる始末(自転車つらい)
・堂森善光寺  前田慶次の供養塔を見ました。裏には慶次の生涯が刻まれてました。
・林泉寺    一刀彫りを売ってるおじさんと歴史談義
・照陽寺    お坊さんに上杉憲政の墓を教えていただきました。
・上杉家廟所  いつ来てもいい。左端、まだ工事中なのかな?
・法音寺    上杉家御年譜の編者・矢尾板三印の墓を見つけました。
・上杉神社と稽照殿  前の伝国の杜・新博物館オープンが楽しみです。
・法泉寺と文殊堂  兼続の詩碑があります。ここも静かなところ。
・東源寺    岩井家の墓所。直江平八景明の位牌もここに置かれたとか。

ホテルへの帰途、古書店へ寄って米沢信金発行の『直江兼続』と昔の歴史読本を購入しました。
『直江兼続』は米沢での事績が詳しく記されています。「兼続には平八のほかにも実子がいた」
なんて記述も興味深いです。子孫が四国にいるらしい。
歴史読本のほうは特集「立体構成上杉謙信」。大河ドラマ「天と地と」がやってた頃のものです
が、出演者の石坂浩二、高橋幸二、樫山文枝などが執筆。田中角栄も書いてる(笑)。
さらには当時としては珍しい、三郎景虎を主人公にした短編「流転の鷹」や本コーナーでも以前
に紹介されていたSF川中島「竜虎抱擁」までも載っていて、300円は安いっ三楽堂です。ここ米沢では昨日から雨がぱらついてきました。
台風がもっとも接近するのは明日ということです。
関東地方の天気予報を見て急遽、1日早く8日に唐突に出発いたしました。準備だ何だで出発は
昼になってしまいました。新幹線に折りたたみ自転車を積んで一路、山形へ。
新幹線の席で佐賀大学の先生といっしょになりました。その日の朝に佐賀の武雄を出てきたそう
です。日中交流の親睦会があるとかで、前回、山形のメンバーが佐賀まで出てきたため、今回は
行くはめになったとぼやいていました。が、山形新幹線の車窓から見える果樹園に「あれは何で
すか」とか、上山城を見ては「あれは何城ですか」と、こっちを完全に山形県人と思っていたよ
うです。

山形には夕方につきました。翌朝、蔵王駅で下車。直江兼続も攻めあぐんだ長谷堂城跡へ折りた
たみ自転車で挑みました。が、自転車をこいでて体力を使い果たしてしまい、城へのぼる途中で
退却。かわりに城域の周囲をまわりました。
蔵王に戻って再び自転車をたたみ(駅前でケータイかけてた高校生があっけにとられてました)、
いよいよ米沢へ。
立ち寄った順番に記しますと・・・

・宮坂考古館  もはや火縄銃を持つ手もふるえる始末(自転車つらい)
・堂森善光寺  前田慶次の供養塔を見ました。裏には慶次の生涯が刻まれてました。
・林泉寺    一刀彫りを売ってるおじさんと歴史談義
・照陽寺    お坊さんに上杉憲政の墓を教えていただきました。
・上杉家廟所  いつ来てもいい。左端、まだ工事中なのかな?
・法音寺    上杉家御年譜の編者・矢尾板三印の墓を見つけました。
・上杉神社と稽照殿  前の伝国の杜・新博物館オープンが楽しみです。
・法泉寺と文殊堂  兼続の詩碑があります。ここも静かなところ。
・東源寺    岩井家の墓所。直江平八景明の位牌もここに置かれたとか。

ホテルへの帰途、古書店へ寄って米沢信金発行の『直江兼続』と昔の歴史読本を購入しました。
『直江兼続』は米沢での事績が詳しく記されています。「兼続には平八のほかにも実子がいた」
なんて記述も興味深いです。子孫が四国にいるらしい。
歴史読本のほうは特集「立体構成上杉謙信」。大河ドラマ「天と地と」がやってた頃のものです
が、出演者の石坂浩二、高橋幸二、樫山文枝などが執筆。田中角栄も書いてる(笑)。
さらには当時としては珍しい、三郎景虎を主人公にした短編「流転の鷹」や本コーナーでも以前
に紹介されていたSF川中島「竜虎抱擁」までも載っていて、300円は安いっ


(3751) 肥後久武氏  投稿者:ぴえーる  投稿日:09月09日(日)13時25分53秒

ちょっと前、都立中央図書館に行ってきたので調べてきました。

http://www.geocities.com/hkino/hisatake.txt

久武綺石という才人がいたおかげで(「俳諧を善くし、其流を汲む者多し」)
今回は調べられました。他にも有名武将・無名武将の子孫がいるので
(熊谷直之とか団忠正とか)、いつか大々的に取り上げたいですね。


戦国群像top