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あった、あった。謙信像。でも、上杉神社の像はイマイチ。俳優山村聡に似ている なんて説明文もどっかになかったでしたっけ。鼻腔がひらきすぎなのがちょっとい やなんですよね。 春日山城のもののほうが凛々しくていいかな。栃尾城(秋葉公園)のもあまり好き ではないし、八幡原史跡公園のも・・・ウーン 戦国武将で、かっこいいと思う銅像は、やはり伊達政宗(青葉城)かな。あの像を みるたびに彼の詩「馬上少年過ぐ」を連想するほど。 馬でウィリーの最上義光(山形城)と「がちょーん」の長宗我部元親(若宮八幡宮) のはやり過ぎって感じがする。 かっこいいんだけど本人のイメージとあわないのね(笑)。
トラマさん、三楽堂さんと同じく、私も「愛」の字に眼がいって しまいました。 あと、鷹山の像の横の茂みに正宗生誕の地と書いた標柱があるぞ、 とか、斜め前は謙信の像がある、とか…(笑) >現地からリポートできるかも・・・ 大いに期待しております。
もうじき行くのだなと興味津々で見ました。 わたしも気になった、う〜む、あの「愛」の字はいったい・・・(笑)? もっとも今回は市内ぶらつき型・図書館ひきこもり型になりそうで、新博物館見学 は次回になりそうですが。 有料でPCを貸し出してくれる宿にするつもりなので、ひょっとしたら現地からリ ポートできるかも・・・台風も心配なんだけど。直江と同じく雨男です(司馬遼太 郎『関ヶ原』参照のこと)。 さて、『戦国遺文』が東京堂書店から出て先般完結しましたが、いよいよ後北条氏 編に続いて、武田氏編がスタートする模様です。けど、1冊1万以上するでしょう ねえ・・・上杉編は、新潟県史や大日本古文書、上越市史で割合充実しているほう だから、やらないだろうな・・・ 古書店で『戦国大名文書の読み方・調べ方』という本を買いました。安かったし、 内容も戦国限定なんで、面白いです。しばらくテキストとして愛用するつもりです。
米沢博物館の中での収録でしたね 話の内容についてはだいたい予想どおり ただウチの親父が経営者やってますので 僕自身は非常に共感できる部分はありました って親父は見てないんだった(^^; バックの「愛」の字が気になって仕方がなかった(^^;;;;
小和田哲男さんが、『人望の研究』(タイトルうろおぼえ)という本を 出しましたよ。 人気と人望は違う、と竹中半兵衛(過大評価)、真田幸村(人気先行) などをバッタバッタと斬り捨てて!?おります(笑)。 発行元はちくま新書。わたしは思わず立ち読みしてしまいました。 意外にも、謙信は人望があったと評価しているような書き方だったので、 うれしかったです。 ちなみに小和田氏推奨の人望武将は、山中鹿之介ですとさ。 戦国以外の西郷隆盛や今村均のほうがなるほどなと思いました。
>鷹山の回は、新博物館オープン間近の米沢で収録したそうですね。 ということは、新博物館の様子など、公開してくれるのでしょうか。 だとしたら、楽しみ♪ >「よみがえれ天下の名城」 こちらも面白そうですね。今週来週は、TVから目が離せない!? >どんな番組になるか、楽しみ・・・と言いたいが、その頃は米沢じゃ って、二度も書かなくても……
ガラシャの前日、9月11日(火)ですが、こちらも見逃せません。 「よみがえれ天下の名城」 今でこそ世界遺産にも登録された姫路城ですが、かつては荒れ放題だっ たのを、全部解体して大修理をおこない、ふたたび組み立てる壮大なプ ロジェクト。 どんな番組になるか、楽しみ・・・と言いたいが、その頃は米沢じゃ(リフレイン)。
鷹山の回は、新博物館オープン間近の米沢で収録したそうですね。 で、その次の回は、「細川ガラシャ」 6月頃から「細川ガラシャに関する番組を制作中」であると、わたしン とこへ某局から電話で何度か問い合わせがあったのですが、てっきりロ ーカルかと思ったら「その時・歴史が動いた」だったのですね。 わたしも関わった本が下敷きになっているようで、当時資料集めの途中 で見つけた新聞記事に「十七世紀のオペラ台本を日本人留学生が発見」 というものがありまして、これは新山富美子さんとおっしゃる研究生が 留学先のオーストリアで楽譜を発見したわけです。タイトルは『気丈な 貴婦人』。細川ガラシャを主題にしたもので、初演は1698年。ガラ シャの死から100年たらずでヨーロッパにおいて彼女のオペラが上演 されていたんですねえ。 放送は9月12日(水)を予定。 どんな番組になるか、楽しみ・・・と言いたいが、その頃は米沢じゃ。
真田三代というと 幸隆・昌幸・幸村というふうに言われてますよね ただ単に有名な真田家の人物三人上げただけのような気もしますが
自分で書いててわからなくなってしまったけど、 真田三代というと、ふつうは誰と誰と誰? 幸隆・昌幸・信之? 幸隆・信綱・昌幸? 幸隆・昌幸・幸村?→なんとなく、コレですかね? 昌幸・幸村・大助? 昌幸・信之・信政? ・・・だんだんめちゃくちゃになってくるなあ 変則だけど、昌幸・信之・幸村? さあ、正当(あえて正統とは書かない)・真田三代は誰々だ!?
武田三代、真田三代、北条は五代だけれども、これらはいずれも本のタイトルにな てるんですよね。 『武田三代記』 『真田三代記』 『北条五代記』 江戸時代にも「三代」とか「五代」とか流行ったのかな?。 ほかにも『浅井三代記』『里見九代記』などもあります。 葵徳川三代と前田三代、は「はやり」なんでしょうかね。あとはあまりいいません よね?(奥州藤原四代とか三代とかはあるけど) 1人では遺品が集まらないという博物館側の事情もあるかも(^^; 「○○とその時代」展、なんてのも同様だな。 とくに真田の場合は、幸村の大坂夏の陣までふれるのがある程度、「お約束」とな ってしまっているでしょ? しかも、昌幸なども語らないと、大坂に味方する幸村 の心情・境遇が伝わってこない。で、セットとして父祖まで「込み」にしないとだ めなのじゃないかな。 武田、浅井、里見などは勃興から滅亡までを概観した感じですよね。 わが上杉はといいますと、長尾から上杉に代わっているので、おさまりが悪いみた い。一応、手許に『上杉三代軍記集成』というものがあるんですが、ほとんど謙信 と景勝で、二代じゃないかと思うのですが、これは出版社が勝手につけたタイトル で内容はいくつかの軍記・逸話集が寄せ集まったもの。 「武田三代軍記」への対抗かな(笑)
市立図書館に隣接している近世資料館というのがあるのですが、 そこで今、「前田家三代」と題した企画展が行われていて、 昨日図書館にいったついでに見てきました。 小さな資料館なので、出品数は多くないのですが、その中に、 秀吉の死後、朝鮮出兵の兵を撤収する際に五大老が連署して 書いたという書状が出品されていました。 「輝元」「秀家」「利家」「家康」と4名の名と花押が。 …「景勝」の名はありませんでした。日付を見たら、「9月5日」 となっていて、このとき、景勝はまだ、会津にいたんですね。 (あるいは上洛途上?) ものの本には「五大老の名で」朝鮮からの撤兵が行われた、 ということが書いてありますが、実際には「四大老」の名で 行われていたんですね。それだけ、この撤兵は急がれたということ なのでしょうが、景勝の名が記されていなかったことに、 「ムムッ!」とうなってしまった次第です。まさか上杉に対する 嫌がらせではあるまい…。(笑) 同企画展は、9月末まで、金沢市立玉川図書館近世資料館にて行われ ております。 それにしても、「○○三代」っていうの、はやってるのでしょうか? 歴博のほうは、来月、ということで…
久しぶりに神田に出て、『戦国武田の城』(中田正光/著、有峰書店新社)という 本を購入しました。武田の城砦はあまり詳しくないのですが、帯に「謙信の妻女山 布陣はなかったと喝破!」という文字だけを見て買ってしまいました。 新刊扱いですが、奥付は昭和63年・・・あまり売れてないのでしょうか。 武田・上杉両軍の川中島城砦群の存在や、妻女山後方の武田方の拠点など、なかな か面白いのですが、本題はあくまで武田の城。分量的にやや不満が残りました。 雑誌「歴史群像」の掲載記事のネタ本だったなのかな。「歴史群像」といえば、次 回号(9/6発売)に手取川合戦の記事が出るようです。
↓プレッシャー…
じゃあ、よーぜんさんは「利家」、トラマさんが「長宗我部」ということで(笑) レポートお待ちいたしま〜す 「次回の舞台は米沢」でたしかにぐぐっときたけど、考えてみれば、はしっこにう つってた像で謙信か鷹山しかいないよね。しかも、米沢=謙信は考えられないから、 冷静に考えれば、鷹山しかいない(^^; 司馬遼太郎の『街道をゆく』羽州街道の巻は、兼続も景勝についてもふれられてい てとてもよかったです。TVでは司馬さんが「謙信や兼続のきらびやかさよりも好 きであるかもしれない」と言った景勝のことはカットされてましたが。 今度、米沢行く時のおともに持っていこうかな。
でもいいから直江出てくるとうれしいな>その時 ↓で紹介されてるイベントで一番の近場は・・・高知か がんばって日帰りしてくるか(笑)
>「その時・歴史が動いた」は次回、上杉鷹山なのですね。米沢が舞台といったとき>には、すわ直江兼続か、と思ったのですが(^^; 三楽堂さん同様、私も思いました(笑)。「鷹山」とでた時にはああやっぱり〜 という感じでしたね。 >秋〜冬は戦国企画目白押し! 北から南まで、企画がいっぱいですね。 山形、新潟、いいなあ。どなたかご覧になる方いらっしゃったら、 ぜひお話を伺いたいものです。 私は近場の「利家」に行きます。
東京大学資料編纂所が史料集刊行100年目を記念して、 「時を超えて語るもの―史料と美術の名宝―」を東京国立博物館平成館で開催。 会期は12/11〜1/27 戦国関連では武田信玄、信長、秀吉、家康の関連文書や、花押検索などの企画も。 地方も含めて、戦国ファンにとっては「熱い冬」になりそう!? 「その時・歴史が動いた」は次回、上杉鷹山なのですね。米沢が舞台といったとき には、すわ直江兼続か、と思ったのですが(^^;
我が地理歴史部もついに文化祭出展決定・ テーマは、川中島の合戦 表題は、地理歴史部二〇〇一文化祭in川中島(仮) 展示は、大きくは、4ブロックに分かれ、入り口より、合宿行程、川中 島の合戦、松代と真田氏、松本城となっています。(予定) 開催場所:千葉日本大学第一高等学校 最寄駅::新京成線習志野駅、東葉高速鉄道船橋日大前駅 日時:::9月22日、23日午前9時から午後4時まで お近くのかたはお越し下され。
>三楽堂さん ご無沙汰しています。なんかこちらに書き込むのすごい久しぶりですねえ(^^;) > ●釧路市立博物館 > 「よみがえる北の中・近世 掘り出されたアイヌ文化」 > 9/1〜10/7 これは先日まで苫小牧市博物館でやってたので見てきました。函館や釧路まで見に行くわけにもいかないので(^^;) 上ノ国の勝山館や平取のユオイチャシ・ポロモイチャシから出土した物などが展示してありました。最近は北海道の中世が結構注目されてきているので、楽しみです(^^) > ●北海道開拓記念館 > 「知られざる中世の北海道―チャシと館の謎にせまる」 > 9/7〜11/4 これも見に行く予定です。10月13日にシンポジウムもあるんですが、第2土曜なのになぜか出勤日(T_T) 絶対休みとってやるう(無理かも(^^;)) あとの所も見に行きたいですけど、何せ北海道からでは遠くて...(T_T)
>桜田宇兵衛、梶仁右衛門、奈良岡豊後、小比内藤蔵、神丹波、阿保中務、 >相馬伊賀、八木橋左衛門四郎、新岡源二郎、新岡弥三郎、宮舘与五郎 ありゃ。11人いる!(パロディじゃないんだけど) 新岡源二郎と弥三郎は兄弟で、これは2人で1人勘定なのかな?
まずは北からいってみようか、GO! ●北海道開拓記念館 「知られざる中世の北海道―チャシと館の謎にせまる」 9/7〜11/4 ●釧路市立博物館 「よみがえる北の中・近世 掘り出されたアイヌ文化」 9/1〜10/7 ●山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館 「発掘された山形の城館跡」 10/2〜11/30 ●米沢市立上杉博物館 「上杉家の至宝」 9/29〜11/4 「上杉家文書を知る」 12/8〜12/28 ●新潟県立歴史博物館 「よみがえる上杉文化」 10/20〜12/2 ●石川県立歴史博物館 「利家とまつをめぐる人々」 10/6〜11/4 ●高知県立歴史民俗博物館 「長宗我部元親・盛親の栄光と挫折」 10/19〜12/16 ひえ〜、とてもじゃないけど見きれないよね。
Cafeさん、ずいぶん昔の書き込みを探してこられましたねー。 自分で発言しときながら忘れてしまったよ。 「大浦十勇士」は手許に資料がありました。 桜田宇兵衛、梶仁右衛門、奈良岡豊後、小比内藤蔵、神丹波、阿保中務、 相馬伊賀、八木橋左衛門四郎、新岡源二郎、新岡弥三郎、宮舘与五郎 ・・・ということです。このうち、桜田宇兵衛はXファイルでも1項目 たてているので、よかったら参照してください。 村上八家のほうは・・・記憶がとんでる。何を見て書いたんだっけかな。 すぐにコメントくれるとこっちも覚えているのだが。 たぶん、楽岩寺とか須田とか出浦とか、そんな連中が並んでたような気 がするけど、どうして知りたいんですか?
「群書治要」は徳川家康も金地院崇伝を通じて兼続に所蔵確認をしてい たと思います。この「貞観政要」もひょっとして、それと関係あるのかな? 三楽堂さん、その妄想を支持させていただきます! 慶次の没年は慶長17年と米沢ではなっているので所蔵確認は そのころですかね。 新潟県立博物館(長岡市)だったかな、今秋、たしか上杉関連 の企画があったはず、そっちも行きたいと思っているんですよ。 長岡市ですか〜。 自分と同じ苗字が多い町なので行きたいですね。 私の苗字は新潟(特に長岡市)・神奈川・高知の3県に集中 しています。 苗字に「武」がつくけど武田家遺臣かな?
ありがとうございます、ぴえーるさん。 相変わらず、加藤、細川などは「自家薬籠中」ですね。 久武内蔵助のさらにその後をご紹介いただきありがとうございます。 細川家云々という記述はどっかで目にしたことがあったんですが、落魄 して土佐を去るという展開上、あのような終焉にいたしました。 史料等のご紹介も助かります。差し支えなければ、補足調査に加えさせ ていただきます。 それにしても、吉良の末裔・町氏も細川家中でしたか・・・。 Xファイルのシリーズ「長宗我部衰亡史」も次回で完結です。
THIS TIMEさん、失礼しました。 >貞観政要之御本、兼続様へ被仰上、御借被成候て・・・ これならば、慶長五年以後であることはほぼ間違いありませんね。 「群書治要」は徳川家康も金地院崇伝を通じて兼続に所蔵確認をしてい たと思います。この「貞観政要」もひょっとして、それと関係あるのかな? (以下、三楽堂の妄想) 徳川家康が「貞観政要」を探している。金地院や林道春らをして調査さ せたところ、京都五山の僧侶が「山城守どのならば所持されている」と の答え。金地院崇伝が直江兼続に所蔵確認。兼続が国許の文庫へ問い合 わせたところ、与板衆の倉賀野左衛門五郎(図書係かい!)が「この間、 慶次どのに貸しちゃったじゃないですか」の返事。兼続「まだ返してな かったのか。ちょっと督促してみてくれ」で、倉賀野が慶次に問合せた ところ、「病気で臥せっており、まだ読んでない」という返事を貰った・・・ 写しということですが、原本所蔵者は米沢市なんでしょうかねえ? >三楽堂さん、9月末に上杉博物館が新しく開館されますね。 >自分も10月初めに米沢へ行く予定です。 年内に2回行けたらと思っとります(^^;。 それと、新潟県立博物館(長岡市)だったかな、今秋、たしか上杉関連 の企画があったはず、そっちも行きたいと思っているんですよ。 >米沢図書館はあまり広くないですけど、上杉関係の >蔵書はたくさんあると思いますよ。 すでに数冊、あたりをつけております(^^;
三楽堂様、こんにちは。御無沙汰しております。 ウチの御先祖は北条家(小田原のね)の家臣だったきいています。北条家滅亡後、 江戸時代は旗本として幕府に仕え、現在も当時からの「領地」に住んでいます。 ちょっと前に、蒲生様御一門の方が書き込んでいましたが、結構面白い顔ぶれで すね。
>そうか、ウチは武田遺臣同士がくっついたのかあ。 すごい。その三楽堂さんが上杉家と愉快な仲間たち研究家というのも すごいですね。 うちは農民です。(笑)名主だったようですが。 うちのお墓、結構古くて苔むしているんですが、先日 墓参りしたとき確認したら、「享保十年」の文字が刻まれていました。 父の代で8代目、と聞いていたから、それなりに古いとは思っていたのですが、 自分ちの事ながら改めて感心(?)してしまった次第です。(笑) >ワシみなさんほど勉強してないしネタないし(^^; トラマさん、大丈夫です。三楽堂さんがたくさん語ってくださいますから。
(874)十勇士 投稿者:三楽堂 投稿日:12月03日(水)06時42分11秒 >ほかにも十勇士っているのでしょうか? 有名な真田・尼子以外では、大浦十勇士(津軽為信家臣)、 村上八人衆(村上義清家臣) の大浦十勇士と村上六人衆って誰ですか?どなたか教えてください。
肥後加藤氏に仕官したという内蔵助ですが、 子孫はそのままシフトして細川氏に仕えたようです。 確か『肥後文献叢書 別巻』の「肥後先哲偉蹟」に子孫が載っていたはずです。 いま神奈川住まいなので確認は取れませんが。 同じ本に吉良左京進の子孫という町氏も載っていたり……。
前向きもなにもないですよ、いきましょうよ! トラマさんが、行くなら私もいきますよ。 勉強もネタもいりません、歴史を愛する心があればいいんです。 ねぇ、三楽堂様?
>言いだしっぺのトラマさんは当然来てくれるんでしょ? うげげげげ!うーむ・・・・・ 前向きに検討いたします(役人口調) つってもワシみなさんほど勉強してないしネタないし(^^;
三楽堂さん、9月末に上杉博物館が新しく開館されますね。 自分も10月初めに米沢へ行く予定です。 米沢図書館はあまり広くないですけど、上杉関係の 蔵書はたくさんあると思いますよ。
凪さん、寛政重修諸家譜に滝川三九郎については 書かれているはず。 小田原市史に『滝川一益事書』という古書があるそう なので、もしかしたら三九郎についても書かれているかも? 後は滝川一族は茶道好きだから茶道から調べると なにかでてくるかも? 一つ疑問があるんですけどなぜ一忠(一益嫡男)は 一生浪人のような生活してたんでしょうねぇ〜。
三楽堂さん、失礼しました。 文章力ないので長いと思いますので先に謝り、 詳細に書かせていただきます。 書状については伊佐早謙著の『清覧録』に 写しがあるそうです。『清覧録』については 私は閲覧していません。写しの内容はわかります。 原文:倉賀野左衛門五郎様 前田慶次 人々御中 貞観政要之御本、兼続様へ被仰上、御借被成候て 可被下候、病中見申候て、罷出候時、頓返上可申候、 腫気さし申候て立居不自由候間、御前へ不罷出候、 恐々謹言。 八月九日 利貞花押 訳すると、貞観政要は兼続に借りて、療養中に読んで、 外出できる時に返却しようとしたが、腫瘍がひどく 動けないので、まだ返せないでいる。でいいんですか? 書状が慶長5年以降と考えるのは 1.この病状から慶次の晩年ではないか? 2.貞観政要のような本を京都時代に寺町通りに 僑居していた頃、貸しただろうか?と思うので。 倉賀野左衛門五郎も晩年になりますよね。
凪さん、滝川三九郎のレポート頑張ってください。 >ところでまた質問なんですが、『眞田』姓の方々が集まる会合みたいなものがある・・ 真田六文会のことだと思います。信州の真田伯爵家(の子孫の方)が中心となって 文化財の保護や交流を行っているようです。真田姓の方ならば、信州真田家の子孫 ではなくても入会できるようですよ。 しかし、真田姓の方がうらやましい。自分の姓もありふれたものではないんですが、 同姓の会はなさそうだし・・・いっそのこと、上杉とか直江なんて姓だったら・・・ わたしのほうは武田家臣だったみたいです。「信長公記」や「甲陽軍鑑」でも出て いる人ですが、家伝の品々も数代前にバクチで手放してしまったとか(涙)。 家人(おお、ひさびさに使ったぞ)のほうも、聞いた話ではそっちは川中島合戦で 謙信と信玄が一騎討ちした際、鎗でもって信玄を救った原大隅につながっているん だとか。 そうか、ウチは武田遺臣同士がくっついたのかあ。 いっそ、越後へ亡命していてくれたら・・・(めちゃくちゃ言うとるな) ・・・ペンネームという手もあるな。
>いいですね、それ。でも、関東方面の方は遠くなっちゃうでしょうか? 構いません。行きます! 言いだしっぺのトラマさんは当然来てくれるんでしょ? 及川光博演じる前田慶次の最終登場は、日記を書きながら米沢へ下向していくシー ンにして欲しいなあ。 あ、そういえば今月から上杉家文書の発行(大日本古文書復刻版)がはじまりまし た。今月、1巻、2巻。来月に3巻が出ます。 元版と比較してみたところ、挿入されている古文書の写真版の質が落ちてますね。 元版のほうはパラフィン紙で保護され、墨の濃淡、かすれなど、筆勢もわかるぐら いだったのですが、今回の復刻版ではパラフィン紙はなく、写真版も「いかにもコ ピー」と思えるもの。 元版の誤植・誤記なども1枚の訂正ですまされており、金かけてない割には、いい 値段(各¥14000)です。 来年から発行される『上越市史・上杉氏文書集』のほうは、純粋な「上杉文書」で はないのかな? こちらも内容が楽しみです。新潟県文書館の方の説明ですと、 新潟県史の中世編を補完する内容のようだ、とおっしゃっていましたが・・・。
トラマさま、先日は私のサイトへのご訪問、ありがとうございました。 >新潟は仕事で時々行くので、いっそ上越ってのはいかが? いいですね、それ。でも、関東方面の方は遠くなっちゃうでしょうか? >石田三成、上杉景勝、直江兼続、大谷吉継彼らを誰が演じるのか非常に興味があり>ます 私も興味あります。 サブキャストの発表のあと、その他のキャストの発表は聞いておりませんが、 密かにできているのでしょうか。 登場するといっても、上杉主従はちょっと顔を出す程度でしょうか。 慶次を登場させるくらいだから、出さないとウソになりますよね? すご〜く、嫌なヤツとして登場しそうな気が…
>米沢が遠いなら、上田に行きましょう! うぐぐぐ・・・ここもまだ遠い(TT) 新潟は仕事で時々行くので、いっそ上越ってのはいかが? >利家とまつ』のロケ、始まったようですね 出るかどうかわかりませんが 石田三成、上杉景勝、直江兼続、大谷吉継 彼らを誰が演じるのか非常に興味があります 情報出てますかね? >なんだか、心霊スポットとしてTVなどが取り上げて以来、 ぶわっはっはっはっはっはっは(失礼!) 学生時代の友人の話では 鳥取城でも亡霊が出た、という噂もあったそうです 古戦場につきものですね(^^)
三楽堂さんありがとうございました。 がんばります!! ところでまた質問なんですが、『眞田』姓の方々が 集まる会合みたいなものがあると静岡を旅行した時 の宿屋『眞田』姓の方がおっしゃられてました。 本当にあるのですか? あったら何をされているのですか? 私も『眞田』姓ですが、お聞きしたのは初めてでしたので。
なんだか、心霊スポットとしてTVなどが取り上げて以来、夜中に車で訪れる若者 が増えているようです。中には、「鎧武者の亡霊が・・・」とWebで実況中継す る大ばかものもいるとか。 まったく、嘆かわしいです。北条氏照も泣いておるぞ。
こんにちは、よーぜんさん。「夢のあとさき」も参考にさせていただい ております。ただ、最近、出費がかさんだので、小旅行ならぬ省旅行に なりそうです。小野川温泉のうめやさんにも泊まりたいとは思っている のですが、2名以上の時のほうが楽しそうだし、車のない身では不便だ し、きっと市内の安いビジネスホテルでとぐろを巻いているのかもしれ ません。 >やはり古書店とか回られるのでしょうか。 たぶん。しかし、古書店よりも図書館に通いっぱなしかも(笑)
THIS TIMEさん、その後、前田慶次研究のほうはいかがでしょうか。 倉賀野氏にあてた慶次の書状というのは、わたしも知りませんが、そう いうことを書いたものがあるのだとしたら、現物(もしくは写し)もど こかに残っているのかもしれませんね。 倉賀野左衛門五郎は、「永禄三年に上杉に仕えた」というのは謙信の関 東侵攻時に味方についたぐらいの意味で、完全な主従関係ではなかった と思います。この頃はまだかなり若かったはずです。永禄七、八年頃に 倉賀野城防戦の功によって謙信から賞されていますが、後見の橋爪若狭 守が幼君を補佐して感状を受けています。その後、没落して謙信を頼り ますが、すぐに直臣とはならなかったのでは? 景勝の代になって与板 衆に入り、完全に被官となりましたが。 慶長五年以降の書簡というのは、何か根拠があるのでしょうか? わたしとしては、滝川一益が上野国が在国した天正十年のわずかな期間 か、あるいは小田原攻めの前後と考えたほうがいいのではないかと思い ますが。 ちなみに左衛門五郎の子長左衛門は大坂の陣以後に出仕していますから ちょっと年代があわないと思います。
凪さん、いらっしゃいませ。三楽堂と申します。 滝川三九郎に関するレポートを書かれる由。『武士の紋章』を読まれて とありますが、すでに『真田太平記』のほうも目を通されているんです よね? 両方とくに『真田太平記』を読んでて、池波正太郎はこの滝川三九郎に たいへん惚れこんでいるな、と感じます。自分も三九郎のように死にた いが無理だろうとも言ってます。 しかし、これは史実がどうこうというよりも、池波正太郎の造形による キャラクターですから、レポートを書かれる上で、無味乾燥な史実など は無意味だと思うんですよね。 むしろ、池波氏の信奉するダンディズム(?)を他の作品(きっと、三 九郎とかぶるキャラとか、原型がいるはず)、エッセイなどから探り当 て、いかにして「滝川三九郎」は造形されたか、を突き詰めて行くほう が、共感を得る文章ができるのではないでしょうか。
トラマさん、米沢が遠いなら、上田に行きましょう! 次回のサミットがあれば、ぜひ!
米沢へいかれるんですか・・・ いいなァ、広島からやとメッちゃ遠い 今財政状態もよくないし
三楽堂さん> 来月は米沢ですか。私もまた行きたいです。やはり古書店とか 回られるのでしょうか。 >息子さんの分を横取りしてたじゃないですか。 あれは横取りではなく…。わかりました。「中」と言わず「普通」 に挑戦します(爆) 石田治部さん> >「山城好きの血」が騒ぐ! 私は治部さんとは違う意味で「山城好き」です。(笑) 『利家とまつ』のロケ、始まったようですね。 今朝の地元新聞の一面にでかでかと載っておりました。(写真が) 唐沢は、歌舞伎役者か!?と思っちゃいました。
はじめました。お邪魔いたします。 突然ですがスミマセン教えていただきたいことがあります。 私は今俳養成学校に通っているのですが、そこの社長の夏休みの宿題で 『私は、歴史上(戦国時代限定)のこの人の生き方に共感(又は、興味)を 持ちました。』という題で、レポートを書くことになりました。 私は、池波正太郎『武士(おとこ)の紋章』わ読んで【滝川三九郎一積】に 興味を持ったのですが…ほとんど資料が見つかりませんでした。 レポートは、『滝川三九郎一積』をどうしても書きたいのです。 そこでアツカマシイお願いと存じますが、何かご存知でしたら教えて頂きたいのです。スミマセンがよろしくお願いいたします。
前田慶次から倉賀野左衛門五郎へ送った書状が あるそうで?(現存不明) 倉賀野左衛門五郎について調べると、上野国の 秩父一族で永禄3年に上杉家に仕えたとわかった のですが、この書状は慶長5年以降に書かれたと 考えると宛名・倉賀野左衛門五郎は子息だと考えて いいんですかね?
わたしのほうはそろそろ来月の米沢行の計画を練っています。 #石田治部さん だめですよ、岩櫃城の写真なんか見せちゃ。沼田城あたりの城を見 せておいて、とぼけて連れ出してしまえばいいのでは? #佐平次さん 75番目というのは、かなり早いのでは? 今後ともよろしくお願いいたします。 #よーぜんさん >あと、刀屋のおそば、「小」でも十分でしたよ。 うそ。息子さんの分を横取りしてたじゃないですか。量的に「中」ぐらいはあった と思いますよ。さすれば、適正なのは「普通盛り」!? #ゆきさん 質問の主旨がいまひとつはっきりしません。以前も申し上げたかもしれませんが、 質問されるときは、あなたが参照した史料などを開示してください。この場合は、 秀吉の天正十四年、十五年それぞれの「惣無事令」とは何という史料をもとにお っしゃっているのか、ということです。 そして、回答があった場合は、その内容で十分なのか不十分なのか、返信願います。 「聞きっぱなし」というのは、次回から相手にされなくなりますよ。