過去ログ3651番目から3700番目までの記事です。
7時のNHKニュースで、ロケが、始まったとのこと。 松島さんは、かつらが似合う! 唐沢は、・・・う〜ん。
「真田三代」のCD-ROMに写真が収録されてるので、岩櫃城を 皆にみせたら、「一緒に登る。」と言ってくれた人は、いませんでした。 それでも、私の体の中に流れる「山城好きの血」が騒ぐ! いつか登ってみせます!
先日の真田サミットで三楽堂さんに言われてしまいました。 「佐平次さんって小田原評定の書き込みする人の中でも古株の1人ですよ。」 で、過去ログ確認してみました。 http://www.people.or.jp/~yakome/oda/oda51-100.htm 75番目に初登場。妙に懐かしくて順送りに読んでいってしまいたい衝動に駆られています。 左衛門佐ともーかさん近頃ちっとも顔出さないなぁ〜
ひさびさの新刊情報です。 『ザビエルの同伴者アンジロー―戦国の国際人―』岸野久/著、吉川弘文館 『戦国武将列伝』宝島社 『武将たちと駿河・遠江』小和田哲男/著、清文堂出版 『史伝黒田如水』安藤英男/著、学研M文庫 『真田の里紀行―信州真田・上田・松代・上州沼田・紀州九度山を歩く―』芳賀登/著、皓星社 『宮本武蔵・伊織と小原玄昌について』宇都宮泰長/著、鵙和出版
秀吉が発した惣無事令は天正14年表記のものと15年とがありますが、 どちらが正しいのでしょうか?教えていただきたいのですが。
さっそくうちの掲示板で、宣伝させて頂きました。 あと、刀屋のおそば、「小」でも十分でしたよ。「中」くらいまでならいけるかも。次回、挑戦します。(笑)
>ちょっとしたブームにしません?「真田三代」。 一応、こちらで宣伝しておるんですが、内容知りたい方には教えてあげてください。 第4回目です。ちなみに第2回目が武将番付ね(笑)。 http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/goods/gadget.html CD-ROMも結構なボリュームなので、全部見るのたいへんなくらいですよね。
私も買ってすぐに見ました、が、疲れてたので、あんまり見てません。 だから、ぱっと見ですけど、資料が豊富!クリックで、大きくなる! 値段が安すぎ!など、見れば、見るほど、良さがわかる!(私も見ないと。) 私は、ある画家のCD−ROMを持ってるんですけど、それにはあったのが、 壁紙機能。 しては、だめなんですかね?壁紙。 でも、私なら、3000円くらいしてもいいのでは?と思ったので、 推奨商品です。
池波正太郎真田太平記館で購入したROM、上田から帰ってすぐ、 実家のPCで見ました。 三楽堂さんからご指摘のあった「影虎」もしっかり チェック(←いやな奴かも…)。 謙信や信玄、「景虎」「晴信」で出ていましたね。「謙信」「信玄」 と、一般に知られている名で出てないところが、マニアックで(?)良かったです。 史料が豊富にあって、クリックすると大きく文字が読めるようになっている ところなど、とても気に入りました。 あれで1000円は、絶対に安いです!! ちょっとしたブームにしません?「真田三代」。
10時に上田を出て、鳥居峠を越えて渋川伊香保IC経由で14時に帰ってきてしまいました。 渋滞も全くなく、快適なドライブでした。 今度は上田→松代を体験して真田宝物館へ行って来ます。。。 帰ってきてニュース見たら16時頃関越自動車道は所々で渋滞だったようです。 >向井左平次さま> >いろいろありがとうございました。 >下手くそな運転で申し訳ありませんでした。 とんでもないです。 快適なドライブで後席でのんびりとしてしまいました。 ありがとうございました。 又左衛門君の足が心配ですが、大丈夫だったのでしょうか?? わかっていたとは言え、三楽堂さんの博識には驚きました。 また、色々と話を聞かせてください。 ってまた一杯やりませう! )^o^( 去年に続き今年もまた、お世話になってしまいました>OBASAN 上田市立博物館で学芸員を呼んで説明してもらいました。 お手配痛み入ります。 帰りがけ、岩櫃城への登り口を確認してきました。 最寄り駅はJR吾妻線群馬原町駅。 是非城跡だけでなく山頂まで登ってきてください>石田治部さん やっぱり寝袋は必要かな… (^^;) 池波正太郎真田太平記館での歓談にもっと時間をとりたかったですね。 ってこの次のお楽しみと言うことで。。。 お世話になりました>all
上田の住民、OBASANです。 皆様、それぞれ、家に無事、お着きになりましたか? 運転が未熟というか、スピードのでない車で、申し訳ありませんでしたm(_ _)m ふだん上田の街中と、実家へしか連れていってない車なものですから(笑) 坂道は苦手なんです^^; いろいろとお話できて楽しかったです。地元ながら知らないことも多くて……。 そうそう、真田三代のCD、お買い上げありがとうございました。 上田市の財政もうるおいました(笑) 村上義清の供養塔のこと確かめました。やはり、義姉の眠る霊園にあるのは 明治時代に村上家の子孫が建立したものだということです。 お彼岸にお参りに行きますので、写真を撮ってきますね。 霊園までに、一部細い道があって、運転が恐い。夫と行ってきます! また、お会いできたら嬉しいです。 あれ、向井佐平次さん、渋滞に巻き込まれたか、まだ帰られないみたいですね。
エート。わたしは本日夜8時過ぎ、帰りつきました。 >なお、詳しい話は、三楽堂様が、越後よりお帰りの明日に >書いてくださるでしょう、 今回は逆越山いたしませんでした。黒姫どまりです。 順をおって説明しますと・・・・ 上田駅に参集した佐平次さん、OBASAN、よーぜんさん、又左衛門くん、 石田治部さん、そしてわたし三楽堂。 刀花茶房(刀屋のお嬢さんだっけ?が経営されている喫茶店)で自己紹 介&時間待ち。 そのあと、刀屋へ。よーぜんさん、大盛りのほうがよかったのでは? 史跡探訪にうつって真田本城、長谷寺、信綱寺、上田城へ。信綱寺の宝 物館が今回は見られたのでうれしかったです。捻挫の又左衛門くん、足 は大丈夫だったでしょうか。 最後に池波正太郎真田太平記館で見学&歓談。楽しかったです。 天気がよくて幸いでした。 個人的には歓談の時間が短かったのか、暖気運転の段階でおひらきとな ったのが、心残りです。が、その分はそれぞれのお顔を思い起こしなが ら、ネットでさらなる交流をはかりましょう。 いたらぬホストでしたが、懲りてなければ以後もよろしくお願いいたし ます。また、今回、ドライバーのOBASAN、よーぜんさん(女性軍に運転 させてる)、とりわけ御礼申し上げます。 さて、解散してからの行動です。 佐平次さんと刀屋で一杯。一日に2度刀屋のそばを食べられた幸せ。 その後、上田泊の佐平次さんとお別れして長野へ。佐平次さん、Uター ンラッシュ無事に避けられたでしょうか? 翌日、信越線で黒姫へ。バスで野尻湖に向かい、真光寺というお寺で長 尾政景の墓に詣でました。もちろんニセ墓ですが・・・ 案内も何もないので、お寺の方にお聞きし、なぜこの寺にあるのかとい うことまでお話を聞くことができました。 こうなれば、やはり宇佐美定行の墓にも行かなくては(笑)。野尻湖の 遊覧船で弁天島に上陸。島の宇賀神社にある定行の墓(もちろんこっち もニセ墓)を見てきました。 長野市に戻って、恒例の古書めぐり。今回は新井大正堂さんで『善光寺 道名所図会』と徳富蘇峰の『近世日本国民史・織田信長(全3冊)』を 入手しました。
帰るなり早々、又左にPCを乗っ取られてしまい、お礼が遅くなりました。 昨日は、本当にお世話になりました。ありがとうございました。 真田サミット、ホント良かったです。前に行ったところも若干かぶりましたが じっくり見学ができ、大満足です。 信綱寺の血染めの陣羽おり、始めて見ましたが、嘘かまことか「すさまじい!!」 の一言に尽きます。 もう少しし、歓談の時間が。在れば良かったなあと、それが心残りと言えば 心残りですが… 三楽堂さんは、まだお帰りではないのでしょうか?飯山での収穫、また聞かせてください。 向井左平次さま> いろいろありがとうございました。 下手くそな運転で申し訳ありませんでした。
昨日はどうもありがとうございました。いい運動になりました。 私も早く治すように頑張ります。
本日は、大変ありがとうございました。 新参者の分際で、一番ご迷惑をおかけいたしました。 よろしければ、これにこりずに、今後ともよろしくおねがいいたします。 向井さん、今度ゆっくり真田話をおねがいいたします。
本日、長野県上田市において、上田サミットが開催されました。 参加者は、三楽堂様、向井佐平次様、まだむみんみん様、よーぜん様、 息子の又左君、私の総勢6名。 真田町から、上田市に流して行き、地元のみんみん様や、知識の三楽堂様、 そして、真田の猛者の向井様のお話が、史跡のご当地で聞けて かなり、ハイレベルのガイド付きでした。 最後に真田太平記館で、思い思いの歴史話に盛り上がりました。 なお、詳しい話は、三楽堂様が、越後よりお帰りの明日に 書いてくださるでしょう、我ながら、無責任なカキコだ。 次回もそのうちあるとおもわれます、(私が嫌われてなければ) 多くの方々のご参加をお待ちしています。
エビスビールを飲んでて、ふと戦国時代のキャラクターをあてはめたら、 誰々になるかな、と考えてみた。 恵比須・・・・・・・村上武吉(海賊だって釣りぐらいしただろう) 大黒天・・・・・・・織田信長(黒いから洗っちゃったりして) 弁財天・・・・・・・おまつ(小野お通とどっちにしようか迷った) 毘沙門天・・・・・・上杉謙信(まんまじゃないか) 布袋・・・・・・・・徳川家康(体型だけじゃないか) 福禄寿と寿老人と続くのだが、この二神は同体とみられる場合もあり、 寿老人が補欠になって、かわりに吉祥天女か猩々が入ることがあるらし い、というので・・・ 福禄寿・・・・・・・斎藤道三(頭の形似てない?) 猩々・・・・・・・・羽柴秀吉(猿だから?) 吉祥天女は毘沙門天の妻であることもあり、謙信が妻帯したらまずいの で、猩々を採用。 ああ、明日早いのに、こんなことしてていいのか、自分!
山本帯刀ですが、その末裔は幕末の長岡藩の家臣になったそうです。同名の人物が 北越戦争で活躍しています。山本五十六はこの家の出身だとか。 問題の山本帯刀は、山本頼重といって、佐倉で1000石ばかり給されているんで すが、作左衛門さんがお調べになったとおり、寛政重修諸家譜などには比定できる 人物が見当たりませんね。所領も石高も違いますから。 わたしも気になっていたので、一応、心にとめておきます。何かわかったら、ここ に書き込むことにいたします。
『甲斐国志』の史料的限界は承知していたつもりでしたが、勘助と帯刀の 年代の矛盾には気付きませんでした。我ながら迂闊だったと思います。 天正十年に徳川氏が甲斐を平定した際に発給した文書の幾つかに帯刀が署 名しているようなので、彼が甲斐山本一族の出身だとすると、遅くても武 田家滅亡直後、あるいはそれ以前から徳川家に仕えていたのかもしれません。 このあたり、もっと調べなければいけないのでしょうが、難しそうです。
吉川英治原作、鎌田敏夫脚本の『武蔵 MUSASHI』に決定しました。 配役は未定です。そういえば、『葵―徳川三代』でも武蔵がチラと登場 してましたね。何の伏線かと思いましたが、今回のドラマ化に候補とし てあがってたわけですね。 初のエンターテインメント系大河ドラマをめざすそうですが、しかし、 NHKって、以前に『宮本武蔵』を制作しています。日曜大河枠ではなく、 水曜だか金曜だかの時代劇枠でした。もちろん吉川英治の作品で、主演 は役所広二、小手川祐子、中康治らでした。 で、武蔵役者をわたしなりに、大胆に予想してみました。 1.市川新之助 実は民放版「宮本武蔵」で父団十郎が主演しているんですね。父よ りもワイルドなイメージでいいかも。歌舞伎系の最右翼か。 2.木村拓哉 エーという方もいるかもしれないが、実は「キムタクで大河を」と 熱望している脚本家がけっこういるらしい・・・ 3.松重豊 ガタイがでかいところはピッタリの気もするが、主役にはちょっと 弱いかも。
作左衛門さん、いらっしゃいませ。 当コーナー城代・三楽堂と申します。 >『甲斐国志』には山本勘助の弟とあるのですが、『寛永諸家系図伝』と『寛政重修諸家譜』には・・・ 『甲斐国志』は史料としては江戸時代の編纂もので史料的価値は一級と はいえません。山本帯刀はまぎれもなく実在の人物で、おそらくは甲斐 山本一族の出なのでしょうが、彼が山本勘助(『甲陽軍鑑』の軍師であ るかどうかはまた別テーマなのですが)の弟であるというのはすぐには 首肯できません。年代などもちょっとズレているような気がします。 「軍師」山本勘助は巷説ですと六十七歳ぐらいで川中島合戦に討死しま したが、これが永禄四年(一五六一)のこと。『家忠日記』の記述に登 場する山本帯刀の記述から三十年以上を隔てています。ちなみに帯刀が 勘助の二十歳若い弟とすると、文禄年間当時、すでに七十七歳ですから。 兄弟間の年齢がもっと接近すると、よけい文禄年間当時の帯刀の年齢が 疑問視されることになります。 『甲斐国志』が何の史料を典拠に弟と書いたか、これをつきとめる必要 がありそうですね。
>真田サミットとはいいながら、先日来、上杉関連の疑問が頭の中で渦巻いているた>め、上杉の話題ばかり持ち出すかもしれませんが、 私としましては、大歓迎です。上杉家の話題。(^^) 又左がけがをしまして、連れて行けるかどうか…。(本人は行きたがって おりますが) 慶次の号、「穀蔵」は害虫の「穀象」のことか、というご指摘、興味深く 拝見いたしました。いかにも「かぶき者」の慶次が思いつきそうなこと だと思いまして。
はじめまして。 最近、徳川家臣について調べているのですが、山本帯刀というよく分らない人物に出くわしました。 『甲斐国志』には山本勘助の弟とあるのですが、『寛永諸家系図伝』と『寛政重修諸家譜』には 事績が載っていません。 『家忠日記』の文禄元年三月十六日条に江戸普請奉行として名が出ているので、実在はする のでしょうが、具体的な事績がよく分りません。 この人、一体何者なのでしょうか?
今回諸事情により 投稿者名を本来使うはずの『山野上春定』から『ARMS 道端』に変更して報告します 報告1 妻女山IN川中島の合戦 妻女山の上杉陣を裏手より攻撃した、武田の別働隊この件に関して 調べたところ、史料の記述に合わせて調査した信大の関係者に尋ねた ところ・・・絶対無理と言う回答が得られた。 1、史実と同じルートをワンゲル部と一緒にたどった結果、時間通り に着かなかった(上杉陣に)。 2、あのルートを、一万二千の兵で通ろうとすると、間を詰めたと手 先陣より殿まで、3時間かかると言う点。 以上二点等により信大は、この件の否定をしている 今後更なる調査を次回は自ら行いたいと思う。 by山野上 春定
国立劇場開場三十五周年記念公演 近松半二・三好松洛・竹田因幡・竹田小出・竹田平七・竹本三郎兵衛=作 通し狂言 本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう) [第1部] 大序 足利館大広間の段 同 同 奥御殿の段 二段目 諏訪明神百度石の段 三段目 桔梗原の段 同 景勝下駄の段 同 勘助住家の段 [第2部] 二段目 武田信玄館の段 同 村上義清上使の段 同 勝頼切腹の段 四段目 道行似合の女夫丸 同 謙信館景勝上使の段 同 同 鉄砲渡しの段 同 同 十種香より奥庭狐火の段 竹本住大夫 鶴澤寛治 吉田玉男 吉田簑助 吉田文雀 ほか
前田慶次の穀蔵院ひょっとこ斎という号ですが、穀蔵が気になっていました。 先日、NHKで「死語寸前の季語辞典完成間近」というニュースをみましたが、そ の季語の中に「穀象(こくぞう)」がありました。ゾウ虫のように鼻が長い甲虫の 一種です。穀類を食べるので、昔はたいそう嫌がられたということですが、慶次の 「穀蔵」は害虫の「穀象」のことなのかな、とフト思いました。 奇抜な言動などで「穀象」のように人からは嫌がられつつも、「ひょっとこ」のよ うに自らはそんな世間と人々を笑い飛ばそう、という意味なのかな、と勝手に解釈 してみたのですが、どんなものでしょうか。 どうでもいいことですが、「知ってるつもり」で、またまた織田信長をとりあげて いましたが、番組自体よりも小和田哲男先生が映ったバックのほうが気になってし まいました。「おお!大日本史料と上杉家御年譜じゃあ」 どうも、識者は本棚をバックに映りたがる傾向があるんでしょうか、それとも制作 サイドの要求なのでしょうか、その本棚の内容が毎度気になって仕方がない私です。
真田サミットとはいいながら、先日来、上杉関連の疑問が頭の中で渦巻いているた め、上杉の話題ばかり持ち出すかもしれませんが、参加者の方々、てきとうに軌道 修正お願いいたしますね。 なんか、歴史談義なんて、ひさしぶりだなあ。
下記のとうり、長野県上田市で開催される真田サミットに、 お時間に余裕のある方、参加されませんか? 軽井沢に近く、避暑に最適! 川中島にも近く謙信の本陣探しにも最適! か、どうかは、あまり解りませんが、関が原の戦いの際に、 真田昌幸・幸村親子VS徳川秀忠の戦いがあつた、上田市にて、 歴史話で、盛り上がりましょう! お問い合わせ→三楽堂様、または、当ホームページまで。
山田風太郎、一時夢中になっていたのですが、「警視庁草子」が9月からNHKで ドラマ化されるそうですね。川路利良や新撰組残党(斎藤&永倉)も登場した原作 ですけど、ドラマのほうではどうでしょうか・・・ さて、戦国モノ(含む忍法もの)にかぎって今まで読んだ中で気に入った風太郎作 品を列挙してみたく思います。順不同です。 1.忍法八犬伝 将軍の世子が各藩名物博覧会に出品された「伏姫の霊玉」を欲しいとダダをこねだ し、これを盗み出して里見家改易してしまおうとする伊賀忍者たちと、ぐうたら八 犬士の死闘。 2.八犬伝 1とは違って、滝沢馬琴と葛飾北斎などの実の世界と八犬伝の虚構世界が交互に語 られる趣向の作品。挿絵の切り絵(宮田雅之)も魅力的だった。挿絵のほうは別冊 太陽で発行された。 3.甲賀忍法帳 忍法帳の中でもわりとオーソドックス(というのも変だが)で、入門編的な作品。 リングにかけろのように1対1の甲賀・伊賀忍者の対決や、想像を絶する忍法の 数々が面白い。 4.妖説太閤記 秀吉を徹底的に悪役に仕立てて構成した異色太閤記。読んでいるうちに「はやく死 ね、秀吉!」と叫んでしまいそう。「よくも母さまを殺したな」と茶々に足蹴にさ れながら恍惚となる秀吉の異常な好色ぶりがきわだつ。司馬遼太郎の「新書太閤記」 などと比較しながら読むと面白いかも。 5.外道忍法帳 キリシタンの修道女たちが持つ鈴(その隠し場所というのが○○・・・)を狙う幕 府の隠密団。長崎を舞台に繰り広げられる妖しい一篇。 6.室町御伽草子 若き織田信長、上杉謙信、武田信玄らが松永久秀支配下の京の都に参集。敵味方に わかれつつも将軍家の姫君と300丁の鉄砲をめぐる闘争を繰り広げる。上泉秀綱、 塚原卜伝、武田信虎、九条稙通、千利休、明智光秀、木下藤吉郎なども登場。
NHKスペシャルの単行本化についての書誌事項です。 『信長の夢「安土城」発掘』NHKスペシャル安土城プロジェクト、NHK出版 読んだ感じでは、番組よりも深く掘り下げられていると思いました。 安土城の主郭部分へ通じる4本の主要な道の考察からはじまり、じっくりと謎の城 の全貌を明らかにしていきます。 ただし、CGは口絵カラーで紹介されているものの、やはり動画で俯瞰してみせて くれたほうが迫力あります。 番組放送直後は、本丸主殿の扱いについての異論が多かったように思います。 まだまだ、安土城をめぐる謎は尽きないといえるでしょう。
山田風太郎が79歳で亡くなったそうです。「柳生十兵衛死す」が最後の長編小説 になりました。風太郎ワールドは、明治開化シリーズ、推理ものといろいろありま すが、やはり忍法帳にとどめを指すのではないでしょうか。 信長の安土城発掘の特別番組が単行本になりました。放送を見逃した方はぜひ。 我夢さん、富倉そばって、そんなに大したことないんですか? 「大将陣」の案内、うれしいです。次回、飯山方面へ出かける時は事前に連絡 差し上げますね。
>謙信本陣は「浅川西条」が最有力候補地だそうです。 そうなんですか〜〜!あの辺りって、牟礼からと豊野からと飯山からの道の合 流点だし、若槻城はあるし、旧北国街道下れば川中島だし、なんだか前から 「何か臭いな〜」って思ってたんです(笑)知ってる所だからなおうれしい♪ 逃げるにしても、とっとと退散できますね(笑) 山城好きなんで、今度行ってみます〜。地図で見ると、山の上は上段になって るみたいですね。新井の船岡山みたいな感じかなあ?う〜〜ん、違うかな。 『髻山(もとどりやま)』ってどこだ?。探して行こう! 『大将陣』本気で行かれるのなら、車で御案内しますよ(笑)下から歩いたら 死んじゃいますし、タクシーも地元の方にもあまり知られていませんから。 山の遺構を見るなら、やっぱ、春の雪融けの頃がいいでしょうね。 注:『まぼろしの蕎麦』には惑わされないように……(笑)
謙信本陣は「浅川西条」が最有力候補地だそうです。 川中島(これも具体的にどこらへんかによって話が違ってくるのだけれども)で刃 をまじえた後、髻山(もとどりやま)で謙信が首実検を行ったという記録もありま す。もし、これが事実だとすると、浅川西条、若槻山にも近く、謙信は善光寺側を 拠点にして攻撃を開始し、また本陣まで引き上げた、というふうに理解できると思 います。 >攻める時の「癖」みたいなのってないのでしょうか?? 築城にも武田流や北条流があるくらいですから、陣地構築にも「クセ」はあるでしょう ね。もっとも大将のクセというよりも軍敗者の見立てとかが影響する気もしますが。 大将陣コース、なかなか険しそうですね。足がないので、つらいかも。 飯山はまだまだ訪れる価値あるところですし、佐藤博物館にもまた行きたいので、 信越はいつか第二のふるさとになってしまうかも。 あ、富倉そばも前回、食べ忘れたんです〜
……という地名って多いんですよね。 以前書いたのは「浅川西条」牟礼との境が「若槻西条」。松代にあるのが「松 代町西条」それぞれ同じ名前の「東条」があります。今も地元ではただの「西 条」って言ってるみたいですね。 峠の出口に陣を置いたってのは、謙信はよくやったのでしょうか?? 飯山の富倉峠(謙信道)のてっぺんに、『大将陣』っていう場所があって、飯 山外様の平が一望できる郭がありますし、春日山もガチガチの山城ですし、こ う、攻める時の「癖」みたいなのってないのでしょうか?? 謙信の事あんまり知らないんです〜〜。すみません。 そうだ、三楽堂さま。今度飯山へお越しのさいは『鬼ヶ峰(鬼小島弥太郎が自 刃したっていわれのある所)』から『大将陣』コースなんていかがですか?? 夏は、蜂のコ取りのおじさん(何故かおじさんに縁があるらしい)くらいしか 利用しないガタガタの車道があります。 新幹線。飯山に出てくるトンネル出口には、「岩井城」が正面右手にありす。 そして安田の綱切り橋の近くで千曲川を渡ります。 三楽堂さまも行かれた綱切り橋。それを東に渡った、正面から右方向にのびた 稜線の奥の山が「岩井城」です。そのまま、上越までゴー!ですね。
史料に出ている鞍懸山は、どう考えても妻女山。妻女山というのは、西条山を非ジモティー がサイジョウザンと誤読して、いつしか妻女山という字があてられてしまったのかな。 でもって、景勝が北条氏直と対峙したときに陣した話がいつしか謙信のことと誤認されて 謙信本陣=妻女山=千曲川の南岸と認識されるようになったのかな・・・? 妻女山の元の名が鞍懸山なのか、別に鞍懸山というのがあるのか。 高山我夢さん、木島線廃止で新幹線ですか。10年後には佐藤博物館にも行きやす くなっているかな。
前回、コーフンして、所々はみだしてる高山です(爆)。 >ところで、木島平の路線って何年後かには廃止されてしまうということを聞い>たのですが・・・? よく、御存知で。そうなんです。中野〜木島間が来年の春、廃止されます。 でもあと、十年もすれば、飯山に新幹線が来ます。 東京から1時間30〜50分でこられるようになります。 月1で上京している私には、とってもうれしいです。 サミット、頑張っって下さいね。成功をお祈りしております。 私も、一度は参加したいものです。
表記の件について、参加希望者の間でスケジュール等調整してきましたが、概要が ほぼ決まりましたのであらためて告知いたします。 日程:8月18日・19日 ※ただし、メインは18日のみで、19日は一泊可能な方、希望者のみ。 ・刀屋での蕎麦賞味 ・上田市内近郊史跡散策 ・池波正太郎真田太平記館喫茶コーナーで歓談 19日はまだ未定。上田に居つづけるかもしれないし、松代か長野方面へ移動する かもしれません。参加者の希望にもよります。 まだ参加者募集中です。
>牟礼へ抜ける旧北国街道の峠の入り口近くに『西条』っていう地名・・・ そうそう、この西条山ともいわれているようです。謙信の本陣。 景勝が北条氏直との合戦で陣を布いた鞍懸山を地図で探してみましたが、手もとの 地図では載っていませんでした。ただ、「越佐史料」に山麓は赤坂とあるので、探 してみたところ、まさに妻女山のふもと、千曲川対岸に「赤坂」のバス停が。 また、妻女山の背後の山に鞍骨城という武田氏時代の砦跡があり、景勝がこれを流 用した可能性もありますね。 ところで、木島平の路線って何年後かには廃止されてしまうということを聞いたの ですが・・・?
仕事中「あれ?小和田さんの声がする??」と思いきや『戦国大名今川氏』! すでに、声で小和田さんがわかってしまう、小和田ウォッチャ−高山です。 お久し振りです!!今川メインの番組を始めて見たのもで、嬉しくてちょっとコーフンぎみで、書き込みにきました〜〜(笑) おお!とてもわかりやすい話題が…… 『天と地と』私には、なんとも印象の薄い映画でした。 春日山の食堂には、今もポスターが貼ってありますね。トイレのとこに。 >謙信は実は妻女山などには布陣せず、長野市側(善光寺側)のど >こかに本陣を布いたのではないか。 善光寺の北の裏(?)の方に、私のよく使う抜け道で、牟礼へ抜ける旧北国街道の峠の入り口近くに『西条』っていう地名はあります。 が、しかし、サイジョウ(ニアミス?)でなくてニシジョウって読むんですよね。 字が先か、読みが先か………。 あと、民家の建たない丘陵地とか、住宅地図見てるとあったと記憶してます… ちょっと古い地図だし、かなり前に見てたので、うろ覚えですが、何回目かの 合戦のあった所だったはず。
中根東竜さん、補足事項の件ありがとうございました。そして、お名前を間違えて すみません。さっそく訂正させていただき、お詫び申し上げます。 「天と地と」の一騎討ちシーンは「甲陽軍鑑」と異なり、川中で行われていましたね。 この点は原作とも違っていました。紀州本川中島合戦図屏風は、上杉側の史料である 「川中島五箇度合戦之次第」を参考に制作されたもののようです。
ども。中根です。仕事が忙しいので掲示板には休みの日にしかカキコできない のがつらいなあ・・ と、Xファイル最新版拝読しました。末森合戦は知っていましたが、 久世但馬守のことは知りませんでした。うーん相変わらず三楽堂さんは 目の付け所が旨いですね。埋もれてしまった名将という感じでしょうか。 ところで、真田昌輝の項に僕の投稿を載せて頂いたのは有り難いのですが、 投稿者が主馬さんになっていますよ〜。なおして頂けると有り難いです。 >天と地と 僕も見ましたが、なんか合戦シーン以外にまったく記憶がない・・ 信玄謙信の一騎打ちは上杉方史料に基づく川の中での刀を両者振り回しつつの 一騎打ちだったのは覚えているのですが。あれ、その後発見された紀州本 川中島合戦図屏風に同じシーンがあり、「お、天と地とだ!」と言って 喜んでいた覚えが・・
>なんか、雰囲気が似ているからという理由でカナダロケが行われた >そうですが、もっとも言うほど似てないとは思います。 似てないです。善光寺平はあんなに広くはないです(笑)。 確かに国内であれほどの合戦シーンができるところって、ないでしょうね。 >謙信は実は妻女山などには布陣せず、長野市側(善光寺側)のど >こかに本陣を布いたのではないか。 妻子山、それほど大きい山ではないみたいですから、 そこに謙信の軍団がおさまりきれたかどうか…。 善光寺側に布陣したという方が、リアリティある様に思います。 「鞍懸山」…どこにあるのでしょう?
なんか、雰囲気が似ているからという理由でカナダロケが行われたそうですが、も っとも言うほど似てないとは思います。しかし、国内であれだけの合戦シーンを撮 ろうというのは至難でしょうね。たぶんCGもそんなに使ってないわけですから。 謙信が本陣を置いた妻女山ですが、実は陣地構築のあとが全然残っていないんだそ うです。かわりに周囲の山々には武田方の砦跡の遺構が残っている・・・ そんなことから、謙信は実は妻女山などには布陣せず、長野市側(善光寺側)のど こかに本陣を布いたのではないか。まだ、特定できていないようですけど。 そうなると、きつつき戦法の話などもあやしくなりますね。 のちに、景勝の時代になって、川中島で北条氏直を対陣してますが、この時は景勝 は川を越えて鞍懸山(字、違ってたかも)に陣取ってます。このことが謙信のこと と混同されたのではないか、と言われています。 ちなみに景勝VS氏直の時、北条氏直は7つも年上の景勝を「若い大将だからいつ でも踏み潰せる」とほざいています(逸話ですけど)
私はビデオで見ました。 公開当時、カナダロケで有名になったやつですよね。 エキストラに地元の方を起用して作ったとか。 私は榎木さんの謙信、けっこう好きでした。(渡辺さんの 謙信も見たかった様な気がします。) ビデオ見たのが、ちょうどNHKで「葵」をやっていた 時だったので、信玄が家康に見えてしまって…(笑)
↑これが、キャッチフレーズだったんですよね。一瞬、あやしい雰囲気が感じられ ますが、旗やら軍装やら、上杉軍を黒、武田軍を赤に色分けしたところからきてい ると思うんですが、謙信ひとり白馬に乗って、銀色の南蛮胴具足(なのかな、あれ は)に身を包んでいる絵は、非常に鮮やかながらも失笑を禁じ得ず。 いわく、黒と赤の大運動会。音楽は小室哲哉でした。 しかし、ああいう歴史絵巻が撮られなくなって久しい。ちょっとさびしいですね。
私も当時映画館まで行って見てしまいました。 ^^^^^^^^^ 浅草の六区、雷門通りの方から入っていった突き当たりの映画館だった記憶があります。 渡辺謙が降板し、榎木孝明に変わったときは樋口角兵衛だぁ〜と思ったわけですが・・・ 見る前:スケールが大きいだろうからスクリーンで見なくては! 見た後:見なければ良かった… と言うわけでサントラの記憶もありません。 テレビCMも流れていたから聞けば思い出すかも。。。
某所でサントラCDを借りてきました。 映画は駄作(最たる原因は脚本にあると思いますが)でしたが、音 楽はよかったと思います。 考えてみれば、今の大河の渡辺謙&浅野温子が当初のキャスティン グでした。白血病だかで渡辺が降板、榎木孝明にかわりました。 著名なスターをそろえる武田方に対して、上杉方は地味な俳優さん ばかりだったような気がします。 駄作といえ、それなりに懐かしいので、また観たいのですが、DVD などになるのは難しいでしょうね。いろいろと。 謙信は黒沢の「影武者」にチラッと登場した方が気に入っているの で、こちらのDVD化を待とうかな。
皆様。先日、休みを利用して常陸太田(茨城)に行って参りました。 前前から、雨が降らなくて史跡の庭園が壊滅していると言う一報があったのです 行った場所は、西山荘、佐竹氏を追い出した徳川家の徳川光国の隠居所です。 ほとんどの池の水がない。 皆さんの家の近くの、史跡大丈夫ですか???
三楽堂さんのページを探せば答えが見つかったのですね。 自分で探そうともせず、安易に人に頼ってしまう… 少々反省。 ですが、お答えくださいまして、ありがとうございました。
鎌倉権五郎景政は実在の人物です。 鎌倉には権五郎神社があります。 神奈川県と謙信のつながりといえば、発祥の地、ということぐらいかな。 長尾台という地には近年、謙信ゆかりの地の碑も建ったそうです。 権五郎景政についての簡単な人物紹介および長尾氏の略伝はこちらをご 覧ください。 http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/uesugi-n/sg04main.htm