小田原評定・バックナンバー

過去ログ3551番目から3600番目までの記事です。


(3600) 京洛の友  投稿者:よーぜん  投稿日:06月14日(木)17時45分56秒

三楽堂さんのいわれる通り、慶次が米沢に向かっていたころは、
兼続は米沢にいたと思います。
京に住んでいる友の夢を見た、とも解釈できると思うのですが、
私には、京で誼を通じ合った友、という風に受け取れるのです。
そのあとの漢詩も、「東に向い北に去」っているのは慶次自身
ですが、今自分が感じているのと同じ思いをして友もこの道を
通ったのだろうか、と二重写しで詠じているのではないかと…。
深読みしすぎでしょうか。

薩摩守忠度---平清盛の弟ですよね。
「薩摩」ときて「忠度」とくるとは、さすが。
忠度も、和歌の道に通じた人でしたね。一ノ谷で
非業の最期を遂げた。
こういうの、他にもあるんですか?探してみよう。


自分が


(3599) 前田慶次道中日記  投稿者:THIS TIME  投稿日:06月14日(木)12時32分41秒

「道中記」読ませていただきました。
前田慶次ファンとして勉強になりました。
庭林氏は北条氏関係の文書に出てくるのですか?
群馬県・甘楽町では戦国時代に庭谷・庭屋氏という
豪族がいたみたいで?現在でも宇都宮付近に『庭』の
名が付く姓が多いので、慶次は滝川一益の配下
として厩林城に入城したのかなと思っているのですが?

すみません、薩摩守忠度はだれですか?

関ヶ原合戦直後、榊原康政が使として前田家邸を訪問している
ので、慶次が上杉家助命を前田家に頼んでいたら「京洛の友」
は奥村氏ですか?


(3598) どうも  投稿者:三楽堂  投稿日:06月14日(木)10時24分56秒

>期間限定、とありましたが、まだ、掲載していますか。

よーぜんさん、「道中日記」読んでいただいてありがとうございます。ずっと昔に
手入力したものがハードディスクのすみっこに眠っておりましたです。
紹介、結構です。とりあえず掲載期間は6月17日までを予定しております。

「京洛の友」ですが、この頃、兼続は米沢にいたと思いますが・・・。どうなんで
しょう。慶次はちょうど家康との和平を結んで米沢へ帰国した上杉主従のあとを追
いかけるような形で東下したと考えていたのですが・・・。
途中、友人の庭林某という人物も出てきますね。北条氏関係の文書に「庭林(テイ
バヤシ)」という人が出ているので、関東に住んだ一族かと。小田原攻め以前の知
人ということになるので、古いつきあいですね。

詩人というよーぜんさんの印象、わたしも受けました。また、全編、ダジャレがち
りばめられています。「土地の名前は薩摩なので、船はただのりにせよ」とか。
これは薩摩守忠度のことですよね(笑)。こんなので笑うわたしって、変?


(3597) 梅雨、本番ですなあ  投稿者:三楽堂  投稿日:06月14日(木)10時14分31秒

本日は夜の当番なので、まだ自宅にてボ〜ッとしとります。

昨日、真田サミット参加希望の方へメールをテスト配信いたしました。よーぜんさ
ん、アドレスの確認しないうちに送ってしまいました。すみません。
MLになってますので、登録者全員に配信されるようになってますから注意してく
ださいね。※OBASAN、ちゃんと届いています!

そういや、長尾輝景も「戦国人名事典」に載ってないですね。補完しときましょ。

新刊情報ですが、一々タイトルおぼえていないので、恐縮・・・
島左近の小説かな。出てましたね。
あと、信長と蓮如軍団の対決の話とか。加来耕三氏が書かれていますが、なんと信
長が蓮如(顕如ではない!)と上杉謙信の挟み討ちで、安土城にて爆死するという
みょうちくりんなストーリーです。元ネタという「見聞録」どこまで信用していい
ものやら・・・
覆刻中の『大日本古文書』、今月は伊達家文書の第3巻(政宗・忠宗)です。別途
進行中の『仙台市史・伊達政宗関係文書』(1は既刊。2は未刊)とかぶるところ
が多いですが・・・


(3596) 前田慶次道中日記  投稿者:よーぜん  投稿日:06月14日(木)09時30分16秒

「前田慶次道中日記」さっそく拝見いたしました。
詩人だな〜、というのが率直な感想です。
途中、「京洛の友」の夢を見た、ということが書いてありますが(「関東の道」に入って「坂本」に着いたというくだり)、「京洛の友」って、もしかして兼続…?などと勝手に想像してしまいました。(笑) そのあとの漢詩を読むと、どうしても兼続としか思えないのですよね。

期間限定、とありましたが、まだ、掲載していますか。
私のHPの掲示板で紹介してもかまいませんか。慶次の事知りたいという人、結構いると思いますので。

真田サミットに関して、メール送りましたので、調整、よろしくお願いいたします。


(3595) ありがとうございました。  投稿者:主馬  投稿日:06月14日(木)07時05分25秒

「真田三代」の古文書、50通とは結構多いですね。
近々、長野の友人に購入をお願いしようと思います。

長尾輝景については、三楽堂様の考えが聞けて勉強になりました。
長尾氏の関係者が足利将軍家に出仕していたとは。
こういう細かいところは専門に調べておられる方ではないと分かりませんね。


(3594) 真田サミット、OK!  投稿者:OBASAN  投稿日:06月14日(木)00時10分04秒

は〜い、参加しますo(^◇^)o
ただし、8月下旬にお江戸に行くの。
F様に逢うために………うふふ。
そこは、メーリングリストで、調整可能かな。
上田の街、ご案内します!


(3593) メールいただけますか。  投稿者:三楽堂  投稿日:06月13日(水)21時17分18秒

真田サミットにエントリーしたい方、期間限定のメーリング
リストに登録して、日程調整や活動内容などを話し合いたい
と思います。ちょっと慌しいけど、1日プランとして考えて、
日程にゆとりのある方は一泊も視野に入れましょうか。

OBASANと佐平次さんは参加組ですよね?(笑)
勝手に決めつけてしまう。
お二人のe-mailアドレスは前回のオフの時にうかがっている
のでOKとして、石田治部さん、よーぜんさん、わたし宛送
っていただけますか?

わたしは8月だと18日(土)ぐらいからならOKなんだけ
ど・・・


(3592) 真田サミット。  投稿者:石田 治部  投稿日:06月13日(水)20時48分11秒

三楽堂さまの読みどうりのイベントが、近日あります、その関係の旅行が、
9月の頭なので、8月の終わりの方だと、チョット苦しいです、どうしようもなければ、ご迷惑にもなりますので、次回のお楽しみにするかもしれません。

イベント当日に、失礼して、ここにイベントについてカキコさせていただきます。


(3591) 偏諱について  投稿者:三楽堂  投稿日:06月13日(水)07時47分14秒

こんにちは、くらのすけさん。

出かける直前だったので、ちょっとバタバタしてましたが、もう1回整
理というか、補足しときますと・・・

足利将軍の偏諱を許されるケースは、

1.(自ら、あるいは第三者の斡旋によって)将軍と主従関係を結ぶた
   めに称した場合、
2.特別な理由で慣例として称した場合

に大別されるような気がします。

謙信(輝虎)は1のケースですね。
2はたとえば、別格の家柄です。
親将軍派として鎌倉公方と対決した伊達氏(稙宗・晴宗・輝宗)
足利一門大崎氏の親族で黒川郡惣領職である黒川氏(稙家・晴氏)
そのほか、代々「義」を貰っている大内氏とかもそうでしょう。
ただし、慣例といっても、当然、将軍にことわりもなく名乗らず、斡旋・
推挙などが行われていたことでしょう。
あるいは守護大名色を強く残している家は、1から長年のうちに2へ変
貌してしまったケースもあるかもしれません。

長尾輝景の場合は、厄介なことに1と2どれでもあてはまりそうな感じ
がします。白井局という女性が将軍義輝の側近く仕えていたので、京都
とのパイプを持っていたし、謙信が輝虎を称した段階で「管領家の家宰」
として半自動的(言葉は変ですが)に名乗ったということも考えられま
す。つまり家宰として、その時の管領の一字を称するのが慣例のように
なっていた、とか。
黒田氏の論ももちろん、可能性としてはあり得ます。謙信は政虎を称し
ていた時期、直江実綱等が「政綱」を称していたらしいので、あくまで
将軍の許可を得てですが、自分と同じ「輝」を気前よくあげてしまった
かもしれません。
謙信の輝景宛「一字書出し」などが出てくれば、問題は解決するんですが・・・

武田信玄の場合、山本勘助は「晴」幸と、さらに偏諱が続いているかの
ように考えられますが、文書的裏づけはありません。甘利氏や高坂氏も
「晴」を貰ったようですが、これも同然です。ただし、信玄がこっそり
寵臣に与えていたという見方も否定できませんね。貰った本人も遠慮し
て公式の場では使わなかったならば、当然文書は残らないでしょうから。


(3590) 偏諱問題  投稿者:くらのすけ  投稿日:06月13日(水)01時44分10秒

ご無沙汰しております。「くらのすけ屋敷」管理人、くらのすけと申します。
先日は拙サイトへリンクをしていただきまして、誠にありがとうございました。

最近こちらの掲示板を拝見していて、長尾輝景の「輝」について三楽堂様がコメントして
いらっしゃったので興味深かったです。

実は、以前拙掲示板にて偏諱の話題が続いたことがあり、長尾輝景の「輝」は本当に
上杉謙信(輝虎)からの偏諱なのか?ということが出たのですが、結局結論に至らなかったことがあったのです。

拙掲示板に、こちらで答え(もしくはそれに近いと思われるもの)が出ている、と記しておきましたことをお知らせ
させて頂きます。では。


(3589) CD−ROM「真田三代」  投稿者:三楽堂  投稿日:06月12日(火)07時26分18秒

古ーい外付けCD―ROMドライブをつなげて、もう一度鑑賞してみました。
古文書の写真はざっと50通くらいでしょうか。文書の発給者は真田一族の人々や
家臣たち、あるいは秀吉や石田三成など・・・
もちろん、原文も翻刻されています。横書きは仕方がないかな・・・
年表、人物伝、遺品写真、遺跡、アニメーション「真田群雄伝」などのコンテンツ
にわかれていますが、真田一族の紹介だけでも結構なボリュームですよ。


(3588) 東京は遠い  投稿者:秋山如雪  投稿日:06月11日(月)21時10分49秒

>前田慶次道中日記について
助かります。住んでるところが辺境なもので、地元の図書館じゃまず見られそう
にないのです。
検索しても見つからないし・・・。
かといって東京まで行くとなったら旅費が馬鹿になりません。
金のない貧乏学生なので、なんとか地元で済ませたいと思っていたところです。


(3587) 反響が大きいので、「前田慶次道中日記」を緊急アップします。  投稿者:三楽堂  投稿日:06月11日(月)19時01分48秒

前田慶次道中日記、中根東竜さんのおっしゃるように、『日本庶民生活
史料集成』に収録。ほかに『新編信濃史料叢書』にも入っています。
判読不明な部分(□になってます。漢字なかったりとか)もありますが、
ご希望でしたら、「フルテキスト版・前田慶次道中日記(全)」をお送
りします。とりあえずどんなものかぐらいはわかると思います。
以下のアドレスに期間限定で掲げておきますので、おはやめに。期間限
定というのはきちんとレイアウトしてから再アップしようと考えている
からです。

http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/keiji.html


(3586) まとめレス(最近こればっか)  投稿者:三楽堂  投稿日:06月11日(月)18時59分27秒

Tmさん、ようこそ戦国群像&小田原評定へ。今後ともよろしく。
城代の三楽堂です。北の国から帰ってきました。

#鯨海酔侯さん

たぶん、このコメントにインスパイアーされた方が2、3名、イチゴパ
ンツの信長のイラストを描いているのではないか、と・・・


#中根東竜さん

林通勝、気になりますね。確実な文書には秀貞とあり、秀はおそらく織
田信秀の偏諱なんでしょうか。通勝のほうは松永久秀家中の同名異人と
混同されたのでは、といわれています。
NHKは浅井長政を「あざい」としつこく読ませたり、北政所を「おね」
と読ませたりする一方で、林佐渡守だけはほぼ一貫して「通勝」ですも
のね。
織豊期のドラマの下敷きになると思われる角川文庫版『信長公記』(奥
野高広・岩沢愿彦/校注)では、人名註で「秀貞」としながらも、また
は「若狭守通勝」と紹介しています。また、『織田信長家臣人名辞典』
(谷口克広/編)も「秀貞が正しい」としながらも、通勝を明確に誤り
とは指摘していません。
「あざい」には小和田哲男氏の意向が強く働いている気がしますが、秀
貞を正しいとする研究者の方々がまだそれほどNHKに食い込んでいな
いためでしょうか?


#よーぜんさん

あ、わたしも8月中旬以降〜末あたりが都合、いいんですよ。7月末か
ら8月中旬まではちょっと都合が悪い・・・
どうせだったら、大勢で賑やかにいきたいものですね。このへんのスケ
ジュール調整、じっくりやりましょう。


#高山我夢さん

そうなんです。飯山へ行って来ました。小菅にものぼった。ちゃんと奥
社まで行って来ましたよ。暑かったし、空腹で死ぬかと思った。
ペースとか構わず、ガムシャラに登ってしまうので。
帰りに参道入り口の横の休憩所で蕎麦をビールを食してきました。
バスに乗ってたとき、そういえばここは我夢さんの地元だったなーと思
い出しました。
わたしも小一時間くらいかかったかもしれない。
HP開設したら、お知らせくださいね。


(3585) 雑記  投稿者:よーぜん  投稿日:06月11日(月)10時03分57秒

三楽堂さま
私のみならず、息子までお誘いいただきありがとうございます。
時期的には、8月の末くらいが個人的にはいいのですが。こどもが夏休みなので。
日にちがあえば、ぜひ参加したいです。

前田慶次道中日記
叢書になっているのですね。勿論活字、ですよね。(影印でもいいんですが)
都立図書館、ですか。ちょっと足を運べそうにないなあ。

本能寺の変
↓の方に本能寺のことがあったので。
本能寺というと、信長の死よりも、魚津城陥落を連想してしまう今日この頃…


(3584) 飯山線の旅  投稿者:高山我夢  投稿日:06月11日(月)02時21分02秒

三楽堂様、めちゃくちゃお久しぶりです!
ちょうど「飯山線の旅」っていうページを作ろうと思っていて、久々にここに来て過去ログを拝見したら、来てらっしゃったんですね。
小菅に登られたようで……大変でしたか??(笑)私は登るのに小1時間かかります。
山登りは、山城登りが好きなので少しは楽に登れます。

秋山様
ホームページ開設1周年おめでとうございます!
私も某武将のページをやっと突貫工事で製作中。
なかなか思うようにはできません〜〜(泣)6月22日(旧5/19)にはアップするぞ!

イチゴパンツの信長さん……これなら絶対忘れない(笑)
なんか楽しくなってきましたね。

夏・某所………??海辺??(違うか(汗)
皆様がんばってください。
ではでは、また忘れた頃にやってきます(笑)


(3583) すいません  投稿者:中根東竜  投稿日:06月10日(日)12時19分29秒

改行なしで長く書いちゃいました・・すいません


(3582) 前田慶次道中日記  投稿者:中根東竜  投稿日:06月10日(日)12時17分32秒

ご無沙汰しております。以前ここに良く投稿していた中根です。
今度からHNにしました。

>秋山如雪様

前田慶次道中日記は『日本庶民生活史料集成』(三一書房)という叢書に入っていますよ。この叢書の旅行記を集めた巻に入っていたはずです。なお、この本は有名な叢書なので、東京都立図書館3館にはすべてはいっているようです。大学図書館に無ければこちらへ行かれると宜しいのでは?

>大河のキャスティングを見て

林佐渡守の名が俗説の「通勝」というのが引っかかるなあ・・これは秀貞が正しいと思うのですが、通勝を称していたことが分かる史料でも出たのでしょうか?大河ドラマはこういうことにこそ正確さが要求されると思うのですが・・


(3581) 慶次  投稿者:秋山如雪  投稿日:06月10日(日)04時55分11秒

大河の前田慶次、私も大いに期待しています。ところで質問ですが、
彼が書いたといわれる「前田慶次道中日記」というのはどの本に収録されて
いるのでしょうか?
図書館で検索しましたが、予想通り見つかりませんでした。
大学の教授のところにある歴史の本の目録を見ると米沢の図書館にあるという
んですが、本当なのでしょうか?
この日記、刊行されていないんでしょうか?
どうしても読みたいんですが。
どなたか情報よろしくお願いします。


(3580) 本能寺の変  投稿者:鯨海酔侯  投稿日:06月09日(土)23時33分55秒

1582年本能寺の変起こる

覚え方:
いちごパンツの信長さん
 一五 八二

以上


(3579) すみません・・・  投稿者:Tm  投稿日:06月09日(土)21時58分24秒

改行入れ忘れていました。


(3578) 毛利元就 誓いの三矢  投稿者:Tm  投稿日:06月09日(土)21時57分05秒

初投稿です。よろしくお願いします。

毛利元就は3〜4年ほどやっています(信長の野望天翔記は7年、将星録は4〜5年くらい、他にもいろいろ)。ですので、私の知っている限り(笑)の裏技(?)を教えちゃいます!?

というのは、作って、売って、稼ごうというものです。(売ると買う値段の3/4)
***金儲け***  地道です(汗)
  胴丸(シナリオ1から可能)・・・利率25%
                  (売却225 製造180)
    ちょっとお金が(200くらい以上)貯まったら、作って作って作って・・・売ってというのを繰り返します。途中で面倒になるので、キーボードと組み合わせます。・・・そうすれば10000位お金が貯まります!(すごい地道)

めんどくさいのは余裕だぜという方がいらっしゃいましたら、試してみてやって下さい(ちなみに、面倒なら職人に材料を買ってもらいましょう)!


(3577) 長尾輝景  投稿者:三楽堂  投稿日:06月09日(土)06時34分48秒

こんにちは、主馬さん。
堀氏のご指摘ありがとうございました。加筆修正の際にはお名前を拝借させていた
だきたいと思います。またまたよろしく。

Xファイル105回、実はアップに相当迷ったのですよ(笑)。何かしら反応はあるだろ
うと予測はしておりましたが・・・
長尾輝景、海野輝幸とか、けっこういますから。海野は真田家臣なので、除外する
として、輝景についてですが、黒田氏のご指摘ももっともかと思います。
ただ、一時期、越後にいたので特別な家(管領家の家宰である)ということで、謙
信が政虎から輝虎へ改名する際、同時に将軍義輝の偏諱を受けたのでは・・・もち
ろん謙信が「こいつにもお願い」と斡旋したのでしょうが・・・と逃げをうってお
きます(笑)
あるいは白井長尾氏、単独でもらっちゃったとか(笑)
たしか、白井長尾の女性(白井の局)が義輝の側近くに仕えていたはずです。「上
杉年譜」にも出てきて、上洛した謙信も面談したと書かれています。この筋でもら
えたと考えたほうが自然かもしれません。

黒田氏の論文、わたしもいろいろ注目しています。ただ、同じ偏諱問題で梶原政景
の「政」を北条氏政の偏諱としているのには疑問を感じています。あれはやはり、
上杉憲政か政虎と名乗っていた頃の謙信からいただいたものでしょう・・・

ちょっと他出(史跡旅行ではない)しますので、土・日おるすにします。出掛けに
あわてて書いているので、戻ってからまた見なおしますね。
CD−ROM「真田三代」は文書の写真かぞえてはいませんが、各人物に関連する
文書数通が収録されているようです。状態のいいものはそのまま写真版としてつか
えるほどです。くわしくは戻ってから。すみません。


(3576) 「真田三代」、いかがですか。  投稿者:主馬  投稿日:06月09日(土)01時40分17秒

ご無沙汰いたしております。
CD-ROM版「真田三代」、とても興味があります。
どの程度、文書の写真があるのでしょうか。

話しは変わりますが…(実はこちらの方が本題かもしれません。)

「戦国Xファイル」の今号と前号ですが、
堀直次は文書の署名では「直知」であるそうです(『上越市史』別編5)。

今号で、三楽堂様は「足利義輝の一字を拝領した上杉謙信が「輝」の一字を家臣に与えたであろうか。」
と述べていらっしゃいますが、長尾輝景の「輝」について、
黒田基樹氏は謙信からの偏諱である、と言っているのです(『『戦国大名と外様国衆』文献出版、1996年)。
どうもそのまま信じることができないですが…。
三楽堂さまはどう思われますか?


ネットで簡単に情報を手に入れようとする御仁が多いですが、歴史をやりたくても史学科に入れなかった人も大勢いるでしょうに。


(3575) まとめレス  投稿者:三楽堂  投稿日:06月08日(金)21時55分15秒

#よーぜんさん
開催にこぎつければ、お子様ともどもいかがですか?
希望者が固定してきたら、メーリングリストに切り替えて、日程・内容等詰めてい
きたいと考えているのですが。今のところ、夏から秋にかけての漠然としています。
あそこへ行きたい、こういうことをしたい、といった希望もおっしゃってください。

#石田治部さん
御一考どころか、こちらから伏してお願い申し上げます。希望者全員参加できるよ
うに日程調整は充分に行いたいと思います。
あの〜、某所での人生の大イベントとはひょっとして・・・

#須田さん
応仁の乱の話をしようと思ったら、もう本能寺? ごめん、こういうの、ちょっと苦手だな。
まず百科辞典にあたったらどうでしょう。応仁の乱にせよ、本能寺の変にせよ。
百科辞典の記述に満足できなかったら、あるいは疑問に思ったら、ノートに書出し
てみましょう。
インターネットで質問するのは、それからにしたほうがいいでしょう。


(3574) キャスティング  投稿者:石田 治部  投稿日:06月08日(金)19時07分59秒

柴田勝家に松平健!?
驚きまくり!!

真田サミットによろしかったら混ぜてもらえませんか?
お休みが合う合わないの問題もありますが、歴史好きの先輩方のお話を、
聞く良い機会ですので。大変失礼とは、存知ますが、よろしく御一考を願います。


(3573) ・・・・・・・・・。  投稿者:須田  投稿日:06月08日(金)10時36分10秒

三楽堂さん、鯨海さんご協力ありがとうございました。
なぜ、応仁の乱について知りたかったか、というと私は学生で
応仁の乱について、調べろといわれたので・・・・・。
話が変わりますが、今度は、本能寺の変について、知ってることをお願いします


(3572) 真田サミット!!  投稿者:よーぜん  投稿日:06月08日(金)09時56分17秒

「真田サミット」---
是非実現してください。


(3571) むむむ・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:06月08日(金)08時34分38秒

及川光博の慶次ですが、「天性のいたずら好き」というキャラクターに
は悪くないかもしれませんよ。たしかに体格はありませんが、巨体の慶
次はあくまで劇画の創作ですから。
むしろ、慶次の道中日記を読むと、重厚さよりも飄々としたものを感じ
ます。ただ及川でもって、「利家を水風呂へ放り込む」とか、いたずら
好きの面ばかり描くと、ただのバカで終わっちゃいますから、武辺や教
養があるところもしっかりと描いて欲しいですね。なんか大口あけなが
ら戦場でアタフタしている及川の映像が浮かんでしまうのですが・・・
愛馬松風をひかせてあの歌も披露してほしい。
あとは衣装とメークですね(笑)

しかし、年回りとかどうなんだろう。利家より年長だったって史料(と
いっても軍記だったと思います)もありますが・・・

どうせドラマはまつが江戸へ送られて関ヶ原が終わって前田家安泰まで
やるのでしょうから、最終回あたりで慶次が日記を書きながら米沢へ下
向するシーンをやって欲しい。ちゃんと朝鮮人のお供をつけてね。

では、「利家とまつ」キャスティング総括

前田利家・・・唐沢寿明
妻・まつ・・・松嶋菜々子
織田信長・・・反町隆史
豊臣秀吉・・・香川照之
妻・おね・・・酒井法子
佐々成政・・・山口祐一郎(「葵徳川三代」の島津豊久)
妻・はる・・・天海祐希
徳川家康・・・高嶋政宏(「毛利元就」の尼子晴久。隼新八郎)
佐脇良之・・・竹野内豊
前田長種・・・辰巳琢郎(くいしんぼう万歳。浅見光彦)
浅野長政・・・加藤雅也
前田利昌・・・菅原文太
妻・たつ・・・加賀まりこ(格ど〜ん)
前田利久・・・三浦友和(スーパー部長が何と言うか・・・)
妻・つね・・・名取裕子(利家を呪うのですな)
前田慶次郎・・及川光博
前田安勝・・・山西惇
奥村家福・・・中条きよし(2大重臣その1。「秀吉」の安国寺惠瓊)
妻・安・・・・松原智恵子
村井長頼・・・的場浩司(2大重臣その2)
うめ・・・・・赤木春恵(まつの乳母)
柴田勝家・・・松平健(あばれんぼう将軍)
お市の方・・・田中美里(朝ドラ・あぐり)
丹羽長秀・・・梅沢富美男(ふるさとカアチャンショー!)
村井貞勝・・・苅谷俊介(「葵徳川三代」の加藤清正)
佐久間信盛・・田中健(「信長」以来の再演。また笛吹いて追放か!?)
池田恒興・・・渡辺裕之
林通勝・・・・山本晋也(コジロー)
今井宗久・・・林隆三(今度は親父役。「黄金の日々」の宗薫)
千利休・・・・古谷一行
明智光秀・・・萩原健一(「元禄繚乱」で将軍綱吉を怪演)
なか・・・・・草笛光子(大政所)
ふく・・・・・池内淳子(佐々成政の母)
たえ・・・・・八千草薫(おねの養母。浅野長勝の妻)
井口太郎左衛門・・・丹波哲朗(佐々成政の背後霊、じゃなかった家臣)


(3570) 慶次役??  投稿者:THIS TIME  投稿日:06月07日(木)23時49分36秒

慶次役は及川光博ですか?
日焼けサロンに行ってもらうしかないですね!
戦闘シーンあるのですかねー?
真田について質問ですー。
NHKの歴史の番組で、修験道系の祠に幸村の
木像を奉っているのをみた記憶があるの
ですが、それについて知っている方いますか?


(3569) 真田サミットやりますか?  投稿者:三楽堂  投稿日:06月07日(木)20時03分47秒

OBASAN、佐平次さん、夏にでもやりますか?
池波正太郎真田太平記館にてサミット2!
よーぜんさんもいかがですか?

どっか史跡めぐって、刀屋で蕎麦を食して、太平記館でだべって、宿泊組は温泉へ!?


(3568) 「利家とまつ」サブキャラ  投稿者:三楽堂  投稿日:06月07日(木)19時52分30秒

すでに諸方面で衝撃が走っておりますが。
というわけで。

利家の兄利久(三浦友和)
利家の父利昌(菅原文太)
利昌の妻たつ(加賀まり子)
お市(田中美里)
柴田勝家(松平健)
前田慶次(及川光博)

どうなることやら・・・


(3567) 本日はお礼に参上仕りました  投稿者:よーぜん  投稿日:06月07日(木)09時36分08秒

三楽堂さま
先日は、私の拙いHPにご訪問いただき、ありがとうございました。
こちらのサイトからご訪問下さった方、重ねてお礼申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。

ところで、「真田一族に関する学習と交流」なる催し、GWの真田巡りで
真田氏の虜になりつつある私としては、うらやましい企画です。
参加された方、是非様子をお聞かせください。

金沢は今日から百万石まつりです。
前田利家の金沢入城を記念して行なわれているおまつりですが、
まつりのメインイベントは、9日(土)に行なわれる百万石パレード。
松平健さん扮する利家がパレードのフィナーレを飾ります。
例年おまつ役は、一般公募されるのですが、今年は50周年記念で女優の
斉藤慶子さんがおまつ役で参加します。
下記のHPで、パレードの模様を生中継するそうですので、興味のある方は
ご覧ください。利家の登場は、午後2:00すぎくらいからだと思います。

http://100mangoku.net/


(3566) 益子輝之氏  投稿者:向井佐平次  投稿日:06月07日(木)01時17分46秒

>ところで、緊急の上田情報です
><真田一族に関する学習と交流>
>7日 16:00〜20:00 上田駅前越後屋旅館
>   講義と懇親交流会
>   参加費 6000円(懐石代を含む)
>8日 真田一族の足跡をたどるバスツアー
>   午前9時 上田駅前集合
>   参加費 3000円(昼食代を含む)
>   講師 民俗研究家 益子輝之氏

行きたい・・・
でも急すぎるぅぅ〜

ちなみに益子輝之氏は池波正太郎氏に上田の町を案内した人です。
食事はいつも刀屋だったそうです。


益子輝之氏にお会いしたかった。
参加されるんですか??>上田のOBASAN
参加されるのでしたら様子お聞かせください。


(3565) エート  投稿者:三楽堂  投稿日:06月06日(水)22時11分44秒

#OBASAN
「真田三代」はなかなかです。古文書の写真版が掲載されていたり、と
十勇士が大活躍する上田攻めのアニメーションも迫力あります。霧隠才蔵はひょっ
として女という設定なのかな。早いマシンで見たせいか、サクサク動きます。

#須田さん
はじめまして、でしょうか?
こういった質問には、なんて答えていいかわからないので、逆に聞き返すことにし
ています。
1.須田さんはなぜ応仁の乱について知りたいと考えているのですか?
2.現在までに応仁の乱について、どの程度御存知なのですか?
3.具体的には、応仁の乱に関するどのようなことについて知りたいのですか?

#鯨海酔侯さん
なんか、なつかしいですね。1467〜1477年でしたっけ。
年号はゴロでおぼえるほかに、印象に残った事件の年号を頭に入れて、他の事件を
○年後、とか派生的に覚えていきました。今でもその傾向があって、1600年の
関ヶ原とか、1615年の大坂夏の陣などをとっかかりにしています。


(3564) 応仁の乱  投稿者:鯨海酔侯  投稿日:06月06日(水)20時55分19秒

1467年〜
覚え方:ひとのよむなし応仁の乱
     一 四六七

以上


(3563) 応仁の乱  投稿者:須田  投稿日:06月06日(水)14時57分51秒

応仁の乱について、知ってることをお願いします


(3562) 上田情報  投稿者:上田のOBASAN  投稿日:06月06日(水)11時01分43秒

三楽堂さん、「真田三代」のCD、お買い上げありがとうございます(笑)

ところで、緊急の上田情報です
<真田一族に関する学習と交流>
7日 16:00〜20:00 上田駅前越後屋旅館
   講義と懇親交流会
   参加費 6000円(懐石代を含む)
8日 真田一族の足跡をたどるバスツアー
   午前9時 上田駅前集合
   参加費 3000円(昼食代を含む)
   講師 民俗研究家 益子輝之氏
○問い合わせ、申込先
 上田まほろばユースホステル 電話0268-38-5229

OBASANの追加情報
越後屋旅館の懐石料理:お茶のお仲間と時々利用します。
           美味しくて、きれいで、値段も良心的です。
講師の益子さん:元上田市観光課長、お茶のお師匠さん、落語家など肩書き。
        お話がとても面白い方です。


(3561) 池宮氏・・・  投稿者:トラマ  投稿日:06月05日(火)17時10分16秒

>池宮氏の直江評、結構高いみたいです。

うーん、確かに高いですね
個人的には池宮氏に一度直江について(あるいは景勝)書いて
欲しい気もするんだけど今日経で平家の話書いてるからムリだわな

>兼続はあまり実戦経験はありませんから。佐渡平定と最上陣くらい・・・

新発田攻めでも確か出陣して采配をふるっていたと思うんですが・・・
まあ記録に出ていないような出陣は何度かあるとは思いますが
少なくとも諸葛孔明よりは実戦経験はあるでしょう(爆)



(3560) CD−ROMといえば  投稿者:三楽堂  投稿日:06月03日(日)21時04分27秒

国宝『上杉本・洛中洛外図屏風』のCD−ROM版が発売されます。
精緻な人や建物をズームアップしてみたり、検索機能で探したり、スナップショッ
トをとるなどの機能が盛り込まれています。
価格は、なんと、94000円。0がひとつ少なければ買うのですが・・・


(3559) 来ました〜  投稿者:三楽堂  投稿日:06月02日(土)19時40分29秒

CD−ROM版『真田三代』。
上田市立博物館の『真田史料集』がベースになっているとのことで、さっそく感想
をば書きたいと思いましたが・・・待庵のプロフィールにもあるように、わがPC
にドライブなし!(何いばっているのか)
来週、お昼休みにでも職場のPCで見てみます。


(3558) 「島津奔る」から  投稿者:三楽堂  投稿日:05月30日(水)19時24分04秒

『島津奔る』が早々、文庫化されましたが、単行本は職場で借りて読みました。が、
著者の池宮氏の文章がわたしはけっこう好きで、結局この作品、買ってしまいました。
上巻には、上杉景勝や直江兼続も登場するのですが、池宮氏の直江評、結構高いみた
いです。
「戦争科学は飛躍したが、反比例して戦士戦将の資質は退化したともいえる。文武両
道を兼ねた将は、直江兼続を頂点として、以来これを凌駕する者は輩出しなかった」
と書いています。個人的にはちょっと誉めすぎかな、という気もしないでもないです。
兼続はあまり実戦経験はありませんから。佐渡平定と最上陣くらい・・・

ところで、米沢藩も明治になって北海道へ入植したそうですが、伊達家のように土
地の名になったりしているんでしょうか・・・


(3557) まだヒザが痛いっす。階段とか、つらい  投稿者:三楽堂  投稿日:05月29日(火)08時38分03秒

図録『真田三代―近世大名への道』は宝物館の収蔵品にとどまらず、大坂方面の幸
村関係史跡や、江戸時代の「かわら版」の考察など読みごたえがあります。
上田で制作されたCD−ROMの冊子体みたいな感じですね。

先日古書店で入手した『真田家御事蹟稿』も面白いです。今、「大鋒院殿御事蹟」
(信之)をひろい読みしてますが、鈴木右近の遺言や逸話、寛永年間の家臣一覧で
は「二百石 樋口角兵衛」の名も!(もっとも息子の角兵衛のほうかもしれません
が)
長野市の新井大正堂にもバラ売りで出てましたよ。

逆越山レポートで書き残したけど、上杉謙信関連では上越市高田の書店で『まんが
上杉謙信』を見かけました。石ノ森章太郎の弟子が書いているそうですが、画風が
好みではないので買いませんでした。巻末に史跡等を紹介したグラビアページがつ
いています。


(3556) 岩櫃山とは比べ物にならないようですね>小菅神社奥社  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月28日(月)23時34分37秒

>なんという偶然。27日に大鋒寺に立ってました。佐平次さんの書き込
みは帰宅後に見たので。

(@o@)ぉぉ…


>前回、お昼の部終了とともにお別れしてしまいましたが、今度は上田あ
>たりで飲みながら『真田太平記』についてゆっくり語りあいましょう。
>2人以上だったら温泉旅館でもいいかなあ(笑)。

まず刀屋で鴨煮で一杯。
もりそばで締めてからですね。。。



>「真田三代」という図録を購入。平成12年の発行なので、前回来た時にはまだ出来ていなかったものです。

また松代に行く理由が見つかりました。
その前に上田行ってCD−ROMをゲット!


(3555) まとめレス  投稿者:三楽堂  投稿日:05月28日(月)20時05分52秒

越山ではなく、逆越山でしたね、失礼しました。信越方面へ来ると、た
いてい最後は長野駅界隈で時間調整するのですが、だいたいスポットは
駅前の平安堂書店で立ち読みか、向かい側のプロントでビールをやって
います。


#よーぜんさん
HP開設おめでとうございます。てっきり真田に浮気するのかなと思い
きや、やはり直江兼続で来ましたか。お子様ともども頑張ってください
ませ。リンクの件、こちらも検討したいと思います。


#OBASAN
おお。懐かしいです! ご無沙汰してます。上田情報ありがとうござい
ました。27日通過(爆)。
また、上田、行きたいです。久保先生のお話も機会があればうかがいた
いなあ。
OBASANの貴重な情報を聞き、とるものもとりあえず、上田市のHPをの
ぞいてきました。「真田三代」CD-ROM、なかなかの出来映えですね。年
表や古文書までも収録されているとは! しかも価格が1000円。

http://www.umic.ueda.nagano.jp/sanada/index.html

さっそく申し込みます。


#佐平次さん
なんという偶然。27日に大鋒寺に立ってました。佐平次さんの書き込
みは帰宅後に見たので。
前回、お昼の部終了とともにお別れしてしまいましたが、今度は上田あ
たりで飲みながら『真田太平記』についてゆっくり語りあいましょう。
2人以上だったら温泉旅館でもいいかなあ(笑)。


(3554) 本年二度目の越山  投稿者:三楽堂  投稿日:05月27日(日)22時04分37秒

1日目
新幹線で長野入り。すぐさま飯山線に乗り換え、飯山駅で下車。
今回の最大の目的は謙信が願文を捧げた小菅神社奥社にいくこと。以前、
『川中島合戦再考』という本で紹介されてから、行きたいと考えていま
した。険しいとは聞いていたので、天候次第でしたが、幸い晴れていた
ので初日に強行。人里はなれた山へのぼったところ、山の斜面に忽然と
出現した小菅の集落。振りかえると飯山盆地の景観が迫ってきます。
集落の入り口の仁王門のところに案内図があったので、1部いただきま
した。これに奥社までの道筋が解説されています。はっきりいってきつ
かった。最初はりっぱな杉並木。だんだん道も細く険しくなってきて、
何度引き返そうかと思ったか。こういう場合は入り口近くでさっさと引
き返さないとキッカケを失うもので・・・人気はないし、変な蟲(虫で
はない)はいるし、おまけに最後の難関は、断崖を鎖でのぼれってかー!
標高900メートル。崖にひっかけられたように建てられている奥社に
到着。しっかりノートに記帳(八歳や、五十八歳の方もいた)してまい
りました。しかし、よくもまあ、こんな山奥に作ったわ。
下山して、小菅集落で浅葉庵という休憩所で蕎麦とビールを注文。ワサ
ビの葉をつまみにあおるビールの旨かったこと。
この日は、飯山市内へ戻って、謙信綱切りの橋を見学。何となく既視感
にとらわれたのですが、十年も前にバイクで通過していたんだなあ。そ
のあと飯山名物の寺町を見学。住職には、真田信之の隠し子や、武田信
繁の孫など、錚々たる人物がおります。鬼児島弥太郎の墓があるのも面
白い。この日は飯山泊。


2日目
飯山線(何度乗ってもいいローカル線です)で上今井駅へ。そうです、
あの佐藤博物館、約1年ぶりの再訪です。相変わらず空いていて、今回
も見学者はわたし一人きり。今回は特設展示で二十領ほどの甲冑をまじ
かで見ることが出来ました。ショーケースではなく、部屋にじかに置か
れているので、360度グルッとまわって見学できるのは最高です。
今回は博物館の方が「倉庫もお見せしましょうか?」と言ってくれたの
で、電車の時間を気にしつつも「お願いします!」
見せていただいたのは、未整理中の史料群。甲冑類はほとんど展示でき
たのだが文書類はまだまだだそうです。中でも見せていただいた上杉景
勝書状は「上越市史」編纂メンバーの方が新発見と評価するほどのもの。
部分的に読んでみせると「あんた、中世文書読めるのかね?」と博物館
のおじさんが「じゃあ、これも」と次々に箱を開けて披露してくれまし
た。景勝の書状は許可をもらって写真に撮らせていただきました。
また来ます、と告げると「名前を書いていってください。今度来る時は
電話ください」と仰ってくださいました。
上今井駅に戻って飯山線で長野駅へ。時間があいたので、信州大前にあ
る新井大正堂という古書店へ行きました。以前来た時は立て替え中で仮
店舗だったのですが、すっかり奇麗になりました。が、やはり古書店の
雑然としたイメージとはほど遠い。収穫はなく長野駅から信越線でいよ
いよ越山。信越線から眺める黒姫山が好きなのですが、雲が出てきてこ
の日はその姿が見えませんでした。
高田駅で下車して、寺町を歩きました。浄興寺の宝物館で謙信寄進の鐘
を見学。


3日目
信越線で長野へ戻る。初日に小菅神社にトライしたため、予備日として
いたのでまったく予定なし。ガイドブックと時刻表を繰りながら、バス
で松代へ向かいました。数年ぶりに真田宝物館をたずねましたが、展示
品自体は前回とあまりかわりばえしません。建て物は立派なのでそろそ
ろ企画の再検討がされるべきでしょう。ただ、写真パネルの中に須田満
親の墓があったのに気づき、受付で場所を聞きました。3,4人の職員
が総力をあげて調べてくださいました。ありがとうございます。
お礼というわけではないけど、「真田三代」という図録を購入。平成12
年の発行なので、前回来た時にはまだ出来ていなかったものです。
須田満親の墓所、浄福寺へ向かいました。位置的には長国寺の斜め裏手
になります。須田満親は真田昌幸が徳川軍を上田合戦で破った折、同盟
国上杉の後詰部隊の大将でした。その後、海津城代にも就任します。会
津へ転封となった上杉家にはついていかず、この地で自刃したといわれ
ます。このあと、松代駅へ戻りましたが、河東線は行ったばかり。仕方
がないので、タクシーで金井山駅へ。ここで戻りの電車の時間を調べて
から、佐平次さんも紹介されている大鋒寺へ。真田信之の隠居所である
ことが池波作品にも出てきますよね。でも、ここでも六文銭の紋がむし
り取られてた(怒)。裏手の土手を越えて山本勘助の墓も見学しました。
これで今回の松代探訪終了。金井山駅から河東線(乗るのははじめて)
に乗って屋代を経由して長野へ戻りました。松代で下車して、バスを使
うつもりだったのだけれど、せっかく乗った河東線。車窓から整備中の
海津城や雨宮の渡し跡などの眺めを楽しみました。
長野に戻って、まだ新幹線の時間には間があるので、善光寺へ。といっ
ても本堂ではなく、本坊大勧進の宝物館と霊牌堂を見学。あまり知らな
いというか、寄らない方も多いのではないでしょうか。霊牌堂には謙信
と信玄の大位牌が並べて安置されています。そういえば、高野山奥の院
でも両者の霊屋と墓は道をはさんでほぼ相対しているんですよね。喧嘩
しないのかな?

※というわけで、みなさまへのレスはいずれ。


(3553) アドレス、違ってました  投稿者:よーぜん  投稿日:05月27日(日)14時16分52秒

申し訳ありません。
「ご訪問ください」といっておきながら、アドレス、違ってました。

http://users.goo.ne.jp/yozn-gl/

です。本当に申し訳ありません。


(3552) 三楽堂さま  投稿者:よーぜん  投稿日:05月27日(日)14時09分07秒

このたび、息子に続きまして、私もHP開設しました。
誠に勝手ながら、こちらのページをリンク集に加えさせて頂きました。
よろしかったら、一度ご訪問ください。
お気に召しましたら、こちらからもリンク、お願いしたく存じます。

http://users.ne.jp/yozn-gl/


(3551) 忍者武芸帳といえば・・・  投稿者:鯨海酔侯  投稿日:05月27日(日)09時50分07秒

5月30日BS2のBSマンガ夜話で「忍者武芸帳」が取り上げられる。
夏目氏が白土劇画をいかに語るか、今から楽しみである。


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