小田原評定・バックナンバー

過去ログ3451番目から3500番目までの記事です。


(3500) 訂正  投稿者:主馬  投稿日:05月11日(金)16時55分24秒

>来年度中世史料編が…
「今年度」の間違いです。失礼しました。


(3499) Re:緑のカバー  投稿者:主馬  投稿日:05月11日(金)16時54分22秒

書き込む方が多く、重畳至極です。

>『上越市史』、昨年パンフをもらってきました。
三楽堂様も目を付けておられたのですね。
上杉氏の城下ですから、三楽堂様が目を付けられるのは当然ですね。
ところで、来年度中世史料編が出ますが、どのようなものが収録されるのでしょうね?上杉家文書は入らないでしょうから。

>『新潟県史』ですが、県内古書店の目録に近世編は記載なかったです。
>ただ文求堂のHPはあまり更新頻度がまめではないので、先日のぞいた時には
>『新潟県史』のバラも棚の一段を占拠してましたよ。
お手数をおかけしました。しかし、あるところにはあるんですね。今度文求堂に
連絡してみます。ありがとうございました。

ところで、
>(セドリということか)
「セドリ」ってなんでしょうか?


(3498) 山野上春定さま  投稿者:よーぜん  投稿日:05月11日(金)10時26分56秒

初めまして。
上田城、妻女山へ行かれるのですか。
妻女山への登山口…私、出身が長野なんですが、
最近まで、妻女山のある場所、知らなかったんです。
名前は知ってたんですけどね。どこだろうと
ずーっと思ってまして。
茶臼山は有名ですけどね。
ご質問の件ですが、正確な登山口は残念ながら、
知りません。展望台などあるそうなので、登れるんでしょうが…
長野市のHPをご覧になってはいかがでしょうか。
自治体あるいは地元の観光協会の様なところに問い合わせてみるのが
ベストだと思います。


(3497) 別所  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月10日(木)23時56分50秒

>お江は実在ではないと思うのですが、別所の湯で幸村とお江が伴に入る場面が
>ありますがその近くの寺でかれらは3日間一緒に過ごしたことになっています

別所温泉の安楽寺がその舞台です。
http://www.dynax.co.jp/sinsen/culture/temple/t_anrakuji.html

国宝の八角三重塔が有名です。
別所温泉にお越しの際は、安楽寺、北向き観音を散策後
石湯で汗を流してみてください。

石湯は1年半程前に綺麗にリニューアルされましたが、
昔の方が趣が趣があって良かった。。。



(3496) 無題  投稿者:山野上 春定  投稿日:05月10日(木)22時29分46秒

やっと合宿の行き先決定

 上田城と妻女山
   
皆さんにお聞きしたい(答えてくださいお願いします)。
   妻女山(長野市・川中島古戦場の近く・川中島の決戦の片方の本陣・標高546メートル)
    この山の登山口は、何処にあるのですか???
      何度調べても分かりません。。。


      お願いします


(3495) 武将と女忍者  投稿者:三楽堂  投稿日:05月10日(木)20時53分42秒

「くノ一」って、なんか、やっぱ、その、そそられますよね(笑)
一般的に言われる女忍者はかなりイメージが先走っている感じですが。
ただ、破壊活動や諜報活動に女の力を利用したことは確実(たとえば征服者のもと
へ出てきてお酒をすすめて面相をうかがうだけでも)と思われます。が、女たちに
は「自分は女忍者だ」という自覚はあまりなかったのではないか、と。

お江と幸村の関係はもちろん池波氏の創作です。
「身分のヒエラルヒーが確立したあの時代」というのは、実ははなはだ曖昧なので
す。そうかもしれないし、そうでもないかもしれない。
戦国時代にはまだ身分間のボーダーが希薄ですし、戦国後期、江戸初期になっても
商人、百姓、武士の身分間を行き来する人々があったようです。
このへんのことはわたしもよくわからないのですが、ひでさんが関心を持たれてい
るのでしたら、以下の本を読んでみてはいかがでしょうか。

『身分差別社会の真実』斎藤洋一+大石慎三郎/著、講談社新書
『貧農史観を見直す』佐藤常雄+大石慎三郎/著、講談社新書


(3496) 大谷吉継、梅毒、STD  投稿者:ひで  投稿日:05月10日(木)00時04分56秒

三楽堂 様
早速のお返事ありがとうございます。
最初は私も梅毒の可能性も考えて同時に書いたのですが(消しました)梅毒では
あそこまでいかないかもと思った次第です。しかしそれは現代医学が頭にあった
からで医療の進んでいない時代のことですから今のエイズと同じSTDで死の病だ
ったのでしょうね。STDだと梅毒だけではないかもしれませんね。
滝川三九郎の記述はありがとうございます。NHKドラマでは飄々とした役回りで
したので(幸村と出会う前は素浪人に近かったのでは)旗本にまで出世したとは
思ってもいませんでした。ただ兄信之を参戦させなかったことからも家康本陣の
警護をしていたことには慎重にも慎重な家康にしては炯々ではないかと感じた次第です。
織田信長の比叡山焼き打ちに代表される様に敵を皆殺しにするのが(特に男子
の系統を絶やす)当時としては当たり前の様に思っていましたが、過去の評定
で三楽堂 様がそれも史実を元に否定されていた様に、敵でも有能な人材は
登用したのですか。そう言われれば家康も幸村を味方につけようとしますが
それを拒絶するところに幸村の一途さというか大阪城でも決して厚遇されている訳
でもないのに豊臣に律義に尽くす武士道の悲哀を感じます。それが後世彼のフアンが
多い理由でもあるのでしょうか。
お江は実在ではないと思うのですが、別所の湯で幸村とお江が伴に入る場面が
ありますがその近くの寺でかれらは3日間一緒に過ごしたことになっています。
身分のヒエラルヒーが確立したあの時代にそんなことは実際有りえたのでしょう
か。三楽堂 様が言われた歴史上の人物の人間的な魅力を感じさせる部分ですが、
これも史実なのか池波文学の逸話なのか。

寄生虫の話しで当時の食生活が偲ばれるコメントがありますが寄生虫では充分可能
でしょう。
法医学や科学的歴史学ではミトコンドリアDNAで古代遺跡の足跡を鑑定しますので。
寄生虫は目黒に寄生虫博物館があります。凄く長いさなだ虫が見れますよ。


(3495) 大谷吉継の病名  投稿者:三楽堂  投稿日:05月09日(水)22時36分50秒

実は確実な史料には載っていないんです(だと思います)。
ただ、傍証はいくつかあります。天正十四年、大坂城下で千人斬り事件
がおきた時、大谷吉継が容疑者として浮かびました。風聞では「太閤の
近臣である大谷紀之介(吉継)が自ら患っている業病(病名は書いてい
ません)を治癒させるために行っている」ということでした。千人を殺
してその血をなめれば流行していた悪瘡気が癒えると信じられていたか
らです。また、同じ年に小西行長が癩病患者診療のための聖ステファン
病院を開設しています。小西の実家は薬屋でした。
同じような病院はルイス・デ・アルメイダが大分に施療院を開設した例
があります。
戦国武将の間でわりと多い病気が「梅毒」です。黒田官兵衛、加藤清正、
結城秀康などなど。秀康が木製の鼻をつけていたという逸話は有名です。
関ヶ原から大坂の陣までの慶長年間に亡くなった大名が多いですが、梅
毒が死因であった人も多かったと思います。


(3494) 滝川三九郎のこと  投稿者:三楽堂  投稿日:05月09日(水)22時36分27秒

彼が家康の旗本となったのは史実です。同じく信之・幸村兄弟の叔父加
津野信昌(かづののぶまさ)もそうです。
滝川三九郎一積は幸村の娘2人を預かり、ひとりを伊達家重臣片倉重綱
の後室に、もう一人を蒲生家に嫁がせています。ただ、これがやり過ぎ
と幕府に睨まれて、公務で赴いた際、蒲生家に立ち寄って幸村の娘を見
舞ったのが原因のひとつとなって、改易されてしまいます。
ただ、えげつないと思ったのか、後に息子に家名を再興させています。

当時は宿敵といっても、憎悪と同じように親しみ、尊敬(敵ながらあっ
ぱれ?)も抱いていたケースが多いのではないかと思います。
謙信のあとの上杉家に武田遺臣が多く仕えていますし、信玄の子信清の
墓も上杉の城下町米沢にあります。

毒殺とかひどい騙し討ちなどのケースを除けば、真正面からぶつかった
相手というのは、だんだん親しみがわいてくるのでしょうか・・・

>私の知識レベルはこのサイトで発言するのははばかられる程皆様に比べて低いで
>すので御容赦下さい。素朴な疑問点を投稿しています。

この掲示板は「敷居が高い」とよく言われるのですが、そんなことは決
してありません。敷居自体ありません。また、知識とはいっても本から
得た知識ですので、素朴な疑問というのは定説を疑う意味で大切です。

あ、『上杉家文書』の価格が間違っておりました。1、2巻は予価14000円です。


(3493) 大谷吉継はライ病だったのですか?  投稿者:ひで  投稿日:05月09日(水)21時28分36秒

三楽堂 様、鯨海酔候 様、向井左平次 様
コメントありがとうございます。読みにくい表示なのに我慢して読んで下さって
ありがとうございます。読み易くした方が削除されてちょっとがっかりでしたが。
三楽堂様に御心配頂き感謝致します。オリジナルは別にありますので。
向井左平次 様とはお初です。過去ログは一杯読ませて頂いております。
私の知識レベルはこのサイトで発言するのははばかられる程皆様に比べて低いで
すので御容赦下さい。素朴な疑問点を投稿しています。
このGWに真田太平記の総集編の録画を見ていてこのサイトを見付けたのがきっか
けです。真田太平記の総集編も幸村の最後までで先に書きました理由で白髪の
信之の部分は見れないのが残念です。
鯨海酔候 様、関ケ原での島津義弘の中央突破は大谷吉継(村井国男が演じて
いましたが大谷吉継はライ病だったのですか?三楽堂 様が評定のどこかで
彼が馬に乗れたのかって疑問を書かれていた様ですが。確かにかごでの移動
シーンが多いです。彼の病気に関しては医者として関心があります)の切腹
とは状況判断の違いを感じた次第です。三成は洞窟に隠れていたのですね。
死を覚悟したつわものの総大将の最後としてはちょっとみっともないと
思いますが。
真田の6文銭の旗印は三途の川の渡し賃だったのですね。死に臨んでも
悔いなき様にという意味が込められているのでしょうね。
三楽堂 様、書かれておられる上杉景勝のその様な計らいにも関らず昌幸は
幸村を奪い返すのですか。それも仁義に反すると言えば言えなくもないですね。
確かにあの小藩で上杉、武田、北条などの雄藩に囲まれた地で生き延びるには
狡猾なマキャベリズム的権謀術数が要求されたのかもしれません。
丹波哲郎扮する昌幸があの狭い小部屋でくるみか何かを握りながら作戦を練る
シーンはやはり小藩が戦国の世を生き延びる術の苦悩を具現しています。
最後にお聞きしたいのですが、さんくろう(漢字が分からずすみません。
三浦浩一さんでしたっけ演じてられたのは)は実在の人物(?)かもしれませんが、
茶臼山本陣に幸村が攻め入った時彼が幸村の行く手を阻みますが幸村に縁の者を
家康が側近に仕えさせるとも思えないのですがあれは史実ですか?
実は樋口角兵衛(幸村らの腹違いの兄弟、榎孝明さんが演じてましたが)は味方に
なったり敵方になったりと挙動不審なためドラマ上の架空の人物とばかり思って
いたのですが実在の人物だったのですね。最後は幸村と大阪方で闘いますが。
誰かの失明のために自分の目をくりぬいたりと行動は尋常ではないですが。
それではまた。


(3492) 『上杉家文書』覆刻されます  投稿者:三楽堂  投稿日:05月09日(水)19時58分27秒

大日本古文書の覆刻計画が明らかになりました。

5月〜9月  伊達家文書(全10巻) 毎月2冊ずつ刊行
5月 熊谷三浦平賀家文書(全1巻)
6月   山内首藤家文書(全1巻)
7月     相良家文書(全2巻)
8月〜9月  上杉家文書(全3巻)
9月     浅野家文書(全1巻)

いずれも分売可です。
これで、すでに覆刻されて毛利、吉川、小早川、島津をあわせて大々的
な覆刻が行われることになりますね。
「上杉文書」気になるお値段ですが、1、2が各16000円、3が12000円です。
高い?バカ言っちゃいけません。古書価では6万から9万円という値がつい
ているんですよ。貯金おろしてでも買いなさい。次回、あなたが生きている
間に覆刻される保証はありません。(20年か30年のスパンかな?)
そして、入手したら、元をとったと思えるほど耽読しましょう。


(3491) あ、これ面白いね。  投稿者:三楽堂  投稿日:05月09日(水)19時58分05秒

>春日山を峻険度を10とすると坂戸は?

これ知りたい。わたしも今年か来年予定しているので。
春日山城は大手道が整備されてから、あまり苦しいという感じはな
くなったかな。年をとってわたしの感覚が麻痺しているのかもしれ
ませんが。
ちなみに標高でいうと、坂戸城のほうが約3倍半です。
峻険度・・・15ぐらいかな? あまい?


(3490) 山城登り  投稿者:トラマ  投稿日:05月09日(水)18時40分53秒

上杉関係のことでお聞きしたいのですが
魚沼にある坂戸城はかなり峻険な城と聞いてますが
どの程度のものなのでしょうか?
春日山を峻険度を10とすると坂戸は?


(3489) うわぉ。  投稿者:蒔本  投稿日:05月09日(水)00時18分55秒

ほんの3日かそこら顔を出さなかっただけで、物凄い量の書き込みが……
凄いわ(大感動)。

>三楽堂様
トイレ、ありましたね(笑)。そして寄生虫も。
誰の寄生虫か……まあ、奥さんもいらっしゃるし、使用人とかも居るでしょう
から、あえて推測は致しませんです。ハイ(乾笑)。
しかもその寄生虫から、当時の人の食生活もある程度推測できるらしい事が
看板に書かれていて、かなりびっくりしました。

>トラマ様
初めまして(じゃないのかな?)、蒔本です。
危険球はホームグラウンド以外では禁じ手としておりますので、ここではあまり
期待しないでやってくださいませ(苦笑)。
大朝&豊平道中、1日違いだったんですね。
居館跡は、私が行ったときも立ち入り禁止になってました。確か、公園か何かに
整備するためだとか聞いたような気が……。
でも、外側から全体や石垣を見渡すだけでも、色々想像できて、個人的には楽しめ
ました。
日野山には登り損ねたので、立ち入り禁止が解除された頃を狙ってリターンマッチ
を狙ってます。


(3488) 真田ファン  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月09日(水)00時04分30秒

>以前の真田幸村のファンの方々は御健在ですか。

久々の登場です。
真田一族それぞれに魅力があってみんな好きですが、
池波正太郎氏の影響か、信之が好きです。。。


GW中は高速の混雑が予想されたため、遠出は控えましたが、
近いうちに上田の刀屋へ出没予定。。。



(3487) こちらこそ、ごめんなさい  投稿者:三楽堂  投稿日:05月08日(火)20時15分25秒

ひでさんのコメント、最後の2つを消してしまいました。レイアウトのほかに文言
とか大丈夫だったでしょうか。申し訳ありません。
誤字はお互いさまです。いちいち突っ込みませんので、ご安心を。

伊藤孝雄の景勝、よかったですよねー。ちなみにドラマのようなセリフをはいたか
どうかわかりませんが、2度までも裏切りながら同盟を願い出た昌幸を、景勝はそ
れなりに大切にしたようです。実は豊臣秀吉は真田昌幸の改易を考えていたのです
が、ちょうど上洛した景勝の懇願で、本領安堵が決まりました。この経緯を示す秀
吉の書状がのこっています。
なのに、昌幸は景勝の上洛中に人質にやった幸村を取り返しちゃうんですねー(笑)

ついでにいいますと、極端な無口で知られる景勝、書状を書かせると結構饒舌です。


(3486) やはりある意味無謀  投稿者:鯨海酔侯  投稿日:05月08日(火)19時33分12秒

>島津義弘の中央突破を無謀とは思っていません。

御言葉を返すようじゃが、計画的な行動とは思え申さず。良く言えば咄嗟の機転、
悪く言えば、ただのやけっぱちといって良いのでは?
突飛な行動だったからこそ、東軍の意表を突き、脱出の間隙も生じたのじゃと
愚考仕るが、いかがでござろうか?

ご指摘のシーン(小説)
「安房守には、何度も煮え湯をのまされたわしへ、そのような申し出は虫がよすぎる」
と、いった。
 昌幸は、返す言葉もない。
「なれど、戦国の世の常ともいえよう。ゆるしがたいこととはおもうが、こらえて
つかわそう」                 (新潮文庫・第二巻P.466)

景勝・・・かっこええのう。


(3485) ごめんなさい  投稿者:ひで  投稿日:05月08日(火)15時18分29秒

三楽堂 様
同じの3つも送ってしまいすみません。最後のを残して二つは削除してくだ
さい。
御顕在は健在の間違いでした。


(3484) 歴史から学ぶって大袈裟に書きましたが  投稿者:ひで  投稿日:05月08日(火)15時02分47秒

三楽堂 様 わざわざ御丁寧に書き込みありがとうございます。これからたまに来させて頂きます。以前の真田幸村のファンの方々は御顕在ですか。過去ログの真田の部分は大概読んだのですが。
私は大阪阿倍野の出身なので家康本陣の茶臼山は良く知っていますが幸村自害の地、安居神社、のことは知りませんでした。このサイトではいろいろ歴史の興味をかきたたせて頂いております。
1985-1986のNHK放映当時はビデオ録画せず、数年前の総集編も最終回が時間変更のためとれずで幸村の最後までしかみていません。最後は信之の白髪ですか。93歳まで生きたということですし。
歴史から学ぶって大袈裟に書きましたが史実の正確性を重視するだけでなく、史実から現在に生かせる教訓もあると思う次第です。例えば伊能忠敬とか上杉鷹山とか。歴史学は私の医学とは専門を異にしますが医学の分野では野口英世がmake up data研究者として有名です。一方志賀潔は大腸菌O157:H7にShigatoxinの名を今に残しています。赤痢菌です。
話がそれましたが発表されている文献の記述の内容のすべてが正しいとは思いませんが、歴史の場合は自分で検証できないので古文書にあたり、遺跡にあたるしか研究の方法はないのでしょうね。史実の中に生身の人間性を感じたり、史実の真偽が妥当な根拠で正確な事実が判明した時の研究者の喜びは分野を問わず同じです。頑張ってください。
島津義弘の中央突破を無謀とは思っていません。ただ冷静に状況判断した判断は幕末に開花するのでしょう。
人間性云々に関して言えば私の後の書き込みの中に上杉景勝の名が出て来ますが、ドラマで伊藤孝雄さんが上杉弾生景勝役を上手く演じておられました。昌幸が幸村を伴って景勝と談判する場面だった記憶していますが「真田には今までさんざん苦湯を飲まされたーーーー。しかし耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これが戦国の世の習いーーー」とかいうセリフがありましたが(ビデオも本もないので正確でなくてすみません)私は親子、兄弟、夫婦も殺しあった戦国の世にもあの様な人情なエピソードもあったのかとほろりとさせられた次第です。史実かどうかは専門家でないので知りませんが。
大野治長が幸村の進言に「私は総大将ではござらぬーーー」という場面も彼の苦悩が滲んでいました。それではまた書かせて頂きます。



(3483) 緑のカバー  投稿者:三楽堂  投稿日:05月08日(火)08時14分54秒

『上越市史』、昨年パンフをもらってきました。どぎつい緑のカバーですよね。
上杉文書は大日本古文書で持っているので、註とか並べ方で独特だったら『上
越市史』も欲しいですね。

主馬さん、『新潟県史』ですが、県内古書店の目録に近世編は記載なかったです。
近世編1のみはときどき目録で見かけるんですが・・・
ただ文求堂のHPはあまり更新頻度がまめではないので、先日のぞいた時には
『新潟県史』のバラも棚の一段を占拠してましたよ。
再版の件ですが『新潟県史』にかぎらず、自治体史はあまり版をかさねる話は聞き
ません。やはり地元県民、市民をターゲットに考えているからでしょうね。
内容は決して古くはありません。研究者も必要でしょうから、史料集的な内容のも
のは品切れ後の供給も考えてほしいですね。『高知県史』などは東京で揃い85万
円という高値で、地元高知の古書店主が「とても買えません(セドリということか)」
と嘆いていました。

むしろ、東京大学史料編纂所の大日本古文書版のほうが意外と早く覆刻しそうな気
がしますね。ここのところ、島津、伊達と毎年覆刻を続けていますから。


(3482) Re:新潟県史  投稿者:主馬  投稿日:05月08日(火)00時46分17秒

三楽堂様
お手を煩わせるようで申し訳ありません。

>文書館に問い合わせたところ、売りきれの巻について再版の予定はないとの
>回答をもらいました。
再販するには修正すべき点が多いと言うことでしょうか?
でも新潟県内には購入したまま眠っている県史も多いでしょうね。

そういえば、以前『上越市史』の上杉家文書についての話が出ていたようですが、
上杉氏文書集(一)(二)として平成14・15年度に出るようですよ。
だいたい年度末に出ますから、まだ2・3年後だと思います。
それと、「上越市史叢書」という史料集みたいのが今いくつか出ていますが、
上杉氏関係のものも出れば良いですね。


(3481) 幸村、越後留学  投稿者:三楽堂  投稿日:05月08日(火)00時17分53秒

そうそう、幸村は越後へ人質に。これは小学生の時、子供向けの伝記で読みました。
思えば、その時はじめて上杉景勝や直江兼続という名も知ったのだった。
わたし、はじめて読んだ戦国時代の人の伝記が「真田幸村」でした。

真田宝物館、ひさびさに訪れたいですねー。あの前の売店が営んでいる民宿六紋銭
にも2度ばかりとまったっけな。

ところで、本庄繁長の家臣団を調べてて、ふと疑問に。鵜戸路一族ってのが出てく
るんだけど、こんな姓、彼の地にあったのだろうか。鵜戸路って「もしかして北海
道のウトロかいな」と思ったりして。繁長の麾下にアイヌ部隊がいたなんてことに
なれば面白いんだけど・・・

新潟のウトロさんって、いらっしゃるんでしょうか?


(3480) 真田の里にいってきました  投稿者:よーぜん  投稿日:05月07日(月)11時00分47秒

GWも終わりましたね。
私はこの連休、真田の里を巡ってきました。
真田町&長野市松代、です。実家があっち方面なので。
真田町は、隠れ里のような小さな山里でした。
猿飛佐助たち、伝説の勇士たちが本当に生きていそうな…
真田城址に咲いていた山吹がとても印象的でした。
長谷寺(真田町)や、長国寺(長野市)など、菩提寺にも
参ってきました。(実は墓参りが趣味だったりする)
真田氏が江戸期を過ごした松代城、復元工事中でした。
平成15年に完成予定だそうです。
あと、真田宝物館、あそこはすごく見応えがありました。
真田ファンならずとも、十分楽しめる所です。
幸村が、一時上杉家に人質として来ていたことをはじめて
知りました。
家族が一緒だったので、メインの観光地しか回れなかったのは
残念ですが、帰省のおりにはまた行ってみようかな、と。
真田ファンになりかかっている私。(笑)


(3479) おやおや  投稿者:トラマ  投稿日:05月07日(月)07時48分29秒

蒔本さん、はじめまして
安芸の住人のトラマというものです
私もひそかに危険球を楽しみにしているものです(^^;

なんと!5日に大朝へ行かれたのですか!
実はその前日に私も大朝・千代田・豊平へ行っていたのです
小倉山、日野山、吉川館跡を見てきたのですが
小倉山は整備が行き届いててそれはそれで楽でよかったのですが
なんか物足りない印象があって
日野山へ登っていったんですが、こっちは疲れた
吉川館跡は全面シートがかぶせてなかったですか?
僕が行ったときは立ち入り禁止となってたんですが


(3478) 元春のトイレ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月06日(日)23時44分45秒

蒔本さん、どうも。
吉川元春の館跡行かれましたか?わたしはまだなんですが。
たしか、元春のトイレが出てきましたよね(笑)。貯槽からは当時の寄生
虫も出てきたとか。誰の(爆)?

えーと。関東以北でのおすすめスポットといっても、なかなか難し
いのですが、わりとまとまってるのは、伊達、上杉関連ですね。
関ヶ原ほど大規模な史跡はあまりありませんが。
おごそかな雰囲気の上杉家廟所(米沢市)とかはなかなかいいです。
ちなみに城は内部が資料館になっているのならともかく、復興天守
はあまり好きではありません。やはり、山城か平山城ですな。
土塁や堀切、最高!(病気)


(3477) CO:歴史に学ぶとは  投稿者:三楽堂  投稿日:05月06日(日)23時43分37秒

いらっしゃいませ、ひでさん。戦国群像&小田原評定へようこそ。
真田幸村と楠正成ですが、ご指摘のとおり非常に似てますよね。
幸村が最後の戦いにのぞむ時、息子大助を大坂城へ帰す話も、軍記
や江戸時代中期の編纂物にしか出てこないのですが、これは楠正成
と正行の桜井の宿の別れをアレンジしたものだと解釈しています。
軍師真田幸村のイメージはかなりの部分、「太平記」の正成像が投
影されていると考えます。
もちろん実際の真田信繁の奮戦ぶりは細川、島津の各家文書に書か
れているところですから、まったくの虚構ではないんですが。

>私は歴史から君たる者が家臣の能力を見定める判断を誤ると自らも滅ぶことを
>学んだ次第です。

なるほど。歴史から何を学ぶか読み取るかは各人さまざまだと思い
ます。
わたしは、と言えば、あまり歴史から教訓や処世術などを学びとろ
うとは考えていません。最近の関心は二極分化(?)がすすんでい
ます。ひとつは、古文書など確実な記録の中からフッっと息吹を感
じさせるような一行を探し出すこと。そういう箇所に出会った時は
英雄もふと身近な存在に感じられます。
もうひとつは、こんなことは史実ではないと言われて学者に葬られ
ようとしているエピソードの発掘です。ウソはウソでも、どうして
そういうウソが出て来たのか。この点を推理することです。


(3476) 島津奔る  投稿者:鯨海酔侯  投稿日:05月06日(日)23時13分36秒

島津の関ヶ原中央突破も、無謀という点では、相当なものじゃと思い申すが・・・

ま、ともかくも大将が無事薩摩まで帰りつけたという点においては、無謀な
行動が、好結果をもたらした史上数少ない例といえるじゃろ。


(3475) 歴史に学ぶとは  投稿者:ひで  投稿日:05月06日(日)22時13分02秒

始めて書き込みします。
1986年頃にNHKで毎週水曜日に真田太平記を見て以来真田一族に興味を持った者
です。医者ですのでこの場に書き込むのは場違いかもしれませんが素人のたわ言
とお聞き下さい。真田幸村(実際は信繁っていうのですか、このサイトで始めて
知りました)の戦法は尊敬していたというだけあって楠正成に似ていますね。
かれらの運命も同様に。楠正成の場合は進言が御醍醐帝に受け入れられず数に
於て遥かに勝る尊氏軍と湊川に死地を求めるかの様に闘います。同様に真田幸村
の場合も淀君に総攻撃を進言しますが受け入れられず冬の陣では出城真田丸で
闘い、夏の陣では家康本陣に打って出ます。自ら分かっていたのでしょうが
無謀な戦法でしょうね。ここら辺りは状況判断を見定めて勇猛果敢に関ケ原から
退却する島津義弘とは異なるところでしょうね。
私は歴史から君たる者が家臣の能力を見定める判断を誤ると自らも滅ぶことを
学んだ次第です。
歴史に学ぶというのはそういう意味かと理解しています。


(3474) さすが、GW……  投稿者:蒔本  投稿日:05月06日(日)01時50分57秒

ご無沙汰してました。
三楽堂様、新潟の方の旅は収獲あったみたいですね。関東以北は無縁の
地域なので、どんな場所や史跡があるのか全く知りませんけど、何処か
おすすめのスポットなどはありますでしょうか?
私の方はというと、先月末に濃尾方面をまわってそれから、今日(もう
「昨日」だな)は、大朝&広島に行ってきました。
元春様の墓参りをして、それから小倉山城と広島城。
ずっと行きたくて、でもなかなかチャンスが無かった場所なので、
物凄くシアワセだったのはいいんですが……帰り、山陽道が渋滞で、
途中から中国道に乗り換えるという悲しい目にあってしまいました。
GWって、やっぱり混むんですねぇ。高速。
去年の5月5日は関ヶ原に大谷刑部の墓参りに行き、今年はこうして
元春様の墓参り……来年の5月5日は誰の墓参りになるのかと、自分
でもちょっと呆れる事が多い最近です。


(3473) 新潟県史  投稿者:三楽堂  投稿日:05月05日(土)13時31分50秒

こんにちは、主馬さん。結構、新潟県史は売りきれの巻が出てしまっていますよね。
近世でしたら、まだ中世よりかは入手しやすいとは思いますが・・・
以前、文書館に問い合わせたところ、売りきれの巻について再版の予定はないとの
回答をもらいました。
揃いであれば文求堂が現在のところいちばん安いかもしれません。東京などの半値
ですね。店頭で確認したところ、バラだとやはり文求堂か、近所の佐久間書店とい
うことになるかと思います。
今、出先なので戻ったら手元の目録を繰ってみますね。

稿本についての情報ありがとうございます。参考になります。


(3472) ありがとうございます。  投稿者:主馬  投稿日:05月05日(土)01時37分27秒

三楽堂様、情報ありがとうございます。やはり実際に利用した方の
情報は有益です。
文求堂のHPは存じておりましたが、三楽堂様の言うとおり、
品揃え的には東京の方が良いかも知れませんね。
でも東京だと『新潟県史』揃いですごい値段ですから。
地元なら、『新潟県史』資料編の近世部分だけでもバラで売っていないかな、
と思いまして。

ところで、越佐史料稿本は今文書館に行っているのですか。
だとしたら、私が閲覧したのは原本だったのでしょうか。
つるつるしていた紙だったのでコピーしたものかと思ったのですが。
ずいぶんと大きかったことを覚えています。

>以前、稿本が古書店に出ているのを目録で見たのですが、
これはどうなのでしょうか?関係者が所有していたものが流れたのでしょうかね?
とりあえず文書館ではコピーは出来ると思いますが…


(3471) 最近の古書店主は・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:05月04日(金)14時08分59秒

以前は、店の奥でジーッと店内を睥睨していたり、TVを観てたり、雑誌を読んで
たりしていたご主人たちですが、最近いろいろな古書店でネットサーフィン中の光
景を目にします(笑)
新潟の佐久間書店ではご夫婦が「お気に入りを消されちゃった」などと嘆いていま
したし、高知の平凡堂(だったっけな)では女性店主がアクセス中でした。
実はインターネット上の目録公開によって、地方の古書店も「買いつけ」を行って
いるんですね。
古書店などの情報は都内ですと「ブックマップ」が有名ですが、「日本の古書店地
図」をわたしは愛用しています(って、職場から借りっぱなしなんだけど)。


(3470) 北海道もなかなかいいですよ  投稿者:KUBO  投稿日:05月04日(金)07時52分56秒

>秋山如雪さん
> 北海道の方ですか?
 はい、石狩市民です(^^) まあ、札幌までは30分ほどで着くので数ヶ月に一回くら
いは弘南堂やサッポロ堂に出没しております(^^;)

> 一応私は大学で戦国関係のことを勉強していますが、北海道の大学という関係上
> 授業に「北方関係史」とか「北海道史」とか「アイヌ文化論」とかそういう
> 独特のタイトルの授業もあるので、レポートなどを書くときの資料を探すのに
> 大変参考になります。
 でしょうね。私は大学時代は西洋史の研究室でしたが、やっぱりそういうのがあり
ましたね。日本史の方の先生は「松前町史」の執筆などもされた方でした。(もう退
官なさいましたけど)

> 函館はよく行く方ですが、志苔館には行った事がありませんでした。幕末関係だと
> 松前城とか五稜郭あたりなら行った事あります。
 函館近辺ですと、松前城・五稜郭は別格として志苔館・四稜郭・戸切地陣屋はとて
もきれいに整備されていますのでおすすめです。(ただし戸切地陣屋はちょっと車を
使わないと行きにくい所にありますけど) 一応、うちのサイトにこれらのお城や史跡
の写真も載ってますので、興味がおありでしたらご覧になってみて下さい。
 URLは http://homepage1.nifty.com/t-kubo/ です。

> あとは小樽の古い倉庫や銀行跡なら行ったことがありますが、あれも明治・大正
> 時代ですよね?
 そうですね。小樽は近い割にはあまり行ってなかったりします(^^;) 今度、そうい
う近代建築巡りでもしてみようかなあ?

> やっぱり札幌は新しい町ですからね。今私が住んでいるところなんて、つい3、
> 40年前は全くの原野だったらしいです。昔の写真を見たら建物が何にも映って
> いないんです(笑)。
 良くありますよね、そういうのって。石狩もいま団地になっている花川は、昔は田
んぼとか牧場だったらしいです。いまでも住宅街のど真ん中にサイロが残っていたり
しますが...(^^;)

>三楽堂さん
> 札幌、しょっちゅう行くので。今度時間があったら古書店にも寄ってみます。
> 札幌は結構、古書店多いんですよね。
 どうぞおいで下さい。やっぱり北大の前の通りに古書店は多いですね。以前は狸小
路にある大学堂書房にも時々いったんですけど、あそこは歴史系は結構あるものの整
理が悪くて、だんだんと歴史系の前のところが通れなくなってしまったので最近行っ
てません(^^;)

 最近はネットで検索して古書を手に入れられるので、そっちを使うことの方が多い
ですね。なかなか北海道じゃあほしいものがありませんし...


(3469) 今度、寄ってみます  投稿者:三楽堂  投稿日:05月03日(木)20時27分39秒

札幌、しょっちゅう行くので。今度時間があったら古書店にも寄ってみます。
札幌は結構、古書店多いんですよね。
ちなみに、手許の情報によりますと南陽堂書店と弘南堂書店はご兄弟。前者が兄、
後者が弟。けっこう兄弟でお店出したり、同じ店舗の中で部門担当したりするケ
ースが多いですね。

先日、『越後史集』を入手(まだ未着)しました。人物往来社の『上杉史料集』と
一部ダブる内容ですが、こちらにしか収録されていない大部の軍記「管窮武鑑」が
あるもので・・・あと、別の一件は本日申し込み。抽選待ちです。


(3468) 北方史  投稿者:秋山如雪  投稿日:05月03日(木)20時02分51秒

>KUBOさん
北海道の方ですか? 貴重な情報、どうもありがとうございます。私は地元の
くせに知らないことが多いので助かりました。
早速今度行ってみます。
一応私は大学で戦国関係のことを勉強していますが、北海道の大学という関係上
授業に「北方関係史」とか「北海道史」とか「アイヌ文化論」とかそういう
独特のタイトルの授業もあるので、レポートなどを書くときの資料を探すのに
大変参考になります。
函館はよく行く方ですが、志苔館には行った事がありませんでした。幕末関係だと
松前城とか五稜郭あたりなら行った事あります。
あとは小樽の古い倉庫や銀行跡なら行ったことがありますが、あれも明治・大正
時代ですよね?
やっぱり札幌は新しい町ですからね。今私が住んでいるところなんて、つい3、
40年前は全くの原野だったらしいです。昔の写真を見たら建物が何にも映って
いないんです(笑)。


(3467) おお、南陽堂書店!  投稿者:KUBO  投稿日:05月02日(水)22時32分57秒

何か身近な話題が出てきたので、旅先(大阪)から出てきました(^^;)

>秋山如雪さん
 確かに札幌近辺で戦国期の史跡はないですねえ(^^;) アイヌのチャシならそこここ
にあるんですけど。戦国期の史跡になると、道南方面に行かないとないですね。上ノ
国の勝山館・函館の志苔館などはなかなかいいところですけど。
 あと幕末期のものですけど白老の仙台藩陣屋、室蘭の南部藩陣屋、上磯町の戸切地
陣屋は一見の価値がありますね。

 南陽堂書店ですかあ。最近行ってないですねえ。あそこの周辺はなかなか駐車でき
ないのでついパスしてしまって... 歴史系は確かに結構ありますね。あともう少し北
の方にある「弘南堂書店」もなかなかです。ここはアイヌ関係や北方史関係も充実し
てますね。
 あと、弘南堂の少し南にある「サッポロ堂書店」は北海道の郷土資料・アイヌ関係
・北方関係専門です。だいたい最近この2軒しか行かなくなってしまった...

                                KUBO@石狩


(3466) 旅は旅でも・・・  投稿者:秋山如雪  投稿日:05月02日(水)20時04分41秒

三楽堂様、みなさま。お久しぶりです。
私も旅、とまではいかないんですが、遠出に行ってきました。
といっても金のない貧乏学生なので、結局地元札幌の周辺を周るだけでしたが。
ご存知のように北海道には戦国期の遺跡がほとんどありませんので、まあ明治・
大正時代の建物を中心に回って来るしかなかったわけですが、それでもそういう
建物には北海道がまだ蝦夷地と呼ばれていた頃の和人とアイヌの交流(戦国期)
の展示などもあり、興味深かったです。
地元なので今まであまり行かなかったのですが、意外と戦国関連のものもあり
ました。
それと、みなさんがもし札幌に来ることがあったら、JR札幌駅北口を出て、
北大正門に向かう途中にある「南陽堂書店」という古書店に行って見てくださ
い。札幌にはあまり古書店はありませんが、ここはかなり古くからやっている
ところでして、歴史関係の史料も割と揃っています。ただ、値段はちょっと
高いですけどね。
ここ、全国に通信販売もしているそうですよ。


(3465) 古書店  投稿者:三楽堂  投稿日:05月02日(水)06時54分25秒

主馬さん、こんにちは。
文書館のほうには時間がおしてきて(図書館のほうで熱中症に。笑)寄りませんで
した。年内にもう一度行こうかと思ってます。
そうそう、稿本は見たかったんで、3日目に所蔵元の北方文化博物館でも見られる
かな、と思い、聞いてみたんですが、やっぱり文書館のほうへ行ってしまっている
そうで。以前、稿本が古書店に出ているのを目録で見たのですが、あれは入手でき
るものなんでしょうか?

たしかに神保町よりも新潟のほうが安い(半値ぐらいのものも多い)です。ただ、
全体的な品揃えは店の総数からして東京のほうが充実しているような気がしますが。
歴史系(郷土関係)に強いのは文求堂書店と学生書房でしょう。(ともに駅からバ
スで信濃川を渡った反対側にあります。三越の裏手あたり)
文求堂はHPがあります。
http://www2.ocn.ne.jp/~m8678/

長岡にも成匠堂書店やコスモス書房とかがあります。こちらは目録持っているので
具体的な書名をお知らせいただければ、あるかどうか調べてメールしますが?


(3464) 新潟の古書店  投稿者:主馬  投稿日:05月02日(水)00時34分36秒

三楽堂様、連休前半は充実しておられたようですね。
県立図書館に行かれたそうですが、併設の文書館にも
行かれましたか?越佐史料稿本の紙焼きが見られますよ。
(御存知でしたら申し訳ありません)

下のレポートを拝見しまして、少し伺いたいことがございます。

新潟市街の古書店を巡られたそうですが、歴史系が充実している所は
どこでしょうか。場所的には中心部あたりに集中しているのですか?
若干越後関係の資料を入手したく、しかし東京では高いので、新潟ではどうかな?と
思ったりするのですが…


(3463) 戻ってきました  投稿者:三楽堂  投稿日:04月30日(月)22時19分59秒

本日、ほぼ予定どおりに史跡探訪をおえて戻ってきました。
首都圏のほうは雨続きだったようですが、新潟は連日まあまあの天気。日中は半袖
一枚でもじゅうぶんなくらい気温があがりました。

第1日目
新幹線で新潟入り。いきなり行ったところが「県立図書館」(爆)
でも、郷土コーナーが設けられていて、わたしにとっては一面宝の山。旅の途中な
ので熟読できなかったのが残念。書名をメモるのに精一杯。非売品の上杉関連本も
あって、非常に面白かったです。1日中いてもあきないな。
そのあと、市街に戻って古書店めぐり。3ヵ所のうち1ヵ所はお休みでした。

第2日目
新発田市へ。新発田重家の菩提寺福勝寺を訪ねました。門のところに新発田重家の
坐像がお出迎え。木像はガラス戸のすきまから覗き見しました。
羅漢堂という史料館があって、お堂ひとつ分の収蔵品しかないのですが、重家の肖
像画や遺品が展示されていました。
そのあと、お城へ。新発田城は溝口氏の築城ですが、重家の居城をとりこんだ設計
であるといいます。今は自衛隊駐屯地と化しています。
その後、駅へ戻ってバスで竹俣氏館跡へ。宝積寺という竹俣氏菩提寺があるのです
が、境内で遊んでいた子供たち数人がわたしを見てみんな、「こんにちは」って挨
拶するんですよ。お寺の人と勘違いしたのかもしれないけど、心なごみました。
山間の田園地帯でおもむきのある場所です。
近所に加地氏の菩提寺香伝寺もあったので、ここにも寄りました。ここでいやーな
予感が的中。帰りのバスに10分差で間に合わず!。
国道をとぼとぼ歩いて市街地まで戻りました。国道部分だけで10キロはあったか
もなー(T-T)
なんとか別路線のバスに乗れて新発田市街へ戻り、こりもせずに、今度は五十公野
城へ。山城の中で道に迷ってしまいましたあ(^o^)

第3日目
今日は歩くのはいやだ、とばかりに電車で新津へ。駅からタクシーつかってしまい、
北方文化博物館へ。上杉関連ではありませんが、豪農の屋敷が公開されています。
400年前の民家も展示されているので、戦国期の庶民の暮らしぶりが伝わってき
ますよ。「越佐史料」(未刊部分所蔵)に関する質問にも事務局の方々が親切に対
応してくださいました。
その後、バスで新津駅へ。電車の時間まで間があるので、あんなにいやがっていた
にもかかわらず、歩いて鉄道資料館へ。ここで、謙信の錦絵をあしらった記念乗車
券を発見! また、赤谷線というローカルが開通された時に鉄道唱歌を元歌にして
つくった歌詞の中に以下のような一節がありました。

♪天正年間小田切が
 関が峰に城築き
 陣場ヶ平の景勝と
 戦いし跡も程近し

作詞は山下清平という方です。小田切は新発田重家に与した蘆名家臣小田切氏のこ
とですね。
新津駅へまた歩いて戻って、電車で新潟へ。先日おとずれた古書店で目をつけてお
いた『村上市史・資料編』と『越佐叢書・第3巻』を購入。前者は本庄繁長関連の
史料が非常によくまとまって収録されています。後者は軍記ものの「北越太平記」
が収録されているので。謙信軍記の中でももっとも早い時期に成立したものです。
ちょっと所蔵者の書き込みが多いのが難点ですが、どなたか知りませんが系図とか
記述の謝りとかを考察していて、これはこれで興味深いものです。


(3462) 旅は、いいですね。  投稿者:石田 治部  投稿日:04月28日(土)19時50分33秒

皆さん、いいですね。
私は、東京国立博物館に、上杉家文書を見に行きます。
帰りに、アキバにでもよってと。安上がりです!

よーぜんさんへ。
兼続のページの、ご感想有難うございました、誰も入れてくれなかったら、
どうしようかと思ってました。


(3461) みなさん、旅に出られるのですね。  投稿者:よーぜん  投稿日:04月28日(土)19時01分26秒

>蒔本さま
秀康の件、よろしくお願いします。(笑)

みなさん、GWは旅、ですか。
私も旅に出ます。
といっても帰省するだけですが。
実家が長野なので、真田の宝物館でも見に行こうかな、
と思っております。
よい休日を!!


(3460) わたしも旅に出ます  投稿者:三楽堂  投稿日:04月28日(土)06時57分10秒

GW後半は出勤しなければならないので。蒔本さんと同じスケジュールで新潟方面
へ。今回は新潟市から新発田市をまわります。古書店も数軒まわる予定ですが、非
常に楽しみ。

誤植ってよほどのものでないとなかなか直らないみたい。『街道をゆく』で、冒頭
についている地図と内容の順序が逆だった(Aの旅にBの地図、Bの旅にAの地図)
ことがあるけど、さすがに再版で直ってましたなあ。
でも、ある程度まとまった量(あるいは重大な謝り)だったら、知らせてみては?
その反応によって相手の姿勢もわかるでしょうから。

よーぜんさんの紹介された「秀康は秀忠の弟」は、あるいは事実誤認かもしれませ
んね。小説ならば笑えるけど、概説書や史学論文なんかになると、シャレにはなり
ませんね。他者が知らずに引用してしまうということもあり得ますから。
プログラムでいえば、りっぱなバグですな。

ではでは。


(3459) 旅に出ます。  投稿者:蒔本  投稿日:04月28日(土)04時05分13秒

今日から2泊3日で、濃尾方面へ夜逃げ(?)してきます。
清洲、大垣、関ヶ原……趣味ばれまくりのセレクトですね。

>三楽堂さま
なるほど……やはり反映されないと思った方がいいのですね(涙)。
私の名前は、普通に入力したら一発変換される筈のない字なので、
間違いは気にしてませんよ。
……っていうか、友人ですら未だに間違えてくれるし。
そう、例の誤植というのが実は、名前に関するものなんですよ〜。
片っ端から。
その頃にはもう死んでる筈の人の名前が年表にのってたり、ふたり
足して2で割ったような名前が創作(違うって)されてたり……
バイトながらも校正に関わった事のある身なので、校閲作業が大変
なのはよく知ってますけど、うっかり鵜呑みにしちゃいそうになるので、
出来るだけ気をつけてほしいですよね(溜息)。

>よーぜん様
秀康君が秀忠の弟って……それ、凄いですね(苦笑)。
ワザとなのかそれとも作者の方の勘違いなのか、それとも誤植なのか
これが事実なのか……きっと混乱した方多数いらっしゃったでしょうね。
うわぁ、気になるなぁ。
今度本屋で探してみます。


(3458) 大日本古文書覆刻  投稿者:三楽堂  投稿日:04月26日(木)22時48分16秒

#よーぜんさん
「上杉家文書」の古書価は6、7万と書きましたが、これはあくまで目安です。今
のところ最高額は神田某書店の9万8000円ですかね。
わたしは昨年、2万8000円で入手しましたので、探し様によっては安く手に入
れることも可能かと思います。わたしの場合は元版2冊と覆刻版1冊という変則的
な組み合わせ(版型がやや違う)だったせいかなあ。内容的には全然問題なし。
「上越市史」で出れば、1冊1万は切ると思います。5000円ぐらいじゃないで
しょうか。ただ、「新潟県史」の保存状況順、「大日本古文書」の編年順、との差
異をどう出すか(あるいは踏襲するか)が注目ですね。全2冊の予定です。

「上杉家文書」の話しが出たところで・・・
大日本古文書でまたまた大型覆刻があります。
「伊達家文書」全10冊が5月から毎月2冊ずつ刊行。最初は南北朝時代から輝宗ま
での歴代当主関係文書および政宗関係文書(1)と、政宗関係文書(2)です。
価格はいずれも14000円。
それと、後に毛利家臣となった熊谷などの諸氏の文書を集めた「熊谷家・三浦家・
平賀家文書」全1冊。価格は16000円です。

これで、毛利、吉川、小早川、島津ときましたから、残るは浅野と上杉ですな。
学生さんなどは価格的につらいかもしれないけど、プロになるにせよアマの立場を
貫くにせよ、自分は伊達家をずっと研究していきたいという方は、この機会に揃え
て手許に置くことをおすすめします。しょっちゅう覆刻されるものではないので。


(3457) 赤面・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:04月26日(木)22時45分26秒

>誤植、見つけると、気になりますよねえ・・・わたしもけっこう、見つけますよ。

と、いっておきながら、蒔本さまのお名前を間違えておりました。語句はともかく
お名前を間違えるのは失礼ですよねー。


(3456) 上杉家文書  投稿者:よーぜん  投稿日:04月26日(木)09時28分58秒

>三楽堂さん
「上杉家文書」、内容を見てみたいと思っていましたが、品切れ。古書価で6、7万…ほっ。手が出ませんなあ〜。「上越市史」にかけるしかない!?ですが、お値段が気になります。

>蒔本さん
誤植…私も時々見つけます。
あと、内容で、「?」と思うものにも、時々出会います。
この前など、ある小説で、結城秀康が、秀忠の弟になっていた。小説とはいえ、いいのだろうか。それとも、ホントに弟?!
出版社に指摘した方が親切なのかもしれませんが、(大きなお世話か)めんどーだし、私はそのまま捨ておきます。(笑)


(3455) 誤植を見付けたら  投稿者:三楽堂  投稿日:04月26日(木)09時14分07秒

薪本さん、どうもです。
誤植、見つけると、気になりますよねえ・・・わたしもけっこう、見つけますよ。
文庫本程度だと「ハハ、しょうがねえなあ」と笑いとばしてますが、これが全集と
か単行本となると、黙っていられなくなりますね。
筋としては、誤植は本のタイトル、ページ・行など具体的な箇所、版を通知すべき
なんでしょうが、この対応が出版社によってまちまちです。
何度も版をかさねたり、厳密な校訂をするなど出版社が総力をあげている全集など
には、非常に真摯に対応してくれることが多いようです。実際にわたしの知人は
講○社から出ている戦後派大物の全集初版に重大な謝りを見つけ、知らせて感謝さ
れたと聞いています。気前のいいところだったら、自社出版物をお礼にくれるかも
しれません。
が、「大谷刑部のすべて」「毛利一族のすべて」は、頻繁に重版かからないかぎり
反映は難しいかも・・・知らせること自体はいいのですが、新人○往○社は、ちょ
っと誤植が多すぎるもので(^^;
○○のすべてシリーズで、再版されないものは、誤植の多さのせいという噂もある
くらいで・・・歴史出版物はやはり、一般書も厳密に取り組んでほしいですね。

自慢じゃありませんが、「待庵」に掲載されているわたしが執筆したものには、メ
ールで入稿した「日本史人物不思議事典」以外は、みんな誤植があります。
わたしのほうからは、ぜんぜん知らせてません(笑)。もちろん、わたしが間違え
たのではありませんよ、念のため。
掲示板への書き込みと違って、お金もらっているものだから念入りに著者校正やり
ましたから。それでもりっぱに間違えてくれてる。

世の中にあふれている活字を信用するな、ということでしょうな。本になっていた
としても「疑って」読みましょう。


(3454) 恐縮です  投稿者:蒔本  投稿日:04月26日(木)00時57分41秒

うわぁ……頭の悪い書きこみにお返事有難うございます。
しかも、ウチにもいらしてくださってたんですか!? 恐縮です。
わわわ……どうしよう。あんなヘボなものをのぞかれていたとは(動揺)。
穴があったら入りたい、無いなら掘ってでも入りたい気分です。
危険球は……あらぬ発言からご迷惑をおかけするわけには行かないので、
自分のサイト内だけに留めておきます。はい。

「再現日本史」、立ち読みですけど目を通してみました。
メジャーなエピソードをたどるのもいいですけど、誰か、そのページの
一部だけでもいいから、広家くんや長束くんに回してくれないでしょうかねぇ。
(最近何故か、南宮山メンバーがほんのりと気になってしょうがないです)。

……いきなり話題を飛ばしますけど、出版物の中に誤植を見つけた場合って、
出版社に指摘した方がいいのでしょうか?
「大谷刑部のすべて」と「毛利一族のすべて」に、「これはやっぱり誤植かな?」
ってものを見つけてしまったんですよ。
云うべきなのか黙っておくべきなのか……ウチにあるのは初版なので、次の版では
改訂されてるかも知れないし……。
つまらない事で悩んでます。とほほ。

またも無意味な書きこみで失礼しました。


(3453) おっ  投稿者:三楽堂  投稿日:04月24日(火)20時15分28秒

蒔本梓夏さん、いらっしゃいませ。実はわたしもそちらのページにときどき鼻腔じゃ
なかった、微行で参りまする。
Xファイル、近日中に再開する予定です。どこまで続けられるかわかりませんが。
「再現日本史・関ヶ原の死闘8時間」(講談社)はご覧になりましたか?
治部少輔の頭蓋骨が掲載されてますよ。
びくびくせずに、これからも気軽にご訪問いただければと思います。
危険球も歓迎です(爆)


(3452) 100回ですか!  投稿者:蒔本梓夏  投稿日:04月24日(火)03時22分21秒

初めまして。
いつもはこっそりお忍びモードで見学させて頂いていたのですが、
今日は勇気を出して書きこみさせていただきます(びくびく)。
「Xファイル」、とうとう100回目なんですね。
琉球関係は勉強不足で、実はちんぷんかんぷんだったりするの
ですが、100回という数字には物凄く圧倒されました。
ううむ…長寿サイトだからこその数字ですね。
100という数字も凄いですが、守備範囲の広さにもいつも感動
させていただいてます。自分自身は、好きな武将やその周辺
(毛利とか、関ヶ原合戦西軍メンバー)に知識や興味が偏りがち
なため、友人と話をしていると、わからない名前が飛び出して
困る事が多いんですよ。
そんな時は、真っ先にこちらへかけこんで勉強させて頂いてます。
これから何人増えるのか、それと、どんなお人が紹介されるのか、
こっそりと、でも目一杯楽しみにさせて頂きますね。
……あ、初書きこみのクセに何だか長くなってしまいました。
しかも緊張のあまりワケのわからない文章になってしまって申し訳
ありません。
無知がばれないように、そろそろ失礼させていただきます。


(3451) どうもです。  投稿者:三楽堂  投稿日:04月23日(月)19時29分53秒

よーぜんさん、ご訪問ありがとうございます。他出してまして失礼をば。
某所ではどうも。
こちらは戦国全般なもので、どんどん思ったことなど書いていただけたらと思いま
す。
国宝「上杉家文書」の誕生、よろこばしいかぎりですが、同時に重要文化財の答申
があった「慶長国郡絵図」も忘れてはいけませんね。昨年、「瀬波郡」の実物を見
ましたが、たたみ数畳分に本庄繁長の居城村上要害などが実にみごとに描かれてい
ます。越後全体が残っていないのが惜しい!
こちらは東京大学出版会から縮尺された複製版が入手できるのですが、「上杉家文
書」のほうは、今のところ「新潟県史」は売り切れ、「大日本古文書」は版元品切
で古書価は6、7万する。来年には「上越市史」で出ることが決まっていますので、
入手したい方はそれを待ったほうがいいかもしれない・・・
でも、編年順ながら内容的(所蔵者情報や名前の特定など)に古い「大日本古文書」、
編年によらず保管状況どおりの配列とした「新潟県史」。扱い方によっても便利な
ところが際立ってくるので、この際、どちらも再発売して欲しいところ。


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