過去ログ301番目から350番目までの記事です。
全然結構でございます!!>三楽堂殿 いやー、ひんしゅく買って「もう来るな!!」と言われるかと思いきや、 なかなかの好評(??)ぶりですねえ。 ・・・と、言うことは、2ndシングルとかも発表しちゃっていいのかしら?おほほ・・・
なんか、学校のコンピューターは使いづらい・・・。 ちょっと今、原文忘れてきたこと判明。がーん・・・ 仕方がないので、最初にラブレター(愛の御製紙ともいう)の書かれたわけでも書いてます。 はっきりとした出典が、記憶にないので、あちこちから拾い読みですが。 1=三年目の浮気説(これが、世間では主流です) 2=プロポーズ説 (どこかで見た興味深い説) 1は有名ですが、武田信玄(当時は晴信)が25歳、高坂(当時春日源助)が、19歳。 高坂が、信玄に仕え初めて三年目ですが、ラブラブだったはずの二人にも破局の危機が訪れました。 信玄が、他の小姓である弥七郎に、手を出したという疑いがかかったのです。 さて、それを知った高坂。相当頭にきたらしく、 「最近、私に冷たいようですが、他に好きな人がいるんでしょう」 と、信玄に手紙を送ったのです。(普通、そんなことしないと思う) それを受け取った信玄は、本命であった高坂に、このラブレターを送ったのでした。 それで許してあげたかは、これが残ってる事でわかると思いますが・・・。 (でも、これが残ってるのは、また浮気したらこれをちらつかせていたのではないだろうか?) もうひとつ、こっちは高坂が16歳だったころ。 一目惚れした源助が、仕え始めたので、当然手を出そうとした晴信。 でも、すでに弥七郎という存在がいることを知っていた源助は、 「貴方には、弥七郎という人がいるでしょう。私はいやです」 と、お返事。そこで、どうしても源助をモノにしたかった晴信は 「誤解だ。俺にはおまえしかいない。俺のものになってくれー」 と、プロポーズ(婚姻用紙を突きつけたみたいかな・・・)したのです。 とこんな所でしょうか。どちらにしろ、やりませんよ普通・・・。まあ、そこも良いところかと思いますが・・。 長々と、失礼いたしました。武田への愛が、暴走してしまって・・・。はあ。
ありましたねーあれは、結構驚きました。 本屋で立ち読みしてたら、手がふるえてしまったくらいに。 信玄以外にも、こんなものが残ってるとは・・・。 あれは、伊達が酔って「おまえ、うわきしてるだろー」が原因でしたか? 小姓君は、それで身の潔白をたてるために、自分の腕(?)に刀突き刺したという。 「疑って悪かった。大事にしろ」みたいな内容のものだったでしたっけ・・・。 しかし、「ぶた頭」・・・。また、ぶたですか・・(汗) 黒柳徹子みたいな髪型がはやるとは、さすが伊達家。
ラブレターの話、というのは・・・ 伊達政宗にも残っていますよ。小姓にあてた書状。これは、原文 と書き下しが新潮選書「伊達政宗の手紙」に採られています。 一般書なので、入手しやすいかも。 あと、小姓たちの風儀が乱れていて、みんなキムタクみたいな頭 しているのを、政宗が「ぶた髪」と呼んで「そーゆーカッコはやめ なさい」と注意しています。 「ぶた髪」とは当時、若衆の間で流行した髪形で、風俗画などに よく登場しますが、厳密にいうとキムタクよりも、黒柳徹子みたい な頭をしています。 現代でいえば、ズボンさげて穿く男の子たちに、「みっともないか らやめろ」と言うような感じでしょう。ただ、書状を書く政宗もシャレ っ気で筆をとったらしく、たかが自分の小姓への手紙に大仰に「 仙台中納言」などと署名したり、全員に「髪型改造計画」の顛末を 報告書にして提出するように、と指示しています。
三楽堂さん、ラブレター解説、笑わせて頂きました。(^-^) 信玄ってひとは....まったく... 高坂さん、それでなんて返事したのかしら?! ラブレター研究家、桜沢さん!期待してますよー。 PS:隊長のバンド、バック(ダンス)で死傷者出そう..
>氏康パパの三郎ちゃんへの手紙をアップしたことはありますが。 例の「お酒飲みすぎるな〜」というやつですか?
こういうの大好き〜!!!! 「親衛隊長のパテント」ということで、パソ通および、書状紹介の コーナーへ掲げてもよろしいか? もちろんネーム入りで。
言いたいことがまず一つ。 渡辺通ーーーーっ (失礼しましたー。)
昼休みに学校にて、覗いたら恐いことを・・・(笑泣) でも、ラブレターについては、言いたいこともたくさんありますが(笑) 原文と訳をご紹介したいんですが、何しろ明日までのレポートが・・ 後日、必ず書かせていただきますー。でも、三楽堂さんのおっしゃてるのは、確かに解りやすいかと思います。 いかれてる・・・たしかに・・・(爆笑)
『陰徳太平記』だって、大内義隆が、小早川隆景をどーとかしたとこ、 載ってませんでしたしねえ。 ↑だからあ、エピソードがすべて訳されているわけではないと・・(^^;)
これ、某パソ通フォーラムのライブラリに載っているんですよねえ(笑) アップしたの、私ではありません(笑) 氏康パパの三郎ちゃんへの手紙をアップしたことはありますが。
原作(内館さんの)にあった、「隆元くん隆房に抱きつく」シーンが オンエアされなかったではありませんかっ!! (元春の初陣は、はじめから無視されていたようであるが・・)
いえーいみんな!今度俺達バンドデビューすることになったぜ!!その名も・・・ 「武家と公家」!! いかした名前だろ?じゃあ、メンバーを紹介するぜ!! ボーカル:室町幕府第十四代征夷大将軍 源朝臣 足利義輝 キーボード:正一位関白 近衛晴嗣(前久) ギター:正二位右大臣 菊亭晴季 エレキギター:正三位権大納言 山科言継 ピアノ:室町幕府関東管領 正五位上弾正少弼 上杉輝虎(政虎、長尾景虎、法号謙信) ドラム:正一位関白 二条昭実 ダンス(蹴毬担当):今川氏真 ダンス(能楽担当):前田利益(慶次郎、斎穀院ひょっと斎) ダンス(忍術担当):服部正成(半蔵) ダンス(忍術担当):風魔小太郎 ダンス(忍術担当):従五位上丹波守 百地三太夫 ダンス(忍術担当):伊賀崎道順 ダンス(剣術担当):柳生宗厳(石舟斎) ダンス(剣術担当):伊東景久(一刀斎) ダンス(剣術担当):神子上典膳 ダンス(剣術担当):従五位上武蔵守 上泉信綱(秀綱、通称伊勢守) ダンス(剣術担当):従五位下蔵人佐 丸目長恵 ・・・の十七人だーっ!どう?いかしてるだろ? 新曲の「足利義昭〜流浪の将軍〜」は、7/1に定価千円(税込)で、 今川義元音楽事務所より発売だーっ!! みんな、買ってくれよな!! ・・・完全崩壊・・・ガラガラガラ・・・ドッシャーン・・・
そうだった、そうだった。大名同士じゃないけど、武将同士の一騎 討ちとして記憶されるべき組み合わせですね。 毛利側の『陰徳記』では鹿ちゃんピンチの時に、尼子十勇士にも 名を連ねる秋上庵之介が品川大膳(たらのき狼之介)に矢を放ち、 たじろいだ品川を鹿ちゃんが討った、といいますから、二人がかり で仕留めたことになっています。尼子側史料はもちろん、一騎打 ち、と明記してあります。 そういえば、山名の侍大将菊池音八も鹿ちゃんが討った相手ですね。 MASAさん、試験頑張ってくださいね。持ちこたえれば、妻女山 へ回り込んだ別働隊が助けにくるかも・・・?
テストもそろそろ終盤に入り、死闘を繰り広げておりましたが、 刀折れ、矢が尽き討ちとられるのも間近と言うところで、 このようにたくさんの投稿を見てびっくりしています。 みなさん、一騎討ちでは、やっぱり山中鹿之介と品川大膳でしょう。 鹿之介が討ちとられかけたのをほかの人間が矢を放ち、品川大膳が討ちとられたそうですが、 真相はどうなんでしょうか?
>ところで、信玄のラブレターってどんな内容なのか、ちょっと気になる....ラブレター......(笑) 詳細は桜沢さんに任せるとして、だいたいの内容は、 「おれは浮気なんかしてないよ、○○と寝たなんてウソさ。おれが いかれているのはおまえ(高坂)だけだぜ」 といったないようだったような気がする。 では、ラブレター研究家の桜沢せんせえ、どうぞっ
>隊長、なんかすごいなー......... すごいすごい、でもちょっとコワイぞ>親衛隊長。 明石全登に対する疑問(これ、よかったら全登ファンの隊長への 宿題ね) ・明石全登と明石守重は同一人物なのか? ・明石全登が南蛮に亡命した、という風聞を記述した史料はあるのか? ・明石全登の奥さんはどんな人か?また、どんな子供がいるのか? とりあえず、エサはこれくらいでいいだろ(^^)
隊長、なんかすごいなー......... でも、そんなこと言われても、私、あんまり明石全登のこと知らないしなあ。 「甲陽軍鑑」の訳本、あんまり良くないんですか。残念。 教科書の徒然草でも読んで、古文に慣れときます...(泣) ところで、信玄のラブレターってどんな内容なのか、ちょっと気になる....ラブレター......(笑)
明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ?
うれしはずかし「吉川元春の初陣」はありませんでしたねー。 井上元兼の羽交い締めもなかった。 元就と尼子詮久の太刀打ちなんかより、こっちが見たかったね。 いろいろな軍記にも出ているので、信憑性は少しはあるのに。
もっともわたしは「そんなバカな」と思われるかもしれないが、謙信 の信玄本陣への切り込みはあった、と思っています。 謙信と信玄の一騎打ちも、前関白近衛前久が「期せざる儀に候え ども、自身太刀打ちに及ばるる段、比類なき事」という書状が拡大 解釈されたらしい。 ただ、その書状は世間に流布するようなものではないはず。なの に、なぜ武田側の史料である「甲陽軍鑑」に書かれたりするのだ ろう? そして、天海僧正がわざわざ目撃談を語ったのは、どうしてでしょ う? ところで、大将自身の太刀打ちが珍しい上に、ライバルと顔を合わ せたことがほとんどないのじゃないかな。味方であった時期があ ればその機会は増えるけど。 一騎打ちが否定されれば、謙信と信玄は間違いなく顔を合わせて はいない。 善徳寺会盟が「史実」と証明できれば、今川義元・武田信玄・北条 氏康という大物同士が対面したことになるのだが・・・。
一応、軍記物(陰徳太平記・陰徳記など)には、尼子と元就が討ち あった話はないですね。 それどころか、ドラマ中では尼子経久(緒方拳)と元就が何度もあ っている場面がありますけど、あれも嘘みたい。 大将同士の一騎打ちで信がおけるものは少ない、というより、ほと んどないのでは? すぐにおもいつくのは、織田信長と林美作守。美作は林佐渡秀貞 (通勝)の弟で一応、謀反をおこして大将になってますから、大将 同士の一騎打ちということになるのでしょうか。 『信長公記』に美作の首を信長討ち取る、と出ています。
今、BS2の放送で再確認。 霧の中、郡山城から尼子軍本陣へ斬り込んだ際、太刀がぶつかりあいました。 う〜ん、これは一騎打ちと言えないかもしれない(失礼)。 それにしても、陣内孝則はいい味出してますなあ。
今日の、大河ドラマの一騎打ちって、本当にあったのでしょうか? あんまりよく知らないのですが・・・ でも、信玄と謙信のは、お互い影武者だったらしいですが・・・ 確かに、大将どうし戦うなんてあったら、すごいドラマですよね。 でも・・謙信ならやるかもしれない・・・なんていっても「義」に生きる人だから・・・ 私は、あくまで信玄派ですが、でも、謙信という人はある意味で尊敬してます。
大河ドラマ見ましたか?>ALL その中で元就と詮久が一騎打ちをしている場面がありましたよね。 戦国時代の有名な一騎打ちといえば、信玄と謙信だと思うのですが その他に実際にあった(と思われる)一騎打ちがあったら教えて下さい。
明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ? 明石全登の話題はいずこへ?
実は、岩波文庫で「出版されていた」んですよ。知ってました? 4分冊か5分冊で。 しかし、最初の2冊が出たところで、中断。現在にいたっておりま す。岩波文庫は好きな文庫のひとつだけど、宙ぶらりんのまま ほおっておかれる作品が多いので、ほんとにもったいないことし てるな、という感じです。 高坂へのラブレターの話はオリジナルにありませんでしたっけ? どうもうろおぼえで、何かと混同してしまったらしい(失敬)
あれって、「甲陽軍鑑」にありましたっけ? 高坂が、信玄公に仕えるきっかけは、あったと思いますが、記憶が・・・今、そのラブレターは、東大にあるそうですが・・・。まさか、現在まで残ってしまうとはおもわなかったでしょうに・・・信玄よ・・・(汗) ちなみに、私は「甲斐叢書」シリーズで、原文読んでますが、教育社版は、日本語がおかしいと思います。読みやすいでしょうけど、三楽堂さんのおっしゃるとおり、削られてるところが多いから・・ 教育社版では、モノマネ大会ネタはなかった。フフフッ
早速、情報提供ありがとうございました。 私の方でもさっそく調べてみます。 岡崎ですか? 一度行ってみたいですね。 十五年位前には、名古屋に住んでいたのですが、ちっとも知りませんでした。 機会があればぜひ行きたいなぁと思います。 いやあ、しかしいろいろよくご存知なんですねぇ。 また面白い情報など教えてください。 ところで、原文で読むのって本当に苦労しますよね。 昔、岩波文庫の「名将言行録」を買って読みはじめたのですが、 すぐに挫折してしまいました。 今度は現代語訳で挑戦しょうかなぁ?!
「甲陽軍鑑」は現代語訳は桜沢さんの紹介された教育社本があり ますね。ただ、「教育」社ですから、信玄が高坂にラブレター渡し た話とかは採られていないと思いました。 ↑わ、わたしの言いたいのは、抄訳本だから、割愛されているエピ ソードがある、ということです。 ただ、原文も注が豊富にあればいいのですが、訳本があるとかな り理解の助けにもなります。 欲を言えば、原文をどこかで入手して、教育社の現代語訳を辞書 がわりに使ったらどうでしょう? 現代語訳で面白さをつかんで、それから原文にチャレンジしてみ ては?
>初めてこのページを拝見させていただきました。 >面白そうなので投稿させていただきます。 >このコーナーのシステムがよく分かっていないので、 >とんちんかんなことを書いてしまいますが、 「戦国時代」に関することであれば何でもありのコーナーなので、 大河ドラマとか本格的な研究とか、耽美系(笑)もごった煮にして しまっております。 >それはそうと、どなたか、「本多忠勝」に関するよい文献を >ご存知ではないでしょうか。 小説だと、叢文社(だと思った)から「蜻蛉切り・本多平八郎」という のが出てますね。タイトルも違ったかもしれませんが、今度、調べ ておきます。 あと、岡崎城の横にある「三河武士のやかた」は行かれたことが ありますか? そこで販売している図録などには、「本多家家臣団」などもありま す。
>信之もいいけど・・ >昌幸好きですー まあ、いいか。 >でも、これ「甲陽軍鑑」からで、本当に筆者が、高坂だったならとも >かく、そうではなかったらちょっとわからないですけど。 >本当だったら、かわいかったかな・・・ あ、どうも「関与」はしていたみたいですよ。一時は小幡景憲の筆 になるもの、とか言われていたのですが。
はっきり言って、私はあまりお薦めしません。「甲陽」は特に・・・ 一番有名なので、教育社から上、中、下で出てたりしてます。ここからは、結構マイナーなものも出てます。「信長記」とかもありましたが・・・でも「甲陽軍鑑」は、完全版での現代語訳は無いでしょう。 今度は「後北条」読むつもりですが、どうしようかと・・・ 苦手かもしれませんが、原文です少しづつ読んだ方がいいと思います。私は、大学の図書館で、コピーしながら読んでました。 文学史の時間にまで、無視された「甲陽軍鑑」・・・。 面白いのに・・・しくしく
えーっと、桜沢さんが「甲陽軍鑑」について書いておられましたが あれ、現代語訳ってあるんですか?!私、はっきり言って、古文 は苦手なので、現代語訳があるのなら、ぜひ、教えて下さい!! その他にも、戦国時代の書物で、現代語訳があるのがあったら、 教えて下さい!! 纐纈城主さま..最後の一行を無視しても、最後から二行目にも おんなじよーな意味の事が書いてありますよー! あの行、ちょっと手直ししたとき、消したと思ってたんです。 つまり、入れるつもりがなかった行なんです。 だから、無視して下さい、と.... ちょっとどうでもいい言い訳でした...
初めてこのページを拝見させていただきました。 面白そうなので投稿させていただきます。 このコーナーのシステムがよく分かっていないので、 とんちんかんなことを書いてしまいますが、 真田信之のファンが沢山いらっしゃるみたいでとってもうれしいです。 私も何を隠そう十年来のファンです。 もちろん「真田太平記」がきっかけですが。 それはそうと、どなたか、「本多忠勝」に関するよい文献を ご存知ではないでしょうか。 専門書でも小説の類でもなんでも結構です。 ご存知の方が、おられましたらぜひ教えてください。 よろしくお願いします。
>実は、この頃信之が大好きになってる秋月なのでした...。 そうなんですよ。 幸村、昌幸は知っていても信之を知らない人って結構いるんですね。 私も大好きです。 奥さんである小松殿を通して知った徳川家の実力から 犬伏で昌幸、幸村と袂を分かった信之の眼力のすばらしさ 幕末まで松代藩が存続したのも信之の力が大でしょう。 >かの小野お通(真田太平記で竹下景子演じる)が、信之をふらふ >らにさせておったが、実は、信之の子供が、お通をたずねた時に >お通の娘にぞっこんいかれてしまったのじゃ。 > >お通の娘はお円というのじゃが、二代目小野お通も名乗っており、 >やがて男子を出産したのだが、松代へ参るのがいやで、母子とも >に江戸に住んだのじゃ。 松代二代藩主信政の側室になって信就を生んでいます。 三代藩主幸道に嗣子がなく信就の六男(or七男)であった信弘が四代目を嗣ぎ、 小野のお通の血脈は六代まで続きました。 かの池波正太郎氏の小説"真田騒動"の主人公恩田木工民親を 藩の財政難解消のため家老職兼勝手掛として藩政の改革に当たらせたのは 六代目の幸弘でした。 以前、ここにも書きましたが上野の東照宮に信之奉納の灯籠があります。 歴史を直に感じさせるものです。
昌幸好きですー 武田信繁サマを、尊敬して自分の息子に同じ名前つけるとは・・・ しかも、信玄が家臣の無事を祈っているのを知って、高坂弾正と、おいおいと声をあげて泣いてたなんて・・・ でも、これ「甲陽軍鑑」からで、本当に筆者が、高坂だったならともかく、そうではなかったらちょっとわからないですけど。 本当だったら、かわいかったかな・・・
明石全登は、「明石全登」というより、「明石掃部」とした方がよいのでは?迷わなくてすむし。
やーい、纐纈城主、間違えてやがんの〜 「羽太」雄平、だもんね。 ところで、明石全登の名前の読み方だけどさ、 「てるずみ」とか「たけのり」とか読んでいるケースが多いよね。 あれは禅号で「ぜんとう」であるとか、 あるいは「ゼンチョ」を当て字にしたものとかいう説もあるらしい。 「てるずみ」が有力なようだが、だとしたら、典拠となった資料を 知りたいものだ。
纐纈城主殿、返書、有り難う御座いまする。 ところで城主殿、「本多の狐」の著者は「羽田雄平」さんではなく、「羽太雄平」さん ではないかと・・・ 「信長の野望・天翔記武将ファイル」の「武将絵巻」の明石全登は、かっこよすぎるでござるーっ!!
わしも好きじゃ〜! イエズス会日本報告集に登場する全登は、関ヶ原の合戦で、黒 田長政に救われ、九州へ身を寄せた。しかし、幕府の弾圧が厳 しゅうなり、黒田家を離れたのじゃ。 全登の最後については、 (1)戦死説・・・・・・・・『徳川実記』などに汀三右衛門に討たれると あり。 (2)病死説・・・・・・・・備中足守(木下家の所領)に隠れたが、幕府 が赦免、3年後にその地で病没。 (3)九州落去説・・・・イエズス会報告書など。しかし、生き延びた のは全登ではなく、息子だという説もあり。 (4)仙台落去説・・・・(3)と同様じゃ。 (5)南蛮亡命説・・・・信憑性は薄いが、あるいは一族の誰かが渡 海したやも知れぬ。 明石全登については、柴田練三郎『浪人列伝』、羽田雄平『本多 の狐』・『竜の見た夢』などに登場するぞよ。
>昌幸の末弟金井高勝について少し調べました。 >宮内介(くないのすけ)と称し、後に姓を金井と改めたようです。 これは初耳じゃ。ひょっとして、旗本あたりになったのかのう・・・。 真田家には市井で暮らしていた者が多いのじゃ。 かの小野お通(真田太平記で竹下景子演じる)が、信之をふらふ らにさせておったが、実は、信之の子供が、お通をたずねた時に お通の娘にぞっこんいかれてしまったのじゃ。 お通の娘はお円というのじゃが、二代目小野お通も名乗っており、 やがて男子を出産したのだが、松代へ参るのがいやで、母子とも に江戸に住んだのじゃ。 で、真田家のほうは別の男子が跡を継いだのだが、お円が生んだ 子は、手習いをしながら、真田藩主の教育も担当したということ じゃ。 ははは、わしとて、歴史の話しはできるのじゃぞ。
>あああああああああ!変なのが入ってる!!! >最後の一行、無視して下さいーーーーーー!! んん? >実は、この頃信之が大好きになってる秋月なのでした...。 無視、というのはこれか? よし、みなの者、秋月嬢が「信之らぶらぶ」というのは無視じゃぞ。 よいか?
さりげなくホームページの宣伝をしてくれた三ちゃん&見てくれたみなさま、 どうもありがとうでございまする。 でも、あれを見て、大内義隆ってただのすけべだったのね、ってい思われたら 困るなあ。(←大ウソ)
あああああああああ!変なのが入ってる!!! 最後の一行、無視して下さいーーーーーー!!
おおお!信之さまの書状ですか......!! 叔父さんの冥福を祈って書状を書くなんて....! やっぱり信之さまはいいわー! 失礼しました.....。 近頃、信之らぶらぶの秋月でした.....。 実は、この頃信之が大好きになってる秋月なのでした...。
昌幸の末弟金井高勝について少し調べました。 宮内介(くないのすけ)と称し、後に姓を金井と改めたようです。 信之が叔父高勝死去後その冥福を祈って当てた書状が残っているようです。
どうも。またまた足利義輝親衛隊です。ここは、話題とか関係なく、僕の好きなことを書いているので、 読まなくても結構でござる。 今回は、「明石全登」について書こうと思っているでござる。 明石全登とは、宇喜多家随一の猛将にござる。 なんと、あの関ヶ原では、宇喜多家先鋒として、兵八千を率い、東軍の猛将、福島正則との激闘を演じ、 一歩も引かなかったということでござる。 また、主家滅亡後、大阪冬の陣、夏の陣と、共に豊臣方として戦い、 真田幸村、長宗我部盛親らと共に、「大阪城七将星」の一人に数えられる。 夏の陣では、真田隊の敗退後も持ちこたえ、勇猛として名高い、東軍の精鋭越前勢(松平忠直隊)を切り崩す。 しかし、味方の援護が得られず、周囲を東軍に囲まれる。しかし全登は血路を開きその場を切り抜け、逃亡した。 全登は熱心なキリスト教信者で、ジュスト(ヨハネとも。)という洗礼名までもっていた。それ故、教義で自害を禁止 されていたため、逃亡したのである。彼の武勇は「海道一の弓取り」家康をも震撼させ、戦後、家康は全国的に 「明石狩り」を行ったそうであるが、全登の行方は、ようとして知れなかったという。 いやー、いいですねー、全登。ちなみに、明石全登は、足利義輝に次いで二番目に好きです。 足利義輝親衛隊でした。
こんばんは。足利義輝親衛隊です。大内家の話題で盛り上がっている(?)ようですね。 まあ、ぺらさんのホームページのことかもしれませぬが・・・ ところで、ぺらさんのホームページにもでていたこの相良武任って、あの人吉の相良氏と 同族だそうです。(分流だとか。)みなさん、知ってました?(僕もちょっとびっくり)
大内義隆のページ見て、こわれちゃったのか?