過去ログ2951番目から3000番目までの記事です。
久しぶりにきました。5月17日から今日まで、来ることができません でした。そこで最近の「葵」を見て感じたことをまとめて。 @増田長盛・筒井定次の死ぬところがでませんでした。残念!増田盛次を 出したのだから、それに絡めて出してもよいのにと思いました。 A片桐且元が忠臣で終わってしまいました。大坂城内の状況を詳細に通報 し、徳川方に利便を与え、秀頼の隠れ場所を見つけ出すなどという活躍を した人と思っていました。秀頼の後を追って切腹するなんておもいません でした。私は、且元が大坂方の残党に襲われ忠心を分かってもらえず斬殺 されるというような展開を期待していました。(実際、且元は暗殺された という説があると聞いたことがあります) 且元が忠臣というのは、坪内逍遥の「桐一葉」や「沓手鳥孤城落月」な どの影響なのでしょうか。「慶長見分書」では、且元は「つれなくも大御 所様へ秀頼隠れ個処を申上候事、真に侍の本意にあらずと、諸人心あるは 申しける」などと書かれています。変節する且元を見たいと思いました。 B西郷輝彦の真田幸村は悪くないと思いました。私には、西郷は竹下景子 と大河で二回共演したことの記憶が、強烈です。竹下景子を大坂方で出し てほしいとおもいました。 C西尾久作以外の人物も出してほしいとおもいました。安藤長三郎・河村 新八郎・八木新左衛門あたりもでてくればよかったのに、と感じました。
『大日本古文書・益田家文書之一』東京大学史料編纂所/編 *毛利家の家老益田家に伝わる古文書集刊行開始。 『尊経閣文庫蔵・諸国居城図』新人物往来社 *前田家に伝わった江戸初期の全国185城の絵図。定価43000円・・・(^^; 『歴史・時代小説大事典』実業之日本社 *時代小説ファン必携。 『信長の謎・徹底検証』加来耕三/著、講談社文庫 *文庫オリジナルだそうです。 『若獅子家康』高橋直樹/著、講談社文庫 *旧版の文庫化。いわゆる世良田次郎三郎モノ。 『是非に及ばず』羽山信樹/著、小学館文庫 *旧版の文庫化。小学館文庫では信長シリーズを刊行中。 『小早川隆景』野村敏雄/著、PHP文庫 *旧版の文庫化。PHPであとは隆元のみか・・・
三楽堂さん、ありがとうございます。 気にはなっていたのですが、なかなか身近に歴史が話せる詳しい人がいなくて、今 まで聞く機会に恵まれていませんでしたが、勉強になりました。 やはり歴史について意見交換できるのは、いいですね。
さんらくさん、松永貞徳は久秀の孫ではありません。 貞徳の子孫の家に伝わる文書類から久秀との血縁関係を匂わせるものはないとのこ とです。貞徳の父は永種といいますが、一般に松永久秀の系図にこのような人物は 登場しません。 ただし、久秀と松永貞徳の間に何らかの関係があったことはたしかで、貞徳は少年 時代に戦火を避けて摂津の入江氏のもとに身をよせています。ここに松永久秀の伯 母(城主の夫人か?)がいてこの婦人に養育されたらしいです。たぶん松永一族の 出世頭であった久秀に頼ったものと思われます。 現在、人名事典などにも「松永久秀の孫」という記述を散見しますが、物証はなさ そうです。 何年か前にさんらくさんと同じ疑問を抱き、貞徳関係の史料をかじったことがあり ます。あの時のノートが出てくればもっと詳しくお話できるのですが・・・ どこへいったやら・・・
三楽堂さん、みなさん、こんにちわ。 ハンドルは、つうっかりしておりました。 最近パソコンをはじめたのでハンドルをどうしようか試行錯誤した結果、十代目表千家が愛用した茶菓子の「さんらく」をそのまま使いました。 今日見てみて、思わずやってもうたと思いましたが、お許しを・・ 話は変わるのですが、江戸時代初期に活躍した歌人・古典学者の松永貞徳をご存知でしょうか。 話によると、あの爆死を遂げた松永久秀の孫という話を小耳に挟んだのですが、どうしても、信じられません。 調べてはみたものの結局その真相まで、あまり近づけませんでした。 本当に松永久秀の孫なんでしょうか。
戦国群像&小田原評定へのご訪問、ありがとうございます。 「さんらく」さんは、わたしと同じネットなんですねー。ハンドルもちょっと似て ますし(^^) どうぞよろしゅう・・・ 茶道具にはわたしも関心あります。先日、スーパーで「お手軽茶道具セット」を売 ってたので買おうかどうしようか迷いました。が、茶碗が気に入らなかったのでや めました。
初めて投稿しました。 戦国時代が特に大好きで、ここを見ていいなあと思って早速送りました。 最近は貧乏暇なしで忙しくて、見れないかなと不安ですが、合間を見てちょくちょく伺うのでよろしくお願いします。 ちなみに、近頃は戦国時代の茶道具にはまってます。
講義もだけど、その後のオフ会も楽しそう! 私は、もちろんOKよ。 いつがいいんでしょう? 10月まで時間があるから、ゆっくり検討しましょう!
お久し振りです。腰痛が悪化してパソコン久々なのです。 新刊も結構多いですよ。 『城郭史研究』20号 東京堂 『帝京大山梨文化財研究 研究報告』19 特集 中世城館の考古学 岩田書院だったかな… 『朝鮮通信使と壬辰倭乱』 明石書店 『江戸湾をめぐる中世』 思文閣 『新編 房総戦国史』 崙書房なので内容は当然里見。 いずれも専門度、割と高いです。でも、下2点とかは動きいいのですよ。 しっかし、戦国で回転トップが佐竹と里見、上杉、立花宗茂っていうのも 何か片寄っている気が…。(あ、信長は別ですよ。) 上田の講演、参加できるかた、ちょっと羨ましいです。充実した 内容だといいですね。
OBASAN、いろいろお手数かけました。 10月の予定がうまくかちあって、上田において楽しいひとときが過ごせればいい ですね。 講座か現地研修はお昼までなので、その後はやはり刀屋&池波正太郎真田太平記館 でのオフ!?を念頭におきたいと思います。後半のみの参加者も歓迎です。
>三楽堂さん、向井さん メールで、電話番号を送信しました。 問い合わせをして下さい
>ってましたが、2階へあがっていったりおりてくる人たちはいなかったような・・・ >入口がちがうんでしょうか? キッチンに入ってすぐ右に階段があります。 結構急だった気がする。 土足のまま上がって、そこで靴を脱いだ気がする。 #OBASAN ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします。
>2階もあるんですよ。 やっぱ、そうですよね!?たしか雑誌「太陽」か何かで見た記憶があるんですが、 これまでいずれも1階で食しました。でも、雪の日にいった時は店の外に行列つく ってましたが、2階へあがっていったりおりてくる人たちはいなかったような・・・ 入口がちがうんでしょうか? OBASAN、お手数おかけしますが、よろしくおねがいいたします。 10月スケジュール、確認しなければ。
>三楽堂さん、佐平次さん 了解しました。 『10月に入ってから、1〜2の講座を受けたい。それについては、県外なので、 電話での申し込みは可か?』というようなことで、よろしいですね。 とりあえず、自分の分の申し込みに行ってきます。 8:30にでかけるので、その前にもう一度ここを覗いてから出かけます。 もし変更や追加事項あったら書き込んでくださいね。
#OBASAN 私も9月中旬までは有給は取れそうもないなぁぁ・・・ >県外から参加したいという方々がいますが、電話での問い合わせ、申し込みが可か聞いて、結果を7日に書き込みします。 私からも、よろしくお願いいたします。 1講座でも申し込みできるんでしょうか? #三楽堂さん >>刀屋でオフ会って言うのがいいですねぇぇ>三楽堂さん > >あそこで身をちじこまらせながら(笑)! >あ、でも平日だから開店と同時にいけば、お座敷のほうが使えるかな? 2階もあるんですよ。 ってこれまで何回となく行っていますが、2階に通されたのは始めていったときだけ。 でも、1階の池波正太郎氏の色紙の横で蕎麦を手繰るのが最高。
三楽堂さま、本当にありがとうございます。とりあえず、毛利博物館と 毛利邸、それに天樹院跡は絶対、行き確実ですね。一応、うだつのあがらない 大学生なものでお金はない分、ヒマだけはやたらとありますので、今からじっくり と「輝元公を偲ぶ旅」についてのプランを固めてみたいと思います。9月8日以降 に出発を考えたほうがよさそうですね。う〜ん、萩って実は小学生の時に修学旅行 で1度行ったきりなんですね。でも、その時はなぜか、輝元公を偲ぶ旅にはならず 松下村塾だとか、維新の頃の人物を尋ねるだけの旅行になってしまいました。 小学生の頃に輝元公っていう偉大な(?)英雄の事を知っていれば、先生に抗議し たのになぁ(笑)。でも、輝元公って、元就や維新の頃の吉田松陰とかにはさまれて、萩でもなんか影が薄そうな気がするんですけど・・・気のせいでしょうか? とにかく、本当にありがとうございました。
同じだ わたしも円光院に行った時、雨に降られました。それがお寺についたらピタリとや んでしまって・・・
こんにちは! 印象に残った事といえば、武田神社へ行ってから円光院へ行こうとしたら山の 上から雷が鳴り出して、山だから余計怖かった…という事かな。雨も降ってきていました。でも円光院に着いた時は雨もやんで、しっとりした雰囲気とウグイスみたいな小鳥の鳴き声がして良かったなと思い返せます。
加賀宰相さん >恥ずかしながら一人旅したことないのですが、夏休みは10月1日まであります あ、それはもうこの機会にぜひ。しかしうらやましい。9月いっぱい休みとは! >です。そこで、お尋ねしたいのですが輝元公の鎧とか書、肖像とかってどこに >あるんでしょうか?一般でも見れるのでしょうか? わたしのおすすめコース(輝元中心)を紹介します。 @山口県防府市(新幹線の防府駅から徒歩あるいはバスでまわれる範囲) ●毛利博物館&毛利邸 輝元など毛利家の肖像画・美術品・武具などはこちらで見られます。 特別展 「毛利氏の関ヶ原」は平成12年9月8日(金) 〜 10月10 日(日)まで。この機会を逃す手はありません。 門構えから萎縮しちゃいますが、ちゃんと一般公開しています。邸内の 一部が博物館になっています。月曜日&祝日の翌日が休館。 http://www.urban.ne.jp/home/mm1151/ ●マツノ書店 防府駅前の商店街の中にありますので毛利博物館の行き帰りに寄れます。 ちっぽけな店なので見落としてしまいそう・・・毛利関係の史料コーナ ーもあります。ただし、ある程度予算を準備していかないと欲求不満に なるかも(笑)。 http://www.ymg.urban.ne.jp/home/matuno/ A山口県萩市 http://www.urban.ne.jp/home/mkubota/hagi_top.htm ●萩城 ●天樹院跡 輝元の墓所です。萩城から徒歩でいけます。 お城関係ですと、広島城(広島市)あたりでしょうか。輝元のあとを偲 ぶものはありませんが・・・ 通常のガイドブックのほかに『山口県の歴史散歩』(山川出版社)があ ると観光名所以外の史跡解説などがあって便利です。 あ、時間があったら山口市で湯田温泉につかるというのも・・・(^^)
今のところ、スケジュール的には9月は壊滅状態(爆) 10月の予定は来週確認してみますが、いずれにしても全講座はおろか、 1講座受けられればいいほう・・・。 1講座だけでもやっぱり参加費700円なんでしょうか? 講座だったら若干のオーバーもOKかもしれない、ということですね。 #OBASAN >県外から参加したいという方々がいますが、電話での問い合わせ、申し込みが可か聞いて、結果を7日に書き込みします。 よろしくお願いいたします。 #向井佐平次さん >刀屋でオフ会って言うのがいいですねぇぇ>三楽堂さん あそこで身をちじこまらせながら(笑)! あ、でも平日だから開店と同時にいけば、お座敷のほうが使えるかな?
上田では、自治会組織を通して、市報などの配付物が配られ、その中の 地元公民館からのお知らせの中にこの情報がありました。 私は、8/7に700円を持って、申し込みに行く予定です。(全講座で700円です) 公民館は、土日が休みで、8/7の申し込み開始日まで、問い合わせができません。行ってみて代理申し込み可ならば、私が「三楽堂さんと向井さんの分」 一緒に申し込んでおきますけど……。ダメならごめんなさい。 定員が25名というのは、市のマイクロバスの定員から割り出したもので、 講義だけなら、定員オーバー後も受け入れてくれるのではないかと思います。 いずれにしても、8/7に行ってみないと分かりませんが、 >三楽堂さん、向井さん どうしましょうか。 県外から参加したいという方々がいますが、電話での問い合わせ、申し込みが可か聞いて、結果を7日に書き込みします。
どうも、本当にお久しぶりです。前にここにカキコさせていただいたのは 5月くらいでしたか・・・。本当にご無沙汰しておりました。HPのほうは ずっと見せていただいてました。ところで今、一人旅のことが話題にのぼって いたようですので、ぜひにもカキコさせていただきたくなりました。実は僕、 恥ずかしながら一人旅したことないのですが、夏休みは10月1日まであります ので、9月くらいに一人旅したいのです。で、行き先ですが、もちろんわが愛する 輝元公のお膝元の萩にしようかなと思ってます。輝元公のお墓にはぜひ行きたい です。そこで、お尋ねしたいのですが輝元公の鎧とか書、肖像とかってどこに あるんでしょうか?一般でも見れるのでしょうか?すみません、いつも質問ばかり で・・・。(ところで秀吉の墓って一人だけで行くのが禁止されてるって聞きまし たけど幽霊とか出るのかなぁ?)
行きてぇぇ〜>講義or現地研修 電話による申し込み不可って言うことは現地窓口まで行かなくちゃ行けないの?? (。-_-。)ぅぅ… 土曜日に申し込みも可能なんだろうか。。。 刀屋でオフ会って言うのがいいですねぇぇ>三楽堂さん
>信玄のお墓も見れたし、初の一人旅行だったし。 そうそう!ひとり旅はサイコー。自分のペースでまわれるし、お墓に頬をスリスリ(しないよ、そんなこと!) しても恥ずかしくないしね。 印象に残った話とか、よかったら聞かせてください。
おお〜、OBASAN!すさまじい内容ですね。講義・現地研修・講義と、また現地研修 ですか!? 受講料は各回ということですか?任意の1回のみの参加でもOKだったら、ひとつ ぐらい受けたいなあ・・・(もちろん現地研修のほうを希望) 本当はこういうのに参加したあとに上田市内でオフってのがサイコーなんだけど。
地域歴史学講座『真田氏と上田城』について 1. 9/ 5(火)/講義/真田氏の祖先、真田氏関係の城、海野平の合戦と幸隆、幸隆の活躍(1) 2. 9/13(水)/現地研修/実相院、真田氏の本城と関係山城群の眺望、山家神社 3. 9/27(水)/講義/幸隆の活躍(2)、信玄・幸隆の死、信綱の真田家相続、長篠の合戦、信綱・昌輝兄弟戦死 4.10/ 4(水)/現地研修/長谷寺、真田氏の館跡、信綱寺 5.10/11(水)/講義/昌幸の真田家相続、上州利根郡への進出、武田氏滅亡、昌幸自立への苦しみ、徳川家家臣に、小県郡統一と上田城築城 6.10/25(水)/現地研修/上田城、市立博物館、上田藩主邸、大輪寺、芳泉寺 講師 久保浩美さん(元公立学校長・長野県文化財保護協会理事) 定員25名/場所/西部公民館(現地研修は、市のマイクロバス使用) /時間9:30〜12:00まで(講義は11:30まで)/受講料700円 /持ち物・筆記用具・カメラなどは、各自必要に応じて 申し込み・受講料を添えて8/7〜23。先着順で締めきり。電話による申し込み不可。
ま、また…。いっぺんに言いたい事をまとめれなくてすみません。 何時の話やと言われそうですが、一番最初に掲示板に書き込みさせていただいた時 返事を頂いたのに返事を書かず御免なさい! 書き込みをするとその分また三楽堂さんにお手間をかけると思ったもので、 今更ながらお詫びします…。 それでは、今度こそ失礼します!
こんばんは。お邪魔してます―!夏休みを利用して、言ってきました甲府へ。 三楽堂さんの史跡のページも参考にさせてもらって、 タクシー全く使わず、バスと徒歩と電車を使って、歩いた歩いた…! もんの凄く疲れたけれど行ってよかったです。大泉寺以外は甲府五山全部回れたし 信玄のお墓も見れたし、初の一人旅行だったし。 いつかお祭りも見てみたいです。 それではまたお邪魔します!
いやー地元はいいなあ。 列島の北と南だもんね。武者行列ってときどきメガネかけてる人がまじってて、笑 えるんだよね。 越後訪問(逆越山と呼んで)はもう十何回かになるだろうけど、イベント関連は何 も見ていません。そういえば、小田原北条祭りも見たことないなあ。史跡探訪して る時に人がウロウロしてるとテレてしまって。人が大勢あつまるところは、苦手な のかもしれない、わたし。 でも、そのポスターは見たいです。
夏のイベントのお知らせです。 八月十六・十七日に、毎年恒例の「謙信公祭」が上越市で行われます。 今年から武者行列が十六日になり、会場が変更になってより春日山に近い場所で 行われることとなりました。 今年のイベントポスターには、赤地に金の文字で上杉家家臣団の名前が細かく 書かれています。そのため、道行く人々は必ずポスターの前に留まって見ています。 人の注目をひくというアイディアとしては良いアイディアだと思います。 ということで、お盆の最中ですが、興味のある方はぜひいらして下さい。
>学研歴史群像セレクション(赤い背表紙のmook)で『真田幸村』が出てました。 >過去の『真田三代』とは内容が一新されているみたい・・・ ぉぉ、チェックしに行かねば… その調子で真田信之って出ないかな。。。
学研歴史群像セレクション(赤い背表紙のmook)で『真田幸村』が出てました。 過去の『真田三代』とは内容が一新されているみたい・・・ 9月には同シリーズで『宮本武蔵』が、来年早々には『上杉謙信』が出るそうです。
前回の「葵 徳川三代」で、真田幸村は西尾久作を串刺しにしてしまったのだろうか(笑)? あと、柳生宗矩は出ませんでしたね。秀忠の本陣へ迫った大野治房隊の兵士を斬ったという シーンはかなり有名なんだけど・・・どうせ家光の代になれば出てくる(?)のだろうし、 ここで「初お目見え」しておけばよかったのに・・・
「葵」においても、秀頼・淀殿自害で大坂の役も終了しましたが、大谷刑部・小早川秀秋のコンビよろしく、淀殿なんかも家康に対して怨念なんか残らなかったんでしょうかねえ。 大坂落城の翌年に家康は死んでいる訳ですけれども、その後、夜な夜な小川淀殿真由美なんかが濃〜いメイクで津川家康の枕元に立っては「うらめしや〜内府殿〜お」な〜んてイジメ続けて、ついにクスリ好き家康もあの世へ旅立っちゃったあ、ってな事があったらなあと思う、納涼話も恋しい今日この頃なのでした。
最初にお断りしておきますが、ここに紹介したからといって、ぜんぶわたしが読んだ り購入したりしたわけではありません。お含みおきを(笑)。 『戦国を往く連歌師宗長』鶴崎裕雄/著、角川書店 *漂泊しながら各地の戦国大名とも交渉をもった連歌師の評伝。 『戦国期室町幕府と将軍』山田康弘/著、吉川弘文館 *足利将軍は管領細川氏の傀儡ではなかった―という新視点で論じ、論議をよびそ うな問題作。 『必携千利休事典』世界文化社 *利休ゆかりの品々など、カラー図版多数。 『伝記加藤清正』矢野四年生/著、のべる出版企画 *加藤清正を描く大部の評伝。 『双剣の客人―生国播磨の宮本武蔵』寺林峻/著、アールズ出版 *養父(無ニ斎?)の薫陶を受けて成長する武蔵が主人公の剣豪小説 『死して残せよ虎の皮』鈴木輝一郎/著、徳間書店 *野望よりも一族への愛に生きた浅井長政の生涯をつづる長編歴史小説。
信長はとくに気に入った家族には、茶筅とか五徳とかお鍋(側室)とつけてますね。 信雄は一時、信長が自身につけていたという「三介」を与えられていたそうです。 KUBOさんがご紹介してくださったはちなん信吉は愛妾お鍋の子で、「鍋には酌がつ きもの」ということで「酌」という幼名になったという説があります。 大洞・小洞もなんとなく双方の関連性をうかがわせますね。 奇妙ははじめて目にした赤ん坊を見た印象(これはわかる)? 茶筅はモヒカンみたいに毛羽立ってた(笑)?
#OBASAN >ユニークな活動が、期待されています。どうぞよろしく! 入会案内が届いたときに入っていた文学散歩の企画は東京浅草でした。 上田市役所→浅草散策→前川でウナギ→上田市役所 というルートだったかな。 浅草は母の実家の墓がある関係上幼いときから行っていたし、 最近は暇あるとウロウロしています。 美味しい蕎麦屋(並木の藪)、お酒もあるし… さすがに、上田東京間を2往復する気はなかった・・・ (^^;) ユニークな活動計画期待しています。
>KUBOさん 家康のは面白味というものが…やっぱり天才は、どっか普通の人と違うんですかね。
>ばぐさん、水無月生まれさん たしかに信長らしいといえば信長らしいネーミングですけど、つけられた方 はたまったもんじゃないって感じがします(^^;) >三楽堂さん えっと「くぼ」です(^^;) 公方様なんて恐れ多い(をい(^^;)) これからもよ しなに...(^^) とこれだけじゃ何ですので、信長にくらべると常識人(?)と思える家康のネ ーミングセンスを... 長男・信康:竹千代 次男・秀康:於義丸 三男・秀忠:長丸・長松丸 四男・忠吉:福松丸 五男・信吉:万千代丸 六男・忠輝:辰千代丸 七男:松千代丸 八男:仙千代丸 九男・義直:五郎太 十男・頼宣:長福丸 十一男・頼房:鶴千代丸 う〜ん、やっぱり普通...(^^;)
>KUBOさん のっ、信長のネーミングセンス、最低。間違っても自分の名付け親にだけは、なって欲しくない方NO1ですね。
#KUBOさん いらっしゃいませ。信長の子供たちの幼名解説ありがとうございました。 ところで「KUBO」さんとは「くぼさん」なのでしょうか?それとも「公方さ ん」なのでしょうか(笑)? これからも気軽に通りすがってくださいませ。 #ぱぐさん >織田氏はかなり研究されているということでしょうか。上杉氏ってそんな >に謎が多いんですか。研究の甲斐があるでしょう?(^^) 織田氏の場合はやはり『信長公記』という良質の史料にめぐまれていること と、研究者が多い(研究成果が多い)、ということが影響しているかも。 上杉氏は近世大名として生き残っていながら、毛利や伊達にくらべて家史や 系図がどうも作為的なんですよ。藩の公式記録だからよけい疑わしいのです。 謙信の兄弟の数も系図によって違うし。 これは管領上杉氏から府中長尾家の謙信、上田長尾家の景勝という変則的な 継承のされかたに一因があるんですけれども・・・ #天翔さん おひさしぶりです。自宅でのアクセスが可能になったとのこと。おめでとう ございます。これからもよろしく。宇津井健は何年か前の信玄公まつりでも 信玄を演じていました。 #OBASAN >古文書読解についていけず、歴史研究科へ、進級しませんでした) もったいないですね。いつかリベンジしてくださいませ。 18歳人口が減少して、通常の大学・短大でも社会人学生の受け入れが多くな りつつありますが、まだまだビジネスや実務の分野が多いですね。一線を退い たシルバー世代や教養系をのぞむ主婦にも開かれた生涯学習まで拡充しないと だめでしょうね。20年も学んでいる新館長の活動に期待します。 おまけ:かっこいい(?)幼名 1.梵天丸(伊達政宗) 2.吉法師(織田信長) 3.奇妙丸(織田信忠) 4.聡明丸(細川勝元など細川家歴代) 5.永寿王丸(万寿王丸とも。足利成氏) ・・・なんかクスリみたいですね。本人よりも名付け親のセンスを誉むべきかな
>KUBOさん こうして並べてみると、今でも前衛的ですねえ。すごい。「丸」ってつけても なんとも。「おおぼら」「こぼら」とかまるで落語の「寿限無」みたい(笑)。
信長の子どもたちの幼名ですが次の通りです。 長男・信忠:奇妙 次男・信雄:茶筅 三男・信孝:三七 四男・秀勝:次 五男・勝長:坊 六男・信秀:大洞 七男・信高:小洞 八男・信吉:酌 九男・信貞:人 十男・信好:長好 十一男・長次:縁 ま、普通ははじめに「於」後ろに「丸」をつけて、「御次丸」「小洞丸」などと 呼ぶようですけど...
>向井様 了承いたしました。 池波正太郎真田太平記館の新館長さんは、上田社会教育大学(生涯学習団体)で 20年近く学んでいらっしゃる大先輩です。(私も2年、歴史学科で学びましたが、 古文書読解についていけず、歴史研究科へ、進級しませんでした) ユニークな活動が、期待されています。どうぞよろしく!
>三楽さん 詳しい説明ありがとうございます。信長の子孫には彼を超えるほどの者は いなかったというのは聞いたことがあります。というか、信長はやっぱり天 才であって、特別なんですよね。子孫代々優れている、というのはかなり恵 まれた場合。 織田氏はかなり研究されているということでしょうか。上杉氏ってそんな に謎が多いんですか。研究の甲斐があるでしょう?(^^) >KUBOさん ありがとうございます。それなら納得です。 >水無月生まれさん その話は私も聞いたことがあります。記号みたいですごい(^^;) ちなみに私は師走生まれです。
久しぶりに書き込みしてみました。 今までは、学校でネット及びメールをしていたのですが、この度自宅からネットできるようになりました。 そのため、ちょくちょくおじゃまできると思います。 いよいよ、31日から「武田信玄」の再放送が再開されますね。 でもたしか後2〜3話しか残っていなかったような・・・ 宇津井健演ずる直江が見れなくなるのは、いろんな意味で、とても残念です(笑) 以前掲示板で、皆様が言っておられた謙信の神がかり状態は何としてでも見なければ。 ではでは失礼します。
ちょいっとすいません。 >ばぐさん 信長の感覚はなんとも、おしゃっていまいしたが、たしか九男か誰かの幼名は「人」だという話をきいたような…
通りすがりの系図オタクです(をい(^^;)) > これって、高長が信休という名前に改名したということでしょうか?? えっと信休は高長の曾孫です。信休の父信武が家臣を斬り殺すという不祥事 を起こしたため8000石減封されて柏原に転封になったそうです。
すみません、紛らわしい書き方をしてしまいました。 > これって、高長が信休という名前に改名したということでしょうか?? 元禄時代のことですからねー。高長自身のことではないでしょう。 高長の系統が柏原藩へ移ったということですね。たぶん(^^ゞ 帰蝶ですが、この名前は当時の文献にはあらわれません。濃姫も同様です。 信長の命名センスやあだ名をつける性癖からして、いかにも「お濃」とか呼び そうですけどね。ちなみに子供たちの中には、幼名「人」とつけられた者もい ます。しかし、吉乃の腹の信忠・信雄以外の男子はだいたい地位も低く、軽く 扱われていたようです。多少なりとも将器があったのは三男(実は二男)信孝 ぐらいで、あとは信長の衣鉢を継ぐほどの者はいなかったようです。 そのほか、岡田正人・著『織田信長総合事典』によると、信長のご落胤が何人 かいるようですが、こちらは市井で暮らしたみたいです。 ※ただし、現在研究中の上杉謙信の一族にくらべれば、はるかに謎は少ないです。
#OBASAN >すでに友の会に入られたのですね。準備段階から、情報は入っていたのですが、 >会費を払ってまで入る特典かなあと思って、上田の情報OBASANとしては、発信を >躊躇していました。今度から判断は、情報の受け手に任せて、上田のことを >お知らせしようと思います。(反省) また何か新たな情報があったらお願いします。 近いうちに西浅草にある池波正太郎氏の菩提寺 西光寺を探してお参りしてこようと思っています。