過去ログ2801番目から2850番目までの記事です。
初めまして
すこし前に、小早川秀秋について質問した者です。 でも、いつも拝見してますよ。 もっとも、知識不足のために、みなさんの書き込みを見ると 「ほおー(・O・)」と唸ることばかりです。 そして、三楽堂様が書いてらした「戦国大名の日常生活」を 読んでいますが、こちらも今までとは違った発見で、「ほおー(・O・)」です。 大名の家臣の関係というのは 当主ではなく、お家に従っていたのだと思っていました。 ですから、この本で取上げられている武田家で言うと、 信玄の信虎追放に家臣が従ったのは、お家の為であり、 お家を守るためなら、当主に背くことも当然だったのだ、と考えていました。 しかし、そうではなく家臣1人1人の独立性が強く、 自分達の利益にならない信虎を追い出し、 思うままになりそうな、若年の信玄を担ぎ上げた、というのは目からウロコな解釈です。
>http://www.geocities.cojp./Bookend/4591/ http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/index.html ・・・で飛べると思います。
実はホームページを作りました。とはいっても、超機械オンチな私が苦労してよ うやく完成させたものなので、実はまだ不完全です。背景に色がつかないので困っ ています。作成段階では色がついていたのに、アップロードしたら色がつかないの です。ということで、まだ背景が真っ白ですが、よかったら遊びにきてください。 一応小説掲載サイトですが、趣味として歴史関係のものをこれから増やしていく つもりです。 >三楽堂様 ということで、リンクさせてもらえませんでしょうか? 歴史サイトではないの で、ダメでしょうか? ここのホームページみたいにカッコイイのってどうやって作るんですか? とりあえず背景に色をつけたいのですが・・・。 一応私のホームページのアドレスを書いておきます。 http://www.geocities.cojp./Bookend/4591/ たぶんこれで着くと思うのですが、もし着かない場合は最後にindex.htmlとつけ 加えてみて下さい。
はじめまして、三楽堂と申します。小田原評定にようこそ。 沢村才八は若狭の国出身ですか? 何か関連史跡でも残っているのでしょうか?才八産湯の井戸とか(笑) #ぴえーるさん 米田の没年、『綿考輯録』には天正十八年七月二十八日とありました。六十五歳。 ただし、「これはおかしい」という註がついてます(^^; 熊本って、やっぱり細川家より加藤清正のほうが人気あるんでしょうか?
>米田求政は天正十八年八月二十八日歿です。>三楽堂さん 助かります、ぴえーるさん。 『綿考輯録』には記事がありませんでした。
米田求政は天正十八年八月二十八日歿です。>三楽堂さん >若州の坊主さん わたしも澤村大学の話題が出てきたのでやってきたクチです(笑) ところで大学の親兄弟について何か御存知ありませんか? 九兵衛という弟がいたらしいのですが……。
>加賀山隼人あたりが載ってて、有吉立行や米田求政がいないというのは……。 >……三楽堂さんが「補完計画」に執筆して下さることを期待しています(^^;) 有吉立行および米田求政については次回更新時に加えられる予定です。有吉はけっ こう面白い人物なので、なんとかXファイルへの登場を考えています。 あと、米田求政の没年がわかりません。手元に史料はあるのですが、なかなか該当 する記事が見当たりません・・・
頼んでおいた本2冊が届きました。 『日本史文献解題辞典』(吉川弘文館)は重量級。さっそく気になる項目などをひ いてます。その史料がどんなものなのか、活字化されている場合はどこに収録され ているか、また原本はどこに所蔵されているか、などが解説されています。 15巻前後もある国史大辞典の史料の部分を集めたものですが、本書にしかない追 加部分もあります。 『定本上杉謙信』(高志書院)は若手研究家を中心とした最新の謙信研究書。 序論と第1部「謙信の領国支配」、第2部「謙信の覇権」が計14本の論文から 構成され、さらに特論として「合戦図屏風の中の謙信」「上杉謙信の書状」の2編 が加わっています。さらに付録として「春日山城縄張図」つき。 ○ヶ崎氏が書いていないという一事だけでも一読の価値あり(笑)!?
なんか、変な表示になってしまってゴメンナサイ
どうも、はじめまして村澤大学のことを調べておられるのですか?私は村澤大学の出身地に住んでおります。(^-^)y郷土出身の武将がこういう場に出てくるのはめずらしいので、ついつい話に入れてもらおうと、のこのこやって参りました。
>ガシャポンで出してほしい気がします。そうすれば、200円で買えるのに。 ガシャポン(わたしの地域ではガチャガチャとかカプセルとか言ってた)って、今 は200円なんですか!? でもガシャポンのフィギュアって最近はかなり出来がいいらしいですよね。 ドイツには騎兵隊や王族のフィギュアとかがけっこうあるので、日本でも出せると 思うんですけどねー。 信長・秀吉・家康の3人もいいんだけれども、甲冑姿じゃないんですよね。 どうも月代って小さな人形で見るとマヌケに感じてしまいます。ぱっと見た中では 秀吉の衣冠束帯姿はまあまあかな、と思うのですが・・・ あとはどうも三国志のほうに流れるみたいで・・・ちと残念 と、思っていたところへ、9月に「あずみ」のフィギュアが出るそうです。こちら は6800円だそうです。刀&くない付き
「葵」では、秀忠が将軍になりましたよね。でも大坂冬の陣・夏の陣までは まだ間がありますよね。その間に、筒井定次・前田茂勝・大久保忠隣・石川康 長・石川康勝・大久保長安あたりが改易になりますよね。彼らは、今年の大河 ドラマにでるのでしょうか。それから、福島・最上・里見の取り潰しもでるの でしょうか?
戦国フィギュアがでたそうですが、1万5千円は高いですね。バンダイの ガシャポンで出してほしい気がします。そうすれば、200円で買えるのに。
『戦国大名の日常生活』(笹本正治/著、講談社選書メチエ)、面白いです。 この著者のものを読むのは4冊目です。笹本氏は山梨出身ですが、いたずらに信玄 を英雄視せず、客観的に分析していますので、読んでて好感が持てます。 やりたい職業は?との問いかけに「プロ野球監督、オーケストラ指揮者、戦国大名」 という応えが発せられる導入部からすっと入っていけます。 電車の中で読んでて思わず妄想して吹き出しそうになってしまったのが、百姓たち が境目争いでもめごとを勝頼に裁決してもらおうと、押しかけた先が湯村温泉。 折しも上杉氏の内乱介入の疲れを癒していた勝頼。アポイントもとらずに押しかけ た百姓たちにせっかくの休暇がぶちこわしに。
>加賀山隼人あたりが載ってて、有吉立行や米田求政がいないというのは……。 細川家も強烈な印象の家臣・・・少ないですね。沢村大学あたりがもうちょっとと りあげられるといいんですけど。長寿武将の特集でも出てこないし。 そういえば、24将とか17将とか16将とかって、徳川・武田・上杉・毛利以外 に肖像画になってるものあるのかなー?(まあ、尼子十勇士なんてのもあるけど) マイナーなところでは大浦十勇士がいるけど、画像にはなってないと思う・・・
戦国時代の生き残りということで何か残しておきたかったのでしょうか(^^;) 生まれが桶狭間の年ですから……改めて考えるとトンデモない武将ですね。 賛の日付が正保2(1645)年ですから、数えだと86歳ですか? まず成道寺がどこにあるか知りませんのでノーコメント(^^;)<閲覧 大学は成道寺に葬られたということなので墓もあるんでしょうか。 行ける範囲内にあるようなら一度足を運んでみようと思います。 『戦国人名事典』における細川家臣団のchoiceがいまいち理解できません。 加賀山隼人あたりが載ってて、有吉立行や米田求政がいないというのは……。 ……三楽堂さんが「補完計画」に執筆して下さることを期待しています(^^;)
>ちなみに沢彦の没年はどこに載っていたのでしょうか? どうも歴史アマさん。沢彦の項目、少し追加させていただきました。没年は講談社 の『クロニック戦国全史』の物故者コーナーに載ってました。
ぴえーるさん、小田原評定へようこそ。 おっしゃっている画像と同じものだと思います。わたしが所有している複製には賛 の部分が欠けてまして・・・人物のみ。 あの寿像(生前の画像)は「子孫を励ますためにこれを書かせ、武士たる者の見本 とする」というような意味のことが書かれて、愛用の武具や旗指物をならべたてて います。おそらく戦争経験者が少なくなったことがこれを書かせた要因ではあるの でしょうが、江戸初期としては珍しいのではないでしょうか。祖先の武功を覚書に することは流行っても、ビジュアルに訴えるというのは・・・(笑) この頃は85歳くらいだったのでしょうか・・・沢村大学。 ところで熊本の成道寺に所蔵とあるのですが、この画像は一般でも常時観られるので しょうか?
三楽堂様、掲載どうもです。 近々戦国人名辞典を買う予定なのでもう少し協力できそうです。 ちなみに沢彦の没年はどこに載っていたのでしょうか?
生前描かせたという肖像画の賛に「澤村大学助吉重」とあります。 自ら記した賛らしいので間違いないでしょう。 というか、三楽堂さんがおっしゃっている「面白い肖像画」と同じもの? 熊本県民なので思わず反応してしまいました。どうも初めまして(^^;)
沢村大学吉重ですかあ・・・ 彼は細川家の記録などにけっこう出てくるわりには知られてませんね。 面白い肖像画も遺しているのに。 永青文庫、なつかしい。わたしが言った時には「刀の鍔」ばっかり展示していまし たっけ。元首相のT邸もすぐ近くですね。 #永青文庫を知らない方もいると思うので・・・ 細川家の財団法人。年4回、細川家に伝わる宝物を展示公開している。 細川家の菩提寺にある「永」源庵と勝竜寺(「青」龍寺」)城からとってつけられた。
三楽堂様、ご無沙汰しておりました。「補完計画」をせかしておきながら ひさびさに訪問いたしました。 長野業正とか信長の野望シリーズをやっている人にとっては有名な人物も 載っていないものですね。子供は載っているのに… ところで、沢村大学ですが、なぜか手元に「第十二回永青文庫展 細川三代」という 図録がありまして、ここに諱が「吉重」とあります。 もしよろしければ、ご参考にどうぞ。
しばらく休眠状態だった戦国街道コーナーにようやく新コンテンツアップ。 今年1月に敢行した三楽斎道誉こと太田資正ツアーです。 「戦国人名事典補完計画」は最初の更新になります。
今日も新刊まつり状態でした。○販と地●小の陰謀かも知れない‥。 『戦国大名尼子氏の研究』(やっぱり吉川) 『図説 関ヶ原合戦』(岐阜新聞社) オールカラーなのですよ。 サイズも大きくて屏風とかも結構でてました。薄めの図録という感じで、 実際、関ヶ原?でおこなってた展覧会に協力してもらったそうです。 しかし、これで『武田氏研究』バックナンバー常設の野望が遠くなってしまった。 『倭城の研究』を揃えた事で、しばらくは満足していましょう。
#さわらさん 情報ありがとうございます。このところ大きな書店に行けなくて・・・ しかし、『定本上杉謙信』に島津や武田ですかあ・・・? #歴史アマさん 補完計画へのご協力ありがとうございます。なかなかシブい人を探してきますねー 歴史アマさんの分も含めた「補完・戦国人名事典」新バージョンは今週末にアップ 予定です。
皆さん読書家ですねえ。書店は売り上げがきびしいので、皆様の財布が 本屋でゆるむのを期待してます。 『戦国大名の日常生活』(講談社選書メチエ)今日発売。武田三代! しかし、再放送が見れない…。 『定本 上杉謙信』 景勝の事も書いてあったので一瞬買おうかと思ったんですけど、お金無いのでやめました。 雑誌『歴史学研究』 論文が武田と島津なのです。珍しいです。¥720。 「戦国期武田氏の文書発給システムと権力」 「島津史料からみた泗川の戦い」 を収録 『異聞関ヶ原』 古川薫が戦国とは珍しーと思ったら、やっぱり輝元が いました。読む前に売り切れたので詳細不明。輝元は本がでれば、絶対 売れるとは思うんですけどね。 あとはキリシタン関係の本がでてました。天皇とキリスト教布教に関する 内容だったと…。
管領代は正式な役職名ではありません。管領に支障があって職務を遂行できな い場合に、その子や近親者が代行するものです。 細川氏以外では六角、大内など守護大名中でも大物でないとなかなかなれなか ったと思います。 三好長慶の修理大夫任官は永禄三年正月のことで、正式なものです。 また、毛利元就の陸奥守および毛利隆元の大膳大夫、これらも正式です。 何せ、正親町天皇にとって毛利家は即位費用を出してくれた恩人ですから(笑)。 信長以前ですと、正三位・北畠具教、参議・三木嗣頼などがいますね。武将と いうよりは半分以上公卿ですが。確認してませんが兵部卿・大内義隆などもそ うでしょう。生前に従二位というのは戦国期ではあまりいないと思います。 (足利将軍家はのぞきます) 『信長公記』などによれば、信長家臣団の官位も信長自身が朝廷に請い、正式 に任官されたもののようです。 諸大名の官位については『歴名土代』『公卿補任』などが参考になります。
三楽堂様、失礼しました。 私も昨日図書館にいったとき、戦国人名辞典が置いてあったので 調べてみました。 管領代ぐらいにはなってるかなと思ったんですが意外に地味な 肩書きですね。(長慶) 戦国武将で公卿に列したのは、将軍家を除いたら織田信長が 最初なのでしょうか? ところで戦国人名辞典をみて気がついたのですが、官位が 正式な任官かどうかが曖昧だった気がします。 個人的には秀吉の筑前守・明智光秀の日向守・毛利元就の 陸奥守が正式任命なのかが知りたいです。 では。
>長慶は摂津守護代以外の官位・役職が見あたらないのですが、 >そういった肩書きに頼らない人だったんでしょうか? そんなことはないと思います。筑前守、修理大夫という官名を持ってますし、幕府 相伴衆にも列せられています。彼が苦しい立場にあったのは主人である細川晴元と 敵対関係(変な話ですが)にあったことでしょうね。むしろ実力がありながら主殺 しのような思いきった手をうてない、所詮は旧体制の人間だったのではないでしょ うか・・・
三楽堂様、いつもありがとうございます。 一応一族と呼んでいい関係だったんですね。 長慶は摂津守護代以外の官位・役職が見あたらないのですが、 そういった肩書きに頼らない人だったんでしょうか? 相当な権力者だった割に今ひとつ日の当たらない人ですね。
#徐栄さん >神坂次郎氏の書籍から引用されてませんか? うーん。何でしょう?わかりません。神坂氏はわたし短編集1冊しか読んでません のでたぶん違うでしょう。 参考にしたのは南條範夫の『三百年のベール』と榛葉英治の『史疑徳川家康事蹟』 です。 #OBASAN >三楽堂さんの市では、祭日も市立図書館あいているのですか? なんか今年から明けるようにしたみたいです。けっこう人が来てました。 うれしいですね。わたしの職場もGW半分くらい開けてます。最近はGWにしっか り働いて、人とずらして休みたいと思うようになってます。
>細川晴元の家臣、三好政長と長慶の血縁って >何なんでしょうか・・・ うーん。長慶のおじいちゃん(長秀)が、政長と従兄弟です。まあ、別系統と考え てもさほど間違いないかもしれません。
>沿いながらも、人物の性格とかがかなり原作と違うらしい。俺は原作を見ていない そうですね。いちばん違うのは・・・お通さんと吉岡清十郎でしょうね。 清十郎の女好きというのは同じですが、原作はよわっちいんですよ。あの強い清十郎 のおかげで「この先どうなるんだろう?」と楽しみが増えるのもたしか。 清十郎があんなに強ければ、いったい佐々木小次郎は!? それとお通さん。おきゃんで明るい女性ですが、原作は性格暗いくせに一途で、けっ こうコワイ女性かもしれない。ストーカーと変わらんもの(笑)。 宝蔵院胤舜と戦ったのもそうですしね。(実際は戦ってません) 逸話では「初代胤栄の弟子・奥蔵院と飲み明かした」というのが残ってます。
>バガボンドの意味 これは作者自身が言っていましたが、英語のvagabond(放浪者、浮浪者)くらい の意味だそうです。ちなみに昔あった「天才バカボン」も同じ単語から取ったと か。さすがに今、本屋で間違って買う人はいないでしょうがね(笑)。 英語のvagabondとかdesperadooutlaw(共に無法者、ならず者)あたりは マンガ家が使いそうなタイトルのような気がします。実際昔desperadoっていう マンガもあったし。 それにしても、バガボンドの武蔵はすさまじい生き方をしている。あれは原作に 沿いながらも、人物の性格とかがかなり原作と違うらしい。俺は原作を見ていない ので、わからないが、エンターテイメントとしてはかなり楽しめる作品だと思う。
えっと、また質問で恐縮なんですが、 細川晴元の家臣、三好政長と長慶の血縁って 何なんでしょうか・・・ 武蔵の話題が出てたんで書きますが、武蔵は一休さんに 出てきた新右衛門さんこと蜷川親当の子孫らしいですね。 ・・・ってK1の武蔵のことでした。
>三楽堂様 失礼しました。R254でした。何を勘違いしたんでしょノノノ 三楽堂さんの市では、祭日も市立図書館あいているのですか? 上田は、月曜、祭日休みです。他に月末整理日と『ばくしょ』と、 年末年始が休みです。今日、5/6図書館に行きましたが、休み中 に返却された本が、山積みになって、返却作業に図書館員が、忙 しそうにしていました。 桜は葉桜となり、我が家の庭の藤が咲き始めました。
キタジョウ氏の史料と格闘中です。が、何となく突破口が見えてきました。 これまででわかったことを簡単に経過報告。 >謙信の臣の北条高広は輔広と同一人物?そうなると父親は?んー解りません。 同一人物ではありません。輔広は高広の父か祖父のどちらかと考えています。 少なくとも謙信が進出する永禄年間から謙信死没の天正六年までの間で、高広 の署名はいろいろ変化してますが、「輔広」としているものは1通もありませ んでした。ただし後世の書き込みで「輔広」としているものがあったのみです。 >高定なんてのもどう繋がるんでしょう? 高広の弟です。下総守高定といいます。 系図にするとこんな感じ? 輔広?─┬─高広(丹後守→安芸守→入道芳林)──景広(弥五郎→丹後守) │ ├─高定(下総守、高常?) │ └─高政(長門守)──高能(米沢藩士) もっとも高定と高政の順番はわからない。 まだ繋がりがわからないのがいっぱいいるから、不完全ですけど(^^ゞ 直江信綱を刺した毛利名左衛門秀広とかね。あれは安田毛利かな? >そういえば高広は上杉家から逃げたあとどうなったんでしょうか? 逃げたというより、ずーっと上野国にとどまって、北条→武田→滝川→北条と帰 属して、結局、勝頼の斡旋で上杉景勝のもとに戻ったようです。 真田昌幸と景勝の同盟の仲介とかやってますから、やはり相当カオがきいたので はないでしょうか。その後は未調査です。 なお、面白いことに北条氏に従っている間、「名前が間違われやすい」というこ とで「喜多條」あるいは本姓の「毛利」を使っていたらしいです。 #戦武堂さん、蔵王堂長尾氏の情報、ありがとうございます。
史疑のページ立ち上げました。 Xファイルの内容がすばらしいので、リンクさせて頂きました。 歴史サイトは多いですが、史疑紹介ページは三楽堂さんと私の2件だけです。 制作過程で気付いたのですが、 神坂次郎氏の書籍から引用されてませんか? 三河物語の記述を引用していて面白かったです。 ご感想頂けると幸いです。では。
書店で「バガボンド6巻」に目を通しました。 (ハッキリ言うと立ち読み) 以前から話題になっていることは聞いていましたが、あまりにもメジャーな武蔵が テーマということでそれほど興味はなかったのですが、実際に見て「これは人気が あるのも無理ないな」と思いました。 宝蔵院胤舜に敗れた武蔵が、これまでかというほどに苦悩しまくる場面が描かれいましたが、これはホンマかいなと思い、早速文庫本のコーナーに向かい吉川英治の「宮本武蔵」を読んでみましたが、吉川本には実際に武蔵と胤舜が対決した部分はありませんでした。 実際に1対1の決闘はあったのでしょうか。 史実→小説→劇画と前作を読んだ描き手が、次から次へとイメージを膨らませてい き、次第に事実とは異なった方向へストーリーが展開していくこともあるでしょう ね。 だとしても「バガボンド」は結構おもしろい。
お久しぶりです。 自分も系図好きなんで、なにげなく系図類の本を見てるときがあるんですが、 北条氏はさっぱりですね(^^;)。手持ちの史料もないんですが、そもそも、 謙信の臣の北条高広は輔広と同一人物?そうなると父親は?んー解りません。 高定なんてのもどう繋がるんでしょう? そういえば高広は上杉家から逃げたあとどうなったんでしょうか? >北条氏邦の居城・鉢形城とお墓を見てきました。 氏邦は前田家に引き取られたと記憶していたんですがお墓は鉢形城にあったんですね。 知りませんでした。 >蔵王堂長尾氏ってほんとに存在したんでしょうかね? そういえば以前、『歴史と旅』の「わが家系を語る」のコーナーで蔵王堂長尾氏の ことが載っていましたね。子孫は群馬に移住して権田姓を名乗っていたそうです。 ではでは。
OBASAN、埼玉にいらしてたのですか。 わたしは現在、自動車やバイクを持ってないので、もっぱら電車です。池袋始発で 寄居終点(途中、小川町で乗り換え)なので、行きも帰りも座っていけました。 埼玉というのはダサイタマとかイメージで損をしてますが、史跡めぐりでは意外な 穴場やびっくりするような景観に出会えます。この点、わたしの住んでいる神奈川 県は「景観」「史跡保存機関」の面でも関東1都6県でサイテーだと思います。 ※OBASANが走られた道はR246ではなくR254だと思います。R246は東京・神奈川・ 静岡ですから。 本日は半日、市立図書館にこもってました。こちらも人が多かった。人が多いのは いいけど、利用マナーはサイテーです。 わたしが閲覧していた『群馬県史』はらくがきばっか。エンピツで特定の単語にチ ェックしてるから、たぶん年配の方(自己チュー老人)だったりして。 わたしが以前借りてた『新潟県史』も「付録が盗難しました」とラベルが貼られて いました。いい加減にしてもらいたいものです。
5/2に埼玉県嵐山町に出かけました。県立資料館、菅谷館跡、安岡正篤記念館 を訪ねました。行きは、東松山ICをおりて、国道246号を小川町の方面に 北上したのですが、246号が思った以上にいい道だったので、いけるところま で高速に乗らないでいってみようと埼玉の丘陵を楽しみながら、帰路に着き ました。途中に寄居町もあったような気がします。 翌3日は、朝から東松山ICの45キロ渋滞をニュースで知って、1日違いで、良かったと、胸をなで下ろしていました。4日は、込んでいませんでしたか?
1日ぐらいは外に出ようと、埼玉県寄居町まで出かけてまいりました。 北条氏邦の居城・鉢形城とお墓を見てきました。 鉢形城はこれから整備を加えて公園にするらしいです。この城の付近の蕎麦屋「鉢 形茶屋」で「城主馳走そば」なるものを食してまいりました。えび天・やまかけ・ 月見・おろし・ニシンのセットです。 氏邦の墓は奥さんといっしょで、氏邦にとっては義理の父母にあたる藤田康邦夫妻 の墓と2組、霊屋に納められています。鉢形城は秀吉の小田原攻めでもっとも激し く抵抗しましたが、前田利家と上杉景勝の大軍に攻められ、ついには大筒でもって 落城したと伝えられます。
『ハンニバル』を読了(ラスト予想通りだった)したので、やっと戦国本に戻れま す。本日購入したわけではないのだが、『刀と首取り』(鈴木眞哉/著、平凡社新 書)はなかなか興味深い本です。刀ばっかり何であんなにいっぱい残っているんで しょう? 『図説日本戦陣作法事典』(笹間良彦/著、柏書房)はイラストが楽しい。 『武将たちの足跡をたどる』(マガジントップ/編、山海堂)は武将ごとに名所を まとめた本。長曽我部元親の銅像なんてできたんですねー。見たいなー。 『日本史文献解題事典』(吉川弘文館)・・・実は出入りの本屋さんに発注してし まった。高いので「出版社が汚れたやつよこしたら、取り替えてもらってね」と念 押し。というわけで現物をさんざんいぢってまいりました。『日本史広辞典』と並 んで手離せなくなりそうです。
蔵王堂長尾氏ってほんとに存在したんでしょうかね? 系図だと、為景の弟・為重、その子景連(弾正謙忠)とあるんですが、キタジョウ のドツボにはまって出られない状態でわが「上杉ノート」は疑問符だらけ。 GWの間にこのうちの1つぐらいは突破口を見つけたいものです。 如雪さん、おひさしぶりです。 名古屋三左はもう死んでいると思います。お国との関係はもちろんフィクションで す。結城秀康がお国を見たのは慶長八年から十一年の間ということになりますね。
お久しぶりです。「葵」で出雲の阿国が出てきましたよね。彼女の演技を結城 秀康が見て涙を流したのっていつ頃のことでしょうか? また、「葵」ではやらな いのでしょうか? ちょっと疑問です。 それと、阿国の相棒の名古屋山三郎とかいう歌舞伎役者は出ないんでしょうか? ご想像でいいので、答えて下さると幸いです。 あのドラマ、個人的には松平忠輝の成長が楽しみです。 それにしてもあの家康って、あの番組のすぐ後に放送している「サラリーマン 金太郎2」の大和龍之介と全然キャラクターが変わっていないように思えるんだ けど・・・。だれか「金太郎」見ている人、いますか? 是非ご意見を。昔の 津川ってあんなキャラクターでしたっけ?
カレンダーどおりの三楽堂です。4月の忙しさにウッカリ予定たてるの忘れてました。 はじめまして、げんさん。戦国群像にようこそ。 小早川秀秋、意外とあっさり死んじゃいましたね。家臣たちが集団脱走するなどか なり異常な状況だったことがうかがわれます。 「葵」といえば、家康が千姫に「年下の叔父さんたち」の説明をしてましたな(笑)。 千姫は「のうみそ、パーン」状態だったようです。
はじめまして、げんと申します 以前からHP読ませてもらってます 歴史は戦国、幕末が好きです(ミーハーなんで) 人物は黒田官兵衛が1番のお気に入りで他には直江兼続、鍋島直茂 小早川隆景など頭脳労働系が好みです ところで「葵」の香川照之は、「春日の局」の時の小早川秀秋から 宇喜田秀家へと大出世ですね 個人的には、「春日の局」の時の憤死するときの狂った演技が好きなんですが 皆さんはどうでしょうか?
どうも、お久しぶりでございます。パソコンの調子が悪くてしばらくネットをやってませんでした。一週間ぶり!! そろそろ98をセットアップするかなあ。95はちょっと・・・ 三楽堂様。すいませーん。もっのすごく遅いレスです。 >メールまだ使えないんだっけ? >ここから返事ですみません。補完計画の投稿、文体も分量も>非常にグッドです。なるべくもとの「戦国人名事典」の雰囲気(>?)をこわしたくないので。 >あと、ヨミがわからんのですけど・・・(^^; メールまだなんです。何故か・・。ヨミですか。山田順貞→やまだ じゅんてい 道安→どうあん では、また来ます。(^^: