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>ころで、小早川の事が話題に上っているようですけど、小早川家って今は >もう無いのでしょうか?たしか、秀包ってのがいたような気がするのですが・・・。 小早川家は秀秋の死によって改易にあい、滅亡しました。 小早川秀包(元就九男)は秀秋の小早川家督継承時に、養父隆景によって別家をた てさせられています。久留米小早川氏、とでもいうべきでしょうか。 秀包は関ケ原後、所領没収。秀秋の死の1年前に死んでいます。 秀包には子がありましたが、これは輝元が呼び戻し、毛利姓に復させています。 これとは別に大坂の陣で豊臣方に小早川左兵衛という謎の人物がいたらしいんです が、素性がわかりません。また、甲州流軍学者の中にも小早川式部という人物がい ますが、これも気になっています。ご存じの方、いらっしゃましたらご教授願いま す。 それから明治の世になって、毛利家のひとりが小早川姓を名乗って、再興しました。
>三楽堂さま そうですか。あの長丸って実在の人物だったのですね。 ありがとうございます。でも、秀忠って、なんのかんのと言っても 実は正室1人と側妾2人(少なくとも)いたんですね。とすると、 秀吉や家康くらいじゃないけど、並の大名くらいには、正室以外の 女性を近づけていたんですね。今と昔では価値基準が違うので、悪い とは思いませんけど・・・。まぁ、秀忠も一人前の戦国武将だったと(笑)。 ところで、小早川の事が話題に上っているようですけど、小早川家って今は もう無いのでしょうか?たしか、秀包ってのがいたような気がするのですが・・・。でも、秀秋の肖像を見た事あるんですけど、何か、気の弱そうな なよっとした頼りなさそうな人でしたねぇ。(何かちょっと、輝元公と通じる 部分があると思いません?)
小和田哲男監修(笑)による第1弾「織田信長」は限定2000体、価格は1万5千円。 つづいて豊臣秀吉、徳川家康が予定されている。 ↓詳細はこちら http://www.acoustic-entertainment.co.jp/pro/sengoku/nobunaga.html うーん、謙信を出して欲しいなあ。
『おれは清海入道』東郷隆/著、集英社 『大谷刑部のすべて』花ケ崎盛明/編、新人物往来社 『バガボンド』第6巻 井上雄彦/画、講談社 『中世武家の作法』二木謙一/著、吉川弘文館 『戦国大名尼子氏の研究』長谷川博史/著、吉川弘文館(近刊) また戦国本ではないけれど、吉川弘文館の『日本史文献解題辞典』も内容見本をと りよせました。『国史大辞典』を置くこともできない身にとっては、これだけでも ありがたいところ・・・
1万数千ほど動員できる大名はほかにもいたんですよ。西軍では島津とか。 でも島津は領国にお家騒動を抱えているし、さきの朝鮮出兵で疲弊している大名が 多かったようです。 小早川秀秋は気負いこんで、なかば強制的に兵を集めたんじゃないでしょうか。 ところが自分なりに、あるいは小早川家としての方針も何もないから、北政所に 「どうしたらいいでしょう?」と聞きに行き、家康を頼れと言われたようです。 結局、東西どちらの旗印にもなれず、大軍を率いて近江のあたりをフラフラして いただけ。秀秋の兵力は欲しいけど、主将はその愚者ぶりを露呈させて東西どち らからも軽んじられたと思います。 小早川家はもともとは隆景が鍛えた毛利両川の一翼を担う家柄。それが秀秋の養子 問題で、隆景が隠居した際、三原衆と呼ばれる譜代の家臣団の多くがこれに従って しまったようですね。 関ケ原での苦戦は、たとえば先鋒の松野主馬などが、裏切り行為を潔しとせず、戦 闘を傍観していたなど、かなり足並みが揃わなかったせいもあるのでは?
>三楽堂様 お答え頂き、ありがとうございます。 1万5千人の兵を単独で率いる事が出来る、という事は 小早川家ってすごい家だった、というわけですね。 私には「秀秋の養子先で、彼の死後に断絶」という印象しかないので、 小早川家というと、「なんとかして存続させよう、という程の家じゃなかった」というイメージでした。 それに、そんな大軍で攻めながらも、苦戦を強いられたと聞いた事があったので、 余計に「秀秋は器量無し」というイメージを持ってます。 でも、才覚の無い秀秋が 時の権力者のおかげで、結果として、 そんなすごい家の当主にさせられてしまったと思うと、かわいそうです。 ’器量無し’、’才覚無し’と言いましたが、蔑視しているのではないです。 「大名には無理だった」ということで、分相応不相応があると思うのです。 逆に、伊達や毛利は 結局は大減封/一大名で終わったのは分不相応だったと思います。 しかし、そんな事を言っても、 天下を狙うような人物のうち、何人もが同時に時をえて、 覇権争いを続けられたら、国民はたまりません。(^^;) やはり、どっかで終わりにしてもらわないと。
「戦国人名事典補完計画」、まだまだ情報量が少ないですが、とりあえずはじめる ことにしました。 各人物の記述量にはご不満の向きもあるかと思いますが、とりあえず、掲載されて いない名前を列挙することが目的なので、ご理解いただきたいと思います。ものた りないなー、と思われる方はどうぞご自分のPCで作業してくださいませ(笑) 第1弾は長野業正ほか20名です。
はじめまして、NAYAさん。 わたしも戦略とか苦手なんですよー。シミュレーション小説も読まないし・・・ 小早川秀秋の価値ですか?よくわかりませんが、単独で1万5千もの兵を率いてい たから、ではないでしょうか? これだけの兵を率いていたのは、上方ではあとは宇喜多秀家ぐらい。大津城攻めや 田辺城攻めの各1万5千はいずれも中小大名の寄せ集めですからね。 ちなみに秀秋が陣取っていた松尾山は実は城砦だったとか。大軍を擁している強み で眺めのいいところを独占し、三成たちもあまり強くは言えなかったのでしょうか?
はじめまして。昔から戦国モノが好きだったのですが、ここ数年ご無沙汰してました。 しかし、今年の大河がきっかけで、また戦国熱が盛り返りました。 そんな時に、このようなHPを拝見する事が出き、うれしいです。 戦国好きといっても、戦略や詳細な情勢については疎い者ですが、 どうぞよろしくお願いします。m(__)m ところで、ずっと疑問だった事があります。 小早川秀秋の裏切りが、東軍勝利に大きく貢献したという話です。 天下分け目の戦で、勝敗がかかわってくるほどの重要な位置。 それが、なぜ秀秋だったのでしょうか? 関ケ原後の秀秋の振る舞いや、他の大名の彼への扱いから考えて、 秀秋の行動に附随して、裏切る大名が出て来るほどに、 秀秋が器量のあった人物とも思えません。 まさか、北政所の甥っ子だからというだけで重要になることは無いだろうし。 こちらは、戦国について、詳しい方々ばかりと思います。 ですから、とんでもなく初歩的な質問かと思うのですが、 ご存知の方、どうぞ教えて下さい。m(__)m
↓もちろん、「一男四女」のまちがいですm(__)m<四男一女 #数え年といえば、「三歳」の珠姫は、賢すぎであった(笑)
大分前に読んだ話なんで、細部はうろ覚えなんですが、多分出所は三田村鳶魚センセ。 長丸くんもお江が生んだとしているものも多いみたいですが、秀忠の子供たちの 生年月日を並べてみると、長丸くんもお江の子とするには、ちょ〜っとツライんじゃ ないか、と。 もっとも、世の中年子はおろか、一年に二度出産する人だっているわけですから、 「不可能」ではないらしい(爆) ドラマの予告編にあったように、来週、いえお千の結婚の時に、またお江に子供が 生まれるわけですが、あの時お千ちゃんは七歳くらい?とすると、満年齢では 5〜6歳ということになりますが、六年やそこらで、四男一女、その後続けて 家光以下三人出産してますからねえ・・。 お暇な方は、勘定してみて下さい(笑)
>そうすると本当に何者なんでしょうね? 昨日のカキコのあと、家光・忠長・保科正之以前に長丸という男子があったと「ク ロニック戦国全史」に書かれていました。2歳で夭折したそうです。 ということは@説なわけですが・・・ 徳川秀忠が正室以外の女性を近づけたのは「お静」だけであった、という記述があ る本を散見しますが、これも間違いということになりますね。 少なくとも側妾2人。
三楽堂様の推理に「ドラマの創作では?」と書かれてましたね。すいません。
三楽堂様、こんばんは。 以前、三楽堂様が >わたしも「吉川版」よりも「新人物版」のほうが使いやすいかな、と思います。内容 >ではなく大きさが(笑) と述べられていたので両方お持ちなのかと思ってしまいました。失礼しました。 保科正之の話がちょっと出ていましたが、私もあの子供は彼かと思っていたのですが 正之は慶長十六年(1611)生れでした(中村彰彦『保科正之』中公新書1227) そうすると本当に何者なんでしょうね? 長七郎…なんでしょうか (^^;) では。
わたしの場合は、学校の授業と歴史好きとはまったく関連性がありませんね。 風邪ひいて寝込んだ時に、真田幸村の子供向け伝記を母親が買って来て、それ に夢中になって、よけい熱が出てしまったのが端緒です。 あとはNHK人形劇の「新・八犬伝」「真田十勇士」ですか。 高校でも世界史をとってましたし、受験もそうでした。歴史的経緯などの知識 のなさは歴史教育が影響しているとしても、単に「歴史好き」ということには あまり学校教育は関係ないような気がします。 むしろ、学校の勉強から離れたところで、探求心や知的好奇心を満たそうとい う姿勢があるか否か。そこだと思うのですが。
高校で自分の国の歴史が必修ではないのは日本くらいなんだそうですよ。 こういう日本人が政治家や外交官とかになるから暴言が絶えないのだと いわれるのには納得させられますね。 かくいう私も実は日本史はやってなかったですけどね。 小学校のとき歴史の最初の授業でなぜ歴史を習うのかということを先生と皆で 話し合ったのを思い出します。 答えは、ホント単純なものなんですけど・・・。
>ところで、先日の「葵」に秀忠に男子が生まれてましたが、あれって >後年の保科正之の事でしょうか?でも、保科正之って家光の弟だった >ような気が・・・。としたら、あの子供は何者?NHKの創作? うーむ。誰かきっと言うだろうと思ってたんですよ(^^; わかりませんッ・・・というのもなんですから、わたしなりの推理を。 @「すぐ死んじゃう」説 ジェームス三木の脚本はわりと人の生き死にを追いかけています。それ がたとえ幼児のうちに死んでも、ドラマの本筋と関わりなく描いていま すね。つまり、ドラマの創作ということになるでしょうか。ただし、こ れはお江の嫉妬を煽る、というぐらいしか意味のない伏線だと思うので すが。気になるのは、侍女2人のうち1人の名が「お静」。言わずと知 れた秀忠の「唯一の側室」と同じ名です。彼女は保科正之の生母となる 人だとしたら、それとの引き合わせ、という効果があったわけか・・・。 やっと産まれた男児の死に、悲嘆にくれる秀忠をお静がなぐさめる、と。 で、めでたく保科正之、誕生。 ※ちなみに家光は秀忠次男、忠長は秀忠三男が正しいそうですから、順 当にいけば、これが妥当な説かな。 A「松平長七郎」説 そんなバカな、といわれるかもしれません。通説では家光の弟・忠長の 嫡男がなんで!?と思われるでしょう。しかし、忠長の子であるとする と慶長十九年生まれという「通説」を採った場合、年齢とか合わないん ですよねー。忠長は慶長十一年生まれだから、なんとかぞえ九歳の時の 子供ということになります。すぐに嘘だとわかりますね。 ちなみに秀忠のはじめての男児の名は長丸でした。長じての名は「長七 郎」(笑) 本来ならば将軍職を継承するはずなのに家光が生まれたために市井に生 きて悪を懲らすという趣向・・・(誰も信じないね)
>ジではありません。天海は石浜朗とか内藤武敏とか明智光秀を演じたことのある役者に >演じてもらいたいとおもいました。皆さんはどう思いますか? たしかドラマストーリーでは天海が登場して、しかも光秀そっくりなの で詮議が行われる・・・といったシーンがあったのですが、放送時には なくなっていました。村上弘明の僧衣が似合う似合わないは別として、 面白い趣向だなと思いましたが、実際には撮られなくて残念。
>三楽堂さま まず、遅レスすみません。自宅のパソコンが壊れてしまい ただ今、使用不可の状態になっているもので学校のパソコン からカキコさせていただいています。ところで、あたたかい お返事、ありがとうございました。何か、変な事を書いてしまった と自分で、後悔していたのですが、あんなに、良いお返事いただいて、 正直、うれしかったです。ありがとうございました。これからも宜しく お願いしますね。 ところで、先日の「葵」に秀忠に男子が生まれてましたが、あれって 後年の保科正之の事でしょうか?でも、保科正之って家光の弟だった ような気が・・・。としたら、あの子供は何者?NHKの創作? 本当の所、誰なんでしょうか?もし、宜しかったらお願いします。 何はともあれ、「葵」もそろそろ、中盤戦にさしかかって、もうすぐ 大阪の陣ですね。楽しみです。(でも、大阪の陣、どう描くんでしょう?)
大河ドラマにでてきた前田利家を調べてみました。 川津祐介(「太閤記」) 加藤嘉(「春の坂道」) 目黒祐樹(「国盗り物語」) 臼井正明(「黄金の日日」) 滝田栄(「おんな太閤記」) さ川哲朗(「徳川家康」)(<−すいません漢字がだせませんでした) 大木実(「独眼竜政宗」) 滝口剛(「武田信玄」) 嶺田則夫(「春日局」) 橋爪淳(「信長」) 渡辺徹(「秀吉」 北村和夫(「葵」) 前田利家は新鮮味がないような気がします。
>お久しぶりです。最近、若い人の(私もまだ一応若いけど)歴史離れが激しい >ように感じます。 >私の周りにも歴史に興味のある人って全然いなくて、困ってしまうことがありま >す。 歴史離れには教育の影響があるとおもいます。大学入試では、東大・京大以外は地歴が一科目 でうけられるので、「世界史」が必修の現在、「日本史」を履修する人って少なくなっているのでは ないでしょうか。中高一貫の進学校などでは、文系理系の進路を中学で決めてしまっていて、我 々と共通の知識を持たない人が多いようです。私の友人で東大進学者の多いことで知られる女 子校に行っていたひと(阪大に現役で合格)などは、鎌倉時代と室町時代とどちらが先かわから ないとのたまっておりました。英国の作家スノーのいう「二つの文化」というのは日本にもよく当て はまるものになってきたようです。 また国語で古典の時間も以前より少なくなっています。そのため、近世文学を国語で扱うことが へってきたようにおもいます。古典常識がなくなってきているのです。 更に予備校の管理教育が拍車をかけます。予備校で教える「日本史」は現在の学会で議論され ているレベルよりはるかに以前に唱えられた説を「通説」などと称しておしつけます。灘高校では 歴史の流れをつかむのに新書を読むのがよいといわれているそうですが、現在流通している新書 を読んで論述をかくと「日本史」で点数をもらえないことがあります。私も受験生時代、「征韓論争に ついて述べよ」という問題がでて毛利敏彦さんの「明治六年政変」(中公新書)の記述をもとに答案 を作成したところ零点をつけられました。出題者に「明治六年政変」を参考にして書いたことを述べ て抗議すると、「そんなことをいうと落ちるよ」といわれました。 若い人が歴史に興味を失うのは、現代の教育に一因があるように思うのですがみなさんはどうお 考えになりますか?
「葵」で天海役は金田竜之介でした。彼は、柴田勝家(「天と地と」)、土岐頼芸(「国盗り物語」)、 毛利敬親(「花神」)、北条時政(「草燃える」)、大久保長安(「独眼竜政宗」)、伊達政宗(「春日局 」)、斎藤道三(「秀吉」)といった役で味のある演技で注目していましたが、私の天海というイメー ジではありません。天海は石浜朗とか内藤武敏とか明智光秀を演じたことのある役者に演じて もらいたいとおもいました。皆さんはどう思いますか?
漫画「猿飛佐助」は講談社漫画文庫版で買ってよみました。変な名前の忍者がいっぱい 出てきて面白かったです。真田十勇士も全員出ましたよね。筧十造がかつらに密書を隠す 場面などよく覚えています。ただ、海野六郎の登場シーンがちょっとすくないなと思いました。 石ノ森章太郎さんの「猿飛佐助」よりおもしろかったように記憶しています。
漫画「猿飛佐助」の作者、杉浦茂さんが亡くなりました。92歳。 まんまるい顔の佐助が徳川方の忍者フーセンガム助などと戦うユーモラスな作品で した。この作品に登場する幸村もヒョウキンで、真田丸の設計図に手を入れている 横で「おしるこの作り方」なんぞを書いている。徳川方の忍者は「おしるこの作り 方」のほうを盗んで家康に披露してしまうのは笑えました。
>宗教にも興味がありますが、最近は武将より文化人の方に >興味を持ちだしたみたいです。 「戦国時代」といっても大名や武将ばっかりではなかったわけですから、立体的に あの時代を知るには文化や女性史、大衆史、国際交流史などにも目を向けなくては なりませんね。 西ケ谷恭弘/著『復原戦国の風景―戦国時代の衣食住―』(PHP研究所)などは 格好の入門書だと思うのですが、最近、書店で目にしません。 図書館活用も欠かせないことですが、わたしにとっては「現在入手困難な本を閲覧 する」「場所をとるような大部の本を閲覧する」といったスタンスで接しています。 「現在入手し得る良質の本」「面白いと思った本」(ありがたい?ことに結構少な かったりします)については、極力、買うようにしています。本の誕生から絶版ま でのサイクルは非常に短くなってますから、見つけた時に何とかしないとね・・・ このコーナーでも本の紹介とかよくさせていただいてますが、それに対する反応の ひとつに「高くて買えない」というものがあります。学生とかは苦しいかもしれな いですが、図書館もあるわけですしね。あるいはほかの支出を抑えて捻出すること もできるはずなのです。 本当に高い本は、つまらないゲームを指す「くそゲー」と同じようなもので、決し て単純な価格では推し量れないと思います。わたしの手元でも良書は何度でもひも とかれますね・・・
三楽堂様、紹介ありがとうございます。 宗教総覧ですか・・・ 読んでみたいですね。 でも、多分手が出なさそうです。 図書館に入るのを待ちたいと思います。 宗教にも興味がありますが、最近は武将より文化人の方に 興味を持ちだしたみたいです。
どうも、主馬さん。補完計画がまだなのは、弾数がそろっていないためです。もう 少しお待ちください。補完計画は侃侃諤諤から独立させて長期的に扱っていく予定 です。 エート、わたしも新人物版しか所持していません。 今回の更新は、存続を危ぶまれていた「戦国お宝探訪記」の第2弾です。
三楽堂様、早速御返事頂きましてありがとうございました。 一週間ほど放浪してきたもので久しぶりにPCさわりました。 三楽堂様は吉川・新人物と両方お持ちなのですか。「辞典」のほうは小さいながらも 古書店で買おうとすると一万円近くするので思い切って買う気にならないです。 (「事典」の普通の大きさのやつを一万円くらいで買おうとしたら「コンパクト版」が三千円くらいで 売っていて当然そちらを買いました。) ところで、「補完計画」のみがまだなので少し残念です。お忙しいでしょうけど、期待しております。 では。
こちらでも「北条五代まつり」などのポスターが駅に貼られはじめています。 忙しさにとりまぎれて、GWの予定をたてていないまま。 みなさんはもう史跡探訪やイベント参加の予定などたてましたでしょうか・・・? わたしは懸案の論文やノートを整理して過ごすという「格安&不健康」なGWにな りそうです。
春遅い信州も桜前線が上昇中です。今日、お昼に上田城の満開の桜を満喫し てきました。夜になって、あいにくと雨が降り始めました。明日明後日の、 お花見を愉しみにしていた方には、無情の雨です。でも、今年、遂に花粉症 ぎみのOBASANは、快適な一日が過ごせそうです。 4/29(土)は、第18回真田まつり。今年は、真田幸村役として「あおい輝 彦」さんが、真田武者行列に参加されるそうです。 イベント内容 <上田城跡公園市民会館前> ・信州真田鉄砲隊演武…11:00〜11:30 ・ときめきレディー上田表彰式…11:30〜11:45 ・出陣式…12:00〜12:45 <中央部商店街> ・真田武者行列…上田城跡12:45→大手町→原町→海野町→松尾町→上田駅 お城口14:25 ・江戸かっぽれ…けんしん前13:10→鷹匠町交差点13:50 ・民謡流し…真田太平記館前12:30→鷹匠町交差点13:10 ・みこし…上田城跡公園12:00→中央交差点付近→ 上田城跡公園15:00 <上田城お城口> ・江戸かっぽれ…14:00〜14:20 ・凱旋式…14:30〜15:00 <ほていや跡地> ・上田真田楽市楽座…10:00〜15:00 お時間のある方、上田にお出でなさいませ!
歴史アマさんは宗教に関心があるのですか? 新人物往来社から「宗教総覧」が出ましたよ。神道も含めた各宗派の歴史などがコ ンパクトにまとめられています。 寺社めぐりはけっこう好きなんですが・・・最近はけっこうコンクリのモダンな本 堂とかが多くなってしまって・・・。 高野山はやはり信長・秀吉の攻撃にさらされていましたが、1521年に炎上し、 豊臣期になって復興されたので、比叡山にくらべて活動があまり知られていないの はそのせいもあるかもしれませんね。
三楽堂様、ありがとうございました。 琉球や奄美大島には独特の巫女制度があったみたいですね。 琉球にはお寺とか無さそうな気がするのですがどうなんでしょうか? 高野山について疑問に思ったんですが、比叡山があれほど 強訴やら何やらで騒ぎを起こしたのに対し、高野山は本当に 静かなもんですよね。 これは地理的条件のせいでしょうか?教義のせいでしょうか? (下に延暦寺門主などと書いてしまいましたが天台座主ですね。 高野山の門主はなんといったかな・・・) 後、高野山には空海の遺体が安置されているそうですが、 やはり学術目的でも門外不出なんでしょうか・・・ ちょっとお門違いでしたね、すいません。
琉球神道だと思います。琉球王府の神女組織の最高神女である「聞得大君(きこえ のおおきみ)」に「君真物(キンマモン)」という神が憑依するといわれています。 1603年に琉球に滞在した禅僧袋中が『琉球神道記』を著しているそうですが、 わたしは読んだことがありません。活字になっているのでしょうか・・・ 武将の神道関係では諏訪氏がいますね。諏訪頼忠は1547年に大祝職についてい ます。今、コミック誌で連載中の鶴姫も大三島の大祝の家柄でしたっけ?
長尾っぽさんがすでに書かれているとおり、2002年は「利家とまつ」 なんか、昨年の正月に「加賀百万石」を単発でやったばかりだというのに。 配役はまだ決まっていないそうですが、おそらく利家没後のまつの江戸行きあたり まで描かれるのではないでしょうか。「葵」や「秀吉」とずいぶんダブっちゃいそ うな気がします。 奥村助右衛門、村井又兵衛の2大功臣。柴田勝家と佐久間盛政、佐々成政との愛憎 が入り混じった関係は濃厚に描いてほしいものです。 で、前田慶次は・・・当然、出るのでしょうね?
三楽堂様、ウルトラマンガイア様、ありがとうございました。 高野山は蟄居先として有名ですね。 北条氏直・真田昌幸・・・ 思い出せないけど他にもいたような・・・ 以前行ったことがあるのですが、奥の院は見ていない 気がします。 何があったのでしょうか? 諸氏の墓は結構地味なのが多くて印象が薄かった気がします。 ところで、また宗教の話ですが、神道を信仰していた家は 多そうですね。 阿蘇惟政なんかはそうでしょう。 熊野大社の家系は戦国大名としては残って いなかったんでしょうか? 堀内氏善とかは・・・ 後、延暦寺門主(名前は知りませんが)なんかは天台宗ですね。 琉球王家とかは何の宗教を信仰していたんでしょうか?
>特に最近のガングロ、コギャル(もう死語か)女子高生なんかに聞いても「えー >タケダシンゲンって誰? 芸能人?」とか言われそうな気がする。 かつて日本とアメリカが戦争したことも知らない人が大勢いるそうですからね。 だから、ゲームとか映画とか小説って大事だと思いますよ。イメージを喚起してく れるし、「謙信って、ほら。榎木孝明が演じたじゃない」と(笑)。 だからテレビも大河ドラマだけじゃなくて民放も若い人向けに歴史絵巻をつくって 欲しいですね。 ・・・という意見を支持してますから、「ミラージュ」も当然、歴史ファンの裾野 をひろげたという意味で評価しております(読んだことないけど)のでミーハーで も歓迎ですよ、当ページは。管理人はわりとフレキシブルですから。
なんか、正直信じられないんですが、再来年の大河が前田利家らしいです。 はっきりいってみなさんは全然期待してくれないんでしょうね。 戦国ホームドラマ化?とは、地元在住の友人談・・・。 でも、金沢出身の長尾としてはとにかく衝撃の一言です。
>事やら何やらで色々と質問させていただいたのって、ご迷惑でしたでしょうか? ぜんぜん迷惑ではありません。加賀宰相さんもこちらの回答に対してレス返してく れましたし、小田原評定にときどき書いてくれている方からの質問には可能なかぎ り答えていきたいと思ってます。(逆に教えていただくこともあります。つい先日 も非常に興味深い資料をいただきました。みなさんもきっと興味を持たれるはず。 これについては近日HPで公開!) こちらこそよろしくお願いいたします。 まあ、基本的に、質問する→回答する→(その回答で)いいのか悪いのか、十分な のか不充分なのか、こういった流れにこだわっているものでして(^^ゞ 実際、メールで質問よこしてきた人に回答しても、7割は返事がありませんねえ。 あと、具体的に質問内容を書いてこない人が多い。「北条氏について参考文献あり ませんか?」では困ってしまいますよ。北条氏の何を知りたいのか、具体的な内容 や手持ちの情報(これまでに自分が調べた部分とか資料名とか)をさらけ出してく れないと、漠然としていて何と答えたらよいのか困っちゃうんです。 これはこのコーナーでも何度も言っていることなんですけど・・・ あと、人にレスをつけさせる気をおこさせる書き方・・・これが大切ですね(笑) わたしの場合、頭の中にはいわゆる「薀蓄」はほとんどないんです。 あるのは、「これはたしかあの本に書かれてあったな・・・」といった記憶の断片 です。この断片は具体的な事物や固有名詞に反応するんです(^^;
お久しぶりです。最近、若い人の(私もまだ一応若いけど)歴史離れが激しい ように感じます。 私の周りにも歴史に興味のある人って全然いなくて、困ってしまうことがありま す。 以前に書いた「軍神」という小説を見せても、相手は戦国時代の知識が全然ない ので、「足軽って何?」てのから「当時の人は貴人の前で胡座かくの?」とか、 いちいち全部説明しなければならず、苦労をした覚えがあります。 特に最近のガングロ、コギャル(もう死語か)女子高生なんかに聞いても「えー タケダシンゲンって誰? 芸能人?」とか言われそうな気がする。 現役女子高生の方、いたらごめんね。あまりにもそういう人が私の周りに多いの で。
>三楽堂様 ありがとうございました、海音寺さんの「名将列伝」ですか。本屋で見て みる事にします。それと、輝元さんの肖像の件、ありがとうございました。 僕の近くでいうと、大阪市立博物館ですね。ぜひ、図録の件、問いあわせて みたいと思います。ところで、ひょっとして、僕が今まで、輝元さんの 事やら何やらで色々と質問させていただいたのって、ご迷惑でしたでしょうか? 何やらこのような事が話題にのぼっているようなので・・・。 でも、三楽堂様に教えていただいて、本当に喜んでいます。輝元さんに ついて、よりすばらしい情報、ありがとうございます。もし、ご迷惑 でないようでしたら、これからも、宜しくお願いいたします。
おそらく戦前・戦中派の方だけに対象を絞れば、毛利元就・山中鹿之介なども馴染み の深い武将ということになるのでしょう。 あと、ゲームの影響ってのが大きいですね。「信長の野望」シリーズ、「天下統一」 「斬」「下天」といったシミュレーション・ゲーム。 最初の「信長の野望」は信長と信玄でしかプレイできなかったのに、どんどん登場 する武将やイベントが増えていって・・・ でもやっぱりポケモンのようなわけにはいかない。 よく漠然と「○○について教えてください」といううんざりするようなメールをも らうんですが、この人たちはゲームから入ったのかな?と考えてしまいます。完全 に人をヘルプファイルだと思ってますからね(あんまり役に立たないところもMS KKのそれと似ているかもしらんけど・・・笑)。なかにはちゃんとした人ともい ますが、メールの書き方でだいたいわかります。こういう人にはちゃんと返事も出 します。 加藤清正・・・鬼上官と呼ばれているンでしたっけ? 「虎退治」でもだんだんピンとこなくなるかもしれませんね・・
>メジャー/マイナー おもしろいです〜。 しかしこのように見ていると、メジャーな人って10人もいないんですね。 なんか、悲しいものがありますなあ。 特に政宗なんてホント大河だけの影響でしょうね。 加藤清正は朝鮮の人に有名なんでしたっけ?というか、恨まれてるんでしょうか。 でも、なんで清正だけ??
>先日過去のNHK大河ドラマ「武田信玄」が再放送されるという噂があったのですが、 >放送されてるのでしょうか?? ともーかさん、最近、小田原評定お見限りでしたね? もう放送されてますよ。昼3時くらいだったかな。
海音寺氏の文章は『名将列伝』(文春文庫、全6巻)だったと思います。 ただし、毛利輝元の回はなく、関ケ原当時の別の武将の伝に輝元の大坂 退去のことが出ており、「輝元のあほう」と書かれてあったように記憶 しております。今、手元にないので確実なことを言えませんが。 輝元の画像は山口県の毛利博物館に所蔵されています。わたしは赤坂サ ントリー美術館の「秀吉」展(1996)で「輝元画像」とその下絵を 見ました。画像は『毛利輝元卿伝』の口絵にあるものです。下絵のほう は注があって、顔の部分が上から貼られています。何パターンか書かれ たらしく一番似ているものを採用して、ペタッと貼ったようです。 脇に「この分、可也(これがよい)」というコメントまでついてます。 肖像画のほうは、その後、東京上野で「元就」展(1997)において 再度、目にする機会を得ましたが、さらに山口県防府市の毛利邸(内部 が毛利博物館)でも目にしました。が、輝元の下絵は赤坂で見たきりです。 ちなみに肖像画のほうも2パターンあります。構図は同じです。 そういえば、隆元の自画像といわれるものにも、顔の部分が上から貼ら れています。おそらく修正したのでしょう。これも毛利博物館にありま す。同博物館は一度行かれることをおすすめいたします。 ※「黄金と侘び―秀吉展」(図録には、輝元画像と下絵のカラー図版あ り)は大阪市立博物館、サントリー美術館、名古屋市立博物館など。 「毛利元就―その時代と至宝―展」(図録には、2種類の輝元画像のカ ラー図版あり)は東京都美術館、広島県立美術館、名古屋市立博物館、 山口県立萩美術館で開催されました。いずれかの館に問い合わせれば、 当時の図録が残っているかもしれませんよ。わたしは時々、地方の博物 館に問い合わせて、過去の図録を頒けてもらっています。
先日過去のNHK大河ドラマ「武田信玄」が再放送されるという噂があったのですが、 放送されてるのでしょうか?? ご存知の方、教えてくださいまし。 追記:「葵」には渡辺謙の伊達正宗は出ないようですね。。。残念
どうも、お久しぶりです。輝元狂(笑)の加賀宰相 です。ただ今、戦国Xファイル索引ができていたよう なので、遅ればせながら、輝元さんの所を読ませていただ きましたが、海音寺さんがどうやら、輝元さんをあほうと おっしゃっていたとのことですが、それって、何という本 なのでしょう?教えてください。ぜひ、読みたいです。 あっ、ところで、輝元さんの肖像画って何処にあるんでしょう? Xファイルに書かれていた、最も似ているのって、何処の肖像画 なんでしょうか?教えてください。お願いいたします。
・・・の線引きはむずかしいけれど、わたしは、とくに歴史ファンでもない人と話 す場合に「その名前が使用できるか否か」にひとつの基準を置いています。 するとだいたい、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。これに上杉謙信、武田信玄、宮 本武蔵(吉川英治)。ここまでが言うなれば「郷土出身」などに依存されない超メ ジャーのAクラス(それでも水戸のご隠居・助さん・格さんにくらべたら、はるか にマイナー)。 あとは真田幸村(十勇士)、明智光秀(本能寺の変)、石田三成(関ケ原)ぐらい までじゃないでしょうか。 伊達政宗は、わたしの知人では知ってる人が意外と多いけど、これは渡辺謙がらみ、 および東北出身者。 加えて、世代的に次第にマイナー化しつつある山中鹿之介、加藤清正も忘れてはな らないでしょうね。元就もこのあたりに入るのでは? ただ、若い人とは話す場合は難しいですね・・・タレントの名前のようなわけにはい かないし(笑) 最近は歴史のエピソードめいたことを口にするはめになった時、一律「むかしの殿さま」 という言い方をしています。以前うっかり「武田信玄が・・・」と話し出したら相手( 非・山梨県民)がもう中井貴一のドラマ以後の世代で、キョトンとしているので、 「信玄餅知ってるでしょ?」とフォローしなければなりませんでした。
>そういえば、昔、「若き日の北条早雲」という民放ドラマがありましたな。 > 見てなかったけど。 「若き日の北条早雲」みたことがあるはずですがよく覚えていません。1980年ころ放送されたと思います。 主演:北大路欣也(だったかな) 演出:大村哲夫 脚本:柴英三郎 私の好きな梶芽衣子がでていました。
歴史アマ様 >それ以外の宗派または宗教を信奉していた大名はどれくらい >いるんでしょうか? 私もよく知りませんが、加藤清正は法華宗だったと思います。 みなさまへ >そういえば、素朴な質問。元就ってメジャーな武将じゃなかったんですか? 知名度の客観的な尺度があるのかよくしりませんが。(世論調査などは調査方法が悪いので私は信用 していません。そもそも調査の妥当性が検証できないのですから) 戦前は教科書に三矢の教えがあるということでしられていたのでは。 「日本史探訪」でもとりあげられましたよね。 山岡荘八・徳永真一郎なども小説に書きましたし、松本清張の短編にも元就の謀略で新宮党を滅ぼす ところを書いた作品はあります。 私も十五年以上前から小早川隆景がすきでしたが、今はそう言うとミーハー扱いされるので別の人 物が好きになっていきました。 したがって、結論らしい結論ではないのですが、知っている人は知っているし知らないひとは知らない ということになるのではないでしょうか。
禅宗にも曹洞禅、臨済禅などいくつかにわかれますしね。 高野山は全国の武士たちから信仰されたようで、奥ノ院は一度行って見ることをお すすめします。信長、秀吉、結城秀康、謙信、信玄・・・の墓がみんなそろってます。 本能寺は「日蓮宗」というよりは「法華宗」と考えておけばいいのではないでしょう か。くわしいことはわかりませんが。織田信長は法華宗です。ですが、宗教論議をさ せて浄土宗が勝つと、法華宗に圧迫を加えてますね。 >それ以外の宗派または宗教を信奉していた大名はどれくらい >いるんでしょうか? パッとおもいつきませんけど、たとえば謙信の部将・北条高広(まだキタジョウ系 図にハマってる)などは時宗です。