小田原評定・バックナンバー

過去ログ2501番目から2550番目までの記事です。


(2550)大河  投稿者:夜叉若  投稿日:02月29日(火)02時37分31秒

お久しぶりです!
昨日の大河は名脇役はいっぱい出てきましたが相変わらず真田昌・村父子が出てこない!
ついでに政宗も名前連発してたわりにはでてこない!
これはじらし作戦だと自分に言い聞かせて登場を待つのであります・・・

さてそれはおいといて、昨日山内一豊が掛川城(だったっけな?)を明渡したときに、
他の武将はためらいも無く我も我もと言っていましたが、自分のイメージとしては一豊の意見は(堀尾の意見といわれているが)
常識はずれのことで、家康は当然として、ほかの武将もかなり驚いたと思うんですが、
あんなもんだったんでしょうかね? ちょっと気が抜けました。


(2549)孫市参上!!  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:02月28日(月)23時15分45秒

大河ドラマを見ていたら、雑賀孫市参上!
でも一瞬だけでした。。。

>三楽堂さん
で、先日来、「尻啖え孫市」を読み返していますが、
やはりこの本では雑賀孫市は鈴木三太夫ではなく、鈴木重秀ということで
書いていました。
尤も、正確に言えば、司馬遼太郎氏は鈴木重幸としていましたが。。。
ページで言えば324ページにそれが記載されています。(角川文庫の場合)
ちなみに、鈴木三太夫は雑賀孫市の父親となっています。

さて、小山会議でようやく真田信之が出てきましたね。
幸村登場はいつのことか??
華々しく出て欲しいものです。


(2548)慶次の嫌いな人間  投稿者:三楽堂  投稿日:02月27日(日)22時43分56秒

あはは、どうしても誰かに特定したいという気持はわかります。

>福島正則か松平忠吉あたりではないかとのことでしたが、ずばり福島正則ではないでしょうか。

うーん。
慶次がなぜ上杉景勝を主人としたか、を考えないといけませんね。彼がいちばん嫌
ったというか、バカにしてたのは、太閤没後に家康に尾を振っていた豊臣恩顧の大
名たちだったと思います。そうでなければ、「景勝以外に主人とたのむ者は天下に
ない」という言葉につながらないと思います。

また、景勝を賞揚している文句はあちこちに記録されていますが、「越前黄門と尾
張の下野云々」というのは『可観小説』のほかは見られません。(わたしが知らな
いだけかもしれませんが)


(2547)ギャグでは・・・ない、かな?  投稿者:三楽堂  投稿日:02月27日(日)22時43分28秒

>確かにすごそう・・・。これってギャグ本なんですか?三楽堂さん。

ファンタジーノベル大賞の受賞作品です。ギャグ本ではありませんが、戦国フ
ァンにとってはみごとに的をはずしてくれるので、かえって新鮮です。
戦国時代とナチス台頭前夜のヨーロッパという2つの時代・舞台を行き来する
ので、そのへんが気に入らない方には、面白くないかも。

すくなくとも「アントナン・アルトーって誰?」という方には面食らうかもし
れません。また、牛頭天王説話とか、神話的世界を受け入れられる人であるな
らば、より一層楽しめると思います。

そういえば、みごとなくらいに女ッ気がありません(笑)

『国盗り物語』ですか。うろ覚えですが本能寺の変前後は記憶にあります。
ただ、信長は高橋英樹よりは高橋幸治(太閤記、黄金の日々)のほうがいいか
な・・・。

『葵』には今回、雑賀孫市と真田信之、出てましたね。鳥居元忠、合掌。


(2546)ひらめいたことがあります。  投稿者:竜砕軒不便斎一夢庵主  投稿日:02月27日(日)15時06分07秒

尾張の下野なる人物についてひらめいたことがあります。
福島正則か松平忠吉あたりではないかとのことでしたが、ずばり福島正則ではないでしょうか。
この当時、前田慶次の仕官に最も熱意を注いでいたのが、福島正則だったような気がするからです。
三楽堂殿、どうでしょう!?


(2545)国盗り物語の  投稿者:長尾っぽ  投稿日:02月27日(日)01時24分55秒

大河の総集編を見ました。
政宗以前のものでは初めてだったので、古い大河ってどんなのだろう
と思ったんです。

なんか総集編だけあって話が早かったです。特に道三が死ぬまでが
早すぎますよ。あんまり斎藤道三の始めの頃のこと知らなかったので
本当に分からなかったです。でも、平幹ニ郎さんの道三が一番好きです。
信玄のお父さん演じてたのも大好きでしたし。
どうも私はこの人好きみたいですね。

あと、画像が顔のアップばっかでした。
でも、私にとってはおじさんだと思ってた俳優さんが皆若くてかっこよかった
です。今の若い俳優より容姿がずっと優れててホント魅力的ですね。

>いやー、すごい(笑)。
>信長は文字通り乳房をもってて、・・・

確かにすごそう・・・。これってギャグ本なんですか?三楽堂さん。


(2544)ありがとうございました。  投稿者:竜砕軒不便斎一夢庵主  投稿日:02月26日(土)20時03分35秒

おそらく三楽堂殿の解釈でよろしいのではないでしょうか。自分の中にストンと収まったような気がします。
『扨は』の意味がよくわからなかったので、やっぱり自分の解釈には大きな誤りというか、解釈の方向性が見当違いだったようで・・・。まさか、下ネタだったとは
。
ちなみに中略の部分はなんで景勝以外が己の主として相応しくないかと言うことについて書かれてありました。
「関ヶ原の時奴らは、あ〜も〜、なっちゃいないぜ〜」みたいなことが書いてありました。
本当に今回はありがとうございました。


(2543)穀蔵院どのの頭の中は・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:02月26日(土)15時30分40秒

竜砕軒不便斎一夢庵主さん、どうも。
『可観小説』は「大日本史料」などでよく引用されている逸話集ですね。史料
的な価値はわかりませんが・・・

以下、わたしなりの解釈を書きます。笑わないでくださいね。


まず、「天下に我が主は景勝の外には一人もなし」と慶次が言っているわけで
すから、おそらく上杉景勝に匹敵するような人材はいない、ということです。
【中略】の部分がどうなっているのかわかりませんが、前田慶次は、その日記
を読まれたらわかると思いますが、とにかく非常なダジャレ好きで、おまけに
下品です(笑。自分で笑ってどうする)。

 さむさには下腹おこす野尻哉

これは野尻という土地での慶次の発句です。下痢でもしてたんでしょうか。

以下もこの類ではないでしょうか?
「越前の黄門か、尾張の下野か」の黄門は肛門、尾張と下野も尻や下半身を連
想させる言葉です。前半は結城秀康にひっかけてはいるので、慶次の頭の中で
は真っ先に浮かぶ名なのでしょう。しかし、それとても一位の景勝に比肩はで
きず、シャレのネタにしているだけ。つまり、ほかの連中は「屁」のようなも
の。そして、最後にやっぱり「扨(さて)は景勝より外はなし」と結論づけて
いるのでしょう。

ちなみに関ケ原前後の尾張(清洲)のあるじは、福島正則、松平忠吉です。と
もに下野守は称してはおりません。慶次には下野国に庭林(テイバヤシ)とい
う友達がいるので、最初はこの人かなとも思ったのですが、尾張とは結びつき
ませんしね。

まあ、ちゃんとした人がいるのならば、この推理はボツになってしまうわけですが。


(2542)可観小説より  投稿者:竜砕軒不便斎一夢庵主  投稿日:02月26日(土)13時30分00秒

お待たせいたしました。
以下の文章は可観小説から抜粋したものです。結構長いので、途中は省略させてもらいました。良きご助言をお待ちいたしております。
「天下に我が主は景勝の外には一人もなし。【中略】越前の黄門か、尾張の下野か、扨(さて)は景勝より外はなし」


(2541)信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス  投稿者:三楽堂  投稿日:02月26日(土)11時08分56秒

いやー、すごい(笑)。

信長は文字通り乳房をもってて、信忠たちはどうも彼ひとりでつくったらしい。
信玄は石の卵をコロコロ産んじゃうし、どうなっているんだ。
秀吉は信長いとおしさに草鞋フェチになっちゃうし、
おまけに信長と謙信がチューしちゃうとは(笑)。

長篠の合戦も笑える。ほんとにあんなことされたら、鉄砲があろうが馬防柵があろ
うが突撃しちゃうよ(笑)。

というわけで、わたしは借りて読みましたので、「お金出してでも買え」とは言え
ません(^^;


(2540)藤堂高虎特集  投稿者:三楽堂  投稿日:02月25日(金)20時42分11秒

雑誌「歴史と旅」来月号は藤堂高虎の特集だそうです。信長・秀吉・家康・信玄・
謙信クラスよりマイナーな個人武将特集はめったにやらないので、関心ある方、買
われたほうがいいかもしれません。

最近は戦国時代・新撰組(幕末)を交互に取り上げている歴史読本よりも、歴史と
旅のほうが多彩な特集を組んでいるような気がします。

エート、今は『新編八犬伝綺想』(小谷野敦/著、ちくま学芸文庫)を読んでいま
す。このちくま学芸文庫は価格が高いけど、それなりに面白い本が揃っています。


(2539)失礼いたしました。  投稿者:竜砕軒不便斎一夢庵主  投稿日:02月24日(木)11時38分16秒

不躾な質問をしてしまい、申し訳ありませんでした。
手持ちの情報のことですが、この書き込みはマイ・パソコンを使ってのものではないので、今現在、手元にはありません。
後日、資料名と共に原文を掲載いたします。その上で、良きご助言を賜りたいです。
しかし、資料が現代文ではなかったので、自分の解釈自体、大きな勘違いをしていたらやばいですね。


(2538)ちょうこくじ違い  投稿者:三楽堂  投稿日:02月24日(木)07時24分45秒

>ぉぉ、上田から松代まで足を延ばしたんですね。

その時は松代へは行きませんでした。松代のほうは「長国寺」、真田のほうは「長谷寺」
でしたね。長谷寺には真田幸隆夫妻、および昌幸の墓もあります。


(2537)雪の上田城みたいよぉぉ  投稿者:向井佐平次  投稿日:02月23日(水)23時55分18秒

>>上田に雪は積もるのでしょうか?

>積もった時期に行きました。上田市街よりも、真田のほうが積もってましたが。
>山家神社とか長国寺(字、こうだっけ?)とか。
>去年の3月頃だったと思います。

ぉぉ、上田から松代まで足を延ばしたんですね。
せっかくスタッドレス履いて上田に行ったのにぃぃ〜


(2536)雪の上田城、でした  投稿者:三楽堂  投稿日:02月23日(水)21時40分35秒

>上田に雪は積もるのでしょうか?

積もった時期に行きました。上田市街よりも、真田のほうが積もってましたが。
山家神社とか長国寺(字、こうだっけ?)とか。
去年の3月頃だったと思います。


(2535)里見氏の歴史  投稿者:三楽堂  投稿日:02月23日(水)21時37分25秒

出張の帰りに都内の大型書店によりました。
『戦国関東名将列伝』は出入りの業者に頼んでしまったあとなので、おあずけ。
かわりに『すべてわかる戦国大名里見氏の歴史』(国書刊行会)なる本を買ってし
まいました。内容にくらべて2500円はちと高い気もしたんですが・・・
口絵に史跡のカラー写真が載っていたので、つい・・・

#竜砕軒不便斎一夢庵主さん
いらっしゃいませ。さっそくのご質問(別にこのコーナーは質問コーナーでもなん
でもないんですが)ですが、「わかりません」(笑)
質問する際には、手持ちの情報をさらけ出してくださいませ。
@「尾張の下野」なる人名(?)はどのような文献で知ったのか?
A前田慶次が大剛のもののふと認めた云々、というのは、何に書かれていたのか?
B上杉景勝と結城秀康についてもAに同じく。


(2534)尾張の下野  投稿者:竜砕軒不便斎一夢庵主  投稿日:02月23日(水)19時38分36秒

三楽堂殿、初めて書き込ませていただきます。
こちらの掲示板は度々は意見させていただいており、いつも楽しませていただいております。
この度は『尾張の下野』なる人物の本名を知りたく、書き込ませていただきました。この人物は天下の傾奇者・前田慶次が大剛のもののふとして認めた大将のうちの一人らしいのです。もしも、ご存じでしたら教えていただきたいのです。
ちなみに他に認めていた大将は、上杉景勝と結城秀康のようです。


(2533)今年の大河の短所、他  投稿者:ウルトラマンガイア  投稿日:02月23日(水)13時09分40秒

トラマ様
 レスをいただき有り難うございます。
 仮面ライダークウガについてはもっと語りたいこともあるのですが、
ここの趣旨と反しそうなので機会があったらとしたいと思います。
加賀宰相様
 宇津井健の毛利輝元、悪くないとおもいます。金田竜之介や御木本
伸介よりは合っているような気がします。
みなさまへ
 御木本伸介というと必殺シリーズで、善人を装った悪人役のイメー
ジが強くて、毛利輝元というイメージがわきませんでした。
 今年の大河って、前にも書いたかもしれませんが、他のドラマの役
のイメージが意識の表層に出てきてとてもたのしみにくく感じます。
高橋恵子は信長の母、内藤武敏は明智光秀、香川照之は小早川秀秋、
などと見ているうちに錯覚してしまうこと、みなさんありませんか?


(2532)過去ログ血風録  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:02月23日(水)06時01分07秒

>書庫番殿
まいどありがとうございます。
久しぶりに、過去ログマニアの血が騒ぎました。


(2531)冬の上田  投稿者:向井佐平次  投稿日:02月23日(水)00時05分26秒

お久しぶりです。

先週末野沢温泉にスキーに行き、その帰りに友人を巻き込んで
上田に寄ってきました。

野沢地方は21日の午前中いっぱい雪が降っていたので
雪の上田城が見たぁぁ〜いと思い車を走らせたのでした。

しかし、上信越自動車道も松代PAあたりですっかり晴れ渡り、
上田も快晴。
残念ながら雪の上田城はまたもやお預けとなってしまいました。

上田に雪は積もるのでしょうか?
って道の脇に雪かきした跡が所々残っていましたが・・・

でも、風が強くてとっても寒かった。
普段もこんなに寒いのでしょうか。
刀屋で初めて暖かいそばを食べてみようかなぁと思いましたが、
結局もりの大とかも煮を注文。
(^^;)

満腹して帰路につきました。


(2530)しょこばん、さまさまッ  投稿者:三楽堂  投稿日:02月22日(火)19時41分33秒

ありがとうございましたー。

1996年からはじまりましたから、年間500件くらいのペースかな。
スペースは借りるわ、過去ログ管理もひとまかせ、ひとりで反省しきりです(^^;

岩波文庫から『太閤記』(上・下)が出ました。限定復刻ですので、お持ちでない
方はお買いのがしなきよう・・・


(2529)過去ログのお知らせ  投稿者:書庫番より  投稿日:02月22日(火)15時26分25秒

大変長らくお待たせいたしました(汗)
今回は、2200件、11月はじめくらいの分までです。

http://www.people.or.jp/~yakome/oda/oda.htm

ではでは。


(2528)雑賀衆  投稿者:若水  投稿日:02月22日(火)12時19分05秒

そういえば知り合いに、雑賀衆の子孫だ、という人がいます。
その人の話によると、
 いったん常陸国に行って名字を変えて、二派に分かれて一方は居残り、
一方は宮城県の方に移っていった、
とのことです。
彼ってもしかして重朝の親戚かなんかなんでしょうかねぇ?

あれ? 孫市とは関係ない話でしたね。でも、雑賀衆ということで・・・


(2527)『尻啖え孫市』  投稿者:三楽堂  投稿日:02月22日(火)07時23分54秒

たしか、粉河寺に入ったのは、主人公孫市でしたね。『戦国人名事典』では、鈴木
佐大夫の項目に「粉河寺に入って、藤堂高虎に欺かれて死んだ」というような記述
があるので、やはり、佐大夫のことではないか、と。

鈴木佐大夫と鈴木重秀、同一人物ということは考えられないかな?

文禄の役、伏見城の戦いに参加し、水戸徳川家に仕えた鈴木重朝は明らかに前二者
とは別人だと思われますが・・・


(2526)武田家臣団に「昌」の字が多いのは?  投稿者:三楽堂  投稿日:02月22日(火)00時02分31秒

たとえば、川中島で討死したといわれる諸角豊後守昌清は、武田信玄のお爺さ
んである武田信昌の子(嫡男ではありません)ですから、諸角を称したときに
父親の名からとったのではないでしょうか。また、武田信昌の偏諱を受けた者
としては原昌俊、日向昌時など。「信」を上につけているのは一族衆のみで、
板垣信方など。

問題は、内藤昌豊、高坂昌信、山県昌景あたりですね(^^;
うーむ、困った。

※ここからは想像です。根拠はありません。
上にあげた者たちは晴信(信玄)が取り立てた人々です(註1)。晴信にして
みれば、追放した父親の「虎」の字は「なんだかおやじに忠誠を尽くしている
ようで気分わるい」から、与えたくない。そこで、もう一代前の「信昌」の昌
をもってきたのではないでしょうか。あるいは、晴信に遠慮して「虎」から
「昌」に変えたのでは(笑)?

えっ。それならなぜ「晴」の字をあげないのかって?
そりゃ、できません。「晴」は将軍足利義晴からいただいたもの。家臣づれに
あげることなど恐れ多いではないですか(^-^)

高坂昌信は春日虎綱ともいってますから、信虎―晴信の政権過渡期だったのか
な(笑)。飯富虎昌、原虎胤は信虎の偏諱でしょうね。


(註1)信玄没後、勝頼に面会した武田信虎は、信玄が内藤昌豊など軽輩の者
を取り立てたので、怒っています。


(2525)雑賀孫一の謎  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:02月21日(月)23時24分13秒

>三楽堂さん
>司馬遼太郎の『尻啖え孫市』は明らかに鈴木佐大夫のことを雑賀孫市としてい
>ますね。

えっ。「尻啖え孫市」には「名は重秀」という表現があったような記憶があります。
何ページか、調べておきます。
記憶も定かではないのですが。。。

で、重朝の記述に関しては、伏見城合戦に参加し、江戸時代になって水戸徳川家に
仕えたのは重朝、石山本願寺にこもった、通称「雑賀孫一」が重秀と
記憶しておりますが、再調査してみることにします。

雑賀衆が大河ドラマにでもなれば、調査する人が増えて、
もっと詳細が分かるのですが。。。残念




(2524)2つの?  投稿者:前髪の惣三郎  投稿日:02月21日(月)23時11分08秒

三楽堂殿は、新潟県にゆかりある方なんですか。
テーマが、能登畠山家出身で謎多き畠山義春とは。
シブ過ぎです。

ところで、困ったときの三楽堂殿頼みで、お願いします。
武田信玄の家臣で「昌」の字がつく者が多いのは、誰の名から由来しているのでしょう。
普通、家臣は主君の一字を拝して名乗るもんだと思うのですが。
信虎の初名だと仮定しては、信玄の部下に昌の字が多いのはおかしいし。
かといって、信玄が昌の字を名乗ったことは聞いたことないし。
以前から疑問に思っているのです。


(2523)がっくし  投稿者:三楽堂  投稿日:02月21日(月)22時11分57秒

「歴史研究」最新号に拙論が載ります。とはいっても、同誌は会員制なので、一般
の書店には並ばないらしいです。図書館などで見かけたときは、一読いただければ
と思います。テーマは上条政繁です。「新潟県史」「越佐史料」を批判するという
身のほど知らず、でございます。

でも、誤植が多くてガックシ。昔から、誤字脱字が多いんだよな、新○物・・・


(2522)ありがとうございます  投稿者:三楽堂  投稿日:02月21日(月)22時07分27秒

血槍九郎のお孫さん。情報ありがとうございます。

あれ、血槍九郎のはなし、してたのいつだっけ(^^;?


(2521)血槍九郎の槍は?  投稿者:血槍九郎の孫  投稿日:02月21日(月)15時29分57秒

血槍九郎の槍はたぶん愛知県岡崎市の岡崎城にありませんでしたか?
私は血槍九郎の分家ですが、おじいさんのことは少しは知っています。
何かあったら、ご質問下さい。


(2520)雑賀孫市(孫一)  投稿者:三楽堂  投稿日:02月21日(月)07時17分14秒

これは難しいですね。10人に聞くと、10人とも違う意見を持っていそうで
すね。

織田信長の頃、石山本願寺で戦った雑賀孫市は鈴木持久とも言われて、当時の
記録にも登場します。戦死説が流れたが、実はニセ首だったというエピソード
もあります。これが重秀か重朝?

それから10年後、文禄の役に出陣したのが鈴木孫三郎重朝?
それからさらに10年近くたって、伏見城の合戦で鳥居元忠を討ち、戦後、伊
達家、水戸徳川家に仕官したのも重朝。

そう考えると、石山本願寺に籠ったのは、重朝ではないような気がします。た
ぶん佐大夫のことではないかな?
司馬遼太郎の『尻啖え孫市』は明らかに鈴木佐大夫のことを雑賀孫市としてい
ますね。

雑賀衆の研究している学者って、少なそうだもんなあ。『和歌山県史』とかは
何か書かれているんでしょうかね?


(2519)再放送を望む  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:02月21日(月)03時49分37秒

昔のTBS版『関が原』の家康=森繁久弥(字が出ないのでママ)・元忠=芦田伸介は
泣かせましたね。森繁さんの「彦よ、彦……(T_T)」というのが、芦田さん亡き今となっては、
とても心に響きます。


(2518)雑賀孫市の謎  投稿者:LEONE  投稿日:02月21日(月)02時54分17秒

雑賀「孫市」と「孫一」は別とか、重秀と重朝の相続関係も諸説いろいろあって
私はいまだに混同して把握できませんが(^^;)、伏見城で鳥居元忠の首を取ったのは
重朝のようです。

ちなみに私はTVでも小説でも、家康公と元忠の別れの盃のシーンを見ると
つい涙ぐんでしまいます。
このシーンで涙ぐむのは佐幕家の私ぐらいなんだろうなぁ・・・


(2517)それって重秀?  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:02月21日(月)00時01分15秒

>三楽堂さん
>雑賀孫市(鈴木重朝)は登場するのか?

雑賀孫一って「重秀」じゃあ。。。。?
重朝は兄者であったような気がします。
といっても雑賀衆(鈴木家)自体謎だらけなので、何が正しいかなんて
わかりませんが。。。


(2516)歴代ガラシア  投稿者:三楽堂  投稿日:02月20日(日)22時57分02秒

昔、ガラシアの本に書かせてもらったものだから、どうもいまだに気になります。

「葵」では鈴木京香でした。家臣の河北石見が隻眼でなかったのは、まあ許すとし
て。これまでに大河でガラシアを演じた女優は・・・
島田陽子(黄金の日々)
今村恵子(信長)
田村英里子(秀吉)
ほかにもいるかもしれませんね。記憶にございませんが・・・

伊達は出たことは出たが、庶長子秀宗(笑)。
鳥居元忠は前回から登場していましたが、あの笹野高史。そう、「毛利元就」で福
原広俊を演じたあのじいさんです。雑賀孫市(鈴木重朝)は登場するのか?

家康の出自を論じた『史疑徳川家康事蹟』を別の視点から読み解いた『史疑―幻の
家康論』が出ています。家康の出自は、ある明治元勲を逆照射したものだとか。


(2515)あんまり気にせずに  投稿者:三楽堂  投稿日:02月20日(日)12時55分21秒

>それと三楽様。昨日すぐに返答せずに済みませんでした。これからはすぐに出したいと思います^^

毎日チェックしている方ばかりではないから、ちょっとの遅れなどは気になさらな
いでください。
質問も戦国時代に関することならば、お気軽に。他の方々もわからないような難しい
ものは・・・みんなで頭を悩ますことになりそうですが。

ところでお大の方は1602年に伏見城内で亡くなっているんですね。江戸城にい
たってことは、これから上洛するわけですか。ごくろうさまです(笑)。


(2514)すみませんでした  投稿者:お虎  投稿日:02月20日(日)12時02分25秒

LEONE様・三楽様。わたしのおろかな質問に丁寧にもお答えしていただいて有難うございました。
なるほど、あの方ら(松平姓の人たち)は、異父弟でしたか。子供は産んでたんですね。

それと三楽様。昨日すぐに返答せずに済みませんでした。これからはすぐに出したいと思います^^


(2513)お虎さん、乱破さん、いらっしゃいませ  投稿者:三楽堂  投稿日:02月20日(日)09時49分27秒

戦国群像&小田原評定にようこそ。

>お虎さん
お大の方と再婚先での子供たちについては、すでにLEONEさんが解説していた
だいております。なお、女の子は4人くらい産んでいるみたいです。あのまま広忠
のもとにいたら、家康の弟たちがゴロゴロ出現したかもしれませんね。
(質問されて不快とは感じませんが、回答があった場合はその答えでよいかどうか
も返信してあげてくださいね。よく聞きっぱなしでそれっきり、という方が多いの
でよろしくお願いいたします)

>乱破さん
はじめまして、ですよね?どうでもいいことですが、わたしと同じネットの方なの
で・・・つい最近まで同ネットで歴史会議室を主催しておりました。
真田昌幸・信幸・幸村が東西どちらにつくか評議する「天明(犬伏)の宿」での場
面は原作本には出てくるようです。どうなるんでしょうね。


(2512)大河ドラマ  投稿者:乱破  投稿日:02月20日(日)06時33分11秒

今年の大河ドラマの評価は、どうですか? 関ヶ原の合戦で、真田が扱われなかったのが残念でなりません。徳川本体の遅延は、小早川秀秋同様、合戦に多大な影響を与えたと思うし、それ以上に合戦以後の、大阪の陣、秀忠の権力闘争、本多一族と他の重臣との確執に影響を与えたと思うのです。幸村の活躍は素通りするのかな?ざんねん。


(2511)家康公の異父兄弟  投稿者:LEONE  投稿日:02月19日(土)01時08分33秒

>お虎様

手元に確かな資料がすぐ出ないのでおおまかなことだけ書きますが、
家康公の生母於大の方は、広忠公と離縁のあと、織田方に属す久松俊勝という地方領主ところに嫁ぎました。

この久松家で何人か子供をもうけていて、のちに家康公から松平性をもらい
親藩として何家かが明治維新まで残っています。
手元ですぐ出せる資料では康元、勝俊、定勝の男子3人がいます。
姫様もいるかもしれません。
たしか伊予松山藩や伊勢桑名藩の松平家などは久松松平家だったと思います。

ちなみに生母於大の方は久松松平家の方で余生を送っていたと記憶してまが、いい加減なこと書いてるかもしれません。


(2510)ごく簡単な質問なのですが・・・  投稿者:お虎  投稿日:02月18日(金)17時25分47秒

いきなり単純な質問なのですが、この前大河を見ていたら、家康の生母が出てきました、
それは全然おかしくないんですが、家康が人質だったころ広忠は殺され、 
その後生母は再婚したらしいんですが、そこで家康の異父弟や、異父妹はもうけなかったんでしょうか?
それにあのころ江戸城にいたということは、その再婚相手はどうなったんでしょうか?

ここで聞くことではないかもしれないので、不快に思えば消してもらってもけっこうです。
もしわかればおしえてください。お願いします。


(2509)4月も楽しみ、戦国本  投稿者:三楽堂  投稿日:02月17日(木)20時28分00秒

『武田信玄大事典』がそろそろ、新人物から刊行されるようです。『謙信』を持って
いる手前、これは揃えておかなければ。
そして、『大谷刑部のすべて』4月に出ます!

さあ、今から倹約だ!


(2508)六本指の秀吉  投稿者:三楽堂  投稿日:02月17日(木)20時26分16秒

>それはそうと、秀吉の手の話は、初めて知りました。

六本あったと書いているのは、ルイス・フロイス。これだけならば「日本人への、
とくにキリシタンを弾圧した秀吉への偏見」ととられてしまうかもしれませんが、
さらにあの、前田利家の言行を家臣が聞書として残しております。


(2507)『戦国関東名将列伝』に登場するひとたち  投稿者:三楽堂  投稿日:02月17日(木)20時22分18秒

      神奈川県(相模国)編 

      沈黙の威丈夫 大森信濃守氏頼 
      名門油壺に散る 三浦陸奥守義同
      北条氏最強の 
        戦闘団`地黄八幡a 北条左衛門大夫綱成
      偉大なる御曹司 北条相模守氏康


      東京都(武蔵国)編 

      文武の達人 太田備中守資長
      秩父平氏の異端児 板橋将監親棟
      北条軍団の副将軍 北条陸奥守氏照


      埼玉県(武蔵国)編 

      反骨の勇将 太田美濃守資正
      妻娘に恵まれた良将 成田下総守氏長
      世渡り大名 藤田能登守信吉


      千葉県(下総・上総・安房国)編 

      仇討ち大名 里見刑部少輔義尭
      終幕の光芒 土岐弾正少弼為頼・右京大夫頼春
      義烈の剛将 正木大膳亮憲時
      流転の足軽大将 原美濃守虎胤


      茨城県(常陸国)編 

      剣豪城主 塚原新右衛門高幹
      驍名を`坂東太郎a 佐竹常陸介義重
      常勝将軍 水谷兵部少輔正村
      自家存続 結城左衛門督晴朝


      栃木県(下野国)編 

      奇蹟の武人 宇都宮右馬頭成綱
      仁義なき城主 壬生中務少輔綱房
      動乱の行革大名 佐野修理亮宗綱
      北辺の梟雄 大関美作守高増


      群馬県(上野国)編 

      信義の旗頭 長野左衛門大夫業正
      赤備えの首領 小幡尾張守憲重
      城盗り物語 海野能登守輝幸
      二人成繁 由良刑部大輔成繁


      資正が出ているだけで、わたしは買います。

※あ、ちなみに千田さんの『織豊期城郭・・・』もいいです。6400円ですけど。
わたしはどちらかというと、織豊以前の山城や中世後期が好きでして・・・


(2506)ありがとうございます  投稿者:トラマ  投稿日:02月17日(木)12時26分58秒

さわらさん、三楽堂さん情報ありがとうございます。
紀○国屋かフ○バ書店にさっそく問い合わせて見ます


(2506)さわらさん、情報ありがとうございます  投稿者:三楽堂  投稿日:02月17日(木)07時45分05秒

>『戦国関東名将列伝』随想舎という栃木の出版社です。

これ、2000円ですからね。安いほうですね。
わたしも出入りの業者に注文することにします。
トラマさん、書店からの発注だったら、送料はかかりませんよ。


(2505)日本史の闇か?  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:02月17日(木)06時51分02秒

往年の宇津井健さんを知っているものとしては、
三成ばりに熱く語ってくれなくては、ちとさびしい気もします。
しかし、熱(苦し)い人が多いから、押さえた方がいいのかもしれませんねェ。

それはそうと、秀吉の手の話は、初めて知りました。
為政者の本質とは関係ないので、あまり語られないのでしょう。
といいつつ、家康の出生話なども考えると、実は複雑な話があるのかもしれませんね。


(2504)入手方法について  投稿者:さわら  投稿日:02月17日(木)00時02分27秒

 『織豊系城郭の形成』は人文書の充実しているか、大型書店なら大抵は
入れるはずです。近くに大きな本屋がないという場合は、注文か置いている
本屋から送らせるのが確実でしょう。でも発送は送料がかかります。
 お近くに大書店の支店があるようでしたら、本店からまわしてもらう
というのも手です。当然送料・手数料は無料です。

 『戦国関東名将列伝』随想舎という栃木の出版社です。
これは郷土史や地方出版物に力を入れている所じゃないと難しいでしょう。
注文も「地方・小」という取次ぎを入れていないと無理かも。
でも大きい書店は絶対いれているから大丈夫。
 
 あとは地方小のお店「地方書肆アクセス」、神保町にあります。
ホームページも持ってるはず。ただ、どーしても実物を見てから決めたい
という人は大変ですねえ。 本屋の解説文になってしまいましたね、長々と。 

 


(2503)よかったよかった  投稿者:三楽堂  投稿日:02月16日(水)19時06分22秒

加賀宰相さん、『毛利輝元卿伝』入手のメドがたちましたか。
もし、購入するつもりであれば、はやめに発行先へ連絡して在庫確認および予約を
しておいたほうがいいかもしれませんよ。分割払いに応じたり、「不用だったら返
却してください」などと、結構鷹揚なところもある出版社ですので。

120万石の涙のエピソードは・・・真偽わかりかねますね。司馬氏の創作っぽい
気もしますが、わかりません。ご存じの方、いらっしゃったらお願いします。

輝元ですが、大坂の陣では家臣を説得して脱藩させ、秀頼に味方させています。こ
れは事実のようです。


(2502)やっと・・・  投稿者:加賀宰相  投稿日:02月16日(水)14時28分15秒

ただ今、学校のパソコンからインターネットしてます。試験中
なのに何やってるのか・・・。(苦笑)
ところで、この前の「葵」の次回予告見て、喜びのあまり涙を
流してしまいました(笑)。ついに毛利輝元公のご出馬ですね。
僕としては、宇津井健の輝元は非常にハマリ役だとおもうので、
後はいかに、人のよい3代目を演じてくれるのか、楽しみです。
ところで、司馬遼太郎の『関ヶ原』に書かれていた、秀頼公に
謁見した輝元が秀頼から「頼りにしている」と言われて思わず
涙をこぼしてしまい、皆から120万石の涙だといわれたエピ
ソードって実際に当時に書物に書かれていることなんでしょうか?
僕としては、この場面がとてもお気に入りなので、実際の事で
あって欲しいです。
>三楽堂様
 遅ればせながら、ようやく『毛利輝元卿伝』購入の算段がついてき
ました。ありがとうございました。



(2501)さわらさんへ・・・  投稿者:トラマ  投稿日:02月16日(水)13時01分48秒

『織豊系城郭の形成』、『戦国関東名将列伝』
どちらも欲しいですー。どうすればいいんでしょうか?


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