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秀吉がタネなしだったわけでもなく、ましてや淀どのがほかの男との間に二度までも 男子をつくったというの話としては面白いけど、史実としては成り立たない。立証さ せるのは難しいですけどね。 なぜ秀吉に子がなかったか、というと「青年期は渡り奉公、壮年期は信長にこきつ かわれ、あちこちとびまわっていたから」(笑) だって、柴田勝家だって養子だらけで、年少の子供ひとりが実子かな、といわれて いる程度だし、子を産ませている他の織田部将もそんなに「子だくさん」なのはい ない。勝家は晩年にはいってから産ませた子だから、ある意味で秀吉と同じだ。 ※そういえば、秀吉の片方の手の指が6本あったなんてこと、あまり言われません ね。信じられていないのか、それとも自主規制しているのか・・・
真田幸村は、関が原の合戦で、昌幸、信幸ともども豊臣家の正嫡・秀正率いる 東軍に味方をし、西軍の大将・秀頼を大坂城に滅ぼしたであろう。 そしてその功により、名古屋幕府が出来た後、彦根藩主となり、将軍秀正の 軍師となったであろう。 さらに、江戸夏の陣では、赤備えで獅子奮迅、宿敵・家康を倒したであろう。 ついでに、時代は飛んで、現代の共通語は名古屋弁となっていたであろう……。 元ネタ:清水義範『金鯱の夢』 ちなみに、本能寺の変の原因は、光秀は名古屋(尾張)弁が嫌いだったからだそうです。(^o^)
遅くなりました、返事が。それと今日学校に遅刻した。 三楽堂さん、そうでした、「三」でした。すいません。 人物叢書に順慶が出るらしいことは、随分前に読んだことがあり ました。でも古い本だったので、もう中止になったかと思ってまし た。でもよかったー、いつか出ることが分かったから安心しました。 ありがとうございます。 秋山如雪さん。モスクワの治安、うーん、なんともいえませんねぇ。 僕は生まれ育ちにモスクワなので、慣れちゃったとでもいうのでしょ うか。あまり気になりません。でも、・・やっぱり気になる。でもいい所 ですよ。
>三楽堂さん ありがとうございました。 しかし、蒲生氏郷がそれほどやたらと蒲生姓を与えていたとは驚きました。。。 石田佐吉も、もうちょっと統率が取れていれば、 今ごろ日本の首都は京都だったのに と悔やむ大阪人のたわごとでした。。。 でも、そうなったら幸村は世に出てこないなあ。。。
『織豊系城郭の形成』東京大学出版会 自信作だそうです。 『岡山戦国合戦史』吉備人出版 一冊しか入ってこなかったので、 速効、追加注文だしたら、一言「大丈夫?本当に売れるの?』と云われて しまった。岡山はダメなんですかねえ。うちでは宇喜多ものは売れるから 大丈夫だとおもったのに。実は宇喜多の本じゃなかったりして。 岡山は売れないのかな…どう思います? 『戦国関東名将列伝』はバカ売れなのに。
関ヶ原の戦いって凄いですね〜。改めて思いました(大河ドラマ)を見て。歴史の分かれ目ですしね。伊達政宗が東軍、島津義弘が西軍で複雑・・・・・・。 何考えてるんだ〜と言いたいですよ・・・・・島津に。島津家について何かと少ない。資料が足りな〜い。困った困った、詳しいものってないですかね? でも最後に島津強しを見せつけるとは流石!!! 足利幕府の頃からの大名でこれほど有名になったのって島津と伊達ぐらいかな・・・・。 島津は大どんでん返しがあるし・・・・・・恐るべし・・・。
>しかし、蒲生氏郷が関ケ原まで生きていたら・・・と想像すると楽しいですが 家康の会津攻めが関ヶ原の導火線になったので氏郷が・・・といいたいとこ なのですが、その前の段階の加賀攻めの時に関ヶ原クラスの大合戦になった 可能性があります 根拠は?と聞かれるといささか自信がないのですが・・・ ただ関東以北は蒲生家を中心に上杉、佐竹の3家で反徳川になると思うのですが いかがでしょうか
さいしょの名は横山喜内。蒲生一族ではなさそうです。 氏郷は気に入った家臣に蒲生姓を気前よく与えていました。ちょっと指折っただけ でも蒲生四郎兵衛、蒲生源左衛門、蒲生忠右衛門、蒲生主計、蒲生将監、蒲生左門、 といっぱいいます。蒲生家譜代は少なく、みんな氏郷の武勇にほれて仕官してきた みたいです。そのため、多くは蒲生氏郷が亡くなったあと、他家へ移ってしまいま した。 有楽斎との場面は、司馬遼太郎『関ケ原』にもあったと思いますが、たぶん氏郷と 有楽斎がともに千利休に茶を学んでいた関係で知ってたのかな? 三成の家中も寄せ集めで、島左近(筒井家→)、舞兵庫(前野家→)とあちこちか らスカウトしています。もっとも多いのは蒲生氏郷の旧臣たちで、この事実からし ても「石田三成が蒲生氏郷を毒殺した」なんてのはあり得ないことだと思います。 しかし、蒲生氏郷が関ケ原まで生きていたら・・・と想像すると楽しいですが、そ の遺臣たちのほとんどは西軍についているんですねー。
今まで三成の重臣が島左近だけかとおもっていた「たわけ者」です。 で、蒲生郷舎って、蒲生一族の人間ですか? それとも、「葵」第一回目の放送時に織田有楽が蒲生郷舎に 「おお、おぬしは上山喜内ではないか、命は取らぬゆえ、ついてまいれ。」 と言っていたのが気にかかります。。。 蒲生郷舎って、何者なんでしょうか????
そう、人物叢書に「武田信玄」はだいぶ昔から入っているのに、謙信がないのが気に なっていたんですが。 執筆予定者の山田邦明氏は東大史料編纂所勤務です。すでに謙信関連の論文や「新潟 県史」の執筆にも携わっています。近頃、停滞気味(停滞させているのは誰とはあえ て言わないが)の上杉研究を前進させてくれることと期待しております。
大河ドラマの大谷吉継。かっこいいんですけど、どうして馬に乗ってるの? と 私も思いました。小説なんかではよく、輿に乗って戦場に行ったと書いてあります よね。 「おぬしは阿呆じゃが、わしはもっと阿呆じゃ」 というセリフがなんか受けました。 人物叢書の上杉謙信、やっぱりまだ出ていなかったんですね。卒論のときに 参考にしようと探してもありませんでしたので、気になっていました。 >石之介さん はじめまして。私もモスクワほどではないですが、寒い地方に住んでいる住人 です。今年は北海道も暖冬ですが、とてもそうは思えないほど寒いです。 私は常々海外に移住したいと思っているのですが、なかなかそれが果たせず (語学力とか財力とかの問題)海外に住む日本人が羨ましいです。 そのくせ、ろくに英語もしゃべれないのに、しょっちゅう海外旅行に行って います。 モスクワは治安が悪いって聞きましたが、大丈夫なのでしょうか? 以前、 ヨーロッパに行ったときに行こうと思ったのですが、時間がなくてフィンランド までしか行けませんでした。 いつか行ってみたいです。ロシアも。でも、ロシア語って難しくて全然わから ないので、心配。
じつは、吉川弘文館から出されている例の「人物叢書」シリーズ。 あの1冊に順慶がラインナップされているんですねー。 執筆予定者は永島福太郎。しかし、まだ未刊。すでに目録にも続刊書目 として掲載されております。ただし、このシリーズ、刊行ペースがやけ に遅くて月に1〜2冊程度。ちなみにこの目録はH9年度の東京ブック フェアでもらったものですから、すでに3年経過。 未刊分はざっと120。遅くとも60ヶ月後ぐらいには出ているかと(笑) あと、5年だな。待ち遠しいなあ(笑)。 他の戦国時代の人物で刊行予定されているものもご紹介しておきましょう。 ()内は執筆予定者 ●北条早雲(佐脇栄智) ●足利義輝(瀬戸薫) ●毛利元就(木村忠夫) ●上杉謙信(山田邦明) ●筒井順慶(永島福太郎) ●狩野正信・元信・永徳(辻惟雄) ●証如・顕如(木越祐馨) ●豊臣秀吉(朝尾直弘) ●伊奈忠次(村上直) ●茶屋四郎次郎(中田易直) ●細川幽斎(染谷光広) ●加藤清正(森山恒雄) ●近衛前久(橋本政宣) ●大久保長安(村上直) ●片桐且元(曽根勇二) ●徳川家康(尾藤正英) ●支倉六右衛門(五野井隆史) ●日奥(藤井学) ●立花宗茂(中野等) ●細川忠興(加藤秀幸) ●千宗旦(筒井紘一) とくに早雲・順慶・謙信・立花宗茂には期待してます。いつ出ることやら・・・ ※あのー、石之介さん。わたしは「山楽堂」ではなく「三楽堂」です(^^;
長尾っぽさん。ありがとうございます。探してみます。今年の夏。 一時帰国(になるのかな ?)するので。あれ、メモ帳はどこいった ? 山楽堂さん、そういえばそうですね。やはり三好あたりから「長」 をもらったのかな? 他に「長政」という名をさがしてみたいと思います。あったら報告し ます。 かんけーない話。モスクワは暖冬です。ちょっと雪祭りは期待でき ません。(涙)残念。皆さん、一度モスクワに寄ってみてはいかがで すか? ( 私は旅行社とは何の契約もいたしておりません 笑 ) すいません。かんけーない話がながくなった。
すみませんでした。内容紹介ばかりで、肝心の本自体の紹介が なかったですね・・・。 「上杉謙信異聞ー謀略川中島ー」鈴木五郎作 新人物往来社 S44年 でも、この本すごい古くてなかなか見つけられないと思います。 ちなみに、長尾は新潟県立図書館の書庫から出してもらいました。 出版社にまだ問い合わせてはいませんが、おそらく絶版してるでしょう。 景勝好きとして個人的には欲しい本なのですが・・・。 これ読んで史実と思ってはいけませんが、景勝がこんな風にして成長 したんだな〜と一種の参考にする分には構わない内容ですね。
> 木沢長政の場合は畠山政国の「政」じゃないかな?同じ畠山家臣 やはり、これはないと思います。主人の上の字をもらって下にくっつけるなんて・・・ 「長」を誰かから貰ったと考えたほうがいいかもしれませんね。
牧野久仲さん、宇多源氏を調べるのなら、『寛政重修諸家譜』にあたってみましたか? 第7巻が「宇多源氏」の巻です。一家ずつつぶしていけば、戦国大名家を祖としてい るかどうかチェックできると思います。 この本は、大きな図書館であれば、おいてあるはずです。
『葵』で大谷吉継が石田三成に加勢するべく、佐和山城へ戻ってきた。 とってもいいシーンのはずなんだけど、吉継が馬上から「わしは腹をくくったぞ、 ワハハハハ」というのが何とも気になる。 馬・・・乗れたっけ?
しまったー、クウガを寝過ごしたせいで見れなかった ビデオもセットしてない(号泣) あ、長尾っぽさん、私も興味ありますです!ぜひご教示を!
宇多源氏の戦国武将は、 尼子・佐々・六角・黒田・三木・京極・鍋島(?)・佐世、のほかに、 いるのでしょうか。 ご存知の方は教えてください。
長尾っぽさん、その景勝の本が読みたくなってきました。景勝もの はまだ一冊も読んだことがないし。よかったらその本がどこから発 されたものなのか、おしえて下さい。すいません、掲示板でお願い します。E-MAILが今使えないので・・・★☆ どなたか筒井順慶の小説をご存じないですか。僕が読んだのは風 野真知雄( でしたっけ )の「筒井順慶」と筒井康隆の「筒井順慶」。他 にご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報下さい。お願いしま す。
木沢長政の場合は畠山政国の「政」じゃないかな?同じ畠山家臣 の安見直政も「政」で年代も近い。ちなみに、ある戦国関係の人名 辞典を見たら、「安見美作守直政」(やすみなおまさ)の他に、「安見 美作守直政」(あみなおまさ)というのがありました。経歴も同じ。編集 の手違いかな。 かんけーない話。木沢長政調べてたら隣のページに「岸信周」があ った。一瞬岸信介元首相かと思っちゃった。・・・・最も安保の岸さん なわけある筈ないけど、どうもね・・・・
上杉景勝の本を見つけました。ホントに1年ぶりどころじゃあない! 名作といえる話ではないですが、展開がテンポ良くて私的には おもしろく読めました。 何より興味深いのはこの話は10歳〜御館の乱までを描いていること。 史料からは見出すことのできない、景勝の少年時代を見ることができます。 今まで読んだいろいろな書物の辺辺で出てきた彼の少年期とはまた違う話 でした。この話では景勝は生まれてからずうっと人質として春日山にいた 設定になってますし、謙信に対しても怖がるでもなく、尊敬するでもなく、 かなり冷めた関係でしたし。いや、人物全体が冷めてる感じでしたが。 最後に笑いそうになったところは、謙信の年齢詐称説。ちゃんとこの話では 理由があるんですけど、初めてだ、こんな説。 そして最大の疑問は本の題名。「上杉謙信異聞」ってのはともかく、 ちっとも出てこないのに、なぜサブタイトルが「謀略川中島」なんだろう。 なんで、川中島?! わけわかんね〜。
戦国武人の中で「長政」という名がなぜ多いのか、わたしも前から気に なってました。 ●黒田長政・浅井長政・浅野長政の場合 これは明らかに織田信長の「長」をいただいたものでしょう。つまり、 偏諱ですね。主人の下の字を上にくっつけています。浅井長政は信長と 同盟(つまりお市と結婚)する前までは賢政と名乗っていました。「賢」 は南近江の守護大名六角義賢の偏諱ですね。 黒田長政は人質として信長のもとに送られ、おそらくそこで偏諱を受け たのであろうかと考えます。 「長」という字だけにかぎっていえば、丹羽長秀・森長可もそうかもし れません。 ただ、浅野長政の場合は「長」を通字としている家なので、一概に信長 の偏諱とはいえないかもわかりません。 ●木沢長政の場合 うーん。「長」はやはり三好一族からの偏諱でしょうか?三好政長・範 長(長慶)。それとも河内守護畠山政国の「政」をもらったのかな。 ここからは、まったくの推測です。根拠はございません。 @政の流行 足利義政が将軍職についた。 ↓ 各地の守護大名に「政」の偏諱を連発した。 ↓ 守護大名が守護代や一族、有力家臣に「政」を配った。 A長の流行 武運長久からとった。そういえば、謙信も家臣に「長」の一字書出しを 与えていますね。まさか長尾一族の「長」ではあるまいし、いったいど こからもってきたんでしょう?
実はあと数日で卒業旅行と称してタイに行きます。このくそ寒い北海道を離れて 早く南国へ行きたいという気持ちでいっぱいです。 そこで、タイといえば、日本人に馴染みのある山田長政がいますよね。今回は 時間もあるし、バンコクの北に位置するアユタヤに行って、日本人町を見てきたい と思っています。まあ、日本人町と言っても、今は跡地が残っていて、そこに 日本の研究者が建てた博物館があるだけらしいですが。 私は近世の歴史の人物ではこの山田長政が好きです。この時代にもうすでに世界 に飛び出してグローバルに活躍していたわけですから、本当にすごいというか 羨ましいというか、そんな風に感じます。 タイから帰ってきたら、本格的に山田長政の本を読んでみたいです。そこで、 山田長政関係の本を、小説でも資料でもよいので、何かご存知の方は是非教えて 下さい。 それにしても戦国から安土桃山時代にかけての武将で「長政」って名前の人、 結構多いですよね。私が知っているだけでも山田、浅井、浅野、木沢、黒田と これだけいますし。当時の流行の名前ってことではないですよね?
三楽堂さん、情報ありがとうございます。 早速今日見てきました。雪像なので、実際の城よりもかなり小ぶりなものです が、外見はよく復元されていたと思います。もちろん中には入れませんが。 長々と説明書きがされていたので、見てみるとなんでも愛知産業大学だかの 内藤なんとかという教授が安土城の調査をやっているそうなので、そのアドバイス をもとにして、忠実に復元したそうです。 安土城の史料は非常に少ないようですが、かのルイス・フロイスも誉めている ように壮大な天守閣を持った城だそうですね。雪祭りではその天守閣だけが復元 されています。 雪祭りは確か13日くらいまでやっているので、札幌に来られない方は是非 テレビでご覧になってください。 もう大分前のことだとは思うのですが、以前に同じ雪祭りで松本城の雪像を作っ ていました。あれはなかなか見ごたえがあった。
朝日新聞11日付け朝刊に、城跡から御所級の御殿の跡が発見された、という記事が ありました。なんでも天皇クラスでないと使えない別格の大きさだとかで、これは 内裏でいうと日常、天皇が起居する清涼殿に相当するものだそうです。 太田牛一の『信長公記』にある「御幸の間」というのが、これにあたるのではない か、と。 うーむ、また安土へ行ってみたくなった。行くたびに新しい遺跡が見られますから ね。テーマパークよりずっといい観光資源ですよ。
まだ一度も見たことないです。なぜか、冬に札幌へ行くと、飛行機が羽田から飛ばなかったり、 飛んでも下りられなかったり、と災難に見舞われます。 どうしてだろう? 雪像・安土城ですか。だんだんすごいものが造られるようになってきましたね。 見た感想など、またお聞かせください。 ※そういえば、今年も「ばれんたいんデェ」が近づいてまいりましたが、まだ ちよこを購入していない戦国マニアの女性の方々、 以前、安土の安土城天守を展示してる「信長の館」でA4版ぐらいの板ちよこを 目撃いたしました。 それを相手の方におくってみては。
お久しぶりです。実は今、私のホームタウン札幌で雪祭りが開催されています。 その雪祭りの雪像に今年はあの「安土城」を復元したものが作られています。 雪なので、中には入れないはずですが、外見はよくできていると思います(と、 言っても私もまだテレビで見ただけ)。場所は札幌市の中心、大通り公園の西8 丁目です。私は明日見に行ってみようかと思います。 雪祭りは開催期間が短く、終わったらすぐに雪像を壊してしまうので、もし 時間と金銭に余裕のある方はお早めに札幌へお越し下さい。 以上、現地札幌からのリポートでした。
クウガ見てます!面白いっす!ぜひみなさんも見てください! ちなみにトラマはダイナが大好きです>なんの話しやねん!
みなさんが特撮の話をしているので、ついつい書き込んでしまいたくなりました。 今回は忍者ものの中でも異端(自分がそう思っているだけかも・・・)な作品を紹介しようと思います。 それは十年位前に放映していた「世界忍者戦ジライヤ」という番組なのですが・・・ なにがすごいというと、内容が題名の通りで日本の忍者が宝物をめぐって世界の忍者と戦うということはまだしも 主役の忍者にメジヤーではない「戸隠流」忍者を用いたことでしょう(笑) 子どもの頃は何の違和感もなく見てましたが、今考えると世界の忍者って・・・と思ってしまいます。 大河、直江出ませんでしたよね。実はスタッフロールを見て名前がなかったので 「笑う犬」を見てました。
>信長は、飛騨の国から仮面の忍者をよんだ。その名は― あれっ? 実際呼んだのは里見浩太郎演ずる竹中半兵衛では??? 2年前まで、夜中に再放送してました。←赤影
あれは面白いです。わたしの大好きです。 竹中半兵衛が出て来たり、松永弾正を思わせる夕里弾正とか。 少年忍者青影の、「がってんがってん、ショーチ!」とか「だいじょーぶ!」なん かずいぶん真似したな。 (第ニシリーズ・オープニング) 織田信長が活躍した頃、海をわたってきた奇怪な妖術家の群れが、ギヤマンの鐘を もとめて各地を襲撃した。世界制覇を狙う卍党の仕業である。強力なエネルギーの 製法を秘めたギヤマンの鐘3つ。日本の平和を願う(笑)信長は、飛騨の国から仮 面の忍者をよんだ。その名は― 「赤影参上!」
何度か名前は呼ばれてましたけどね。本多正信が「直江兼続かあ」と確認までして たんですが。しばらくして、養子縁組する仲なのに。残念でした。 ただ、どうなんでしょう。直江状のシーンは兼続が登場しないほうが、迫力がある ような気がするんですが。兼続がえっちらおっちら書いてて、「おー。直江状つく っとるんかいな、ごくろーさん」と視聴者も先を予想しながら見てる・・・よりも、 いきなり前触れもなくドーンと無礼な書状がやってきてたほうがインパクトありそ うな感じがするんですけどね。
「葵」にでてくる結城秀康は、私のイメージと違います。秀康は、家康に嫌われたのか魚にちなんで 名づけられ、信康の力がなければ、親子の対面もゆるされませんでした。そのうえ、秀吉の養子になり 秀吉の後継者が決まると、彼が有能だったせいか、結城家に養子にだされてしまいます。もっと屈折し た人物で、家康や秀忠とは仲良くしない人物と思っていました。 なんかイメージが違うと思うのは私だけでしょうか。 加藤清正もなんか私のイメージと違う描かれ方をされそうな気がします。私の加藤清正のイメージは、 豊田有恒「知謀の虎」にでてくる清正のイメージです。計算高く残酷で、土木事業のすきな武将のイメ ージなのです。
「仮面ライダークウガ」が1月30日から始まりました。見ている人いますか。「仮面ライダー」(スカイ ライダーでないほう)をリアルタイムで見た私にとって仮面ライダーがリメイクされテレビで放送される のはとても嬉しいことです。 ついでに、戦国時代を舞台にしたヒーローものもリメイクされたらよいなとおもっています。「仮面の 忍者赤影」や「快傑ライオン丸」や「風雲ライオン丸」がリメイクされたらよいなとおもっています。(「変 身忍者嵐」は17世紀半ばの設定です)そうすれば、戦国時代の好きな子どもが増えて、戦国時代の ドラマがもっと作られるのではないかと思っています。 いまはおもちゃ業界の力が強いから、三ヶ月に一回はモデルチェンジをしたり合体するロボットをだ したりしないといけないから難しいでしょうけど。 仮面ライダーがタイムスリップしてもガソリンがないとオートバイが走れないから、戦国時代の仮面 ライダーなんていうのはつくられないのでしょうね。 いまは時代劇の制作が昔よりすくないので、リメークが無理としても子どもの心をとらえられるヒーロ ーものをつくって、時代劇の灯を消さないようにしてほしいと思いました。
やっぱりでなかった(号泣!) まあ大河ドラマそのものに興味がほとんどなかったのですが(いろんな意味で) 1クールで関ヶ原のドラマをやろうとしたらああなるのかなァ でもあんまり重要でない気がする加藤嘉明や山内一豊なんかちゃんと 出てるんですよね。 実際関ヶ原で戦った人達よりもっと重要な人物がいたと思うのですが たとえば黒田如水とか・・・ というわけでほとんど「笑う犬」を見とりました(笑)
OBASAN殿、向井佐平次殿、ありがとうございます。 上田の降水量が少ないのは、雪が少ないからなんでしょうね。 昌幸の目の付け所は確かなものですね。 きっと秘密の場所もいっぱいあったことでしょう。(^o^) ところで、信長=アンドロギュヌス!? う〜む……。 三楽堂殿の感想をお待ち申し上げます。
安部龍太郎『関ケ原連判状』(上・下)新潮文庫・・・・・・★★★★ 井上ひさし『わが友フロイス』ネスコ・・・・・・・・・・・★★★ このほかに戦国時代ばかりではないけど、明石散人の『アカシックファイル』講談 社文庫(★4つ)を読みました。秀吉の遺言状についてのユニークな解釈がありま す。今のところ、読む読まないにかかわらず、明石散人、岳宏一郎、安部龍太郎は 存命作家のうちで関心を抱かせる存在であります。 ※これから読むのは、宇月原晴明の『信長あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』。
>@真田町にある(コンビニの近くだったような) > 池波正太郎氏の筆による「真田氏発祥の地」の石碑 ローソンの真田本原店ですね。 上田から沼田方面に抜けるときにいつもここで休憩を入れて一気に 菅平→鳥居峠→嬬恋→岩櫃→渋川伊香保へ向かいます。 >Aその石碑近くの幸隆、昌幸、幸村(信繁)の石のレリーフ 近くに真田歴史館と信綱寺があります。 近くもないか… >B「何とか温泉」(名前忘れました)にある「真田幸村の湯」の石碑前 別所温泉の一番奥にある共同浴場石湯ですね。 池波正太郎氏がここで除幕式を行いました。 >C何故か上田の誇る蕎麦屋「刀屋」の前 店内には池波正太郎氏書の"和"の色紙があります。 >こんなもんでしょうか・・・ こんなもんでしょうか…
「何様のつもりカッはぁ」うーん、何回つぶやいてみても (ただし誰もいない部屋で)、楽しい(?)ですね。これから 当分は言いつづけることになるでしょう。やっぱり江守三成、最高です。 テレビで見てた時も思わず吹き出してしまいました。ちょっと配役が「吉宗」 の時とかぶりすぎだと不満でしたが、段々と良くなってきましたね。後は 秀頼公が情けなく描かれないよう祈るのみです。
江守氏の口調、おもしろいですよね。津川氏の喋り方も映画『天と地と』以来、気 になってます。 誰もいないところで、「何様のつもりカッはぁ」と数回繰り返してみましたが、ど うもわたしは肺活量が足りないようです。
日本で2番目に降水量の少ないという(?)上田よりの便りです。 今朝は、この冬初めての雪がつもり我が家の庭は、一面、銀世界です。 が、日の出とともにその雪も解けはじめて、屋根を流れる雪解けの水の 音に、立春を感じています。 駅弁『真田御膳』の撮影ですか? どこがいいんでしょうかね。 個人的に好きな場所はありますが、人には教えられません(うふっ) 夜の上田駅は、壁面に六文銭のイメージのライトが、輝いて素敵です。 「なんとか温泉」は、別所温泉の石湯の前の石碑のことでしょう。 上田市のホームページの中に「信州上田のロケ地ガイド」という コーナーが、新設されました。ご参考までにどうぞ! URL http://www.city.ueda.nagano.jp/
三楽堂殿、左衛門佐ともーか殿、ありがとうございます。 ネットサーフィン(死語?)の勘が戻りませんが、 頼りになるサイトを一つ知っているだけで、かなり違いますね。 心強いです。改めてお礼を申し上げます。 ところで、「何とか温泉」は別所温泉でしょうね。懐かしいです。
>「これぞ真田だ!」という場所で写真撮影をしたいということなのです。 そーですねえ。 いかにも「真田」してる所では。(通向けではありません、念の為。) @真田町にある(コンビニの近くだったような) 池波正太郎氏の筆による「真田氏発祥の地」の石碑 Aその石碑近くの幸隆、昌幸、幸村(信繁)の石のレリーフ B「何とか温泉」(名前忘れました)にある「真田幸村の湯」の石碑前 C何故か上田の誇る蕎麦屋「刀屋」の前 こんなもんでしょうか・・・
こんばんは。 江守徹演じる石田三成が吐いた「おのれ○○、何様のつもりカッはぁ」のセリフは、巷間の一部フリークの中で密かにウケけているようです。 図々しい人やひとりよがりの人に頭に来たら、「おのれ、何様のつもりカッはぁ」 な〜んて言ってみたらどうでしょう。 ただし、江守三成のように本人のいないところで。
こんにちは、助左衛門さん。 「いかにも真田」的な場所と言うと、わたしは駅前の幸村像の前ぐらいしか思いつ かないですねえ。駅弁だから、駅の近くがいいかな、と。あんまり面白みのない答 えですみません。 あとは池波正太郎真田太平記館とか。
ご無沙汰致しております。呂宋助左衛門でございます。 閑中忙と申しますか、バタバタしておりまして、半年ぶりにうかがいました。 なんたび目かは忘れましたが、今後とも宜しくお願い申し上げます。 さて、復帰していきなりで恐縮ですが、教えてください。 友人のライターが上田駅の駅弁「真田御膳」の取材をすることになり、 「これぞ真田だ!」という場所で写真撮影をしたいということなのです。 私は10年も上田に足を踏み入れていないので、上田城くらいしか思い当たりません。 どこかにいい場所はないでしょうか。皆様のお勧めの場所を教えてください。 宜しくお願い申し上げます。 ところで、家康の爪噛みを強調しているのは、津川雅彦さんの演技プランだそうです。 どうせなら、あそこまでやればおもしろいだろうという。 確かに、近侍の懐紙にペッとやっているのは、見たことがありませんね。 ちなみに、家康のフンドシ尻に秀忠の顔が当たるのは、西田敏行さんのアドリブだそうです。 何かやるなと津川さんが待っていたら、西田さんがやったということです。 阿吽の呼吸ですかね。芸達者(濃い人)が多いですからね。 今後も、何をやってくれるかが楽しみです。
利光さん、もひとつ質問してよろしいですか。 トップページの写真の人物はだれですか。新選組の池田七三郎 ですか? 加賀宰相さん。僕も秀頼は好きです。わかります。視線のやり場(笑 ) でも僕も治長の子とは思えませんし、あまり思いたくもありません。淀殿 も誇り高き人物だったでしょうから、よもや治長とは・・と思いますね。はい。
LEONE様、三楽堂様、本当にありがとうございました。 おかげで我が家の烈風伝の今川家に後継者(新武将)ができました。 さて、ここでもみなさん大河ドラマの話をなさっているようですが、秀頼公 好きの僕としては、秀頼には太閤殿下の血を引いていてもらいたいので淀殿と 大野治長のみそかごとの話だけはNHKにしてもらいたくなかったです。あと 家族で見てたのでちょっと視線のやり場にもこまりましたし・・・(笑)。 でも、全体としては、津川家康と江守三成には大満足です。
利光さん、はじめまして。石之介といいます。ホームぺージ、訪 問させていただきました。見ると以前にもお邪魔したことのあるぺ ージ。「お気に入りのページ」に登録してありました。改めて豊富 な内容に驚きます。 ところで、「利光」というのは、どこからですか。ひょっとして大友 家臣の利光宗魚ですか?