小田原評定・バックナンバー

過去ログ1951番目から2000番目までの記事です。


(2000)関ヶ原  投稿者:影法師  投稿日:06月27日(日)14時53分45秒

某ふしぎ発見番組で、関ヶ原をテーマにした内容が放送されていましたが、
石田三成を馬鹿にし過ぎやしてないか?と感じました。

今更、徳川家康におびき出されて関ヶ原に出陣したというのはないだろうに。


(1999)小説の編集中です  投稿者:秋山如雪  投稿日:06月27日(日)00時19分53秒

 お久しぶりです、皆様。実は以前から書いていた上杉謙信が主人公の小説がもう
じき出来そうです。ただいま編集中なので。ただ・・・読みなおしてみたらすごい
下手だと改めて感じました。どうもいつも評論とかレポートのような説明文っぽい
文章を書いているので、あまり小説らしくないと思います。それでももし「見た
い」という方がおりましたら、いつでもよいので、私のe-mail addressに住所と
名前をお送りしていただければ、お送りいたします。
 ただ、完成は7月の中旬くらいになりそうですね・・・。
>長尾っぽ様、三楽堂様 完成したのはいいんですが、最近ちょっと自分の小説に
対して自信喪失気味になってきました。あまり期待はしないで下さい。でも自分と
しては一生懸命書きました。


(1998)はじめまして  投稿者:隠れ戦国時代おたく  投稿日:06月26日(土)16時16分49秒

私は、最近パソコンを購入して、ネットを始めた自称戦国おたくです。
私のような、戦国マニアが全国にいて、こんなリンクがあることに感動。
現在、毛利 元就にはまってるのですが、彼に対する皆さんの評価を聞かして下さい。


(1997)ひょっとして  投稿者:三楽堂  投稿日:06月26日(土)09時31分27秒

>妙に気に入りました。持って帰って飾りたいくらいに。

直江は「シャレでつくった旗だから惜しくはないや」と最上にくれて
やったのかな(笑)?

まあ、あれは「与板衆」の旗だから、兼続の軍旗というわけではな
いんだろうけど。もしかしたら、長谷堂合戦で討死したという上泉
主水の旗かしらん?


(1996)物好き  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:06月26日(土)07時13分16秒

>みにくいアヒルの子(爆)みたいな絵柄の?
妙に気に入りました。持って帰って飾りたいくらいに。
兼続さんは意外に洒落者なんじゃないでしょうか。(^o^)
前田慶次さん辺りも好きそうだし。


(1995)真田モノがまた出る・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:06月25日(金)08時08分32秒

最近、マンネリ化してるかなー、と思う新○物○来社の出版物なん
ですが、別冊歴史読本から、『戦国江戸真田一族』という本が出
ます。
たしか『真田一族のすべて』という本も同じシリーズから出てまし
たよねえ・・・。


(1994)これ、みました!  投稿者:三楽堂  投稿日:06月25日(金)07時58分57秒

>件の「東北の戦国時代」には、長谷堂合戦で分捕られた直江軍軍旗が展示されていました。

山形の最上義光記念館(博物館だっけ?)で所蔵しているヤツで
すね?みにくいアヒルの子(爆)みたいな絵柄の?
あまり戦意も昂揚しそうにない旗ですが・・・


(1993)さらしもの  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:06月25日(金)05時50分31秒

件の「東北の戦国時代」には、長谷堂合戦で分捕られた直江軍軍旗が展示されていました。
勝ち誇ったような、さらしものにしているような。
兼続さんが見たら苦虫を噛み潰すでしょうね。それとも、涼しい顔をしているかな。


(1992)わたしもそう思います。  投稿者:三楽堂  投稿日:06月24日(木)22時16分20秒

こんにちは、鍋島直茂さん。夜這いの傷の具合はいかがですか?

>直江兼続って評価が過大過ぎる気がするのは私だけでしょうか?(汗

わたしもそう思いますよ。兼続は好きだけど、関連本を見ると、も
ちあげ過ぎ。とくに○ヶ崎氏とか童○氏とか。
渡辺三省さんの著書は客観的でいいと思います。

たしかに学生にはこの価格は痛手でしょうけど・・・。


(1991)わたしもゲット2  投稿者:長尾っぽ  投稿日:06月24日(木)21時41分38秒

天翔さん、買われたんですかい、「正伝直江兼続」。
いやあ、勇気要ったでしょう?
わたしは、とにかく迷いましたね。値段で。
これ持ってレジ行ったとき、本屋の姉ちゃんにじ〜っと
顔見られたです。
まあ、草履に色眼鏡かけて茶髪ですから。(ばかないでたち)


(1990)こんばんは  投稿者:鍋島直茂  投稿日:06月24日(木)19時14分22秒

どもこんばんは。。
史実では夜這いをしにいって斬られた事もある鍋島です(爆)

話題は直江兼続ですか。
直江兼続って評価が過大過ぎる気がするのは私だけでしょうか?(汗

「覇王の家」に描かれてる家康のような、
意外に情けなくて笑える描写を直江兼続でみてみたいっす


(1989)わたしもゲットォー!  投稿者:三楽堂  投稿日:06月23日(水)19時30分54秒

天翔さんも買われましたか、『正伝直江兼続』
わたしも「手持ちの図書券を使うのはこのときしかない」と思い、
購入いたしました。けっこうな値段ですが、新○物○○社から
出たとしたら、同様の装丁だと倍額にはなったと思いますよ。

>このページへ来て初めて正伝直江兼続の存在を知りました。

ふだんはくだらないことしゃべってても、ときどきは役立つ情報も
あるでしょ?(^^;


(1988)ゲットーォ!  投稿者:天翔  投稿日:06月23日(水)09時25分53秒

このページへ来て初めて正伝直江兼続の存在を知りました。
兼続とっても好きなのですが(上杉家とともに)いままでほと
んどの資料を図書館でかりていたので(地元なので上杉関連
の資料はたくさんある)家には一冊も本がないのですよ。
そして、つい最近長尾っぽ様に電話したとき勧められまして・・・
ついに買ってしまいました。けっこうなお値段だったので少し
きつかったですけれど。しかし、近所の本屋に山積みされてい
たときは驚きました。さすが地元。
この夏休み中に米沢に行ってきたいと思います。


(1987)フィギュア  投稿者:三楽堂  投稿日:06月21日(月)11時26分22秒

>どこかのメーカーで良質な戦国もののアクションフィギュアとかでないかなぁ

わたしも家に何か一体ぐらい置きたいな、と思っているのですが。
アニメ系はどうも・・・
半蔵どののおっしゃる「戦国もの」があれば、いいなあ、と思います。
まあ、甲冑武者、ということになるでしょうか。本多忠勝とか井伊
直政なんかかっこよさそうですよね。

謙信と信玄の一騎打ちフィギュア(あっても高そう・・・)があれば、
買います。

毛利元就はヒゲが難しそうですね。


(1986)照ちゃん  投稿者:三楽堂  投稿日:06月21日(月)11時22分19秒

>私が、以前読んだ歴史物の本で、主人公の幼名が「照」という
>名前だったと思いますが、だれの幼名だったか忘れてしまいま
>した。
>ご存知の方教えてください。

質問者さん、おそらくその幼名は史実ではなくて、作家がてきとう
に名づけたものでは?
そうであれば、ほとんどお手上げですね。その小説(?)を読んだ
かどうかしか、手がかりがありません。

いつの時代で、どこらへんが舞台で、作者は誰か、どんなストー
リーだったか。こういったことが手がかりになると思います。


(1985)上田の見所  投稿者:三楽堂  投稿日:06月21日(月)11時16分20秒

>追伸:上田ニ発ツ予定。見所ヲ御教エ願イタク。

おお、上田に行かれますか。
上田城の横にある博物館に「武将番付」なる一覧表があります。
レプリカが欲しかったのですが、なかった。
目をこらして一生懸命、ガラスごしに名前を確認しておりました。

池波正太郎記念館は、商店街の中にあります。こじんまりとして
いるのですぐに見終わってしまいます。一般300円

そのほか、寺院などは四方に散らばっているので、観光用のマッ
プなどで確認しながらスポットをしぼりこんでいくとよいでしょう。

あとはお食事どころは「刀屋」か「ベンガル」?

時間的に余裕があれば、バスで真田方面へも行かれるといいで
すが、信綱寺はいま工事中で宝物館は見られませんし・・・
あるいは松代まで電車かバスで往復して真田宝物館と長国寺に
ある真田信之御霊屋をみせてもらうといいのですが・・・


(1984)戦国模型  投稿者:半蔵  投稿日:06月20日(日)23時28分40秒

今日模型屋さんで『大阪の陣』『関ヶ原』とかいうプラモデル
(ちっさい人形多数)
が売ってました。(2000円)ほかにも何種類かありまして、おもわず買おうと
思ったのですが中身をみて「う〜ん」ってかんじでした(ア○シマ製)『関ヶ原』
の説明書には本多忠勝らしい絵が描いてあったのですが・・・本多忠勝といえば、
静岡ホビーショウでどっかのサークルの人が作った本多忠勝のフィギュアは
とてもかっこよかったです。(なにかのイラストの立体化だと思う)
どこかのメーカーで良質な戦国もののアクションフィギュアとかでないかなぁ


(1983)光輝  投稿者:榊原康政  投稿日:06月20日(日)03時30分28秒

我弟申スニ「光輝ノ三国志、全巻揃エタイ」

アノ漫画、全六十巻デ、現在イカホドデセウカ?

追伸:上田ニ発ツ予定。見所ヲ御教エ願イタク。


(1982)教えてください!!  投稿者:質問者  投稿日:06月20日(日)03時16分34秒

私が、以前読んだ歴史物の本で、主人公の幼名が「照」という名前だったと思いますが、だれの幼名だったか忘れてしまいました。
ご存知の方教えてください。


(1981)ご先祖は強かったのだ  投稿者:上杉 剣心  投稿日:06月19日(土)18時05分50秒

 僕の田舎である広島家には、厳島の合戦で手柄を立てた時に頂いたと言う太刀(誰から貰ったかは知らん)と
毛利のあの旗が有る、それだけでなく、後に属した小早川と村上水軍の旗もある。極めつけは大阪の陣の時真田軍
に属したため、あの赤備えの鎧と六文銭まで有る、ほんまに。なのに誰も信じてくれない・・・なんで??


(1980)それぞれに  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:06月19日(土)04時24分13秒

いいキャラクターをして十勇士に入れなかったのが報われない。>樋口四角兵衛
信長の野望のあの顔こそ報われない。>穴山信君
誰だったか記憶に無いのが報われない。>劉封 (息子でしたっけ?)


(1979)不幸なおっちゃん達  投稿者:半蔵  投稿日:06月17日(木)22時30分46秒

角兵衛さんは最後のほうなんかかわいそうでした。
報われない男といえば・・・穴山信君とか?三国志では劉封様とか。


(1978)報われない男  投稿者:三楽堂  投稿日:06月17日(木)09時22分39秒

>ところで、戦国の報われない男No.1、樋口角兵衛に1票。

わはは。まあ、なんとなく気の毒な男ではありますね。
わたしが所持している『大日本史料』、ちょうど大坂夏の陣の部分
なのですが、この中で幸村についての史料がまとめられており、
樋口角兵衛も登場します。亀の甲という力士に挑戦した話や、
幸村の佩刀をいかさまサイコロをつかって巻き上げてしまう話。
ただし、名前が樋口四角兵衛となっていました。彼の子は角兵衛
だそうですが(笑)


(1977)ご指摘、ありがとうございます。  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:06月17日(木)07時08分10秒

>秋山如雪殿
実は、書き込む前に確認しようとしたのですが、吉川版も柴錬版も
見当たらなかったのでした。申し訳ありません。m(__)m

ところで、戦国の報われない男No.1、樋口角兵衛に1票。


(1976)吉川英治版「大谷刑部」  投稿者:三楽堂  投稿日:06月16日(水)19時46分27秒

立ち読みしてきました。
吉川英治文庫(講談社)の『柳生月影抄』の中に入っています。
うん、南原幹雄よりも、こっちのほうがいい。

ただし、刑部は豊後大友氏の家臣のせがれ、ということになって
おります。最近は近江出身のほうが有力。


(1975)恵まれない男、その名は魏延  投稿者:秋山如雪  投稿日:06月16日(水)02時51分42秒

>馬なんとかという粗野な男に邪魔をされてしまうのでしたね。
 呂宋さん、それは魏延という名の暴れ者ですよ。劉備のことが好きで好きでたま
らない(別にホモではなかったらしいが)のに、その劉備の死後、孔明に「お前は
反骨の相がある」と言われて嫌われ、拗ねてしまった男です。しかもその孔明の祈
祷の邪魔をしてしまい、最期には馬岱という同僚に殺される。あまりにも報われな
い人生が哀れに思いますね。まるで戦国時代の誰かさん? に似ているような。
 あ、すいません。いつのまにか三国志の話に・・・。
 でもいつの時代も報われない男はいるものです。


(1974)牛タンは金運には効かなかったようだ  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:06月16日(水)00時21分56秒

こんばんは。
さて、三国志の話題が出ていますが、私も、毎年この時期になると
三国志が思い出されてなりません。
それも、劉備、関羽、張飛が死に、孔明が孤軍奮闘している辺りです。
確か寿命を悟った孔明は、遁甲の秘法で延命を図ろうとするものの、
馬なんとかという粗野な男に邪魔をされてしまうのでしたね。
わざと邪魔した訳じゃないところが、これまた泣けますねぇ。
ああ、悲しきかな孔明。(T_T)

え、なんでこの時期に思い出すのかって?
いや、年4回はあるんですけどね。
ジャンボ宝くじの抽選日ってやつは……。(T_T)


(1973)これ行きたかったんだあ  投稿者:三楽堂  投稿日:06月15日(火)20時21分39秒

>あ、先週終わっている……。(^_^;)

そうなんです。忙しさにかまけてたら終ってしまって・・・
これから仙台はいい季節ですね。

なんだか、急に笹蒲鉾をわさび醤油つけて食べたくなった


(1972)ライバルたち  投稿者:呂宋助左衛門  投稿日:06月15日(火)07時36分39秒

先日、仙台に出張しまして、「東北の戦国時代」なる催しを見てきました。
仙台開府400年記念特別展Tだそうです。
芦名盛氏や蒲生氏郷、上杉景勝、直江兼続などなど、ライバルたちの書状や
甲冑までもが展示されていて、なかなか興味深いもがありました。
ただ、真田幸村関係のものはありませんでした(たぶん)。正宗と同い年だし、
夏の陣でも相対してはいるのだから、お仲間に加えてもよさそうなきもしますが。

古代ローマの軍人は、同時に政治家であり科学者であり哲学者であったそうですが、
少なくとも政を治めていない幸村は、やはり特異な存在なのですかね。
純粋に軍人ですものね。心ならずもなのでしょうけれど。
どうも、テリー伊藤が松坂大輔に、イチローのライバルになってくれと懇願
していたのが思い出されます。天才の孤独ってぇやつですねぇ……。
――って、単に、大名じゃなかっただけといえばそれまでなのですけど。

まあ、ともかく、足織豊徳も含めたライバルたちとの政治・外交戦から、合戦、
甲冑や城作りなど純軍事的(コア)なことまで、分かりやすく解説された好企画
だったと思います。

あ、先週終わっている……。(^_^;)


(1971)「名将大谷刑部」読んだ  投稿者:三楽堂  投稿日:06月14日(月)19時37分18秒

・・・けど、イマイチだったなあ。
南原幹雄って、どーも・・・

病気になった後もあんまり迫ってくるものが感じられないんだよね。
関ヶ原も「すっとばし」だったし。


(1970)西洋風の城  投稿者:三楽堂  投稿日:06月14日(月)19時33分06秒

>新撰組はどこいったんでしょうねぇ(笑)

パスポート新選組のCMも好きだったなあ。だいたいわたしはドラ
マよりもCMが大好きで。
戦国武将モノでは、サントリー白角に、謙信などが登場してたな。


(1969)保険会社といえば  投稿者:影法師  投稿日:06月14日(月)10時16分36秒

新撰組はどこいったんでしょうねぇ(笑)


(1968)中国はでかかった  投稿者:秋山如雪  投稿日:06月13日(日)09時52分24秒

>榊原殿 おひさしゅうござりまする。実は私、三国志も戦国に劣らず大好きなの
ですが、やはり大陸は規模が違いますね。よく三国志や項羽と劉邦などを見ている
と軍勢の数が十万とか五十万、すごいのになると百万とかになりますからねえ。
 まあ、百万は大袈裟だとしても中国では西暦200年代ですでに十万から五十万
の軍が戦場を往来していたことになるわけです。確かに中国大陸は広大で日本より
平野も多いのでその戦闘の様子は圧巻だったことでしょう。でも、その反面、巨大
に膨れ上がった軍によって何の罪もない人々が田畑を荒らされ、家族を殺され難民
が流出したのも事実のようです。いい例かどうかわかりませんが、かの有名な諸葛
亮(孔明)も幼い時に曹操軍の猛攻によって父母を失ったそうです。
 戦で苦しむのはいつの世も民衆なのでしょうな。


(1967)終りの国  投稿者:纐纈城主  投稿日:06月13日(日)01時00分25秒

ジャストシステムの広告に信長が登場しておるぞ。
「終りの国、とはたわけめが!」と怒っている。
保険会社といい、最近、CMにひっぱりだこじゃなあ。

かくいうわしのパソコンも「終りの国」と変換される。


(1966)やあ、こんばんは  投稿者:長尾っぽ  投稿日:06月13日(日)00時05分30秒

ずいぶん、ご無沙汰してました。
いやあ、最近アタマが病気になりまして、っておいおい。

『正伝直江兼続』おすすめですって?
すぐ読んでみますって云いたいのですけど・・・。
5月病は治りそうになくて。


(1965)三国志  投稿者:榊原康政  投稿日:06月11日(金)12時43分38秒

 惟フニ、中国デハ、一武将当リ「7千5百兵」程デアルノハ、

凄マジイコトデハナイカ。日本トハ、甚ダ、規模ノ違ヲ感ズル次第。

ワ党達ハ、如何様ニ思ワレマスルカ?


(1964)直江兼続関連、新刊  投稿者:三楽堂  投稿日:06月10日(木)22時10分12秒

『正伝直江兼続』、渡辺三省/著。恒文社。

いくつかの直江本のうち、最高のものといえる。なぜ内容を知って
いるのかというと、この本は、かつて『直江兼続とその時代』を上梓
した著者が、今回、関ヶ原前後を「別編」として構成しなおしたもの
なのだ。この『直江兼続とその時代』はさんざん図書館でお世話
になった。重要な章はコピーして手元においてあるくらいだ。
とはいっても、旧作に加筆もしてあるようだし、価格はほぼ同じな
だし、本日書店で手にとってみたところ、ページ数は倍近い。
今回の「正伝」のほうがおトクなのである。

この渡辺三省氏はおどろくなかれ、93歳の現役郷土史家なので
ある。(わたしゃ、てっきり故人かと思った。すみません)
明治生まれのきびしい史観は、等身大の兼続像を伝えてくれる。

ファン必携!(わたしも出入りの業者に取り寄せてもらうよう頼ん
でしまいました)


(1963)徳川家康黒幕説  投稿者:影法師  投稿日:06月09日(水)17時49分28秒

 個人的に家康はあんまり好きではありませんが、手腕はそれなりに買っているつもりです。

 光秀が信長を殺した当時、家康は接待を受けていて国には居なかった。しか
も、農民に怯えながら必死の想いで岡崎まで帰っているのですから、いくらな
んでも、ここまで馬鹿な事をする家康じゃないと思います。
 まぁ、光秀が勝手に暴走したという可能性もあるでしょうが、もう少しなん
らかの手を打っていたとしてもいいでしょう。


(1962)おはようございます!  投稿者:宇都宮吊り天井  投稿日:06月09日(水)06時13分09秒

秋山如雪さん、LEONEさん、三楽堂さん、お返事有難うございます!
たいへんうれしくおもいます。

結局のところ、光秀はいろいろなことが重なってあの事件に
至ったのだろうなあ
とおもう、今日この頃でございます。


(1961)本能寺の黒幕  投稿者:三楽堂  投稿日:06月08日(火)19時16分29秒

立場としては、LEONEさんにほぼ賛成。
家康は基本的に臆病者です。おそらく天下を意識したのも秀吉が
病床に伏した後のことでしょう。
それも家康の自発的な行動ではなくて、家臣団の総意の上に乗
っかった、という感じかな。

朝廷黒幕説についても、新発見史料の「天正十年夏記」(当時の
公卿の日記)などもあり、他の説にこれと同等の史料でも出ない
かぎり、結局は空想だけで終ってしまうような気がします。

空想は空想で面白いし、ある程度必要なことですが、隠し味に
当時の史料などが使えると、なお一層ひきたつのですが・・・。 


(1960)いらっしゃいませ  投稿者:三楽堂  投稿日:06月08日(火)19時09分37秒

ようこそ、宇都宮吊り天井さん。

本能寺の変・・・・・・邪馬台国、写楽の正体、竜馬暗殺とならんで
日本史の四大ミステリーとかいわれますね。
どれも永遠の謎とかいわれつつも、ちょこちょこと外堀が埋められ
つつある・・・かな、という感じがします。  


(1959)家康公の謀略?  投稿者:LEONE  投稿日:06月08日(火)04時54分20秒

どうも佐幕家のLEONEです(笑)

本能寺の変に関して言えば、一番怪しいのはやっぱ朝廷でしょうか。
私が思うに信長が今までの支配者と決定的に違うのは、支配指向が
ヨーロッパの絶対君主に近いというところだと思うのです。
(それ故に南蛮人の受けが良かった気も)
南北朝の時代、足利家ですら傀儡を持ってこようとは思っても、
皇室を廃そうとは思ってなかったのですが、信長なら皇室廃絶もしかねないと
公家たちの目には映ったのではないかと勝手に思っております。

ちなみに家康公が謀略好きと見られる方も多いでしょうが、
彼が能動的に手腕を発揮したのは秀吉死後だと私は思っております。
(もちろんそれ以前からたぬきぢぢぃの素養は十分にありましたが^^;)
でも、秀吉生前の所業を思えば政権交代は当然のことですし、
打ってる手段はかなりオーソドックスな方法だと思います(^^;)
関ヶ原も大阪の陣も、私から見ればほとん相手サイドの敵失としか
思えないのですが・・・
そう考えると、本能寺の変を家康公謀略説にするにはあまりにも
バクチ過ぎて私にはなじめない考え方なのです。

私は徳川大好き人間ですが、上杉も真田も好きだし、石田三成でも
相応の評価と好感を持っております。
好き嫌いは私も沢山あるのでしょうがないですが、そのことで
歴史を見る目をゆがめるのは出来るだけ避けたいなぁと常日頃
思う次第であります。


(1958)埋蔵金!  投稿者:秋山如雪  投稿日:06月08日(火)02時53分06秒

 すいません。いきなり変なタイトルを出してしまって。だいぶ前に日曜日の特命
リサーチ200Xか何かで、戦国武将の埋蔵金という奴がやっていました。
 それによると、下総の大名結城晴朝が養子の秀康と共に越前に転封された時に家康に取られないようにと、埋蔵金を城の地下のどこかに隠したらしいのです。これ
がなかなか侮れないもので、結城家は奥州藤原家の貯めこんだ黄金を持っていたと
かで、何億だか何十億だって話です。その番組では他に大友宗麟の埋蔵金や有名な
秀吉の埋蔵金も紹介していました。何か情報を知っている方はご一報下さい。
 
 でも実際かなり嘘っぽいものだと思いますけどね。


(1957)家康が怪しい?かな?  投稿者:秋山如雪  投稿日:06月08日(火)02時44分30秒

>「明智光秀本能寺の変」について
 そうですね。私自身、この朝廷黒幕説は賛成ですね。と、いうか信長は朝廷を滅
ぼして自分が日本の頂点に立とうとしていたのは事実でしょうし、何よりも宣教師
が天皇に会えなくてぼやいているとき、信長が「天皇になど会わなくてもよい。俺
がこの国の主だ」と言ったという話もありますからねえ。
 ただ、個人的にはあのしたたかなタヌキ親父の家康が、光秀をけしかけた、と思
いたいですね。何でって? それはずばり私が家康嫌いだからです。まあ、これは
ひどく個人的な理由ですがね。でもあの親父ならやりそう、とも思うのだが。


(1956)皆様のご意見を・・・・・  投稿者:宇都宮吊り天井  投稿日:06月07日(月)23時58分57秒

あ、どうもはじめまして。えーといきなりなんですけど戦国関連最大!?の謎「明智光秀本能寺の変」についてみなさんのご意見を伺いたく投稿しました。
 ちなみに僕はなんで謀反を光秀が起こしたか考えるにやはり朝廷黒幕説が有力なのかなーと思います。
 あとこの小僧は何考えてんだ。と思われてしまうかもしれないんですけどなんか秀吉と組んで起こしたことのようにもおもってしまいます。だってあの秀吉の用意周到さはナンかくさい!
 とにかくみんなの意見聞きたいです。


(1955)宗麟関連のモノがない理由  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:06月07日(月)23時30分30秒

書き忘れました。

>運ちゃんの話しによれば、日向(だったっけ?)の武士は団結力が強く
>強固かつ勇猛果敢である為、江戸時代には日向は徳川直轄の「天領」
>となった。と言ってました。

そんでもって日向武士を恐れる余り「天領」とし、城も作らせなかった。
との話です。


(1954)大友宗麟の遺跡はいずこ??  投稿者:左衛門佐ともーか  投稿日:06月07日(月)23時28分04秒

お久しぶりです。

今日は出張で大分に行って来ました。
で、デン!と駅前に構える宗麟像。

但し、タクシーの運ちゃんと色々話しをしましたが、宗麟関連の
館であるとかその類のものは一切残ってないそうです。
運ちゃんの話しによれば、日向(だったっけ?)の武士は団結力が強く
強固かつ勇猛果敢である為、江戸時代には日向は徳川直轄の「天領」
となった。と言ってました。
尤も、誇張が含まれているでしょうが。。。

で、現在宗麟関連のモノについては、館を発掘中だそうです。。。。。
あとは山城があるくらいで、宗麟関連については、雑賀孫一同様、
忘れられた人になってるようです。

でも、大分駅前のあのでっかい銅像はなんだったんだろう???

ちなみに、その運ちゃんは、宗麟の一門衆の「田原家」の血筋だそうで、
あと、戸次川合戦で、長宗我部信親が十河ナントカにはめられて討ち死に
した件についてとうとうと語ってました。

徳川の大河ドラマなぞせずにもっとマイナーな武将の大河でもやったらいいのに。
と思う今日この頃です。

でもやっぱり真田が見たい。。。


(1953)忙中閑有り、ふと疑問  投稿者:三楽堂  投稿日:06月07日(月)20時45分00秒

大谷刑部吉継は、癩患者だったと小説には書かれているけど、
実際は罹患していたのだろうか。
当時のひとびとの日記か覚書のような一次史料に記されている
のだろうか?。
関ヶ原合戦図屏風では、ちゃんと顔が描かれているし、国史大事
典などには病気のことは触れられていない。

太閤記とか軍記物じゃなくて、吉継の病気について、当時の医者
の見立てとか、書状とかがあれば教えてくらはい。

ふつう、馬にも乗れず目も見えず、では、戦場に出ること自体、
不思議に思うんだけど・・・


(1952)ども  投稿者:鍋島直茂  投稿日:06月02日(水)22時52分45秒

早いレスありがとうございます。。
>木工
そうでしたか。疑問がとけました
そういう関係の仕事なもので、何かしら関係あるのだろうかと思案してました(笑)
しかし、木工・・・という名前を現代で親につけられると偉い迷惑ですね(笑)

>鍋島直茂も次の第3期シリーズで登場
そうなんですか、好きな人物なので楽しみにしてます。。
大名になるプロセスも、ちょっと遅れた下克上といった感じで
汚い所があまり表にでない珍しい男だと思ってます(笑)


(1951)日本合戦騒動叢書  投稿者:三楽堂  投稿日:06月02日(水)20時24分01秒

なんとも物騒なネーミングですが・・・。
勉誠社から出ている現代語訳シリーズに新刊が増えました。

『安西軍策―毛利元就合戦記』
『賤ヶ嶽合戦記』
『北条五代記』
『前田利家・利長軍記』
『里見軍記・里見九代記・里見代々記』
『会津陣物語』

の6点。価格(税抜き)は各2500円です。


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