小田原評定・バックナンバー

過去ログ1901番目から1950番目までの記事です。


(1950)それは・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:06月01日(火)08時45分02秒

>いては知らない、とのことでした。韓国ではあまり有名ではないんですかねえ。

われわれ日本人の多くが、李舜臣(イ・スンシン)を知っていても
権慄(クォン・ユル)あるいは他の武将をあまり知らないというの
と同じだと思います。

数年前に韓国で放映された『李朝五百年』という大河ドラマでも、
ちらっと映像が国内のニュースで紹介されましたが、加藤、小西
ぐらいが出てきた程度だったと思います。これでは、印象にも残
らないでしょう。
島津の激戦地であったサーチョンの近辺の郷土史家だったら
知っているかも(笑)


(1949)「鬼」は付かないみたい  投稿者:三楽堂  投稿日:06月01日(火)08時36分17秒

「石曼子」すなわちシーマンズ、みたいですよ。
以前、テレビかなにかで見たのかもしれないけど、「石曼子」か
「鬼上官(加藤清正)」のどっちのことか忘れましたが、
薬の名前だったか、御札に「石曼子」だか「鬼上官」だかの文字を
書いて魔除けにした、という朝鮮の話しを聞いたおぼえがあります。
「鬼」を付けたのは、国産のような気がする。「鬼石曼子」と書かれ
た史料があれば、別だけど。


(1948)鬼石曼子再び  投稿者:秋山如雪  投稿日:06月01日(火)04時22分42秒

 実は今年、大学の授業で韓国文化論という講義をとっていまして、先日その教授
である韓国人の李(イー)先生に鬼石曼子について聞いてみました。
 しかし、彼は小西や加藤のことなら、知っているが、この島津義弘のあだ名につ
いては知らない、とのことでした。韓国ではあまり有名ではないんですかねえ。


(1947)いらっしゃいませ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月31日(月)08時55分27秒

はじめまして、鍋島直茂さん。

>はじめて書き込みします。Xファイル、魅入ってしまうほど面白いですね

ありがとうございます。鍋島直茂も次の第3期シリーズで登場予定
です。

>木工 工事道具等の職種とかと何か関係あるのでしょうか^^;

そのとおりです。養老・大宝律令には木工寮という組織があって、
宮内省の管轄下にありました。朝廷の土木建築や橋の修理、
木工品の製作などを行っていたそうです。
もっとも戦国時代には官位に応じた意味合いぐらいで、本来の
仕事はしなかったかもしれませんが。


(1946)木工  投稿者:鍋島直茂  投稿日:05月31日(月)03時48分36秒

はじめまして。
はじめて書き込みします。Xファイル、魅入ってしまうほど面白いですね

最近、池波正太郎著書の「真田騒動」を読んでいて思ったのですが
真田家中興の祖ともいえる恩田木工の”木工”という名前・・・

木工 工事道具等の職種とかと何か関係あるのでしょうか^^;
読んでから気になって気になって(笑)


(1945)本願寺も  投稿者:ちゃぼ  投稿日:05月30日(日)17時07分53秒

ちなみに下の戦いには石山の蓮如殿、雑賀の鈴木孫一ちゃんも絡んでくるというからいやはや、ややこしいんぢゃ。


(1944)教えて「児島本太合戦」  投稿者:ちゃぼ  投稿日:05月30日(日)17時05分06秒

ローカルな戦じゃがどなたかご存知ではありませぬか。
元亀二年(一五七一)児島本太(元太とも)合戦の事じゃ。
三島村上・毛利と両川・大友・三好・織田・石山と備前衆の思惑が絡んだ
分析の難しい戦いじゃが、史料がようあつまっとらん。
だれか、しっとる人、なんでも教えて。
ちなみに直接登場人物は以下の者どもじゃった。

阿波の篠原長房
毛利の部将粟屋就方
乃美宗勝
本太城の島吉利
香西元載
児島日比浦の西宮隠岐守
因島村上祐康

などぢゃ。どなたかご存じないか。いやはや


(1943)本願寺?ねえ・・・  投稿者:照耀  投稿日:05月29日(土)21時00分32秒

本願寺はあまり好きではないが・・・蓮如?は好きかも・・・
だけど、信長の野望ではやったことがない・・・ので、今度やってみようと思う。
ちなみに、とある同人誌の蓮如は、美形である。
武田とも仲良くなぜか・・・クリスマスをやると言うシーンがあった。


(1942)本願寺がない。  投稿者:ばさら  投稿日:05月29日(土)13時26分48秒

 本願寺があまりとりあげられていないのでちょっと残念に思いました。
 信長に喧嘩を売った坊主集団、なぜにこうもマイナー化してしまったんだろう。
 信長の野望でも強いのに。


(1941)朝鮮の役というと・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:05月29日(土)08時34分21秒

司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』(文春文庫)を思い出します。
主人公の陶工沈寿官は薩摩焼きの14代目。先祖は朝鮮の役の
時、捕虜として連れてこられた朝鮮人。
わたしの手元にも、14代沈寿官の作という土瓶があります。いろ
いろな人手を経て、今年はじめにわたしのもとへ来ました。


(1940)李舜臣?  投稿者:半蔵  投稿日:05月28日(金)22時55分28秒

6月3日から社員旅行で韓国にいきます。
わたしは、朝鮮出兵についてはほとんど知識がありません。
李舜臣という人についても名前ぐらいで詳しくはわかりません。
文禄・慶長の役で活躍した日本人以外の人達についてなにかよろしければ
教えて下さい。


(1939)真田風雲録  投稿者:三楽堂  投稿日:05月28日(金)21時32分25秒

北村薫・・・と書くと、知らない人がいるのでは、と心配になったので、
一応、ミステリ作家(おすすめである)と書いておこう。
彼女が編んだアンソロジー『謎のギャラリー』の最終巻のオーラス
が福田善之の名作『真田風雲録』だ。なつかしい。
でも、かなしい・・・(笑)
え?読んでないからわからない?ならば、読まないほうがいいかもよ(笑)


注:上記の文章には明らかな「うそ」が一ヵ所あります。さて、どこ
でしょう?


(1938)李舜臣  投稿者:矢古女@タデ喰う虫  投稿日:05月28日(金)18時06分48秒

ソウルに行ったことがありますが、観光バスに乗って、最初に見せられるのが
李舜臣将軍の像です(汗)
ここに書き込んでいる方は大丈夫でしょうけれど、李舜臣とは誰か、ということは
事前に押さえて行った方がよろしいでしょうね。


(1937)なるほど  投稿者:秋山如雪  投稿日:05月28日(金)03時24分10秒

 ご返答ありがとうござりまする。なるほど、要するに「島津」を向こうの漢字に
当てたのですね。韓国ではいまだにこの朝鮮出兵が忌み嫌われているようですが、
日本軍の残虐行為を見ればそれも無理はないですね。「虎加藤」こと加藤清正も
向こうじゃ散々ひどいことをやったって聞きましたし。最近、この朝鮮出兵に興味
があるので調べているのですが、日本軍はこれと同じことを昭和になってやって
いるんですよね・・・。心が痛みます。我が大学にも韓国の方が何人かおります
ので。


(1936)鬼石曼子  投稿者:榊原康政  投稿日:05月27日(木)22時52分04秒

 鬼石曼子ニツイテ。

アレハ、正確ニハ「オニシマンズ」トゾ発音スルヤウデアル。

マア、「石曼子(シマンズ)」ニ、「鬼(オニ)」ヲ

ノセタノデセウ。


(1935)パワーアップキット  投稿者:半蔵  投稿日:05月27日(木)22時15分20秒

烈風伝PKが8月下旬発売って雑誌でみました。
なんか新武将作成が出来る?とか・・・
KOEIさんは発売日がすぐのびるからなぁ〜
発売日縮まるとかないかなぁ〜・・・・ないよね・・・


(1934)サッパリお通じ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月27日(木)20時16分28秒

>何の謎?十河と「そごう」の関係!!!
>違ったんですねぇ。そうなのか、どうなのか、気になってたんです。(笑)

わたしも実は気になっていたんです。気になることは自分で調べ
てしまいます。調べること自体が好きなので「この楽しみを人に
与えてなるものか」と思うのです。

司馬遼太郎もそうだったみたいですよ。さんざん調べたあと、
「これをこれから小説に仕立てるのか」
と嘆いたそうです。

松本清張は逆ですね。ブレーンをいっぱい揃えて、史料を探させ、
古書を買う時は「必殺ページ買い」。

古書店の目録をめくりつつ、
清張「このページ、ぜんぶ(注文しとけ)。このページも」

一度でいいからやってみたい「ページ買い」(爆)


(1933)鬼石曼子  投稿者:三楽堂  投稿日:05月27日(木)20時10分57秒

わたしは単に「石曼子」と記憶してましたが・・・
『名将言行録』では「石曼子」と書いて「せきまんし」とよませてい
ます(笑)。
もちろんあちらの発音で「しまづ」に近い音を持つ語があてられた
のではないかと思います。「しーまんず」とでも発音するんでしょう
かね?

加藤清正は「鬼上官」となっていたが・・・?


(1932)鬼石曼子  投稿者:ちゃぼ  投稿日:05月27日(木)09時20分08秒

南日本新聞より引用・・・

「ここは昔、入り江だったんです」。
泗川(サチョン)文化院院長の呉弼根(オ・ピルクン)さんが、
料理店が軒を並べる一画を指しながら教えてくれた。
城は東側を除き、三方が海に囲まれていたことになる。
韓国慶尚南道・泗川市船津(ソンヂン)。文禄・慶長の役当時、
南海島(ナメド)へ通じる要衝として日本軍の使者の往来も
多かったといわれる。島津義弘はこの地に新城を築き、
明・朝鮮軍を迎え撃った。2度にわたって出兵した義弘の武勲の中で、
この泗川の戦いでの戦功が特に名高い。秀吉軍指導部から
「希代の大功」とたたえられ、知行地計5万石が与えられた。
そして明・朝鮮軍からは「鬼石曼子(しまづ)」と恐れられた。
武勇だけではない残虐な一面を想起させる呼び名である。

・・・なあーんだ「しまづ」じゃん


(1931)何と読むのでしょうか?  投稿者:秋山如雪  投稿日:05月27日(木)03時09分14秒

 実は前から気になっていたことがあります。それは恋の悩み! ではなく進路
の悩み! でもなくもちろん家庭の悩み! でもありません。
 それは某シミュレーションゲームの島津義弘についての説明書きのことで、彼は
朝鮮出兵で明の大軍を撃破し、亀甲船水軍を蹴散らし、朝鮮半島で「鬼石曼子」と
呼ばれたと書いてありました。この「鬼石曼子」の読み方と意味を知っている方が
いらっしゃったら、是非お教えねがく思います。気になって夜も眠れません。
(笑)この言葉、日本語ではないですよね、たぶん。とすると中国語か韓国語です
かね。ああ、気になる! 島津義弘がゲームではお気に入りだから余計に気になる
のです。プリーズ! 誰か教えてください。


(1930)かなり余談ですが..  投稿者:小松姫  投稿日:05月26日(水)20時39分57秒

X−Filesを読んでて..長年(と言っても1年かそこらですが)の
謎が解けました。ホントにさっぱりしましたわ。

何の謎?十河と「そごう」の関係!!!
違ったんですねぇ。そうなのか、どうなのか、気になってたんです。(笑)


(1929)小説買いました  投稿者:照耀  投稿日:05月26日(水)19時46分14秒

昨日小説を買った。
上杉神将伝と言うのを買った。前号も買っています。
上杉や北条関係の本はあまり無いのでついつい買ってしまいます。
ちなみにこの本、あの時に上杉謙信が亡くならなかったらと言う説定になってます。


(1928)木村重成  投稿者:榊原康政  投稿日:05月26日(水)16時06分23秒

 御久シュウ。

フト立寄ッタ”武将ランキング”。

スルト、木村重成ナル者ガ、”二位”ト”五位”ノ双方ニ存在シテイルコトヲ

発見シタ次第。



 追伸:何方カ、”戦国武将 城 物知辞典(百科?)”ナル書ヲ、

シリマセヌカ?カナリ旧キ物故、記憶ハアサハカデハ、アリマスルガ、

当書ヲ捜索中。(名前ニ自信ナシ)


(1927)読みました  投稿者:三楽堂  投稿日:05月25日(火)09時02分34秒

>みたいと思っているのですが、誰か読んだ方がいらっしゃったら、是非情報をくだ
>さい。ちょっと期待しているんですが、どうなのでしょうか?

政宗が好きなので、単行本出た時に買って読みましたが・・・
どうもわたしは津本氏の小説が苦手みたい。
「何月何日、○○がどうした、こうした」という史料の丸写しのよう
な文章が延々続くんですから。
夢三部作も秀吉、家康となると面白くないし・・・

ただ文庫の解説書いてる方が、お世話になった方だったので、
文庫も買っちゃいましたが(笑)。

小説的には山岡荘八の『伊達政宗』のほうが面白いです。


(1926)独眼竜政宗  投稿者:秋山如雪  投稿日:05月25日(火)03時05分08秒

 津本陽さんが執筆された「独眼竜政宗」。最近文庫で出ましたよね。実は読んで
みたいと思っているのですが、誰か読んだ方がいらっしゃったら、是非情報をくだ
さい。ちょっと期待しているんですが、どうなのでしょうか?


(1925)みんな好きだあ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月24日(月)22時24分42秒

>でも私は、上杉も北条も好きですよ。

明治以前にかぎれば、わたしは、嫌いな人物というのはいませんね。
ましてや戦国時代。坊主も商人も凡将もみんな好きです。彼等も
戦国ネタを提供してくれているわけですから。


(1924)いらっしゃいませ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月24日(月)22時21分53秒

時のふしあな様。
さっそくCG大坂の陣を拝見させていただきました。
面白かったです。
幸村の家康本陣突入は笑いました。狐につままれたような徳川軍・・・(笑)。

しかしながら、当方CPUも通信環境もまずしいため、ややおもかった
です。


(1923)ごあんない  投稿者:時のふしあな  投稿日:05月24日(月)21時34分01秒

 <<ご案内>>

  http://home4.highway.ne.jp/koiduka/

『 はじめまして、こんにちは。
 歴史館「時のふしあな」の管理人です。当館ではこの度、
「大阪の陣」をCG写真で綴った絵巻を展示しております。
 もしよろしければお越し下さい。 』

         時のふしあな:管理人 ’99.5


(1922)ごせんぞさま  投稿者:照耀  投稿日:05月24日(月)21時08分29秒

私の家系は、武田の家系だといわれていますが・・・
はたして信玄にちょくせつかはわかりませんけど。
と、言う事は源氏ですか・・・
でも私は、上杉も北条も好きですよ。


(1921)いらっしゃいませ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月24日(月)09時23分07秒

いらっしゃいませ、伊勢新太郎想髄さん。

三楽堂と申します。当方は源氏の裔・・・らしいです。
よろしく。 


(1920)いろいろな美女の条件が  投稿者:三楽堂  投稿日:05月24日(月)09時18分26秒

・・・生れた時代だったのではないでしょうか?>室町末期〜戦国ごろ。

>り前か)のですが、その当時の美人と今の美人とでは感覚が違うと思うのです。
> 確か昔は少しぽっちゃりしてたほうが美人と言われたのですよね。そうなると
>絶世の美女と言われるお市の方も実は・・・。いかん! みんなの夢を壊してし

たとえば、信長や家康の後家ずき。とくに子を産んだ女性を寵愛
したのは「うまずめ」ではないことが確実だから、と言われています。
子を産めるからだであることが条件なわけですね。

ところが秀吉というと、主筋や名家の子女ばかり集めたがる。その
結果、子はろくにできません。秀吉に子種がなかったとも言われ
ますが、深窓で育った華奢な女性を選んでいたせいもあるかも
しれません。

江戸末期の写真などを見ても、ドキッとするような美人がいます
からね。現代にも通用する美女はいたと思います。
しかし、昨今の「小さい顔」「ほっそりしたからだ」なんてのは、間
違いなく「美人の条件」ではなかったでしょう。池波正太郎の小説
にも「肉置きのゆたかな女性」がよく出てきますから、肉感的な女
がもてはやされたのではないでしょうか?


(1919)戦国美人  投稿者:秋山如雪  投稿日:05月24日(月)02時28分41秒

 どうも。如雪でござる。三楽堂様、すいません。待庵の下の方にペンネームの
由来を書いていらしたのですね。後で気づきましたよ。
 ところで、素朴な質問なのですが、戦国時代の女性の美人の条件ってのはどうい
うものなのでしょうか? よく大河ドラマなどでは現代的な美人が登場する(当た
り前か)のですが、その当時の美人と今の美人とでは感覚が違うと思うのです。
 確か昔は少しぽっちゃりしてたほうが美人と言われたのですよね。そうなると
絶世の美女と言われるお市の方も実は・・・。いかん! みんなの夢を壊してし
まった! まあ、写真がないから何とも言えませんよねえ。でもこの頃の美人に
ついて何か特徴などを知っていらっしゃたら、誰かご一報下さい。
 いや、個人的にはお市とかガラシャは現代でも通じるすごい美人だった、と信じ
たいんですけどねえ。あ、でも以前にどこかで「ねねは現代でも通じる美人だっ
た」などと聞きましたが本当でしょうか?


(1918)箱根の坂を越えて  投稿者:伊勢新太郎想髄  投稿日:05月23日(日)21時00分09秒

新羅三郎義光殿を敬服しつつ今に至候
されども当家は平家支流末裔にてその家紋と名跡を
受け継ぐものなれば
あら風の吹くも勝ちえたるなり
竜馬も向井殿も大好きです。
ぜひお話しましょう。


(1917)剣客商売  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月22日(土)23時07分01秒

>(最近、剣客商売を読みたいと企む半蔵ではあるが・・・)

私は2回目読んでいます。
今、10巻目。
何回読んでも美味しい小説です。


(1916)三楽堂は・・・  投稿者:三楽堂  投稿日:05月22日(土)22時19分25秒

> >三楽堂様 ところで、素朴な質問ですが、もしかして、「三楽>堂」という名
>は太田三楽斎から取りました?

はい、そうです。三楽斎入道道誉から「三楽」と「道」を「堂」に変えて
みました。
大谷刑部は吉川英治や山田風太郎なども書いていますね。
今回買った文庫の解説にも出ています。


(1915)長編小説地獄  投稿者:半蔵  投稿日:05月22日(土)21時38分17秒

今、「群雲、関ヶ原へ」を読んでいます。『書状ご披露』で「徳川家康」を読んで
いる。というのを見て、本棚に眠っている「徳川家康」を思い出しました。
12巻450ページでしおりが止まってました・・・(3〜4年前?)
「グイン・サーガ」52巻118ページにしおりが・・・長編小説は一気に読破しないと
気力がもちません・・・2002年にむけてがんばりたいと思ってます。
(最近、剣客商売を読みたいと企む半蔵ではあるが・・・)


(1914)大谷さん  投稿者:秋山如雪  投稿日:05月22日(土)18時23分23秒

 お久しぶりです。最近、暇がなくて・・・。何と大谷さんの本が出たんですか。
これは買わねば。いや、実を言いますとそれがしは大谷吉継が大好きでしてね。
あの石田三成との友情や関ヶ原での奮戦などは見物ですね。それで、三楽堂様は
読みましたか? あと、誰か大谷さんが描かれた小説、他に知っていたら教えて
下さい。
 >三楽堂様 ところで、素朴な質問ですが、もしかして、「三楽堂」という名
は太田三楽斎から取りました?


(1913)名将大谷刑部  投稿者:三楽堂  投稿日:05月22日(土)09時15分53秒

南原幹雄の長編が文庫化されました。(角川文庫)
この作家には「謀将シリーズ」がありますが、大谷刑部だけは
「名将」となっています。作者の思い入れが感じられます。


(1912)越後  投稿者:照耀  投稿日:05月20日(木)19時33分46秒

今年9月に越後へ旅行に行こうかと思っていますが、はたしてどうなりましょうか?多分行けないと思うけど・・・
行く目的は、とあるイベントの為なので・・・そのついでに、春日山城や鮫ヶ尾城
など、上杉ゆかりの地をたずねようかと思っています。
もしいってたらまた報告したいと思います。


(1911)お知らせ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月20日(木)19時25分39秒

I/O別冊『歴史シミュレーション・ゲームforWin(1)』

という本が出ました。発売元・工学社、価格\1900(税別)
で歴史ゲーム体験版や歴史オンラインソフトが入った付録
CD−ROMが付いています。

特集中の「戦国いぶし銀11傑」というコラムをわたくしめ
が書いておりますので読んでみてください。
一部Xファイルとダブっていますが、ほとんどは新しく書き
下ろしたものです。
※ただし樋口角兵衛の生没年が間違っております。わたしは
生没年不詳としたのですが・・・(^^;

〆切がギリギリだったもんで、今読み返すと恥ずかしいかぎり・・・


(1910)情報忍者マガジン  投稿者:三楽堂  投稿日:05月19日(水)23時18分17秒

電車の吊り広告に新創刊雑誌のお知らせがありました。
その名も「サイゾー」。
インフォ・ニンジャ・マガジンを謳っています(笑)。


(1909)13回目  投稿者:平 ○盛  投稿日:05月19日(水)20時57分06秒

あれから長い月日が経ちました。
皆さん  覚えてますか?

それは、雪の降る寒い朝でした。
寝ぼけ眼で郵便受けを覗いてみると、

ピンクチラシが!!

貴方は其れを隠しましたね。
しかも、
無くしましたね?

その上、
暫くして、親父さんに見つかって
「買って来ちゃろーか?」と、
聞かれましたね?

挙げ句の果てに
貴方は、買って来て貰いましたね???

さて
此の文章が当て填った貴方!!


ど助平


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが言いたかった。(>〜<)

其れじゃぁ
                         サヨナラさよならさよなら


(1908)トゥェンティー  投稿者:平 ○盛  投稿日:05月18日(火)21時34分43秒

生き方

雨にも負けず
風邪にも負けず
丈夫な図体を持ち
一日三個の米と
味噌一升(・・;
塩少々
それと後は、
甘ぁ〜い生活が有れば、それで結構です。

一日に味噌一升喰ぅてみぃ
誉めちゃるけぇ
                                 さいなら


(1907)ただいま  投稿者:照耀  投稿日:05月18日(火)19時27分29秒

昨日函館から帰ってきました。なんかお祭りに行くとすぐにハマッてくるし・・・
今度は小田原に五代祭りを見に行きたいです。
他にもいろいろと行きたい所があるので少しずつまわって行きたいと思います。


(1906)まいった!  投稿者:三楽堂  投稿日:05月18日(火)08時40分16秒

Xファイルのリンクが一ヵ所、切れてた
花の慶次さん、ご指摘ありがとうございました。


(1905)もうひとつ気になる  投稿者:三楽堂  投稿日:05月17日(月)22時18分07秒

真田太平記館でみた池波先生の真田のメモ。
罫が年表形式になっていて、編年体のように書き込める形式に
なっていた。わたしも連れも「べんりぃ〜」と思ったのですが、
あれは市販されているのかなあ。特注かしらん。


(1904)池波正太郎語録  投稿者:向井佐平次  投稿日:05月16日(日)23時33分36秒

>>16日(日)9時から日本テレビ系で放送されます。
>>
>>「池波正太郎」
>
>ステッキ傘も出ますかねえ?

出ませんでしたね。
真田太平記も表紙がちらっと出ただけにとどまりましたが・・・


番組に出てきた語録はほとんど知っていたけど、
久しぶりにテレビ見て大泣きしました。
何で涙が出てくるのかわからないんだけど、
止める術を知りませんでした。

ビデオは永久保存版です。


"黒"でも"白"でもない融通の利く生き方をしてみたいものです。


番組の最後のテロップのなかに池波豊子さんと
池波正太郎真田太平記館の文字は見逃さなかったよ。


(1903)十一回目  投稿者:平 ○盛  投稿日:05月16日(日)20時51分10秒

>その前日、つまり五月十一日に白石城を見てきました。

その日私は、生まれました。

だから11ってのは特別な数字で

>(BGM愛のテーマ)
>
>父さん、覚えてますか?
>
>東京へ出るときにもらった、麻雀牌
>
>賽子が無くなりました。
>
>花牌も無くなってしまったわけで・・・

北の○から?よくわからん

バイビー


(1902)ありゃまあ  投稿者:三楽堂  投稿日:05月15日(土)16時45分52秒

> 実はこの日、私は東京に居ました。
> 前もって知っていれば合流できたんですけどねぇ。

惜しいことをした。また東京方面へ出てこられるときには一報して
ください。もちろん、おひまがあれば。

白石城はわたしも行きました。ただし、復興天守でも似合うものと
そうでないものがありますから、わたしは城跡だけでも気に入って
いるものはけっこうあります。

ちゃんと古絵図などにしたがって、忠実に再現してくれていれば
いいんですけどね。


(1901)白石城  投稿者:影法師  投稿日:05月15日(土)14時41分12秒

>昨日、某ネット会議室のオフで江戸東京博物館へ行ってまいりま
>した。

 実はこの日、私は東京に居ました。
 前もって知っていれば合流できたんですけどねぇ。

 それはともかく、
 その前日、つまり五月十一日に白石城を見てきました。
 城そのものは焼けてしまって再建したそうですが、ただ城跡だけが
 残っているよりは再建でも城が建っている方がずっといいものですね。


戦国群像top