過去ログ1551番目から1600番目までの記事です。
>CPU+マザーボード+Win98の換装に手間取り、20回くらいインストールしてしまいました。 「大名の国替え」よりも手間かかりそう・・・(^^; 大坂城天守閣はなかなか魅力的な展示をしますよね。惜しむらく は関西まで出張らなければならないことと、もともとは「お城(あた りまえ)」なので、観て回るのも疲労困憊すること。
ご無沙汰しております。 CPU+マザーボード+Win98の換装に手間取り、20回くらいインストールしてしまいました。 いまだSCSIが不具合ですが、インスト中に『真田昌幸』が読めたので、良しとしましょう。 さて、伊藤野枝さんは「のえ」だったら素敵だなと思っていたら、本当に「のえ」でした。 別ジャンルですけれど、まあ、ねっ。 ところで、>長尾っぽ殿 横レスで恐縮ですが、高野山蓮華定院から、星祭のご案内をいただきました。 節分の護摩祈祷ということで、たぶん、蓮華定院に限らず、山をあげてのことなのでしょう。 旅程が合えばいいですね。 なお、真田庵は地図で確認された方がよいと思います。駅からは近いのですが、 電柱の十勇士を見ながら歩くと、遠回りをしてしまいます。 念のため、<a href="http://www2a.meshnet.or.jp/~matsu-y/">九度山のHP</a>です。 タグが使えていなかったら、カット&ペーストしてください。 そういえば、>高坂晴香殿 秋の関西ツアーのときに、大阪市立博物館で戦国時代の服飾史の展示をやっていました。 武田関係は無かったような記憶があります(3時間くらい見たけれど)。 アカデミックな視点で見た訳ではもちろんありませんが、とても興味深いものですね。 頑張ってください。
情報ありがとうございます。 ああ、早く行きたいなあ。わくわく。 >そうそう、麓の真田庵は立ち寄られるのですか? わかりやすい所にあるのでしょうか。行けるとこならどこでも 行っておきたいのですが。
>近々高野山に行こうかなと思っているのですが雪とかあるのですか。 雪はそんなにないと思いますよ。ただし、寒いでしょうが・・・。 高野山へ行く際には、 1.金剛峰寺(羽柴秀次自刃の間) 2.宝物館(信玄・勝頼・お市・浅井長政らの肖像画あり) 3.奥の院(上杉謙信の朱の霊廟はじめ戦国武将の墓勢揃い) をおみのがしなく。 そうそう、麓の真田庵は立ち寄られるのですか?
>戦国時代が良いのです。できれば、武田系の論文が書きたい! 高野山持明院に残る信玄肖像と勝頼肖像の相違を論じてみて はいかがでしょう? おやじ信玄は、素襖。むすこ勝頼は肩衣袴。この間に関東にも 武家男子の正装に変化があったものと思われます。 実物は・・・ないでしょうが・・・
服装の歴史なんてよい題材ですね。いいなあ。 私も歴史で論文書きましたが、大正時代でした。 この時代のことなんて全然知らないのに・・・。 近々高野山に行こうかなと思っているのですが雪とかあるのですか。 北陸は雪ばっかなので山なんてとても行けないです。 だから、ちょっと心配です。
貴重な空間を大きく陣取ってしまいました。
突然、乱入申し訳ありません。 私の専攻は日本の服装の歴史です。論文のテーマ探しに困っています。 戦国時代が良いのです。できれば、武田系の論文が書きたい! 服装の歴史ですので、なかなか良い案が浮かびません。 上杉は小袖など沢山遺品があるのに、武田はあまり着物がなさそうです(当たり前か)。 ここは南蛮ファッションや陣羽織をやるべきか。小袖もいいな。 南蛮は前に「堂々日本史」でやっていたっけ。 小袖についてはドラマ「功名が辻」で千代(山内一豊の)が作るの(?意匠を考える?)が 上手いと言っていたような気がします。
本日の「堂々日本史」はフランシスコ・ザヴィエル。今年は来日し て450年目とかで、「大ザヴィエル展」もはじまりました。 ザヴィエルといえば、カニがシンボルですから、この際、カニ道楽 なども大いに宣伝すべきでしょうな(笑)。 で、来年は関ヶ原400年か・・・そして16年後には大坂の陣400年。 なんかいろいろイベントには事欠きませんなあ・・・。
本日の「堂々日本史」はフランシスコ・ザヴィエル。今年は来日し て450年目とかで、「大ザヴィエル展」もはじまりました。 ザヴィエルといえば、カニがシンボルですから、この際、カニ道楽 なども大いに宣伝すべきでしょうな(笑)。 で、来年は関ヶ原400年か・・・そして16年後には大坂の陣400年。 なんかいろいろイベントには事欠きませんなあ・・・。
>しかし、自刃とは・・・ひょっとしたら未完だったとか? 完結はしてたんじゃないかな?>『野史』 (たまに「のし」って読むやつがいる) まあ、体裁をみればわかると思いますけど、どこで打ち切っても いいようなスタイルでしょう? ただ、当時の世相をうけて「勤王思想」に影響されたものだから、 今読むと、ちょっと異質に感じられるかも・・・。
野史は幕末にかかれていたのですか。 もっと最近なのかと思っていたのですが。 教えてくださってありがとうございます。 しかし、自刃とは・・・ひょっとしたら未完だったとか?
>誰が、こんなん書いたのでしょうか。 飯田忠彦という江戸時代後期の人です。水戸藩の「大日本史」 の続編づくりをめざして編纂したものですが、桜田門外の変に 連座して自刃してしまいました。 わたしも図書館で何度か利用したことがあります。 「ぜひ復刻してほしい本」ベスト5に入るでしょうなあ・・・。
書物をご存じですか。 なんか、いわゆる紀伝体で書かれているのですが、ちょっと 変わってるなあと思って。 史料というより人物事典って感じの本でした。 誰が、こんなん書いたのでしょうか。
>三楽堂さん、淡路島には何か残ってますかねえ??? 淡路は四国へ行く時にバイクで通過しただけだけど・・・たしか 洲本城という城跡ぐらいしかなかったような気がする。それも三好 の城じゃなくて江戸時代の蜂須賀家の家老稲田氏のものだった のではないか、と。 司馬遼太郎の街道をゆくシリーズに淡路島も入っているからみ てみたらどうでしょう? 三好といえば、徳島県だと思ってたけど。三好町とかあるし。
おひさしぶりです。 先日、次回の戦国小旅行は「伝説の英雄 雑賀孫一と共に信長にお尻ペンペンをする」 (即ち尻啖え孫市ってことですが) で、おそらく決定でしょう。。 が、しかし、ワガママかつ一般サラリーマンと比べて常識いうものが 見当たらない同行予定者の学者にあらせられる鈴木大納言博士という方曰く。 「淡路島の三好家のオプショナルツアーつけてくんなきゃやだ」と駄々をこねるもんで、 オプショナルツアーとして淡路島の(でしたよね??)三好家探索ツアーをするハメになりそうです。 三楽堂さん、淡路島には何か残ってますかねえ??? 何も無ければ早々にあきらめ、淡路島でルアーでシーバスでも釣ろうかと思ってますが・・・
信之本は見当たりませんねえ。池波正太郎の作品がそれにあた るんでしょうけど、わたしとしては、小説ではないきちんとした伝記 を読んでみたい気がしますね。 誰か書かないでしょうか?
>PHP文庫から『真田昌幸』が登場しました。 >いかがなものでしょうか・・・。 早速チェックしに本屋に駆け込まなければ・・・
PHP文庫から『真田昌幸』が登場しました。 いかがなものでしょうか・・・。
ごあいさつが遅れました。すみません。 当会議室・城代の三楽堂と申します。 ご指摘の件、たしかにそのとおりですが、所詮は些末事ではない か、とわたしは考えます。実際、光秀はそれに近いことを口にした かもしれませんし(^^) むしろ、そういうセリフは側にはべる御用作家か当事者が覚書で も書かないかぎり、記録されることはないのですから。 もっとも、学者が論文で「敵は本能寺にあり・・・」とおっぱじめたら 問題ですが、テレビや小説で見かけても問題はないと思います。
見ました。安井道頓の体型は原作に近いかもしれませんね。 珍しく、武将が脇役で楽しめました。合戦シーンは絵巻物でごま かされてしまいましたが、そっちが見せ場ではありませんからね。 民放の時代劇には偏見を持ってるわたしですが、今回はなかな かよかったです。
明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。 さて、明日の道頓が楽しみだ! (12時間には触れないでおこう)
新年明けましておめでとう御座います。 はじめまして。突然ですが一言。「吾が敵は本能寺に在り」という名台詞、明智光秀が言ったものだと思っている人が結構多いそうな(述べたのは頼山陽)。今年一年は一人でも多くの人に、歴史の真実を知ってもらいたいですね。…では
本年も戦国群像および小田原評定をよろしくご贔屓のほど、よろ しくお願いいたします。
残念でしたね、月曜日・・・わたしも結構そのテの問題に直面して おります。寺社関連はだいたいだいじょうぶなのですが・・・。 >次回は全員一致で「雑賀孫一ツアー」となりました。 期待しております、ともーか殿。
評定衆のみなさま、今年一年ありがとうございました。 来年もよろしくお願いいたします。
本年はいろいろとお世話になりました。ありがとうございました。 来年も宜しくお願い申し上げます。 ところで、今年も最後ということで、小ネタを一つ。 横浜の新名所となったハマの大魔神社ですが、受験生は決して詣でてはいけないのです。 さて、それはなぜでしょう? (簡単ですね。答は来年に)。
おひさしぶりです。 左衛門佐ともーかです。 さて、昨日、今日と友人三人で長浜及び湖東地方へ「戦国ツアー」をしてきました。 が、私の友人のうちの一人は「細い道フェチ」かつ「観音像フェチ」でしたので 古い町並みが立ち並ぶ長浜の道を歩いている際に脇の細い道を見つけると 必ず入っていってしまい、その上、お寺ばかりを丹念に回って「すげえーっ!」と 観音像などに感激するので、本来の戦国ツアーの目的は全て二日目にと 思っておりましたが、まず、第一の誤算は、長浜城が改修工事中・・・・ その上、今日は月曜日である為、湖東地方の博物館関係はほっとんど休み・・・ 仕方ないので賎ヶ岳合戦城でも行くかということになりましたが、 昨晩の「呑み行為」で体にムチを打ってしまった三人とも「山登りはいやじゃあ」と 断念。 それではとばかりに小谷城〜姉川合戦城へ・・・と思った矢先。 小谷城跡入り口で友人の車のバッテリーがあがり、大騒動。。。 結局、そのまま戻ってきてしまいました・・・ まあ、今回は某寺に江戸時代ずっと長浜町民により隠されてきた門外不出の 「秀吉の木造」を見ただけでよかったとしますか。 というわけで、今回「戦国小旅行」のHPは作成できましぇん。 (写真不足なもので。。。) 次回は全員一致で「雑賀孫一ツアー」となりました。 なんか笑いのネタはないかいな。。。 それでは
>これがいいたかっただけですけど、ウサギ年の有名な人って >結構いそうですね。 伊達政宗と真田幸村もそうではなかったかしらん?
上杉景勝はウサギ年です。 これがいいたかっただけですけど、ウサギ年の有名な人って 結構いそうですね。
千葉の過去ログマニア、呂宋助左衛門です。 矢古女殿、まいどありがとうございます。2000番目指して頑張ります。 ところで、『徳川大名改易録』なる本に、「ここに景勝は、豊臣政権下の第三位の 大大名から、家康のもとでの外様大名に転落した。」というくだりがありました。 やはり、そういうことなんですかね。経営者とすれば、食う(食わす)に精一杯って ところなのかな。しかし、そこにも心理的葛藤が(あくまで!)あるに違いない。
全国の過去ログマニアの皆様、こんにちは。 「小田原評定」過去ログ追加いたしました。 http://www.people.or.jp/~yakome/oda/oda.htm からどうぞ(^^) なお、栄光の(?)1501番は、長尾っぽさん(笑)
>双子で生まれた自分の子供を捨てろっていうんです。 >ただし、片っぽの方だけなんですけど。 実際、双子だった戦国時代の有名人には・・・松平忠輝がいます。 ・・・とここまで書いたところで家人が「結城秀康じゃなかったっけ」 と茶々入れ。 そういえば、そんな気も(^^; これも片方(忠輝か秀康)が疎まれていましたが、もう一方が夭折 してしまったので、スペアとして家康に呼ばれました。 成人してからも双子で活躍する、というのは家督相続のいざこざ とかがあるから、実例がないですねー。
私も見てみました。 すると、悪人秀忠の話題が(笑)・・・。 そういえば、私もこないだ恐そうな秀忠見ましたよ。 1コマしか出てこないんですが・・・。 双子で生まれた自分の子供を捨てろっていうんです。 ただし、片っぽの方だけなんですけど。 話の内容自体はよくわからんまんがでした。
戦国時代にクリスマスを祝った大名・武将っていたのですかねえ? 信長とかキリシタン大名は、クリスマスミサとかを見物したかも・・・。
灯台下暗しというべきか、過去ログがあるのをすっかり忘れておりました。 やはり、ところどころで話題は沸騰しているのですね、上杉景勝。 なにで盛り上がっているかが、若干気にならなくもないのですが。(^_^;) ともかく、長尾っぽ殿のおっしゃるように、少なくとも外様大名にとっては 「おいしい戦」ではないでしょう。けれども、例えば景勝Vs.幸村などという 可能性もあった訳で、心理葛藤ドラマとしての興味が尽きません。 とりあえず、『われ、謙信なりせば』を読んでみようと思います。
本日、呂宋助左衛門殿から真田太平記のビデオを送っていただきました。 ありがとうございました。 尚、安房守昌幸殿にもご尽力頂いたそうで 主筋の方にそのようなことを… この御恩にはどのように奉公を持ってすればいいのやら・・・
>いったいどんな心持ちでいたのか、知りたい!! 景勝は家康につぐほどの老将だったみたいですよ、大坂陣の頃は。 ほかは、初陣目当ての二代目・三代目武将が多かったようです。 実戦経験の薄さが、夏の陣では城方の猛攻を許してしまったの ではないか、と。 景勝の小説をお探しとのことですが、彼の一生を扱ったものさえ、 ちゃんとしたものがない状態ですからねえ・・・。 景勝ではないけど、家臣杉原親憲のエピソードが好きです。
>一部で話題沸騰の上杉景勝ですが、 ・・・こんなことしてるのは、私だけです。あくまで一部だけ(笑)。 景勝の大坂の陣ですか。そういえばというか、この戦いは勝つ方から みてもあんまりおもしろくなかったでしょうから小説にならないのか もって思いますね。でも、景勝のエピソードは結構ありますよ。 >家康は偉いと思います。 うん、関ヶ原に勝った家康はすごいですね。 いやあ、勝つだけでも大変なのに短期で終わらせちゃったところが 驚異的だなって思ってます。
一部で話題沸騰の上杉景勝ですが、彼の大坂の陣の頃を扱った小説はないでしょうか。 検索エンジンで探してみたところ、それらしきもが見つからなかったのです。 関ケ原の気概はどこへ行ったんだ! ――と言いたいところですが、 徳川時代のお大名は、本当にたいへんだったのでしょうしねぇ……。 いったいどんな心持ちでいたのか、知りたい!! 蛇足ですが、検索中、関ヶ原の歴史シュミレーションノベルゲームに当たりました。 主人公の家康(私)は、辛抱や努力が嫌いなので、秀吉の死を聴くや否や、 直ちに大坂城を攻めました。 ところが、真田・佐竹・上杉・伊達の連合軍に江戸を潰されるわ、細川に京を 押さえられるわで、4ページでゲームオーバーになりました。 家康は偉いと思います。
関ヶ原合戦で敗退した島津義弘の領国安堵をめぐる 『島津奔る』が出版。12月24日、新潮社より!。 著者は『四十七人の刺客』でおなじみの池宮彰一郎氏です。
私の実家の隣町に高天神城址があります。小学校の遠足の時に行ったことがあり、横穴を掘ってできた牢や、ずっと枯れないといわれる井戸などあったのを 記憶しています。家の近くにこういった場所があるのは、非常に感慨深いものがあります。 それと、私のパソコンのネットワークが何が原因か知らないけれど、途切れて しまいました。だからしばらく通信ができなくなってしまいました。 参ったなぁ。
>上杉景勝の・・・挿し絵のほうに(笑)。 あのイラストは恥ずかしかった。ちなみに執筆者とイラストレーター の事前打ち合わせは一切なし。イラストが挿入されることも知らな かった。 まあ、「絵にして面白い話」というのは、あまりないからねえ。きっと 最初に構図がきまったのは、景勝のところだとわたしは邪推している。
いやー、温泉はよいよい! 戦国大名と温泉は、切っても切れない関係だし(?)。 通常の忘年会を3件断って、これに注ぎ込んだだけのことはある。 修善寺はどちらかというと源頼家で有名だけど、宝物館には、ち ゃんと北条早雲の「血書(血で書いたというお経)」とか、「温泉に 入る際の心得」などを記した書状が並んでいたっけ。
笑っちゃいました。 上杉景勝の・・・挿し絵のほうに(笑)。 話の方は、どっかの小説で読んだことがあったので、特に 衝撃はなかったのですが。 でも、結構知らない話があって読んでて興味深かったです。
このところ、愛想なしの「情報」のみになっております。 中公新書から、『信長の親衛隊』が出ます。 著者は『織田信長家臣団人名辞典』の谷口克広氏。 巻末の人名辞典が素晴らしい!『信長家臣団人名辞典』を持って ない方は、けっこううれしいかも。
>コロナ・ブックスはなかなか面白いシリーズです。 >「大人の修学旅行」とか。ついつい本屋で立ち読みしてしまいます。 私もこちらは手にとってしまいました。 週末にでも池波正太郎の世界探しに行ってきます。 追伸 別所温泉の石湯は改装工事が進んでおりましたが、 22日から営業する模様。
>ベンガル載ってたかなぁぁ 写真はないですよ。刀屋の蕎麦だけ(笑)。 文章のほうで、刀屋とベンガルとかがお気に入りだった、と書かれ ています。 コロナ・ブックスはなかなか面白いシリーズです。 「大人の修学旅行」とか。ついつい本屋で立ち読みしてしまいます。
>そういえば、最近(あんまり最近じゃないけど)の謙信って >白頭巾かぶってないですよね。この映画といい、「武田信玄」 >といい。なんででしょうね。 白頭巾(行人づつみ)は、「岩国本・川中島合戦図屏風」の影響かな。これは「甲陽軍鑑」をもとにしてますよね。 鉢巻きをしているもの(紀州本)もあります。こっちは「川中島五度 合戦次第」が元ネタ。 謙信はホントにアタマを剃ってます。信玄は剃ってなかったようです。 謙信の出家は川中島よりもずっとあとのことだったので、 「まあカブトでもかぶせておくか」と製作サイドが考えたんでしょうかね。 でも、映画「天と地と」のアーマーは変ですよー。
>雑誌「太陽」の池波正太郎特集がコロナ・ブックスの1冊となりま >した。真田編は少ないですが、刀屋やベンガルについても触れら >れております。また、鈴木右近の墓の写真も・・・ > >タイトルは『池波正太郎の世界』です。 それは1994年の2月号の太陽ですね。 買いました。 ベンガル載ってたかなぁぁ 買いに行こうぉぉ 情報ありがとうございます>三楽堂殿