梟雄の死

織田、豊臣、徳川と実力ある者に巡ってきた天下は、ついに伊達政宗の手には届かなかった。
伊達政宗、寛永十三年五月二十四日、江戸桜田邸で死去、享年七十。時世は、
くもりなき こころの月を 先立てて
浮世の闇を照らしてぞゆく

その死に際し、十五名の家臣、五名の陪臣が殉死した。

追い腹法名、事蹟
石田将監与純信沢道伝禅定門。
曇りなき月の跡問山端の道も涼き松風の音
茂庭采女兼綱善叟昌因禅定門。
終に行旅の道立武士の輝さてもあれ弥陀の来迎
佐藤内膳吉信法得紹隆禅定門。
地水火風己々に返しつゝ有無の中道ひよつと抜たり
青木忠五郎友重円岫了規禅定門。
よしさらば曇らば曇れ曇るとも心の月の道をしるべに
南次郎吉政吉清隠浄光禅定門。
遅くとも心の早きのりの駒武士の剣は弥陀の来迎
加藤十三郎安次説庭良宣禅定門。
くもりなき月の入さをしたひつゝ影もろともに西へこそゆけ
菅野勝左衛門重虎芳叔久聯禅定門。
出るよりも行衛も知ぬ旅の道照したまへや弥陀の来迎
矢野目伊兵衛常重堅室道固禅定門。
晴て行月影したふ道なれば迷はぬ末ぞ思ひ知らるゝ
入生田三右衛門元康功翁知全禅定門。
古郷へ帰るとみれば霧はれて君諸共に行本の道
桑折豊後綱長竹友祟賢禅定門。
くもりなき月のひかりともろともに道引たまへみだの浄土へ
喜斎悦嶂道観禅定門。
情には命計りは惜からん君諸共に雲の上まで
小野仁左衛門時村凉窓受蔭禅定門。
影高き松に嵐の吹荒て散添露は小野の下草
小平太郎左衛門元成怡心道悦禅定門。
かそふれば六十余の夢覚て君諸共に行本のみち
大槻喜右衛門定安天岑周徳禅定門。
只たのめひかりをさそふ友なればいかゞまよはぬ六道の辻
渡辺権之丞重孝石雲真鉄禅定門。
皆人は暮る月日と思ふかよまた立帰る明る日のをみよ
卯辰迄露は草葉に栄えつゝ巳となるときは本の姿に
亦腹(殉死の殉死)法名、事蹟
青柳伝右衛門祥岳俊瑞禅定門。石田将監家士。
加藤三右衛門梁岫元棟禅定門。石田将監家士。
東海林茂伝次松嶺自長禅定門。茂庭采女家士。
横山角兵衛円看好清禅定門。茂庭采女家士。
杉山理兵衛晴峯浄景禅定門。佐藤内膳家士。

(伊達成実著『政宗記』による。)
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