伊達政宗の風貌


身長159cm。血液型B型。幼少期に疱瘡に罹り、右眼を失明。左腓骨には二十三歳の折、落馬による骨折の痕あり。頭部の形状は後頭部が張り出し、前額部がふくらんだ頭脳明晰型。骨格標本から復元された瑞鳳殿の政宗像は、現代的な二枚目といった風貌を伝えている。左の木像(松島瑞巌寺像・宮城県文化財指定)は、政宗七回忌に正室陽徳院が発願し、京都で制作されたもの。朝鮮出陣の折の政宗二十七歳の姿を写したもの、という。消極的な子供であったが、有能な家臣・師にめぐまれ、英雄的性格を身につけていく。同時に梟雄的ともいわれる権謀家の面をも備えていく。敵対した者については、女子供にいたるまで皆殺しにする非情な一面がある一方、家族や家臣に対して「おせっかい」ともいえる細やかな心遣いを示す。老獪ではあるが、派手好きで粗忽な言動もあり、妻妾や家臣と感情の行き違いがあったり、他の武将の引き立て役にされるエピソードも多い。有名な隻眼については、自身コンプレックスがあったらしく、死後、肖像を描くときは必ず両眼をいれよ、と遺言したといわれる。
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