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 高田馬場の由来は高田君と馬場から来ている。馬場の場所は、江戸初期に松平忠輝の母である高田君の庭園があった場所で西早稲田3丁目付近に有った。後に幕府持弓組頭の同心衆が的場を築て馬場となり、旗本の馬術練習や流鏑馬に使われた。戸山公園は尾張藩二代徳川光友が寛文9年(1669)より造営した、箱根山は麿ヶ嶽と言われ江戸最高所の地であった。神田川は二代将軍秀忠の頃に整備された江戸最初の上水である。
薬王院
薬王院(ボタン寺)

高田馬場の流鏑馬
穴八幡神社
 享保13年(1728)八代将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納したのに始まり、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で穴八幡神社の神事として流鏑馬が奉納された。現在は都立戸山公園に会場を移して小笠原流流鏑馬として公開されている。

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