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 朱引の内側、大久保は鉄砲百人組同心の大縄地でした。幕府が鉄砲百人組に百人町一帯を支給したのは寛永10年(1633)の江戸城拡張にともなってです。甲州街道の防衛のためと言われています。
 鉄砲組は天正18年の家康江戸入国に際して、内藤修理亮と青山常陸介に率いられて先陣を勤めています。 鉄砲組は江戸時代、大手内三門の守備や将軍警備の任にあたっていた。
 鉄砲組の組屋敷は間口が狭奥行きの長く、東西には柵門を設け江戸を守る砦とした。現在の地割も当時に近く、路地が細長い。  

皆中稲荷神社(百人町1−11)
 天文2年(1533)に創建した。鉄砲組が百人町に定住してから、大久保の総社として皆中神社は「みなあたるの稲荷」と言われ信仰を集めた、近年は百人隊行列を復活し、多くの古銃資料を収集しています。
皆中稲荷神社 皆中稲荷神社
箱根山 尾張藩江戸下屋敷跡(戸山公園一帯)
 通称戸山荘と言われていた。約136、000坪あり、小丘陵に挟まれた、中央部には広大な泉水や、実際の小田原宿を実物大に再現した街並みが有った。箱根山(麿呂ヶ嶽)は戸山荘庭園の築山の跡で旧区内では標高が最高(44m)です。

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