大聖寺藩


大聖寺藩

大聖寺藩由来記(七徳堂裏)
 寛永16年(1639)6月 20日加賀藩三代藩主前田利常公は 47歳の若さで小松に隠居し、 嫡子光に加賀藩八十万石を、二男利次に富山藩十万石を、三男利治に大聖寺藩七万石 を与え分封した。  大聖寺藩領は江沼郡全域(百三十三ヶ村)と郡谷村及び能美郡六ヶ村を加えたもので あった。九代藩主利之の文政 4年(1821)新田一万石、加賀藩から現米二万俵を受け加 賀藩からの願出により幕府から十万石の待遇を公認された。以降十四代利鬯[としか]ま で十万石として明治 4年(1871)廃藩置県により、大聖寺県となるまで続いた。  九谷焼は初代藩主利治が後藤才次郎に命じ、領内九谷村に窯を築き産出したと伝えら れており、その窯跡は国指定史跡「九谷磁器窯跡」として残されている。  この地大聖寺藩江戸藩邸(5997歩)跡を史実の証として石碑を設立し、後世に伝える ものである。

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