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「主権者のための社会科教科書」 > 編集方針■「主権者のための社会科教科書」の編集方針@高校「現代社会」で学習する内容を可能なかぎり日本国憲法の体系に位置づける。標準的な高等学校「現代社会」教科書の目次を見ると、この科目がおおむね「政治経済」をベースに「倫理」の内容を少し加えた中身であることがわかります。 しかも「倫理」の内容を扱う章と「政治経済」の内容を扱う章がはっきり分かれて、まるで2冊の教科書を貼り合せたような構成になっています。さらに実際にページ数を数えてみると、「政治経済」の中でも特に「経済(環境問題を含む)」の分野に多くのページが割かれています。 「経済大国・日本の教科書らしい」と、言って言えなくもありませんが、しかしそのわりには、財産権や職業選択の自由に関する説明などは実に浅薄で 、「経済」といっても要するに経済システムの学習が中心であることが分かります。 こんなふうになる最大の原因は、現在の文科省の学習指導要領においては、「現代社会」が実質的に「政治経済」と「倫理」のダイジェスト版(A科目)として位置づけられているからです。つまり「現代社会」という名称にはなっていますが、「倫理・政治経済A」と表現したほうがいいような位置づけなのです。しかしその位置づけを容認するとしても、「こんなふうに政治経済 と倫理の教科書を単純に貼り合わせただけのような教科書で、本当に将来の主権者として必要な教養を十分身につけることができるのだろうか?」 。これが、私が「主権者のための社会科教科書」を執筆しようと考えるようになった最大の動機です。 私は、高校教員になって授業をしているうちに、「やがて主権者となって日本・世界の舵取りを務めることになる青年たちに、現代社会の諸問題を新しい視点から統一的にバランスよく学習させ、現代社会を少しでも良くしていくための課題を示したい。その統一的視点にふさわしいものは日本国憲法しかない」と考えました。なぜなら、日本国憲法は現代日本における最高法規=戦後日本の指針であり、また国際的にも評価の高い憲法だからです。現代社会の諸問題を可能な限り日本国憲法の体系の中に位置づけ、日本国憲法に照らして現代社会を見る・考えるという習慣を養うことによって、現代社会が日本国憲法の掲げる理想からどれほど離れているかが鮮明になり、ひいては次世代の主権者として何が求められているかが浮き彫りになるのではないだろうか。私はそう考えて、この「教科書」を構想しました。 憲法を中心に現代社会を考える姿勢は、学習指導のみならず、進路指導や生活指導にも応用できるでしょう。あるいはさらに、たとえば図書館の社会科学に関する書籍を日本十進分類法(NDC)ではなく日本国憲法の体系に沿って 分類するというようなことも可能かもしれません。 A「現代社会の諸問題=人権保障の問題」としてとらえる。「現代社会の諸問題を日本国憲法の体系の中に位置づける」と言っても、ピンと来ないかもしれません。少し言い換えれば、「現代社会で生起している諸問題は、すべて多かれ少なかれ人権に関連する問題だと考える」、ということです。ここが既存の発想とは大きく異なる点です。 従来の発想では、「人権」というテーマは、政治分野の中の一つの領域に過ぎません。既存の教科書でもそのような位置づけになっています。つまり、例えば「人権」と「経済」はそれぞれ別のテーマであって、両者は直接には結びつかない、というような考え方があるのです。 以前私が「人権を中心として現代社会を授業している」と言うと、「人権だけではなく、経済も勉強させなくては駄目だ」というような反応が返ってきたものですが、その反応が返ってくるのも、「人権と経済は別物」という考え方があるからです。 しかし本当にそうでしょうか? 「経済」は人間と無関係にあるのではなく、人間のためにあるものです。人権がすべての人間に賦与されたものであるなら、「経済の仕組み」は、突き詰めて考えれば、「私たちの財産権や生存権を支えるための広大な社会の仕組み」、と とらえることができるのではないでしょうか。そのように考えれば、経済は人権と無関係なのではなく、むしろ 「人権のために経済がある」と考えるほうが正しいということになります。 同じことは「倫理」分野のことにも言えるわけで、「現代社会」における倫理的分野の内容は、人権思想や人権を尊重できる人間形成といった観点から日本国憲法に関連付けることができますし、また信教の自由の対象である諸宗教はそれぞれどういう中身の宗教なのか、といった観点から、形式的には憲法の枠内にはすっぽり収まらずとも、少なくとも憲法に関連付けることは十分可能です。「国際関係」の分野 も、日本国憲法が成立するまでの前史や、日本国憲法をとりまく国際的状況の観点から関連付けることができるでしょう。 このように、「人権」中心主義の視点で現代社会の全体をとらえてみようというのが、「主権者のための社会科教科書」の発想なのです。その立場から既存の「現代社会」教科書の中身を整理すると、次のように並べ替えることができます。
B大学での憲法学の講義あるいは標準的な教科書とは異なる、新しい試みをする。
C単元の総数を40とし、各単元を基礎編・標準編・発展編の3段階に分ける。生徒の学習実態に合わせた授業構成を可能とし、この「教科書」を少しでも利用価値の高いものにするため、全体を40単元に編成し各単元を3つの段階に分けたいと考えています。これにより、例えば1単位時間(標準50分)に2ページ進むことができれば、基礎編と標準編(合計約120ページ)を60時間(<70時間=2単位で1年間)の授業で学習でき ます(実際には50分で2ページ進むのは難しいかもしれませんが・・・)。あるいは、基礎編だけを先に学習して、残った時間で標準編をいくつか学習するようにすることもできます。さらには基礎編は予習課題としておき、教室では標準編を中心に授業するという方法もあり得ます。 なお、各編の水準は次のように考えています。
なお、「40単元」には「プロローグ」を含みません。またページ割は単元によって若干の変更があります。また発展編については未だ十分に準備できていませんので、今後発展編を準備していく途上で、各段階に割り当てるページ数を変更する可能性があります。 D読解力養成を期して、文章を中心とした説明をする。昨今の高校生の読解力の低下を少しでも食い止めたいと考え、文章による説明を中心に据えました(もちろん説明の手段として写真や図を利用したいところもありますので、今後少しずつ改良していきたいと思います)。 なお、「必要以上に既存の教科書を逸脱しないようにしたい」という気持ちから、本文・傍注には実際に授業で使用した教科書の記述を引用している箇所が多数あります。その部分にはコメントの形で典拠を示しました。 E詳しくするのは簡単。「いかに簡潔にまとめるか」こそが問題。「主権者のための社会科教科書」は、高校生を対象として想定しているものです。それゆえ一般の方や特に専門家の眼から見た場合には、内容は必ずしも十分ではない箇所がたくさんあります。それは私も十分わかってい ます。しかしこれは一般向け図書まして研究書ではありませんので、それはある程度は仕方がないことではないでしょうか。完璧を期すとなると、本当にきりがありません。「分量に制限を設けずに詳しく書く 」ことは、ある意味で簡単です。しかし「教科書」の作成においては、研究書を書くのとは逆の発想、すなわち「限られたスペースに収まるように、いかに内容を精選し簡潔にまとめるか」が問題にならざるを得ないのです。 もちろん諸外国の教科書には、日本の教科書よりもはるかに内容豊かなものがあります。日本でもそのような教科書が普通に使われる ようにならなければなりませんし、私たちはそのための努力も惜しんではなりません。しかし現在の日本の多くの高校では、「現代社会」の授業時間を年間60コマ(1コマ45〜50分 で週2コマを30週)確保するのがやっとの状況です(実際には60コマも確保できていないかもしれません)。そのような現状を前提に考える場合、現実にはこの「主権者のための社会科教科書」でも内容が詳しすぎるほどです。 F教科書は「縦糸」もしくは「大皿」「主権者のための社会科教科書」は、高い志をもった多くの教員が実践するさまざまの魅力的な授業の共通の縦糸あるいは大皿となるべきものです。所詮は「教科書」、それも高校の教室で実際に使える「教科書」を意識したものですから、個々のテーマの扱いは底の浅いものにならざるを得ません。しかしこの「教科書」には、主権者を育てるための必須の素養がひと通り盛り込まれています(というか、盛り込んでいきたいと思っています)。形容矛盾と誤解を恐れずに言えば、これは「主権者のための帝王学」なのです。あとは、この「教科書」を活用するそれぞれの教員の皆さんが、自分の持ち味を生かして、得意なテーマについてはよりいっそう魅力的な授業になるように努力していただければ良いのではないかと思います。
以上の点を十分ご了解のうえ、なお内容の改善についてご意見を頂戴できれば幸いです。 2009/4/19増補 2009/5/5増補 2009/12/29改訂・増補
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