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よっちゃん日記アーカイブ


(2015.11.03 「更新」)  -万葉集-
 昨日、私は夕方から咳がひどかった。近所の診療所で診察を受けると、気管支炎と言われ、そこを出たのは昼の一時過ぎだった。帰りに商店街に立ち寄って蜜柑を買った後、隣の古本屋に行った。店先のレジの横に老眼の上目使いの男が一人、漠然と座っていたので、「万葉集はおいているか?」と尋ねた。すると、男は自分の正面の棚を指差しながら「下から三段目の中央に三冊ある」と愛想なく答えた。私はその中から二冊を買った後、その本屋を出た。帰って体温を測ると、九度近くもあった。薬を飲んで寝て眼がさめると、もう月が明るかった。間接の痛みは消え、重かった頭も幾分すっきりしていた。それから、買った万葉集を読んでいたら、こんなことを見つけた。舎人(とねり)親王の子、船王が難波で詠んだ歌であるが、前に見えるのは淡路島であって阿波は見えないのに、西方の山を阿波の山とみたのであろう。「眉の如 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊まり知らずも」 とお歌いになったようだ。私は眠くなるまで読み続けた。


(2015.10.03 「更新」)  -酒豪の友-
 私が十四の年だった。そのころ私の隣の家には俊吉という同い年の少年がいた。彼は私と玄関前で顔を合わせても、挨拶さえしていかない、なんとも愛想の悪い男だった。その年の春、あろうことか私と彼は同じクラスになった。しかも、どのような因縁だったのか彼は私の隣の席に並んだのである。その時の私は、彼を敵対する心と無視する二つの心が芽生えていたようだった。それは思春期がそうさせていたのかも知れない。中学を卒業すれば、気づまりを感じたことは一度もなかったのに、成人したら合わないことがあった。それは彼は酒豪で、私は甘党ときていた。飲む気があれば、飲めるようになれる、と言ってビールを勧めらたこともあった。私は足元が少々危うくなったように、見せ掛けたこともある。そんな彼は十日ばかり前から来なくなった。今日も私の家の前を通ってさえ、挨拶一つしてこないといった不可思議なことがあった。ある日、突然彼から一本の電話があった。「今日、広島へ引っ越すことになったよ。」彼はそうつぶやくと電話口の向こうで泣いていた。私も止めどなく涙が溢れてきた。今、私は七十の年、こうつぶやいたのである。「誰か俊吉に会わせてくれないか。」と


(2015.01.02 「更新」)  -初日の出-
 元旦の夜明け前、町内会の友が眉山の山頂へ初日の出を見に行こうと誘いに来た。天気は寒いなりに晴れ上がっていたので、私は快く受け入れた。会長は年長者の私を列のまん中に入れ、大滝山から尾根伝いに一列になって登ろうと決めた。それが私に対する配慮かも知れないが、私の心持ちにはぴったりしなかった。登り始めると、熊笹の葉の鳴る音が、さやさやと山全体を騒がしていた。吹きざらしの尾根は懐中電灯だけが頼りで、足元が危なかった。その上背中まで汗ばんで不快だった。そして、三十分ばかり歩くうちに山頂へ着いた。私らはそろって芝生の上に腹ばいになり、東の海面を見下した。すると、燃える太陽が、水平線から顔を現し始めた。私は「日の出だ!」と大声を張り上げ指差した。それに遭遇した人々の歓声が、どっと沸き上がった。太陽が昇り顔を照らし始めたら、会長は顎を枯れ草だらけにし、「帰りのコースは麓まで垂直に下りよう。」と言った。そして、一目散に駆け下りた私は、大きな拍手で友らに迎えられた。    

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