もう一つの天皇制

 

森本 優

2019.7.21


 歴史の記録の多くは、勝者にとって都合の良いように修正・改竄されて残される。

 しかし敗者の情念は、民衆という土壌の地底深くに時代を越えて脈々と流れ続ける。

 その屈折した深層の闇に光を当て、敗者の視点から民族の歴史を知ることは、これからの日本を立て直し、更には全世界を導く上で、省略することのできない重要な作業となる。

 

 おそらく縄文時代以前から、今の日本列島には幾重もの移住の波が打ち寄せていたことだろう。

 先住民として定着した人々は、自然そのものに畏敬の念を抱いていた。

 山・森・湖・川・海岸などで特に神性が感じられる場所を聖域とし、自然の神々と交感する場所として祀っていた。

 縄文時代は母系社会で、祭儀は女性が中心的な役割を担っていたと考えられる。

 縄文時代から弥生時代へと数千年の長い年月をかけて、「ヒメ」(一族の宗母・宗姉)が祭儀をおこなってまつりごとの指針を出し、「ヒコ」(頭)が政治を行う「ヒメ(権威)・ヒコ(権力)一対二元統治システム」が熟成されてきた。

 後に時代が下って、弥生時代前後に新しく大陸から移住してきた者たちが、先祖を神格化した人格神を持ち込むことになる。

 

 弥生時代後期(1〜2世紀)から古墳時代にかけて、大陸からの「天孫降臨」。

 「倭国大乱」(魏志倭人伝)の時期。

 天孫族(「天津神」)の東征と、先住民(「国津神」)に対する数々の征服劇。

 しかし話は、征服者が主となり被征服者が従となるといった、単純な支配関係の図式では収まらなかった。

 

 先住民の中には、比較的新しく弥生時代前後(紀元前4世紀ごろ)大陸から移住してきた「国津神」がおり、その中から、国譲りの際、「天津神」がこの征服地を「国津神」の反撥を和らげうまく統治する方法として、その地に馴染んでいた「ヒメ・ヒコ一対二元統治システム」を導入させる者がでてきた。 

 その統治システムをうまく利用して、天孫族を「ヒメ」(権威)として祭り上げ、自身は天津神の一員に成り済まし、「ヒコ」として実権を握ろうとするものが現れてきたのである。

 

 しかし天孫族は騎馬民族であり父系社会であった。

 天から遣わされた選ばれた氏族という神話に基づき、クニの王となる者はその氏族の男系男子に限られるとされ、権威・権力が、小は家庭から大はクニまで、一人の家父長・男首長に一極に集中される社会を築いていた。

 そのため、その縄文時代から熟成されてきた「ヒメ・ヒコ一対二元統治システム」は、その影響を受けざるを得ず、徐々に変容を迫られた。

 すなわち、天孫族の血統を受け継いだ男性天皇が「ヒメ」として祭り上げられるようになり、擬制「ヒメ」(天津神=天皇)・「ヒコ」(国津神=豪族)体制の骨格がはっきりと出現してきた。

 

 「ヒコ」は自ら「ヒメ」に服する姿勢を示すことで、他の豪族(官僚)や民草に対しても「ヒメ」に服従するよう強要し、それらを管理・支配する。

 この体制では、実権力を持った「ヒコ」が黒子となって権力を行使するが、その責任は権威者の「ヒメ」に押し付けられ、また「ヒメ」の首も自在にすげ替えられるようにもなってゆく。

 時代によって「ヒメ」・「ヒコ」のそれぞれの内実は変わっていったにせよ、全体構造そのものは、現在まで保持されてきたと考えられ、現憲法にも反映されるに至っている。

 

 上部構造としての「ヒメ・ヒコ一対二元統治システム」も、生産力の段階的発展に伴い変わってゆくものと本来考えられがちだが、なぜ現代まで数千年の年月を経ながらも同じ構造をこの日本で保ち続けてこられたのかが問題となる。

 自然界の命は陰と陽の働きによって生成化育されているが、この統治システムでも、根本的に違った二つの働きが組み合わさり活かし合って、共同体全体の統一と調和をとっていたのだろう。

 共同体内の矛盾・緊張に対しても、たおやかな弾力性をもって対処できたはずで、父系社会でみられるような権威・権力が一頂点に固定・集中する統治システムではとりえない、しなやかな統治システムとして存続し得たものと考えられる。

 実際のところ、権威・権力を一点に集中させた国家というものは強いようで脆いものであり、国民を多大な惨禍に陥れるものである。

 明治維新から日本では、富国強兵策のためにも天皇を元首化して、権威・権力を天皇一点に集中させる天皇制中央集権国家を作り上げてきたのだが、「ヒメ」としての本来の天皇の働きを得られないまま「ヒコ」(軍部官僚等)が暴走し、日本を崩壊に導くに至ったことは記憶に新しい。

 

 太平洋戦争の敗北という結果を経ても、天皇制が否定されなかったのは運が作用していたからである。

 明治憲法下では、天皇は元首として国家権力の頂点に立たされていたのであるから、本来なら当然その権力行使に対して責任があるはずであり、テロの表立った標的にもならざるを得なかった。

 天皇は単なる「神輿」だったのだから責任はないとの説もあるが、確かに本来の「ヒメ」(権威)としてとどまっていたのであれば首肯し得る話ではある。

 しかし、形だけだったとしても、元首として据えられていたのであるから、国家権力の行使に対して責任を負うのは当然だと考えられていた。

 ただ当時の世界情勢下での米国の占領政策によって、かろうじて天皇の責任はうやむやにされ天皇制が維持されることになっただけである。

 ところで、天皇を担いで暴走した背後の黒子たちが、全て自身の戦争責任を否定しているが、この疑似「ヒメ」・「ヒコ」二元統治システムの成立過程に、それは起因しているであろうことは先に指摘しておいた通りである。

 

 現憲法にも天皇制の存続がみとめられているが、果たして今後、封建遺制として廃止の方向性で考えるべきものなのだろうか。

 現憲法では、世俗的な政治権力から切り離された象徴としての地位を天皇に与えており、「ヒメ」本来のあり方に戻ったとも言える。

 天皇を政治利用するため、天皇を再び元首として担ぎ出そうという動きもあるが、天皇を政治権力の頂点に立たせることは、権力闘争の泥仕合に引っ張り込むことに等しく、ある意味では天皇を貶めることに他ならない。

 世俗的な政治権力(「ヒコ」)が如何なるものかに関わらず、象徴天皇制は「ヒメ」(権威)として留まる限り存立し得るし、そのほうが統治システムに弾力性とバランスを持たせることができる。

 もし天皇制を今後廃した場合、他の民主主義国家と同様、統治構造上、三権分立で権力の暴走を防ぐことになるが、三権分立自体が機能しないか不充分となる場合、権力の暴走は露骨なものになるに違いない。また、それだけ国民の災難も大きくならざるを得なくなるだろう。

 

 現行憲法は第一章に天皇を、第八章に地方自治をそれぞれ規定している。

 とすれば、国民の基本的人権を守るための国会・内閣・司法の三権分立だが、人権を実現する場が主に地方自治であり、天皇制も、単なる封建的遺制ではなく、国民の人権を擁護し支えるものとして現憲法で規定され直されたものと解することができる。

 国家権力から国民の人権を守ることが現憲法の役割であるからである。

 そのための統治機構として、第一章天皇と第八章地方自治とは、三権分立とともに国民の人権を守り実現するための重要な制度でなければならない。またそのように運用されなければならない。

 

 また、天皇の承継に関して世襲制が採られているが、制度の安定性を確保する上で許容されるものと考える。

 (輪廻転生の生命観を強く持つ場合であれば、天皇の生まれ変わりを探すことにもなるが、政治的な思惑や力関係によって決定されることにもなりかねず、きわめて不安定なものにならざるを得ない。)

 ただし、その世襲制が父系社会の名残であるなら、現憲法の平等原則に反し、疑問を残さざるを得ない。

 現憲法において規定されている世襲制に関しては、伝統や封建遺制としてではなく、現憲法の理念に沿った説明が求められている。

 本来、この二元統治システムにおいて「ヒメ」の役割を担っていたのは一族の宗母若しくは宗姉であり、ヒメ王(巫女)であったことは前述どおりである。

 (実際のところ、現代においても大多数の国民が天皇に対して親愛の情を示しているのは、天皇を通して遠い昔のヒメ王の姿を感じ取っているのではないか。遠い昔に別れた母親を懐かしむような感情が見て取れるのである。)

 また、現憲法では女性天皇も女系天皇も認められているはずである。

 男系男子を天皇の承継者に限定しなければならない必然性はない。

 

 天皇(皇室)には、その地位にある以上、様々な人権制約が生じては来るが、人間として、また一国民として、基本的人権が最大限認められるよう配慮されなければならない。

 ところで、その人権制約の根拠に関しては、封建遺制によるものとしてではなく、「ヒメ」としての天皇(皇室)の地位そのものに内在するものとして解き明かされる必要がある。

 すなわち、本来「ヒメ」は共同体の民草の暮らしといのちを守るために、無私となって自らの身命を神に捧げ人身御供となる特別な存在であった。

 現代においても、「ヒメ」として立たれる以上、形は違っていても同様な役割を持たされていると考えることができる。

 とすれば、人権制約を受け入れることも現代の一種の「人身御供」であり、「ヒメ」としての天皇(皇室)の地位そのものに内在する「決まり事」と解することができるのである。

 さらに皇位承継の問題に絡めて言えば、様々な人権の制約を受けることを覚悟の上で、国民のためにあえて民間から皇室に入られる方々こそ、気高い魂の持ち主であり、「ヒメ」としての資格を充分備えていると言えるのである。

 

 離脱の自由の問題に関しても、生まれながら制約を持たされているという不条理に対して、人権の観点から必要最小限の制約に止められるよう再検討がなされるべきである。

 

 個々人の尊厳が現憲法の核である。

 人には、権力や富を得ようとする盲目的で水平的な欲求・動きとは別に、己の魂を高めよう、自性(神格)に従い花開き実を結ぼうとする垂直的な欲求・動きがある。※(1)

 自己実現とはその垂直的な動きの中で認められるもの。

 「個の尊厳」とは、そのための土台である。

 しかし、「個の尊厳」が認められず、人が、奴隷として、商品として、消耗品として権力者や国家によって扱われてきた。

 そしてそれは過去のことではなく、現在も続いていること。

 利己的な権力や富への欲求によって政治が動かされているかぎり、人を含め、すべての命は、己の尊厳を否定され、その欲求を果たすための手段に貶められてしまう。

 自己実現を全うするためには、常に政治に関心を示し、更には参加し、自身(=すべての命)の尊厳を守ってゆかねばならない。

 そして、それぞれが自己実現を求められるようにするためにも、戦争や生存を脅かすような環境破壊を起こさないことが今、全世界共通の課題となっている。

 

 憲法第99条の憲法尊重擁護義務の名宛人に天皇が加えられている。

 象徴行為の内容が現憲法に沿うものであれば、内閣の責任の下、ある程度自由になされ得ることが予定されていると解することができる。

 とすれば、今後の天皇の象徴行為として、世界に平和を訴え環境問題に取り組む積極的な姿を世界に示すことも考えられるのではないか。

 日本国民が今持っている現行平和憲法とともに、世界平和を希求する天皇の象徴行為を、世界の人々と祝し分かち合える日が来ることを願いたい。

 

 多極化した世界の先に、やがて国境があまり意味をなさなくなる世界がやってくるだろう。

 その時、この日本列島で長い年月をかけて熟成されてきたこの「ヒメ・ヒコ一対二元統治システム」はどうなっているだろうか。

 人類の叡知により今後さらに練り直され、新しい内容を付与されて、全世界を繋ぐ地球連邦の統治システムになっているかもしれない。※(2)

 世俗的権力の働き(水平的・盲目的な動き)のみでは、資本主義であれ共産主義であれ、早晩行き詰るのは明白である。

 「ヒメ」の働きによって、たおやかな弾力性を得て諸問題に対処してゆくことが、今後、全世界で求められて来るのに違いないのである。

 

以上

 

参考文献;

 津名道代著 「遥かなりこのクニの原型」(日本「国つ神」情念史2) 文理閣2011年

 http://www.bunrikaku.com/book1/book1-618.html

 

※(1)三千世界立替立直径綸書

※(2)地球連邦構想案


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