「理想社会」への道

 

  −-「ノアの方舟」建設へ向けて人類の生き残り策を論ず

 

 

 

   愛善の誠なければ人の身は

      身も魂もつひに亡びむ

                  (出口王仁三郎)

 

 

 目前に迫り来る地球的規模の危機を乗り切る為、行く末を憂える者達が、左・右、上・下、保守・革新、各宗派、国籍、人種、性別、年令、職業等、一切を問わず、連携し合ってこの非常事態に対処してゆかねばなりません。

 このようにして、現在提示されている複雑で解決困難な諸問題及び重大な危機を、転じて「理想社会」へと導くことが急務中の急務となっています。

 ここでは、達成されるべき目標を明確にし、又・それが現状況の中で充分達成可能であることを、それらの諸問題を解決してゆく過程の中で明示することにします。

 一般論からすれば、まず長征の初段階として我々は、政治一般のみに限られず、環境や生活などの身の回りのものにまで注意を向け、現実に現れて来ている様々な問題を検討し直し、我々の「理想社会」では、それらがすべて解決されるか否かを確認する必要があります。

 即ちこの段階では、達成されるべき目標・夢・希望を人々に示すことが必要なのです。

 次に、それらの錯綜し細分化された諸問題に全体から光を当てた後、それらの諸問題が生じて来る根源的な根拠を踏まえつつ、今度は、総合的な対策を立ててゆかねばなりません。

 その夢なり希望なりを達成する為の具体的な方策を現状況を考慮しつつ立て、人々に提示することが必要です。

 そして最後に、我々自身が踏み外してしまった道(宇宙の理法)に、再び戻ってゆかねばならないのです。

 その実践の中で、今世紀末及び来世紀初頭に来る重大な危機を乗り越えつつ、「理想社会」を此の世に実現する必要があるのです。

 然しここでは、抽象的な理念をまず立ててから次に実現方法を練り、それを強引に実現してゆく、という形はとらず、現在の諸問題を現状を踏まえつつ道に従って解決してゆくことが、即ち「理想社会」の実現となる、という形で示してゆくことにします。

 

  一、私案

 

 来るべき様々な危機・災難を乗り切る為に、最も有効的で道に適った方向性を、我々が率先して提示し、世界を導いてゆかねばなりません。

 そこで、具体的な問題点をいくつか拾ってみて、私なりの解決法を述べ、その中で方向性を明確にしてゆこうと思います。

 即ちここでは、現在既に直面し今後直面するであろう以下の重大な事項に対処し、解決する方法を示しながら、まず理念が歴史的必然性の下で何の様に現実化されることになるかを概説しましょう。何故我々の達成しようとしている「理想社会」がそうでなければならず、又・来るべき状況の中でそうならざるを得ないかを、それらの危機・災難を乗り越える方策の中で説明するとしましよう。

 以下の事項とは即ち、エイズ等の世紀末的疾病であり、食品汚染・公害であり、健康の問題であり、性の問題であり、芸能及び郷土の祭りの問題であり、宗教の問題等々であり、そして経済不況・失業であり、天変地異であり、地域紛争・世界大戦であります。

 

 さて私は、今後の非常事態を乗り切る為には、各地域に農業共同体を創設し、その中で自給自足体制を整えることが一番適切であると考えます。

 その場合、共同体員は、すべて両親・兄弟・姉妹・子供として、自然と一体となりながら助け合うことが必要です。

 又・現代の化学農法から有機農法へ、更に自然農法へと切り換え、野生化され生命力溢れた穀物・野菜類等で、構成員の体を野生化し壮健にしておかねばなりません。

 

 個々の問題から行きますと、まず、エイズ等の世紀未的疾病が流行するのは、遺伝子操作の濫用と同時に、食生活の乱れ、食料・食品の質の低下、農薬等の汚染・環境公害などによって、人間の生命力そのものが衰弱して来ているからでもあると考えられます。性道徳の乱れはその根本的な理由とはならないでしょう。只・因果関係(感染径路)を説明するだけです。生命力が旺盛で壮健であれば、たとえそのような病気が生じて来ても、流行するまでには至らないはずです。

 宇宙の理法の一つである身土不二の原則を無視し、その上偏食・飽食していたのでは、当然健康を損い病弱になってしまいます。

 又・大気や水等の環境汚染が、生命の働きに与える影響ははかりしれません。

 次に、化学肥料、農薬を使った農作物は、確かに外見は立派でしょうが、然し作物それ自体の質的内容は野生のものよりはるかに劣っていて生命力に乏しい為、それを食する人間も同様に病弱になってしまうのです。

 更には、それらは土地を豊かにする徴生物を殺してしまう為、土地そのものも痩せ衰え、そのような土地で作物を育てなくてはならなくなることから、より多くの化学肥料が必要となります。又・その不健康な作物を害虫なり病気なりから防ぐ為に、より多くの農薬を投下せねばならなくなるのです。そして、こうした悪循環は、終に土地が使いものにならなくなるまで続くことになるのです。

 又・経済的に見ても、わざわざ高い投入費をかけて収益を上げても、その費用を差し引くと、総利益は却って自然農法のものより低い場合もかなりあると思います。

 そして自然農法では多少収穫が減るとしても、作物を野生化すればするほど生命力は溢れ、ごく僅かな量で我々の生命を養い育て健全なものにすることが出来るはずです。

 作物を野生化し、我々自身も野生化してゆくには、まず土地の健康を取り戻すことが先決です。それが出来るなら、当然その土地に生じて来る植物も、又・それを食べて生きている動物も、生気を取り戻して来ると言わねばなりません。

 ところで、そのようにして生命の健康・健全さを備えた者達が、己れの欲に囚われずに互いに助け合う共同体を作ることが出来るなら(否・歴史の必要性の中で作らざるを得なくなるでありましょう)、その場の内に再び生命の発露としての歌垣・毛遊びが、芸能が、そして祭りが蘇ることでしょう。

 又・そのようにして共同体の構成員が互いに助け合い、自然と一体となつて己れの生を楽しむことが出来るなら、一体どうして「宗教」にすがる必要が生じて来ましょう。

 以上から、身土不二の原則を踏まえ、己れの住む土地を愛し、動植物を愛し、回りの者達を愛しながら、己れ等の食料は自給してゆく必要があります。

 それらを単なる収奪の対象として見なしていてはならないのです。

 そして徐々に、化学農法から有機ヘ、更に自然農法へと切り換えてゆくことも当然必要となつて来るのです。

 

 さて次に、経済不況・失業に対する根本的な対策としては、各地域に多数の農業共同体を創設し、失業者等を吸収することが上げられます。

 その中で共生生活を実践し、互いに助け合いながら自然と一体となつて、来るべき苦難を乗り越えてゆかねばなりません。

 その場合、食生活を正し、出来るだけ多くの者が生き残れるように、玄米等の穀物・野菜や野草・木の実を中心として、生命の糧を無駄なく有効的に取らねばなりません。そのような粗食によって却って、構成員の心身を壮健にしてゆくことです。

 

 天変地異に関しては、生命を貶め貪って「繁栄」したバビロンの塔である大都会では、その影響が強く及ぼされ壊滅的になることでしょう。

 何故なら、天変地異そのものも生命の働きの一現象であり、それは宇宙の理法からはずれ自然の調和が乱される時、決って発現されることになるからです。

 然し、自然の生命と一体となり、万有を貫徹するその理法に依拠して共同体を営む所では、あまり被害を被ることはないでしょう。

 生命そのものは、より高次な魂達を支えることを、そのようにして己れ自身を花開かせることを欲しているからです。

 ところで、人間の持つ念(高次的エネルギー)が、回りの生命に、何らかの影響を与えていることが科学的に徐々に証明されて来ています。

 これは、エネルギー現象すべてを無機物界の法則内でのこととして閉じ込めることの非を示し、より高次な魂が持つ法則内では、それとは別様にエネルギーが働くことを示していると言えましょう。

 即ち、より高次な魂は、すべての魂がその根底に持つ生命そのものの意向(理法)をより高く体現しているものとして、水が高位から低位に流れるが如く、その発する高次的エネルギーを通して、回りの魂達に影響を与えることになるのです。そして、生命そのものの意向に従う高次な魂の発する念が、その場を変えてゆくことが確認されるのです。

 言い換えるなら、生命の重層構造の中でより低次の魂は、より高次な魂の為に喜んで己れを供物として捧げ、己れの生をその高次な魂の中で蘇らせようとするのです。 植物が己れの生命をより高次な動物や人間に捧げようとするのは、人間が己れ自身を梵に捧げようとするのとかわりはないのです。

 従って、植物・動物が調和して共生している場所では、天災はたとえあったとしても軽く、まして最高次に立ち得る人間が、己れの念を正しく保ち、自然の調和を乱さず、生命の持つ大精神(宇宙の理法)に従い、万有を愛することの出来る場或は共同体では、天災も起こる必要がなくなるのです。

 これに対して、人間の念が邪悪な方向に向けられ、欲に囚われて生命を貪り続けると、その理法に背き自然の調和を乱すことになる為、それを矯正しようとする力が働き出し、天災となつて発現されて来るのです。

 人間が無機物界の法則内に大きく足を踏み入れたまま、物欲という飽くことのない欲望に囚われ続けると、回りの生命は却って貶められてしまいます。その欲の下で、生命の正に生きんとし花開かんとする意欲を踏みにじってしまうからです。

 然し生命そのものは、本来己れ自身を花開かせようと欲し、その歪を打ち破ろうとしていると言わねばなりません。

 以上から、宇宙の理法に従い念を正しく保つ者達のみに、万有は付き従うでしょう。

 邪悪な念を抱きつつ世界を支配しようとして見た所で、結局はその理法に打ち破られてしまうはずです。さもなければ、己れ自身を解放し得ないまま永劫に亘って地獄の責め苦を受けねばならなくなるのです。

 さてところで、宇宙の理法に依拠し、構成員同士が共に親愛の情を持ちつつ自然と一体となって共同体を営む所では、天変地異に際して、その場の生命が放つ強いエネルギー(バリヤー)によって、決定的な破滅から免れ得ることでしょう。

 何故なら、回りの動植物達も、正に生きのびようとしている為、我々人間と共に、又・念を正しく保つ我々を支えようとして、膨大な力を放つことになるからです。「ノアの方舟」の伝説は、そのことを象徴的に語っていると言えるのです。

 一個の石、一本の草木に至るまで、我々は彼等の生きんとする意欲に依拠せねばなりません。彼等と一体となつて、共にこの苦難を乗り切らねばならないのです。

 従って以上から、共同体は今後発生するであろう天変地異に対処する為、構成員の念を正して相互扶助を強固にしつつ、一切衆生の生きんとする意欲に依拠し、共にこの危機・災難を回避しなくてはなりません。

 同時に、天変地異に備え作物を野生化させ、生存能力を充分高めておく必要があります。又・貯蔵という点からいっても、化学農法で育てた穀物類は生命力が弱く、直に虫にやられ易いことから、そのことが必要となつて来るでしょう。

 

 ところで、前述通りを侵略に対する防衛体制を整える為にも、食糧及び活動拠点として、全国及び世界各地に農業共同体を確保或は創設し、補強してゆくことが必要であり、その場合、長期戦に充分耐えられる心身を養い、戦時下での物資困難な状況下でも生き残れるような方策を立てておくことが急務であります。

 その為にまず各共同体は、自給自足体制を整え、精神的支柱を確立して食律・規律を守るようにする必要があります。

 次に、共同体員及び回りの動植物達は、宇宙の理法に依拠し、相手の生命の働きを評価し合いながら、互いに活かし合って共生生活を実践してゆかねばなりません。 又・兵士は、農民と共に互いに助け合いながら、来るべき大戦を乗り切ってゆかねばなりません。

 野生化された玄米・麦飯等の穀物類及び野菜・野草などの粗食によって、共同体員及び兵士の生命力を高めてゆくことをここで提案しておきます。

 

二、陣形(無敵の陣形・未法末世の型)

 

   九枚の花びら道に従いて集い

   黒蓮華を花開かせる

   各々の花びらは配下に

   それぞれ十一枚の花びらを従える

   それらは他の配下の者達と協働して

   曼陀羅華の陣形を取りながら

   無数の菩薩・衆生を引きつれ闘いを進める

 

   この黒蓮華を統率し花開かしめるもの

   それは個別具体的な人間ではなく

   万有を貫く宇宙の理法そのものである

   立直しが完成する時

   黒蓮華は白蓮華に転じて

   三千世界を遍く照し出す

 

三、戦法

 

   陰神は拡散・広がりを  

   陽神は収束・集まりを司どる

 

   偉大なる陰の陰神は

    無限なる全宇宙にまで霊線を広げ

   偉大なる陽の陽神は

    その無数の因縁の絆を引き寄せる

 

   陰陽両神水火(いき)を合わせて

    「むすび」の経綸

 

   「三千世界一度に開く梅の花」

 

 

理想社会への道ーーおわり

 

 

つづく

目次

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