星火燎原

 

   −−理想社会への長征の第一歩として

 

 

 

 目前に迫り来る動乱を予見し、この人類史の転換点をどのように利用して理想社会を築いてゆくのかを大雑把に探ってみようと思います。

 この転換期においては、すべてのものが両極化し、富者と貧者、愚者と賢者といった具合に、魂の素性も、醜いものと美しいものとにはっきりと区別されて来るでしょう。

 私はこの両極化において引き起こされる莫大なエネルギーを利用し、一切のものの生命力を活かし一点に向けさせる方向性の中で、人類の生き残り策を立ててみようと思います。

 即ち、敵・身方の区別などに囚われることなく、共闘し得る者とは如何なる者とでも手を握り、又、敵対して人類を破滅に導こうとする者に対してはその力をも利用して、総合的・有機的に人類の危機を乗り切ってゆく準備を立てておくことが、今必要です。

 まず現状分析を行い、それを踏まえた上で、その理想社会をどの様に達成してゆくことが出来るかを探ることにしましょう。

 

  一、現状分析

 

 物欲によって生ぜしめられた全世界を蔽う「資本の論理」・「生産性の向上」という大きな波の中で、地球上の自然は破壊され、人々は破滅へと急き立てられています。我々の生活を深い所で支えていた村落共同体も正に消滅しかけているのです。

 すべてが合理的に組織され、機能的にとらえられています。その物欲という大きな波の中で、すべては取り引きの対象(奴隷)に貶められているからです。

 然し、その波が大きくなり、我々の根源的な生命の感動を抑圧するようになればなるほど、個々の魂の孤独感も深まり、その故にこそ、己れ自身を取り戻そう、あの根源的な生命の感動を取り戻そうとする意志も当然高まって来るのです。

 そしてその意志が何らかの切っ掛けから火山のように噴出し出すことでしょう。

 即ち、その波に正に呑み込まれ、すべてが破滅せんとしている現代であるからこそ、その根源的な生命の涌出も当然強まっており、もしこの転換点において何らかの機会をとらえてその噴出を誘発させるのに成功し得るなら、我々は、その悪魔が打ち立てた、我々を正に呑み込まんとしているその波を打ち消し、我々自身の生命を解放することが出来るでしょう。

 確実に地球全体の生命を救い出すことが出来るのです。

 

  二、理想社会(ユートピア)

 

 ところで、我々が追い求め達成しようとしている社会に就いて触れなければなりません。 

 それは決して遠い彼方に探し求められるべきものではなく、我々自身が生まれ育った土地、今生活している土地・場所に実現されるべきものでありましょう。

 然し、要するに根を張れる場所があればどこでもよろしいのです。場所の問題ではありません。個々の姿勢、心のあり方にあるのです。

 その理想社会がどうしてそのようにあらねばならないかに就いては、後の機会に詳述することにして、今一言で述べるなら、それは「道」に従わねばならないということです。生命そのものは、本来道に従って己れ自身を発現しようとしているからです。すべての魂は、互いに支え合いながら一体となつて、己れ自身を花開かせようとしているからです。

 従って、人間もその生命の一つの現象である以上、自然を父・母とし、構成員を兄弟・姉妹として、一体となつて共同体を営むことが最も道に適った、本来生命が求めている生活だと言えるのです。

 そのような生活の中で初めて、生命が道に従って涌出して来るでしょう。

 生の永々としたリズムの中で歌や踊りがほとばしり、歌垣・毛遊びが繰り広げられ、そして祭りが全宇宙を彩ることでしょう。

 道に従えば、人の魂は研ぎ澄まされ、生は瞬間瞬間において光を放つことでしょう。

 そしてそれは村落共同体において実現されていたのです。

 我々の理想社会においても、すべての構成員は互いに助け合いながら自然と一体となつて生活を営むこと。

 従って共同体は自給自足体制を取り、生存基盤を確保していなければなりません。 それと同時に、構成員の心を一つにまとめてゆける精神的な支えが必要となります。

 それは社会的な義務や法律ではなく、道であり、それを自覚にまで高めることが必要なのです。その核心さえ踏まえているなら、如何なる宗教・風俗・慣習などで装飾していようとかまわないのです。

 このような理想社会は、生命そのものが本来求めているものであり、過去・現在・未来の如何なる時点においても、機会さえ与えられるなら発現して来るものなのです。

 然し現代では、物欲という悪魔の立てた波がこの人類史の過程の中でとほうもなく強大になり、すべての道に従って花開こうとしている魂を呑み込み、ブラックホールに閉じ込めてしまおうとしているのです。

 そこで次に、我々から奪われてしまったあの生命の根源的な感動を、我々を支えていた共同体を、この現状の中でどのようにして取り戻してゆくことが出来るかを探ってみることにしましょう。

 

  三、戦略

 

 上述通り、我々の背後は崖淵です。特に日本の場合は最悪の状態です。

 然し、だからと言ってすべてを投げてしまってはいけません。私はこう考えます。もう後がないからこそ反撃の機会でもあるのだと。

 逃げられないからこそ命を棄てて敵に向かってゆけるのです。

 もう「平和」という居眠りから覚めねばなりません。既に彼の波は我々を呑み込もうとしているのです。我々は智慧を磨き、この「平和」裡において見えなくなっている悪魔の姿を透視しなければなりません。敵は目に見える対象ではないからです。

 それは我々自身の内にも潜んでいるもの。だからこそ、それを乗り越えてゆく不断の努力が必要となるのです。

 そのようにして、己れに打ち克ちスタンバイしている同志達と連帯し、総合的・有機的に戦線を展開せねばなりません。

 我々の依拠するものが正に生命そのものの望んでいるもの、即ち道(宇宙の理法)である以上、我々の戦いは常にその理法によって支持されていると言えます。

 その法に従って無限の改造エネルギーを引き出し、上手に生命を解放してゆくことが出来るなら、必ず勝利するはずです。

 道に従ってなされる反抗の一切を糾合し、戦略の中で様々な役割を受け持たせつつ最悪の事態をも乗り越えてゆくこと。その為には、今までに先人達が切り開き残していってくれたものを有効的に役立てること。そして全世界に散らばっている聖なる星達と連帯すること。その戦いの中で生き残った共同体が生存し続けるのに充分な技術・知識を開発してゆくこと。何故人類がこのような愚かな事態を招いてしまったのかを確認させ、その過ちを二度と繰り返させないように、道に従って人類を復活させてゆくこと。

 以上のことが必要です。

 今・我々は理想社会を全世界的規模で成し遂げようとしています。然し、その青写真は抽象的な方向性を示すのみで、今後の戦術と成果によってそれは具体的に煮詰まってゆくことでありましょう。

 ところで、単に戦術のみしか頭になく、方向性というものを全く欠くなら、現体制の流れの中で弄ばれ、遂には呑み込まれてしまうことでしょう。

 又・戦略というものがあっても、それが全く独善的・空想的であり、生命そのものの意向に反したものであるとしたら、それは却って有害なものとなります。無理に生命の涌出をねじ曲げることこそ愚かなことはないからです。

 我々はこの方向性を、あらゆる魂が欲し、実現しようとしている道の中に求めねばなりません。

 次に個は、その確認された方向性の中で、己れの役割を見出し実践を強化してゆかねばなりません。

 互いに連絡を取り合いながら支え合い励まし合って、同一目標に総合的・有機的に、そして加速度的に突き進んでゆくこと。

 先人達が準備し残していってくれたものを如何にこの戦いの中で有効的に活かすことが出来るかで、勝敗が決まるでしょう。

 もはや政治的或は宗教的な理念・教義・党派・宗派などの相違に執着している時ではありません。我々は今・生命そのものの立場に立つ必要があるのです。

 生命そのものの本来欲している道に従う限り、如何なる考えであろうと、又・如何なる「国家」・団体・組織・党派・宗派の人間であろうと、我々はその一点において連帯することが出来るのです。頭の中で勝手に作り出された幻影に惑わされていてはなりません。

 生命そのものを蝕む欲(悪魔)によって閉じ込められ傷付けられている魂達。我々人間のみだけでなく、山・河・大気・海・草木・動物等、一切の魂がこの流れの中で叫び苦しんでいるのです。彼等が死に絶えるなら、我々も死に絶えるでしょう。彼等の苦しみは即我々の苦しみなのです。

 我々は一個の石・一本の草木に至るまで、彼等の生きんとする意欲に連帯せねばなりません。すべての魂の、正に道に従って生きんとする意欲を糾合し、我々を揉躙し、この地獄図を現出させ蔽っている悪魔を打ち砕かねばなりません。

 確かに、現代の我々のように「安楽」・「快楽」に慣らされてしまった身体は、「苦しさ」・「つらさ」を伴う実践・戦いを拒否するかもしれません。然し、道に従って歩む限り、その歩みには必ず生命の張りが、喜びが伴うはずです。

 単なる感覚上の「快」・「不快」に騙されていてはなりません。本来あなたが本当に欲しているものを自身の裡に辿って見極めなさい。道があなたを導くでしょう。

 

 さて以降では、今度の戦いにおける戦略を概説します。

 まず革命の主体は、現体制からの流民・棄民で、かつその体制の流れに反逆する魂です。

 その流れに進んで迎合せずとも、その中で身を任せ流されている限り、生命そのものへの侵害に加担していると言わねばなりません。

 我々自身が正に本来の生を取り戻そうとしている以上、早くその流れから出ることです。問題はもはや意識の変革でしかないのです。

 然しながらその変革そのものが、何らかの切っ掛けをまたなければならない以上、やがて招来されて来る事態を利用して、一般大衆の意識を高めさせることが必要となって来るでしょう。そして、流民同士が自給自足体制の共同体を作り、自らの生存基盤を確保すること。このように各地に現体制の流れから独立した共同体を作り出し、反逆の主体たらしめることが必要です。

 然し、その流れの中で「市場原理」・「生産性向上」・「企業農業」の軌につながれている限り、その悪魔の波に呑み込まれてしまうしかないでしょう。そこには道に従うものは何もありません。一生、否永劫に亘って、奴隷として生きることしか出来なくなるのです。

 次に我々は、その自給自足体制を前提とした共同体が自前で活用できるエネルギーシステム・生産技術を開発し、実用化してゆく必要があります。

 巨大国家を前提としたエネルギーシステムでは生命を傷付けてしまいます。そして公害・汚染・天候の変化等を招来します。その上「己れさえ良ければ」というエゴイズムが、そのことを更に悪化させてしまうのです。

 ところで、科学技術が文明悪を招来したとして、原始共産生活の農法へ、更には狩猟時代へ戻ることを主張する者もいますが、問題は「道具」なのではなく、それを活用する主体にあるのです。

 その主体が飽くことのない支配欲(物欲)に囚われ続けるなら、その「道具」は、その欲に見合った地球上すべての魂を支配し破壊し得るものにまで行き着くのです。

 然しそれに止まることはありません。その主体が滅び去るまで無限に開発され続けることでしょう。と言うよりも、そのような己れで開発した「道具」で、自身を破壊し消滅させることになるのが本来の帰結なのです。

 然し、自給自足の中で足るを知った共同体、即ち道に従う者達においては、どうしてすべてを支配可能ならしめる「道具」が必要となりましょうか。そこでは、より高度な意識の下で、すべての魂が活かされる方向において「道具」が開発され利用されるのです。

 以上のように高度な意識と技術に裏打ちされた自給自足体制の共同体を各地に作り出すこと。それを基盤として、都市労働者・技術者・知識人等を合流させること。彼等も共同体の作業に従事すること。但し、それぞれの資質・個性に応じて分業は認められ、効果的に運営すること。共同体の規模は運営に支障をきたさない程度におさえること。

 以上のことが必要です。

 初めの内は、地域で流民となりつつある農民達を組織して自給自足体制の共同体となし、その共同体と都市の共同体・組織(両者とも道に従い相互扶助を実践してゆく)とが共に助け合い、一体となつて理想的な共同体を準備してゆくことが必要です。

 このようにして、個々の共同体が自給自足体制の中で独立を勝ち得てゆかねばなりません。

 次に、各地域の共同体は、互いに連絡を取り合い助け合うこと。情報・技術交換を行い、道に従って互いの生命を向上させてゆくこと。又・定期的に各共同体の代表が一ケ所に集まって問題を提起し、討論する機会も必要となります。

 以上のような道に基づいた共同体を全世界各地に作り出し、現体制とは全く正反対の流れ・波を作り出すことが今必要なのです。

 全世界の各共同体同士は互いに助け合い、すべての面で援助し合うこと。飢饉に会った地域に食糧を援助するのは当然のこと、現両体制によって圧迫されている共同体に対しては、人的・物的・技術的・経済的援助を進んでしてゆくこと。

 同志の消滅を傍観していてはなりません。如何なる教義・宗教・風俗を持とうとも、道に従い生命の開花を求めている共同体とは連帯せねばなりません。

 今世紀最大の危機において、連帯を欠く個人及び共同体は、到底生き残ることはないでありましよう。

 最後に、全世界を覆う紛争が始まった場合、我々すべての流民・反逆者達は、一致団結してその悪魔の立てた波をうまく乗り越えなくてはなりません。そしてその前に無意味な殺戮を避けさせる為、様々な手段を講じて全世界に道を説き明かすことが当然必要となります。

 この戦いでは「戦犯」なるものはありません。すべての魂をこの地獄から救い出そうとする戦いなのです。すべての者がこの悪夢から覚めなければならないのです。

 一度この物欲によって描き出された世界の虚しさ、悲惨さを知るに至った人類は、もしこの戦いに勝利するなら、高度な意識の下ですばらしい社会を創出することが出来るでありましょう。

 

 まず長征の第一歩として、戦略を煮詰め確認しておく必要があります。

 討論の機会を持ちましょう。皆さんの御意見をお願いします。

 次に、様々な人間を組織し、総合的・有機的に戦いを進めてもらうことが必要です。その活動領域に関しては、大きく区別してニつに分けることが出来るでしょう。即ち理論面と実践面です。

 まず理論面に関して、物理学・化学・生物学・工学・農学等の科学の分野では、自給自足体制下の共同体に有用で適したエネルギー源・生産技術・工作機械等を開発すること。

 宗教・哲学の分野では、生命観・宇宙観・世界観を確立して道(宇宙の理法)を自覚せしめること。

 文芸・政治・経済・社会等の人文・社会科学の分野では、前述の生命観・宇宙観に立脚しながら道を人民大衆に周知せしめること。 

 以上のことを中心として様々な討論・集会の機会を持つことが必要です。

 実践面に関しては、それを共同体創出の方面と、防衛活動の方面との両面に区別することが出来ます。

 前者では、既存の農家を中心とする場合であれ、又・都会の者が入植する場合であれ、如何なる形態を取ろうと構いません。但し、高度な意識の下で前述の理論面を応用し、道に従って共同体を作り出し運営してゆくこと。余剰分で与えることの出来る食糧そして必要な技術は、都市或は海外の同志に回すことも必要です。

 都市に住まう者は、機会があれば共同体との接触を保ち、援助すべき時は進んですること、機至れば共同体に合流し、技術を持つものはそれをその中で活かすことが必要です。

 後者の防衛活動に関しては、我々の共同体を守る為、他国の侵入に備えておく必要があります。

 又、世界各地の共同体で、侵略を受け支配を被っている所には進んで援助すること。解放を助け、仲間として連帯すること。体制を持って体制に代えるのではなく、道に従った共同体作りを説得し、他国の権力の介入を拒否させること。その為には、自立するまで人的・物的・技術的・経済的援助を惜しまないこと。そして全世界の各共同体・各組織・各運動等の回路を確保し、決起の準備を整えておくこと。

 以上のように、理論面・実践面がうまく噛み合い、その革命の正当性・現実性が確信されるに至るなら、我々の共同体が次々と作り出され名乗りを上げるにつれ、それらの援助の下で他の共同体・組織・個人も加速度的に現体制からの流民と化し、我々の戦列に加わることになるでしょう。

 まして現代の日本では、何か災害や事件が起こるなら、忽ち甚大な食糧及びエネルギーの危機に見舞われることはまちがいないのであって見れば、その動きに拍車がかかることになるのは当然です。

 武闘は、その共同体の創出を補助的に援助し保護するだけであり、革命の主体と考えてはなりません。然し侵略行為に対する防衛体制は整えていく必要があります。

 我々の直面している問題は、実践の中で解決されてゆくでありましょう。あまり理想の枠で運動を縛るようなことはせず、徐々に、戦いの過程の中でそれに近付けるようにすればよいのです。

 物欲を前提とした現体制に対してなされるすべての反抗を統一しつつ、着実にゆっくりと、然し加速度をつけて、我々の理想社会を実現してゆかねばなりません。それと平行して、今世紀未に訪れる最悪の事態にも充分対処できる生存能力を、確保してゆくことも怠ってはなりません。

 既に日本では、土台としての「国家」は、ほとんど消滅してしまいました。今や流民は地に満ちつつあります。そして大小様々な国家が現体制の中で俳徊し、すべての生命を貪り喰っているのです。

 今こそ、すべての流民は一致団結し、悪魔が打ち立てた波を乗り越えてゆく準備を整えてゆかねばなりません。

 悪魔の立てた波が我々すべてを呑み込み破壊し尽くすか、それとも、その波を我々自身が立てる聖なる波によって食い止め、打ち消し、今までに築かれたことのない叡智的世界を此の世に現出させることが出来るかは、ほぼこの一戦にかかっていると言ってよいのです。 

 我々は、現体制の中で奴隷として鎖につながれている魂を解放し、我々自身の生命を開花させてゆく長征を開始しなくてはなりません。

 

 皆さん!立ち上がりましょう!

 

 

星火燎原ーーおわり

 

 

つづく

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