足柄峠(あしがらとうげ)

 地蔵堂を過ぎると急な山道となり、途中には今も人家が無い。胸を擦るような急な坂道が続き「相の川」と接する地点に来ると『治山の碑』がある。
そして、更に進むと標高759メートルの足柄峠に達する。この峠の歴史は古く、路傍からは四千年前の縄文土器片が発掘されているので驚かされる。 西暦113年には倭建命(やまとたけるのみこと)が東征に用いその帰路、妻を偲んで「あづまはや(我妻よ)」と叫んだと伝えられていることでも有名である。 そして、この峠を堺に東国と呼ばれ、東をあづまと読むのもこれに通じていると言う説もある。 ここには足柄城があった。城址からは富士の全景を望むことが出来る。また、この峠には関所跡や西暦811年建立の聖天堂などがあり、歴史の重さを感じる。
関所は西暦899年に盗賊の取締りに設けられたが、この道は鎌倉時代になって箱根道が開かれるまで、官道・公道として幹線道の役割を担っていた。
聖天尊は日本三体聖天尊に数えられ、その霊験を多くの人に信じられている。ご神体は大聖歓喜双身天で高さ1.8メートルの石像と言われている。聖天(しょうでん)は夫婦和合の神の意で、頭が象、体が人間、魔王の男天と観音の化身である女天の和合の姿であろう。

 

地蔵堂上の相の川交差点上 『治山の碑』。

足柄峠関所跡近くの『道祖神』。

 

 

 

足柄峠 『聖天堂』。

足柄峠 聖天堂敷地内の祠。

 

 

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