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 マタギサミットIN阿仁で、瀬畑翁自作のテーパーラインと毛針をたくさんいただいた。テンカラ竿3.6mは、昔買ったものの、道具箱に眠ったままであった。

 これまで、毛針と言えば、餌竿6.1mを使ったチョウチン毛針又は半チョウチン毛針と呼ぶものだった。半チョウチン毛針は、飛距離が竿6.1m+3m仕掛け=9.1m。一方、標準的なテンカラの場合は、竿3.6m+5mライン=8.6mにしかならない。テンカラのように恰好はよくないが、半チョウチン毛針は障害物やボサ川でも自在にポイントへ入れることができるから簡単かつ誰でも釣れる。弱点は、大川では飛距離が足りず、小沢や源流部でしか通用しない。仕掛けが短いだけに、滝壷の深い底へ沈めて釣るなどということができない。

 瀬畑翁のテンカラは、標準的なテンカラとはまるで違う。長い竿4.5mに長いライン7m、何と11.5mもある。テンカラの初心者には、到底自在に操れるような長さには思えない。しかし、これを自在に遠投できるとすれば、自在に釣れるような気がするのも確かである。そこで瀬畑翁に疑問だらけの瀬畑流テンカラについて質問をしてみた。聞けば聞くほど、源流テンカラにふさわしく、決して難しくない、という気がしてくるから不思議だ。
瀬畑翁からいただいた逆さ毛針
 ヘボなテンカラ一年生がイワナを釣り上げるには、どうしても魚影の濃い沢を選択するしかない。幸い会では、今回マタギ道を辿って和賀山塊・堀内沢源流へ行く予定だった。しかし、私は仕事の関係で1泊2日しかとれなかった。私は、やむなく堀内沢中流部を一人で釣り上り、オイの沢にあるマタギ小屋で合流することとなった。野太い堀内沢の流れの中を腰まで浸り、ひたすら長いテンカラのキャスティングを繰り返した。悪戦苦闘の末、やっと、やっとイワナが釣れましたぁ〜。

右岸にある踏み跡を辿ると、サワグルミの巨木が左に見えてくる。テンカラ竿を背に、一人で原生林に覆われた和賀山塊に分け入ると、なぜか初めての渓に分け入る不思議な雰囲気を感じた。 堀内沢下流部は川幅が広いが、渓に張り出した樹木が多い。テンカラ一年生は、何度もこうした枝葉に引っ掛けた。
数日前に大洪水があったことを物語る光景。岩盤に生えた草が全て下流に向かってなぎ倒されていた。 平水よりも水量は多く、川の中に入れば、すぐにヘソあたりまで達した。野太い流れは、渡渉する私を何度も押し流そうとした。全身ずぶ濡れになりながら遡行を繰り返した。当然、ポイントは白泡で渦巻き、稚拙な毛針では釣れそうになかった。ホントに・・・
イワナは意外に早く釣れた。それもマグレで・・・。遠くへ飛ばすつもりが、毛針は力なく手前に落ちた。失敗したと思い、ラインをつかんで手繰り寄せると、何とイワナが掛かっていたのだ。マグレとは言え、私にとってテンカラ初の一尾。嬉しくて、何度もデジカメのシャッターを押した。感激の一尾だったが、感謝の気持ちを込めて、流れの中へそっと返してやった。
右岸から流入する朝日沢。ここにも入ってみたが、両岸がボサに覆われ、とても下手なキャスティングでは、振り込むことすらできなかった。 苔生した岩から沁み出す名水。これを飲んで、気持ちを引き締め再度テンカラに挑戦。しかし・・・。
素晴らしいポイントは続くのだが、いたずらにキャスティングを繰り返すだけ。ウシロ振りは12時で止めるとはいっても、なかなかラインが延びきるタイミングがつかめない。マエ振りは時計の10時半で止めることは分かっていても、9時あたりまで振り込んでしまう。これでは狙ったポイントへ飛ぶはずもない。頭と体はバラバラだった。情けない・・・。 時計は既に昼を過ぎていた。オイの沢が近くなると、ブナの森も深くなる。走る魚影は見えるのだが・・・。午前7時から釣り始めて、午後1時半まで、マグレで釣れたイワナ一尾のみ。瀬畑流日光テンカラって本当に釣れるのか?テーパーラインと毛針は一流なのだが、何ともそれを使いこなす術がない。だんだん自信がなくなってきた。
午後1時半、大きな淵の緩流帯へ毛針を振り込んだ。目が悪いから毛針がどこを流れているか、全くわからない。私はひたすらたるんだ黄色いラインの動きを見ていた。すると突然、ラインが上流へ走った。私はすかさず竿を真上に上げた。テンカラ竿は弓なりになり、強い引きに心臓は高鳴った。手前に引き寄せても、ラインがやたら長いから取り込めない。ラインを手でつかみ、強引に引き寄せた。何と初のキープサイズが尺物だった。嬉しくて、毛針が浅掛かりしていることに気付かず、流れの中に泳がせ写真を撮ろうとした。レンズを覗くと、尺イワナは消えていた。慌てて辺りを見回したが、時既に遅し。この悔しさは、今でも脳裏に残るほどだ。テンカラで初めて釣り上げた尺イワナ。現物もなく、証拠写真もなければ、誰も信じないだろう、と思うと悔しくてしょうがなかった。(上の写真は三尾目の写真)
オイの沢が左岸から合流する瀬で三尾目がきた。尺には届かなかったが、まずまずのサイズ。諦めずにテンカラを振り続けてよかった、とつくづく思った感激、感激の一尾。このイワナは毛針を口の中まで飲み込んでいた。一年生にも釣れるのは当たり前。イワナ任せで釣れたのだ。ここから俄然自信が蘇ってきた。
魚影が濃くなれば、テンカラ一年生の稚拙なキャスティングにもイワナは食い付いてくれた。淡い橙色の斑点、黄色に染まった腹部。毛針をくわえた居付きのイワナたち・・・。瀬畑流日光テンカラは、向こうアワセで釣れることを初めて実感した。ラインを十分たるませる。そのたるんだ分だけ、イワナは毛針をくわえて走る。それだけアワセの時間は長く、簡単に釣れるのだった。長い間、イワナ釣りをやっていれば、どこにイワナがいて、食い筋がどこかはすぐに分かるはずだ。問題は、ラインが長い分だけ、障害物を避け、イワナに気付かれずに、正確にポイントへキャスティングするのが難しい、その一点に尽きる。これだけは修行を積むしかない。
オイの沢にあるマタギ小屋。山越えルートでやってきた仲間は既に到着していた。聞けば、マタギ道はヤブと化しており、密生する笹と切立つ壁に阻まれ、何と8時間半もかかったという。「とても同じルートは帰りたくない」とのことだった。 左の小沢が小屋の脇を流れる湧水だ。何と、小屋には顔見知りの仙北マタギたちも来ていた。偶然とは言え、嬉しい誤算だった。我々は、小屋の脇にテントを張り、共に一夜を過ごした。
翌朝、マタギ小屋をバックに記念撮影。後列左から、鈴木マタギ、小山マタギ、皆川マタギ、中村会長、長谷川副会長、私。手前左から角館町の菅原さん、柴田君、高橋コック長。総勢9名、静かなマタギ小屋は、一転賑やかとなった。

マタギたちは、増水した堀内沢を渡るのは困難と判断、同じ山越えルートを歩いてきたという。初めて案内された角館町の菅原さんは、小山マタギに付き添われ、小屋に着いたのは何と午後5時頃だった。ヨレヨレになった菅原さんの一言「後二度と来たくない!」と水場にへたり込んでしまった。

マタギたちは、我々に向かって何度も言った。「戸堀さんにルートを聞いただけで、よくこごまでこれたねぇ」と・・・。さすがの会長もこの道には驚きを隠さなかった。白岩岳(1177m)までは登山道の道も良く快適だが、その先はヤブと化していたという。さらにオイの沢へのルート、最後の下りは幾つもの壁に阻まれたという。マタギ小屋から尾根に上る場所を、マタギは「十分」と呼ぶ。いわゆる上るだけで「十分」という意味だ。

会長は、先に帰る私に懇願した。帰りは沢を下るから、迎えにきてくれと。マタギルートは、それほど困難なルートなのだ。改めて、仙北マタギたちの凄さを知る思いだった。

たった一夜だったが、マタギたちと焚き火を囲み、イワナ料理とタケノコ汁を食べながら酒を飲み語らった。堀内沢の猟場の話、亡くなった藤沢シカリの思い出や滝の上にイワナを放流し続けた白岩の故秩父孫一氏の話、桂小屋と小屋建造のドラマ、袖川沢の猟場の話、沢内村のマタギが辿ったルート、北海道でのエゾシカ猟の話・・・。特に皆川マタギは、袖川沢を猟場にしていたようだが、実に山を知っている人だな、と感心した。

「オラァ、この山しか知らねぇが、こんなに素晴らしい山はねぇと思う。目をつぶっても全てわがる。今は、猟で飯を食う人はいねぇが、山に感謝することを忘れたら駄目だ。いつまでも残してぇと思うなぁ。」ボソリと言った言葉が印象的だった。

「後二度と来ない」と宣言した角館町の菅原さんは、すっかり元気になり、やけに饒舌だった。山は不思議なものである。いくら難儀をしても、深山幽谷で焚き火を囲み、仲間と山の幸をツマミに飲み語らえば、全ての苦労は吹っ飛んでしまうのだから・・・。テンカラで初めてイワナを釣り、初めてマタギ小屋を囲んでマタギたちと語らい、テントに入らず、初めてマタギ小屋に泊めてもらった。初めてづくしのテンカラ一年生は、山釣り人生の中で決して忘れることのできない長い一日だった。
マタギ小屋から数十m上流の左岸に、かつての桂小屋があった。昭和30年以前は、この桂の空洞を利用し狩り小屋として利用していたという。ところが桂小屋は、その後火事で焼失し、マタギらはカツラの脇にビニールシートで小屋を造った。しかし、これも雪でつぶれたことから、「ちゃんとした小屋を造ろう」と、藤沢シカリの指示で弟子ら10人が流木などを集め、昭和47年の夏に今の小屋を完成させた。

桂の空洞に入るとその広さに驚いた。貧困と食糧難の時代、藤沢シカリ一行は、白岩岳を越え、急峻な堀内沢に分け入った。彼らは、獣と化してクマを追い、巨木の穴に入って獣同然のように眠った。どんなにお世話になり、どんなに感謝したことだろう。マタギたちにとって、この大木は、まさに神木と呼ぶべき存在であろう。残念ながら、それを知る者は、ほとんどいなくなった。

和賀の懐深く、ブナ林にひっそりとたたずむお助け小屋と巨大な桂の空洞・・・その中に入って思った。山に同化し、山の恵みに感謝するマタギの世界にひたれることは、森との共生を模索する現代人にとってもかけがえのないものである。お助け小屋も桂の大木も「自然と人間と文化」を考える貴重な遺産だ。

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