半井小絵「お天気彩時記」(かんき出版)という本がある。著者は気象予報士で、NHKのお天気キャスターである。以前からいい加減なことを言う人だと思っていた。たとえば2006年の紅白では「日本で一番初日の出が早い納沙布岬」と言ってたと思う。千葉県の犬吠埼のほうが早いということは何十年も前に話題になったことがあるので、有名な話と思うのだが、ご存知ないようだ。
 そんなわけで、この本を見つけた時、またいい加減なことを書いてるんじゃないかと、アラ探しの気分で、本屋で立ち読み(いや、ジュンク堂で座り読み)してみた。俺も底意地が悪いなあ。

 びっくりした。いきなり、最初に読んだページに大アラが見つかったから。
 ちょうど啓蟄の直後だったんで、その項目を読んでみたらこうあった。
啓蟄
 実際、虫が活動するのは4月の声を聞いてから、1日の最高気温が15℃ぐらいのころですので、旧暦ならドンピシャリ。現在の暦では、本当の「啓蟄」は1カ月ほど先なのです。薄手のコートもそれまでお預けです。

 なんのこっちゃ?何が「旧暦ならドンピシャリ」なのか?「本当の『啓蟄』」って何なのか?
 おそらくこういうことだろう。啓蟄が3月6日ころというのは彼女も知っている。しかしこれは「新暦の啓蟄」であって、旧暦では3月6日は「1カ月ほど先」だから、その「旧暦の啓蟄」なら「ドンピシャリ」になる、と。これは啓蟄(そして24節気)を全く理解してないことを暴露している。
 24節気については、この本にも載ってるから彼女にもわかるはずだが、啓蟄の次は春分である。それで、半井流に考えるなら、「旧暦の春分」も新暦のそれより「1カ月ほど先」、つまり新暦の4月下旬か5月ころでなければならない。しかし、春分というのは「昼と夜の長さが同じ日」である(これも、この本にも載っていることである)。そんな日が新暦と旧暦で違うなんてことがあるだろうか?
 勿論、春分は新暦でも旧暦でも同じ日なのだ。ただその日付が違う。新暦では3月21日ころだが、旧暦ではその春分は「二月中気」といって、必ず二月なのだ。
 啓蟄も同じこと。新暦では3月6日ころであるが、旧暦ではこの日は「二月節気」といって、一月後半または二月前半(長期の平均では二月一日)になる。ただこれは日付の問題であって、新暦と旧暦で啓蟄の日が異なるわけではない。それ以外に「本当の啓蟄」なんてものははないし、「旧暦ならドンピシャリ」なんて奇妙な話はどこにもないのだ。
 既に述べたように、春分は昼と夜の長さが同じ日。つまりこれは太陽に注目して決められている。24節気というのはすべてそうで、たとえば啓蟄は「太陽の黄経が345度」と定義されている。実は24節気というのは、基本的には太陰暦である旧暦に太陽暦の要素を採り入れる(そうして季節がずれないようにする)ための概念なのである。このことさえ知っていたら、「本当の啓蟄」なんていう珍妙なものを考えられるはずはないのだ。

 旧暦の4月1日は更衣ころもがえの日です(現在の暦で言うと4月末から5月ごろ)。

 これだけ読むと至極もっともなんだが、実にこれが「彼岸(3月17〜23日ごろ)、春分(3月21日ごろ)」の項に書かれている。彼女の思考回路がよくわかるではないか。やはり「旧暦の春分」は「旧暦の3月21日ごろ」と思っているのだ。
 「ころもがえ」を取り上げるなら、立夏(新暦5月6日ころ)が相応しい。この日が「旧暦四月節気」つまり旧暦四月一日はこの日に近い頃なんだから。その立夏の項には
 このころは穏やかに晴れて暖かい日が多く、西日本なら半袖でも良いくらいの日もあります。

 だから「ころもがえ」なんだよね。

清明
 新暦では、子どもや学生は入学式・新学期をあと数日に控え、社会人は新年度が始まったばかりのころ。

 この「新暦では」の滑稽さは、もう説明の必要もなかろう。じゃあ、旧暦ではどうなの?(爆)

中秋の名月
新暦では1ケ月程度後になり、満月の日を「中秋の名月」と呼ぶことが多いようです。

 これも何もわかってないことを暴露している文章だ。中秋とは旧暦八月十五日のこと。勿論この日は(ほぼ)満月である。同じ日が新暦では日付が1カ月ほどずれるというだけのこと。「・・と呼ぶことが多いようです」じゃなくて、その日がまさに中秋。例えば2007年なら、9月25日が旧暦八月十五日で中秋の名月である。旧暦の載っているカレンダーを買って来てちょっと見ればわかることである。

 これほどひどくはないが、
 「つごもり」は「月籠り」が詰まった言葉で、やはり月の終わりを意味します。」

という文章もある。「月籠り」は天体の月が籠ることで、それが旧暦では一か月の終わりでもあるということを言わなければ、何の説明にもなっていない。同じような言葉をぐだぐだ繰り返してるだけ。人は誰でも、わかってないことを述べようとすると、こうなる。哀しいね。

 暦に関するアラばかりを指摘した。しかし彼女は気象予報士なんだから、気象に関する記述さえ間違ってなければ良いだろうという向きもあるかと思う。本当にそうなら目出度いのだが・・
西高東低
 ・・両者の気圧差が大きいほど等圧線の数が多くなり、北西の季節風が強く吹きます。
 大陸の冷たく乾いた空気が日本海を渡るとき日本海の暖かい海水から蒸発した水蒸気をエネルギーにして雲が発生します。

 まず、等圧線というのは気圧の高低を表現する手段に過ぎない。「気圧差が大きいほど等圧線の数が多くな」るのはあたりまえ。地図上では高い山(高低差の大きい所)では等高線が混んでいるのと同じことである。一方、風が強くなるのは気圧差(より正確には気圧傾度、つまり一定の水平距離間での気圧差)が大きいところである。だから、「気圧差が大きいほど等圧線の数が多くなり、・・季節風が強く吹きます」というのは本末転倒であろう。
 山を登るときには地図を頼りにする。地図上で等高線が混んでいる所は険しい所である事がわかる。同様に、天気予報者や解説者は天気図上で等圧線が混んでいる所は気圧差(気圧傾度)が大きい所とわかる。そしてそこでは風が強いと判断する。だから上の文章は予報の現場ではそのとおりなのだが、本来、風が強い理由は、「等圧線が多い」からではなく、「気圧差(気圧傾度)が大きい」からなのである。「等圧線の数が多くなり」は、この場合無意味な言葉である。

 しかしこれだけならまだ良い。「暖かい海水から蒸発した水蒸気をエネルギーにして雲が発生します」。この意味を理解できる人がいるだろうか?何故、水蒸気がエネルギーになるのか?そこからどうして雲が発生するのか?全く不思議な話である。
 彼女が依拠しているだろう教科書の類には、おそらく大筋以下のように書かれているはずだ。
 大陸の冷たく乾いた空気が日本海を渡るとき、日本海の暖かい海水から大量の水蒸気が蒸発する。この大量の水蒸気を含んだ空気が脊梁山脈を強制上昇するとき、温度が下がるので水蒸気が凝結して雲が発生する。このとき、水蒸気は凝結熱(潜熱)という形でエネルギーを周りの空気に放出する。

 さらに、このエネルギー(潜熱)は周りの空気を暖めるので、太平洋側に吹き降ろす空気は気温が高くなる、というフェーンの説明にも繋がるだろうが、それはともかく、「暖かい海水から蒸発した水蒸気をエネルギーにして雲が発生します」というのがいかに乱暴な論理か、これでわかるだろう。

 無論、「お天気彩時記」は気象の教科書ではない。単なるエッセーである。だから、専門用語を多用して厳密に論ずる必要は無い。そんなことをしたら読者は離れてしまうだろう。だから、ある程度端折って説明するのはやむを得ない、という擁護論も出てきそうだ。
 しかし、端折るにしても限度がある。全く意味不明の文章にして良い道理がない。簡単にわかりやすく、しかし正確に伝わるのでなければならない。
 それは難しいことに違いない。しかし、それが出来ないのなら、本なんか書くべきじゃない。気象予報士という専門家なら特にそうだ。専門家が書いてるものなら、人は正しいと考えるものだ。大人なら、ある程度批判的に読むということもできるだろう。しかし、純真な子供はそれもできない。何を言ってるのかわからないながら、それを「正しい」と受け入れざるを得ない。そうして理科離れを起こす。納得のいかないものを無理矢理受け入れるほどの苦痛はないのだから。子供には到底、この本は読ませられない。いや、大人にも、百害あって一利なしと断ぜざるを得ないのだ。

 台風が「海面から補給される水蒸気をエネルギー源にどんどん強くなります」という文章もある。これは一応正しいとして良いだろう。ただし、何故水蒸気がエネルギー源になるのか?つまり水蒸気潜熱についての説明はこの本にはどこにもないようだ。したがって、この本だけを読んだ人には、「水蒸気をエネルギー源に」の意味は相変わらずわからないはずである。そして先の「水蒸気をエネルギーにして雲が発生します」というぞんざいな文章を思い起こすと、もしかして半井自身がこのことをわかってないのではないかとさえ思ってしまう。たんに「水蒸気をエネルギーにして」と、ナントカの一つ覚えで言ってるのではないのかと。それはさらに、気象予報士というのはそんなレベルの者でもなれるのかという疑問を誘起する。

・・今茲に空気の一塊が、高所へ昇騰すると、四方から之を圧してゐる外気の圧力が減ずるから、その空気塊は漸次膨張する、然るに膨張するに当つては、外気の圧力に反對して、容積が増す為めに、自己の内部のエネルギーを消費する、然るに凡て気体の温度の昇降は、自己の内部のエネルギーの増減によるから、此空気塊の温度は、漸次低落する、・・・
・・昇騰する空気の中に、全く水蒸気が無いときは、百米昇る毎に約一度冷却する割合である、・・若し此昇騰する空気が、水蒸気で飽和してゐると、昇騰して冷却するにつれ、水蒸気の一部は凝結して雲になり、潜熱を放出するから、冷却するのが聊か緩やかになり、百米昇る毎に約0・五度位の割になる、・・

 上は岡田武松「気象学講話」の一節である。「空気の一塊が、高所へ昇騰すると・・・此空気塊の温度は、漸次低落する」の部分は、「熱力学第一法則」ということを述べている。そして後段では、水蒸気が凝結して雲になるとき、潜熱を放出することも述べている。それらの基礎的概念を、可能な限り平易な言葉で説明しているところに注目したい。
 岡田武松は日本の気象学の創始者とも言われる。中央気象台(後の気象庁)の、育ての親であろう。半井はおろか、他の誰も、岡田と比較することなどできない。岡田を持ち出したのも、そんな目的ではない。
 この「気象学講話」は、序文に「此書物は、自家専攻の学科の補助として、気象学の一斑を、心得て置かふと思ふ方方の参考になるように、編纂したものである、・・・農業、水産、航海などの実業学校に於て、教科書として採用せられる場合には、・・」とある。つまり気象学を専攻する学生ではなく、その周辺分野の人を対象としている。現在なら大学の教養課程に相当するだろうか。しかし、そのようなあまり高い専門知識を持たない人にも、現象を基本から考えることを促しているのが上の一節であろう。岡田の教育者としての偉大さはここにある。熱力学第一法則まで説明しなくても、「空気が高所へ昇騰すれば温度が下がる」と言うだけでも人は一応納得するだろう。「水蒸気が凝結して雲になるときは、冷却するのが緩やか」(潜熱なんてことは言わない)でも、構わないかもしれない。しかし、そうした断片的な知識をいくら並べ立てても、気象、いや、自然を理解することはできないのだ。
 そんな岡田の遺産を継いでいるはずの気象庁。そこに気象予報士という制度ができた。当然、予報士は岡田の精神を引き継いでなければならないだろう。しかるに、半井の著書を読む限り、気象予報士という専門資格にさえ、岡田の教育方針は浸透してないのではないかと、私には非常に疑問に思えるのである。

 猛暑か冷夏かについては、過去の統計から「10年のリズム」というものを見つけました。これは、冷夏の翌年とその翌年は猛暑になるというパターンが、10年ごとに3回続いていることに基づいたものです。
 私はこれを基に、2005年(平成17)年の初め、日本農業新聞からの取材で、「2003年は冷夏で、翌年は猛暑。だから2005年は猛暑」と話したことがあります(気象予報士は3ヶ月以上先の予報を出すことはできないので、これはあくまでもパターンから見たものです)。
 結果はと言うと、全国的に平年より高く、とくに西日本で猛暑となりました。統計的な手法も大切にしたいものですね。
「お天気彩時記」pp82

 「統計的な手法」といってもこれは、サイコロの出目を見て次の出目を占うのと同じことだ。3回くらい同じことが続いたからといって、それが意味のあることなのか、たんなる偶然なのかは誰にもわからないはずだ。だいたい、この程度の「統計的手法」で何かがわかるものなら、気象庁百数十年の歴史は何だったのかということになるだろう。
 こんな根拠の無い流言蜚語が罷り通るのを防ぐためにこそ、気象業務法があるはずで、そのことは気象予報士なら当然知っているはずだ。気象庁はこれを放置しておくのだろうか?

 ところで、ネットで「半井小絵」を検索してみると随分出てくる。かなり人気があるようだ。書評じみたものもあったが、「内容は一般の『彩時記』と変わらない」などという大タワケがあった。「彩時記」なんて名前の本が他にあるというのか?これは彼女の造語だろう。それは良い。しかしこの文章を「内容は一般の『歳時記』と変わらない」と読み替えるとどうだろう?どこの世界に「現在の暦では、本当の『啓蟄』は1カ月ほど先なのです」などと書いている歳時記があるのか?歳時記など読んだこともない者が知ったかぶりしているのが見え見えなのだ。
 それでも書評のような形で取り上げているのはまだ良い。それよりも、おっぱいがどうのこうのといったものが実に多い。半井のファンはこんな下衆どもばっかりなのかと思ったら、むしろ彼女が可哀想になった。
 しかし、なんぼ可哀想でも、こんなデタラメを看過しておくわけにはいかない。それとこれとは別なので、悪しからず。
 おっと、その下衆どもがこのページを見つけたら怒るだろうな。中には嫌がらせを仕掛けてくる奴もいないとは限らない。結構。しかし君らが騒げば騒ぐほど、半井のあほさ加減が満天下に知れ渡るってことをお忘れなく。

こちらもお読み下さい。ヒートアイランド(半井小絵のデタラメ)

Mar. 2007
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