シアトルに大酋長を訪ねて
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セーフコ・フィールド
シアトルの大酋長
ティリカム・ヴィレッジ
シアトル見てある記
人々

セーフコ・フィールド
 2001年6月23日、僕はシアトルのセーフコ・フィールドにいた。マリナーズ対エンジェルス戦、イチローは今やア・リーグの首位打者である。
Safeco field センター方向にダウンタウンを望む。
東京ドームから丸の内くらいの距離だろうか。神戸なら昔の長田球場から三ノ宮?
ともかく歩いても行けるくらい近い。
おきまりの1枚。ライトを守るイチロー
Mt. Rainier, Safeco field 内野席裏から
日系人には「タコマ富士」とも呼ばれるらしい。美しい山だ。
夏至の直後で緯度が高いこともあって、午後8時でもこんなに明るい。
Safeco field ゲートで自分を写す。いや、おっさんやなあ・・

 この日のイチローは5タコ。試合は 1-2 でマリナーズの負け。佐々木の出番もなかった。日本からの観戦者には残念な試合だったが、引き締まった良い投手戦ではあった。1度だけ、イチローがゲッツーくずれで出塁し、すわ盗塁かと期待したが、なんと、ワイルドピッチ!イチローの足が泣くで。いやでも、ショートゴロを打ったとき、エンジェルスのショートはものすごい早業で1塁に投げ返した。きっとイチローの足が頭にあって、緩慢なプレーはできんと思ったんだろう。

シアトルの大酋長
 今回の旅の最大の目的は、勿論イチローだった。日本からシアトルを訪れるおびただしいイチロー・ファン。新聞によれば、イチロー、佐々木の経済効果は5年で100億ドルとも言われてるそうな。僕もご多分に漏れず、その列に加わったに過ぎない。ただ、それだけが目的でもなかった。
 それを思い出させてくれたのもイチローだった。阪神大震災から6年目の今年の1月17日、新聞に彼が神戸ベルを撞いてる写真が載った。これは神戸市とシアトル市が姉妹都市になった記念に神戸市から贈られたものだ。実際、鐘の本体にはその旨の記述があるし、鐘楼の屋根には神戸市章も付いている。
 それに先立って、シアトル市から神戸市にはトーテムポールが贈られて来た。今も神戸市役所前、花時計の後に建ってるのがそれだ。このトーテムポールを建立するにあたって、シアトルのネイティブ部族の酋長が神戸を訪れ、彼らの仕事を完成なされた。酋長はこのとき、相楽園の隣にあった「神戸市立山手小学校」を訪れ、朝礼で挨拶をされた。僕はその時、5年生だった。
 「ローン・レンジャー」「ローハイド」「ララミー牧場」「ライフルマン」・・・、テレビでは毎日、西部劇をやってた時代だ(ヨドチョーさんの「西部こぼれ話」面白かったなあ)。そこへ「ほんまもんのインデアンの酋長」が来たんや!いや僕らの興奮しまいことか!!!!!その日はみんな、その話でもちきりやったね。何を話して行かれたんか?そんなこと誰も気にしてへん(^o^)。とにかく、「酋長さん」がウチの学校に来た、それだけで充分やった。
 40年も前、既に「酋長」というくらいだからご高齢で、今もご存命とはちょっと思えなrい。でも、彼の子や孫、縁者などはきっとシアトルに居るだろう。その人たちに会えたxら楽しかろう。そう思って、シアトルのネイティヴ部族の情報を探してみた。
 シアトル市は日本語の Webページも開設している。たいしたもんや。そんな所を物色してるうちに、Tillicum Village に行き当たった。なんでもインデアン流の焼き方の鮭を食わせて、インデアンの伝承を基にしたショーを見せるという、これは観光地ですな。ええやんか。観光地なら気軽に行ける。そしてそこに「酋長」の縁者がいるかもしれない。

ティリカム・ヴィレッジ
 かくして僕は、インデアンの村ティリカム・ヴィレッジへ向かった。マリナーズ戦を見た翌日、6月24日の日曜日である。
 ティリカムへは pier 55 から船で行くしかない。船は、夏休みは毎日あるらしいが、それ以外の季節は土日しかないという。11:30と16:30の2回、どちらも $65で4時間の旅である。僕は11:30のほうに乗った。
 pier 55の船着場では、乗客1組毎に写真を撮ってくれる。これも料金のうちかと思ってたら、帰って来た時に1枚$8で売るんだ。ちょっと高いと思ったけど、他に記念写真も撮ってないから買って来た。
 6月とも思えないうそ寒い日で、1時間の船旅でティリカムのある Blake Island へ着く頃には小雨まで降り出した。天気予報は雨なんて言うてたか?予報があてにならんのは日本もアメリカも同様、なんて憎まれ口たたきながら上陸。うん、トーテム・ポールもあるゾ
 「ロングハウス」と言うらしい、建物に入ると、お面なんかも置いてある。ちょっと日本のお神楽のお面に似てへんか?そしてこれがインデアン流の鮭の焼き方だそうな。
 ディナーのメインはこの鮭。他にサラダやパンやライス、それにアサリのスープといった料理が並ぶ。鮭はただ焼いただけで味はあんまりない。ただテーブルの上には塩やら胡椒やら、それになんと醤油!が置いてある。醤油をかけると結構旨かった。
 そしてショーが始まる。米国北西部のネイティヴ部族の伝承なんかを基にしてるらしい。が、英語なんで筋を追うのはしんどい。もっと日本人客が増えたら日本語ナレーションもやってくれるんじゃないか?ちなみにこの回には僕以外の日本人は地元在住のご家族とそこへ日本から来たおじいちゃんがふたり、だけだった。
 ショーが終わって、ロングハウス内の土産物などを見て回る。ショーに出ていた若いダンサーのひとりが、客の写真撮影に応じている。彼をとっ捕まえて40年前の神戸の話をしてみたが、あまり興味を示さない。そりゃそうか、この子が生まれるよりずっと昔の話やもんなあ・・・
 土産に玩具のトーテムポールと"The story of Tillicum Village/ 35 Years of Myth & Magic" という小冊子を買って帰りの船に乗り込む。船の中でこの本を読んで見る。
 この本の著者は Mark Hewit という人で、Tillicum Village を始めた Bill Hewit(白人)の子息で、現在はその President, CEO であるらしい。Tillicum とは、「友好的な」といった意味の Chinook Jargon つまり米北西沿岸部の諸部族間の共通語であるという。この村は、クリントン前アメリカ大統領がAPECの会合に使ったこともあって、当時の細川総理も訪れているそうな。
 しかし、そんなことより僕の目をひいたのは、この本に載ってる Joe Hillaire of Lummi tribe という人の写真だ。定かな記憶ではないが、この人が神戸へ、そして山手小学校へも来た「酋長」ではなかろうか?"A great friend and advisor to Bill Hewit" とあり、写真は1961年の "ground breaking ceremonies" のものという。時代も一致する。同じシアトルに同時代にそんな「酋長」が何人もいたとはちょっと考え難い。
 とはいえ、確証はない。僕の sentimental journey はたいした収穫もなく終わろうとしている。

追記
 日本へ帰ってから Tillicum Village へメイルで問い合わせてみたが、host unknown ということで、連絡できなかった。ただ、その Cc:を神戸市シアトル事務所へ送っておいたところ、松田高明様からお返事があり、やはり神戸へ来たのは Joseph(Joe) Hillaire さんだったことが判明した。松田さんに謝意を表すとともに、その文面を掲載させていただきます。

 西野誠一さんのページには1970年のトーテムポールが見える。現在と比べると後方の樹木が小さくて、40年の歳月を感じさせる。西野さんは山手小学校の1年先輩、というより幼馴染である。そして今回、問い合わせてみたところ、なんとシアトルの酋長を神戸港に出迎えに行かれたという。なんでも当時、山手小の小野田校長が原口忠次郎市長と仲が良かったそうで、僕等の母校がシアトルの酋長と格別縁が深いのはそういう理由によるものらしい。これも西野さんからの情報である。

シアトル見てある記
 シアトル市の人口は50万程度と言うから、新潟くらいか?ただ、この「シアトル市」というのは相当狭い地域のようで、これを含む「グレーター・シアトル」の人口は300万と言うから、むしろ名古屋くらいの大都市と考えたほうが正解かもしれない。ワシントン州の面積は日本の半分ほどもあるのに、人口は500万だそうで、つまり、そこからグレーター・シアトルの人口を差し引いた200万人ばかりが北海道と東北を足したほどの広大な地域に散在していることになる。カナダのバンクーバーまで200km弱、車で2時間ほどで行けるらしい。
 ダウンタウンには摩天楼が聳え、東西の street、南北の avenue が走ってる。avenue には 4th ave. とか 5th ave. とか番号がついてる。これらはニューヨークのマンハッタンとよく似ている。もっともあまり広くない。いや、マンハッタンだって、僕は SOHO から Grand Central Station まで歩いたけど1時間くらいのもんやったと思う。東京で言えば、中央通りの新橋から銀座、日本橋、神田、秋葉原を通って上野といったところか。
 さて、シアトルではダウンタウンから坂道を下って行くと海岸に出る。ここはウォーターフロントと言って、pier が並んでる。pierというのは「突堤」とも訳される。当初僕は神戸港の突堤のような大岸壁を想像してたが、シアトルの pier は、何本もの丸太ん棒の支柱に乗った小さな木造の突堤だった。むしろ、神戸に昔あった「鉄道桟橋」がこれに近いように思う(東京の丸ビルの建て替えで、基礎の部分から大量のアメリカ材の丸太ん棒が見つかったという話を読んだことがある。昔のアメリカではこういう建て方は珍しくなかったのか)。それがシアトル・センター近くの pier 70 まで、だからたぶん70個もあるんだろう。その上に水族館や土産物屋や、シーフード・レストランなんかが建ってる。そのレストランでは、R もつかない June だというのに牡蠣を食わせる。野球に行く日の昼に食ってみた。1人前6個で $6 という。ビールを飲んでも $10でお釣りが来た。氷漬けにされてる牡蠣を自分で選べと言う。どれも似たようなもんだろうと、ふたつばかり選んだ後、3つ目にかなり大きいのに行き当たった。ちゃんと選ばんと損しまっせ!
 このウォーターフロントには市電が走ってる。料金は$1。郷愁を誘うレトロな電車だ。ロサンジェルスなんかでは大気汚染の深刻化で路面電車が見直され、スマートな車両が走ってるようだ。21世紀にはきっとこの風潮が世界に広がるだろう。市電ファンとしては嬉しい限りだ。が、その一方で、シアトルのこののんびりした電車も是非残して欲しいものだ。
 水族館の少し北からダウンタウンへ上っていくパイク・プレイス・マーケットがある。大声を掛け合いながら売っている魚屋が大人気だったり、ちょっとアジア的な猥雑さが楽しい。"OSAKA TERIYAKI" なんて看板もある。「テリヤキ」は人気なのか、他でも看板を見た。八百屋にはチェリーが並んでる。あの黒っぽい「アメリカン・チェリー」は勿論だが、日本の山形のと同じような色のチェリーもある。かなり大粒、ただし形はあまり揃ってないかな。でも $3 で結構な量、買える。野球場に行く車の中で他の日本人達に分けたら好評だった。こりゃ山形もうかうかしてられませんぞ。
後日談
 ひと月程の後、荻窪の市場で「レーニア」というチェリーを見かけた。多分 Mt. Rainier に因む品種名だろうから、僕がシアトルで買ったのと同じものに違いあるまい。値段は 300g で 1,000円。シアトルのは $3 でたぶん 10オンス(283.5g)だったと思うから、倍以上の値段だ。

 "OSAKA TERIYAKI" の近所に、"King County Health ナントカ" の "Needle Exchange Program" という看板があって、周囲にはちょっとアブナそうな連中がたむろしていた。"needle" は注射針だろうか? drug をやってる連中を救済する施設と思える。ここにもアメリカの病める部分は侵入してるんだろう。シアトルは美しい街だけど、ここもパラダイスではない、ということだろう。
 マーケットから Pike street を上って行く。どこがてっぺんなのかわからんが、かなり上ったところにBaptist Churchというのがあった。有名なのかどうかは知らんが、このあたり、閑静な住宅街で、ちょっと神戸の諏訪山近辺に似てるような気がした。
 歩き疲れたらバスに乗ろう。ダウンタウン・エリア内はなんと、バスがタダ!(もっとも Baptist Church から乗ったときは $1 取られた。エリアからちょっと外れてるみたいだ)。
 ダウンタウンのど真ん中がWest lake centerこんな馬車もあったりする。鎌倉の人力車みたいなもんか。
マリナーズのオフィシャル・ショップもこの近くにある。また、シアトル・センターへ行くモノレールもここから出ている。
 シアトル・センターはここからモノレールでほんの数分。$1.25はシアトルではちょっと高い。もっとも東京なら最低限の料金だが。また市電の終点 Broad ST stationから歩いてもわずかだ。
 ここは昔の万博会場の跡地でスペース・ニードルという展望台がある。そこからの眺望は見事だ。$11 を高いと思うかどうか。神戸ベルは、このInternational Fountainのすぐ向こうにある。
 West lake center へ戻ろう。「地下バス」もここを通る。シアトルのバスは多くがトロリー・バス、つまり電気バスである。排気ガスが出ないからだろう。バス専用の地下道があって、これはかなり速い。この地下バスも無料。ちなみにトロリー・バスはガス・エンジンも搭載してるらしく、架線のないハイウエィを走ってるのを見た。
 この地下バスでInternational districtへも行ける。ここからはセーフコ・フィールドも近い。またここにはチャイナ・タウンや「神戸テラス」という日本庭園もあるが、ちょっと寂れている。
 思い返すと、神戸の南京町も昔はあんな綺麗な、賑やいだ町ではなかった。神戸の華僑の人達の大変な努力で今日の発展が築かれたんだろう。神戸とシアトルは姉妹都市なんだから、その経験をシアトルに伝えて、ここのチャイナタウンに活気を取り戻すことはできないもんだろうか?
 以上、僕が3日間、駆け足で見たシアトルである。

人々
 この旅で多くの人々に出会った。セーフコ・フィールドで隣に座っていたご夫婦、ティリカム・ヴィレッジで同じテーブルについたご夫婦、ウォーター・フロントで食事をしていたらポケットから財布が覗いていたのを注意してくれた地元在住らしい日本人、・・・皆さん親切で気持ちのいい人達だった。Barnes & Noble で本を買ったら「アリガトゴザイマシタ」って言われた。ごくふつうの白人のオヤジである。「なんでわかったん?」とナカヤマミホ状態の僕。老母への土産を買いに入った West lake のブティック(?) では老母の身長をメートル法で言ったら、黒人の若い女の子だったけど、ちゃんと理解した。フィートに換算しようと一生懸命がんばったのは取り越し苦労だった。インテリジェンスもかなり高い人達のようだ。
 はるか1万年の昔、アジアからベーリング海峡を渡って行った人達がいた。その一部がこの海岸ぺりに住み着いて独自の文化を築いて行った。白人がここへ至ったのはほんの150年ばかり前のこと。その時、ここのネイティヴの人達は友好的で、その酋長(チーフ)の名、Seeahth がシアトルという地名のもとになったという。
 オランダはマンハッタン島をインデアンから石くれ60個分の値段で買い取った、と、司馬遼太郎「街道をゆく/ニューヨーク散歩」にある。そんな歴史もあった。異文化が触れ合うときに摩擦が生ずるのは歴史の常とも思える。この地にはそんな収奪はなかったのか?
 思えば Bill Hewit なる人物も、ネイティヴの文化への深い尊敬があったからこそ、Tillicum Village を開いたのではなかろうか。tillicum(友好)は古くからこの地に横溢しているようにも思われる。
 そして今、イチロー、佐々木という「大酋長」達に率いられて、また多くのアジア人達がこの地に押し寄せている。そしてこの地の人達は今回もこれを tillicum で迎え入れているように僕には思われる。僕の滞在中、テレビのニュースには地元ボーイング社の株の下落、赤潮の発生といった暗い話題が多かった。辛い思いをしている人達も多いだろう。でも、だからこそマリナーズの躍進は人々を元気付け、その原動力たるイチローに喝采が集まるんだろう。そして僕達まで、tillicum で迎えられるんだろう。
 僕みたいな庶民でも、野球を見るためにアメリカへ行ける。いい時代だと思う。おおいに満喫すればいいだろう。でもね、中には着いた当日に野球を見て、翌朝にはどこかへ行ってしまう人達も見かけた。もったいないよ。折角行ったのに、あの気持ちのいい人達と何の交流もしないなんて。こちらもあの人達と tillicum の精神で付き合って行こうよ。口はばったいけどそれだけ、同朋諸兄姉にお願いして、この拙文の結びとします。ここまで読んで下さった方、有難う。

We are tillicum!
Jul. 2001
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