朔旦冬至系列の遷移

メトーン周期と朔旦冬至
 世界の多くの太陰太陽暦では、19年に7回の閏月を置く。すなわち19太陽年は235朔望月とほぼ等しいことが古代から知られていたのである。これをギリシャではメトーン周期と呼び、中国では19年を1章とすることから、この置閏法を章法と呼ぶ。
 章法の典型的な例は朔旦冬至である。中国では古代から朔と冬至が重なる日が19年に1度現れた。この日は章の初め(章首)として重要視され、宮廷では祝賀の宴が催された。
 日本でも、延暦三(784)年以降、19年ごとにこれが行われた。

その他の周期
 1897年にフランスで発見された という2世紀のケルトの暦の断片では、2年半に1度(5年に2度)の閏月を置くという。ただしこれでは5年で5日ほど多すぎるので、30年の間に閏を1回省き、11回としたらしい。つまり
 30太陽年=371朔望月。
  という。だとすればメトーン周期よりも古いことになる。


 日本では、延暦三(784)年以降、19年ごとに朔旦冬至が行われたが、それ以外に計算上は『臨時朔旦冬至』が起こった。ただし、施行暦ではいずれも暦操作で回避。

 なお、延暦三(784)年自体が、その30年前の天平勝宝六(754)年の朔旦冬至から30年目である。

 また、天保暦以後では以下のように30年間隔の朔旦冬至が現れている。
  1870〜1900
  1908〜1938
  1965〜1995
  1984〜2014

理論的考察
 朔旦冬至が19年間隔で現れることはメトーン周期から明らかである。
このように、19太陽年と235朔望月はほぼ一致する。このため太陰月の朔と太陽暦の冬至が19年ごとに一致する、これが朔旦冬至である。
 30太陽年と371朔望月では、
このように、1.6日ほどの差があるので、朔旦冬至は実現しないように思われる。
 しかし、ここまでで用いたのは平均太陽年、平均朔望月であって、実際の太陽年、朔望月は毎回このとおりではない。太陽年の変動はかなり小さいが、朔望月は29.2〜29.8日というかなりの変動幅がある。このため371朔望月が30太陽年とほぼ等しくなることが起こり得るのである。
 日本の中世、臨時朔旦冬至が起こった(しかし暦操作で回避された)時代は宣明暦という唐代の暦法が用いられていたが、その暦は定朔であった。定朔とは、毎回の朔望月の変動までを予測する暦法である。中国でも古い時代には朔望月を一定とする平朔が用いられていたのだが、既に唐代からは定朔になっていたのである。太陰太陽暦は世界各地にあったが、定朔まで用いていたのは中国以外にはちょっとない。それほど中国暦は優れていたのである。そして日本にもそれが早くから伝わっていた。臨時朔旦冬至はその帰結なのである。

実際の冬至、朔の分布
 次に、30太陽年と371朔望月の具体的な関係を見るために、実際の冬至、朔の間隔の分布を調べてみる。期間は朔旦冬至(1995/12/22)〜朔旦冬至(2015/12/22)である。
 太陽年としてここでは冬至年(冬至〜冬至の間隔)を用いる。これは先の平均太陽年よりやや長いことが知られている。朔旦冬至の現れ方を見るためにはこの冬至年を用いるべきである。

冬至
>
 平均冬至年は現在は365.2426日程度とされているが、今回の19年間はそれよりやや長い。標準偏差が0.004日ほどあり、毎年多少の変動があることがわかる。

朔望月

 平均朔望月は29.53日ほどで、ほぼ妥当である。標準偏差は0.135日ほどあり、こちらの変動幅は冬至年よりかなり大きい。
 上記の朔望月の区間0.1日幅ずつの出現率を見てみると、29.4〜29.5日が26%で最も多く、29.6〜29.7日の21.7%がこれに次ぐ。平均値を含む29.5〜29.6%の区間はこれらよりやや少ない。
 出現率を正規分布N(μ,σ)と比較すると、平均値付近は全く合わないが、その他はかなり合っている。
朔望月(日)出現率(%)

●:実出現率(左の表)
実線:正規分布 N(μ,σ


30冬至年と371朔望月
 冬至年の変動は小さいので、
とする。一方、朔望月の分布はN(μ,σ)で近似すれば、371朔望月の分布は
 N(371μ,√371___σ
である。平均は
 しかし、371朔望月には
の変動がある。したがって、30冬至年と371朔望月が一致する可能性は充分にある。
 分かり易い指標としては、
 
すなわち、14% の確率で30年後の朔旦冬至が出現する

 14%とは、約1/7である。朔旦冬至は通常19年に1回起こるから、7回なら133年である。一方、宣明暦時代の「臨時朔旦冬至」は保元元(1156)年、文永七(1270)年、延慶元(1308)年と、114年、138年間隔で現れており、この計算とかなり整合する。
 天保暦以降では30年間隔の朔旦冬至がもっと頻繁に現れている。しかしこれらは、1870年からの19年ごとの系列と1900年からのやはり19年ごとの系列に属しており、系列の遷移が起きたのは1870〜1900年の1回だけで、以降2つの系列が共存しているのである。したがって1870年以降の150年弱の間に遷移は1度起きただけである。


Oct. 2015
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