冬至年

 地球が太陽を公転する周期は1太陽年と思われがちだが、実はこれは厳密には正しくない。
 地球が恒星天に対して1周する周期は (= )で、これを恒星年と呼ぶ。
 これに対して太陽年(回帰年)とは、太陽黄経が1巡する時間である。たとえば春分は太陽黄経0度なので、春分〜春分は1太陽年である。
 「恒星天に対して1周」と「太陽黄経が1巡」は同じことではないのかという疑問が湧き起こるかもしれない。もっともである。しかしながらこれは同じではないのである。その理由は地球の歳差運動にある。
 地軸(地球の自転軸、北極と南極を結ぶ軸)は、公転軌道面(黄道面)の直角方向に対して23.5度ほど傾いているが、その向きは一定ではなく、ゆっくりと「みそすり運動」をしている。これが歳差運動である。そして地軸の先(これが「天の北極/南極」)は天に対して小円を描き、25800年で1周する。

 図は黄道極から天球を見たものである。図の面は黄道面。星の位置は年代によって変化しない。(天球を「外側」から見たものなので、星の位置は裏返しである)。
 真ん中のは地球、は北極、その真上が「天の北極」。

 歳差(地軸のみそすり運動)によって天の北極の位置が変わる。このため、現代ではαUMi(こぐま座α星)が北極星であるが、BC1000年にはβUMi(こぐま座β星)、BC3000年にはαDra(りゅう座α星)が北極星であった。
 北極が動けば赤道(赤線)も動く。このため赤道と黄道面の交点である春分点(黄経0°)、秋分点(黄経180°)も動く。ただし地軸の傾き角(23.5°)は変わらない。だから、冬至点(黄経270°)における赤道と黄道( 図の外枠)の距離はいつの時代も同じ。
 春分点、秋分点は赤道と黄道面の交点であるから、太陽は必ず赤道上にある。したがって地球上では真東から昇り真西に沈む。夏至や冬至の太陽の位置(地球から見て)も時代によって変わらない。
 ただし、春分点、秋分点、・・は天球上では動いている。これが歳差の実態である。
 春分点はBC100年ころは「おひつじ座」にあったが、現在は「うお座」である。

 さて、地球は1恒星年で1周するが、その間にも歳差で地軸の向きが変わる。ところで、例えば春分というのは、地球の赤道と黄道面の交点に太陽が来る時であるが、この交点も歳差によって移動する。どれだけ動くかというと、
 したがって 。この50秒角を地球が動くのに要する時間は
太陽年は恒星年よりこれだけ短いのである。
 もっとも、上記は地球の動く速さを一定とした場合であるが、実際にはそれは一定ではない。ここでケプラーの法則が登場する。
 まず、地球の公転軌道は楕円である。そして太陽〜地球の距離は1年の間に変化する。最も近くなるのが近日点、最も遠くなるのが遠日点である。近年では地球は近日点を1月4日頃、遠日点を7月5日頃通過する。そして太陽に近い時には動きが速く遠い時には遅い。これがケプラーの(第2)法則である。
 そこで、たとえば冬至〜冬至の太陽年を考えよう。既に述べたように、冬至から翌年の冬至までに地球は恒星天を359°50′10”しか回らない。1周より50"足りない。この50"を動くのに冬至の頃は近日点に近いので動きが速い。つまり先の計算より短い時間で動く。そのぶん、359°50′10”を動く時間は長くなる。冬至〜冬至の太陽年(冬至年)は幾分長いのである。同様の理由で夏至年は幾分短い。
 実際、近年の冬至年は365.2426日ほど夏至年は365.2417日ほどである。よく知られているのは平均太陽年=365.2422日であるが、それは様々な太陽年の平均値なのである。
 【冬至0→春分→夏至→秋分→冬至0】が恒星年。
 冬至1は冬至0の翌年の冬至点で、
 【冬至0→春分→夏至→秋分→冬至1】が冬至年。
 冬至1は冬至0の50"手前。冬至年は恒星年より50"短い。この50"を動く時間は動径(太陽までの距離)rの2乗に比例する(ケプラーの第2法則)。冬至の頃は近日点に近いのでrが小さい。したがって【冬至1→冬至0】の50"は速く動くので、恒星年からこれを引いた冬至年は平均太陽年より長い。

 新暦つまりグレゴリオ暦では1年=365.2425日である。単純に平均太陽年と比較すれば、差は0.0003日で3300年で1日の誤差を生ずることになる。ところが明治改暦の際にはこれが「7000年に1日」と喧伝された。通常これは誤りとされる。
 しかし、 。そもそもグレゴリオ暦は春分の日付を3月21日に固定する目的で制定されたのだから、春分年と比較するべきというのはもっともな主張であろう。