第一回回答兼刷還使の出発 一六〇七(慶長一二)年三月、壬辰倭乱後の最初の朝鮮使節団が日本の土を踏んだ。くわしく言えば、一行の漢城出発は一月一二日、釜山出港が二月二九日、対馬府中(厳原、現・対馬市)出発が三月二一日、四月八日大坂、同一二日京都、そして五月二四日(以上の日付はいずれも朝鮮暦)にようやく江戸に到着した。 |
年号について、朝鮮国は中国皇帝の冊封を受けているので明年号を用い、日本側は冊封を受けていないので「干支龍集」を用いた。 |
グレゴリオ暦 | 宣明暦(日本) | 大統暦(朝鮮) |
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1607年5月25日 | 四月三十日(このころ小満) | 四月三十日 |
26日 | 閏四月一日 | 五月一日 |
6月23日 | 閏四月二九日 | 五月二九日(このころ夏至) |
6月24日 | 五月一日(このころ夏至) | 閏五月一日 |
宣明暦 | 天保暦(もどき) | |
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小満 | 辛酉=1607.5.24 四月 | 1607.4.22 2:10 四月 |
朔 | 癸亥=1607.5.26 閏四月 | 1607.5.26 3:33 五月 |
夏至 | 壬辰=1607.6.24 五月 | 1607.6.22 11:34 五月 |
朔 | 壬辰=1607.6.24 五月 | 1607.6.24 16;37 閏五月 |