日本版の二十四節気つくります 気象協会、意見公募も
朝日新聞 2011年5月10日
 寒いのに立春、暑いのに立秋――。中国伝来の二十四節気は、季節の移り変わりに彩りを添える言葉だが、ちょっと違和感を感じませんか?

 日本気象協会は、新しい季節のことば作りを始める。言語学者や文化人、気象関係者らからなる専門委員会を設け、一般からも意見を募って検討する。2012年秋までに「日本版二十四節気」を提案する予定だ。

 二十四節気は1年を24分割し、立春で始まり大寒で終わる。古代中国で成立したため、地域や時代などの違いから日本の季節感と合致しないところがある。

 今年の立春は2月4日。立秋は8月8日。いずれも気温の変曲点ではあるが、体感ではまだ寒さと暑さのまっただ中。霜が降りるころを示す霜降(そうこう)は10月24日だが、東京の初霜は平年で12月14日ごろだ。また、清明(せいめい)(4月5日ごろ)、芒種(ぼうしゅ)(6月6日ごろ)など、なじみの薄い言葉もある。

 同協会は「現代の日本の季節感になじみ、親しみを感じる言葉を選びたい」とする。二十四節気同様、カレンダーなどに記載して生活に潤いを与える身近な言葉として定着させたいという。(二階堂祐介)

 いやあ、この記事にはあきれ果てた。
 もっとも、財団法人日本気象協会サンが何をおやりになろうとご自由。部外者が口を挟むことではあるまい。いや、この際はっきりさせておこう。日本気象協会というのは一つの財団法人に過ぎない。それがNHKの天気予報をやってる関係で公的機関であるかのように思っている人が多いのだが、全くの誤解である。
 その財団法人が何をやろうが筆者には関係ないのだが、それでも影響力の大きな団体であることは否定できない。だからひとこと申し上げる。こんなのはまったくの愚挙であると。

旧年ふるとしに春立ちける日よめる       在原元方
 年の内に春はきにけり一とせを去年こぞとやいはん今年とやいはん

 古今和歌集の第一首である。年が明ける前に立春が訪れた「年内立春」を詠んだものであるが、旧暦時代にはそんなことは珍しくもなんともなかった。それを大げさに驚いている。そもそもこの時代には律令制が崩壊し、暦博士などは世襲となり、堕落が始まっていた。そんな中で、暦に関する科学的知識は失われ、24節気を言葉尻だけで考えて花鳥風月を愛でる情緒的なものとして捉えるという風が始まった。それが現在までなお続いているというだけのことなのである。
 24節気とは本来天文の概念なのである。太陽が天球上の奈辺にあるかを示している。このことは2至2分ではわかりやすいだろう。すなわち太陽が南回帰線にあるのが冬至、そこから北上して赤道を通過するのが春分、さらに北上して北回帰線に達するのが夏至、そこから南下して再び赤道を通過するのが秋分である。他の節気はこれらの間を等分割しているのに過ぎない。現在の24節気は太陽黄経を等分割するので、時間(日数)の等分割ではないが、基本は変わらない。そしてこのことからわかるように、24節気は純然たる太陽暦なのである。旧暦に太陽暦の要素を加えるために設けられた非常に秀逸な概念なのである。言葉の意味を詮索するよりも、まずはこのことを周知させるのが本筋であろう。

立春、立秋は「まだ寒さ、暑さのまっただ中」?
 日差しに注目してみよう。立春の頃には冬至の頃と比べて太陽はかなり高くなり、日没も、たとえば東京では冬至の頃は16時30分頃だったのが立春頃には17時10分を過ぎる。「日脚伸ぶ」という季語もある。太陽に注目すれば、春はたしかに始まっているのである。
 日本では夏至の頃は梅雨のためその日差しの強さはあまり実感できないが、立秋の頃はたしかに日差しは弱まりはじめている。近頃ではまだまだ熱帯夜も続くが、エアコンなどの都市部での放熱が少なかったちょっと昔には、そろそろ夜風が涼しくなる頃であった。
「まだ寒さ、暑さのまっただ中」などと言うのは、太陽や自然に関心を示さなくなった現代人の鈍感さを示す以外の何物でもない。
 八十八夜、二百十日といった「雑節」は立春から数える。昔の人は「まだ寒さのまっただ中」などと下らないことは言わないで、季節を知る指標として重視していたのである。

清明、芒種はなじみが薄い?
 清明節は、中国や韓国では墓参の日として重視される。沖縄でも「うしーみー」と呼ばれて墓参の風習が続いている。弁当を持って祖先の墓を訪れるという、ピクニックの要素も混じった風習である。
 高松塚古墳壁画は、被葬者をピクニックに連れ出している図であるという。まさに清明節であろう。古代には日本にもこの風習があったものと思える。それは渡来系の上流階級の風習だったかもしれないが。
 その後日本では浄土信仰が広まり、人々は彼岸に寺へ集まって西方へ沈む夕日を拝むようになった。さらに江戸時代になって檀家の制度ができ、寺へ墓を置くようになった。葬式仏教のはじまりであるが、こうして寺参り、墓参りは彼岸の風習となり、春彼岸からわずか半月後の清明節は無視されるようになった。ちなみに清明節のピクニックの要素は、桃の節句の野遊び、潮干狩りになっていったのだろう。これも新暦では早すぎるので現在では廃れてしまったが。
 ともかく、これは日本だけの事情で、琉球を含む東アジアでは清明節は今も重要な行事なのである。それを「なじみが薄い」などと言って切り捨てるなら、ここでも日本だけが孤立し、ガラパゴス化していくであろう。

 井伏鱒二『黒い雨』に、「結構な芒種です」という挨拶が出てくる。また「今月は芒種と虫供養がすんで、・・・」、「虫供養は芒種の次の次の日」などの文言がある。芒種はちょうど田植えの頃であり、つい60年ほど前までの農村では重要な季節の指標だったことがわかる。それを「近代化」した現代人の感覚で無視するのは文化や歴史の破壊であろう。映画『黒い雨』の演技で高い評価を得た田中好子(スーちゃん)の急逝に追い討ちをかけるかのような暴挙である。

 5月中旬の晴天の日、天気予報で「紫外線の強さは真夏なみ」と言っていた。日射そして紫外線が最も強いのは夏至である(無論天気が良ければだが)。その夏至を折り返し点として、立夏は約45日前、立秋は約45日後だから、紫外線が同じということは容易に理解できる。小満(5月21日頃)と大暑(7月23日頃)、芒種(6月6日頃)と小暑(7月7日頃)にもこの関係はあてはまる。ソーラーパネルの発電効率を知るためにも、24節気は重要な指標となるだろう。
 つまり24節気の知識は決して時代遅れのものではないのである。この優れた知識を何故受け継ぎ、後世へ伝えようとしないのだろう。
May 2011

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