十五志学,三十而立、四十不惑、五十知命、六十耳順、七十古希 、これは有名な孔子の論語の一節と杜甫の言葉(七十古希)です。この時代の平均寿命の詳細は調べていませんが七十歳は希なりといっているから60歳くらいではと推定されます。
「15歳にして学問を志し、30歳にして一人前になり、40歳になっては惑わず、50歳にして天命をしり、60歳には他人の言う事全てが理解できる。」との意味です。
これを平均寿命80歳の現代にあてはめてみると(精神年齢は寿命を100として寿命のどこまで年をとっているかできまると思っている。つまり人生60年の時代の15歳は人生の25%だから人生80年時代の25%20歳と同じ精神年齢であると考える。)機械的に十五志学は20歳,三十而立は40歳、四十不惑は53歳、五十知命は66歳、六十耳順は80歳となります。
目的もなく入学した大学で将来の進路をきめるのが20歳、一人前と認められるのが40歳社会の出来事に動じなくなるのが53歳、自分の器量を悟るのが66歳(ちょっと遅いかな)他人の事(人間)がわかってくるのが80歳と意訳でき自分のこれまでと重ね合わせてまあまあ当たっているのではと思っています。