描き方はごくかんたんです。 先づ1のように円を一つ描きます。次に2の孤を描けば風鈴の口になります。3はガラスの管です。下方について風にゆれるタンザクは、4、5、6の順序でできあがります。
元来、俳画と呼ぶような画の系統が、あると言えばあり、無いと言えば無いので、これはあくまでも俳句に従ってあるものなのです。俳句が、庶民の芸術として国民の隅々にまで行きわたっていて、俳画もそれにつれて、あくまでもわれわれの身近かに親しみ易い存在としてあるのです。
俳句という短い詩の形は、世界でもめづらしいものです。たった十七字の中に、全宇宙を投げこんでの詠いあげ、しかも季語(きご)というものまであって、季節の移り易いまで表わすというキメの細かい詩は、日本以外には見られない立派な芸術 であります。
しかも、それが日 本のどこえ行ってもあります。 町の工場にも、学校の児童にも詠まれ、農家 の老婆にも作られるのですから 嬉しいではありませんか。
この俳句にそえられて、画が 描かれます。それが俳画と呼ば れる画です。芭蕉のタンザクに も画が描かれたのがあります。 一茶にも蕪村(彼は画かきでも ありました)にもあります。近 世になってからは、子規が好ん で俳画を描きました。
俳画は、俳句をはなれて独立 していないものです。いくら俳 句的な味い、すなわち俳味があ っても、俳句と別居していては 俳画とは言いきれないようで す。それなら、俳画は俳句のさ しえでしょうか。しかし、そう でもなさそうです。
画が、句のさしえになったら
しつっこくてうるさいものにな
るでしょう。それなら、カット
代りのアクセサリーでしょう
か。しかし、そうでもなさそう
です。