The Days of Multi<芹香編>第一部第3章パート1 投稿者:DOM
The Days of Multi <芹香編>
第1部 Days with Hiroyuki
☆第3章 芹香と浩之 (マルチ生後4ヶ月〜5ヶ月) Part 1 of 2



 本編第一部第2章で”B.芹香先輩に慰めてもらいたい。”を選択した場合の続きです。

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 浩之はぼんやりと、中庭の芝生に腰をおろしていた。
 マルチと別れて以来、体の芯が抜けてしまったような心持ちがする。
 幼馴染みのあかりが心配するのも、今はただうるさく感じるだけだ。
 喧嘩友だちの志保ともやり合う気になれない。
 雅史が気を使ってひとりにしようとしてくれるのが、一番ありがたい。

 ふと、傍らに人の気配を感じた。
 見上げると、芹香の顔があった。
 どことなく心配そうだ。
 何か言われる前に浩之が機先を制する。

「先輩… お願いだから…
 何も聞かないでくれ…」

 それきり黙る。

 しばらくして、芹香がやはり芝生の上に腰をおろす。
 浩之の隣ではない。さりとて、そう離れているわけでもない。
 浩之がちらっと見ると、芹香は、よくやる中庭でのひなたぼっこのように、あらぬ方を見てぼうっ
としている。

 芹香なりの心遣いだろう。
 芹香は浩之と無関係にそこにいる、と言いたいのだ。浩之が余計な気を使わないように。
 しかし、浩之が必要とするなら、いつでも応じられる、そういう距離にとどまっていた。
 そして、浩之が頼んだように、何も言わず、しかもその沈黙が重苦しくならないように配慮しなが
ら、座っていた。
 浩之は、芹香のそうした態度がありがたかった。

 魂の抜けたような浩之と、ぼうっとした表情の芹香は、長い間そのままの姿勢を保っていた。

 やがて浩之は立ち上がると、

「ありがとな、先輩。
 …少しは元気が出たような気がするぜ。」

 と、心から礼を言った。
 芹香も嬉しそうな表情を見せて頷いた。



「お嬢様。お迎えに参りました。」

 巨漢の執事が、車のドアをあけながら、さりげなく周囲を見回す。

(今日もあの小僧は姿が見えぬな。
 …大旦那様のご計画がうまくいったようだ。)

 芹香につきまとい、綾香にも手を出しているらしい藤田浩之を、メイドロボのマルチに夢中にさせ
る。
 それが来栖川翁の計画だった。

 翁の思惑通りいったことは喜ぶべきことだろうだが、セバスチャンは、もうひとつ手放しで喜ぶこ
とができなかった。
 いくら何でも、「からくり人形」にセックスまでさせて男を誘惑するというのは、やり過ぎだと思
うからだ。
 さらに…芹香の表情がある。
 以前は表情らしいものをほとんど見せなかった芹香が、あの「小僧」の出現以来、次第に微笑みら
しいものを見せるようになっていた。
 それが、この何日か、どことなく憂わしげな顔をしているのである。
 そんな表情を毎日見ているセバスチャンは、喜びとは程遠い気分だった。



 芹香はふと目を覚ました。
 部屋の中は真っ暗だ。
 時刻は真夜中近い。
 何か夢を見ていたようだが…よく覚えていない。
 あまり楽しい夢ではなかったようだ。
 何となく目が冴えて、ベッドの上に起き上がる。

 そのとき、屋敷の中で笑い声が響いた。
 スリッパをはき、立ってガウンを羽織った。
 そっとドアをあけて廊下へ出る。
 話し声のする方へ歩いて行くと、一室の扉の隙間から光が漏れていた。
 またもや笑い声が響く。

(お爺様…)

 笑っているのは、芹香の祖父だった。
 何気なく部屋の前まで近づいたとき、「藤田」という言葉が聞こえたような気がした。
 はっとする芹香。
 祖父の得意とする小言のひとつに「立ち聞きなどしてはいけない」というのがあるが、それすら忘
れて、ドアに耳をつける。
 祖父の、珍しく機嫌よさそうな声が聞こえた。

「…しかし、セリオタイプの好評は予測がついたが、
 あのマルチタイプが、あれほどの評判になるとは意外であった。
 この調子では、当初考慮されておらなんだ一般家庭への浸透も、かなり有望だぞ。
 …いや、さすがは、あの藤田とやらを骨抜きにしたメイドロボの『妹』だ、
 廉価版でも十分魅力的と見える。
 マルチタイプは当初販売を見送る予定であったが、
 まさに怪我の功名というものか。
 …何にしても、長瀬、おまえの倅は…」

「恐れながら、セバスチャンにございます。」

「…セバスチャン。
 おまえの倅は大したものだ。
 セリオといいマルチといい、あれだけ人間そっくりの…
 『からくり人形』をつくり出すことができるのだからな。
 まさに感服の至りだ。はっはっは。」

 来栖川翁はセバスチャンが以前に用いた表現を真似しながら、いよいよ上機嫌だった。



 芹香は、来栖川翁の言葉に当惑していた。

(「藤田」を…骨抜きにした…メイドロボ?)

 「藤田」って…浩之さんのこと?
 メイドロボって?

(…マルチタイプの「姉」が…浩之さんを「骨抜きにした」?)

 芹香は、祖父の言葉を反復しながら考えこんだ。

(マルチタイプの「姉」というのは…試作型のマルチさんのことかしら?)

 自分のところへわざわざ挨拶に来た、愛くるしいメイドロボの笑顔を思い出す。

(マルチさんが…浩之さんを…骨抜きに…?)

 そう言えば、あの「挨拶」のときも、ふたりは親しそうだった…

(マルチさん…)

 浩之はこのところ元気がない。
 そう、ちょうどマルチの姿を見かけなくなった頃から…

(浩之さんは…マルチさんのことが…好きだったの?
 マルチさんがいないから…浩之さんは元気がないの?
 …でも、どうしてお爺様が、浩之さんやマルチさんのことを?)

 芹香はいっそう聞き耳を立てた。



「その『からくり人形』のことでございますが…」

 セバスチャンが思い切ったように口を開く。

「このたび売り出されますからくり人形にも、
 その…男を受け入れる機能が?」

「ん? ああ… いや、それはない。
 もともと性交機能はメイドロボに搭載することを見送ったものだ。
 藤田の場合は、万全を期するために、おまえの倅に命じて特につけさせただけだ。
 第一、市販のメイドロボにセックスができるなどということになれば、
 大変な社会問題になることは目に見えておる。
 そんな馬鹿な真似はせぬよ。」

「さようでございますか。」

 セバスチャンはほっとしたように言った。

 セバスチャンには、いかに人間そっくりとはいえ、人形にそうした機能をつけるという感覚が信じ
られなかった。
 その点については、尊敬する大旦那様の考えとはいえ、あの藤田のメイドロボにその機能をつけた
時も、言い知れぬ嫌悪感を覚えたものだ。
 そう言えば、あのとき、会長命令とはいえ、その機能を搭載することをあっさり承諾した息子の感
覚も、理解の外だった。

 量産型にはその機能がついていないと知って、巨漢の執事は胸をなでおろした。
 もしもあのような機能をもったメイドロボを大量生産するようなことになれば、長年お世話になっ
た来栖川家にも愛想がつきてしまうかも知れない、そう思いつめていたからだった。



 ドアの外で、芹香はいよいよ混乱していた。

 「藤田の場合」とは…マルチのことだろう。
 マルチさんにだけは、男の人を受け入れる機能がついている?
 お爺様がその機能をつけさせた?
 マルチさんに…浩之さんを…誘惑させるため?

(それじゃ、浩之さんとマルチさんは…)

 芹香が顔を赤らめる。つまりはそういう関係だったのか。
 だけど、どうして、お爺様がそんなことを命じる必要があるのだろう?



「いや… しかし、さすがにわしも、
 後になって、あれは少々やり過ぎたかと後悔した。」

 セバスチャンの無言の非難を察したのか、翁はいささか間の悪そうな顔をした。

「何せ、あのときは、気が立っておったからの…
 我ながら、どうも孫のことになると見境がつかなくなって困る。」

「恐れながら、大旦那様のお心のうち、
 よく存じ上げておる所存にございます。」

 セバスチャンにも、翁の心情はよく分かる。
 自分自身、芹香の周りにつきまとう小僧を見ては、大人気なく追い払ったものだ。
 孫可愛さの余りと言えば、自分にとっても…恐れ多いこととは感じるが…芹香は孫のようなものな
のだから。

「おまえにそう言ってもらえるとありがたい。
 …はは、まだまだ若いつもりでおったが、やはり年を取ったようだな。
 どうも近頃、めっきり頑迷になったようでいかん。」

「何を仰せられます。
 …大旦那様のご計画が功を奏したればこそ、
 見事芹香お嬢様をお救いできたのではござりませぬか?」

「…うむ。…うむ、そうだな。
 いささか行き過ぎはあったものの、
 終わりよければすべてよし、ということにしようか。」



 芹香は震えていた。
 祖父が何をたくらんでいたのか、ようやく理解できたのだ。

(私と…浩之さんを…引き離すために…)

 お爺様はマルチさんを利用したのだ… そういう行為までさせて!

 芹香はめまいがしてきた。
 体がふらつく。
 思わずドアに体重がかかる。
 ちょうつがいが微かにきしむ。

「だれだ!?」

 耳ざといセバスチャンが怒鳴る。
 続いて、ドアがさっと内側に開かれた。
 バランスをくずした芹香は、部屋の中へ倒れ込んだ。

「お嬢様!?」

「芹香!? …何をしているのだ?」

 驚くふたりの声も耳に入らぬかのように、真っ青な顔の芹香は、床に倒れ伏したまま震えていた…



 翌朝。

「姉さん。どうかしたの?
 元気ないわよ。寝不足?」

 心配していろいろ聞いてくる妹にもろくに返事をしないで、芹香はのろのろと車に乗り込んだ。
 体が鉛のようだ。

 もちろん寝不足もある。
 あれから、セバスチャンに支えられて自分の部屋まで戻ったものの、ほとんど眠れなかったのだか
ら。
 だが、それ以上に、祖父の計画を知ったショックが大きかった。

「…お嬢様。
 ご気分はいかがでございますか?
 お顔の色がすぐれませんが…」

 運転しながら問いかけるセバスチャンにも、返事をしない。
 学校までの道のりの半分まで来たところで、ぽつりと口を開く。

「…………」

「は? …セバスチャンも、マルチさんのことを知っていたのですね、ですと?
 そ、それは…」

「…………」

「…お爺様の計画に加担していたのですね、ですと?
 お嬢様! 大旦那様も私も、ただただお嬢様のことが心配で…!」

 狼狽したセバスチャンは、左へ曲がるべきところを直進しそうになり、慌ててハンドルを切りなが
ら、弁解にこれ努めた。
 しかし、芹香はいっそう沈んだ顔になり、その後一言も口を聞かなかった。



 廊下の窓から中庭へ目をやる。
 浩之の姿が見える。
 このところ毎日、そこに座っている。
 そして、芹香も毎日、そんな浩之を「慰め」に行っていたのだが…
 今日は、浩之の傍に行くのが怖い。
 浩之をそんな風にした原因が、自分の祖父にあると知ったから。
 浩之とマルチが…そういう関係だと知ったから…



(先輩… 今日は来ないのかな?)

 いつも浩之の傍に来ては、ぼーっと座っているだけの芹香。
 その姿が今日は見えない。
 大事な魔法の実験でもしているのだろうか?
 そこまで考えて、浩之は自嘲した。

(俺って… マルチのことを考えてたはずなのに…)

 こんな風にして少しずつ、あの愛らしい少女のことを忘れていくのだろうか?
 …いやだ。忘れたくない。

(マルチ…)

 浩之は立ち上がった。



(浩之さん…)

 浩之が立ち上がった。
 ゆっくり歩き出す。
 家に帰るのだろう。
 少しずつ、その姿が遠ざかる。

(だめ…)

 不意に、芹香は、浩之がこのまま自分の手の届かない所へ行ってしまうような不安に襲われた。

(行かないで…!)

 芹香は夢中で駆け出した。浩之を追って。
 日頃、本気で走るということがないので、足が思うように動かない。
 まどろっこしいくらいのスピードしか出せない。

(待って! 浩之さん!)

 ここで追いつけなかったら、もう二度と会えない…
 そんな思いに駆り立てられて、必死に走った。
 浩之の後ろ姿が少しずつ、少しずつ近づいて来る。
 もう少しで校門を出ようとしていた浩之は、芹香の足音に気がついたのか、振り返った。

(浩之さん!…)

 精一杯大きな声を出したつもりだが、浩之の耳にはささやくようにしか聞こえなかった。

「先輩?」

 芹香が懸命に走るというその姿にどうしようもない違和感を覚えながら、浩之がつぶやいた。
 勢い余った芹香は、その胸の中に飛び込む格好になった。

「わわっ!?
 せ、先輩、どうしたの!?」

 危うくバランスを崩しそうになった体を何とかもたせながら、浩之は自分の胸にしがみついている
芹香に尋ねた。
 男子生徒に抱きついているお嬢様の姿を、もの珍しそうに眺めながら下校していく連中がいるが、
そんな好奇の視線を気にする余裕さえなくした芹香は、潤んだ瞳で浩之を見上げた。
 どぎまぎする浩之。

(ひ、浩之さん、あの、あの…)

 芹香は、何を言えばいいのかわからなかった。

「?」

(あの… あの…)

 やっと、思いついたことは…

(浩之さん、あの… 魔法の実験につきあっていただけませんか?)



 部室のドアを閉める。
 例によって中は薄暗い。
 ろうそくに火を灯す。

「それで、今日は何の実験?」

 椅子に腰を下ろした浩之が尋ねる。
 マルチがいなくなって以来、芹香の誘いにもかかわらず、一度もオカルト研究会には顔を出さな
かったのだが…今日は、いつになく切羽詰まった様子の芹香に押されて、つい「OK」と言ってし
まった。

「…………」

「え? 魔法薬の実験です?
 どんな薬?
 え? 自分に正直になる薬?
 …そ、それって、まさか自白剤みたいなものじゃ…?
 違う? 危険なものじゃないって?
 本当に大丈夫なの?
 え? 私が最初に飲みますからご安心ください、って?」

 こくん

 芹香は小さな瓶を取り出すと、蓋をあけ、こくっと一口飲んだ。
 心なしか、芹香の頬が赤く染まってきたようだ。

(な、何だか色っぽい…)

 ろうそくの灯りに照らされた美少女の顔は、何とも魅力的だ。

(…は!? 俺はまた…
 ごめんよ、マルチ。)

 浩之は恋人の顔を思い浮かべて、自らを戒めた。
 芹香が瓶を差し出す。
 浩之は一瞬躊躇したが、

(先輩が飲んでも何ともなさそうだし…
 たぶん、大丈夫だろう。)

 受け取って口をつける。
 瓶を傾ける。
 さらさらした液体が口に入る。
 妙な味もしないし、別段飲みにくいわけでもない。
 思わず、小さな瓶の中味を飲み干してしまう。
 それを見て、芹香が小さく叫ぶ。

「え? 何、先輩?
 え? 一口飲めば充分なんです?
 …そ、そういうことは最初に言ってよ!」

(あれ? 何だか目が回るような気が…)

 浩之の体がふらつく。
 立っていられない。

(せ、先輩、助けて…)

 浩之はゆっくりと床にくずおれた。

(あ、そう言えば、さっきのあれって… 先輩と間接キスしたことになるのかな?…)

 意識を失う直前に、そんなどうでもいいことを考えていた…



 浩之は目を覚ました。

(ここは… どこだ…?)

 真っ暗な場所。
 灯りのない部屋。
 その床に、うつぶせに寝そべっている。

(…ああ、そうか…
 魔法の実験をしていたんだっけ。)

 意識を失っている間に、ろうそくが燃え尽きたのだろう。
 体を起こそうとして、ふと違和感を感じた。
 床が妙に柔らかい。

(?)

 思わず手で床を探ると…そこには柔らかい女性の胸があった…

「うわっ!?」

 慌てて跳ね起きる。
 苦労して新しいろうそくをさぐりあて、震える手でかろうじてマッチをつけると…

「せ、先輩!?」

 一糸まとわぬ姿の芹香が床に倒れていた。
 あたりに、芹香の衣類が散乱している。
 まるで無理やり剥ぎとられたかのようだ。

(無理やり…?)

 浩之の顔が青ざめる。
 気がつくと、自分も裸同然の姿だった。

(まさか…?)

 部室のドアには鍵がかっているはずだ。だれも入れない。ということは…
 おそるおそる芹香に近づく。
 気を失っているようだ。

(お、俺が…先輩を…やっちまったのか?)

 そう言えば、かすかに覚えているような気がする…
 体のそこかしこに残る感触…

(な、何てことだ…)

 浩之の膝はがくがくと揺れていた。



「お嬢様。本当に医者に行かなくて大丈夫でございますか?
 来栖川総合病院でしたら、待つこともなくすぐに診察してもらえますが…」

 セバスチャンはしきりに心配する。

「…………」

「大丈夫、でございますか?
 はは、わかりました。」

 いつまで待っても出て来ない芹香を心配して学校の中を探し回っていたセバスチャンは、保健室の
ベッドに芹香の姿を見い出した。
 貧血気味で横になっているうちにぐっすり寝込んでしまったらしいと聞いて、胸を撫で下ろした執
事であったが、もしそのベッドの下に浩之が息を殺して潜んでいるのに気がついたら、ただではすま
なかったことだろう。
 帰りの車の中で、芹香はほとんど口を聞かなかったが、執事は、まだ気分がよくないのだろうと考
えて、あれこれ話しかけるのを控えていた。



(私は… 卑怯な女…)

 自分の部屋に入った芹香は、自己嫌悪に陥っていた。

(媚薬の力を借りてまで、浩之さんを手に入れようとするなんて…)

 実験に誘ったときは、そんなことを考えていなかった。
 何でもいいから、浩之と一緒に時を過ごせればよいと思っていただけだ。

 部室に入って、今までにつくった魔法薬の置いてある棚に目をやったとき、初めて「それ」に気が
ついた。
 以前、浩之に頼まれて惚れ薬をつくるつもりで、何の間違いか強力な媚薬をつくってしまい、それ
を捨てることができずに取ってあったのだ。
 少しだけ飲んで、少しだけ大胆になれたら、思いきって告白をしよう、そう考えたのだが…
 薬は思いのほか強烈で、一口飲んだだけなのに、芹香はそれ以上のことを求めてしまった。

(マルチさんに浩之さんを取られてしまった…
 だから、取り返すの…
 今度こそ、私だけのものになってもらうの…)

 そんな思いが、頭の中をぐるぐる駆け巡っていたようだ。
 浩之の方は、あろうことか、残りの薬を全部飲んでしまい、そのまま気を失った。
 やがて息を吹き返した浩之は、芹香に抱きついてきた。
 芹香も拒まなかった。

(浩之さんを取り返すの…)

 それしか考えていなかった。
 媚薬の影響で感じやすくなっていた芹香の体は、浩之の荒々しい愛撫を受けながら、喜びに震えて
いたのだ…

(あんな淫らな姿を見せてしまって…)

 浩之に愛想をつかされないか、心配になる。

(浩之さん… 私は卑怯な女です…
 でも、卑怯な手段を使ってでも、あなたを取り戻したかったんです。
 お願いですから、嫌いにならないでください…)

 祈るような思いの芹香であった。



(俺… とんでもないことをしちまった…)

 浩之は、自分のベッドの上に体を投げ出していた。
 マルチのことが好きで、忘れられないはずなのに…
 優しくてきれいな先輩に手を出してしまった…
 それも、たぶん… 無理やり…
 まさか、自分がそんなことをするとは、夢にも思わなかった。

(先輩…)

 マルチに出会う前、先輩に引かれていた。
 マルチと出会って、マルチが好きになった。
 そして、マルチを抱いた。
 マルチがいなくなって、また先輩について行った。
 そして…

(先輩に… あんなことを…)

 先輩はあの薬を、「自分に正直になる薬」と言っていた。
 これが、本当の俺なのか?
 見境なしに女を好きになり、手を出してしまう。
 それが「正直な」、俺の本音なのか?

(赦してくれ… 先輩… マルチ…)

 心の中でいくら詫びても、苦々しい思いは消えなかった。


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THキャラの中で、芹香さんほど、何を考えているのかわからない人物はいないでしょう。
ゲームの中で惚れ薬を飲むとき、そして浩之とああなった後の芹香さんは、
一体どんなことを感じ、考えていたのでしょうか?
状況は違いますが、この分岐にあるように、「薬が思ったよりもよく効いてしまった」とか、
「後で自己嫌悪に陥った」とかいうこともあり得ると思います。

…というようなことを、この分岐を書き終わって大分経ってから考えつく、トロい作者でした。


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