2001/8/14
いつもの寄り道戻り道


 夜半過ぎに勢いを増した雨は、朝方にはあがっていた。でもまだ空には雲が広がっている。バンガローの外でカラスが喧しく鳴き叫んでいて、窓越しにそれを覗いてみると、親カラスが子供たちに餌をやっているところだった。
 ここまで来る間のどのキャンプ場でもそうだったのだが、そこには必ずカラスが居て、朝になると必ず「カァカァオグェオェゴルルンガ」という鳴き声が聞こえてきていた。「カァカァ」という普通の鳴き声の合間に「カァカァオグェオェゴルルンガ」と聞こえる。てっきり「カァカァオグェオェゴルルンガ」と鳴く種類のカラスが居るのだなぁと信じて疑わなかったのだが、どうやらそれは間違いで、子カラスが鳴いているところへ、その嘴の中へ親カラスが嘴を突っ込んで餌をやるものだから、「カァカァオグェオェゴルルンガ」と、痰が絡まったような鳴き声に聞こえていただけのようだ。

 ぶんちゃんのバンガローの中で菓子パンの朝食を済ませ、片づけを始める。バイクに荷物を積んでいると、富良野方面から走ってきたというディグリーに乗ったおっちゃんがやってきて、立ち話をする。するとそこへさらに例の車のおばちゃんが来て、今回の不思議な巡り合わせを嬉々として話し始める。そしてやがて、ディグリーのおっちゃんが横浜から来たという話題を種に、女学生時代の戦争体験をおばちゃんが語り始める。「空襲で全部焼けた。みんな死んだ。あんなのはもう二度と嫌だ」と。
 別れ間際におばちゃんが、俺たちの口の中へお守り代わりだと言って飴を放り込んでくれる。「元気でね」と言いながら走り始めた俺たちの背中に向かって手を振り続けていたおばちゃんが、バックミラーの中で小さくなっていく。

 国道十二号線との交差点にあるコンビニで一服する。彦太郎との待ち合わせの時間まではまだまだ時間がある。このまま走ってしまうと十一時前に札幌に着いてしまいそうだった。
 三十分ほど時間を潰し、都市部には不似合いな、キャンプ道具を満載したバイクで走り始める。遠くの空が青い。そしてそれは次第に近づいてくる。札幌市に入る頃にはすっかり夏の陽射しが戻ってきていた。

 札幌駅近くで道を間違え、何度かバイクを停めて地図を確認する。それでも十二時前には琴似駅の近くで彦太郎の車と合流し、彼の借りている駐車場へバイクを停めさせて貰い、彼が運転する車に乗り込んで小樽を目指す。
 二年ぶりに合う彦太郎は、少しだけ年相応の風貌を身につけたようで、どうやらなんちゃって青年の称号を返上したようだ。夜の行動だけは相変わらず華々しいもののようだが……(キャバクラのおねーちゃんと一緒に撮ったプリクラを公開してやろうと思って一枚貰ったのだが、どこかに紛失してしまった。残念。と、書いていたら急に思い出して財布の中をあらためたら、カレンダーの裏に張ってあった。うひゃひゃひゃ。いずれ公開しちゃる。にしてもこのおねーちゃんは結構可愛いなぁ)。

 高速道路を使うとほんの三十分ほどで小樽の街に着くのだが、滅多に来ないので良く知らない、という彦太郎の頼りなげな態度を補完するかのように、小樽の観光ガイドを押しつけられる。それで寿司屋を探せということなのだが、俺はどうもそーゆーのが苦手で、パッと開いたペイジのある場所をいい加減に指さし、「ここ」と決めて良いのなら構わないのだが、そこに書かれている内容を読んでどれが最善なのかを選択するという能力が欠落しているので、とりあえずぶんちゃんにその本を手渡した。
 すでにすっかり何という店で寿司を食べたのかを忘れてしまったが、なんだか有名なお店で食べたらしい。とにかくウニとホタテが美味かった。はっきりと美味いと思ったのはその二つだけで、結局は食べ慣れないものの味の優劣なんて付けられないということが解った。絶対味覚の持ち主って訳でもねーし。というか、「小樽で寿司を食うのだっ」と出発前に息巻いていた割に何も下調べをしてこなかった俺がイカンのか、それとも、ススキノでばかり遊んでいるせいで未だに地元民のくせして小樽のことを何も知らない彦太郎にガイドを頼んだ俺が馬鹿なのか。いずれにせよ、俺が悪かったことだけははっきりしていたようだ。

 とりあえず小樽の有名店で寿司を食ったという事実に満足し、再び車で札幌に戻る。そして今度は地下鉄で札幌駅まで土産物を漁りに行く。が、彦太郎をすっかり観光ガイドのように使ってしまい、ちょっと申し訳ない気分だった。
 彦太郎に案内して貰った店で、俺にしては珍しく大量に(とはいえ普通の観光客の十分の一くらい)土産物を買い込み、洞窟のような作りの喫茶店で涼む。
 ひとしきり近況などを報告し合った後、札幌でラーメンを食うというミッションを果たすべくススキノへ徒歩で移動。ところが、彦太郎お勧めのその店は定休日。それならということでラーメン横丁へ行く。
 初めて足を踏み入れたラーメン横丁は、まるで池袋の人世横丁のよう(ローカルすぎて誰も知らんだろ。)だった。ビルとビルの隙間の、人と人がすれ違うことさえ困難なその場所に、十数軒のラーメン屋が軒を連ねている。
 どの店も味は大体一緒、と彦太郎が言うので、彼の選んだ店に何の疑いもなく入店する。中途半端な時間のせいで他に客はいない。ほどなくしてラーメンが運ばれてきて、スープを一口啜る。う、美味い。堅めに茹で上げられた麺も良い。家の近所にこんな店があったら通い詰めてしまうぞマヂで。などと言いつつ完食。で、またもや店の名を失念。なんだっけなー。
 翌日から始まるという祭りの準備が進められつつある大通り公園をぶらぶらと歩き、芝生の上でおねーちゃんウォッチングに勤しむ。札幌の娘っこはなまら発育が良いんでないかい? などと話しつつ煙草をふかす。あーもうあと数時間で北海道を離れることになるのかー、と感慨に耽るふりをしつつ、目線はおねーちゃんの尻や胸に注がれていたことは秘密にしておきたいところだ。

 いつか必ずススキノのあの店へ行くぞと固く固く心に誓い、彦太郎に見送られて札幌を後にする。彦太郎、ありがとう。○×ちゃんによろしくな。な、ぢゃねーだろ。
 新川から高速道路に乗り、夕陽に背中を押されながら室蘭を目指す。やがて行く先の空に雲が広がり、苫小牧で高速道路を降りた頃には今にも雨が降り出しそうだった。
 苫小牧からは一般道を西へ向かう。苫小牧市街地を抜けて真っ暗な海岸沿いの道をひた走る。寒い。
 すっかり様変わりしてしまった室蘭の街に戸惑いながらも、案内標識の示すままに走り、無事にフェリーターミナルへ到着する。駐車場へバイクを停めて乗船手続きを済ませると、後は何もやることがなくなった。建物の前のベンチで呆然と出発までの時間を過ごす。ぶんちゃんと交わす言葉も少ない。空気が重い。

 やがて乗船開始のアナウンスが流れ、大洗行きフェリーの船倉へとバイクを進める。行きの船よりも多少マシな程度の利用者の少ない二等船室に荷を解き、六人分のスペースを二人で贅沢に使って寝転がる。だがやはり、言葉は少ない。
 短かったなりに充実していたこの数日間の思い出が、それを語り、語り尽くすことでどこかへ吐き捨てられてしまうのではないかと感じていた。口を開けばきっと、その後にやってくる日常を拒否する言葉で埋め尽くされてしまうだろう。楽しかった思い出を反芻して何度も噛みしめるために、今はお互いに黙ったままでいよう。
 そうやって黙約を守り続ける俺たちを乗せて、船がゆっくりと南下を始めた。


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