2001/8/3
それぞれの今それぞれの老後


 風が吹いて霧が流れ、山の向こうから陽が昇る。宿の食堂から、テレビのニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえてくる。パンの朝食にはいい加減うんざりしていて、ご飯とみそ汁が並んでいるであろう宿の食堂の食卓の上に思いを馳せつつ、でもやっぱりパンと魚肉ソーセージで済ませてしまう。
 朝食を食べ終えるとすぐに出発の準備を始め、支配人に挨拶をし、走り出す。今日もいい天気が続いている。

 国道二三二号線を南下し、焼尻、天売へ渡るフェリー乗り場を懐かしく横目に見て、風力発電の巨大なプロペラ群を目前にして幌加内へ向け国道二三九号線へ入る。
 原生林に囲まれた比較的平坦なワインディング・ロードが延々と続き、気持ちの良いことこの上ない。シフト・チェンジとアクセルのオンオフだけでコーナーをクリアできる速度で走ると、股の下でバイクがワルツを踊っているようだ。急がず、焦らず、ゆったりと優雅にステップを踏む。解き放たれた我が魂よ、決してギラつくことなく、クールに踊れ。
 添牛内から、電車の線路とともに国道二七五号線を南下する。途中の道の駅で熊笹ソフトを舐め、さらに南下を続けると、いつの間にか太陽が雲の中へ隠れてしまっていた。風が冷たくなってくる。深川までくると、雲が暗く低く重く垂れ込め、今にも雨が降り出しそうだった。

 雨竜の道の駅で昼食を摂るためにバイクを停める。レストランに入り、さしたる特徴もないメニューを眺め、俺は天丼とざるそばのセット、ぶんちゃんはカツ丼とざるそばのセットをそれぞれ注文する。
 メイルをチェックしつつ料理が運ばれて来るのを待っていると、隣に座った老夫婦がラーメンを俺に差し出し、食べてくれと言う。セットものの料理を注文したのだが、その老人にとっては量が多過ぎて、だからといってそのまま残してしまうのも勿体ないからと言うことだった。さらに、「若い人はこれくらい食べられるでしょう」などと言いつつどんぶりを押してくる。相対的に見れば確かに若いのかも知れないが、絶対的には大声で「若いぞ俺は」などとは決して言えないし、そうも見えないはずなのに。とにかく一旦は辞退させていただいたのだが、断り切れずに結局頂いてしまった。いやまあとにかく美味かったです。ご馳走様でした。

 札幌の彦太郎に電話をし、翌日の昼頃に札幌へ到着する予定だと告げる。さらに風が強くなる中を走り出し、滝川で国道一二号線に入り、砂川の駅まで来たところでとうとう雨が降り始めた。やばいと思ってすぐにバイクを停めてレイン・ウェアを着始めるが、その間にどんどん雨は強くなっていく。再び走り始めた頃には全身びしょ濡れになっていた。
 憂鬱な気分のまま、美唄のAコープで夕食の食材を買い込み、桂沢湖を目指す。三笠インターチェンジを過ぎて山道に入ると、濡れた路面のせいで車の流れが悪くなる。縦溝の舗装でタイアがグリップしない。シールドが曇る。最悪だ。

 桂沢湖畔への道を下ると、すぐにそこがキャンプ場になっている。七年前にぶんちゃんと二人で来た時のままだ。天気が違うだけで、ただの広場のように見えるキャンプサイトにワン・ボックスの車が一台、あの時と同じ場所に停まっている。
 とりあえず炊事場の屋根の下にバイクを停め、篠つく雨を眺めながら煙草に火を着ける。テントを張った後に雨が降るならまだしも、この雨の中でテントを張る作業をするのは辛い。どうしようかとぶんちゃんと相談するが、一向に答えは出ない。
 用を足そうとトイレに行くと、キャンプ場の上の観光ホテルで受付をしろと張り紙がしてあった。確か昔は受付など必要なかった筈だが。でもまあそういうことならまずは受付だけ済まそうと、ホテルへ向かう。
 ホテルで受付を済ませ、炊事場の下にテントを張って良いかどうかを訊ねると、他のキャンパーに了解を得られれば良いという返事だった。キャンプ場に引き返し、一台だけ停まっている車に向かい、車のルーフから引き出したタープの下で優雅にティー・タイムを楽しんでいた老夫婦に声をかける。
 炊事場の屋根の下にテントを張らせて貰って良いかどうかを聞いてみると、もちろんそれは構わないけれどもそれよりも、トイレの裏の斜面にバンガローが数棟あって、そこもホテルで受付をすれば使って良いのだよ、という意外な答えが返ってきた。おお、それはラッキー。そんなところにバンガローがあるなんて知らなかった。ありがとうございました。
 う〜んしかし、なんだか見たことのあるようなご夫婦だなぁ。九年前から毎年この場所でキャンプしているって言ってたしなぁ。でも、まさかなぁ……。

 七年前にぶんちゃんと二人でここでキャンプした時、車種は違うが同じ場所でやはり同じようにルーフからタープを引き出し、肘掛け付きの折り畳み椅子に腰を下ろして湖を眺めながら過ごしている老夫婦が居て、少しだけ話をさせて貰ったのだった。
 あの時の老夫婦に似ている。ただ、似ているような気がするだけで、確証はないのだ。とりあえず荷物をバンガローに降ろし、落ち着いてから聞いてみようと思い、礼を言ってその場を後にした。

 バンガローへ荷物を運ぼうとしていると、ぶんちゃんが何事か考え込んでいて一向に動こうとしない。聞いてみると、テントを張ろうと考えているなどと言い出した。え?
 そのバンガローというのは、一人または二人で使うくらいがせいぜいの小さなもので、ベニヤ板の外壁とトタン屋根の簡易な作りだった。アルミサッシの窓とドアが付いている。照明器具は、もちろんない。
 ぶんちゃんがそこを嫌がっていたのは、板の合わせ目の隙間から侵入してきた虫に刺されるのを心配してのことだった。確かに隙間が全くない訳ではないが、取り立てて大きな隙間がある訳でもない。防虫スプレイと蚊取り線香でなんとかなるんじゃないかと思ったが、すでに体中のあちこちを刺されまくり掻きむしりまくりのぶんちゃんにとっては、これ以上の恐怖は無かったのだろう。観光ホテルへの素泊まりも勧めたが、かえって悩みを大きくしただけのようだった。
 結局ぶんちゃんは、暫く考え込んだ後、俺の隣のバンガローへ荷物を運び込んでいた。虫対策の妙案を思いついたか、それとも諦めたのか。とにかくそうゆう選択をしたのだ。それが良いことなのか悪いことなのか、俺には判断できない。判断できないことに口を出すつもりもない。ただ、そうかと思っただけだ。

 ホテルの風呂を借りに行く。広い風呂に二人だけ。気持ち良い。風呂を出てロビーでくつろいでいると、窓の外の景色が明るくなっているのが見えた。どうやら雨が上がったようだ。ビールを買ってバンガローへ戻る。

 炊事場で米を研ぎ終えバンガローへ帰る途中で、例の車のおっちゃんに会う。ぶんちゃんが七年前に老夫婦が乗っていた車の種類を覚えていて、恐る恐る、前はその車でここに来ていませんでしたか、と切り出した。すると、確かに七年前はその車に乗っていて、ここへも来ているという返事だった。やはりそうだったか。なんという偶然。七年越しの邂逅に会話が弾む。
 よくよく話を聞いてみると、仕事を定年退職して全国各地を車で巡っているというあの時の言葉通り、今もそれを続けているそうで、ここへは毎年来るそうなのだが、日にちはまちまちなのだそうだ。七年前に出会った時は七月の始めだったし、今回は七月半ば過ぎだ。そう聞いて尚更、この不思議な巡り合わせに驚く。
「こんな話をしたら女房はきっと喜ぶ」と言うおっちゃんの言葉で話を切り上げ、バンガローに戻って食事の用意を始める。

 ウニとイクラとホタテをご飯に乗せ、さらに数種類の刺身とともに食らう。普通にスーパーで売っていた食材をそうやって食ったというだけの話だが、とにかく美味かった。満足。
 北海道での最後の夜を、短かったこの数日の思い出話を語りながら過ごす。もう終わりか。まだまだ走り足りない。遠くここまで走ってきても、結局は目に見えない制約の中で動き回っているに過ぎない事実に気が付く。気が付いたところでどうしようもないのだがそれでも、今この時を自分の思う通りに過ごしていると誇りたい。やりたいことは、やる。何があろうと。そう心に誓って、蚊取り線香の煙でむせかえるぶんちゃんのバンガローを後にした。


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